2005年7月の日誌

 

 

7月29日(2)学問の自由の今日的諸問題が、日本学術会議の検討部会で議論され、報告書が出たようである。「全国国公私立大学の事件情報」経由で、この情報をコピーしておこう。温和で間接的な表現ながら、本学の改革過程と現状に関する問題なども、「公立大学」に関する一節をあてて 、論じている。まさに、指摘のとおりである。

 

 

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20050729

日本学術会議、「現代社会における学問の自由」

■日本学術会議、学術と社会常置委員会報告 
現代社会における学問の自由」
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1030-16.pdf

学術と社会常置委員会報告
現代社会における学問の自由

 

平成17年6月23日

日本学術会議 学術と社会常置委員会

 この報告は、第 19 期日本学術会議 学術と社会常置委員会の中の「現代社会における学問の自由分科会」を中心とした審議結果を取りまとめて発表するものである。

委員会メンバー
委員長 英樹 (第 2 部会員、名古屋大学理事・副総長)
佐藤 (第 1 部会員、東京大学大学院教育学研究科研究科長)
御園生 (第 5 部会員、独立行政法人製品評価技術基盤機構理事長)
中西 (第 1 部会員、京都市立芸術大学長、国際日本文化研究センター名誉教授、
総合研究大学院大学名誉教授)
浅倉 むつ子(第 2 部会員、早稲田大学大学院法務研究科教授)
柴垣 和夫 (第 3 部会員、新潟産業大学教授、東京大学名誉教授、武蔵大学名誉教授)
武田 隆二 (第 3 部会員、大阪学院大学流通科学部教授、神戸大学名誉教授)
岡田 守彦 (第 4 部会員、帝京平成大学ヒューマンケア学部教授、筑波大学名誉教授)
小川 智子 (第 4 部会員、岩手看護短期大学副学長)
久保田 弘敏(第 5 部会員、東京都立科学技術大学客員教授、東京大学名誉教授)
江澤 郁子 (第 6 部会員、戸板女子短期大学学長、日本女子大学名誉教授)
塩見 正衛 (第 6 部会員、放送大学茨城学習センター所長、茨城大学名誉教授)
鈴木 莊太郎(第 7 部会員、東邦大学医療センター大森病院院長付常勤顧問、産業医)
角田 文男 (第 7 部会員、岩手医科大学名誉教授)
(現代社会における学問の自由分科会メンバー)
委員長 柴垣 和夫 (第 3 部会員、新潟産業大学教授、東京大学名誉教授、武蔵大学名誉教授)
中西 (第 1 部会員、京都市立芸術大学長、国際日本文化研究センター名誉教授
総合研究大学院大学名誉教授)
浅倉 むつ子(第 2 部会員、早稲田大学大学院法務研究科教授)
岡田 守彦 (第 4 部会員、帝京平成大学ヒューマンケア学部教授、筑波大学名誉教授)
江澤 郁子 (第 6 部会員、戸板女子短期大学学長、日本女子大学名誉教授)
塩見 正衛 (第 6 部会員、放送大学茨城学習センター所長、茨城大学名誉教授)
鈴木 莊太郎(第 7 部会員、東邦大学医療センター大森病院院長付常勤顧問、産業医)


報告書の名称 現代社会における学問の自由
報告書の内容
(1) 作成の背景
 「学問の自由」に関する事項は,「科学者の倫理・社会的貢献」に関する事項とともに,もともと学術と社会常置委員会の主要な調査審議事項であるが,第18 期においては,同期学術会議全体の重点課題「日本の計画」並びに「新しい学術体系」の関連事項に審議の重点を置いたため,必ずしも十分な検討を行う余裕がなかった。そこで今期は常置委員会に「現代社会における学問の自由分科会」を設置し,鋭意検討を進めてきた。その結果,現代社会の新しい環境のもとで,学問の自由にかかわる問題はきわめて多面化し複雑化していることが明らかになった。この報告書はこの問題についての包括的かつ最終的結論ではなく,各方面での議論を促すための問題提起的な報告である。

(2) 報告書の要点
 第二次世界大戦以前まで,学問の自由を巡る問題は,主として学問研究を担う場であった大学の自治と諸種の権力や権威との間の緊張関係として存在した。
 この点は,学問の自由が憲法上明記されるに至った今日においても,なお十全に実現しているとはいえず,今後もその保障のための努力が継続される必要がある。しかし戦後半世紀以上経過した今日,学問の自由にかかわる問題は,権力や権威に対する緊張関係を超えて,科学者コミュニティ内部の諸問題にまで広がりをもつに至っている。その背景には,一方におけるそれ自身科学の発展の所産である技術革新のめざましい進展が,他方における社会の大衆社会化と大衆民主主義のいちじるしい進展がある。
 前者は,@ いわゆる巨大科学(大規模研究と大型設備研究)を生み出し,そこには基礎研究のほか国策的研究が含まれるところから,プロジェクト決定における科学者の社会的責任が問われるだけでなく,巨大科学とそれ以外の分野との財源配分,巨大科学プロジェクト間の調整と各プロジェクト内部での運営の在り方などについて,科学者コミュニティ内部での「大学の自治」の枠を越えた自治の在り方が問われている。それはまた,A 特に生命科学の分野でのヒトゲノム解読の完成,遺伝子操作・移植技術などの進展に伴い,かつては分けて考えられていた科学の「成果」とその「利用」について,あらためていわゆる「知の限界」,科学そのものの限界を問題とする議論が提起されるに至った。
 さ B 従来はかなり明確に区分されていた基礎・応用・開発の諸研究の間の距離が縮まり,あるいはオーバーラップするに至ったことから,産学連携の動きが積極化しているが,そこでは学問(大学)の論理と企業の論理との間に客観的に存在する緊張関係を自覚しつつ,両者の連携が実をあげうる適切なルールの構築が求められている。
 後者の社会の大衆社会化,大衆民主主義の発展との関連では,大学進学率が学齢人口の過半に達し,希望者全員入学を目前にするまでに至った大学の大衆化は,一面では高度知識社会に向けての階梯としてプラスに評価することもできるが,同時に学生の学力の低下によって学部段階での「研究成果の教授」を困難にするとともに,近年の大学増設の影響もあって,大学間の格差をますます拡大する結果をつくりだしている。そのなかで,@ 小規模大学では「個性化」にその活路を求めているが,それのみによって高等研究教育機関としての要件を維持できるか否かが問われており,A大規模大学では,国立大学の法人化ともかかわって管理運営の改革が進行し,全学的意思決定の効率化・迅速化が試みられているが,それは,多数決原理にはなじまない研究・教育の自由な創造を妨げるものであってはならないし,経済的な意味での効率化を一義的に求めるものであってもならない。そのほか,B 地域社会の充実を目指して増設されてきた公立大学について,地方自治体に大学の本質と運営についての理解を求め,Cこれも増設され続けてきた大学院における研究者・高度専門家の養成制度の問題点,D 学問の自由から見てなお深刻なジェンダー格差を生み出している諸要因,E 科学者コミュニティの国際交流・国際活動の重要性,などについて指摘した。

(3)報告書の結論
 以上の検討の結果導き出された一応の結論を一言でいえば,学問の自由を必要とし,それを社会から付託されている科学者コミュニティが,全体としての自己統治能力(ガバーナビリティ)を確立することの必要である。学問の自由は,従来は主として,科学者個人のレベルでの自律,組織的には大学の自治,それも教室や部局(学部・研究所)レベルの自治によって支えられるものと考えられてきた。しかし,現代社会における学問を巡る環境の変化は,その狭い枠を越えて,大学全体としての,あるいは個別の大学を越えたそのさまざまな連合体のレベルで,さらには大学以外の組織に属する科学者を含めた専門的あるいは複合的な学界(学協会)レベルで,ひいてはあらゆる専門分野を含む全体としての科学者コミュニティとしての自己統治能力の充実を求めているのである。これは一朝一夕に実現できるものではもちろんない。しかしそれは,日 本のように、人口の過半が高等教育を受け,学問がかつてないほど大衆の中に活かされるようになった現代社会において,その社会から自由を付託された
 「学問」の側の責任として要請されているのである。このように理解すれば,科学者コミュニティの代表として位置付けられた新しい日本学術会議の役割も,その実現のための中心的担い手とならなければならないことが自ずと明らかであろう。そしてそれは,科学者コミュニティが,「科学のための科学(science for science)」にとどまることなく,「社会のための科学(science for society を構築していく上で不可欠な課題なのである。


T 学問の自由の古典的意味とその継承 …………………………………………
U 現代社会の新しい環境と学問の自由 …………………………………………
(1)
巨大科学の登場と学問の自由・自律 ………………………………………
(2)
先端研究・先端医療における知の限界 ……………………………………
(3)
産学連携と学問の自由..その必要性と問題性.. ……………………
(4)
大学の大衆化と教育・格差問題 ……………………………………………
(5)
大学のガバナンス(管理運営) ……………………………………………
(6) 公立大学をめぐる諸問題 ……………………………………………………
(7)
研究者・高度専門家養成制度の在り方 ……………………………………
(8)
ジェンダー視点からみた学問の自由 ………………………………………
(9)
科学者コミュニティの自己規律と自己統治能力 …………………………10
(10)
学問の普遍性と国境 ………………………………………………………11
V まとめにかえて――科学者コミュニティの新しい役割 ……………………11

……以下,本文は省略。上記URLを参照して下さい。

 

Posted by 管理人 : 掲載日時 20050729 02:39 | コメント (0) | トラックバック (0)
URL : http://university.main.jp/blog3/archives/2005/07/post_203.html

 

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7月29日(1) 昨日、半年ぶりに(前期終了時点ということであろうが)、研究院国際総合科学分会の全体会議が開催された(教授会は結局招集されなかった)。

一番の議論となったのは、研究費配分の問題であった。そもそもの競争的研究費の枠組み設定に問題があるということ、審査員が秘密にされていることに対する問題(公明正大性・審査の妥当性)など、学問のあり方に関わる根本のところが問題となった。

審査員の選別・任命はだれが行ったのか? 競争的研究費を公正に一つ一つの学問的内容に則して科学的に判断する人々であったのかどうか、しかるべき研究蓄積のある人か、こうしたことは審査の公正さ(それへの信頼)にとって決定的な意味をもつ。その肝心のところが秘密にされている。すべてが行政当局(大学改革推進本部)の直接的任命という現状においては、行政からの独立性を保障されるべき大学のあり方(研究費配分)にとって重大な欠陥が蓄積されるものといえよう。科学研究費助成金の場合なども審査員が公表されるので、そのようにすべきだというごく当然の要求が出された。そもそも、学内の研究(非常に異質で多様な分野)をお互いに競争させる、ということに問題はないか? それぞれの学問分野のピア・レヴューという科学研究費審査の王道からして、はたして妥当なのか? 審査基準、審査の仕方などに関する説明責任を求める声が強かった[1]

競争的研究費の枠自体を前提とすれば、その総額のなかを大学内部で取り合うという、仲間内競争となる。そうした仲間内の資金の取り合いという状態は、問題ではないか。そもそもパイを大きくし、そのパイを大きくすることに貢献したものに一定の配分を行う、あるいはパイを大きくしたプロジェクトについてはきちんと記録し、しかるべき外部資金等が取得できなかった場合にも研究が滞ることのないように、過去の貢献(たとえば3年とか5年とか)に基づき一定の基礎配分をするとか、建設的で科学研究の論理にしたがった競争的なやり方はいろいろと考えられるであろう。

競争的研究費配分の柱とされる研究分野は、一部教員の協力を得ながら策定したものであるが(ワーキンググループへのピックアップは大学改革推進本部[2]が行った)、研究院長の説明によれば、これは6年間(少なくともその見直しの3年間)は拘束されるものだという。つまり、3年間、ないし6年間にわたって行政当局の決めた分野(すなわち大学の独立的な機関による柱の策定ではない諸分野)で、学内の競争的研究費の配分が決められるということである。

基礎研究費などの削減状態から見て、研究費総枠が大幅に減額されていると感じ、そうしたパイの大きさ自体をきちんと確保する努力が必要と思われるが、「競争的研究費はほとんど減っていない」という説明であり、データを洗いなおす必要を感じた。

その他、サバティカル制度、内外地留学制度はどうなったのか[3]、など非常にたくさんの問題点が指摘されたが、教員組合などがしかるべき論点整理を行ってくれるのではないかと期待している。

この間、教養ゼミの学生諸君の何人かと話し合う機会があった。そこで驚いたのは、「出席しても何もカウントされない英語クラスには、ほとんど出ていない」という人が実に多いということだ[4]。こうした事実は、関係者はすべて知っていることだろうが、直接の会話で何人かの学生から聞いて、その深刻な事態(いわばクラス崩壊状態)に驚いている。なん人かの話では、2-3人しか出席していないクラスが結構あるようだ。2-3人といえば、30人程度のクラスの1割というところか。

システム自体、成績評価のあり方、進級条件(必然的に卒業条件に連動する・・仮進級させても問題を先延ばしするだけ、そのうちに制度設計の責任者たちは大学からいなくなってしまう、すでに大学改革推進本部は解散されている)自体を変更すべきではないかと感じるが、これも、上と同じように、3年ないし6年の中期計画だかなんだか、で決まっているということで突っ走るのであろうか。いきつくろころまでいくということか。

 

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7月28日 意見広告の会のニュース、とくにNHK番組改変問題に関するアピールが重要と思われ、以下にコピーしておこう。

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「意見広告の会」ニュース293

*ニュースの配布申し込み、投稿は、
  qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp まで、お願い致します。

** 目次 **
1 韓国市民による意見広告
     7月22日(金)読売新聞 全国版 朝刊 国際面 7段
2 本日、また今後の意見広告
         
掲載予定日等一覧
3 7.25朝日新聞記事に関する私たちの見解公表
     NHK受信料支払い停止運動の会
4 『朝日新聞』掲載記事「NHK番組改変問題 報告」(7月25日付)
      NHK受信料支払い停止運動の会
        NHK番組改ざんを考える市民の会(福岡)
      報道の自由を考える飯伊の会

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1 韓国市民による意見広告
     7月22日(金)読売新聞 全国版 朝刊 国際面 7段

ともに東アジアの平和の担い手へ

扶桑社版歴史教科書の採択を憂う韓国市民の思い

平和を願う日本の友へ

この文は皆さんと真の友人になりたいと願う韓国市民からの希望と友情の手紙です。

 韓国と日本は数千年にわたって近しい隣人として過ごしてきました。両国は20世紀
初めに支配と被支配の不幸な歴史も経験しましたが、いま私たちの前には新しい日韓関
係の可能性が芽生えています。1日に1万人以上が両国を行き来するほど、私たちの距
離は狭まりました。日本の歌を口ずさむ韓国の若者や、「韓流」ブームの主役となった
日本の女性たち誰もが、お互いを身近な存在として感じるようになりました。

 ですが、韓国の私たちは時に悲しい思いにかられることもあります。韓国の人々が忘
れたくても忘れられない歴史の痛みに、再び傷を与える出来事のためです。歴史を歪め
る日本の政治家の発言に、つらい体験をした私たちの両親や祖父母は心を痛めます。過
去の侵略戦争や植民地支配を正当化する歴史教科書の登場は、子どもたちに不幸な歴史
を引き継がせてしまうのではないかという恐れを抱かせます。
 私たちは、過去にとらわれるためではなく、和解と友情、平和な未来をひらくために
、歴史を知ることが大切だと信じています。「知らない」ことが、時に人の心を深く傷
つけてしまう場合もあるからです。

 日本全国で教科書採択が行われている今、「新しい歴史教科書をつくる会」による扶
桑社の歴史教科書は、韓国の人々の心に暗い影を落としています。扶桑社の歴史教科書
は、アジア諸国を共存のパートナーと見なさず、過去の侵略を正当化したり、戦争を賛
美しているためです。韓国の私たちは、扶桑社の歴史教科書によって、日本の民主主義
が後退し、韓日の友情と理解、アジアの平和が損なわれることを憂いています。
 このような教科書が、日本の教育現場で使われることになってしまったら・・・ 韓
国の子どもたちのパートナーである日本の子どもたちがどんな大人に育つのか、日本が
危ない国としてアジアを再び脅かしたりはしないか、韓国と日本が真の和解を果たした
友として、ともに平和を創り上げることができるだろうか・・・。そういった心配から
、日本の行方を不安の中で見守っているのです。

 平和を愛する日本の皆さん!
 私たちは4年前の教科書採択時、皆さんが「扶桑社のあぶない教科書NO!」を各地
で叫び、戦争ではなく平和への道を選択されたことを鮮明に覚えています。平和を願う
市民の小さな行動が日本全域に広がり、世の中を動かす力へと変わっていく様子を観る
ことができました。
 2005年のこの夏、皆さんはどのような選択をなさいますか。皆さんの大切な子ど
もたちにどんな教科書を手渡しますか。日本を見守る韓国とアジアの友人たちに、皆さ
んはどのような行動で応えてくださいますか。

 私たちは、日本が過去の被害国との歴史の葛藤を乗り越え、アジア諸国からの信頼の
中で、ともに平和を造る友の国になってくれることを心から願っています。どうか歴史
を歪めない教科書と平和を目指す教育を選ぶことで、その最初のボタンをかけてくださ
い。
 不幸な過去をくり返さないために、子どもたちに平和な未来を与えるために!

                 2005年7月22日
                 韓国の友より、平和への希望を込めて

アジアの平和と歴史教育連帯(構成団体 計90団体)
常任共同代表 徐仲錫(成均館大学校教授/歴史問題研究所所長)
       李龍得(韓国労働組合総連盟委員長)
       李秀浩(全国民主労働組合総連盟委員長)
       李銖日(全国教職員労働組合委員長)
       黄銖暎(韓国民族芸術人総連合会長/作家)

アジアの平和と歴史教育連帯
110−801 大韓民国ソウル特別市鐘路区桂洞133−6番地2階
Tel
82−2−3672−4192 Fax 82−2−3672−4195
http://www.ilovehistory.or.kr/japanese

「アジアの平和と歴史教育連帯」は、韓国市民の募金によりこの意見広告を
掲載しています。


2 本日、及び今後の意見広告掲載
2−1 7/27 朝日新聞朝刊全国版
2−2 7/29 北海道新聞
2−3 7/29 愛媛新聞 現在審査中につき「予定」
2−4 来週中  新潟日報


3 7.25朝日新聞記事に関する私たちの見解公表
     NHK受信料支払い停止運動の会
関係各位

 本日、私たち「NHK受信料支払い停止運動の会」は、さる7月25日の『朝日新聞
』紙面に掲載された「NHK番組改編問題 報告」と、それをめぐる各方面からの反響
に関する見解をまとめ、下記のとおり、それを報道各社に送付しました。

朝日新聞が今回の記事を掲載するや、NHKや関係政治家等は、いっせいに逆キャンペ
ーンを繰り広げています。

そこで、この問題に関係の深い皆さまにも見解文を添付でお送りいたします。一読いた
だき、皆さまの団体の会員の方々、お知り合いの方々に広めていただけましたら、幸い
です。

NHK受信料支払い停止運動の会

共同代表  醍醐 聰
satoshidaigo@nifty.com

                                                   2005
727

報道各社 様

 
『朝日新聞』掲載記事「NHK番組改変問題」(7月25日付)に関する私たちの見解
の公表についてのお知らせ

 本日、私たち「NHK受信料支払い停止運動の会」は、さる7月25日の『朝日新聞
』紙面に掲載された「NHK番組改編問題 報告」と、それをめぐる各方面からの反響
に関する見解をまとめましたので、それを添付で送付させていただきます。

 
今回の朝日新聞記事をめぐっては、去る325日に一日共同行動をした各地(札幌、
長野県飯伊、大阪、京都、福岡)の市民グループにも、同様の見解を各々公表するよう
呼びかけましたところ、福岡の市民グループ(NHK番組改ざんを考える市民の会)代
表者から、ひとまず、今回の見解に賛同するので名前を連ねたいという申し出でがあり
ました。また、長野県飯伊の市民グループ(報道の自由を考える飯伊の会)代表者から
も賛同するので連名で、という申し出がありました。

 そこで、今回の見解は3団体の連名で公表する運びとなりました。

 今後、同様の見解なり声明が他の地域の市民団体からも公表される可能性があります
ので、あわせてご注目くださるよう、お願いいたします。

 私たちは、この見解を本日、E・メールでNHK(視聴者ふれあいセンター長宛)と
朝日新聞社広報部宛に送信するとともに、メディア関連団体・個人等にも送信しました


 また、本日、この見解をNHKの全理事ならびにNHK経営委員会の全委員に郵送し
ました。

 なお、私たちの会は6月3日付けでNHK橋本会長と経営委員会石原委員長宛に公開
質問書を提出しています。これについては、6月末日を回答期限と要請していましたが
、双方から、いましばらく回答に猶予をほしいという連絡を受け取っています。
 そこで、私たちとしては、今回の朝日新聞の検証記事を踏まえた補充質問を送り、そ
れを含めた回答を要請することにしました。近く、補充質問をNHKと経営委員会に
送る予定です。

以上、報道のお願い方々、ご報告いたします。

                  NHK受信料支払い停止運動の会
                   共同代表  醍醐聰・細井明美

                   連絡先 醍醐聰
                   E・MAIL satoshidaigo@nifty.com


4 『朝日新聞』掲載記事「NHK番組改変問題 報告」(7月25日付)
に関する私たちの見解
      NHK受信料支払い停止運動の会
        NHK番組改ざんを考える市民の会(福岡)
      報道の自由を考える飯伊の会
                        2005727

 『朝日新聞』は725日付け朝刊に「NHK番組改変問題 報告」と題する検証記事
(以下、「7.25朝日記事という」)を2面にわたって掲載しました。
 これに対して、NHKはさっそく、原田豊彦放送総局長の記者会見を開き、今回の記
事は、NHKが政治家の介入によって番組(ETV特番「問われる戦時性暴力」)を改
変したことを裏付ける事実を何ら示していない、と反論しています。また、番組改変へ
の関与を指摘された安倍晋三、中川昭一両衆議院議員も同日、「新しい裏付けとなる事
実が出てこなかったことを認めるのであれば、先の報道を訂正して謝罪してほしい」な
どと反論しています。

 しかし、7.25朝日記事を丁寧に読むと、注目すべき2つの新事実が含まれているこ
とがわかります。
 1つは、野島国会担当理事(当時。以下、役職はすべて当時)が番組改変を主導する
一人として重要な役割を果たした実態が、日付を追って明らかにされている点です。先
の衆議院総務委員会で野島氏は番組放送前日の2001129日に安倍氏との面会に同行
し、その後、NHKに戻って番組改変の現場に立ち会ったこと、その場で「感想」を述
べたことは認めました。しかし、「感想」の内容は記憶にないと答弁しました。
 ところが、7.25朝日記事では、野島氏の番組改変への関与は、すでに126日から
始まっていたこと、29日の番組のさらなる改変は、「これ(直近のヴァージョン)では
全然だめだ」という野島氏の一声で始まったことを明らかにしています。そして、7.
25
朝日記事は、あるスタッフの台本には「アベ」などの自民党議員とみられる3人の名
前が書き込まれていたことも伝えています。
 こうした報道からすれば、先の衆議院総務委員会における野島氏の発言は虚偽答弁の
疑いさえ持たれます。

 2つ目の注目すべき点は、200519日に『朝日新聞』の社会部記者と松尾氏との間
で交わされたやりとりが直接話法で記載され、政治家からの圧力を語った松尾氏の発言
が生々しく再現されている点です。この中で、松尾氏は、「北海道のおじさん〔中川昭
一氏のこと〕はすごかった」、「『注意しろ』『見てるぞ』と、いってみれば力による
サゼッションだ」、「呼ばれて行かないとどうなるか。ものすごい圧力だ。3,4倍の
圧力がかかって放送が中止になったかもしれない」と語っています。
 このように、当事者しか知らない直接話法で示された記事内容は極めて信憑性が高い
と考えられますが、こうした松尾発言は政治介入を裏付ける有力な証言と受け取るのが
当然です。

 なお、この番組改変をめぐって、VAWW−NETジャパンがNHK等を相手どって
裁判を起こしていますが、去る7月20日に開かれた控訴審第5回口頭弁論にあたって、
NHKが提出した資料(http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/news/050720.html)によれば
、問題の1月2526日ごろ、NHK総合企画室の担当者が「日本の前途と歴史教育を考
える若手議員の会」所属の古屋圭司衆議院議員らを訪問した際、「女性国際戦犯法廷を
番組で特集すると聞いているが、どうなっているのか」、「予算説明に行った際には必
ず話題にされるであろうから、きちんと説明できるように用意しておいた方が良い」と
助言を受けていた事実が記されています。番組改変の流れを見たとき、こうした政治家
の「助言」が安倍氏らとの面会に予算説明と無縁な松尾放送総局長が同行したこと、そ
の場で安倍氏から「公平公正にやってほしい」という要請を受けたことに連なり、異例
の番組改変の契機になった輪郭が浮かび上がってきます。

 ところが、NHKは、「政治介入を裏付ける事実は何もない」、「朝日新聞は、再取
材によっても真相を明らかにすることができなかったことを自ら認めている」
http://www3.nhk.or.jp/news/2005/07/26/d20050725000170.html)と反論し、記事で
指摘された番組改変の実態をかたくなに否認しています。
 しかし、7.25朝日記事の中の東京社会部長・横井正彦氏の談話を読めばわかること
ですが、『朝日新聞』が今回の記事で認めた再取材の限界とは、
(1)
中川氏がNHK幹部と会ったのは放送前か後か、
(2)
中川、安倍両氏がNHK幹部を呼んだのか、それともNHK幹部が説明に出かけた
のか、
という2点について、真相に迫れなかったということです。
確かに、(2)は真相を解明する必要がある重要な問題には違いありません。しかし、より
重要なことは、特定の番組の放送前に安倍氏らとNHK幹部が会って、その番組につい
て、安倍氏が「ひどい内容になっている」、「公正公平にやってほしい」と発言した会
話の中身です((1)については後述)。このように政治家が特定の番組について放送前に
NHKの放送部門のトップに持論を語り、番組について個人的評価を伝えて、「善処」
を求めること自体、放送の自立を定めた放送法第3条を侵す行為にほかなりません。N
HKの反論はこうした問題の本質に触れない皮相な議論といえます。

ここで、ぜひとも確認しておかなければならないのは、『朝日新聞』が再取材の限界と
認めたのは上記の(1)(2)についてであること、にもかかわらず、NHKや安倍氏はこの点
を恣意的に無視して、『朝日新聞』があたかも再取材全体について限界を認めたかのよ
うに言い立て、「今回も政治介入を裏付ける事実は出せなかった」と喧伝している点で
す。

7.25朝日記事を通読すれば、すぐわかる事実を故意に伏せて、自分に都合よく改作し
たニュースを報道することは公共放送の担い手にとってあるまじき行為です。私たちは
こうしたNHKのアンフェアな反論と報道に厳重に抗議するものです。

これに関連して指摘したいのは、『朝日新聞』が今回の記事でも、松尾発言については
真相に迫れなかったとは言わず、むしろ、松尾発言をさらに詳細に肉付けする内容を伝
えている点です。その背景には、今回の記事のベースになった「より強力な動かぬ証拠
」が『朝日新聞』側にあることを伺わせます。こうした「動かぬ証拠」によって裏づけ
られた松尾発言は、中川氏も放送前に松尾氏となんらかの方法で会話を交わし、その場
で安倍氏以上に強い調子で放送の改変を要求したことを証明するものです。また、この
証言によって、上記(1)の限界も解消することになります。

もちろん、私たちは、取材方法、取材源について明かさないのがメディアの原則である
ことを理解しています。そのことを百も承知のNHKが、立証のハ−ドルを故意に「吊
り上げ」、動かぬ証拠を突きつけられるまで、問題の政治家と異口同音に政治介入の実
態を否認するのは見苦しいかぎりです。
そのうえ、特定の番組について、政治家に事前説明をすることを「通常の業務」と言っ
てはばからないNHK幹部の態度は、メディアの権力対峙性を見失った堕落と言うほか
ありません。

共同通信ニュース(7251843分)「政治との距離を提言 改編問題でNHK職員
」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050725-00000175-kyodo-ent)によれば、
番組制作に携わるNHK職員約40名が5月末に「問題の番組改編は政治への過剰反応が
最大の原因」とする意見をまとめ、政治と距離をおくようNHK倫理・行動憲章の改定
を提言したとのことです。
 こうした提言は、私たち市民グループがこれまでにNHK橋本会長宛に申し入れた内
容とも合致するものです。
 NHK理事会は、内部からのこうした良識ある提言にも真摯に耳を傾け、政治からの
自立を言葉だけで終わらせない措置(政治家への番組の事前説明を禁止する規程を倫理
・行動憲章に明記すること、公正な第三者機関を設けて今回の番組改変の真相を調査し
、調査結果を公表すること)を講じるよう、改めて強く求めるものです。そのためには
、「これまでも政治の介入で番組を改変した事実はない」というかたくなな主張を謙虚
に再考することが不可欠です。

 また、私たちは『朝日新聞』に対しては、どのような逆風にも屈することなく、権力
対峙性を貫くよう要請します。『朝日新聞』が今後もそうした姿勢を堅持するなら、大
多数の市民は、「NHK対朝日新聞」という皮相な図式に惑わされず、今回の番組改変
問題をめぐって、権力に迎合したのは誰か、それに警鐘を鳴らしたのは誰かを必ず見抜
くものと私たちは確信しています。
                                    以上

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7月25日 大学教員の勤務形態に関しては、法律的な裏づけをもって最高度の自由が保障されてきたのであり、法人化後も大学教員の勤務・職務に合わせて、下記の東北大学の事例にも見られるように、適用されるべきものである(この点でも不利益措置があってはならない)。この日誌でも書いたことだが(多くの大学を調査する必要があるが)、東大では法人化後、教員の出勤簿なるものは廃止された、とか(正確な調査の必要あり、教員組合ルートで正確な情報が得られるはず)。

出勤か否か、出校か否かの形式的な無意味な(実際の研究遂行・職務遂行と結びつかないという意味で)事務処理(押印)は大学教員に関しては撤廃し、講義等の時間空間拘束的なコア部分の規律を守ることを求める以外は、各教員の行動の自由を最大限に保障する制度[5]こそ、明確に協定で確認されるべきであり、そうしたことができるならば、法人化による前進面と捉えられるであろう。

「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)に掲載された東北大学の組合の情報「法人化以後、労働条件はどう変わったか」20057月版も、この点を考える上で貴重な資料となる。たとえば、

 

項目

法人化前の労働条件

法人化後の法的枠組みと東北大学の制度

組合の考え方(試論込み)

 

教員の勤務時間管理

形式は職員と同じだが、実態は異なる。

教授研究が労働時間の過半を占める講師以上の教員に専門業務型裁量労働制を導入できる。東北大では労使協定により、助教授以上では病院以外はみな導入。診療を行う教員は対象外。

裁量労働制を導入する場合、あわせて教員の負担増に報いる増単手当を新設すること。

 

研修

教員は勤務地を離れた研修、現職のままの長期研修が権利として保障されている(教特法)。

職員の場合は、任命権者が実施する(国公法、人事院規則)。

教員の研修について、教特法と同様(本則第46条)

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兼職

国公法・人事院規則等による制限。勤務時間内兼職は、兼職時間だけ給与減額。

15時間、月45時間、年間360時間、本学給与の額を超えるものは兼業審査会で審査。勤務時間割り振りがないことから、集中講義の泊まりがけ非常勤講師などは有給休暇を取得して出かけることになる。

法人化以前に認められてきた兼業については、支障がないようにすること。

 

任期制に関しても、次のような法的にきちんと整理した制度であり、これに対する教員組合の主張も、しかるべき主張となっている。

教員任期制の基本性格

三つの条件(先端的・学際的研究、期限付きの研究、研究助手)のいずれかを満たす特定のポストを任期つきとし、当人の同意を得てそのポストに配置(任期法)。一部部局では全教官職任期制や現任教官の任期制への転換事例があり。

三つの条件のいずれかを満たす仕事について、特定の教員と任期つき労働契約を結ぶ。1年過ぎたら退職の自由あり(任期法。本則第10条)。現任教員は当人の同意なく任期制に転換できない。任期制の導入は各部局の判断に委ねる。テニュア制の導入、教員公募の制度化、任期制教員数の拡大等を考慮した新制度への適切な移行を図る(中期計画)。 任期法と別に5年間までの有期雇用も可能に(労基法第14条、本則第102項)。対象の制約がなく、退職の自由がない(ただし暫定措置でいまのところはあり)。

任期法と付帯決議の趣旨を守り、全員任期制や現任教員の任期制への転換を行わないこと。労基法第14条よりも任期法を優先させ、無制限な有期雇用導入や人身拘束を行わないこと。

 

 

 

 

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7月21日 教員組合週報(7月20日)を受取った。執行委員選挙関係と「出勤簿」問題に関する重要な情報が掲載されている。

大学教員の週労働時間(38.5時間だったか39時間だったか[6])は、教育のための時間(拘束的な学部・大学院の講義演習等で、特に今年は人によっては6コマとか7コマとか、普通でもかなり多めとなっているが[7])、各種委員会等の時間(拘束的)、そして自由な研究(ないし教育のための準備)に費やす時間がある。講義・演習・会議などは、たくさんの人間が関わってくる協働作業という意味で規律が必要であり、一種の大工場的規律で運営される側面(大学における生産工場規律)があるといえよう。

しかし、大学教員の勤務形態・職務遂行形態においては、大学に出校している場合でも厳密に(大工場的規律的に「時間割」で)規定された講義時間等のみが拘束的[8]なのであって、その他の時間帯は自由自在に利用して本来的職務の一形態(教育研究のための仕事)に費やしている。逆に、大学外においても、自宅であるか図書館・資料館などであるか他大学での研究会であるかなど、その研究のための時間の利用形態(場所・時間帯・土曜日曜の自発的職務遂行、やり方など)は多様である。しかし、大学外にいるからといって職務に専念していないのではない。勤めを欠いているのではない。まさに研究(教育準備)という職務に専念しているのである(そのようにみなして各教員の自主自律性、自己規律に任せてきたのが慣行であり実態である・・・「みなし原則」が実際にどのように実現されてきたか、これに問題がまったくないとはいえない。最近の改革論議の論点の一つはこの「自由」の利用の仕方をめぐるものである)。

大学教員の職務専念・職務遂行においては場所や形態に最高度の自由が必要なのである(もちろんそれに伴う責任もある)。研究活動においては、大学に出勤したか出勤していないか、ということは決定的な問題ではない。工場的規律、固定的な職場における事務的労働の基準で一律に、「出勤」か「欠勤」か等を区別し、押印の有無と対応させようなどというのは、大学における慣行にも、大学教員の研究教育労働のあり方にも合致しない。少なくとも文科系(実験設備等を使うものは別として、すなわち非実験系諸分野)はそうであろう。すくなくとも文科系(非実験系)にとってはその自由度が命だとも言える。

最近の社会の全体的傾向を見てもわかるが、講義・演習・会議等の拘束的時間以外の自由な時間(自由な形で自主的自律的独立的に職務を遂行する時間)に関しては、その成果を教育の現場においてどのように実現し発揮しているか(たとえばそのひとつの実績評価の素材として学生アンケート)、研究においてどのように実現し発揮しているか(研究実績に関する諸種のデータの公表)、社会的活動においてどう発揮しているか(学会や地域その他に関する活動の実績の公表)、具体的成果こそが問題とされている。

勤務・職務の遂行の形態において最大限の自由を保障することと表裏一体となって、その遂行の結果・実績こそが具体的に求められている。こういう実績書類を作ることも、貴重な研究教育のための時間を割いて行っているのである。認印を押す作業とどちらが簡単か? どちらが重要か? 実績書類の作成は、一瞬にして済んでしまう押印に比べれば、何十倍、何百倍、何千倍の時間と精神的緊張を要することだけは確実だろう。それを大学教員は次々と作成するようになっているのである。 

「出勤簿」問題は、大学教員の勤務形態の特質の理解・大学教員に何を求めるのかということ深くかかわる。

就業規則問題など未解決の問題(勤務時間問題等交渉中のはず)に加え、さらに追い討ちをかけるように、軽軽しい形式的処理(画一的事務処理)を押し付けてくる(「欠勤」処理の暗示=脅かし)ことでは、大学教員の仕事にとって本当に重要なことをだめにしてしまう。大学教員に求められる仕事のあり方の無理解は、大学教員の士気を阻喪させる。

教員組合の筋のとおった主張と対応を期待したい。

教員組合と法人とのこの件(「出勤簿」のあり方)に関する具体的な交渉と協定がどのようになるか、文章化されたものを期待しよう。職務の内容、遂行形態に即した合理的で効率的なやり方(労使協定)をこそ求めたい。 

 

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7月20日 大学院生編集の『思惟と聯流』という学内新聞が創刊されたようだ。創刊号(2005年7月15日)が掲示板に掲げられ、また各研究室にも届けられていた。いったい学生や大学院生が現在の状況をどのように考えているのか、まったく見えてこない状況だった。この間の「改革」が予算と事務組織を握る行政当局(「大学改革推進本部」)の主導で行われ、各教授会のさまざまの意見(決議・声明)が無視されたが(今後、それらの意見・決議・声明の実現が課題となるが)、大学を構成する重要なメンバーである学生や院生の声や希望もほとんど積極的に取り入れようとする姿勢は感じられなかった[9]

そうした状況で、学生に関してはかなり前に市大新聞(ウェブログ)が立ち上げられ、そして院生に関しては今回『思惟と聯流』が刊行されたことは当然のことであり、学内世論の活性化、オープンな議論を通じての改革という観点から、すばらしいことだ。『思惟と聯流』もホームページ開設準備中だとのことで、HPが開設されれば、大学内外、学生・院生、市民と社会に、全国的にも(いや世界的にさえ)情報を発信できるであろう。可及的速やかなHP開設を期待したい。

大学の発展が実現するかどうかは、大学を構成する教員と職員[10]、そして学生と院生がそれぞれの責任を果たししかるべき自主的自発的役割を演じる度合いによるだろう。院生は何に怒り、何を問題としているか。大学側は何を改善し、何を修正すべきか。今回、『思惟と聯流』で始めて知ったことが多い。

行政主義的な大学運営を制度的人的に、民主的に、そして憲法原理に従って、変更していくには[11]、学生や院生の自主的な声や希望が非常に重要なものとなろう。

文章化され公開された意見より重大な問題、学生がその暗黙の行動によって突きつけている問題としては、「進級要件トッフル500点」問題があろう。秋以降、専門科目などが増えてくれば、それぞれの学生が英語のために割きうる時間は減少するはずである。学生が健康や意欲を維持しつつ勉強しうる総時間数が一定の枠内に限定される以上[12]、きちんとした対策(制度変更)なしには問題が先送りになるだけのように思われる。

教授会が開催されず、学則上規定されていない基礎単位の会議等で話題になる程度だが、その意味での非公式情報、あるいは噂では、この問題はかなり深刻な問題となりそうである。一般教員には正式の発言の機会も権利もない(あるのは間接的な代議員選挙権くらい)ことになっているので、責任は限りなく小さい(あるいは何重にも間接的な)わけだが、その持ち場持ち場でしかるべき重要度に応じた責任主体にとってはどうであろうか。「大学改革推進本部」による改革の象徴的試金石がこれであることは間違いなかろう。杞憂であればいいのだが。「結果責任」ということが「靖国問題」(戦犯問題、主要な戦争責任者の問題、歴史認識問題)でもあらためて提起されているが[13]、制度設計のあり方(設計主体の責任)、そして制度変更のあり方が問題になろう。

一度決めたことをそうたやすくは変更できない、という意見もある。だが、「決める」過程に問題がなかったか? 実際の制度運用ではっきり実証されたことがあれば、手遅れにならないうちに修正すべきではないか? 前期4ヶ月は終わった。その結果として、近いうちに客観的データも出よう。

 

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7月18日 ずっと、アメリカ・ブッシュ政権の大義なき(大量破壊兵器の不存在)イラク侵攻・イラク占領は、イギリス政府も可能性大と知っていた。一連のニュースのまとめなので、コピーしておこう。

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★イラクを放棄しそうなアメリカ
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 アメリカ軍をイラクから撤退させようとする動きが、アメリカ国内で目立っ
てきた。

 イギリスの新聞が5月初めに「ブッシュ政権は、イラクが大量破壊兵器を持
っていない可能性が大きいと知りながら、イラクに侵攻しようとしている」と
するイギリス政府の報告書(会議メモ)をすっぱ抜き、これまで広く推察され
ていた「ブッシュはイラクに大量破壊兵器がないと知りながら、ウソをついて
侵攻した」とする見方が事実であることが確定した。
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/GE17Ak02.html

 これを受けアメリカでも、しだいに「ブッシュはウソをついてイラクに侵攻
した」「これは、アメリカにとってプラスにならない戦争だ。イラク侵攻のせ
いで、テロや反米感情は逆に増えている」といった論調が強くなった。
http://www.iht.com/articles/2005/06/10/opinion/edgovern.php

 5月下旬以降、アメリカの新聞では「ブッシュ大統領は、イラク戦争をどう
終わらせるのか、国民に示すべきだ」(ボルチモア・サン)「不必要な戦争が、
ウソによって始められた」(ミネアポリス・スタートリビューン)「イラクの
ゲリラが米軍の駐留に反対して戦っているのなら、米軍の掃討作戦は、事態を
悪化させるだけだ。米軍は撤退するしかない」(シカゴ・トリビューン)とい
った社説が出るようになった。
http://www.editorandpublisher.com/eandp/columns/pressingissues_display.jsp?vnu_content_id=1000946738

 米議会の下院では6月中旬、民主・共和両党の4人の議員が、来年10月ま
でに米軍のイラク撤退を開始させようとする法案を議会で提案した。法案に賛
成する議員はまだ少数派だが、「ブッシュ大統領はイラク占領を終わらせる戦
略を明示すべきだ」という要求は、上院の外交小委員会でも採択された。
http://www.boston.com/news/world/middleeast/articles/2005/06/16/pressure_growing_to_plan_iraq_exit?mode=PF

 米国内での世論調査では、6月中旬の段階で、米国民の60%は、イラクか
ら米軍の一部または全部を撤退させた方が良いと考えている。こうした米国内
部からのイラク撤退要求に対し、ブッシュ自身は「撤退時期を明確にすると、
ゲリラが図に乗って攻撃を強めるので良くない」として拒否した。

▼米軍のイラク撤退計画

 とはいうものの、実は米政府は、イラクから撤退する計画を策定していた。

 イギリスの新聞にリークされた、イギリス国防相がブレア首相に提出した機
密メモによると、米軍は、来年初めまでに、アメリカと同盟国の軍隊をイラク
の18州のうち14州から撤退し、その後の治安維持はイラク人の軍隊や警察
に委譲する計画を立てている。

 イラクには現在アメリカ、イギリス、韓国、オーストラリア、イタリアなど
合計16万人(うち米軍が13万8千人)の外国軍が駐留しているが、イラク
側への治安維持業務の委譲によって、駐留総兵力を6万6千人にまで削減する
のがアメリカの計画だという。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/07/10/AR2005071000725_pf.html

 イギリスの国防大臣は「駐留兵力の削減については決まっていない」としな
がらも、機密メモの存在を認めている。イラクでは、今年10月に新憲法が制
定され、それに基づいて12月に総選挙が行われて、暫定政府から正式の政府
に移行する予定になっている。米軍の大幅削減案は、イラクに正式な政府がで
きることを契機に、イラクの政権交代が一段落したとみなし、成功裏に撤退し
たといえる状態を目指すものと考えられる。

 この機密メモには、イギリス軍が今年10月までに、イラクのムサンナ州な
ど2州の治安維持をイラク側に委譲するという計画も明示されている。ムサン
ナ州の州都は、日本の自衛隊が駐留するサマワである。自衛隊は、自衛を超え
る攻撃が法律上許されておらず、イギリス軍の支援がないとサマワ駐屯を続け
られない。イギリス軍の撤退は、自衛隊の撤退をも意味している

 米英の大幅削減案は、バグダッドやスンニ派地域以外のイラク諸州の治安状
態が改善されてきた、という認識を前提にしているが、この認識の正確さにつ
いては、大きな疑問がある。本当はイラクの治安は良くなっていないのに、米
英はイラク占領の評判が悪くなるばかりなので、現状を誤魔化して治安が良く
なっていることにして、撤退しようと考えているのではないか、ということで
ある。

 たとえば、イギリス軍が担当するイラク南部の大都市バスラは、もともと治
安は比較的安定しており、問題の少ない町とされてきたが、バスラの警察署長
によると、バスラの警察官の中には本当はゲリラ側を支援している者が多く、
いざゲリラを取り締まる段になると警官の4分の3は、現場を離れて逃亡した
り、ゲリラ側に転じたりする状態だという。イギリス軍がいなくなったら、バ
スラの警察は組織ごと消滅し、ゲリラの天下になる恐れがある。
http://www.csmonitor.com/2005/0601/dailyUpdate.html

 米政府は、イラク人に軍事訓練を施し、今年10月までに20万人規模のイ
ラクの軍と警察を設立する計画だが、これはほとんど絵に描いた餅である。新
兵募集センターの行列に自爆テロリストが突っ込むなど、イラク人に軍や警察
への応募を思いとどまらせようとするゲリラの動きも続いている。
http://menewsline.com/stories/2005/june/06_29_2.html

 軍に応募してくるイラク人の中には、無断で出勤してこなくなる者が多いが、
司令官の中には、姿を見せなくなった部下がまだ勤務し続けていることにして、
給料をポケットに入れてしまう者が多い。米軍は、イラク軍の規模は15万人
に達しているというが、こうした幽霊兵士を除くと、実際の規模は4万人以下
であると指摘されている。
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article299271.ece

 北部のモスルやキルクークも、クルド人組織の軍隊と米軍が、スンニ派のゲ
リラと戦っており、自爆テロが頻発している。米軍が撤退したら、クルド人組
織は独立傾向を強め、スンニ派との内戦になり、もしクルド人がスンニ派を追
い出して決着をつけようとすれば、クルドの独立を阻止するために北からトル
コ軍が侵攻し、クルドとトルコの戦争になるかもしれない。
http://www.wsws.org/articles/2005/jun2005/resi-j28.shtml

▼米軍が撤退するとイラクは分裂?

 イラクの外相は、イラク政府の軍隊や警察は、米英軍から治安維持業務を引
き継ぐ準備ができていないので、今年中に米英軍が兵力を削減し始めると、ゲ
リラがはびこって大惨事になると警告している。今は削減ではなく、増員が必
要だという。
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/article298523.ece

 イラク北部のクルド人と、南部のシーア派の中には、米英軍の撤退後を見越
して、自前の自治権拡大を図る動きが起きている。南部と北部には油田があり、
クルド人とシーア派の中には、イラクが3つに分裂した方が、石油収入が直接
に入ってくるので都合が良いと考える人もいる。
http://today.reuters.com/news/newsarticle.aspx?type=worldNews&storyid=2005-07-09T165444Z_01_N09215266_RTRIDST_0_INTERNATIONAL-IRAQ-SOUTH-DC.XML

 イラクの分裂は、統一国家としての力を弱め、トルコ、シリア、イランのク
ルド人の自治要求を扇動してこれらの周辺国を不安定化し、サウジアラビア東
部の油田地帯に住むシーア派の自治要求を煽るかもしれない。こうした中東諸
国の分裂と不安定化は、以前からイラク、イラン、シリア、サウジアラビアと
対立してきたイスラエルが画策していたものだ。
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/GF10Ak03.html

 米軍の撤退でイラクが分裂することは、イスラエルの国益に合っている。イ
ラク侵攻とその後の泥沼化の最大の責任者は、ウォルフォウィッツ国防副長官
ら、ブッシュ政権内のネオコンで、彼らはイスラエル右派系の勢力である。

▼イランとイラクの急接近

 しかし、事態はイスラエルが望んだ通りにならないかもしれない。それは、
今後のイラクは東隣のイランからの支援を受け、治安を維持できるかもしれな
いからだ。

 イラクとイランは、1980年代のイラン・イラク戦争の消耗戦以来の仇敵
で、今年に入ってからも6月には、イランとイラクの国境で戦闘が始まりそう
だという記事が出ている。
http://menewsline.com/stories/2005/june/06_21_1.html

 だがそんな中、7月7日にイラクのドレイミ国防相がイランを訪問した。ド
レイミは、フセイン政権時代に厚遇されていたスンニ派の有力部族の出身だが、
彼はイラン側に対して「フセインはイランを侵略した悪者だ」と述べ、対立を
解消する態度を示した。両国は、今後イランが新生イラク軍の訓練に協力する
など、軍事面の協力体制を強化することを決めた。
http://www.msnbc.msn.com/id/8497845/

 イラク国防相のイラン訪問は、イラク側からの希望で行われたとされている。
イラク暫定政権は、昨年ドレイミの前任の国防相が「(イラクの反政府ゲリラ
を支援しているので)イランは最大の敵である」と述べるなど、イラン敵視の
政策を採っていた。イランは昨年、イラクに対し、新しい軍隊の訓練に協力し
ても良いという提案を行っているが、イラク側に断られている。
http://news.ft.com/cms/s/e77d12b8-ef0f-11d9-8b10-00000e2511c8.html

 それが最近になって方針を急転換した背景には、米英が新生イラク軍の設立
準備を十分に進められないまま撤退するのなら、代わりにイランに頼るしかな
い、というイラク暫定政権の事情があるのではないかと思われる。

 ドレイミ国防相は、イラクに帰国した後の記者会見で、イランに新生イラク
軍を訓練してもらうという取り決めは存在しないと述べ、イラン側と合意した
はずのことを否定した。これは「米英が訓練できないので、イランにイラク軍
の訓練をやってもらう」ということが大っぴらになると、イランを敵視する米
国内のタカ派を刺激するので、話がなかったことにしようとするメディア戦略
だろう。イラン政府はイラク軍の訓練に協力すると発表しており、そのことと
の矛盾を記者に尋ねられたドレイミ国防相は「イラン側の発言は、われわれの
関知するところではない」と述べて終わっている。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/07/11/AR2005071101344_pf.html

 イラクとイランの接近は、軍事部門だけでなく、イラクの石油をイランの港
から積み出したり、イラクの石油精製をイランが請け負ったりする石油のスワ
ップ協定や、そのための両国間のパイプライン連結、鉄道の連結など、経済面
でも進んでいる。
http://www.mehrnews.ir/en/NewsDetail.aspx?NewsID=203086

 7月16日には、イラクのジャファリ首相がイランを訪問し、両国の関係を
強化する方向で交渉を進めることになっている。
http://www.iranmania.com/News/ArticleView/Default.asp?NewsCode=33348

 イランとの関係を強化すればアメリカなど要らないとばかり、イラクのシー
ア派の過激な宗教指導者であるサドル師は、米英軍の早期撤退を求める運動を
激化させ「アメリカこそがイラクの分裂を画策している。彼らが出ていけば、
イラクの統一は守られる」と主張している。
http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/afp/20050711/wl_mideast_afp/iraqussadrpetition

▼イランの背後に中国やロシア

 イランはここ数年間、アメリカとの関係改善を模索していたが、イスラエル
寄りの傾向を強めたアメリカの政界はイランとの関係改善を拒否し、特に911
事件以後は「イラクの次はイランを政権転覆する」という「中東強制民主化」
の戦略が強まった。だがイラク戦争後、世界的に反米感情が強まる中で、ロシ
アや中国といった反米(非米)的な傾向がある大国が、石油利権などを当て込
んでイランに接近している。

 中国、ロシア、中央アジア諸国が集まる安全保障会議である「上海協力機構」
は7月上旬の会議で、イランのオブザーバー参加を決めている(インドとパキ
スタンもオブザーバー参加した)。
http://english.pravda.ru/world/20/91/366/15762_SCO.html

 ほぼ同時に、イランの天然ガスをパキスタン、インドに運ぶパイプラインの
建設交渉も進んでいる。今後、中国、ロシア、インドといったユーラシアの大
国は、イランとの関係をさらに強化していくと予想される。
http://washtimes.com/functions/print.php?StoryID=20050628-100054-4972r

 核兵器開発疑惑を理由にアメリカが国連でイランに対する経済制裁を決議し
ようとしても、安保理常任理事国である中国とロシアの反対により、成功しな
いだろう。

 そもそも、イランの核兵器開発疑惑は、戦前のイラクに対する大量破壊兵器
の疑惑と同様、アメリカによる言いがかりである。IAEA(国際原子力機関)
は「イランが核兵器を開発している兆候はない」という結論を出したが、アメ
リカの中の親イスラエル系の勢力は、イラクが国際的に許されてしまうのを阻
止しようとして、IAEAのエルバラダイ事務局長を辞任させようとしたが失
敗し、エルバラダイの続投が決まったという経緯がある。
http://www.antiwar.com/prather/?articleid=6601

 イランが中国やロシアとの「非米同盟」を結成していく中で、今後イラクか
ら米軍が撤退し、イラクがイランとの関係を強化することで統一を維持してい
くとしたら、それはイラクがアメリカを批判する非米同盟の一員になっていく
ことを意味している。ドイツやフランスも、中国やロシアなどにイラクの石油
利権を独占されないよう「われわれはイラク侵攻に反対した」と言いながら、
非米化したイラクに接近するだろう。

 中国の政府系企業は最近、中近東やアフリカなどで、さかんに道路や港湾、
電力網などの建設工事を受注しており、安定後のイラクのインフラ整備は、ア
メリカや日本の企業ではなく、中国やフランスの会社が請け負うことになるか
もしれない。中露独仏は、イラク侵攻に反対し、派兵もしていない。彼らは何
もせず、イラクの利権を手にすることになる。半面、アメリカは、イラクに膨
大な戦費と、兵士の人命をかけながら、何も得られずに撤退することになる。
対米従属の日本も同様である。

▼アフガニスタンにも興味を失うアメリカ

 とはいうものの米政府は、せっかく占領したイラクから出ていかねばならな
いことに対して、あまり惜しいと思っていないふしがある。6月下旬、EUの
中心地であるベルギーのブリュッセルで、アメリカ政府の主導によって、イラ
クの復興を支援する国際会議が開かれた。これはアメリカがEU諸国に対し、
イラクの復興事業への参加を呼びかける意味があったと指摘されている。
http://english.pravda.ru/world/20/91/368/15689_iraq.html

 またイギリスの新聞ガーディアンによると、米政府はイラクだけでなく、ア
フガニスタンからも撤退したいという意向を持っている。アフガニスタンでは
麻薬栽培が問題になっているが、アフガン産の麻薬の9割は欧州で消費されて
いる。このため米政府は、自国ではなくEU諸国がアフガン再建を先導すべき
だと考え、アフガン占領に対する興味を失っているという。
http://www.guardian.co.uk/afghanistan/story/0,1284,1522222,00.html

 米軍がアフガニスタンを放棄するのと交代に、イギリス軍はイラクから撤退
した兵力をアフガニスタンに持っていく予定になっている。またドイツ、オー
ストラリア、カナダなども、アフガニスタンに派兵している人数を増やすこと
を決めている。
http://www.wsws.org/articles/2005/feb2005/afgh-f25.shtml

 EUやアングロサクソン系の国々だけでなく、中国・ロシア連合も、アフガ
ニスタンを「上海協力機構」にオブザーバー参加させる構想がある。上海協力
機構は最近、2001年のアフガン侵攻以来アメリカがアフガニスタンの北に
あるキルギスタンとウズベキスタンで借り上げている米軍基地を返還するよう
求める声明を出した。キルギスとウズベクの政府自身も、アメリカに基地の返
還を求めている。
http://www.washtimes.com/world/20050705-100737-2270r.htm
http://www.atimes.com/atimes/Central_Asia/GG13Ag02.html

 これに対し、アメリカははっきり態度を表明しておらず、何とか基地を維持
しようとする外交的な行動(援助の積み増しなど)を起こしていない。アメリ
カがアフガニスタン占領に対して興味を失っているということは、中央アジア
の基地も要らないということかもしれない。だとしたら、中国やロシアは、中
央アジアの覇権をアメリカと争っているのではなく、アメリカが撤退した後の
中央アジアの面倒を見るという話になる。
http://www.guardian.co.uk/worldlatest/story/0,1280,-5133636,00.html

▼イラクとアフガンを放棄し、軍事戦略も縮小

 米軍は、イラクでゲリラ戦の泥沼にはまるという予定外の状態に陥り、米国
での新兵募集が予定通りに進まず、募集制の兵隊を基盤とした米軍のあり方そ
のものが危機に瀕している。

 このため国防総省は、これまでのアメリカの軍事戦略の基本だった「世界で
一度に2つの戦争を戦えるよう、米軍の装備や人材を整えておく」という「2
正面戦略」を縮小し、海外では一度にひとつの戦争を戦うだけの戦略とし、余
裕ができた分は、米本土の防衛とテロ対策の強化に回すという新戦略への転換
を検討している。
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1522144,00.html?gusrc=rss

 このことも「本土防衛」「テロ対策」といった説明は言い訳的なものであり、
実質は米軍の規模縮小であろう。「軍のハイテク化」という言い訳をつけた
「米軍再編」という名の世界的な米軍基地の縮小計画と同根である。イラクと
アフガン駐留の縮小ないし撤退、2正面作戦の放棄、世界的な基地の縮小は、
いずれもアメリカが軍事的に世界から手を引く動きであると感じられる。
http://tanakanews.com/f0531dod.htm

 これらの動きは、以前の記事「行き詰まる覇権のババ抜き」で書いたような、
世界の安定を守ることがアメリカの重荷になり、覇権を他の大国にも分散させ
ようとするアメリカの「世界多極化戦略」の一つと考えることができる。
http://tanakanews.com/f0615empire.htm

 しかし、そもそもアメリカが世界から手を引くつもりなら、なぜイラクやア
フガニスタンに侵攻したのだろうか。その答えになりそうなことは、冷戦後の
アメリカには、世界を多極化してアメリカの覇権の負担を減らそうとする多極
主義者(中道派)と、その動きに抗してアメリカ一極覇権を維持しようとする
タカ派(ネオコンなど)があったという、従来からの私の分析である。

 911の衝撃の後、タカ派がブッシュ政権を握り、アフガンとイラクに侵攻
したが、イラクでの戦況悪化や、侵攻時のブッシュのウソが暴露されたことな
どを利用して中道派が盛り返し、多極化を進めていると考えられる。

 特に最近は、イラク侵攻の失敗の責任をとらされてネオコンが政権中枢から
追い出され、代わりにライス国務長官の権限が大きくなり、EUやサウジアラ
ビアなど、これまでネオコンに敵視されていた国々が喜んでいると報じられて
いる。
http://www.americanchronicle.com/articles/viewArticle.asp?articleID=671

 また、ネオコンと連携して米政界で影響力をふるっていたイスラエル系の政
治圧力団体AIPACも、FBIからスパイ容疑をかけられて幹部が辞任させ
られており、勢力が弱まっている。

▼日本の孤立

 前回の記事( http://tanakanews.com/f0708London.htm )にも書いたが、
アメリカが世界の多極化を容認、推進するほど、東アジアでもアメリカの影響
力が弱まり、中国の力が増す。戦後ずっと対米従属を一本槍で貫いてきた日本
は、戦略の見直しを迫られる。対米従属は、日本に高度経済成長をもたらすな
ど、従来は日本に合った戦略だった。だが、アメリカの覇権縮小にともない、
対米従属ではやっていけなくなり、外交的な自律が必要になりつつある。

 中国を中心とする「上海協力機構」には今後、韓国や東南アジア諸国も入る
かもしれないと予測され、そうなるとこの機構は、日本とアメリカ抜きで作ら
れる東アジア共同体となる。覇権縮小を希望するアメリカにとっては、自国抜
きの集団安保体制の枠組みがアジアにできてもかまわないのだろうが、日本に
とっては孤立化そのものである。


この記事はウェブサイトにも載せました。
http://tanakanews.com/f0716Iraq.htm


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詳しくは→ http://a.melma.com/p/d?6de79e329cce71231855f912eb10241d >
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★関連記事

US dragged down by news from Iraq - Jim Lobe
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/GF15Ak03.html

To leave or not to leave?
http://www.economist.com/printedition/displayStory.cfm?Story_ID=4079484

Experts: No Good Options for Iraq
http://www.realcities.com/mld/krwashington/12077413.htm



★韓国語版
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7月15日 昨日は教員組合の総会があった。教員組合員がこの間、増えているそうである。大学教員の教育研究条件、労働・生活条件をきちんと大学教員にふさわしく確保・確立していくには、任期制問題とも絡んで、教員組合への結集が必要なことがますます認識されているということなのだろう。

大学独自の自立的自治的な運営と、教育研究条件、労働条件・生活条件は密接に関連する。その関連性を具体的に深く認識することが必要だろう。

大学教員の労働と生活の条件、それは教育と研究にどれだけ専念できるかに深く関わる。その重大な要因の一つが昇進である。昇進(助手から准教授へ、准教授から教授へ)は、経済的要因であると同時に身分的要因(名誉・勤労意欲、精神の自由などに深く関わる)である。

業績の達成(勤労意欲、教育研究意欲とその発揮、その物的保障としての賃金条件・勤労時間条件・勤務形態の自由度の要件などが前提条件をなす)、それにもとづく昇進が公正に大学の自治・学問の自由を保障する中で行われなければならない。昇進できるかどうかは、労働条件・生活条件と直結し、教育研究条件と密接に関係する。いつの時点で昇進できるかによって、生涯賃金も大きく変化する。昇進が公正に行われるかどうかは、教員全体のモラールに影響する。教育研究の質に影響する。

したがって、昇進がどのような機関で、どのようなメンバーで、どのような基準で決められるかは、決定的に重要なことである。だからこそ、これに関しては、教員採用人事と並んで、教授会の重要審議事項であった。

ピアレヴューのあり方と内実(研究活動では、Readの研究者DBを見ると、近い分野であればあるほど、どのような質と量の仕事をしているかわかるが、専門が遠くなればなるほど不明になる、つまり専門が細かく深くなればなるほど厳密には専門家にしかわからない、専門家の評価・ピア・レヴューの重みが見えてくる)が公正・適正で、精神の自由・学問の自由を保障するものでなければならない。上意下達を旨とする精神構造と精神の自由・学問の自由の精神構造とはまったく違う。科学の研究教育において、上意下達が支配すれば、学問の自由、精神の自由など存在しない。

機関、メンバー、基準、その情報の公開は、自由で公正な競争のための基本的前提条件である。学長諮問委員会の人事委員会の権限の範囲、それと教授会の権限の範囲、などをきちんと文章化して確定し、公開しておかなければならない[14]

また、そうした具体的な規則ができる前には、これまでの3学部を統合した国際総合科学部の場合、しかるべき諸条件を組み合わせた昇進条件の確定を早急に行い、過渡的措置として、移行に伴う混乱や行政当局による制度整備の不十分さ・無責任さによって、大きな不利益をこうむる人が出ないような対策を講じる必要がある。

かりにこのまま行政当局(現在の法人と大学の重要人事はすべて「上から」「外から」の任命であり行政当局による直接的任命に他ならないが)に任命されたものだけが、原則・ 基準や手順を未公開のままにして、人事政策のすべてを内内に、水面下で取り仕切ることになれば、それは、大学(法人と大学)への行政の直接介入以外の何ものでもないだろう。

その意味では、大学の重要人事(学長・学部長・研究科長)に関する大学における自治的自立的決定のシステムが早急に構築されなければならないだろう。

民主主義の観点から常識的には構成員による選挙である。この選挙制度はそれはそれでいろいろ問題のあることは確かだ。衆愚政治の現象、レベルの低い利益(誘導)政治もしばしば見られる。大学運営に求められる資質・実績の発見と検証は容易ではないだろう。しかし、民主主義的選挙による競争によってしかるべき組織の長を選出するオープンなシステムの真の意味での充実度こそは当該組織(大学)の生命力・活力を発揮する上で重要であろう。それは、外部からの任命、行政的任命と本質的・決定的に違ったものとして大学(大学自治)においては特に重要であろう。

自立的独立的組織としての教員組合は、全学部で選出された代議員と連携しつつ、昇進等身分保障・労働生活条件・教育研究条件の安定的確立(たとえば持ち駒負担が多くては教育のための研究時間も不足するなど)のためにも、問題提起すべきものだろう。教員組合の運動方針には、この基本線が明確に規定されていると考えるが、それが昨日の総会で採択された。

 

-------- 

7月13日 教員組合週報(本日号)が送られてきた。久しぶりに、学内情報の一端が明らかになった。教授会が選出した代議員による代議員会などは開催されているようであるが、重要な人事問題(どのような担当科目に、どのような人材を配置し、どのような審査機関で、どのような公正さをもっておこなわれるのかといったこと)ひとつとっても、噂話しかもれてこないような現状である。つまり、大学内部に対してさえ、人事政策がどのようになっているのか、その説明はなされていない。現状は、「独立」行政法人化とはいえ、実態は市長・行政当局の思いのままの人事(たとえば理事の人事なども)が行われているようである。教育研究審議会、経営審議会のメンバーの選び方からして、それは必然のことなのだろう。大学の自治的自立的生存は、いよいよ風前の灯というところか。

        この間、突然、「副理事長」名で、「研究者データベース作成に伴う入力依頼について」が送られてきた。教授会による審議(教員自身による情報交換・意見交換・データベース入力の意味と意義などの議論)を踏まえての自主的自立的なものではないところに、すなわち単なる「上から」・「外から」の一編の通知で処理するところに(教授会が開かれないのだからそうなるのは必然だが)、行政主義的なシステムの問題が現れている。「意味不明の、あるいはよく理解できない文書をメールで送りつけて、通知しましたよ」という態度はいかがなものか、とはある教員の感想である。こうしたやり方が、教員のやる気を起こすものかどうか。(そもそも「副理事長」とはだれか?二人のはずだが?たしか研究者(だった?)のはずだが?その二人の人はReadデータベースに入力しているのだろうか?ReaDは少なくともこれまでのところは確か一年に一回更新のはずで、4月着任の人々はまだ入力していないのだろうか? ともあれ、こうした「通知」の場合、発信人は率先垂範となっているだろうか?上から下へ、他の管理職は? 真のリーダーシップとは何か?率先垂範、具体的実績で人々を引っ張っていくことではないのか?行政主義的上意下達ではないのではないか?)

行政主義的トップダウン的処理をみるにつけ、自立的独立的組織としての教員組合の意義は大きなものとなっていると感じられる。

かつて教授会が制度的に機能していたとき、通常ならば、昇任人事案件も5月-6月あたりには学部長からしかるべき基準で提起されていた。はたしてそれはどうなっているのか? どのような基準の設定(その検討)が行われているのか? それはどこでどのように検討されているのか? その検討過程と内実(基準・判定者・審議手順)は大学内外の人々を納得させるようなものか? すべてが暗闇のようである。人事問題・人事政策における 公開性、公明性、公正性はどうなっているのか?

教授層はあまり問題を感じないかもしれないが、助手や准教授(講師、助教授)の人々は、不安や疑心暗鬼で落ち着かないのではないか?不安な状況で、しかも自分たちの不安や意見をきちんと正式に表明する場をもてなくて、教育研究に専念できるか?公明正大でない人事案件の処理が行われれば、大学の自治、学問の自由などは根底から破壊されることになろう。

教授会が開かれていれば、助手や助教授の人々も発言のチャンスがあるが、いまそれはない。ありうるとすれば、非公式の陰のルートだろう、そしてそれは実に不正常なことであろう。

教授会招集のために何人もの署名を集めなければならないのか?すくなくとも夏休み前に一度くらいは、教授会を開くべきではないか?この3ヶ月間の諸問題をきちんと公開で議論すべきではないか?

大学自治において人事問題は決定的に重要である。このことの意味が今改めて問われている。

 

---以下文字化けしている個所が多いが、いずれ組合HPに掲示されるであろう------

 

横浜市立大学教員組合週報

               組合ウィークリー

2005.7.13

 

もくじ

● 総会に参加を!

● 団交 準備開始 — アンケートにご協力を!

● 36協定締結

● 代議員会、終了  細則改正

● 全大教関東甲信越地区協議会学習会・会議(3日)に参加

● どうなっている? — 人事評価は?

 

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総会に参加を!

 代議員会(下記記事)において、今年度上期定例総会が14日に開催されることが決定されました。

 これからの団体交渉(下記記事)もにらみ、下半期の活動方針を中心に、重要なテーマについて討論します。詳しくは配布ずみの議案書をご覧ください。

 忙しいなかではありますが、奮ってご参加ください。また、やむを得ず欠席される方は、必ず委任状を提出してください。委任状については、組合事務室または執行委員までお問い合わせください。

 

団交 準備開始 — アンケートにご協力を!

 組合は、独立法人発足後はじめての団体交渉を組合は行ないます。すでに当局には、今月下旬ごろを指定して団体交渉を申し入れています。

 団体交渉では、今後の交渉のルールなど、労使関係の大枠と、労働条件その他の重要事項について交渉します。

 そのために、組合員の声を集約すべく、法人発足後の問題点についてアンケートを行っております。総会の日までに提出していただくよう、よろしくご協力ください。

 

36協定締結

 かねてより当局は、休日・時間外労働についての労使協定(36協定)の締結を求めています。金沢八景キャンパスにおける過半数組合として、組合は協定への合意と署名を求められていましたが、それにあたっていくつかの点を要求し、当初の協定案の修正を求めていました。

 要求は以下の3点です。

1)教員についての規定を載せること(教員も休日労働を行なうことがあるため)

2)教員の時間外・休日労働の範囲を、一般職員のものよりも限定しないこと(さまざまな種類の労働がありうるため)

3)協定の有効期間を6か月とすること

4)自動更新規定を除き、有効期間経過後はあらたに協定を締結すること

(3、4は、労使協定が労使双方にとって初めてのものであることにかんがみて、こまめに見直しができるよう、保障があることが必要であるため)

 

 協議を通じて当局も、これらの条件を容れる方向に転換し、それに沿った新しい協定案を提示してきました。組合執行部としても、あらかじめ決定されていた執行委員会の方針に則り、この協定に合意し、本日、締結しました。

 締結後は、時間外労働のありかたや、手当をめぐって個別的に交渉を重ねることになります。

 他の勤務時間等についてはまだ解決に至っていませんから、もちろん、交渉を継続します。

 

 

代議員会、終了

 

 先月30日、代議員会が開催されました。代議員会は、総会の開催を決定し、活動方針案などの、総会への執行委員会提案事項を検討し、大枠の方針を了承しました。

 

細則改正

 また、組合規約施行細則等の規約類を改定しました。そのおもな概要は以下のとおりです。

 

1)組合規約施行細則

 以下のように修正しました。

 ・選挙区の改正

改正前

経済研究所・商学部は第1区、看護短期大学部・医学部は第2区、国際文化学部は第3区、木原生物学研究所・総合理学研究科・理学部は第4区とする。」

改正後

国際総合科学部経営学系・融合領域は第1区、医学部は第2区、国際総合科学部国際教養学系は第3区、大学院総合理学研究科生体超分子システム科学専攻・国際総合科学部理学系は第4区とする。」(ただし、これらの学系等に所属していない教員については、旧規定に準じる。)

 ・執行委員の選挙区別の数

改正前

7月もしくは8月の選挙においては5名、第1区1名、第2区1名、第3区2名、第4区1名。1月もしくは2月に行われる選挙においては6名、第1区2名、第2区1名、第3区1名、第4区2名。

改正後

7月もしくは8月の選挙においては5名、第1区1名、第2区1名、第3区2名、第4区1名。1月もしくは2月に行われる選挙においては6名、第1区名、第2区1名、第3区名、第4区2名。

 ・市労連関連役職の削除

 

2)公立大学教職員組合協議会委員候補の選定方法等に関する執行委員会内規

 廃止を確認しました(すでに規約から関連規定が削除されているため。公立大学教職員組合協議会からはすでに離脱しています)。

 

 規約施行細則は、規約により、代議員会において改正することとなっておりますので、今回の決定により改正細則が発効します。

 今回の役員選挙も、新しい細則規定によって行なわれます。

 

 

全大教関東甲信越地区協議会

学習会・会議(3日)に参加

 

 上部団体、全大教(全国大学高専教職員組合)の地区組織である関東甲信越地区協議会が3日に開催した学習会と単組代表者会議に、組合は参加しました(山根書記次長を派遣)。

 学習会では、国立大学の独法化後の経験をふまえた、労使交渉のさまざまな問題と法的な理論武装について学びました。また、各組合の代表から成る単組代表者会議では、都立大・横浜市大における組合の闘いを支援することが、活動方針に盛り込まれました。この日、決定された活動方針は以下のとおりです。

 

1)国公関東ブロックと共同の運動を展開し、連携をはかるとともに、オブザーバー加盟を検討します。

2)法人化・労働問題110番などの設置の具体化を図ります。

労働弁護団所属の弁護士や社会保険労務士など、必要に応じて紹介します。各県レベルでもそうした体制を整えられるよう援助します。

3)全大教関東甲信越主催の学習会を開催します。

4)書記研修会を開催します。

5)地区協議会の運営見直しを検討し、次期単組代表者会議に諮ります。

6)都立大・横市大など公立大学教職員組合の運動を支援します。

   当面、メール等でこれらの大学における運動の情報を知らせます。

7)東京など私大教連との連携を強めます。

 

 全大教を通じて全国の大学教職員運動と連帯することは、重要です。今月末の全国大会にも組合は出席する予定です。

 

どうなっている? — 人事評価は?

 任期制・カリキュラム・大学運営機構のありかたなど、教員・組合員にとって気になることは多いですが、そのうちの一つに人事評価制度はとうなっているのかということがあるでしょう。

 この間の協議を通じて、「今年度は人事評価を行なわない」ということが明らかにされています。したがって、来年度も、人事評価の結果が出ていないので当然、給与のには人事評価は連動せず、算定は今年度のしかたに準じることになります。

 人事評価について、組合は、引き続き問題点を追求しつつ、適正・公正な制度設計がなされないかぎり、それを処遇と連動させないよう求めていきます。

 

 

 

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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会

236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号

Tel 045-787-2320   Fax 045-787-2320

mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp

組合HP http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

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7月1日(2) 「全国国公私立大学の事件情報」で知った次の情報も貴重である。

「大学の自治」、「学問の自由」は、「精神の自由」の保障という憲法の最も重要な原則にかかわり、憲法第19条「思想良心の自由」と相即不離である。現在の靖国問題はそこに関係する。高橋哲哉氏の講演がそれをわかりやすく説明してくれている。以下にコピーしておきたい(強調は引用者)。

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思想・良心・信教の自由を圧迫する国で政教分離を考える(2)

2005/06/30


 

 

 6月6日に開催された「第24回政教分離を守る北海道集会」の様子を報告する2回目(1回目はこちら)。

 砂川政教分離を守る会会長(※)・高橋政義さんから「砂川政教分離訴訟」の話が終わると、今回の講演会の講師である高橋哲哉・東京大学大学院総合文化研究科教授が壇上に立った。そして「政教分離を守る・私たちは何処にたたされているのか」のテーマで講演が始まった。

 初めに高橋教授は、今日に合わせて早めに旭川に入り、市内にある上川神社や北鎮記念館などの施設を歩いて回った感想を述べた。「私は、全道戦没者遺族大会へ行きまして、その後に護国神社宵宮祭・礼大祭を見てきました。宵宮祭や礼大祭では、自衛隊幹部が北部方面総監を始めとして、ずらり並んでいる驚くべき様子を拝見しました」と、昔からの軍都である旭川護国神社で行われた、宵宮祭・礼大祭での第一印象を話した。

 戦前の靖国を旭川護国神社で見た

 「護国神社の祭礼に廻りましては本当に驚きました。靖国以上の靖国ではないかと思いました。もちろん現在の靖国神社でも、春秋礼大祭が行われていますが、そこでは遺族が参道の両側に並んでいて、その間を神官が仰々しく本殿に向かって進みます。

 旭川の護国神社のように、自衛隊幹部である北部方面師団長、そして旭川市長らがずらりと並んで、その中で祝詞(のりと)など式次第が進行します。こういうことなど、靖国神社ではできないことです。

 ここでも夕暮れの中、ご遺族の方が参道の両側に並んでおられましたが、それを見ていると、私は戦前の靖国の招魂祭を想像せざるを得ませんでした。

 実は最近、靖国問題のことについて考えをまとめ、筑摩書房から本を出しました。この本の冒頭の第一章に書きましたが、遺族の感情の問題をどう考えるかということが現在も重要だと考えました。

 もともと靖国神社の機能というのは、もちろん護国神社の機能に繋がるのですが、実は遺族の感情をどうするか、またそれを見ている国民の感情をどうするかがあったと思います。戦死を廻る感情のコントロールが根本にあったと考えまして、感情の問題をテーマにしました。そして、この本の表紙に1941年10月に靖国神社で行われた招魂祭の写真を掲げてあります。

 実は、この写真と、旭川の護国神社で行われていた祭礼の様子とがそっくりなんです。遺族が暗闇みの中、参道の両側にいて、れいじぼうが親族に神官に担がれて、ずうっと行くわけです。招魂祭というのをやって、そこに天皇が参拝する。

 両側に並んでいる遺族というのは、国によって、その時に合祀される戦没者の遺族の中から選ばれ、そして国費で各地から、それこそ北は樺太から南は沖縄、西は旧満州から選ばれて、東京九段坂に来る。そこで自分の家族が神になる。そういう鬼神にされる。

 何よりも、御天子様・天皇陛下がそこに来て、自分の家族の戦死者に感謝の参拝をしてくださる。これは、全面的に感情を持っていかれてしまう。本来悲しむべき、あるいは空しいやりきれない家族の戦死が、むしろ名誉になってしまう。喜ぶべきことになってしまう。180度違う感情に転換させられてしまう。その儀式が招魂祭であり靖国神社の根本的機能だったのです」

 旭川護国神社は“靖国以上の靖国”

 「その光景を私も見たことがなく、写真だけで見ているだけなのですが、たくさんの写真が残っています。当時、臨時大祭ごとに写真帳というのがありまして、恐らく全国から選ばれてきた遺族に記念品という意味合いもあったと思うのです。それが今は古本屋で手に入ります。それを集めてみますと、まさにそっくりの形が旭川護国神社の宵宮祭で行われていたと私は感じました。

 戦後、靖国神社でもなかなかできないことを、護国神社ではやっている。“靖国以上の靖国”だと思いました。

 そして、自衛隊幹部また旭川市長が参列していることも含めて、国家公務員・地方公務員が参列していることに対し『政教分離を守る会』が出した質問(※1)に、市長の回答は『あくまでも私人としての参列である』と答えているそうですが、小泉首相の逃げ口上と同じなわけです。

 もし、そのようなことが許されるとすれば、靖国神社に総理大臣以下すべての閣僚が、私人ですとポケットマネーで来ていますと言えば、ずらり参列して同じことができるかというとです。これはできない。できないはずのことを旭川ではやっているということです。

 なぜこういうことになっているのか、これは兵村記念館(※2)などでも見せて頂きました旭川の歴史、とりわけ戦前の第7師団があった軍都としての歴史、軍国主義的立場からすれば栄光の歴史ともいえるのでしょう、その名残が戦後も残っていると思います。

 第7師団があった全く同じ場所に、今は自衛隊の第2師団があり、その横には同じように護国神社がある。恐らくそのまま来てしまったのではないかと思います。

 旭川護国神社は北の靖国神社です。全国にある護国神社の中でも、特別の意味をもつ護国神社だという印象を私は持ちました」

 憲法9条を守る闘いだけで、9条は守れない

 「今日は政教分離を守る北海道集会ということですけれど、それが旭川の地で24回も開催されて、そのような軍都の重い歴史を背負ったこの地で、今の日本で取り上げるのが非常に難しい、そういう問題について、24回も集会を重ねて続けてこられたそのような活動に心から敬意を表してこれから話をさせていただきます。

 政教分離の問題を、日本社会・地域社会で問うということは、非常に厳しい問題が直ちに起こってくるわけです。砂川訴訟のお二人も、今それに直面しておられるのではないかと思います。日本で憲法問題といいますと、憲法9条です。

 『旭川九条の会』が、非常に好ましい形で立ち上げられたのですが、大変いいことだと思います。今、憲法改正の最大の焦点は9条だというのはその通りなのですが、戦後の護憲派の運動がどっちかというと9条中心で来たわけです。

 そのことが果たしてどうだったのか、もちろん9条が改悪されるという危険が、戦後しばらく切迫してあったわけですし、戦争になればすべてが駄目になってしまうということで、9条中心で来たことについて私たちは理解できるのです。

 9条の大切さを心から思っております。第2項を含めて私は護憲派です。しかし、余りにも9条だけに関心を集中し過ぎたため、それを放っておくと、実は9条にも悪影響を及ぼすという問題が軽視されてきたのではないか、という考えを持っております。

 その最大の問題が政教分離の問題です。憲法20条と憲法89条です。憲法89条は、宗教的活動に自治体などが、公の機関が公金を支出することを禁じているわけです。20条と89条を合わせて政教分離に順ずると言われています。

 その原則は20条第3項【国及びその機関は(この場合の機関というのは地方公共団体を考えられています)、宗教教育を含め、いかなる宗教的活動があってはならない】このように、非常にすっきりした明確な政教分離原則になっているわけです。

 この重要性というのが、戦後の日本社会の中で、平和と民主主義を守るという運動をしてきた方々の中でも、果たしてどこまでその重要性が認識されていたか。

 私は哲学を専門にしておりますので、誤解を恐れずに言いますと、私は日本国憲法の中で、個人的に一番私にとって大切なものは、実は憲法19条【思想良心の自由】なんです。誤解を恐れずに言うと、というのは、では9条は19条より軽いのかと誤解されかねないのですが、そういうことではないのです。

 それは、19条の【思想良心の自由】、20条の【信教の自由・政教分離】、21条【集会、結社及び言論、出版その他一切の自由、検閲の禁止】つまり表現の自由、これには報道の自由も入りますね。第23条【学問の自由】、22条【移動の自由】などが入っているわけです。これらは、“精神の自由”を保障した条項なんです

 そこで、果たしてこれらの問題が、これまでいわゆる護憲派の間でどれだけ重要だと考えていたのでしょうか。この問題は結論を先取りすれば、憲法で言えば第1条・第1章第1項、【天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く】とあり、象徴天皇制を規定した条項です。これと非常に深い関係にあります。

 靖国神社、これは天皇の神社でもありました。明治天皇の勅令によって創られた東京招魂社、それから靖国神社になって敗戦の時に国家の基盤から民間の宗教法人に変わりましたけれど、その伝統は受け継いできています。

 信教の自由、それは天皇制と無関係ではあり得ないわけです。それから19条の思想良心の自由で、今一番問題になっているのが教育現場においてです。日の丸・君が代強制の問題と言っていいと思います。特に東京都の石原都知事の下、教育委員会が進めている強制は凄まじいものがあります。

 あのような形で、思想良心の自由がかなり侵されています。日の丸・君が代、特に君が代というものは、天皇を称える歌ですから、天皇制と関係していることは、言うまでもありません。

 それから、第21条の表現の自由に関しては、いわゆる出版・報道の中で天皇制に関するタブーが連綿と行き続けていることは、皆さんも理解されていると思います」


 こう話した後、高橋教授が直接出演者として関わり、その取り上げ方で大きく問題になった、NHKのETV特集のことについて話が移った。これは次回(3)で紹介したい。

 

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7月1日(1) 「全国国公私立大学の事件情報」で、「都立大学廃止と文学研究を知り、一読。共通点の多い本学の改革の経過と現状を検討しなおす素材として熟読し、反省の素材とするため、ここにもコピーしておこう200381日」を特に強調することが、「二000年以後自分たちがやったことを免罪する倒錯した総括」になるという一節が今回は特に印象に残った。

その観点から言えば、実は大学には、本当の意味で「自治はあったのか」、予算をてこにずっと昔から「自治」などはなかったのではないか、とも考えられる。芦部『憲法』が大学の自治の重要な成立要件として、「近時、予算管理の自治(財政自治権)をも自治の内容として重視する説が有力である」としているが、公立大学にしても国立大学にしても、これがどこまで確立されていたのか。行政当局が実権を握る予算の側面から大学の自治はずっと前から空洞化されししまっていたのではないか。それがまた学問のあり方、科学探求の精神をずっと規定していたのではないか。文科系と違って理科系における予算の意味は決定的で、それが大学「改革」のあり方をも決定づけたのではないか。「衣食足りて礼節を知る」というが、その「礼節」の部分を主として研究する文科系が国公立からますます切り捨てられる傾向にあるということではないか。

 

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top [2005/06/29]都立大学廃止と文学研究

都立大学廃止と文学研究

村山 淳彦
『世界文学ニュース』No.89 (2005.6.30)

私は三月末に都立大学を退職した。同時に都立大学は廃止され、「首都大学東京」(批判者に対して「おまえなんかクビダイ!」と言わぬばかりの都庁のやり方を揶揄して、略称は「首大」にすべきだと陰口をたたく人たちもいる)なるものが四月に発足した。私はクビになったわけではないが、定年まであと何年か残してリストラされたという思いを拭いきれない。私は再就職できたからいいようなものの、退職しただけに終わった人たちも少なくないし、やむをえず新大学にしぶしぶ就任した人たちも多い。いや、問題は個々人の身の振り方ではない。都立大学廃止にあらわれた大学と文学研究をめぐる危機にこそ、苦い気持ちを抱かざるをえない。

「首大」は、都立の四つの大学を「束ねて」(都知事が早くから使っていた表現)一つにまとめるとともに、教員数を大幅に削減して経済的に効率を高める目的で設立された。新大学は、「都市教養学部」などという学問的正体も不明な学部をはじめとして、「公産学協同」をうたい文句に、「社会的ニーズ」に応えるための構想に基づいて編成されている。教授会はすっかり形骸化し、教員任用や学内役職選出などに関する実質的人事権は教員に与えられない。英語教育を外部委託=丸投げしたり、「単位バンク制」などという奇妙な単位認定法を作ったりして、授業計画から成績評価にいたるまでのいわゆる教学権も、教員から剥奪されている。雇用形態上任期制を選択するよう各教員に迫り、任期制を拒否した者には今後の昇格、昇給はないと通告している。就業規則では、集会、掲示はおろか教室における配布物まで許可制とし、憲法などどこ吹く風である。研究予算はすでに数年前から毎年削減され、しかも傾斜配分により、たとえば新大学を批判した教員には配分されない。こういう動向は、旧国立大学でも行政法人化にともない、多かれ少なかれあらわれてきたであろうが、「首大」ではそれが、考えられる限りもっとも極端なところまで悪化させられている。

文学科はもちろん、小説家を養成するための機関ではない。なるほど、文学科は、人文学部の他学科と比べてさえも、金儲けとの縁が薄いだけでなく、政治方針や経営方針の策定に貢献することもできず、「首大」が求めるような「社会的ニーズ」に応える点で非力である。しかし、文化の根幹をなす言語の教育研究をおろそかにして社会の存立を期待できるであろうか。大学の文学科は、文学、言語の検証を通じて市民の言語能力、知性、感性、倫理感覚の涵養に従事するはずだし、そういう自覚と自負をもつからこそ存続の意義を主張できる。これは迂遠な使命に見えるかもしれないが、だからといってその重要な役割が見失われてはならない。ご多分に漏れず効率や「社会的ニーズ」を重視して大学改革が進行している米国でも、ずいぶん前から人文諸学の危機が叫ばれながら、文学科全廃などという話は聞いたことがないのである。

とはいっても、これまでの日本の大学の文学科のあり方に反省すべき点がなかったわけではない。戦前の文学者、批評家について戸坂潤が批判した「文学主義」は、今日も根強く文学科を支配していると思える。これに輪をかけるように、戦後の政治情勢のなかで育まれた非政治主義がからんで、文学語学研究者の政治嫌い、組織嫌いは今でも蔓延している。このような退嬰性を克服しなければならないにしても、文学科全廃でそれが果たせるわけもないし、知事がそれをめざしたはずもない。しかも近年は日本の文学研究にも、欧米における一部の研究動向を受けとめて非政治主義を乗り越えようとする努力が見られるようになってきた。だからこそ、新大学の文学科全廃は、せっかくの芽をつぶす暴挙として許しがたい。

この蛮行に直面して、都立大学が抵抗したにしても有効でなかったことは、「首大」発足を見た今日明らかであるし、誇りうる敗北を語るに足るほどの抵抗の実績も見出しがたい。都立大学廃止に至る過程は、大学管理法案、産軍学協同、「全共闘」による大学解体、東京教育大学廃止、等々に抗する激動に見舞われた時代に大学院生活を送った私にとって、隔世の感があった。当時身にしみて会得されたはずの「大学の自治は教授会の自治にあらず」という教訓は、いったいどこへ置き忘れられたのか。今日、都立大学だけでなく全国の大学が大なり小なり危機を迎えているのに、学生運動や組合運動の声がどうして世間に響かないのか。為政者の直接介入を禁じる「大学の自治」の初歩的原則に真っ向から挑戦し、「設置者権限」を振りかざす知事に対して、大学執行部筋は、確かに大学改革の必要があると理解してみせつつ、都庁=知事に受け入れてもらえる「改革」案づくりに奔走した。それを目にするにいたって、私は、教授会の自治は頼るに足らずとわかっていても、心外の念に堪えなかった。

都立大廃止の危機は二000年一月には顕在化した。都立大学廃止策謀がきわめて政治的なものであることは、はじめから明白だったと思う。都立高校への「日の丸」「君が代」強制に先だって、大学に祝日の「日の丸」を揚げるように強いたのも、「教育改革を大学から開始する」という知事自身の言明に沿っている。その年には、都議会議員某が、都立大学内で撒かれた学生のビラで誹謗中傷されたと称して、その学生の処分を大学に要求し、大学執行部はこれに屈して、不当不法な学生処分をおこなった。にもかかわらず、学生のあいだからさえも目立った処分撤回運動は起こらなかった。この処分は、大学内にどれほどの抵抗力があるかを探るために仕組まれたのではないかとも思える。

総長以下大学執行部は攻撃をかわすことに専心し、非常事態だからという理由で大学改革本部なるものを設置した。それまでの学内合意形成のための慣行は崩れ、総長は改革本部長にほぼ全権を委譲した。改革本部長は「悪いようにはしないからおれに任せておけ」とばかりに、ひたすら都庁筋との裏取引に邁進し、教員に対して箝口令をしいた。恫喝と欺瞞を弄する知事に対して、大学執行部はチェンバレン顔負けの宥和政策を選択したのである。学内の意思統一がそっちのけにされた大学内は当然ながら四分五裂し、そのなかでこれを自分に都合のよい改編の機会にしようとする人たちさえあらわれて、知事=都庁の画策する大学内分断作戦は見事に功を奏した。「改革」の実績を示して高額の研究費を確保できるようにしなければ研究が立ちゆかないと訴える理工系の教員。知事の暴言に抗議すべきだという主張に対して、そんなことをするのは「玉砕」を叫ぶのと変わらないと反論した執行部。大学教員のなかにはさまざまな思惑が交錯し、外部からの不当な介入に対決できるだけのまとまりはなかった。教職組も、「改革」賛成派を含む組合員が一致できるという枠にこだわる以上やむをえないとはいえ、有効な反撃はできなかった。

大学改革本部なる超法規的対応が始まり、外部の圧力に屈して学生処分が強行されたときに、すでに「大学の自治」の外堀が埋められたと私には思えた。やがて二00三年八月一日に都庁=知事の側から一方的に新大学構想が発表され、宥和策が破綻したことは明らかになった。このとき改革本部長は「都庁にコケにされた」と狼狽し、その年のうちに退職してしまった。しかし、外圧に屈して自ら外堀を埋めたりすれば、敵になめられ、つけあがらせることになるのは、当然の成り行きではないか。だから、テクノクラート然として「改革」案を作ろうとした人たちが、それまでにいかなる密約、心証を得ていたにしろ、知事側の「豹変」をなじり憤慨したところで、私はとても同情できなかった。なるほど、この時点で、さすがに箝口令どころでなくなり、都立大学の危機がようやく世間に知られて騒然となった。だが、大学執行部は、多少の異議を公的に唱え始めたものの、他方で「大学管理本部」(名称のあっぱれなこと!)との「ねばり強い」駆け引き、つまり事実上の宥和策を続けた。都庁=知事は、総長、学部長などを機関代表として扱わず、一個人として呼びつけて、新大学構想の具体化を手伝わせた種々の委員会におめおめと出ていった教員たちは、「文句があるなら対案を出せ」と挑発する都知事に「建設的」に対応したつもりであろう。無知な管理本部は「教学」については教員の出す案を受け入れざるをえないはず、という目論見が語られ、「背水の陣」で闘っているつもりも披瀝され、理念上で対決しても「不毛」で「醜い」争いになるだけだとも言われた。現実主義路線である。この路線のどこが不毛でなく、醜くないであろうか。管理本部との駆け引きのなかで教員側が出した改良案は、弥縫策に使える部分だけをつまみ食いされ、あるいは、新大学の醜悪な本質を隠蔽、糊塗するのに役立つだけだった。

大学執行部も組合も、大学管理本部が二00三年八月一日に突如一方的な新大学構想を押しつけてきたという主張を繰り返す。八月一日を強調することで大学管理本部の横暴さをあばこうという狙いかもしれないが、むしろ、八月一日を強調すればするほど、それ以前はまともな話し合いが進んでいたと描き出すことになる。それは、二000年以後自分たちがやったことを免罪する倒錯した総括である。それまでの宥和策を反省するのでなければ、駆け引きしたところでますます後退するだけなのは目に見えていた。テクノクラート気取りが、「首大」構想具体化の片棒を担ぐ一方で抗議運動をあおりながら、ガス抜きが必要だとか、下からの突き上げもトップレベルの取引を有利にするために利用価値があるとか、私的な場面ではあれ言ってのけたのを私は直接耳にして、そのシニシズムに慄然とした

「首大」という惨憺たる結果を見るにいたった主因はもちろん、知事=都庁の横暴な「大学管理」にあるが、大学内部の自壊も一因であった。私はそれを食い止めるために何とかしようと学科会議、教授会、組合など種々の会議で発言してみたが、自分の無能を証明するだけに終わった。何もなしえなかったことで忸怩たる気持ちである。せめて不条理を諒とするようなことだけは拒否して、これまで目撃してきた大学破壊の顛末を記憶にとどめていきたいと願うのみである。


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[1] 「文化教育」という研究分野の一つでも、医学系が採択され、文科系よりも額は大きい。文科系の場合は、その研究の仕方・テーマが多様かつ分散的で共同研究になじまないところがあり、共同研究中心のプロジェクトにしか競争的研究費が割り当てられないとすれば、必然的に文科系は不利となる。日本学術振興会の科学研究費補助金に共同研究と個人研究があるように、競争的研究費においては、文科系は個人研究がどうしても多いのではないか。

 

[2] 日本学術会議が指摘することに関連することとしていえば、「大学改革推進本部」は解散して今はない。中期目標・中期計画を策定した責任者はどこへいったのか。

 

[3] 前任大学で、留学制度、特別研究院制度、サバティカル制度の恩恵にあずかり、自分の研究がこうした制度抜きには考えられないことからして、若手の人にとっては死活の問題であるような気がする。

 しかしまた、われわれに近い年齢でも、サバティカルや外地留学制度を利用している友人たちがおり、本学の研究教育条件の向上という点では、こうした制度も抜本的に改善する必要があると思われる。

 

[4] また、せっかく大学に入ったのに、前期の間、英語だけしか取れず、第二外国語(フランス語やドイツ語など)をとることができないなんて」と怒っている学生もいた。このあたりも、きちんと受験生などに知らせておくべきだろう。

 トッフル500点が進級条件だということは一般入試の学生にはきちんと知らされていなかった、という声もあった。検証が必要。

 さらにまた、一律にトッフルなどやらないで、理学系統では、たとえば化学英語とか、物理英語とか、専門に即した英語をきちんとやっている大学がある、それがない、それが必要、という学生もいた。 

学生の希望や要求を大学当局は、きちんと調査しているのであろうか?

 

 

[5] 自由裁量による研修保障:これに対応するものとして、各教員によって行われる教育研究の成果、各教員から出される教育・研究・社会貢献等の実績を重要視する制度。

 

[6] 私自身は、ずっと40時間・法定労働時間を基準に考え、実際には、大体において毎日研究室に朝8時半から9時に入り、夕方18時半から19時ころ研究室を出るというやり方で仕事をするスタイルをとっている。昼食休憩を一時間として、毎日大体9時間ということになる。したがって自発的な平均的な週総労働時間(月曜から金曜)は、40数時間となっていると思われる。

労働密度・労働強度の問題もあるので、単純な時間数をどう評価するかは実際に行っている仕事との関係で評価されることになろう。

教育のための拘束的時間数と自主的自立的研究時間数と会議等学内運営関連の時間数との総計で、規定週労働時間が構成される。

通常(平均的大学教員)であれば、教育のための時間数や会議等に拘束される時間が多くなれば、それだけ研究時間が減少する。なんとか研究時間を確保するために、自主的自発的な形での超過労働(週労働時間以上の時間)を行う教員も多いであろう。

したがって義務的持ち駒数問題は、大学教員の研究教育労働のあり方(実績・成果のあげ方)にとって重要となる。持ちコマ数、会議等における過重負担は、教育すべき内容を整える研究時間にしわ寄せされるのである。教育の実績評価は、そうした教員の全体的負担との関係でもなされる必要がある。

 

[7] 一方で出勤簿などに関してはどのように検討したかわからない「通知」が出されるのだが、他方で、義務的拘束的な持ち駒に関する規定(したがってノルマオーバーの支払い規定など)については、明確でない。私学の場合、たとえば4コマとか5コマがノルマとなり、それ以上のコマ数については、オーバータイム手当てが支給される。その手当ては相対的にわずかであり、単純な計算からすれば学外で非常勤講師などをやるほうが所得は大きい。だから、きちんと制度設計・規則制定していないと大学内のオーバータイムはやらないで学外の割のいい非常勤をたくさんやるといったことがおきる、学内のオーバータイムの制度などがないと学外の効率の良い仕事だけをやるというインセンティヴが働く。

 

[8] したがって、夏休み。冬休みなど、拘束的義務的な教育活動の時間(講義・演習の時間)がないときこそ、まとまった形で全労働日、全労働時間が、自由な研究時間となる。一面では(義務的拘束的教育労働がないという意味で)「休暇」ではあるが、他面では決して「休暇」ではない。休暇とはいえそのかなりの時間が研究専念時間となっているといういみでの「研究休暇」である。

今では、春休みは成績評価、入学試験等の業務で、ほとんど「研究休暇」としてのまとまった時間が取れない。

 

[9] 法人化後の4月以降、現状のさまざまな問題に関して、どのような具体的な行動がとられたか? 市大新聞(ウェブログ)にも、問題提起の意見が次々と載っているのだが。最新のニュースでは、新しい学部の融合領域に対しては積極的な評価を載せている。普通の学生の反応はどうか?  

 

[10] 職員の場合は(極少数の固有職員は別として)、教員と違って、幹部職員以下、市職員の身分を残すものであり、必ずしも大学(法人・法人の経営する大学)と命運をともにするものではないが。

 

[11] 定款・学則の杓子定規な適用により大学運営の全責任は市当局(行政当局=行政権力)・法人当局にありということで、シニカルに傍観する人も多いかもしれないが、そうではない人々を念頭においてみればということ。

 

[12] LL教室の充実、LL機械の更新といった前向きの措置がとられようとしているという。それはそれですばらしいことだ。しかし、いくらいい機械があっても、学生の側の時間がなければ(秋以降なくなれば)、どうなるか。

 夏休みや春休みを集中訓練期間にするという発想もあるという。しかし、夏休みは夏休みの貴重な経験を学生はしたいのではないか?

学生の側の前提諸条件の多様性にもかかわらず、画一的基準に固執することには意味があるのだろうか。   

 

[13] 先日、『朝日新聞』に掲載されていた後藤田正晴氏の主張は、保守派の枠内での良心と見識を示すものといえよう。

 

[14] それぞれの審議機関における審議権者・審議経過はすべて議事録にとどめ、後々で問題化した場合に検証が可能なようにしておかなければならない。