12月30日 昨日、びっくりするようなニュースが入った。少なくとも私には。

知らないのは、教員組合関係の私たちだけか?

 「ドタキャン」騒ぎは、このニュースになんらか関係するか?

 

このニュースが本当なら、今後の展開は、大学の今後にとって、新たな意味で、これまで以上に、きわめて重要になる。

組合としても、しっかりしたスタンスが、これまで以上に、求められる。

 

果たして、大学の全構成員がそれぞれの自由で民主的な権利・権限と責任を持って大学自治の再建・大学の創造的発展に向かって、一歩を踏み出せるかどうかが、かかっている。

 

1月3日から10日まで、科研費による出張。2日出発を考えたが、飛行機がない。冬休み・補講期間中のぎりぎりの期間。行く先は、ドイツ連邦文書館ルートヴィヒスブルク支所。

第三帝国の東方への膨張政策を基礎で支える権力機構の二つの柱の一つ(警察機構)、その治安部隊(占領地に送り込まれて殺戮部隊となった警察部隊など)の精神構造・民族至上主義の権力機構のメンバーたちの意識は、どうなっていたのか? 

「普通の人」なのか、「普通のドイツ人」なのか?

戦時下、敗退下、治安状態の悪い占領地に派遣された「予備警察隊員」は、「普通の人」、「普通のドイツ人」といっていいのか?

まさにこの問題をめぐるゴールドハーゲン論争の発端となった著書『普通のドイツ人とホロコースト』が、翻訳された(望田幸男監訳、ミネルヴァ書房、2007年12月)。

そのゴールドハーゲンの使った史料(ナチ犯罪裁判記録)を、自分の目で確認してきたい。

文書館とのやりとりからしても、関係文書は膨大な量のようなので、今回は、さっとどんなものがあるか概観し、ごく一部だけピックアップして、内容を検証してみることになろう。そして、今後の方針を立てることになろう。

 

10日、帰国の時には、上のニュースに関する事態は展開しているであろう。

 

大学改革において、自由で民主的な、健全な発展方向が一歩でも前進するものならば、したがって、大学を構成する一人一人が自らの力を自由で創造的に有機的に組み合わせて発揮できる枠組みが作り出されるならば、それら諸力の自由で民主的な有機的統合体としての大学は、すばらしいものとなりうるであろう。「禍を転じて福となす」とも。

 

グローバル化・資本主義的市場経済化の荒波と激動のなかで、一方では地球環境の破壊が進行し、他方では、伝統的な既存社会がさまざまの「脅威」に直面し、パキスタン、アフガニスタン、イラン、イラクなど、紛争とテロリズムの鉱脈から、いたるところで、マグマが噴出している。

ブット元首相暗殺は、冷戦終結後、急進展したグローバル化と新自由主義の潮流が引き起こした世界的潮流のひとつの象徴に過ぎない。

 

これをどう乗り切るか。

テロリズム・独裁化の潮流が勝利するのか。

自由で民主的なシステムを維持し発展させる方向性のなかで諸困難を克服していけるかどうか、人類の生存がかかっている。

 

大学改革のあり方・進め方もまさに、その巨大な波頭の一端を構成するのであろう。

憲法が保障する大学の自治(学問の自由の制度的保障)を再確立する方向に進めるのか、それとも?

 

パキスタンのテロリズムに多くの関心が集まっている。しかし、非民主的事件は、わが国でも無関係ではない。大学においてすら。

高知大学の学長選の混乱は、司法の場に持ち出されることとなった。もし、票の隠蔽、投票結果の改竄、といった事実が司法の場で明確にさばかれることになれば、またその犯人が検挙されることになれば、民主主義国家を自認するわが国の、しかももっとも理性的であるべき大学において、その最高責任者を選ぶに際しての違法行為として、大変な問題であろう。

 

 

 

 

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12月27日 科研費合宿(ヨーロッパ統合の経済政策思想史・代表・廣田功・新潟大学教授・東大名誉教授)から帰り、さまざまの事務的事項を処理。

 

当局から組合(事務折衝担当の書記長)に対し、拡大事務折衝会議のドタキャンは、「事務局長が市会に呼び出されたため」との説明があった由。

それなら、初めから明確にそういえば、ドタキャンの不快さも、少しは和らいだかもしれない。

 

それにしても、事務局長がいないと会議が開催されないということも、異常としか思えない。副理事長の権限は、市当局派遣の事務局長以下、ということか?いったい、経営最高責任者という地位はどのようなものか? 独立行政法人というものは、いったいどうなっているのか?

市当局の直接支配がまだ続いているということか?

 

ともあれ、この日誌に関心を持ち、読んでいただき、さらに意見などお寄せいただいた皆様に、感謝申し上げます。もしも、少しでも、大学の自治的発展のために、わずかでも貢献するところがあれば、望外のよろこび。マイナスでないことを願うのみ。

 

皆様にとって、来年が今年よりもすばらしい年となりますように。

 

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12月25日(3) 先ほど述べた元組合幹部から、今回、12月21日締め切りで提出するように求められた書式・項目をみせていただいたが、それによれば、当初のSDシート記入の際に予定されていた諸条項とはまったく別のものが、今回あらたに付け加えられていることを知った。

 

その内容は、一方では、研究院の業績リスト作成で行われているものとほとんどが重なり、他方では、授業関係の部分が付け加わっている。

それは、SDシートの当初の主観主義だけの調査項目からすれば、客観性があり、その点では、教員評価の素材としては優れているものを含んでいるといえる。これならば、記入してもいいと思われる客観的事項も多い。ただし、意味不明、教員評価とは関係のない項目もある[1]

しかし、SDシートの問題性に抗議して、SDシートに参加しなかった教員に対しては、こうした新たな調査項目は、知らされていない。SDシートに登録したものだけに、調査シートが送られているからである。

当初はまったく知らされていなかった内容の調査が、説明抜きに、新たに持ち込まれ、行われようとしているのである。

唖然とする。

 

SDシートへの登録と協力を行った教員は、この調査にどのように反応するのだろう。これこそ、当初のSDシートに対応するものと考えるのであろうか?

 

教員評価委員会とそれを任命した法人当局に、全教員に対する説明会の開催を求めなければならないだろう。

 

 

 

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12月25日(2) 教員組合ウィークリーが出た。団体交渉要求の内容を知らせるものである。SDシート記入などで、その不当性に怒っている組合の内外の教員に、貴重な情報となるのではなかろうか。

 

-----横浜市立大学教員組合週報-----

 組合ウィークリー

 

2007.12.25

 

 

もくじ

 

       団交要求書を出しました

 

 

       団交要求書を出しました

 

 この間、大きな問題となっている、昇任人事と任期制、職務業績給の平均的アップ、教員評価のあり方に関して、団体交渉を求める文書を、本日当局に提出しました。

その要求書の全文を次に紹介いたします。

 

 

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理事長 宝田良一 殿

学長 ブルース・ストロナク 殿

副理事長 松浦敬紀 殿

 

20071225

 

                       横浜市立大学教員組合

執行委員長 永岑三千輝                           

                                    

 

団体交渉要求書

        

教員組合は、教員の教育・研究条件の向上を図るとともに、教育現場から本学の真の改革を目指すべく引き続き取り組んできているが、この間重大な問題となっている昇任人事と任期制、職務業績給の平均的アップ、教員評価のあり方に関して、問題の重要性および緊急性に鑑み、20081月中旬までに以下の事項について団体交渉を開催することを要求する。

 

 

T.昇任人事等における任期制の強要について。

 

1.学長名による昇任に関する文書(「教授・准教授及び助教昇任候補者の推薦について」(平成191114日付))では、昇任候補対象者について、教員中間管理職に「候補者の推薦にあたっては、任期制への同意状況等を確認」させ、また「学長から人事委員会への諮問にあたり、任期制への同意状況等も判断に加味した上で、審査を依頼」すると記しているが、昇任審査の際に、任期制同意が前提条件ではなかった法人化以前の大学から身分を継承している教員に対して、このような変更が不利益変更でないというなら、それを立証できる法令あるいは文部科学省通達などの法的論拠を示せ。

2.その上で、学長はなぜ、このような平成191114日付文書を出したのか、また20074月の昇任人事についても、64日付の教員組合からの昇任人事に関する14項目の質問状に真摯に回答することなく、さらには何ら詳細な審査報告書を提示しえず、かつその総頁数、総文字数すらも示すことなく、学則(63条3項)をも無視した手続きによって新たな人事を行うことが、いかなる根拠によって正当化できるのかを、団体交渉の場で明確に説明せよ。学長の団体交渉への出席を要求する。

3.任期制への同意を昇任の前提条件とすることは不当なものであると、すでに教員組合は意見書(1119日付)で指摘しているところであるが、法人化以前からの身分を継承している教員に対して、昇任審査にあたって任期制同意を前提条件とすることは、不利益変更措置であり、違法行為である。学長は191114文書を撤回せよ。

4.教員管理職人事にあっても、任期制への同意を強制することは許されない。当局が仮に任期同意を求めるとすれば、それは不利益変更措置に他ならない。大学における教員中間管理職は、一般的に定年まで管理職を続けるわけでなく、管理職の職務終了にともなって通常の教員に戻るものである。教員管理職人事にあたっても任期制への同意を条件とすることがないことを明確に確約せよ。

 

U.職務業績給の平均的・恒常的アップの要求について。

 

  2007年3月16日の新給与制度導入に際して労使間で締結した「合意書」において、当局はすみやかに職務業績給の適用に関して提案を行うとしているが、その後の事務折衝で組合が提示した要求、さらに文書による組合から提出した要求(「職務業績給に関する要求」(20071129日))を無視し、当局は年末にいたるまで職務業績給アップにかんして、何らの具体的な提案をしようとしない。当局のこのような態度は誠実な労使関係の構築を著しく妨げるものである。そもそも法人化以降、法人化前の大学において行われていた定期的昇給に相当する額の昇給、約束した職務業績給の平均的・恒常的アップを果たさないことは、労使関係上、許されざる背信的行為に当たることを充分認識し、具体案を早急に提示せよ。

 

V.教員評価制度に関して。

 

  当局は、現在SDシートによる、いわゆる「教員評価」を、教員の納得が得られるまで処遇に反映させないと20061130の団体交渉で約束した(「処遇への反映は、教員の理解が得られてからになる。」(当局側回答)、「処遇への反映は教員組合との協議事項だ。教員組合との協議を経てという意味だ。」(当局側発言))。しかるに現在のSDシートは、さまざまの重大な問題をはらんでおり、いまだ処遇に反映することが可能なシステムとはなっていない。

よりよい教員評価制度を構築し、横浜市立大学を社会が必要とする大学、また透明性が高い、社会に認められる大学にしていくのであれば、組合の質問に対する学長の不誠実な文書対応(「19年度組織目標提示ついての質問状に対する回答」(5月10日付)、表題なしの回答書(5月22日付)、表題なしの回答書(6月7日付))を充分自省し、18年度教員評価試行における問題点を洗い出し総括するとともに、それがいかに19年度評価シートに反映されたのか、また今年度の新たな問題点は何かを明確に示すことが必要である。労使間で積み上げてきたこれまでの合意を無視して独善的かつ欺瞞的な案を提示し、評価制度を一方的に処遇に反映させるなどということは、これまで築き上げてきた健全な労使関係、信頼関係を著しく損なうものである。今後の、教員の処遇そのものにつながりうる教員評価制度のあり方に関して、教員組合と真摯に協議を行っていくことを改めて確約せよ

 

以 上

 

 

 

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12月25日(1) いましがた、元組合幹部の方から電話があった。多くの元組合幹部と同じく、今回のSDシートに関しては、登録し、内部に入って、制度の問題点を洗い出そうというスタンスの人である。

 

その人の話では、SDシートを当初開始した段階では、設定も構想もしていなかった調査項目が、今回の総括シートには入っているという。

授業評価アンケートの平均なども記入するように求めているという。当局は、そうした諸項目で、「客観評価」を行うとの形式をつくりだし、21年度以降の処遇への反映のための準備をしているのだろう、とのご意見である。

 

SDシートへの記入を求めた当初には、予定していなかった諸項目を、しかも、12月までのデータに基づいて出せ、ということになっている。SDシート記入当初の項目に対応する今回の目標達成度の諸項目ではないのだという。教員評価という点からは筋違いの項目も、教員を評価する事項として、記入させるようになっているという。

 

何重もの信義違反、不当な押し付け制度である。協力者の割合が増え、制度が認知されたと思えば、当初の予定にはなかった項目まで、どんどん入れてきて、処遇への反映を強行しようということなのであろう。これは、組合として、到底容認できない。

 

それにしても、あまりにもひどいことがつづくと、つくづくいやになる。それが、当局の狙いかもしれないが・・・

従順なだけの教員を作り出す大きな歯車が回っている、ということか。

大学の活性化などは、口先だけのことか。

 

それにしても、どれだけの教員が、そうした最初の協力要請の段階と、今回の調査シートとの違いに気付き、信義違反を感じ取るであろうか?

どれだけの人が怒り、ボイコットするであろうか?

大々的にボイコットし、このようなやり方には一切協力しない、ということになるだろうか?

 

 

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12月24日 当局から、労使協議の場をもちたい、と提案があり、組合執行部は13日の執行委員会・拡大執行委員会にはかって、慎重を期し、「団体交渉の前提ないし準備」としての拡大折衝会議という位置づけで、応じることにした。「労使協議会」というのは、しばしば、当局と労組幹部の談合・馴れ合いの場と化しているとされる。そうした、いわゆる「ボス交」などというものに陥らないためである。

 

日程調整を行い、20日木曜日の午後5時から6時半までということで、当局側(副理事長・事務局長・人事課長、そのほか係長2名)、組合側(執行委員長・書記長・書記次長、前書記次長、独法化対策委員2名)で、折衝を行うこととなった。ところが、当日の午後3時過ぎ、当局側から「幹部の都合がつかなくなった[2]」との連絡で、いわゆる「ドタキャン」となった[3]

 

教員側6名は、時間調整が簡単だ、とでもいうのであろうか。会議の時間設定においては、講義時間(大学院の集中講義、その他)や博士論文審査、さらに各種委員などの多様な仕事の時間を見ながらやっていることを、少しでも理解しているのか?

教員側は、教育・研究・社会貢献で忙しいということは認めないのであろうか?

教員側の時間調整など、どうとでもなるとでもいうのであろうか?

これを傲慢無礼といわずして、なんというべきか。

この間の、当局の態度に一貫しているのは、現場で働く教員の無視・軽視、ということではないか? 

 

教員組合は、これまで、昇任問題、任期制問題、職務業績給問題、教員評価制問題に関して、当局に対しさまざまの意見書・抗議書を提出し、公明正大な回答を求めてきたが、いまだに回答がなく、しかも、当局提案の拡大事務折衝会議すら、ドタキャンという不誠実ぶりに、あきれかえっている。

当局が誠実に論点を煮詰める努力をするのではなく、ドタキャンして平気な態度では、不当労働行為といってもいいであろう。

ともあれ、教員組合執行部は、もはや事務折衝の段階ではなく、上記諸問題について、団体交渉の場で議論を詰めるべきだと考え、団体交渉要求書を作成し、提出することとなった。

 

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12月18日 教員組合週報が発行された。5月から7月にかけての、SDシートの登録・記入をめぐる諸問題について、組合員にアンケートし、それを整理しておいたものである。現在進められている総括的な評価の記入段階(3月までの総括を12月に行うという、タイムジュール第一主義の期限設定)において、問題点を組合内外に明確にしておき、総括に関するSD記入に当たって注意を喚起し、いずれ、もう一度、組合として総合的なアンケートを行うためのものである。

何が何でも「教員評価」を行った、こんなにもたくさんの教員が参加した、という『実績』が欲しいのであって(そうすれば、この政策を推し進める人びとの身は安泰、栄転・昇格、しかし、・・・)、SDシートがはらむ本質的な問題点や多様な疑問点などには、目もくれない(荒廃した大学が残るとしても、それは知ったことではない)、というのが、 この間の当局の態度であるようである。(下記のアンケート結果には、そうしたやり方に対する静かだが深い怒りが満ちているであろう。)

それに対して、教員組合は、そんなことでいいのか、教員評価はきっちりと考えるべきではないかとの見地で、指摘されている問題にはどのようなものがあるかを確認し、今後の検討のため、改善のため、教員評価のあるべき姿を模索し、構築していくため、行動している。

 

教員評価において、内外の大勢は、ピアレヴュー制度を求め、その確立のために努力している。Self Developmentと教員評価の関係が、たくさんの角度から問題にされている。

SDシートのような主観主義的資料を、「出さないと最低の評価がありうる」などと脅迫し(つまり、制度の問題点に対する反省なしに、不名誉な「処罰の行使」という力で押し付けようとする)、これがうまくいけば(「高い割合」の参加があったので、うまくいっている、正当化された、マイノリティに対しては不参加の理由をきちんと検証するなど面倒なことはしないで「脅かせ」ばたりる)、処遇にまで反映させるようなものとして考えている当局は、大学内外の事情を知らないものといわなければならない。

表面的な「評価」制度の傾向のみを確認しているだけであろう。素人による制度設計、妥当性を欠く目的外利用、大学以外の企業社会などの制度の盲目的導入・適用、といった問題点が浮かび上がってくる。

 

 

------横浜市立大学教員組合週報------

 

 組合ウィークリー

 

2007.12.18

 

 

もくじ

 

       SDシートのアンケート結果

 

 

       SDシートのアンケート結果

 

今年度初夏に行いました教員評価のSDシートに関するアンケートの集計結果をお届けします。多くの方々からご意見を頂きまして有難うございました。そのアンケートに寄せられたご意見は、いずれも本制度の運用を行う以前に解決しておかなければならない問題等が山積していることを示していると思います。記述していただいたご意見は、重複するものも多かったので、各項それぞれ約10ほどにまとめさせていただきました。

現教員評価制度については、昨年度の試行の結果どのような問題点があり、それをどのように改善したのかが、未だまったく我々教員側に示されていません。この点にも当局の不誠実さが如実に現れています。その上、教員が納得するまでは評価の結果を給与に反映しないという約束にもかかわらず、平成20年度からの教員評価の結果を職務業績給の号数決定に活用する旨の提案をしてきています。信義にもとる態度と言わざるを得ません。

今、今年度の教員評価もいきなり大詰めの段階を迎えようとしています。まだ、年度が終わっていない、この12月の段階に3月までの一年間の自己評価を要求しています。まさに拙速な行為と言うべきです。教員組合としては、年間の自己評価の総括として行われることになっている一次評価者との面談の後にも、再度、組合員の皆様にアンケートをお願いする予定です。SDシートによる現教員評価制度の不備・根本的問題を正して行きたいと思っておりますので、ご協力の程をお願い致します。

 

 

SDシート(19年度教員評価)に関するアンケートの集約

 

 

SDシートを提出(本登録)しましたか

提出した

68%

提出していない

32%

一部分だけ提出した

0%

1次評価者から提出の催促がありましたか

あった

20%

なかった

80%

「今回の教員評価の結果は処遇に反映されない」ことを知っていましたか

知っていた

75%

知らなかった

20%

無回答

5%

「教員に納得してもらえる評価制度になるまで評価結果を処遇に反映させることはない」という副理事長の言葉を知っていましたか

知っていた

75%

知らなかった

20%

無回答

5%

学長の目標および各組織目標は適切だと思いましたか

思った

5%

思わなかった

59%

 

どちらでもない

14%

 

見ていない

5%

 

読めなかった

5%

 

無回答

14%

 

●提出された人(一部分だけ提出した人を含む)にお聞きします

 

SDシートに記入するときに困ったことはありましたか

あった

73%

なかった

27%

SDシートに何か問題点や不適切な点がありましたか

あった

73%

なかった

13%

不明

7%

無回答

7%

SDシートの改善について意見がありますか

ある

60%

ない

20%

回答なし

20%

提出後に1次評価者から何か言われたことがありましたか

あった

20%

なかった

67%

回答なし

13%

1次評価者から書き直しを求められたことがありましたか

あった

33%

なかった

33%

どちらでもない

13%

無回答

20%

提出後、了承ではなく保留や差し戻しにされた項目がありましたか

あった

33%

なかった

47%

知らない

13%

無回答

7%

 

●提出されていない人にお聞きします

 

 

SDシートに何か問題点や不適切な点がありますか

ある

43%

ない

0%

無回答

57%

SDシートの改善について意見がありますか

ある

29%

ない

14%

無回答

57%

 

 

 

学長の目標および各組織目標が適切だと思わなかった理由

中身が空虚。このような表現で年度末に正しく評価できるのであろうか。TOEFUL500の進級要件を満たすにほど

遠い結果を出した責任者である共通教養部長を、責任をとらせることなく副学長にするような学長が、適切な評価

ができるとは考えられず、評価制度を言う資格はないと思います。

全体の目標はとても漠然としたもので個人の目標とどのように関係つけて良いのか良く分かりませんでした。具体

的な目標ではないので(例えば「分かりやすい授業をする」といった感じ)、達成度をどのように測るのかが今ひとつ

よく分かりにくいかと思います(これは、全体の目標も個人の目標も)。

学長の組織目標は、組織目標に値しない。横浜市立大学のポリシ−を感じないし、どこの大学でも該当するような

ことしか書いて無く、自ら学長の器でないことを表明している。該当各組織目標も温度差があり、具体的だったり、

抽象的であったりとまちまちである。

提出期限までに、組織目標を書かなかった一次評価者いるようであるが、組織上問題なのではないでしょうか。

目標としてあたり前な事項しか示されていないように感じられた。SDシート作成マニュアルからすると、もっと具体

的な目標が示されるのかと思っていた。組織目標が特定の方向性に偏っているように感じた。少なくともコースの

目標は構成員の意見を取り入れて、決められるべきだと感じた。

今年4月に行われた人事をみても、評価がでたらめであることは判然としている。このような状況で評価がうまくい

くわけがない。学長の言っていることには重みがない。

抽象的すぎる。無意味な表現ばかり。日本語でお願いしたい。

すべての点で。全く具体的なことが書かれていない。

学長は本学を教養系の大学にしたいようですが、私は、独法化前の専門重視の大学であり続けたいと思っていま

すので、根本的な部分で考えに相違があります。

学長が設定した目標に合わせて、自己目標を立てるという形式自体がまちがっている。

評価者も書くのに困ったのではないかと推測される。即ち、目標を絞りすぎると個々の目標を書く教員が困り、漠然

と書いたのでは立場上問題を指摘される可能性があるので、形式・建前だけ整えて書かれていると考えられる。従って、これらに振り回されることなしに、自分の理念と信念で書くのが最も適切であると判断する。

 

SDシートに記入で困った点

提出ボタンを押しても提出にならないことがあった。

具体的な目標というものがどういうものなのか(特に教育について)、今ひとつ分かりませんでした。

記入欄は、各学部の状況に応じて修正している様に書いてあったが、共通教養、専門教養に該当するものがない。

Firefoxのソフトに不慣れなため、作業に時間がかかった。組織目標が画面上で上手く表示されなかった。

程度と範囲がわからなかった。具体レベル。一次評価者の選択にまよった。ウェイトを同率にしないことは知らな

かった。

何を書いていいかわからない。学部長からは、「記入の仕方を具体的に示す。」といわれたが、示してもらえない

ままだった。

どこまで具体的に書いてよいか迷った。インフォーマルな仕事?(たとえば学科としての諸調査)に関しても書いて

よいのか迷った。

何を書けばよいか分からなかった。

誰宛にだすべきか.すべてコース長とした(コース長はすべてを把握しておくべきと勝手に判断して)。従ってどの

部分がどこに届いたかどうかは不明。

シンポジウム主催などは、研究の一環と位置付けるか、市民(社会)貢献と位置付けるかがよく分らなかった。コー

ス会議は教育関係に位置付けるか学内業務に位置付けるか不明確であった。

 

SDシート記入上の問題点・不適切な点

100点満点を項目別に配分するのは意味がない。

誰が一次評価者になるのか不明であった。職員番号を入れるのだから、関係のない他学科の一次評価者の氏名

が出てくる必要はない。

研究と教育は密接に繋がっているため、分けて考えることが難しい場合があった。一部の内容について、両方の記

入欄に重複して記入せざるを得なかった。

一次評価者が選択できない箇所があった(地域貢献など)。 後日、ウェイトの多い人に自動的になると知った。

何を書いていいかわからない。学部長からは、「記入の仕方を具体的に示す。」といわれたが、示してもらえない

ままだった。

目標を出そうにも、具体的役割が決まっていないことに関しては記載がおおまかになってしまう。

学内業務について、こちらで計画は立てることはないので、不要だと思いました。

エネルギーの無駄。

差し戻しというのは、どちらにとっても非効率なので、記入例あらかじめ提示すべきだと思った。とくに初めてのこと

なので、今年度は当然そのようなものがあると思っていた。

Macから申請できず.(0Sが古いと入力できない)

共通教養の1次評価者の選択欄に余分な名前が入っていた。もっと事前に点検を行うべきである。

 

SDシートの改善についての意見

記入上の注意で、ウエイトを整数で入れる、領域間で同じ数字を入れるな等は、システム側で設定できるはずである。

学内業務について、今年度の役割がはっきり決まっていな段階での数値設定は難しい。入試作問などはそれなりのウエイトを占めてくるが、現段階では決まっていない。決まった段階で修正すれば良いのだろうが、また時間を割かなければならない。

一次評価者が選択できない箇所があった(地域貢献など)。後日、ウェイトの多い人に自動的になると知った。

もし、SDシートにまじめに取り組んだら、膨大な文字数になる。こんなものを書くのに、そんなに時間は割けない。

記入の仕方の例を示すと約束したからには、その約束は果たしてもらいたい。

作文長過ぎる。簡潔にする必要あり。時間は有効に使いたい。

学内業務についての計画は削除すべきだと思います。

多数の人間に信頼される制度をつくること

市民(社会)貢献と学内業務の1次評価者は、最高ウェートの項目の評価者ではなく、ウェートの合計が最も高い

1次評価者にする方が適切である。学内業務は、学内業務(学内貢献)として、学生のクラブ等の顧問など、必ず

しも業務とは限らないが、大学内で大学に直接的・間接的に貢献するものも多いので、学内貢献の言葉を含め

「学内業務(学内貢献)」等と表現するのが適切である。

 

提出後、一次評価者から言われたこと、書き直しを求められた点、保留・差し戻しにされた理由など

比重を変えたほうがよいのではないかと言われた。

担任としての責任を明白にするようと言われた。

言われることを期待したが、直接の連絡なし。

明確な指示ではないが、共通教養の1次評価者から目標を記述する際に参考にして欲しいというような趣旨の

メールが送られてきた。評価者は何を言いたいかもっと明確にすべきである。

言われたのは、教養ゼミ等の内容について、履修指導について記述せよとか、レポート、ノート作成指導をせよと

かである。後者に対する意見は不適当と思う。

教養担当者から、教養ゼミAについて計画を具体的に書くように求められた。教養ゼミに関して目標項目の追加を

お願いされました。

そもそもどのようなかたちで差し戻しや書き直し指示があるのかを知りません。学長や関連事務から送信された

添付ファイルは、不思議なほど「ウイルスの危険があり削除されました」ということになっていましたので、情報を

受け取ることができませんでした。

目標の記述の参考にして欲しいというような趣旨が含まれているメールが送られてきたが、明確な指示はなかった。

書き直しに応じず。

了承の確認は、自己責任であることを知らなかった。一次評価者から、確認して下さいとの連絡を受けた。

 

提出していない人の理由と、シートの問題点・不適切な点

出さないというわけではないが、学長からの回答を待って対応したい。

理由書は出した

評価者が,専門外の人であるから,公正な評価は考えられない.

こちらが聞いた疑問に答えないで、SDシートの提出を要求するのはおかしい。

教員評価をやること自体、多数の教員で合意し、決めたことではなく、学長以下大学の執行部が強制的にやらせ

ようとしたことであり、許せない。

大学自治、学問の自由、および教員の自発的教育研究意欲の尊重という観点、また、公正・客観性の確保という

観点、そして、教育・研究の向上のための効果の有無という観点のいずれから見ても、現行の評価制度は望ましく

ないものと考えております。改善をめぐる組合と当局の交渉を見守って、参加するか否かを個人として判断すべきだと思っております。

こんなやり方では,要領よく書ける人が評価される.シートの書き方の評価しか出来るまい.

このようなシートに記入することに教育・研究改善上の意義がなく、また、記入するよう強要するのは不当。

現場の教員の意見を聞くべき

なくすのが最も良い改善だと思います。

 

寄せられた様々な意見から

自己評価を文字どおりとれば、上級審が下級審の判決を破棄し、再審理させる「差し戻し」という言葉は不穏当

である。また、本学のシステムでは評価者のCredibilityが論理的に問題がある。

教員組合との話し合いがついていると聞いていると勝手に言った学科長がいる。

まだ手探りの段階でこれから改良が加えられていくかと思うのですが、改良する時にどのような問題があってそれ

に対してどのような考え方のもとで改良を加えたのかということを常に情報公開して欲しいと思います。

教員評価委員会事務局の対応に誠意が感じられない

システム導入を急ぎ過ぎである。もっと時間をかけて準備をすべきである。他大学や企業などの事例を良く検討し

(その結果を示した上で)、完全なものを目指してほしい(後発なのだから)。良いシステムとしてでき上がってから

でないと気持ちよく参加できない。

今回あったようなお粗末な入力システム上の問題は解決してほしい。余分な時間を使う余地はない。その時間を論文執筆や外部資金獲得に回した方が大学のためではないか、と思われるようでは問題がある。

出せといいながらカリキュラム長レベルの人たちの提出がぎりぎりまでなかったのは疑問だった。公開してモデル

を示すこともしないのはどうなのか。1次評価者に、仕事の指示・委譲ができない者がいて、自分の失敗は棚に

挙げ、トラブルの責任を部下に転嫁している。そのような人たちに評価されるのかと思うとぞっとする。自己の目標

や計画が明らかになり、自己点検として活用するのには有益だと思ったが、今のまま処遇に還元する形で活用さ

れるのは危険だと思う。

共通教養長からの差し戻しの理由(履修指導云々)に呆れた。こういう人の外部からの厳正な評価こそ必要。

教員評価を処遇に反映させることには、実施をするのか否かも含めて十分に時間をかけ、多くの関係者の参加の

下、慎重審議を行うべきです。しかし、「自己評価・自己点検制度」は本学に限らず、教育現場にまで押しつけられ

ようとしています。何ともやるせない気持ちです。

一般論でいうと、評価制度を嫌がる教員は、おそらく同情されない。だからこそ、何が問題か、わかりやすく示す

必要がある。新体制に移行したときの受験生の激減、どうして評価されないのか? TOEFL500問題の失敗と混乱、どうして評価されないのか? 学部解体に対する一般社会の認識、どうして評価されないのか?

反論もあるであろうから,評価は面談の上,伝えられるべき.

共通教養科目の教養ゼミ等の目標設定に対して、1次評価者が規制をかけすぎている(自分の考えで一律化しよ

うとしているように見える)感じがする。もし、それが正しいのであれば、モデルを最初から全員に貼付けてもらえば

よいことになり、個人個人の目標設定の本来の意味が失われてしまうことになる。目標設定は各教員によって異なって当然であり、一律化するのではこのような教員の志気を減退させるだけでなく将来的な発展性の妨げになる心配がある。ちなみに、共通教養科目に対しての共通教養長のコメントは教育目標・教育方針であって、個人目標とは異なった座標軸に位置するものである。科目の内容・教育方針・教育目標は、個人に無関係に大学のカリキュラムの中に位置付けられるべきである。

評価システムそのものを否定することはできないと思われるので、具体的な批判を書き込む形で「参加」する方向

がいいのではないかと考えている。

評価は避けて通れないから,内容をよくするという組合の立場も分かりますが,根本的なことを問題にすべきです.

自治があっての評価だと思います.

教員組合が学長に対して再度にわたって提出した質問状に対し、学長の不誠実な態度はあきれる。学長の非常識

で傲慢な態度に対して、教員組合はもっと強く非難をすべきだし、このような態度をとり続ける学長に対して、辞職

要求ぐらいはすべきだと思う。

断固拒否をつらぬくというわけではありませんが、不服申立て制度の改善について組合と協議する、等の約束を

当局から取り付けられるのが望ましいと考えております。

 

 

 

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12月17日 「上から」、「外から」任命された学長は、その任命者の考えをそのまま受け入れ、教員の昇任に当たっても、さらには管理職の任命に当たっても、「任期制同意」を条件とすると宣言したとか。代議員会か何かで報告(?)されたということである。任期制同意ということと各教員の研究・教育・社会貢献・大学運営の客観的なピアレヴューに裏付けられた能力・業績とは、どのように関係するのか?

 

任期制同意をハードルにして、それに従わない(公務員身分の継承として定年までの身分保障があることは当然の権利とするごく普通のスタンスだが)教員を、研究・教育・社会貢献・大学運営といった諸側面での実績を審査する前に、排除してしまうことは、大学の発展にとっていかなる合理性があるのか?

教員組合は、昇任や管理職任命はそれぞれの教員の能力・実績に応じたものを基準にすべきであり、その審査においても、ピアレヴュー原則で行うべきだとのスタンスである。教員組合の主張を論理的に一貫すれば、教員に対して、不当な任期制をハードルにした昇任人事についてはその関係条項の撤回を求め、管理職任命に関してはコースや学部の構成員による民主的選挙を基本にすべきであり、現在のやり方(経営サイドや学長サイドからの一本釣り)は拒絶するように(任期制同意は少なくとも拒絶するように)訴えるということになろう。その結果、大学運営が麻痺すれば、それこそ社会問題となるであろう。

当局は、粛々と、全教員の職務業績の実績をピアレヴューで判断・評価し、しかるべき人材を昇任させ・管理職等に任命する民主的制度を構築すべきだ、ということになろう。

 

そのような原則とその制度化を抜きにしてしまえば、いかに不合理な制度でも、「上から」、「外から」の力さえあれば、大学に押し付けることができるということになってしまう。まさに、それは大学の研究・教育・社会貢献等の自治的自主的発展を破壊することではないだろうか?

憲法の標準テキスト(「憲法23条」と解説:芦部『憲法』)が指摘するように、大学の人事、とりわけ学長や教授等の人事は、大学自治の根幹に、したがって学問の自由の根幹に関わってくるものである。最近の学長の行為(「任期制同意」を人事委員会にかける前提とするとの文書、管理職任命の前提に「任期制同意」を課すというやり方)は、まさに、大学自治破壊の進行の現状を端的に示すものではなかろうか。

こうした状況において、また、政策経営系の有力教授の割愛が出されたという。この有力教授は、この間、当局に対して相当に素直に(身を粉にして、身を切られる思いをして、いや実際にも身を切られて)貢献しつづけてきた人であるが、その内面においては脱出の気分が蓄積していた、良い話があったのでこれ幸いととびついた、ということなのであろう。どこの大学に移られるのか、いまのところ私には情報が入っていない。

こうしたことをみるにつけ、当局のあまりに強引なやり方に対しては、たとえばSDシートのやり方もそうだが、もうこれ以上は協力できないと、明示的にか暗黙のうちにか、たくさんの教員がボイコットをおこなう(脱出への意志を固めていく)ことになるのではなかろうか。シートの「従順な」提出者が増えれば(参加者の%をこれ見よがしに示して)、「それみろ、この制度はこんなにも認知され、協力され、成果が上がっているのだ」ということになってしまうだろうから。

 

ともあれ、教員組合は、正々堂々と組合の権利を行使し、事務折衝を続け、団体交渉を通じて、大学自治の再建のため、奮闘を続けるしかない。

今週のうちに、団体交渉に向けての拡大事務折衝会議を当局と組合執行部でおこなうこととなった。

 

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12月13日 卒業生の一人から、大学を心配するるメールが届いた。匿名情報として、紹介しておこう。在学生の多くも、同じ心配を持っているであろう。教員組合のHPを見てほしいのだが、教員は相当に必死で、「改革」のさまざまの問題点を指摘してきた。それが無視され続けている。しかしあきらめずに、それを突破する手段・自治再建の方法を模索中、というのが現実であろう。

 

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ご無沙汰しております.卒業生の1人です.

 

この数年間で市大を去る教員の数は大変なものになっていると思います.また,現在市大の教員であられる方も大変な苦労をされているように感じます.

 

とくに横浜市立大学の英語教員は大変な負担を強いられていると想像しています.

ある先生からのお便りでは,市大の英語の先生がこの3年間で3,4人辞め,今年度でまた1人去ると聞いています.

横浜市立大学の破壊はついに行き着くところまで行ったのではないでしょうか.

 

誰もが人間らしく働きたい,自分らしく生きたいと思っていると思います.しかし,横浜市立大学ではそれができない.ほんとうに横浜市立大学はつぶれてしまうのではないでしょうか.

 

母校のレベルが落ちたり,ましてや廃校になるとすれば,悲しい思いをするのは卒業生です.教員は単なる就職先としか思っていないでしょう.

 

僕には何もできませんが,横浜市立大学が少しでもいい大学になるように願うばかりです.

 

 

 

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12月12日(2) 昨日、理事長・学長名の公式文書「コンプライアンス遵守」なる文書が、メールで教員に送られてきた。単なる一教員の文書ではなく、理事長・学長という大学を代表する人々の文書だけに、これに関しては、すでに教員が各方面で話題にしている。稚拙・不用意な文章、誤字、誤った概念の使い方といった批評をはじめ、たくさんの意見・うわさが飛び交っている。日ごろ、日本語の使い方に敏感(批判的)な大学教員にとって、こうしたことに怒りを感じる人がいることは事実である。この文書が主張したい内容は、もちろん、みんなよく分かっている。

日本語も、なかなか難しい[4]

 

          市民社会と大学では、基準が違うのか?

「以前の時代」と「現代社会」とでは、規範は違うのか?

「慣例」とは、いったい何ということか? 「耳にした」ことを、「通知」の公文書で公然と語るのか?

「コンプライアンス遵守」という言葉は、適切か?

 法律等の諸規範に「従うこと」=「遵守」・・・とすれば、「従うこと遵守」ということになる? これは、重複、ないし、compliance単なるカタカナ表記と和訳というのではなかろうか。

これはそもそも、コンプライアンス(その意味内容)をきちんと考えた語句であろうか、といった意見である。

そもそも、「従う」べき、ないしは「遵守」すべき「命令」や「法」、「秩序」に関して、きちんと考えてのことだろうか?

 

また、法人化によって、法規範等の遵守の点において、基準が変わったのか?

それは、リベラルアーツとどのように関係があるのか?

リベラルアーツを掲げない大学は、許されるとでもいうのか?

 

たしかに、教員組合の諸文書(意見書・抗議文書等)が指摘するように、法人化への移行過程、法人化後現在に至るまで、法規範の遵守において、当局に対して、たくさんの問題点が指摘されているのだが・・・・

 

------英英-----

compliance .

noun

1. conformity: the state or act of conforming with or agreeing to do something

in compliance with the court order

2. readiness to comply: readiness to conform or agree to do something

Encarta(R) World English Dictionary (C) (P) 1999,2000 Microsoft Corporation. All rights reserved. Developed for Microsoft by Bloomsbury Publishing Plc.

-----英和--------

compliance /kəmplCɪəns/ 【名】【U

T (要求・命令などに)応じること, 応諾, 追従 with

in compliance with the law 法に従って.

U 人の願いなどをすぐ受けいれること, 迎合性; 人のよさ, 親切.

語源

comply-ance

New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1967,1994,1998

 

 

 

そもそも、教授会が年一回しか開かれない、昇任問題の不透明性、学長・学部長の任命が自治原則ではなく「上から」の方式でおこなわれているなど現在の大学自治破壊状態は、憲法という基本法の遵守という見地から言えば、根本的に問題ではないのか、そのあたりを理事長・学長はどう考えているのか、といった意見も寄せられた。

 

その人に対しては、教員組合HPで公開しているたくさんの文書を見ていただきたいが、教員組合は任期制の強制、昇任基準の決め方と適用のやり方をはじめ、法理・法規準の誤った適用が非常にたくさんあることを常々指摘してきたところである、とご返事した。いまのところ、無視され続けているが、いつの日か、教員組合の主張の正当性・合理性が証明される日が来るのではないか、その日のために、当局の一つ一つの不当な行為(不当労働行為だけではない)について、指摘し、批判し、訂正を求める行動を続けていくことになる、とご返事した。

 

----理事長・学長文書------ 

 

                   総第 355 号  

                          平成19年12月11日

各学部及び研究科

短期大学部 教員 各位

                 理事長 宝 田 良 一

                 学 長 ブルース・ストロナク

 

 

      本学におけるコンプライアンス遵守について(通知)

 

 現在、TVや新聞などのメディアで報道さているためご存じであると思いますが、名古屋市立大学大学院医学研究科において、博士号の論文審査について金銭授受が行われており、刑事事件として元教授が贈賄容疑で逮捕されたという事件がありました。

このことは、教育の現場である大学においては、より一層の倫理的責任が求められるということの警鐘であると受け止めるべきでしょう。

以前の時代においては、大学によっては学位の授受に当たって謝礼等の名目で金銭の授受が行われていたなどという話を耳にしたこともありますが、現在社会ではそれは許されるべきことではありません。

法人化し、リベラルアーツ教育を掲げる本学においては、このような慣例は絶対に許さないと考えています。

今回は他学の事例ではありますが、これをひとつのきっかけとして、改めて、各自がそれぞれの教育の現場において、コンプライアンス遵守を確認し、適切な対応をとることを望みます。

 

 

 

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12月12日(1) 大学評価学会の第5回全国大会のプログラムがほぼ最終確定した。重要なテーマで、豊かな内容になっていると感じる。多くの参加を期待したい。

 

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大学評価学会第5回全国大会プログラム(二次案)

 

テーマ;「大学教育の『質』をどう扱うか―評価と多様性―」

日時;2008年3月15日(土)9:30受付開始〜16日(日)17:00終了

場所;大阪大学・豊中キャンパス(大阪府豊中市待兼山町、tel 06-6850-6111)

最寄り駅;阪急・宝塚線石橋駅下車徒歩約10分、大阪モノレール柴原駅下車徒歩約5分)

 

3月15日(土)

10:00〜12:00 会員報告<報告者募集中>

12:00〜13:30<昼食休憩、第6回理事会>

13:30〜14:20 年次総会

14:30〜14:35 開催校挨拶;大阪大学学長あるいは副学長(予定)

14:35〜18:00 シンポジウム

テーマ; 「大学教育の『質』をどう扱うか―評価と多様性―」

最近の大学改革のなかで「質保証」「質評価」「質の向上」等々、教育の「質」が問題にされることが多いが、その「質」の何であるか、内容にまで踏み込んで議論されることは少ないように思われる。多様なステークホルダーの視点からの社会的ニーズを汲み上げて調整を図ると同時に、世界と未来の教育を見越した大学教育の「質」を、いま論じる。

 

シンポジスト

1)“Innovating quality management of university education(大学教育の質管理を革新する)<仮題> ピーター・M・ハーテロー氏(オランダ・エラスムス実践哲学研究所

2)「題目未定」

山内正平氏(千葉大学)

3)「題目未定」

宮原明氏(富士ゼロックス相談役・元社長・前副会長、国際大学副理事長、関西学院大学理事)

  司会・コーディネーター;望月太郎氏(大阪大学)

18:15〜20:00 懇親会

 

3月16日(日)

10:00〜12:30 分科会(午前の部)

◆第T分科会 座長;村上孝弘氏(龍谷大学)

テーマ;「大学職員の働きがいと評価問題」

「FDの義務化」に伴って、昨今、教員評価特に教育評価のあり方をめぐる議論が盛んである。そこにおいては、「PCDAサイクル」に代表されるいわゆる「工学的経営学的モデル」の教育現場への導入が現実化されている。このような定量的評価は、職員の人事評価などにおいてもその影響力が大きくなっている。本分科会では、このような職員評価により生じている各大学職場の様々な変化の実態や、個々の職員の現状を報告していただき、「大学職員の働きがいと評価をめぐる問題」について検討を深める契機としていきたい。

1)「大学経営における自己評価と認証評価の関係」

山崎その氏(京都外国語大学)

2)「題目未定」

津田道明氏(日本福祉大学)

3)「題目未定」

中元崇氏(京都大学)

   4)「3年目から見た働きがいと評価問題」

藤田圭子氏(秋草学園短期大学)

◆第U分科会 座長;細井克彦氏(大阪市立大学)

テーマ;「国立大学法人化から4年」

2004年4月に国立大学法人制度が発足して4年が経とうとしています。2008年度は国立大学法人評価委員会の暫定評価の年であり、2009年度には総務省の政策評価・独立行政法人評価委員会の評価があって、最初の中期目標期間の評価が定まっていくことになります。評価の結果は、運営費交付金の額や組織の改廃、あるいは次期中期計画などに関わってきます。一方、経済財政諮問会議等では次期の中期目標に向けて評価のルールを見直しや大学再編を含む、大学・大学院の在り方に関わる青写真の検討・作成等も要請しており、すでに重要な争点にもなっています。ここ2、3年は各国立大学法人にとって試練の年になることは間違いないといえるでしょう。本分科会では、このような状況認識を持ちながら、国立大学法人が発足するまでの時期に国立大学協会などでどのように捉えられていたのか、そして、現に国立大学法人が発足してからどのような状態に置かれているのかを報告を元に検討したいと思います。

1)「国立大学法人成立の経緯」

田中弘充氏(元鹿児島大学学長)

2)「法人化で教職員は労働者であることを学んだ」
長野八久氏(大阪大学)

3)「国立大学法人化と教員養成制度の変質」

山口和孝氏(埼玉大学)

12:30〜13:30 <昼休み休憩、第7回理事会>

13:30〜16:00 分科会(午後の部)

◆第V分科会 座長;橋本勝氏(岡山大学)

テーマ;「認証評価機関を『評価』する」(仮題)

認証評価制度が導入されて3年が経過した。本学会では、制度導入期の第2回全国大会(駒澤大学)で制度の内容理解を中心とした分科会を設け、多くの会員の関心を呼んだが、既に多くの大学が認証評価を受けている現時点で改めて制度の意義と問題点を整理し、今後の制度のあり方に向けて議論を深めたいと考え、再度、分科会を設けることとした。話題提供者は3名。大学評価・学位授与機構の荻上紘一氏から「機構」の認証評価を、また、元大学基準協会の前田早苗氏から「基準協会」の認証評価をそれぞれ自己評価・総括してもらう一方、九州大学の佐藤仁会員にこの代表的2評価機関を中心に、認証評価機関全体の状況を第三者的に分析・整理してもらう予定である。フロアからの意見も積極的に受けながら参加者全員で今後の認証評価制度のありようを模索したい。

1)「認証評価を自己評価する―大学評価・学位授与機構の認証評価の総括―」(仮題)
          荻上紘一氏(大学評価・学位授与機構)
  2)「認証評価は質保証足りうるのか
大学基準協会の認証評価の総括」(仮題)

前田早苗氏(千葉大学、元大学基準協会)
3)「認証評価機関に対する『評価』の視点について」(仮題)

佐藤仁氏(九州大学)

◆第W分科会 座長;熊谷滋子氏(静岡大学)

テーマ;「大学におけるハラスメント対策の現況と教育の『質』確保」

現在、多くの大学においては、セクシュアル・ハラスメント、アカデミック・ハラスメントに対して、相談窓口を設置したり、ガイドラインを作成したり、一定の防止対策に取り組むようになってきている。しかし、その対策には、まだまだ不十分な側面があり、被害を訴えても、きちんと対応していない事例もある。今回は、そのような状況を具体的に取り上げながら、どこにその問題点があるのかを指摘し、どうあれば改善するのか、防止できるのかを考える糸口を探りたい。さらに、ハラスメントを含めた人権侵害問題を大学評価のあり方の前提として考えるべきであることも確認したい。この分科会では、この問題に関心のある、または、悩みを抱える方々と共に、人権を大切にする大学づくりのための大学評価はどうあるべきか、語り合っていきたい。

1)「アカデミック・ハラスメント案件に対する大学の対応」

泉谷洋平氏(      )

2)「公立大学法人O大学セクシュアル・ハラスメント事件の概要と問題点」

櫻田和也氏(大阪市立大学)

事例研究;「被害者からのメッセージ」

〔代読〕竹内優理氏(大阪市立大学)

3)「キャンパス・ハラスメント対応の現状と問題点」

  吉野太郎氏(関西学院大学)

  4)「大学の非正規雇用・有期研究者の現状

―事例から見るアカデミック・ハラスメントの現状―」

吉澤弥生氏(大阪大学)

5)「全国の大学におけるアカデミック・ハラスメント対策の現状と問題点」

          御輿久美子氏(奈良県立医科大学)

 16:10〜17:00 総括討論                                            

連絡先;612-8577京都市伏見区深草塚本町67龍谷大学・重本研究室気付

大学評価学会事務局  sigemoto@biz.ryukoku.ac.jp  

URL; http://www.unive.jp/

 

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12月11日(2)グリーンスパンとともに活躍したルービン財務長官の『回顧録』も、興味深い。ルービンが「蓋然性の思考」、「確率論的思考」の持ち主であること、選択肢の多様な存在を前提に、議論を尽くして最善の道を求める手法・方法論をもっていること、それを実行することは、さすがに、と感じさせる。

 

第一章 21世紀最初の危機

 

「財務省のミーティングでは、一言で言うならば、疑問点を徹底的に洗い出して議論を尽くすことだった。ほかの選択肢を十二分に検討するためだ。ここでの議論はワシントンでむしろ異例で、序列はほとんど問題とされなかった。・・・このように形式ばらないやりかたは、どのような議論をすればもっともよい結論にたどりつくことができ、かつ生産的であるかについて、ウォールストリートとホワイトハウス内での私の経験を反映していた。そのため、たとえばその問題にもっとも詳しい若手が発言をためらっている様子を見せると、私はその若手の意見を引き出そうとした。私にとって重要なのは議論の価値であり、発言者の肩書きではなかった。

ミーティングがもっともよい結果を生むのは、受け入れられている意見に反対するメンバーがきちんと発言できるような場合だ。そこで、意見が一致しそうになると、私は必ず反対意見を求めた。私に反対意見を唱えることは、斥けられるのでなく、逆によしとされた。誰も異論を出さない場合は、あえて反対意見を述べるよう誰かを促した。『この方向に進んでいるのはそのとおりだが、反対の立場も知っておき、検討したほうがいい』というようなことを言い、私自身か誰かの反対意見を述べる。反論する自由と同じくらい重要だったのは、権力を持ったこのインテリグループが議論に自分のエゴを持ち込まないようにすることだった。それは悪化しつつある危機の最中に最良の答えを探し求めるうえで、ごく当然の方法であった。」(ロバート・E・ルービン&ジェイコブ・ワイズバーグ/古賀林幸・鈴木淑美訳『ルービン回顧録』日本経済新聞社、2005年、36ページ)

 

メキシコの危機に対する方策・・・二つの可能性(議会の審議を経ての400億ドルの信用保証による救済、あるいは、財務長官が大統領の承認を得て、自らの裁量で使うことのできる為替安定基金350億ドルによる方法)

 

実際には、議会の反対が強く、為替安定基金を活用する方向性へと動いていくが、「当初、私たちは」為替安定基金を「使わない方針だった。国の重要な問題について決定を下すには議会を経るべきだと、考えていたからである」と(同、37ページ)。これこそ、民主主義の王道だ。

 

11月に、また状況が不安定になったが、1995年末までに、救済策は定着しつつあった。投資家はカネを出し始め、外貨準備高も増えてきた。為替相場は安定し、金利はわずかに低下した。あらゆることがうまくいき始めていた。民間企業もまたメキシコへの融資を再開し始めた。1996年初めには、メキシコ経済は再び成長に転じた。セディジョ政権はアメリカとIMFに融資の返済を開始し、より条件の緩い民間債務への借り換えを始めた

     ・・・

1996年8月、メキシコはアメリカとIMFから受けた融資の未返済分105億ドルのうち70億ドルを前倒しで返済した。セディジョ政権は予定より3年以上も早く、1997年1月に返済を完了した。・・・メキシコは14億ドルの金利をアメリカに支払い、為替安定基金に5億8千万ドルの利益をもたらした。財務省債券で得ただろうと思われる岳より、この分超過しているということだ。」(54-55)

 

 

「メキシコや金融市場で事実が変化したとき、私たちは選択肢と政策を考え直したが、そのときにもこの蓋然的思考によるプロセスが続いていたのだ。政策決定においても、確固たるしかもオープンな知的やり取りが重要な意味を持つ・・・

 

政府においては意思決定がいかに難しいかがわかる。意見の不一致が手段についてだけでなく目的に関するものである場合、優れたい意思決定を下すことははるかに難しい。民間企業は顧客と従業員のことを最優先する。しかしつまるところ、すべては収益性という最重要目的にかなることに立ち戻ってくるのだ・・・。他方、公共部門では同じような正当性を有する多くの目的の元に事業が行われる。・・・・

メキシコ危機はまた、技術的複雑さ、長期的利益を得るための短期的損失、不完全な情報と不確実な結果、政治的利益を追求する機会、国民の不十分な理解に関わる問題に高価的に取り組むにあたって、アメリカの政治のプロセスに付きまとう難しさを示す実例であった。あいにく、今日の複雑な世界においてもっとも重要な経済的・軍事的・環境学的問題の多くは、この範例に当てはまる。・・・・

メキシコ危機はまた、アメリカのシステムの長所を示すことにもなった。議会はそれ自体では行動できず、しばしば私たちの努力をややこしくするだけだがたとえばモラルハザードといった重要問題により多くの注意を向け、あらゆる視点を抜かりなく考慮するのに役立つ。これはもっと一枚岩的なシステムではしばしば見失われる価値である。」(56-57)・・・この点も、民主的多元性の重要性の確認であろう。しかし、

 

「私たちの計画を引きうけることができたのは、予測される大きなリスク―現実的で政治的なリスク―を進んで負おうとする大統領と政府だけだったかもしれない。分析の誤りや予知できない状況のせい、あるいは予知できるリスクが実際に起こっていたために、失敗していたかもしれない。もし確率が正確に3対1と予測されるならば、4回に一回は失敗することになるのだ。不幸にもワシントンは―政治のプロセスとマスメディアは―意思決定の質でなく、結果だけを基準にして判断する。そしてなんらかのレベルで人間は誤りを犯すものだということをほとんど認めようとしない。これは政府の側での、過度のリスク回避に繋がりやすい。民間でも同じ問題は存在する。私の経験によれば、ことにトレーディングと投資の結果を判断することにおいて、それはもっとも深刻だ。しかし民間企業のほうが、結果の先を見て理に適った建設的な評価をしなければならないと認識している度合が高い。」(57-58)

 

「政府」関係者が、いかに優れた人びとでなければならないかを意味する。

 

「私がもっとも気がかりなのは、他の土地でのグローバリゼーションと経済状況をめぐるあらゆる問題がアメリカの雇用、生活水準、経済成長に及ぼす影響の大きさと、こうした国際経済問題に合衆国のリーダーシップがどれほど重要かを一般国民が理解していないということだ。6年半のワシントン生活の間、何度も何度も認識したように、この結果、貿易自由化、国際金融危機への対応、対外援助、世界銀行とIMFの資金調達などに対する国民の支持―ひいては政治家の支持―は、もっともうまくいった場合でも獲得することは難しい。」(58-59)

 

「経済的リーダシップという国際政治の問題に関しても、私たちは大きな難題に直面する。メキシコでは、そして後のアジア金融危機では、G7、IMF、世界銀行などとの相互関係で発揮されるアメリカのリーダーシップが、効果をあげるために必要だった。しかも最も関係の緊密な同盟国でさえ、アメリカの役割については相反する感情を抱く。リードしなければ批判され、リードすれば憤慨されるのだ。財務省で私たちが得た教訓は、ほかの国といっそう精力的に協調をはかり、現実的に可能な場合には常に合意に達するよう始めるべきだというものだ。しかし私たちはまた、時にはほかの国が望む以上の領域にまで推し進める必要性を感じることにも気付いていた。」(59)

 

第二章       市場に学ぶ

 

28歳で、ゴールドマン・サックスに入社・・・アービトラージ(裁定取引)部門に。

 

「昔ながらの裁定取引は、ある市場で何か買い、同時にほかの市場でそれを売って、利ざやを稼ごうという程度の単純なものだった。通信手段が未発達だった第二次世界大戦前まで行われていた、旧来の裁定取引とは、異なる金融市場での価格差をうまく利用しようとすることだった。単純な例をあげよう。

英ポンドはロンドンで2・42ドル、ニューヨークでは2・43ドルで取引されているとする。ロンドンでポンドを買い、同時にそれをニューヨークで売れば、242ドルにつき1ドルの利益が必ず手に入る。

この種の裁定取引のリスクは、取引が長びいて完了しない場合以外にはない。20世紀前半、多くの企業は、異なる市場における同一通貨・証券相場のわずかな価格差から着実な収入を得ていた。

しかしながら、コミュニケーション技術の進歩に伴い、伝統的裁定取引からこうした利益が消えた。ポンドがほかの市場でいまいくらで取引されているか、リアルタイムでわかるようになると、大半の場合、相場の差はごくわずかになり、利用する甲斐もなくなったのだ。

ところが第二次世界大戦後しばらくして、グスタフ・レビーが『リスク裁定取引』と呼ばれる新しい分野を開拓した。れビーは、ゴールドマン・サックスでおよそ4半世紀後に私の上司となった人物である。旧来の裁定取引では、同じものを同時に売り買いするが、リスク裁定取引では、最も単純な場合、まずある株(A)―これはすでに発表されている出来事(たとえば合併など)現実に行われた時点で、ほかの株(B)と交換する―を買うのだが、 買いと同時にBを売って取引の危険を回避し、利益を確定する。リスクの要素がないわけではない。AをBに交換できるかどうか、確かではないからだ。取引は完了せず、成立しないままに終わるかもしれない

1950年代以来、ウォールストリートでリスク裁定取引というと、合併、株式公開買い付け、分割、部門売却、倒産などの重大事件の主役になっている企業の証券を買うことを意味してきた。

ここで仮に、B社がA社の友好的買収を公表したと考えてみよう。A社の株式2株がB社の株式1株と言う比率で交換される。B社が1株あたり32ドルで取引されているとする。買収対象であるA社の株は、買収が発表される前13ドルだったが、発表後は、買収が完了したら1株16ドル(B社株が32ドルのままとして、その半分)の値になる計算に基づいて、14.50ドルに値を上げた。リスク裁定取引では、A社株を買い買収が完了すると受け取ることになるB社株空売りする。ここで、空売りとは、まだ持っていないものを売って、市場のリスクを回避することを意味する。言いかえれば、こうして、買う品目(A)売る品目(B)と交換されるときに、Bが値を下げている可能性を予防するのである(実際に所有していないものを売るには、手数料つきで借りる必要がある)。

買収が完了するとA社株と引き換えに受け取るB社株を手に入れ空売り分を受け渡す。借りたものを返済して、ポジションを清算するのである。

取引価格と初めに確定した価格の差が、利益になる。

空売りの結果、B社株がどう動いても、問題ではない。B社株が5ポイント下げても、すでにB社株を空売りしており、すでに買ったA社株に対する利ざやを確定しているのだから、影響を受けることはない。

 しかし、この利益は、取引が完了して初めて手に入る。

買収交渉が不調に終わったら、手元に残るのは、「交換を見込んで買ったA社の株をプレミアムつきで売ったポジション」と「B社株の売り持ち」であり、どちらか一方あるいは両方に損失が出るのはおそらく間違いない。

この種の取引では、潜在的利益は旧来の最低取引よりはるかに大きい。仮説としてあげた例では、14・5ドルの値がついた1株につき、1・50ドルが利益になる。

しかしリスクもまた、ずっと大きい。買収はいろいろな理由で失敗に終わることもあるからだ。実際には、こうした取引は、はるかに複雑ではるかに興味深いのだ。」(61-63)

 

「いまは、いろいろな点で話を単純にしている。実際にはほかにも、合併が決裂し、その状況によって、自分の買った対象社株が合併発表前の底値よりも下落する、あるいは買収企業の株―空売りした企業の株―が上がるというリスクも、要因として含めなければならない。または、もっと悪く、この両方が同時に起こることもありうる。さらにこうしたケースでは投資を決めたあと、のんびりと数ヵ月後の結果を待つわけではない。合併が成立する見込みは時がたつうちに、リスクが生じたり収まったり、株価が変動したりと、常に変化する。私たちは現状を把握し、勝算を計算しなおし、もっと買うか、ポジションを減らすか、いっそすべて生産するかを決めなければならなかった。もちろん、裁定取引人であれば、一時にこうしたいくつもの取引を抱えているものだ。大量に行わなければならないのは、裁定取引は保険同様、リスクや配当を数理的に算出するビジネスであるからだ。場合によっては損をすることもあるが、平均の法則のおかげで、長期的に見れば儲けを見込むことができる。」(68)

 

 

ここにも、多数の競争者の登場とその激烈な競争(損の押し付け合い・得の奪い合い)のなかで実現される「平均の法則」が出てくる。だが、変動常なき大量の損得状況の「平均の法則」として、「儲け」があるとすれば、その儲けの成立根拠は何か?

この一番肝心のことが、あきらかにされていない。経験的事実だけが述べられているに過ぎない。価値論、剰余価値論、価値増殖の理論、その根底にある労働価値論といったものが、彼らには存在しないからだ[5]

大量的現象としての「配当」の成立根拠は何か?(「配当」の根拠となる利益は、どこから生まれるか?)

それは、競争(市場)でほかの人・ほかの企業から奪ったものか(その場合、「配当」の総量は変化しない。配当の総量自体はどこから生まれるか?)、生産過程における価値増殖(その一つの形態が「生産過程の創造的破壊」)が根底にあるのか?

月の存在と潮の満ち引きの関係は、太古から太陰暦において示されるように、経験的事実として、人類が世界中で活用する。だが、月と地球との間に引力が働くという科学的発見は、ニュートン力学の誕生による。そのニュートン力学、古典物理学の完成の後も、その科学的真理を理解しようとしない人々、目の前の経験的事実としての潮の満ち引きを利用することだけで満足する人々、実用的に活用する人々は多い。現象にしがみついて、それで満足する人は多い。

 

 

「私が通うシナゴーグのラビは面白い人で、レオン・クロニッシュといった。私たち中高生もユダヤの思想にかかわれるようにと努めておられ、私が高校二年のとき、自分は因習的な意味では神を信じていません、と言われた。ショックを与えるためではなく、倫理学や哲学的議論をさせようと仕向けたのだ。こうした議論で、私は初めて『ヒューマニズム』と言う言葉を知った。しかしラビ・クロニッシュとの話で、何か特定の思想を知ったと言う以上に、私は疑ってみること、知的探求を行うことの意味を学んだ。それは後年、私の人生の中核となった

マイアミ・ビーチが米南部の保守的な地域の一部と思う人はめったにいない。しかし妹ジェーンと私が通った学校は人種別の白人校だったし、ウールワースでは『黒人用』『白人用』と水のみ場が別々だった。ジェーンはこれに抗議するべく、『黒人用』水のみ場から水を飲み、バスで黒人用の後部席に座った。周囲の人から人種偏見を表わす言葉を聞いた覚えはないが、これほど多くの人たちに対して際限ない不公平が行われていることをはっきり意識していたわけでもなかった。」(79)

 

大学二年生の哲学入門の講義:デモス先生(ギリシャ人)

「デモス教授は証明可能な確実性があると言うプラトンらの哲学者を尊敬していたが、私たちに教えたのは、人の意見や解釈はつねに改訂され、さらに発展するという見解だった。・・・私たちには、分析の論理を理解するだけでなく、その体系が仮説、前提、所見に拠っている点を探し出すことが求められた。

こうした考え方は私の琴線に触れた。・・・『証明可能な絶対的なものはない』。同時期のハーバード大学の精神もこの姿勢の土台となっていた。クラスメートらはものの見方として、定説を受け入れず、権威を疑問視した。あとになって思えば、主張や命題を額面どおり受け取らないこと、見聞したことは逐一、探究と懐疑の精神に従って評価することこそ、大学で得た最も貴重な収穫だった。・・・絶対的な意味で何も証明できないと言う概念をいったん自分の心に取り込むと、人生をそれだけますます確率、選択、バランスで考えるようになる。証明可能な真実がない世界で、あとに残る蓋然性をいっそう精密にするためには、より多くの知識と理解を身に着けるしかない。・・・・」(84)

 

ハーバードを最優等の成績で卒業、一度はそのままロースクールに。3日で合わないと感じ、LSE(ロンドン)に留学を決意。コスモポリタン的雰囲気を体験。

「これまで私が見聞きしていたものとはまったく違う経験をし、異なる意見を持つ人たちと知り合ったことで、考え方が広がった。ハーバードでは生活水準と経済の話を思われていたことを、第三世界出身の友人たちは、尊厳と経緯の問題でもあるととる。たとえば、途上国の人々は、英米人と同等にすぐれていることを示すために、自国の製鋼所や航空会社を保有したいと望む。低賃金の国で、そのように資源を割り当てることは経済的に効率が悪いという反論があっても、である。・・・重要な教訓は、個人の尊厳をしっかりと認め、尊重することがいかに大切かということだ。この思いは、時がたつにつれて、ますます大きくなった。個人の尊厳はそれ自体、基本的な価値観である。そして、人から認められたいという基本的なこの心理的欲求を知ることはまた、あらゆる類の経営および政策問題に対処する際―ウォールストリートのトレーディングルームを仕切るときも、国際経済政策を作製実行するときも―不可欠となる。」(89-90)

 

ベンジャミン・グレアムが1934年にデビッド・ドッドとともに書いた古典『セキュリティ・アナリシス』

「グレアムとドッドによれば、短期的に見た場合、株式市場は『投票集計機』のようなもので、合理性より情緒や流行を反映するが、長期的には『計量器』のように、収益見通し、資産、リスクほかの基本的条件に基づいて証券を評価する。そこで投資は長期的にのみ、しかも価格がこうした要因を基本的に算定された基本価格を下回っているときにのみ行うべきだという。父はこんな風に証券を分析し、長期的に保有することを予想して投資した。数年もしないうちに株を売るとしたら、それは何かがうまくいかなかった、あるいは株価が上がりすぎて過大評価されている、ということだった。

今日でも、私はこれが株に投資する唯一の賢明な方法だと考えている。企業活動全体の経済的価値を考えるときと同じように、株の経済的価値を分析すべきなのだ。製鉄所であれハイテク企業であれ、株式は、その企業が将来見込める収益に、ほかの基本的要因―リスクやバランスシートに載らない資産など―を加味した現在の価値に相当する。長期的に見れば、株価はこの経済的価値を反映しているのだが、長い間その価値から大きく乖離することもある。投資家は時々この現実を見失ってしまうらしく、その結果、当然ながら予測しうる事態を招く。最新の例では、2000年と2001年にインターネット業界と通信業界の株が暴落したとき、多くの投資家が価値判断ではなく流行に従った結果、多大の損害をこうむった。このことと関連しているが、もう一つ別のポイントとsh智恵挙げられるのが、最大のチャンスは往々にして時流に逆らうところにあることである。

市場のとらえ方として、グレアムとドッドのアプローチも、私のハーバード時代からの懐疑主義に合致していた。市場を眺めて、価格が市場の大方の見方を繁栄していない証券を見つけようとすることに、私は大きな魅力を感じた。市場は効率的だというのが、不動の学術的原則である。つまり、株価は、その株に関するあらゆる既知の情報や判断を盛り込んでいるというのである。この効率的市場論に付随して、長期的には誰でも市場の効率に勝てないということも指摘される。しかし私がウォールストリートで見てきたことのすべてが―そして金融理論に関するもっと最近の考え方の多くが―


第七章 財務省の日々

 90年代、クリントン政権下の長期繁栄をどのように理解するか?

アメリカの長期の好景気は、その背後でアジア危機、ロシア危機などの要因を蓄積する過程であり、日本のバブル崩壊後の「失われた10年」の長期デフレ(産業空洞化)が進んでいた。

 

グリーンスパン、サマーズ、そしてルービンの

3人が何度も繰り返し話し合った問題のひとつが、アメリカの好景気だった。1996年の半ばまでに、拡大基調がしっかりと根づき、景気はなお好調な足取りで前進を続けていた。一般に賃金と物価の上昇圧力によりインフレが勃発すると思われる水準より成長率は高く、失業率は低かった。世間では『ニュー・エコノミー』という言葉が飛び交い、科学技術の進歩がこれまでの秩序と限界を覆したと思われていた。とどまるところを知らないにわか景気に、リスクを顧みず、積極的に投資する投資家も現れた。いまや景気循環果て名づけられ、企業は必ず儲けを出し、刑期は二度と後退しないだろうと信じてのことであった。」(265)

 

「グリーンスパンは、通常起こりうるインフレが起きていないのは生産性の向上によって説明できると輪rわれ3人のなかで一番早く仮の結論を出した。つまり、経済成長の制限速度は、われわれが想定していた速度を上回っていたのだ。サマーズと私はそれからしばらくして、グリーンスパンの説に同意した。

個人的には、生産性が再び向上し始めた一番の要因は、健全な財政再建であったと信じている。これにより長期金利が下がったことで生産性向上につながる投資が促され、企業と消費者の信頼が高まり、より大規模に外国資本がわが国に流入した。

また、二つ目の要因として、テクノロジーの進歩も見逃せない。・・・・」(266)

 

5つ目の要因も、変化を受け入れるわが国の文化的傾向に関連するが、貿易障壁が比較的低かったことである。市場開放に関する私の当初の考えは19世紀の偉大な経済学者デビット・リカードが提唱した比較優位の原則に基づいている。各国が他国と比較して最も効率よく生産される産物に特化し、それを他国と取引すれば、すべての国々が益を得るというものである。しかし、かつてグリーンスパンから思いもよらなかった点を指摘されたことがある。自由貿易の最大のメリットは、外国からの圧力によるアメリカ国内の競争意識である、と。企業は諸外国との激しい競争に打ち勝つために、経営を効率化しなくてはならない。貿易は、企業が生産性向上の必要性を認識させ、投資させるのである。対照的に、日本やヨーロッパでは市場開放が比較的限られているため、企業は庇護され、経営効率化の契機を逸する。」(267)

 

リカードは、まさに古典学派の完成者であり、労働価値論を科学的に推し進めた人物である。したがって、その根本において、(人間)労働の生産性への視点がある。

 

ルービンの理解においては、競争に打ち勝つために一貫して必要なことは、「生産性の向上」、「経営の効率化」である。

だが、それらは、具体的に何を意味するのか、何をやればいいのか?

 

現代の高度な科学技術(人間の頭脳労働)の成果とその生産体系への投入である。つまり、労働の生産性の向上、その具体化としての現代的生産設備の高度化が根底的要因である。

だが、労働の生産性を挙げるためにはどうすればいいのか。

まさに、人間の頭脳の働きを全面的に向上させ、その成果としての科学技術を高度に向上させること、それを現実の生産過程において実現する・具体化することである。

すべての人間の頭脳を活性化させ、自由に花咲かせ、高度な精神力を身につけさせることが、迂遠なようでも、総合的な一番の競争力の基礎となる。

教育制度の決定的重要性!

 

グリーンスパンもルービンも、格差問題、都市の貧困問題などに関心を寄せ、教育の問題に大きな関心を寄せている。「生産性」の広い人間的社会的基盤に関心があるということであろう。視野の狭い、いわゆる「経済学者」とは一味違う。

 

ルービンも、グリーンスパンと同様、シュンペーターの「創造的破壊」から学ぶ。

「オーストリアから亡命した偉大な経済学者ジョセフ・シュンペーターの指摘によれば、生産性を加速するような発展は、たいがい金融市場の過剰反応をもたらす。・・・」(267)

 

「クリントン政権下では、貧困との格闘に進歩が見られた。」(270)

 

勤労所得税控除の政策

勤労所得税控除はすばらしい構想であった。ロナルド・レーガン元大統領は、社会福祉政策には好意的ではなかったが、この政策には大いに賛同してくれた。労働に重点が置かれていたからである。」(271)

 

 

「当時の経験から、私は四つの重要な課題があると考えた。まず、もっともわかりやすいのが、国際貿易と資本市場の統合が飛躍的に進んだ結果、国際的な相互依存が生じているにもかかわらず、その関係がほとんど理解されていないことである。1998年10月にブラジルの蔵相ペドロ・マランから、ロシアの国会下院が増税を否決したあおりを受けて、ブラジルの為替レートが変動し金利が上昇したという過程を国民に説明するのは難しい、とこぼされた記憶がある。当時の国際経済危機は、経済が統合された世界では、遠く離れた国々の好景気が全世界の経済チャンスとなる反面、はるかにかなたの国の経済不安が自国の経済不安を引き起こしかねないという現実をみせつけたものであった。一国の経済的は成功が諸外国を潤すこともあれば、一国の失策が世界に危機をもたらすこともあるのだ。

この相互依存から、第二の課題が生じる。国内でも、国際的にも、すぐれた統治が重要だということである。『政府』と『市場』の対立という従来の概念は、多くの点で間違っている。市場経済には、法律や規則、教育、社会保障、法の執行など、市場では本質的に提供できない多くの機能が必要であり、それに適切に対処できるのは政府をおいてほかにない。」(291)

 

しかし、政府を担うのは、これまた人間である。優秀な人間が必要だということ。人間の精神的能力の全面的開花・向上の必要性。そして、すぐれた政府を構成するのは、結局のところ、それぞれの国民である。政府を担う政党人の優秀性もそれとの関連で重大な必要事項。社会の根底からの人間力の涵養が必要。

 

「また、われわれは主権国家に属している一方で、多国間の問題が増加の一途をたどっている。たとえば、貿易と資本の流れ、環境問題、テロリズム、公衆衛生問題などが挙げられるが、こうした問題も政府にしか対処できない。」(291)

 

政府第一主義。自分の長官としての功績の自覚とプレゼンテーション。

しかし、政府を担う人間たちの養成ということが、広い意味、長期的な意味、世界的な意味で最重要。

 

「さらには、グローバリゼーションによって、どうしても対処しなければならない世界経済の緊急課題がより重要になる・・・・一国の問題が他国に影響を及ぼす可能性があるならば、政府の役割はいっそう重要になるはずである。ある国の政府がうまくいっていなければ、そのダメージは国境を越えて波及しかねないからだ。また国際資本市場は、予期につけ足機につけ各国の経済政策に敏感に反応するので、政府の政策が及ぼす影響を増幅する。

第三に、・・・

 

第四に、経済危機に対処するための手段が市場の近代化に追いついていない。・・・経済危機をできるかぎり防止し、うまく乗り切り、グローバリゼーションのリスクにより効果的に対処するためには、いわゆる国際システムの『アーキテクチャー』が必要である。今回の緊急危機の管理に中心的役割を果たしたIMFは約60年前、資本投資ではなく貿易が国際経済を支配していた時代に、固定相場制の中で国債為替レートの安定を図るために設立された。しかし、グローバリゼーションによる変化の波には非常にうまく適応してきたものの、まだ課題は多い。経済危機がまだ猛威を振るっていた頃に着手されたIMFの改革は、複雑で長い期間を要することが見込まれている。これまで重要な進展はあったが、さまざまな問題に関して、まだまだ改善の余地がある。」(291-293)

 

アジア経済危機(1997年)に関連するルービンの日本批判

「アジア地域でさらに危機が飛び火するにつれ、アジアの二大経済大国である日本と中国の対応にもいっそう注目が集まった。日本はアメリカの50年来の主要同盟国であり、世界有数の富裕国になっていた。一方、中国は共産勢力に属し、わが国の戦略に反対することもままあった。しかし皮肉なことには、日本は、自らが不況から脱却することができなかったこともあり、その政策や慣行が危機をいっそう悪化させていた。中国の政策は肝心な場面で安定化を促進した。」(301)

 

日本への非難・・・日本の資本に対する批判ではなく。

「結局、日本の景気回復を見ないまま、国際経済危機は何とか収まった。しかし、日本経済の脆弱さが回復の足を引っ張り、アジアの経済不安を増大させたという見解は正しかったと、いまでも信じている。そして日本経済の弱さは、経済の安定に重要な役割を果たした中国とは対照的だった。」と、中国礼賛。

 

工業化の飛躍的拡大期に入った中国と、高度工業化の成熟段階で、アジア諸国との関係で、その労働の高度化に対応して、相対的に高賃金となり、したがって資本が対外直接投資(工場移転等)にむかったということ、これはみておくべきではないか? すなわち、

 

日本「自らが不況から脱却することができなかった」原因こそ解明されるべきである。

「その政策や慣行が機器をいっそう悪化させ」たというが、いかなる政策と慣行なのか、その経済不況との関連が具体的で説得力あるものであれば、すばらしかっただろう。それはどこにあるか?

「中国の政策」は、いかなる意味か?

後で述べられているように「多額の外貨準備高」の蓄積であるとすれば、まさにそれは、中国の輸出が、輸入を上回った、ということである。中国製品の輸出市場はどこだったのか?それが明らかにされなければならない。そのひとつが日本市場であったことは、確実であろう。日本のリストラ要因の重要なものの一つは、中国への生産移転→中国からの製品輸入、日本工業の空洞化、であろう。

 

       ルービンの日本の90年代長期不況のジャパンバッシングは、日本の「長期停滞」現象の背後にある構造要因(日本の対外投資、日本の工業の中国やアジアへの移転、日本の生産構造の空洞化、失業の増加、低賃金圧力、「就職氷河期」といった諸現象の連関を見ないで行われている。日本政府も、当時槍玉に上がったのは橋本内閣だが、そうした構造連関を指摘することはない。なぜか。日本の資本が、「世界の競争」「中国や東南アジアの低賃金圧力」などを掲げて、空洞化を推し進め、リストラを推進し、失業率を上げ、不安定雇用・ニートなどの増加をもたらしている主要アクターだからである。その意味では、アメリカ政府の日本批判は、日本の資本への批判、ということになろう。苦しんでいるのは、リストラの憂き目に会った日本の広範な勤労者大衆であろう。

ルービンが、アジア危機の時期における中国の行動を褒め、日本を非難するのは、中国の市場経済化の進展と日本の停滞との表裏一体の関係を見ないからだといえよう。ある意味では、同じ原因の表と裏の関係にあると見るべきであろう。

 

韓国経済危機・・・アジア経済危機の感染の要因と韓国独自の要因・・・「韓国経済システムkの中核にあるさまざまな構造上の問題」

「政府が銀行に特定の融資先を指定できる『指定融資』も問題だった。このような取り決めは、いわゆる『縁故資本主義』の根源だった。また、韓国は外国資本や競争の導入も制限していた。その結果、野放図で企業優先の銀行が破綻を免れ、金融上の制約もまったく受けずにすんでいた。韓国の経済再建には、基本的な問題への取り組みが必要だった。」(313)

 

「韓国は世界第十一位の経済大国」(307)

 

「われわれが一歩も引かなかったので、韓国はIMFの融資条件を真剣に受け止め始めた。韓国側は、ウォン建て資産保有の意欲が回復する程度に金利を定めることに合意した。指定融資は撤廃され、破綻した緊急帰還は閉鎖、もしくは再編ののち売却されることになった。また、韓国の金融業界に、外資系企業も含めた競争が導入されることになった。こうした韓国側の譲歩と引き換えに、カムドシュは12月3日、550億ドルの支援プログラムを発表した。IMFがそれまでに行ったなかでも最高額の支援プログラムだった。それでも、韓国の経済規模と比較すれば、メキシコ通貨危機の際よりも小額であった。」(314)

 

 

 

 

 

 

 

 

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12月11日(1) 久しぶりに矢吹先生発行の最新情報第二通目の『カメリア通信』51号をいただいた。すでに、新聞広告等で報じられて知っている人も多いだろうが、私自身は『週刊現代』を買っていなかったので、その内容を読み、驚いた。「廃校もあり」、「1100億円の赤字」とぶち上げられて強行された「改革」において、大学自治が破壊される状態となったが、あの豪腕の中田市長が、最近の報道が指摘するとおりの行為(公職選挙法違反、政治資金規制法違反、等)を行っていたとすると、「改革」のやり方の問題性も、その市長任命による経営者・事務管理職のもとでの大学運営の問題性も、いずれ多くの人の関心の的になるのではないかと予感される。5年前に辛勝したにすぎなかったが、昨年の3月の選挙では、オール与党的になり「圧勝」した。不思議なのは、「圧勝」後、わずか1年で、なぜこれほど、無所属(元自由党)議員などが提起するいろいろの問題が出てくるのか、ということである。「圧勝」が、実は上滑りのものでしかなかった、5年間の積もり積もった「鬱憤」が、ほころびから噴出し始めたということか。

 

教員評価問題、職務業績給問題、昇任問題など、山積する問題において、一貫して問題になるのは、大学の自治的あり方の欠如、透明性の欠如などであり、合理的説明の欠如の上での「上から」の通知・通達・命令の態度である。(ごく最近では、SDシート問題がある。なににがなんでもSDシートを教員評価の道具にしようと、適切な期限もやり方もきちんと検証しないで、強引に、「不利益措置」をちらつかせつつ、推し進めようとしている。SDシートは本来、自己発展のために活動全体を教育・研究・社会貢献などさまざまなチェック・ポイントに分解して、点検するためのものであり、他人があれこれ評価することに主眼があるわけではない。きわめて主観的なものである。大学教員評価においては、客観性、ピアレヴューこそが肝心だが、そんなことはお構いなし、「協力」する「従順」な教員の割合が多ければ、それでやり方が正当化される、とばかり。)

教員組合は、その一つ一つに異議申し立てをして(教員組合HPの諸文書参照)、粘り強く交渉を続け、大学自治再建の道を模索している。かろうじて、全面的な自治破壊を押しとどめている、というのが実感である。

教員組合の主張が正しいかどうか、その論理が通っているかどうか、HPで公開されているのだから、いずれ市民・社会が関心を持ったとき、検証することは簡単である。教員組合としては、正しいと考えることを正々堂々と主張し、それを無視されつづけても、いつの日か、無視できなくなる日が来ることを信じて、進むしかない。

 

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12月4日 「全国国公私立大学の事件情報」公開シンポジウム「研究・教育者等のキャリアパスの育成と課題」について(結果報告を知り、一読高等教育―高度の科学技術能力(労働力)を持った人材の育成が、これまで以上に目的意識的に追求されなければならないことが明らかになっている。博士定員だけ増やして、その後の進路をきちんと確保することなければ、せっかくの人材も腐る。社会的に大きなマイナス投資。

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12月3日(3) この間、非常に驚いたこと。アラン・グリーンスパン著山岡洋一・高遠裕子訳『波乱の時代―わが半生とFRB-』(日本経済新聞社、2007年11月刊)(EH-Net書評)で、グリーンスパンが何度も、アダム・スミスの経済学から一番影響を受けている、学んでいる、と書いていることである。新古典派経済学の潮流が、「経済学の主流・本流」と称して、世界を席捲しているという外面的風潮の背後で、古典学派中の第一の学者、アダム・スミスを、長期にわたってアメリカ経済の中央銀行(に当たる機関FRB)の最高責任者が一番、尊敬していたとはとの驚きである。かれはまた、シュンペーターの「創造的破壊」を非常に高く評価する。

レーガンのいわゆる新自由主義も、グリーンスパンの理解では、アダム・スミスの自由放任の経済学の流れを汲むものであり、「自由市場には自動修正機能があり、資本主義には富を生成する基本的な力があることを理解していた」と評する。「アダム・スミスがいう見えざる手には、イノベーションを促進し、概ね公正だと考える結果を生み出す力があると信頼していた」と。市場の自由な競争に対する信奉。

アダム・スミスの経済学は、政府の統制等に反対し、市場機能を信頼する「見えざる手」の経済学であると同時に、価格(価値)の実体としての労働を発見した経済学でもある。アダム・スミス経済学の最も根本にあること、経済活動の公正さの基礎にある等価交換原則、等価の等価たるの根拠である労働(対象化された労働、その質と量)の意味については、もちろん、グリーンスパンは語らない。

アダム・スミスの当時の手工業労働の段階、肉体労働の段階ではなく、科学技術労働(高度の精神労働)を駆使した生産システム(長期の対象化された労働の蓄積としての資本、その投下としての機械設備等の生産体系=資本ストック)で、「労働」が見えなくなっている。しかし、現代的労働は、まさに高度科学技術の知識体制を駆使する頭脳労働=精神労働が支配的であり、その科学技術の駆使と創造の力こそが、競争の中核にあり、次の時代を作り出す。「創造的破壊」は、科学技術の革新、頭脳労働=精神労働とその産物の革命的変革によるのであって、頭脳労働=精神的労働の自由な全面的発展的開花・活性化が基礎にあるであろう。

 

教育体系全体の重要性、そして、大学・大学院の決定的重要性、教育制度、大学のあり方の重要性。

その根本には、人間の諸能力の柔軟な全面的総合的発展、不断の活性化・上昇的革新という見地が必要なのであろう。

 

グリーンスパンが「創造的破壊」の最近の例としてあげる「ハイテク・ブーム」は、まさにハイテクを生み出す人間の科学技術労働とその生産システムへの投資(資本は対象化された過去の労働にほかならず、その蓄積されたもの)によって、創出された。

「情報技術の革命」は、それを担う科学者・技術者・経営者の企業・研究機関・大学等における活動(精神労働)による。その労働生産性の飛躍的上昇は、同じ情報を古い通信技術におけるよりも何万分の一、何百万分の一、何千万分の一の労働量で、したがって何万分の一、何百万分の一、何千万分の一のコストで送ることに他ならない。また、「情報技術の革命」は、市場予測・需要予測などの面での、あるいは市場創造・需要創造の面での革命であり、その双方においても、コスト削減に絶大な効果を発揮する。

 

グリーンスパンは、現象的には、「労働時間」短縮、労働力削減=「人員削減」、労働者の効率的配置など、労働価値説と同じことを指摘してはいる。

「新たな情報技術でリアル・タイムの情報が得られるようになると、日常業務に関連する不確実性は大幅に低下した。小売店のレジと工場の間、荷主と荷物を運ぶ運転手の間でリアル・タイムの情報を交換できるようになって、書籍から工場の機械まで、株価情報からソフトウェアまで、あらゆるものの提供に必要な労働時間が短縮されている。情報技術の発達によって、予備の在庫と従業員の大部分を生産的で収益性の高い目的に使えるようになったのである」と(上、245ページ)。アダム・スミス理解が、こういったところに反映している可能性がある。

 

ある分野の労働者数の労働時間短縮、人員・労働力削減の可能性は、雇用構造・生産構造・諸部門への生産配置の再編を意味する。古い産業の衰退・そこでの雇用喪失と新たな産業における雇用創出。新たな産業が求める労働力(新たな科学技術労働の能力)の必要性。・・・「創造的破壊」。

 

「誰の目にもあきらかだというわけでないが、職の流動性が高まったことも重要だ。現在のアメリカでは、転職が驚くほどの規模になっている。一億5千万人に近い労働力人口のうち、一週間に百万人が退職している。うち60万人は自己都合の退職だが、40万人ほどがレイオフされており、会社が買収されるか人員削減を実施した結果であることが多い。その一方で、新しい産業が成長し、新たな企業が生まれた結果、一週間に百万人が採用されるか,レイオフ期間が終わって職に復帰している。」(同上、246ページ)

 

グリーンスパンは、1996年秋の好景気段階での、政策金利引き上げをめぐる論争で、「賃金がついに上昇し始めた」時点での、労働生産性の問題(分野別格差・散らばり、統計問題)を取り上げている。ここにも、アダム・スミス理解が反映している、といえようか。

 

「企業は従業員を維持するか引きつけるために賃金を引き上げなければならなくなると、すぐに販売価格を引き上げてコストの上昇分を転嫁しようとする。教科書どおりの戦略は、政策金利を引き上げ、経済成長率を低下させ、インフレを目のうちに摘むというものである。だが、これが通常の景気循環とは違っていればどうだろう。情報技術の革命で、一時的ではあっても経済の成長力が高まっていればどうだろう。その場合、利上げは間違った政策になる。

私はもちろん、インフレをつねに警戒していた。しかし、FOMC委員の多くが考えているより、インフレのリスクは確実にかなり低いと感じていた。この場合、問題は経済学の常識ではなかった。この点で経済学の教科書に間違いがあるとは思っていなかった。経済統計に問題があると見ていたのだ。わたしは、ハイテク・ブームの最大の謎と考える部分、生産性の問題に狙いを定めた。」(同上、249ページ)

 

アダム・スミス経済学の基礎は、まさに労働の生産性にある。『国富論』冒頭の分業論は、時代の最先端を行く労働生産性の手法・形態を論じたものである。

 

        「商務省と労働省が発表する統計では、コンピューター化のトレンドが長期的にわたって続くなかでも、労働生産性(労働時間一時間あたりの生産高)は事実上横ばいになっていた。どうしてそんなことがありうるのか、わたしは理解できなかった。毎年、企業はデスクトップ・コンピューターやサーバー、ネットワーク、ソフトなどの胚的製品に巨額を注ぎ込んでいる。わたしは長年、設備投資計画について多数の経営者に助言してきたので、そうした購入決定がどのように行われるかを知っている。経営者が高価な機器を発注するのは、投資によって生産能力を拡大できるか、従業員の一時間あたりの生産高が増えると信じているときだけだ。購入した機器がどちらの目標も達成できなかった場合、経営者は購入を止める。ところが、経営者はハイテク機器に資金を投じ続けている。この点は、早くも1993年に¥、ハイテク機器の新規受注が長期にわたる低迷を抜け出して加速し始めたときにあきらかになっていた。ブームは1994年にも続き、新しい機器を購入した当初に、利益に好影響が出たことを示している。

それだけでなく、政府の生産性統計に問題があることを示す点で、さらに説得力のある事実があった。大手の企業で営業利益率が上昇していた。だが、販売価格を引き上げた企業はごく少ない。これは単位コストが横ばいか低下させしていることを意味する。経済全体で見た統合コストの大部分は労働コストである[6]。したがって、単位労働コストが横ばいか下落しており、時間当たり平均賃金が上昇しているのであれば、そして、これらのデータが正確であれば、計算上、労働時間一時間あたりの生産高は確実に伸びているといえる。生産性は実際には上昇しているはずなのだ。確かに上昇していれば、インフレ率が上昇するとは考えにくい。」(同、250ページ)

 

数十の産業ごとに、労働生産性統計を出すことを命じる。その報告書を使ってのグリーンスパンの主張:

 

「政府の経済指標では長年にわたって、生産性伸び率を過小評価してきたように思える。たとえば、サービス産業では生産性がまったく向上していないことになっている。それどころか、政府の統計ではサービス産業の生産性は逆に低下してきたとされているようなのだ。これがどう見てもおかしいことは、FOMC委員の全員が知っている。法律事務所、企業向けサービス企業、医療機関、社会サービス団体といったサービス産業は、製造業などと同様に自動化と合理化を進めてきたからだ。・・・」(同、251ページ)

 

グリーンスパンの主張がとおり、11対1で、政策金利を5,25%に据え置き。

 

FOMCはその後もしばらく、利上げの必要があるとは考えなかった。6ヶ月後に利上げを実施したが、5.50%までであり、理由も違っていた。経済が着実に成長を続け、失業率が低下し、インフレが抑制された状態は、その後4年にわたって続いている。利上げを急がなかったことで、好景気が戦後最長の期間にわたって続く道を開く一助になれたのだ。これは、金融政策の決定に当たって、経済モデルだけに頼るわけにはいかないことを示す典型例である。シュンペーターならおそらく、こう主張したはずだ経済モデルも創造的破壊の対象になるのだと。」(同、252ページ)

 

1996年10月半ば、ダウ工業株平均が6千ドルを突破。

1997年のはじめてのFOMC会合が開かれた2月4日は、ダウ工業株平均は七千ドルの大台に近づいていた。

株式ブームはその後、さらに3年続き、アメリカの国富の評価額は大幅に増加した。・・・「ニュー・エコノミー」

1998年には、連邦政府の財政収支が黒字に転換。

「このときの好景気は、わたしが可能だと考えた期間より長く続いている。1990年代の後半、アメリカ経済は4パーセントを超える率で成長を続けている。どの年にも、アメリカ経済は4千億ドル以上、つまり旧ソ連の経済の全体に匹敵するほど、拡大していたのである。

ほぼすべての世帯が潤った。クリントン大統領の経済担当補佐官に昇進したジーン・スパーリングは、この経済成長が社会に与えた好影響を繰り返し指摘している。1993年から2000年までの8年間に、アメリカの標準世帯では、年間実質所得が平均8千ドル増加しているのだ。」(同、266ページ)

 

1980年代・・・日本の脅威、EUの脅威などに戦々恐々。しかし、

情報技術のブームが起こり、すべてが変わった。自由奔放で、企業家精神が旺盛で、失敗をものともしないアメリカの経営文化が、世界の羨望の的になったのだ。アメリカの情報技術が世界を席巻し、スターバックスのカフェラテからウォール街の信用派生商品にいたるイノベーションも世界に広まった。世界各国からアメリカの大学に学生が押し寄せた。アメリカがそれまで20年、規制緩和やダウンサイジング、貿易障壁の削減など、時には苦痛に満ちた手段をとって経済改革に取り組んできた努力が、ようやく実を結ぶようになったのだ。ヨーロッパと日本で経済が沈滞する一方、アメリカでは経済が勢いよく成長するようになった。」(同、267ページ)

 

アメリカの繁栄が、中東世界その他で、「絶望」を生み出す。

地球規模で冷静に見れば、「根拠なき熱狂」

9.11.その後の、イラク、アメリカ、世界各地の死の苦しみ。

グリーンスパンは、アメリカの一人勝ちの繁栄がもたらす世界の不満・怨念・怒り、その噴出としてのテロリズムなどを関連付けてみようとしていない。

 

クリントン大統領の下、

「アメリカは好景気に沸いていたが、他国は動揺していた。冷戦が終わり、中央計画経済がほぼ消滅したことで、開発途上国は財産権の保護を強め、外資に開放するセクターを増やして、外国からの直接投資を引きつけようとしていた。だが、その動きのなかで、懸念すべきパターンがあらわれてきた。アメリカの投資家が、国内のブームで得た巨額のキャピタル・ゲインを背景に、投資の分散先を求めて不案内な新興市場国に大挙進出したのである。大銀行も、アメリカ国内の金利が過去最低に近い水準まで下がったことで、国内より高いリターンを確保できる新興市場国向けの融資に積極的になった。こうした資本をひきつけ、貿易を促進するために、途上国の一部は自国通貨をドルに連動させる固定相場制を採用した。この方法で、アメリカの投資家も外国の投資家も、少なくとも当面は為替リスクから保護されると考えることができた。途上国の借り手はドル資金を借り、それを自国通貨に換えて、自国の高い金利で貸し出す。こうして、融資が満期になって返済されたとき、その資金を固定相場でドルに換え、為替差損を被ることなくドルでの借り入れを返済できるとの予測にかけたことになる。だが抜け目のない市場参加者は、子供だましのような話を信じない。途上国が固定相場制を長くは維持できないことに気付いて、国内通貨を売り、ドルを買うようになると、ゲームは終わった。それでも固定相場制を維持しようとした中央銀行は、外貨準備を急速に失っていった

こうした動きによって、アジア通貨危機が伝染していった。1997年夏にタイ・バーツとマレーシア・リンギの崩落にはじまり、世界経済を脅かすほどになった。タイとマレーシアはほぼすぐに景気後退に陥っている。香港、フィリピン,シンガポールも大きな打撃を受けた。人口二億人のインドネシアでは、通貨のルピアが急落し、株式市場が暴落に見舞われた。その後の経済混乱で食糧暴動が起こり、広範囲な国民が困窮し、スハルト政権は崩壊した。

その二年前のメキシコ危機の際と同様に、国際通貨基金(IMF)が金融支援を提供した。このときも、ルービン財務長官、サマー図財務副長官が率いる財務省がアメリカの対応の中心になり、FRBは助言者の立場で関与している。私がアジア通貨危機に深く関与するようになったのは11月、日本銀行の幹部からの電話で、次は韓国経済が崩壊しかねないと警告されてからだ。『ダムが決壊しかかっている』と日銀の幹部は語り、日本の銀行が韓国への信認を失って、数百億ドルの融資の更新を拒否しようとしていると説明した。

衝撃的だった。韓国はアジアの目覚しい経済成長を象徴する国であり、経済規模は世界で第11位、ロシアの二倍にあたる。経済開発で大きな成功を収めてきたので、開発途上国ではなくなったとみられていた。世界銀行は公式に先進国に分類しているのだ。市場のアナリストの間では、少し前から問題にぶつかっていることは知られていたが、どの指標を見ても経済は強固で、急速な成長を続けていた。韓国の中央銀行である韓国銀行は250億ドルの外貨準備を保有しており、アジアの通貨危機の波及を防ぐのに十分な規模だ。層考えられていた。

だが、われわれが知らない事実があって、すぐにあきらかになるのだが、韓国政府はこの外貨準備を流用していた。保有するドルの大半を国内の銀行に売るか貸し出していて、銀行はこの資金を不良債権を支えるために使っていたのだ。FRBの国際経済専門家、チャールズ・シーグマンが感謝祭の週末に韓国銀行の幹部に電話して、『なぜ外貨準備を使わないのだ』と質問したところ、『残っていないからだ』という答えが返ってきた。公表されている外貨準備はすでに、使い道が決まっていたのである。

この混乱の解決には数週間がかかった。ルービン長官のタスク・フォースが事実上、1日24時間働き、IMFが総額550億ドルという過去になかった規模の金融支援策をまとめた。支援策の条件として、金大中次期大統領の協力が不可欠になり、金大中は最初の大きな政策として、厳しい経済改革に関するIMFとの合意を遵守すると発表した。一方、アメリカの財務省とFRBにとって、難題の一つは世界の多数の大銀行に働きかけ、韓国向けの融資を引き上げないよう説得することであった。いくつもの点を一度に解決しなければならなくなり、ルービン財務長官は後にこう語っている。『世界各国の蔵相や中央銀行総裁の安眠を妨げる点で、われわれはある種の記録を打ち立てなければならなかった』」(同、273−275ページ)

 

「ここまで大規模な救済策には、悪しき先例になる危険がつきものだ。意欲はあるが脆弱な国に投資家が資金を注ぎ込むとき、問題が十分大きくなれば、IMFがまた救済に乗り出すから大丈夫だと考えるようになるのではないだろうか。これは保険業界で言う『モラル・ハザード』の一種だ。損害保険をかけておけば安心だと考えて、たとえば火の用心を怠るようになり、火事の危険が高まる。これと同じで、セーフティ・ネットがしっかりしているほど、個人や企業や政府は危険をかえりみない行動をとるようになる。

だが、韓国が債務不履行に陥るのを放置すれば、もっと悪い結果になり、はるかに悪い結果にもなりかねない。韓国ほどの規模の国が債務不履行に陥った場合、世界全体にわたって市場が混乱する。日本など、各国の大手銀行が破綻して、世界の金融システム全体にさらに衝撃が伝わるだろう。ショックを受けた投資家は東アジアはもちろん、中南米など、世界各地の新興国から資金を引き揚げ、経済開発が止まるだろう。先進国でも、信用が収縮する可能性が高い。それだけでなく、韓国には特有の軍事リスクがある。韓国のききをしょりしたことだけでも、ロバート・ルービンとローレンス・サマーズは財務省の殿堂入りの栄誉を受けるに相応しいといえる。」(同、275276ページ)

 

サマーズは、確か、クリントン退場後、ハーバード大学に帰って、女性研究者蔑視発言か何かで、大学を追い出されたのでは?学長罷免だったか?

 

アメリカでは経済の好調継続。

「しかし、アジア通貨危機の伝染は終わっていなかった。韓国の危機の際に想像した最悪のシナリオが八か月後に、もう少しで実現しかねない状況になっている。998年8月ロシアが巨額のドル債務で不履行に陥ったのである。

ロシアの危機もアジアの危機と同様に、外国人投資家の過剰投資と国内の放漫財政とが影響を与え合って最悪の結果となったものだ。事態の一層の悪化を招いた要因に、原油価格の下落がある。アジア危機で世界の需要が落ち込んだために、原油価格はやがて一バレルあたり11ドルと、25年ぶりの水準にまで下がっている。原油はロシアにとって重要な輸出品目なので、ロシア政府は苦境に陥った。突然、債務の利払いができなくなったのだ。

私がロシアを訪問したのはその七年前、ソ連消滅の直前であり、経済改革論者が明るい未来を期待していたのに対して、街が陰鬱だったのを覚えている。七年たって、状況はむしろ悪化していた。中央計画経済が崩壊した空白のなか、エリツィン政権のエコノミストは食料や衣料などの生活必需品を供給するたしかな市場を育成しようとして、失敗してきた。個人や企業は裏取引で何とかやりくりしているので、政府は十分な税収を確保できず、基本的なサービスの提供や債務の返済ができない状況になっていた。オリガルヒ(新興財閥)が国内の資源と富のうち、かなりの部分を支配するようになり、インフレが繰り返し猛威を振るって、わずかな所得しかない庶民の生活はますます苦しくなった。政府は財産権と法の支配をまったく確立できていないし、その必要性を理解することさえできていない。

危機が深まったとき、IMFが金融支援に乗り出し、七月には230億ドルの支援策を発表した。だが、第一回の融資が実行された直後に、通常、IMFの支援で条件になっている財政緊縮と経済改革の受け入れを議会が拒否した。IMFはこれを受けて、残りの融資を実行しても不良債権になるだけだと判断した。避けがたくなった債務k不履行を遅らせるだけであり、おそらくは不履行の際の影響が大きくなるだけだと判断したのである。八月半ば、ロシア中央銀行では外貨準備がピーク時の半分以下にまで減少していた。ぎりぎりの段階での必死の交渉も失敗に終わり、8月26日、ロシア中央銀行はルーブルの買い支えを中止した。ルーブルの為替相場は一日で38パーセント下落した。IMFの金融支援策は取り下げられた。

ロシアが実際に債務不履行に陥ったとき、明らかなリスクを承知の上でロシアに資金を注ぎ込んできた投資家や銀行は仰天した。欧米諸国が旧超大国を救済しないはずがないと考えていた投資家が多かったのだ。少なくとも、ロシアは『核大国すぎてつぶせない』はずだと思われていたのだ。こうした投資家は間違っていた。アメリカとその同盟国は静かに、そして効率的にエリツィン政権を支援して、核兵器が安全に保管されるようにしてきたのである。ロシア政府も、経済の管理より、武器の管理にはるかに熟達していた。このため、クリントン大統領らの指導者は慎重な検討の後、IMFが支援を止めても核のリスクは高まらないと判断し、金融支援策を取り下げるとのIMFの決定を承認した。われわれはみな固唾を呑んで事態の推移を見守っていた。

当然ながら、ロシアの債務不履行の衝撃で、ウォール街はアジア通貨危機のときよりはるかに大きな打撃を受けた。八月末までの4営業日だけで、ダウ工業株平均株価は1千ドル以上、率にして12パーセント下落している。債券市場はそれ以上に反応した。投資家が安全なアメリカ国債に資金を移そうと殺到したからだ。銀行も新規の貸し出しを停止し、企業向けの貸し出し金利を引き揚げた。

不透明感の高まりで市場が混乱した背景には、繁栄が七年続いていたので、アメリカの好景気が終わるのではないかという恐れがあった。この恐れは、時期尚早だったことが分かる。ロシア危機を乗り切ると、好景気はさらに2年続き、2000年後半になってようやく景気が反転することになった。・・・・・」(276−278)

 

 

1998年9月はじめ、カリフォルニア大学バークリー校、ビジネス・スクールでの演説。ロシア危機の直後。

「情報技術の革命と市場の急速なグローバル化による不均衡のために、世界の金融システムに歪みが生じているという問題にぶつかっているのだ。・・・海外の混乱に周囲を促した。いまのところ、その影響は物価の下落とアメリカ製品に対する需要の減速に止まっている。・・・・『世界的に圧力が高まるなかで、アメリカだけがその影響を受けることなく、繁栄のオアシスの立場を維持できるとは信じがたい』。情報技術革命の成果を完全に享受するには、海外諸国の経済がアメリカ経済とともに成長することが不可欠である。アメリカと経済関係にある国のすべての生活水準が、アメリカに影響を与えるとみるべきである。・・・」(279)

 

世界的景気後退の危険・予感・・・先進国の政策金利引下げの働きかけ

「世界経済のリスクのバランスは変化した」(『ルービン回顧録』)

「破局が近づいているという感覚が弱まることはなかった」

 

「ブラジルにも危機が伝染し、ルービン財務長官とサマーズ財務副長官は9月の大部分を、IMFと協力して救済策をまとめることに費やしている。一方、ニューヨーク連銀のウィリアム・マクドナー総裁はウォール街でも最大で、もっとも成功してきたヘッジ・ファンド、ロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)の破綻に対応するという難問に取り組んでいた。

ハリウッドの映画会社でも、ここまで劇的な金融の大脱線のシナリオは書けないだろう。LTCMは名前こそ退屈だが、誇り高く、格式が高く、著名なファンドだ。コネチカット州グリニッチに本社を置き、裕福な顧客向けに1250億ドルのポートフォリオを運用して、驚くほどの利益を稼ぎ出してきた。同社にはマイロン・ショールズ、ロバート・マートンという二人のノーベル経済学賞受賞者がくわわっており、二人が構築した最先端の数学モデルが巨額の利益を生み出す事業の核になっている。リスクが高いが利益を上げる機械が多い債券裁定取引を、アメリカ、日本、ヨーロッパの市場で行い、1200億ドルを超える資金を銀行から借り入れて自己資金の何十倍もの賭けを行っていた。さらに、総額1兆2500億ドルにも及ぶ金融派生商品を保有しており、この特殊な契約はごく一部しか、貸借対照表に計上されていなかった。その一部は投機的な利益を狙った取引だが、一部はヘッジ取引であり、想像できるかぎりのリスクから同社のポートフォリオを保護する保険の役割を果たしていた。・・・

ロシアの債務不履行が、金融の世界のタイタニック号ともいうべきLTCMにとって、予想外の氷山になった。市場の歪みが大きくなって、ノーベル賞受賞者すら予想しなかった事態となった相場の変化があまりに急激だったので、LTCMの精巧なヘッジの仕組みが機能する余裕がなかったのだ。それまでに築き上げてきた50億ドル近い資本は一夜にして吹き飛び、同社の創業者はそのさまを呆然と見守るしかなかった。

ニューヨーク連銀はウォール街の市場の秩序が維持されるようにすることを任務としており、LTCMが破綻していくのを見守っていた。通常なら、致命的な失敗を犯した企業は破綻するにまかせるべきだ。しかしこのとき、市場はすでに恐怖におびえて神経質になっていた。このため、ニューヨーク連銀のマクドナー総裁は懸念を深めていた。LTCMほどのファンドが破綻して、資産をすべて市場に投売りせざるをえなくなれば、市場は暴落する。そうなれば連鎖反応が起こって、破綻が波及しかねない。このため、マクドナー総裁が電話で、介入することにしたと伝えてきたとき、わたしは喜べなかったが、反対することはできなかった。

マクドナー総裁が債権者によるLTCM救済のためにどのように尽力したかは、これまでに何度も語られてきており、ウォール街の伝説のひとつになっている。世界でもとくに強力な16の商業銀行と投資銀行の経営者を文字通り一室に集め、LTCMの資産を投売りせざるをえなくなったときにそれぞれが被る損失をしっかり理解すれば、問題を解決するために協力するはずだと強い口調で語り、立ち去った。16の金融機関は何日かの厳しい交渉の末、35億ドルをLTCMに拠出することに同意した。これによってLTCMは秩序だった清算に必要な時間を確保することができた。納税者の資金は一切使っていない。・・・・

ニューヨーク連銀が実際に行ったのは、LTCMを秩序だって清算できるようにすれば損失を食い止められる可能性があると、LTCMに関与した金融機関に指摘したことだけであり、どれほど想像力をたくましくしても、救済だとはいえない。これらの金融機関は厳しい現実を直視し、自己利益のために行動した結果、自分たちが巨額の損失を被らないようにすることができ、同時に一般国民とウォール街の両方で、何千万人もの人が巨額の損失を被らないようにすることができたのではないかと思う。」(281284)

 

 

 

FRBの基本任務(信用の基礎)は、通貨価値の安定であり、中央銀行券の購買力の安定である。しかし、金本位制離脱後は、一貫して、インフレとの戦い、通貨価値下落(物価上昇、インフレ)との戦いが基本であった。グリーンスパンに言わせれば、金融政策の主要な手段であるフェデラル・ファンド金利の管理をする連邦公開市場委員会(FOMC)の「委員はみな、インフレとの戦いに生涯を捧げてきた」(同、331―332ページ)

 

「デフレとの戦い」は、考えられもしないことであった。

2000年から2003年まで、長期金利は下落を続けている。十年物アメリカ国債利回りは、七パーセント近くから3.5パーセント以下にまで下がっている。その理由をアメリカの国内要因だけで説明しきれないのはあきらかだ。世界各国で長期金利が低下傾向をたどっていたからである。グローバル化がディスインフレ圧力を生み出していたのである。・・・・2003年になると、景気の落ち込みとディスインフレが長期にわたって続いてきたため、FRBはさらに変わった危険を考慮せざるをえなくなった。物価が下落する現象、デフレーションである。つまり、13年にわたって日本経済の沈滞をもたらしていたのと同様の悪循環に、アメリカ経済が陥る可能性だ。これはきわめて心配な問題だった。現代の経済ではインフレが慢性的な頭痛のタネになっており、デフレはめったにみられない病だ。アメリカはもはや金本位制を採用していない。不換紙幣のもとでのデフレは、考えられないことだった。」(332ページ)

 

ここまでなら、別に驚かない。しかし、これが、世界最大の国の中央銀行総裁にあたる人物いうことかという言葉が出てくる。

 

「デフレに陥りそうな状況になったとしても、印刷機を回してデフレの悪循環を防ぐのに必要なだけの紙幣を供給すれば問題は解決する。そうわたしは考えてきた。だがこの確信は揺らいでいた。」と。(332―333ページ)

 

「印刷すればいい」とは、なんという通貨理解、なんという中央銀行券理解。

(これは、「第17章 中南米とポピュリズム」の箇所では、ポピュリズムのやり方として出ている。「信用が逼迫し、金利が高くなっているのであれば、政府は紙幣をもっと刷るべきである」と。下巻、118ページ、しかも、そのときにはポピュリズムを批判する立場から。ポピュリストの発想は、「単純明快だが、論理的でない」と批判しているではないか。「ポピュリストの考え方は,単式簿記と同じである。ガソリン価格を下げた場合の直接的な利益など、資産しか計上しない。エコノミストは、複式簿記をつけているとわたしは信頼している」と。

グリーンスパンは、デフレのときなら、経済法則無視の手法をとっていいというのか?

デフレ問題の解決のときには、複式簿記の発想はなくてもいいと? 

中央銀行の独立性を無視するような手法、「政府」が紙幣を刷るとの政策提言!このやり方で、ハイパー・インフレが引き起こされたのが中南米の問題であった。)

 

中央銀行が通貨を印刷しても、それを市場に出すためには、何かを購入しなければならない。購入すべきものは何か?(Cf.日銀の場合の具体例)

通貨の必要性(中央銀行券の発行の必要性)は、市場が持っているなんらかの「商品」(金融商品を含む)「価値物」を現金化するため。

通貨流通量は、その機能からして、流通させるべき商品総額、通貨がどの程度の速さで商品交換を次々と媒介できるかという流通速度等によって決まってくる。そうした現実の経済・市場の実態に合わない通貨の印刷発行は、通貨自体の価値(通貨が表わすべき価値表現機能)を損なってしまう[7]

(物価の安定こそが、中央銀行の使命。「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」日銀法ほか)

 

他方、物価とは何か?

物の値段は、生産性(労働生産性)の上昇によって、より広くはコストの引き下げ・コスト下落によって(たとえば、中国等からの低廉な商品の膨大な流入によって、その低価格商品が日本の高価格の商品群を駆逐することによって)、下落する。物価下落要因は、物価を構成するコスト要因の下落によって引き起こされる。デフレは、その意味では、異常なことではない。

中国の膨大な低価格商品の生産には、日本資本の直接投資が大きな役割を演じている。つまり、日本の資本は、中国への直接投資、間接投資、中国商品の輸入によって、日本の市場をデフレに追い込んでいる。日本の生産構造の劇的変化(空洞化、日本の労働力市場の過剰化)が、デフレの主要な要因であろう。(Cf.1996−2006年の対外資産負債等の統計

日本の普通の消費者は、衣料品をはじめとして、中国産の膨大な低価格商品(中国の低人件費=低労働コストの製品)で、生活はある意味、楽になっている。生計費を構成する消費者物価の低落は、同じ給料をもらうものにとっては、豊かな消費生活を意味する。(生産性の向上による消費財の質量の向上・・・生活物資の高度化・高品質化・多様化)

企業は、人件費切り下げのため、派遣労働者、非正規労働者等を飛躍的に拡大する。この労賃切り下げ圧力がまたデフレを促進する。

 

「この時期、日本はいってみれば、通貨供給の蛇口を全開にしている。短期金利をゼロにしている。財政政策を思い切り緩和し、巨額の財政赤字を出している。それでも物価は下がり続けていた。」・・・・しかし、蛇口の中から水(通貨)を引き出そうとする諸要因がなければ、水が出てこない。重力(通貨需要の力)がなければ水は出てこない。水(通貨)を引き出す重力に当たるものは何か?

短期資金を必要とするものが、市場にいなければ、金利がゼロでも、通貨を引き出すことはない。市場関係者が十二分に貨幣(資金)をもっていれば(投資先がなければ)、中央銀行から借金する必要はない。

 

アメリカでは、超低金利により、民間住宅市場の急速な拡大、投機的住宅市場、サブプライムによる膨大な低所得者向け住宅の建設ラッシュ(334−335ページ・・・その付けが、今やってきている)

 

 

------------グリーンスパン『波乱の時代』下巻------------ 

 

グリーンスパンが、アダム・スミスから何を最も重要なものとして抽出したか。下巻でも、それが説かれる。

 

『国富論』・・・・「人類の思想史に輝く偉大な著作のひとつ」(18ページ)

 

「スミスがこの本で応えようとしたのは要するに、マクロ経済学でおそらくもっとも重要な問い、経済が成長するのはなぜなのかという問いである。そして、資本の蓄積、自由貿易、政府の義務(ただし、狭い範囲に限定された義務)の適切な遂行、法の支配が国の繁栄をもたらすカギになると、正確に指摘している。とくに重要な点は、個人の自主性の重要性を始めて指摘したことだ。『各人は自分の生活をもっとよくするために自然に努力するものであり、この努力を自由に安全に行えるようになっていれば、きわめて強力な力になるので、他に助力がなくてもこれだけで、社会に富と繁栄をもたらすことができる・・・』結論として、国が豊かになっていくようにするには、各人が正義の法を犯さないかぎり、『自分の利益を自分の方法で追及する完全な自由』を持つようにするべきだとスミスは論じた。その際には競争がカギになる。競争があれば、各人はもっと生産性を高めるように促され、そのために専門化と分業という手段を使うことが多いからだ。生産性が上昇するほど、国は豊かになる。

この点に関して、スミスはとりわけ有名な言葉を使っている。自分の利益を得るために競争する個人は、「見えざる手に導かれて」、社会全体の利益を高めることになると書いているのである。『見えざる手』という比喩はその後世界の人びとの心をつかむことになる。おそらく、神のような慈悲心と全知全能の力を連想させるからだが、実際には市場の仕組みは無機質であり、半世紀後のダーウィンが描いた自然淘汰に似ている。・・・」(18−19ページ)

 

さすがにグリーンスパン。

「見えざる手」を引用する人の多くが、「神の見えざる手」と、勝手に「神」を付け加えてしまっている。つまり、スミスの原典を見ていないで、引用しているのである。

しかし、グリーンスパンは、スミスの原典を読み、検証して、原典の当該箇所に「神の」という形容詞がないことを確認している。

 

「スミスが自己利益の重要性を指摘したのがいかに革命的かは、数多くの文化で歴史のどの時期にも、自分の利益のために行動するのは、とくに富を蓄積しようとするのは、見苦しく、不法であると見られてきた点を考えれば、よく分かる。」(20ページ)

 

しかし、スミスにおいて重要なのは、「自己の利益のための行動」が、「労働」だということにある。社会が必要とするものを労働によって生産するとき、社会的に貢献する、社会全体の利益・福祉に貢献する。「自分の利益」のために、他人の利益を奪うのではない。その原理としての労働、これが基本であろう。単に、労働の生産性だけを重要視したのではなく、富の根源(富の創造・創出)に労働を置いたこと、発見したこと、位置づけたことであろう。

 

スミスにおける分業論(労働の分割とその組み合わせ、当時の先端を行くマニュファクチャーの事例)、生産性向上の議論を、グリーンスパンは、的確に把握する。

 

「豊かになるには、もっと熱心に働くだけでなく、もっと賢明な方法で働くことが重要だとスミスは、指摘した。『国富論』の第一編第一章の冒頭で、労働生産性を高めることの重要性を強調している。国の生活水準を決める決定的な要因として、『各方面の労働で使われる技能や技術』を上げているのである。この指摘はそれまでの理論を真っ向から批判したものだ。重商主義の見方では、国の富は金銀をどれだけ蓄積したかではかられるとされていたし、重農主義の見方では、価値は土地から引き出されるとされていたからだ。『国にはそれぞれ土壌、気候、広さに違いがあるが、それぞれの条件のもとで年間に供給される必需品や利便品が豊富かどうか』は、「労働生産性」に左右されるとスミスは指摘する。それから200年以上にわたって経済思想は発達してきたが、これらのスミスの指摘に付け加えられるものはあまりない。」(21ページ)

 

 

自由市場体制に対する民衆の態度・・・アメリカとフランスの違い

「富の蓄積やリスク・テークに対する複雑な感情の程度は、国ごとに大きく異なっている。たとえば、アメリカとフランスを例にとれば、もっとも基本的な価値観が啓蒙思想に根ざしている点は共通している。だが、最近の世論調査によると、経済体制のなかで自由市場体制が最善のものであるとの意見に同意した人の割合は、アメリカでは71パーセントであったのに対し、フランスでは36パーセントに過ぎない。別の調査では、フランスの若者の4分の3が、政府機関への就職を希望しているという。政府機関に就職したいと公言する若者は、アメリカでは少ない。」(33−34ページ)

 

 

自由競争、資本の有効活用を妨害する「縁故資本主義」・・・「便宜は、ある市場の独占権や、政府資産を売却する際の優遇、権力者へのコネといった形をとる。こうした行為は、資本の有効活用を妨げ、ひいては生活水準を引き下げることになる。

縁故資本主義もその一部だが、もっと幅広い腐敗の問題がある。一般に、腐敗が起きやすいのは、政府が便宜を供与できる場合、つまり、何か売れるものを持っている場合である。」(36ページ)

 

1930年代以降、政府が経済活動に積極的に関与するようになったが、官僚が規制にあたってもつ裁量権を売れる可能性がないわけではないにもかかわらず、腐敗とはほぼ無縁で、高い評価を得ている国は少なくない。とくに目立っているのが、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、アイスランド、スイス、ニュージーランド,シンガポールである。社会の腐敗のレベルには、文化も関わっているのはあきらかである。」(37ページ)

 

「文化が経済活動に与える影響を、直接測れる指標はない。だが、ヘリテージ財団とウォール・ストリート・ジャーナル紙は共同で、ここ数年、IMF,エコノミスト・インテリジェンス・ユニット、世界銀行の統計を総合し、161カ国の経済自由度を計算し、ランキングを発表している。指数を構成する項目の中には、財産権の強さと執行状況、企業の設立や解散の容易さ、通貨の安定性、労働慣行、投資や国際貿易の開放度、腐敗の程度、GDPに占める政府支出の比率などがある。もちろん、こうした定性的な要因に点数をつけるうえでは、かなり主観が入る。だが、データを下に作られたこの評価は、わたしの大まかな印象にあっているように思える。

2007年のランキングでは、アメリカは主要経済国のなかで、もっとも『自由度が高い』と評価されている。皮肉にも、非民主的な中国の一部となった香港も、最上位に位置している。上位七カ国(香港、シンガポール、オーストラリア、アメリカ、イギリス、ニュージーランド,アイルランド)がいずれも、アダム・スミスの故郷で、啓蒙活動の発祥の地であるイギリスと繋がりがあるのは、おそらく偶然ではない。」(37−38)

 

「マルクス主義者であると同時にプラグマティスとでもあったケ小平は、世界から孤立した中央計画の農業経済を、世界経済で圧倒的な力を持つ国にすべく舵を切った。中国の市場化への更新が始まったのは1978年、深刻な旱魃で、長年にわたる管理を緩めざるをえなくなったのがきっかけである。新たなルールのもとで、農民は作物のかなりの割合を自家消費や販売用にとっておくことが認められた。成果は目覚しいものだった。農産物が劇的に増え、規制のいっそうの緩和と、農産物市場の創設を促した。何十年も停滞していた農業の生産性が一気に開花したのである。

農地改革の成功が励みとなり、改革は工業にも広がった。ここでも、統制をわずかに緩めただけで、予想以上に成長率が高まったことで、競争市場社会への迅速な移行を求める改革派の議論が勢いづいた。・・・・・中国が容赦なく資本主義の道へと引き込まれていくにつれ、経済的進歩は誰の目にもあきらかになり、かつてのイデオロギー闘争は、歴史の中に埋没したように思えた。

     ・・

中国の経済規模は、購買力平価で見ると、アメリカについで世界第二位になった。市況商品全般の消費量は世界第一位、原油の消費量は世界第二位、鉄鋼生産では世界第一位に躍進している。そして1980年代の自転車経済から、2006年には自動車の年間生産台数が700万台を超え、それをはるかに上回る生産体制が計画される国へと進化を遂げた。・・・」(62−63)

 

 

中国の通貨。人民元の為替制度。

元レート・・・「1980年代初めは、低すぎるのではなく、高すぎるのが問題だった。闇市場ではあるかに低いレートだったにもかかわらず、当局は現実離れした高いレートで固定していた。1980年代初めの皇帝レートで貿易が伸びないのは当然だった。輸出産業のコストは人民元建てであり、コストを回収しようとすると、ドル建て価格を競争力のない水準に設定するしかなかった。統制を解除して、活況を呈するようになった国内経済との差が際立つようになって、通貨当局は徐々に人民元を切り下げていった。だが、このプロセスには14年を要した。1994年、貿易が完全に自由化され、人民元の闇市場は消滅した。1ドル=2元を下回っていた為替レートは、8元以上になった。

 当初、伸び悩んでいた中国の輸出は爆発的に増加した。年間の輸出額は、1980年の180億ドルから、2006年の9700億ドルに、年率17パーセント近く伸びた。輸出の半分以上が、輸入した原材料の加工品であり、付加価値の高い製品に移行している。この点は、平均輸出価格が、財の固定バスケットに基づいた物価を上回って上昇している点に現れている。しかしながら、平均価格の上昇のうち、輸出製品用に輸入された中間財の質の向上による部分がどれだけあるのかは、はっきりしない。

     ・・・

エコノミスト誌は2007年春、アメリカのピーターセン国際経済研究所のニコラス・ラーディの見方を引用しながら、こう論じている。『中国の輸出モデルは、・・・外国資本に低コストの労働力と土地を貸与することで成り立っている。中国でもっとも成功しているコンピューター・メーカーですら、・・・その生産は台湾企業に委託している』。だが、中国が輸出の付加価値部分を高めるのは、時間の問題ではないかと思う。輸入原料は徐々に、付加価値の高い国内産の部品に切り替えられていくものと見られる。

 輸出の増加と平行して、農村部から都市部への労働力の大規模なシフトが起きた。農村部の人口は、ピーク時の1995年には8億6千万人弱だったが、11年後の2006年には7億3千7百万人に減っている。こうした変化は、都市部への人口移動や、若干の定義変更にだけよるものではなく、農村部の都市化が進んだ結果でもある。とくに経済が活発な香港に隣接する珠江デルタ地帯には、新たな工業地帯がつぎつぎと出現している。・・・」(72−74)

 

「過去10年にわたり、人口が年平均1.4パーセントで農村部から都市部に移動したことにより、中国の生産性は大幅に向上した。都市部の資本ストックは、農村部に比べてかなり高度である。その資本ストックから生み出される時間当たりの生産高は、農村部のそれの3倍以上にのぼる。1980年に導入された経済特区は、輸出向け製造業に的を絞り、外国資本を導入して大成功を収めている。国有企業では、民営化で大成功する企業がある一方、それ以外の企業も大胆な改革を進めている。この結果、国有企業の従業員数は大幅に減少した。適度なペースで創造的破壊が進行している証である。」(74−75)

 

1940年代後半の中国におけるハイパー・インフレは、民衆の反乱を招き、1949年に共産党が権力を掌握することになった原因だとされ、教訓とされている。このため共産党が社会を不安定にするインフレをもっとも恐れるのは、十分に理解できる。」(76)・・・・まさに、グリーンスパンも、インフレの危険を必死になって食い止める仕事を行ってきた。インフレが、庶民の生活を悪化させること(給料の実質的目減り)が、全社会的不安の基礎となる。

 

ジョン・メイナード・ケインズも1919年にこう記している。『レーニンはじつに正しかった。通貨の価値を下落させることほど、微妙でしかも確実に社会の基盤を覆す方法はない。この過程では、経済の法則の隠れた力がすべて経済を破壊する動きに動員される。しかも、百万人にひとりもそれと診断できないような方法で』

中国指導部は、インフレを封じ込めなければ、経済ががたがたになり、都市部の失業率上昇を招いて、社会不安を招くとの見方を固く信じているようだ。労働市場が不安定化する恐ろしい事態を避けるには為替レートの安定が不可欠だと考えている。

こうした考え方は誤りである。為替レートの変動を抑える現在の政策は、はるかに大きな破壊を招くリスクを孕んでいる。」(76)

 

「第二次世界大戦後の歴史のなかで、アメリカは共産主義を封じ込める戦いにおいて、二度敗れている。一度目は1950年の冬であり、鴨緑江をわたって北朝鮮になだれ込んできた中国軍を前に、早々と退却した。二度目は、1975年の不名誉な南ベトナムの放棄である。だが、戦闘には負けても、戦争に敗れたわけではないのかもしれない。共産主義中国も、共産主義ベトナムも、公にしないよう苦心しながら、中央計画経済の縛りを緩めて、資本主義の経済的自由を獲得しようと苦闘しているのだから。2006年、アメリカのメリルリンチは、前年のシティグループに続いて、生まれたばかりのホーチミン市の株式市場でベトナム株を売買する権利を取得した。世界一の資本家、ビル・ゲイツがハノイを訪れた際には、ベトナム共産党指導者から歓迎され、群集の大歓迎を受けた。奇跡がやむことはないのだろうか。思想は重要である。アメリカの資本主義思想は、剣よりも強かったようだ。」(88)

・・ベトナム戦争は、何をめぐる戦争だったか?共産主義思想と資本主義思想の優位性をめぐる戦争だったか? 植民地解放・帝国主義的抑圧の打倒、世界的な民主主義原則の貫徹のための戦争ではなかったか?ベトナムが勝利したのは、民族自決の民主主義的権利の故であり、共産主義の思想の故ではなかったのではないか?アメリカが民主主義の原則を守るかぎり、世界は歓迎するのではないか? イラク戦争に見られるようなブッシュ政権の帝国主義的単独行動主義の武力行動(侵略)は,全世界から批判されているのではないか?

 

         インドの問題。

         独立後のフェビアン型社会主義、中央計画経済の問題性の指摘。過剰な「許認可による支配」。

 

「官僚による許認可の決定はほどなく高い目的を見失い、裁量的になった。だが、中国共産党の権力ピラミッドについて述べたように、裁量とは力である。とくに高潔な官僚すらが、権力を手放すことを嫌がり、高潔ではない官僚は権力をふりかざした。どの腐敗の指標でも、インドは上位にランクされていたし、現在もそうであるのは当然だといえる。

このように、インドの官僚制度は、国内経済のほとんどのセクターをがっちりと支配し、権力を手放すことに消極的であった。官僚の抵抗を強め、支持したのは、強大な労働組合であり、さらにはインド政界で有力な共産主義政党であった。社会主義とは、経済組織の一形態にすぎないのではない。集団所有を基本的前提としていることから、文化的に重大な意味を持つのであり、インド国民の大多数は概ねそれを尊重してきた。」(90−91)

 

「じつは、インドは世界最大の民主国家である。民主主義では、国民を代表する人を選出するが、インドの場合は当然ながら、社会主義の集団原理を信奉する人が高い支持を集めてきた。社会全体の利益を考える政府の官僚の方が、『気まぐれな』自由市場の力よりも、はるかに適切に資源配分ができるとする考え方が、インドでは根強いのである。

1991年6月、保守派の官僚で、国民会議派のナラシマ・ラオが首相に就任した。当時、インド経済は、40年以上にわたる事実上の中央計画経済の弊害で、破綻の危機に瀕していた。東ヨーロッパを苦しめたのと同じパラダイムが、インドの足かせになっていることが明白になり、地殻変動が起きようとしていた。経常収支の危機が迫るなか、ラオ首相は意表を突いて、長年の慣習を打ち破り、行き詰っていた統制の撤廃を目指した。大蔵大臣はマンモハン・シンを指名した。

市場重視hの経済学者であるシンは、統制経済にわずかな穴を開け、幅広い分野で自由化に向けた一歩を踏み出し、経済に少しの自由と競争を導入すれば、それを梃子に成長率が大幅に高まることを示した。危機が深刻だったことから、反資本主義の声は一時的に静まり、規制緩和の好機になった。市場資本主義は足がかりをつかみ、その有効性を示すことができたのである。

近年の世界の経済史は、東ヨーロッパや中国などの中央計画経済国家が市場競争を導入し、経済成長率が大幅に高まるという話がほとんどである。だが、インドは、必ずしもこれに当てはまらない。たしかにシンは、次々と改革を導入したが、多くの重要な分野では、連立政権の昔ながらの社会主義的性格に縛られていた。現在でも、従業員が百人以上の企業は,ほぼ例外なく、政府の許可がなければひとりの解雇もできない。

1991年にシンがはじめた改革派、現在も進行中である。・・・・」(91−92)

 

 

グリーンスパンは、労働組合、労働者に対し厳しい態度。

 

「インドは国際舞台で主役の座を狙っているが、そのために必要なのは、工場を建設して、農業従事者を都市に引き寄せ、労働集約的な製品を輸出することであろう。これはまさに、東アジア新興工業経済地域や中国が成功を収めた道である。

 だが、インドには、ハイテク産業も含めた製造業全体を長年にわたり制約してきた要因がある。労働法規が雇用を破壊するものになっており、電力供給が信頼できず、道路や鉄道が悪く、部品や完成品を工場から市場へと運ぶことができないなど、インフラが不足しているのである。従業員10人以上の事業所は労働法規が適用されてコストがかさむことから、製造業の雇用の40パーセントは、従業員が5人から9人の事業所が占める。韓国では、4パーセントに過ぎない。インドのこうした小規模企業の生産性は、大企業の20パーセント以下である。小企業は、大企業と違って規模の経済を生み出せない。ライバルとして比較されることの多い中国との生活水準の格差を、大量生産によって智締めようとするのであれば、農業従事者の都市への移住を促進し、製造業にシフトさせる必要があるだろう。土地に根づいた労働者の移住を促すには、製造業が世界で戦える競争力をつけなければならない。それには、根強く残る許認可支配を思い切って撤廃する必要がある。農村の非効率性に苦しんでいる労働人口の5分の3の運命が,この点にかかっているのだ。買改善のためには、大胆な変革が必要とされる。

 インド農村部は、サハラ以南のアフリカを除いて、世界のどこにもないほどの貧困に喘いでいる。成人の5分の2という高い非識字人口と、一日の生活費が一ドルに満たない2億5千万人の貧困層が集中しているのが農村部である。インドの世帯の半数には電気がない。農村部の生産性は、非農村地帯の4分の1にすぎない。米の単位面積あたり収穫量は、ベトナムの半分、中国の3分の1である。綿花はそれ以上に悪い。小麦は、1970年代の緑の革命による種子の改良で恩恵を受けたはずだが、生産性は、いまだに中国の4分の3にとどまっている。競合するアジア諸国よりも生産性が高いのは、茶だけである。さらに、インドの農村と都市を結ぶ道路網が整備されていないため、傷みやすい農作物のほとんどは、自家消費に回され、3分の1が市場へ運搬する途中で腐っているといわれている。

 農業の生産性の伸びは、1980年代以降低下している。天候も一因だが、最大の要因は、政府が巨額の補助金をつけて、市場による土地利用の調整を阻害している点にある。・・・11億人の人口の食料をまかなう食糧生産の水準は維持されなければならない。インドが食料輸入を拡大する余地は限られている。このため、製造業が農村部の労働者をひきつける中で、入手可能な食料を維持するには、農業の生産性を高めることが唯一の実現可能な方法になる。農業における市場競争が何より求められているのである。・・・」(93−95)

 

「インドが早急に取り入れるべき輸出型工業モデルは、アジアのいたるところでめざましい実績を挙げている。このモデルでは、ある程度教育を受けた低賃金の農業労働者を、都市部の製造業で雇用する。決定的に重要なのは、対内直接投資で先進技術を導入することだが、直接投資は、財産権を保護する法律によって引き付けられる。中央計画経済が行き詰るなか、このモデルは、中国を筆頭に途上国全般に広がっている。

 だが、インドの場合は、あきらかに許認可支配が対内直接投資の足枷になってきた。2005年のインドの対内直接投資は70億ドルであり、中国の720億ドルに比べると圧倒的に少ない。直接投資残高は、2005年末時点で対GDP比6パーセントだが、パキスタンは9パーセント、中国は14パーセント、ベトナムは61パーセントである。・・・」(97)

 

 

ロシア

「現在のロシア経済を端的にいえば、いまだに不完全な法の支配に支えられた市場経済であるといえよう。国の最も勝ちのある資産の大部分は、政府やクレムリンの盟友が握っている。主要なメディアを管理することで、政治支配は強化されており、それ以外のメディアには、自主規制が「奨励」されている。プーチンとその政策の任期は、依然として高い。国民からは反対の声はほとんど聞かれない。エリツィン政権下では、経済危機で国民の貯蓄が吹き飛ぶなど、民主制の混乱が見られたが、その不満はいまも根強いようだ。2006年の世論調査によれば、ロシア国民のほぼ半数が、自由や人権よりも物質的豊かさに価値を置くと答えており、民主制や言論の自由の優先順位は高くない。エリツィン時代の民主的自由と経済的不安定と、プーチン政権下で登場した安定と全体主義のうち、どちらを選ぶかといえば、いまのところ、ロシア国民の大多数はプーチンを選ぶのである。」

104)

 

「オランダ病」の危険

「ロシア経済は1998年に破綻した後、大方のアナリストの予想を上回って回復した。一人当たり実質GDPは、危機以前の水準を大幅に上回っている1998年に13パーセント近辺にはりついていた失業率は、2007年初めには7パーセント以下に低下している。インフレ率は、1999年7月につけた前年同月比127パーセントのピークから、一桁台に低下した。外貨準備は99年の80億ドルから、2007年には3千億ドルにまで増加した。政府の対外債務は大幅に減っている。

 いうまでもないが、こうしためざましい経済実績のほとんどは、原油と天然ガス価格の高騰によるものである。1998年から2006年にかけて、原油と天然ガスの輸出額の伸びが、名目GDPの伸びに占める割合は、5分の1に上る。だが、天然資源による好景気には、悪魔との取引がつきものだ。ロシアの経済政策当局は、悩ましいジレンマに直面している。ルーブルの為替レートの上昇が急ピッチになれば、オランダ病が蔓延することになる。だが、ルーブルの上昇を抑えるために外貨建て資産を購入すれば、手段によってはインフレを誘発しかねない。・・・」(105)

 

「オランダ病の兆候はすでに見えている。原油・天然ガスの輸出急増に伴い、ルーブルの価値が上昇する一方、市況商品以外の輸出額が伸び悩んでいる。1997年から2006年にかけて、ロシアの貿易相手国通貨によるルーブルの価値をインフレ調整後で見た実質実効為替レートは2倍になった。その影響は予想通りだ。原油とガス以外の実質ベーとの輸出は、原油とガス輸出の伸びの半分にとどまった。」(105−106)

 

「ロシアは、いまなお原油と天然ガスの収入がGDPの大きな部分を占める途上国である。世界銀行によれば、2005年の一人当たり名目国民所得は、メキシコを下回っており、マレーシアとほぼ同じであった。」(108)

 

 

中南米とポピュリズム

 

 

 

 

 

 

 

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12月3日(2) 全国の国立大学における給与改定要求の運動。現状。 

 

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                               全大 27
>
通知 17
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                                 20071128
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各単組委員長 殿
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>                                                         
全国大学高専教職員組合
>                                                              
書記長 森田 和哉
>
>
>  
賃金改定交渉に関する当面の方針及び交渉状況調査について
>
>
>
 人事院勧告を受けた改正給与法が1126日に参議院本会議で可決・
>
成立したことも受けて、これまで人事院勧告の内容に準拠してきた大学
>
法人等はこれへの対応方針を策定中です。
>
>
 全大教として112日付通知(別記)において単組のとりくみを要請し
>
ましたが、当面のとりくみとして下記の通り進めます。
>
また、賃金要求の全国的前進をはかるため、各大学法人での交渉状
>
況について集約しますので、123日(月)正午までに報告をお願いし
>
ます。  集約結果については速やかに単組に送付します。
>
>                                       

>
>
1 当面の方針
>
>
 大学法人等の賃金・労働条件は労使交渉で決定するという原則及び
>
全国の国立大学・高専法人は事実上人事院勧告準拠とされている現状
>
をふまえ、各単組が賃金改定にあたっては、人事院勧告改善分の4
>
実施を最低限の要求として交渉を強めます。「非常勤職員」についても
>
常勤職員に準じて改善を要求します。
>
>  
同時に、この間「給与構造見直し」によって給与が上がらない中・高年
>
層などの昇格・昇給や諸手当等賃金・労働条件の改善を要求し交渉を
>
行います。
>
>  
全大教は高専機構との交渉により、人勧改善分について「非常勤職員」
>
を含めて4月遡及実施を確認しています。また、現在、多くの大学が交渉
>
中ですが、4月遡及実施を確認した所も出ています。
>
>  
人勧改善分について、次の観点から4月遡及実施を要求します。
>
>  
全大教・単組は賃金引き下げの場合(労働条件の不利益変更)、
>
遡って引き下げることに反対しました。これは賃金引き下げを遡る
>
ことは労働組合の合意なしにはできないという立場からです。
>
>  
一方、賃金引き上げを遡って実施することは労働法等の法律に照らし
>
てもなんら問題ありません。交渉に基づき就業規則を改定すればできる
>
ことです。
>
>  
大学法人等が、人事院勧告について賃金引き下げの時には準拠し、
>
引き上げの場合は準拠しないということでは教職員の合意が得られま
>
せんし、社会的にも説明できません。

 

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12月3日(1) 日本の現在の「評価」の問題性の指摘、今回は、ピーアレヴュー(peer review)に関する問題提起・現状批判の主張を「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)で知った。重要な指摘である。この問題は、まさに第三者機関、私の属する[大学評価学会]のようなところの部会などで、検討を加える必要性のある問題の一つであろう。

 

下記の記事によれば、東大とそれ以外の大学の格差が大きく、たとえば、東大と京大を比べても、科研費取得総額が、1.4対1.0という指摘である。だが、私のおぼろげな知識では、教員数など、確か、2.0対1.0くらいではなかったか。教員(研究者)一人当たりでいうと、もしかすると京大の方が多いかもしれない。「格差」の構造に関しては、精査が必要と感じる。

しかし、主張の基本は、より普遍的でより公正なピーアレヴューを求めるものであり、まさにそうした公正・普遍的基準・普遍的妥当性のある評価・審査体制を求め、実現していくことは、科学の論理、真理探究の論理であろう。それは、行政的政治的な「評価」のシステムへの根底的批判の視点として、共感できる。

 

教員評価問題に直面しているわれわれとしては、まさに、そうした普遍的基準から、しかるべき審査体制・評価の体制を模索し、練り上げていかなければならないだろう。本学の場合、教員評価システムは、「上から」任命の管理職が行うこととなっている。非専門家であっても、管理職になれば、絶大な権力を握ることができるシステムというわけである。

根底からの制度見直しが求められるであろう。

 

学閥・学会ボス支配が続く 不公正な日本の大学研究費配分・評価システム

 

      抜粋:

       アメリカでの大きな研究費配分機関のひとつである国立科学財団(NSF)は、日本とは違って、国家から独立した第3者機関であり、審査に直接関与している研究者だけでも5万人を越える。ひとつの研究費申請書に対し、ボス教授ではなく、ほぼ同じ分野を専攻している研究上のライバル数名に審査を依頼している(peer review。仮に落とされたとしても、日本の梨のつぶてと違って、評価書が郵送されてくる。

 

・・・・・・・・・・・

 

日本の大学はここ何年か、激しい改革の嵐に見舞われ続けている。その改革の流れを見ると、改革の立案者はアメリカ型の大学を理想としているようであるが、そうならアメリカなみに、大学あるいは大学教員が、それこそ「公正に」競争できるようなシステムにして欲しい。大学を評価したいのなら、評価はアメリカのように文部科学省とは切り離した第3者機関でなされるべきだ。評価機関が文部科学省に属している限り、ますますその「評価」から公正さが失われることだろう。

 研究費配分については、NSFのような、国家から独立した組織に全面的に配分の権限を委譲すべきだ。そして、審査は、アメリカにならって、研究的に一人前と認められる研究者数万人による相互審査(peer review)に委ねるべきだろう。学問研究におけるボス支配から脱却できないかぎり、日本の科学の未来は暗い。

 

-----これに対するブログ読者の意見--------

 

基本的に同意見です。研究資金授与機関はNSFのように政府と独立になるべきです。NSFに各部会(プログラム)は各研究資金申請に対し、2・3人の常任審査員が評価するだけでなく、各申請に7・8人の外部審査員(PEER REVIEW)をつけ、かつ外部審査員の選定は、内部評価をする常任審査員でなくNSF自体が、人材資料などを基に行っています。また、最終評価も外部評価と担当常任審査員評価をあわせて、部会のすべての常任審査員が読み、議論をした上で、決定します。また、常任審査員も大御所から若手の優秀な学者まで多様です。ほぼ公平性を尽くしているといえるでしょう。
   しかし審査・評価制度にもう一つ米国とわが国の大きな違いがあるように思います。それは米国のほうが資金申請資料が多くこれまでの実績だけでなく、申請している研究の独創性・重要性について、過去の実績とは独立に評価できるシステムだということです。逆にわが国の申請は資料が少なく、この点既に実績のある研究者に有利で、若手研究者や、今までと違い新しい試みを行おうとする研究者に不利と成っている点です。また資料が多い分、各常任審査員が同時期に担当評価する申請は10程度となり、評価者も分散します。わが国の評価の制度について、誰がどう評価するかという点の公平性の問題だけでなく、評価資料が真に独創的で重要なものに、研究資金が行く仕組みに適しているかどうかも、検討の余地が大きいように思います

 

 

 

 



[1] (さらに問題は、それらの諸項目を、どのように評価するのか、その評価基準,評価主体などがはっきりせず、評価主体がSDシート当初の段階のとおり、当局任命の管理職中心の「教員評価委員会」であるならば、問題である。まさに、ピアレヴューとは正反対の評価主体だからである。不服審査委員会の体制も整っていない。)

 

 

[2] 後の確認によれば、市会に事務局長が呼ばれた、ということのようである。

しかし、それならそれときちんと言えばいいのである。なぜ緊急に呼ばれたのかを明確に証拠付けて、組合に示すことが可能であろう。

市会に唐突に呼ばれたのが事実なら、市会の記録に証拠が残るであろうから、当局と組合とのいらざる不信感を増幅することも、すくなくなったであろう。

 

 

[3] 組合では、拡大折衝会議に参加する予定であった執行部を中心に、議論を重ね、対策を練った。それを終えて、7時過ぎに正門にむかうとき、副理事長が誰かと立ち話をしているのを見かけ、人事担当の係長が退出していく後姿を見た。われわれとの協議時間に、何か別の会議を入れた、ということなのであろう。われわれとの会議はドタキャンして、どれほど重要な会議を行ったのか? われわれとの会議を優先し、その後、しかるべき時間、当局サイドで会議の場を持てばいいのではなかったか?

 

[4]

この私的な日誌でも、ワープロミス、練りあげられていない文書などよくあり、自ら気付いて直すこともしばしばであり、批判やご指摘をいただくこともある。

自らの覚書とはいえ、こうして誰でも読めるようにしているのだから、能力と時間の許すかぎり、推敲を重ね、注意すべきことではあろう。自らに厳しい人(?)は、あまり文書を書かず、すくなくともあまり人目に触れるようなことはしないのであろう。

そういえば、アダム・スミスも推敲に推敲を重ねるタイプの人だったとも聴いた記憶がある。

マルクスも、膨大な資本論草稿を残している。それを見ると、何回も書き直している。膨大な原稿のうち、自分で完成して出版したのは第1巻だけである(それだけでも革命的なのだが、したがって世界的な反響を呼び、生存中に、英語版、フランス語版等に翻訳され、世界的に読まれたのだが)。第二巻以降は、30年ほどかかってエンゲルスがやっと出版した。世界の再生産構造を理解するためには、第二巻が、また、現代社会の理解のためには、第三巻がどうしても必要だが、それらはエンゲルスの手による編集本としてしか存在しない。マルクス自身が完成した本を出すことはできなかった。他方、彼らの全集が和訳されたものだけでも50巻近いことを考えれば、新聞・雑誌等の日常的活動の中での政治的論文などは膨大な量に上る。科学的な研究書と政治的なさまざまのレベルの文書とは区別されている。

 

ヘーゲルも、たしか大論理学だったかの「はしがき」で、「7を7度」するほど、推敲を重ねたいと書いていたと記憶する。それを直接読んだかどうか、大塚久雄も、どこかで、「7を70度」するほど、書きなおしたい、といったことを書いていた。確か、アリストテレスも、ニコマコス倫理学の端書か何かで,同じようなことを書いていた。西欧の大家の常識、ということか。

生命力のある優れた科学的な文章を書くということは、それだけ大変なことであろう。

凡人は、一歩ずつ前進し、気付いたこと、指摘されたことを一つずつ直していくしかない。人生の最後になっても、山のふもとをうろうろしていることになるとしても。あるいはせめて、小さな山・低い山の頂上にまで達するためにだけでも。

 

それにしても、1年ごとに何かの「形」を、「業績」と称して提示しなければならない現代においては、スミスやヘーゲル、マルクスなどは、「働いていない」と「評価」が悪くなることになるのであろうか?

 

 

 

[5] といっても、付加価値の構成において、「必要労働」と「剰余労働」、「人件費」と「利潤・利子・地代」への分離は確認できる。マルクスを否定しながら、内容的にはマルクスの「必要労働」と「剰余労働」の概念に対応する統計(数値)は存在するわけである。ただ、その理論的解明はなされていない。労働生産性は、付加価値÷従業員数となっている。しかし、それは価値の側面だけであり、価値が表現する使用価値の側面をあらわすものではない。同じ金額が、使用価値を作り出す有用労働の生産性・科学技術の発展によって何十倍、何百倍、何千倍の効用を、あるいは高度化された質の商品を表現する。同じ金額でも、多量の商品と高度の質を意味する物品・サービスが獲得できれば、働く人びとの生活は向上していることになる。)

 

[6] たとえば、「あらゆるものに対して支払われる究極の価格は労働だ」岩波文庫版、『国富論』1p.330.

 

詳しくは、アダム・スミス『国富論』第1編第五章 商品の実質価格と名目価格について、 すなわちその労働価格と貨幣価格について、参照。

 たとえば、この章の冒頭、「各人の貧富は人間生活の必需品、娯楽品を享受する能力がどの程度あるかによる。しかしいったん分業が徹底的に行われた後には、人が自分の労働でまかないうるのは、これらのうちのごくわずかな部分にすぎない。その圧倒的大部分を彼は他の人びとの労働にまたねばならず、彼の貧富は彼が支配しうる労働、つまり彼が購買しうる労働の量に対応する。したがってある商品の価値は、その商品を所有し、かつそれを自分で使用するつもりも消費するつもりもなく、他の商品と交換しようと思っている人にとっては、それによって彼が購買または支配しうる労働の量に等しい。したがって労働がすべての商品の交換価値の新の尺度なのである。

 あらゆるものの実質価格、すなわち、あらゆるものがそれを獲得したいと思う人に真に負担させるのは、それを獲得する上での労苦と手数である。それをすでに獲得していて、それを処分しあるいは何か他のものと交換したいと思う人にとって、すべてのものが持っている真の値打ちは、それによって彼自身が節約でき、またそれによって他人に課することができる労苦と手数である。貨幣または品物で買われるものは、われわれがわれわれ自身の身体の労苦によって獲得するものと同じく、労働によって購買されるのである。」(6364ページ)

 

現代社会では、あるいは資本主義的市場社会では、勤労者の圧倒的多数は賃金労働者(サラリーマン)であり、一日、一週間に一定時間の労働を販売して(働いて)、その対価(アダム・スミスの言葉では、「労働の実質的補償」)としてサラリーを受け取る。提供した労苦に対応(「実質的補償」)するものを貨幣(通貨)で受け取り、その貨幣(通貨)で必要な生活物資すべてを購入する。

 

「事実、その貨幣またはその品物がこの労苦をわれわれから省いてくれる。それらのものは一定量の労働を含んでおり、それをわれわれは、そのときに等量の労働を含んでいると考えられるものと交換するのである。労働こそ最初の価格、すなわちあらゆるものに対して支払われた本源的な購買価格であった。世界のすべての富がもともと購買されたのは、金によってでも銀によってでもなく、労働によってだったのであり、富を所有していてもそれを何か新しい生産物と交換したいと思う人びとにとって、その富の価値はそれによって彼が購買または支配しうる労働の量に正確に等しいのである。

 ホッブズ氏がいうように、富は力である。しかし大きな財産を獲得したり相続したりする人が、必ずしも文民または軍人としての政治権力を獲得したり相続するわけではない。おそらく彼の財産はその両方を獲得する手段を与えるだろうが、その財産をたんに所有しているだけでは、かならずしもそのどちらをも彼にもたらすとは限らない。その所有がただちに、かつ直接に彼にもたらす力は購買力、すなわち、そのとき市場にあるすべての労働、あるいは労働の全生産物に対する一定の支配力である。彼の財産の大小はこの力の度合、すなわちその財産によって彼が購買または支配できる他人の労働の量、あるいは同じことであるが他人の労働の生産物に正確に比例する。すべての物の交換価値はそれがどの所有者にもたらすこの力の度合に常に正確に等しいはずである。」(64ページ)

 

  ホッブズの言葉・・・「気前のよさと結びついた財産もまた、力である」、『リヴァイアサン』岩波文庫版(1)151ページ。

 

 

「しかし、労働がすべての商品の交換価値の真の尺度であるとはいえ、それらの商品の価値が普通に評価されるのは、労働によってではない。二つの異なる労働量の割合を確かめることは、しばしば困難である。二つの異なる種類の仕事に費やされた時間だけが、必ずしも常に、この割合を決定するわけではない。耐えしのばれたつらさ、行使された創意の程度の差も同様に考慮にいれられねばならない。一時間のつらい作業のなかには、二時間の楽な仕事よりも多くの労働があるかもしれないし、習得するのに10年ン労働が必要な職業での一時間の執務のなかには、ありきたりの分かりきった仕事での一ヶ月の勤労よりも、多くの労働が含まれるかもしれない。しかし、つらさにせよ、創意にせよ、それについて何か正確な尺度を見出すことは容易ではない。たしかにさまざまな種類の労働のさまざまな生産物を相互に交換するにさいしては、その両方について、なんらかの斟酌がなされるのがふつうである。ただし、それは何か正確な尺度によってなされるのではなく、市場のかけひきや交渉によって、正確ではないが日常生活の仕事を継続するには十分であるような種類の、おおまかな等式によって調整されるのである

 そればかりでなく、すべての商品は、労働とよりも他の商品と、交換され、したがって比較される方が多い。だから、その交換価値を評価するのに、それが購買しうる労働の量よりも、ある他の商品の量によるほうが自然である。大部分の人々もまた、労働の量よりもある特定の商品の量のほうが意味がよくわかる。一方ははっきりした、手で触れることができる物体であるが、他方は抽象的な観念であって、十分に理解しうるものにすることはできるにしても、前者ほど自然に明白であるわけではない。

 しかし、物々交換が終わって、貨幣が商業の共通の用具になってしまうと、すべてのここの商品は、他のどんな商品と交換されるよりも、貨幣と交換されるほうが多い。・・・・」(6566ページ)

 

 ものさしが、貨幣となる必然性・必要性など。

 

 金銀等の物体が貨幣である場合の、価値の変動の問題。

 

 「等しい量の労働は、いつどこでも、労働者にとっては等しい価値であるといっていいだろう。健康と体力と気力が普通の状態であり、熟練と技量が普通の程度であれば、彼は常に同じ分量の安楽と自由と幸福を放棄しなければならない。彼が支払う価格は、それと引き換えに彼が受け取る品物の量がどれほどだろうとも、つねに同一であるにちがいない。なるほど、この価格が購買するこれらの品物の量は時によって多かったり少なかったりするだろうが、しかし変動するのは品物の価値であって、品物を購買する労働の価値ではない。いつどこでも、手に入れにくいもの、つまり獲得するのに多くの労働を要するものは高価であり、手にいれやすいもの、つまりわずかな労働で手にいれられるものは安価である。だから、労働だけが、それ自身の価値に変動がないために、いつどこでもすべての商品の価値を評価し比較することができる,究極的で真実の規準である。労働はそれらの商品の実質価格であり、貨幣はたんにその名目価格にすぎない。・・・」(68ページ)

 

 

リカードによる価値論の発展、さらにはマルクスによる発展があるが、一番の基礎は、アダム・スミスの発見・定式化にある。

グリーンスパンが、ソ連型中央集権国家、ソ連型や中国型の国有化を、マルクスの主張だとしているのは、証拠がない。

グリーンスパンも認めるように、世界大恐慌、ファシズム、軍国主義、帝国主義の世界的支配からの脱却の道を、さまざまのニュアンスの社会主義に求めたのは、ヨーロッパ諸国の現実であった。

世界戦争、軍国主義、帝国主義からの脱却、距離、平和が、スターリン主義体制などの中央集権的統制経済の存立基盤を掘り崩した。

 

[7] グリーンスパンが尊敬するアダム・スミスは、どういっているか?

たとえば、「一国の富が増加するときには、つまりその国の労働の年々の生産物が次第に増大するときには、より多量の商品を流通させるために、より多量の鋳貨が必要になる」と。(『国富論』岩波文庫、第1巻、329ページ。

 

 マルクスは、流通手段の量に関して、次のように言う。交換される「商品の価格総和÷同一名目個貨=流通手段として機能する貨幣の量」と。そして、「この法則は一般に当てはまる。与えられた時間内における一国の流通過程は、一方において、多くの分散した同時的な、場所的には並んで行われる売り(場合によっては買い)、または同一個貨が一回だけ地位を変え、したがって一流通をなすのみである部分変態を含み、他方においては、一部並んで行われる多数の変態序列を、一部は相互にもつれ合っていて、多少とも枝の多い変態序列(そのなかでは同一個貨が、多少とも多数の流通を経過するものである)を含んでいる。だが、流通に存する同名目の個貨の流通の総数は、個々の個貨の流通の平均度数、または貨幣流通の平均速度を生ぜしめる。例えば、日々の流通過程の初めにここに投入される貨幣量は、もちろん、同時に場所的に並存して流通する商品の価格総和によって、規程される。しかしながら、この過程の内部においては、一つの個貨は、いわば他のそれに対する連帯責任を負うようになる。つまり、一つの個貨がその流通速度を速めると、他のそれが麻痺する。あるいは、それは全然流通部面から飛び出してしまう。というのは、流通部面は、一定の金量を吸収しうるだけであるからである。その金量というのは、これに個々の金貨の中位の流通度数を乗ずれば、実現さるべき価格総和に等しくなるはずのものである。したがって、個貨の流通の度数が増大すると、その流通数量は減退する。その流通度数が減少すると、その量が増加する。

流通手段として機能しうる貨幣の数量は、一定の平均流通速度を与えられたものとすれば、与えられているのであるから、したがって、一定量の一ポンド紙幣を流通に投入すれば、同じ量のソヴレン貨を流通外に投げ出すことができる。これはすべての銀行のよく知っている手である。」(『資本論』第一巻第3章 貨幣または商品流通、岩波版210211ページ)

 

 日本銀行券および補助通貨としての大蔵省発行のコイン(「貨幣」)発行・流通総量は、日本経済の富の増加、経済成長にしたがって、その時々の景気循環や季節変動による若干の上下動は含みながらも、一貫して増加している。バブル崩壊当時(たとえば91)で、36兆円程度、それが、10年後(2001年)には62兆円程度、200711月現在(10月実績)では、80兆円程度となっている。

 

 このそれぞれの年度におけるGDPの推移(経済成長を示す指標)と対比させれば、経済規模の成長・増大、商品生産・流通の成長・増大に対応する通貨流通高の増加の傾向が確認できよう。預金通貨など、通貨機能をもつほかのデータを組み合わせれば、通貨流通量の節約の程度もあきらかとなろう。