経済史講義メモ
No.2 File: kogikeizaishi423:
最終更新日:2008年6月19日(木)
全体史・総体史(宇宙[1]の空間と時間、正確には時空の融合総体)の中での人類史・社会史と経済史の位置付け [2]―その1―
4-1 国 内 総 支 出(続き) |
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GROSS DOMESTIC
EXPENDITURE (Cont'd) |
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4-1A表頭注参照。 |
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See headnote,
Table 4-1A. |
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B 実 質(昭和55年--平成11年,昭和55年度--平成11年度) |
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AT CONSTANT
PRICES (1980--99, F.Y. 1980--99) |
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(単位 10億円)(平成7暦年基準) |
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(At market
prices in calendar year 1995)(In billions of yen) |
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年 次 |
Year |
民間最終消費支出 |
政府最終消費支出 |
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Private final
consumption expenditure
(A) |
Government final
consumption expenditure
(B) |
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暦 年 Calendar year |
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昭和55年 |
1980 |
174,289 |
44,896 |
56 |
1981 |
175,724 |
47,484 |
57 |
1982 |
183,021 |
49,775 |
58 |
1983 |
188,256 |
52,109 |
59 |
1984 |
192,860 |
53,790 |
60 |
1985 |
200,096 |
53,822 |
61 |
1986 |
206,582 |
56,385 |
62 |
1987 |
215,068 |
58,354 |
63 |
1988 |
226,077 |
60,343 |
平成元年 |
1989 |
236,707 |
62,078 |
2 |
1990 |
247,223 |
63,629 |
3 |
1991 |
253,878 |
65,678 |
4 |
1992 |
260,391 |
67,446 |
5 |
1993 |
265,029 |
69,602 |
6 |
1994 |
271,791 |
71,591 |
7 |
1995 |
275,627 |
74,647 |
8 |
1996 |
282,180 |
76,763 |
9 |
1997 |
284,313 |
77,784 |
10 |
1998 |
284,475 |
79,285 |
11 |
1999 |
287,988 |
82,423 |
2.宇宙史[9]・・・現代宇宙科学の到達点・・・現在の科学的諸手段によって確認できる宇宙の生誕=科学的に確認できる現在の宇宙の誕生・・・ビッグバン。
そのビッグバンは、今から100億―150億年前(各種データによるバラツキ、最近では150億年とするのが多いようだ[10])。その年齢は、光の赤方偏移による距離確認などで[11]。
100億光年あるいは百数十億光年以上遠くからの光のキャッチ(最新新聞ニュース)。
日本の世界的科学的貢献としての宇宙望遠鏡「昴」の映像。
われわれの宇宙は100億年から150億年の年齢だ。空間的広がりは、光速で、150億光年の広大さだ。
とすればその前は?
ビッグバンの時の大きさは?
今後何百億年でわれわれの宇宙は、形を変え、消滅するのか?
こんご何百億年かたつと、ビッグバンのときのような塊に、すなわち、巨大な火の玉に収縮するのか?
そして再びビッグバンを繰り返すのか?
あるいは別のシナリオか?
現代宇宙論・素粒子宇宙論の挑戦課題![12]
その解明は、日本と世界の現代の科学的宇宙論の最先端を行く人びとに期待しよう[13]。
ビッグバンに関する13年ほど前(1989年著)のホーキングの説明:
「1929年にエドウィン・ハッブルが、どちらの方向を見ても、遠方の銀河はわれわれから急速に遠ざかっているという画期的な観測を行った[14]。言いかえれば、宇宙は膨張しつつあるのだ。これは初期には天体がびっしり詰まっていたことを意味する。事実、100億ないし200億年前にはすべての天体がまったく同じ場所に集まり、したがって宇宙の密度は無限大だった時期があったように見えるのである。この発見によって宇宙の始まりの問題は、ついに科学の領域に持ち込まれたのだった。ハッブルの観測は、宇宙が無限に小さく、無限に濃密だったビッグバンと呼ばれる時点があったことを示唆した。[15]」
「『星が輝いている現在の宇宙の姿などというのは、決して無限に長続きするものではない。』こういう認識に確信が持てるようになったのはたいして昔のことではない。筆者(佐藤文隆・・・引用者注)が、1960年に大学を卒業して宇宙物理学の研究をすべく大学院に入った頃には、まだ少なくとも明らかではなかった。それから5年ほどした1965年に宇宙黒体放射の発見があり、いわゆるガモフのビッグバン宇宙の考えが正しいと考えられるようになった。・・・1970年代前半では素粒子物理学が大きく前進した。そしてこの前進と結びつくかたちでビッグバン宇宙論はもう一段大きく飛躍することになったのである。[16]」
「私たちの宇宙は、およそ150億年以前のビッグバンで誕生し、それ以来膨張を続けている。膨張に伴う宇宙の密度と温度の低下に伴って物質はその存在形態を変えてきたのであり、その意味で現在一般に受け入れられている膨張宇宙論を進化宇宙論ともいう。諸階層の天体も、あるいは天体を構成する物質(元素)も、ビッグバン以来およそ150億年の宇宙の進化によって今日存在しているのである。
太陽系の天体は約46億年以前に形成されたと考えられているが、上に述べたことかを考えれば、形成に先立つおよそ100億年の宇宙の歴史を背負って誕生し、現在に至っているということができる。[18]」
ガモフのビッグバン宇宙と日本の現代宇宙論研究の草分け・林忠四郎[19]
佐藤文隆教授や佐藤勝彦教授、池内了[20]教授などの日本の現代宇宙論の研究者を育てたのが、林忠四郎京都大学名誉教授。
その林氏は、日本最初のノーベル賞学者・湯川秀樹のもとに第2次世界大戦後まもない46年4月、副手(ただし、1年半も無給)として採用された。そして、湯川から「天体の原子核反応を研究したらどうか」と促されたという。
それから間もない48年。米国の物理学者ジョージ・ガモフが宇宙は超高温・超高密度の状態から爆発的な膨張をはじめたとする「ビッグバン宇宙論」を提唱。
そのガモフ理論と格闘したのが、林忠四郎氏。
ガモフは、初期の宇宙には中性子だけしかなく、宇宙膨張による温度低下で中性子が陽子に崩壊し、この陽子と中性子の核融合で、その後の天体を構成するすべての元素が合成されたと主張。
このガモフの主張は「林にとっては腑に落ちない。」「宇宙の初期は中性子ばかりであるはずがない」と。
林は素粒子論と統計力学の手法を駆使して、宇宙初期の陽子と中性子の存在量の計算に挑んだ。まだ二〇代後半だった。
「一人で半年間、集中してやった」成果を五〇年に論文としてまとめる。宇宙が生まれてすぐ直後の温度は数百億度(後のワインバーグの研究では1000億度)で、「中性子から陽子」、「陽子から中性子」と転換する反応が激しく起き、陽子と中性子は、ほぼ同数存在している,という内容だった。膨張にともなって宇宙の温度が下がってくると、陽子の数が中性子よりも多くなる。膨張開始100秒後には、温度は10億度ほどに下がって、陽子の数は中性子の4倍程度に増え、陽子と中性子の結合でヘリウム原子核の合成が始まった、との仮説。
「発表後、急速に宇宙論の標準理論に育っていくビッグバン理論を、日本の若き研究者が補強したのだ」[21]。
S.ワインバーグによれば、「夜空を仰ぐとき、そこに強く感ぜられるのは変わることのない宇宙である」が、このような「不変さはまったく架空のものである」。19世紀末から20世紀における観測の歴史が示したことは、「宇宙においては銀河(星雲とかギャラクシーとも呼ばれる)と呼ばれる恒星集団の島々が、光速度にも近いような速度でお互いに遠ざかっている」ということであり、「宇宙が激しい爆発の状態にあることを明かにしている」。「さらに現在の爆発的膨張を過去に向かってさかのぼると、過去にはすべての銀河は現在よりもずっと互いに接近しており、銀河や星はもちろんのこと、原子や原子核さえもそれぞれ別々には存在しえなかったほど物質が蜜であったことがわかる。これが“初期の宇宙”と呼ばれる時代」である[22]。
この1979年ノーベル物理学賞のワインバーグによる『宇宙創成はじめの3分間』ダイヤモンド社、(新版)1995年は、「宇宙輻射背景や軽い元素の存在量についての最近の観測結果と素粒子物理学の知識を駆使して、開闢してまもない宇宙を本格的に分析し解明した、はじめての一般書」とされる。「宇宙が爆発的に開闢してから100分の1秒で、輻射の中に電子と陽電子とわずかな陽子、中性子がとけていた1000億度の熱い宇宙スープが、膨張につれて急速に冷えてゆき、ついに10億度で、今日われわれが見ている物質が形をとりはじめたところまでの約3分間」を描く[23]。
すばらしくダイナミックではないか!!
ある市民講座の中で文部科学省宇宙航空研究所教授・的川泰宣教授が太陽系を今や飛び去ろうとする最後の瞬間の宇宙探査衛星からの写真(それを元にした絵)を紹介していた。その画面の中心部にある地球(You are hereと書かれて地球が示されていた)はかすかに青いきわめて小さな天体として、無数の星のなかにかすかに見えるだけであった。自ら光を発しない惑星・地球だけに、遠くなればなるほど,見分けることは困難である。ショッキングな、また宇宙船地球号というイメージが焼き付けられるような印象的な写真(絵)であった。
3.銀河史:われわれの銀河の歴史
大宇宙の全体からすれば、ちっぽけなちっぽけなわれわれの銀河。
1億年ほどで一大回転をしている渦巻き型銀河(付記:2005年5月、『NEWTON』アインシュタイン相対性理論発見100年記念の特集号を見ていたら、われわれの銀河の回転は2億年に一回だとあった。科学の精密さは、実験器具と理論の双方から進展しているのだろうが、それにしても、銀河の回転周期に関しては、この数年間に新たな発展があったようで、今では一回転2億年というのが最新の情報である)。
われわれの太陽系・地球はこの天の川銀河とともに生誕から今日まで46回ほど,大宇宙を回転しているのだ。
この銀河のそのまた端っこの方にある太陽系(太陽とその惑星)の歴史[32]
広く読まれている海部宣男の啓蒙書によれば、
地球、すなわち「太陽系第三惑星。直径1万2000キロメートルの地球は、本来そんなに特別な星として生まれたのではない。
現代の太陽系形成論によれば、地球は46億年前に、原始の太陽を取り巻くダストとガスの円盤の中で、生まれた。となりどうしの金星や火星と同じように、ダストが集まり成長して惑星となったのである。太陽に比較的近かったのでガス成分は少なく、岩石が主体の惑星になったが、これも金星、火星と同様だ。成分にもそんなにちがいはない。・・・
はじめ熱かった惑星が冷えはじめて、ちがいが現われてきた。太陽から遠く、やや小さい火星では、大気が逃げ、また残った水は凍っていった。太陽に近い金星では、原始のぶ厚い大気があまり変化せずに残り、温室効果で表面は高温に保たれた。中間の地球では、空気中の水蒸気が温度の低下につれて水となって表面をおおい、これが大きな変化をもたらしたといわれている。海が二酸化炭素を溶かし、生物を育て、やがては空気の組成まで大きく変える原因を作ったのだから。[35]」
4.地球史(Erdgeschichte)の中での海と生物と大陸の歴史・・・地質学など無機的自然の諸科学、
海から陸への生物の上陸
前述の啓蒙書で海部は言う。
「変えたといえば、地球を一番大きく変えたのは、生物だといってもよいだろう。
地球が生まれて数億年から10億年以内という早い時期に生まれた生命は、藍(らん)藻などの原始的な単細胞生物として大発展した。これは現代の生物(真核生物)のような細胞核をもたず、細胞内の機能分化も十分でない原核生物だったが、太陽エネルギーを吸って、二酸化炭素と水から炭水化物と酸素をつくった。つまり、光合成だ。藍藻類の光合成は全地球的に広がり、20億年以上にもわたって続いた結果、地球大気の主成分を占めていた二酸化炭素はほとんどなくなってしまい、かわりにそれまでなかった酸素が大量に増えた。それだけでなく、炭素は石灰岩や石油などにとりこまれて地中にもぐり、海中にとけていた大量の鉄が酸素と結びついて沈殿するなど、この間に大規模な「地球改造」が進んだのである。・・・
生命は、シルル紀からデボン紀(約四億年前)には、それまでは赤茶けた荒地にすぎなかった陸地に上陸を開始し、またたくまに全陸地を緑でうめつくしてしまった。
海は早くから生まれて、その後40億年にわたり、大きな変化もせずに地球の大部分をおおいつづけた。原核生物の20億年から25億年、それにつづく真核単細胞生物の10億年、海は生物をゆるやかに進化させてきた。その後、カンブリア紀あたりに始まる生物の爆発的進化―多細胞生物から三葉虫、魚類と植物、爬(は)虫類、哺乳類、そして人類へと続く―は、この安定した海でゆっくりと育てられた時代のおかげといわなければならない。[36]」
5.生物史・・・生物学など
・ すべての生物が発生し、成長していく源である単位としての有機的細胞:
・ 「高等植物の生殖機構」「花粉発生・分化の制御機構」など現代遺伝学研究の最先端の状況を垣間見るには、たとえば、Cf 植物細胞遺伝学研究室HP研究概要 in: .植物細胞遺伝学研究室HP
5−1、植物史[40]・・・植物の発達史、系統図の研究の進化・・・・その最先端を垣間見るには、Cf.遺伝進化学HP、およびそのなかの一般向け「コムギのはなし」、イネの系統図、原始ゲノムからゲノムおよび染色体の進化の説明などが面白い。
5−2、動物史・・・動物に共通する諸感覚、脳の形成、脳の発達、脳神経などの自然科学的研究の最先端を垣間見るには、Cf.神経行動学研究室HP
同HPによれば、「チョウに色覚があることが科学的に証明されたのは、ごく最近のことなのです。アゲハは学習した色を他の色から見分け、さらに同じ明るさの灰色からも見分けることができました。照明の色がかわっても、同じものは同じ色に見えていることも分りました。」という。色覚はチョウのような昆虫においても存在するとすれば、われわれ人間の色覚とその基礎になる眼の構造も生物進化の気の遠くなるような長時間の中で発達してきたということだろう。
・ 遺伝子研究は、まさに「遺伝」の言葉が端的に示すように、自然界(人間もそのかぎりでは自然の一部)の諸現象の歴史研究の一部であり、自然の多様な歴史的発展の到達点の分子構造を微細に科学的に分析解明している。
・ 驚異的な自然研究の今日的到達点は、本学の自然科学系の数多くのHPの各所に見いだされる。たとえば、鶴見新キャンパスの「生体超分子システム科学」の説明によれば、「生命現象に関わるタンパク質や遺伝情報を蓄えるDNAなどの構造と機能と、それらの相互作用などの解明」となっている。
・ 「化石の研究には絶対的強みがある。地質に関しては、さまざまな年代測定の方法があって、化石とはまったく独立に年代の尺度が与えられている。したがって、化石がひとつでも出ると、その地質時代にその化石に対応する生物がいたという事実が明らかとなる。しかも過去何回にもわたって、生物の大絶滅の時代があった。そして、大絶滅の時代があったということは、生物進化を考えるうえで非常に重要な事実であるが、それを調べるには化石を用いる以外に研究の手立てはない。
・ これに対して、現存の生物の遺伝子から過去の進化を調べる方法には、化石による研究にはない定量性がある。化石が与えてくれる情報は、生物(骨)の形という限られたものである。もちろん頭蓋骨の大きさ、その容積、顔面の角度など定量的な測定は可能だが、それらは生物種の進化的な位置づけに比例するような量ではない。しかし、遺伝子のDNA塩基配列のちがい(あるいはそれから計算される量)は、2つの生物主の進化的な位置づけと直結している。
・ あるタンパク質(たとえばヘモグロビン)のアミノ酸配列を、2つの違う生物種で比較してみる。そうすると、同じ機能のタンパク質なのだが、アミノ酸配列が異なっている。しかも、比較する生物種の組み合わせによって、どのくらいの割合のアミノ酸が異なっているかがちがっている。ヒトと鳥のヘモグロビンでは25パーセントのアミノ酸が異なっているのに対して、ヒトと魚では約50パーセントのアミノ酸がちがっている。
・ こういう情報を、いつごろ2つの生物種が進化上で分岐したかという化石からの情報と、組み合わせてみる。つまり、2つの生物種が分岐した化石の年代に対して、その2つの生物種のタンパク質のアミノ酸配列の置換率をしらべてみると、両者が直線関係にあることがわかる。タンパク質のアミノ酸配列の置換率を、いわば時計として使えるということがわかる。ヘモグロビンの場合は、アミノ酸配列100個あたりにひとつの置換がおこるのに、およそ600万年の期間が必要だという結果が得られている。
・ こうした解析をしておくと、まだ分岐年代が知られていない生物種についても、ヘモグロビンのアミノ酸配列を調べるだけで、すでに進化的位置づけがはっきりしている生物種との位置関係を、定量的に求めることができる。これは画期的なことで、共通祖先の化石がかりに得られていなくても、2つの生物種がどのくらい近縁であるかということを定量的に評価することができるのである。[41]」
哺乳類の中の猿
「本能的な側面を統御する」には理性をもちいるしかない。
本能は押えられるものか?
食欲は?・・・・個体の生命維持・自己の生命の生産・再生産
性欲は?・・・・類の生命の維持・子孫の生産・再生産
本能的と思われる人間の欲望も、歴史的形成物である。
とすれば可能なことは、これら本能の諸根拠を解明し、それを理性と科学の力で統御することしかありえない。
本能の統御が、古来からの世界各地の倫理、宗教、道徳などの課題であり使命であったし、その手法・仕方の違いが諸宗教、諸倫理、諸道徳のちがいとなっている[58]。現代は、それを諸科学の成果の結集によっておこなうべきだということだろう。
これもじっくり考えなければならない。
現代世界の諸問題、たとえばパレスチナ問題、イスラエルとパレスチナの問題は、単純な「本能」の問題か?
人類は、人類史の結果として獲得した科学技術を十分に使いこなすだけの人間的能力を開発していない、ということではないのか?
人間は科学を進歩させた。人間はその科学の最高の発展を人間のさまざまの目的に使用する。
その際、ダイナマイトのように土木工事など開発・生産のプラスの目的のために使用されるものが、同時に、その同じ科学技術的性能によって、人間社会・生産をも破壊し得る。どちらの目的に使用するかは、人間たち、社会の考え方、諸人間グループ(諸国家・国家連合)の政策による。
科学的真理と科学の力、それは人間の力であり、人間がその持てる力をどのように活用するか、これは人間次第である。
人間・人類は、現在持っている自分たちの力=科学の力の使用方法、用途を決める。
ダイナマイトは、現実に、一方では生産のために、人間生活の向上の為に利用され、他方では、敵対する人間社会・敵対する軍事力の破壊のためにも利用された。
原子力の原爆としての利用も、前提は敵対的な世界があって、戦争をしているという現実があって、敵を殲滅するために行われた。
人類最高の科学的達成である原子科学、原子力の科学的解明を、軍事手段としての原爆開発に振り向けたのは、第二次世界大戦という敵対が前提となていた。
「科学の進歩は今や原子の世界を解明し、その最初の証明が爆弾であったのは不幸[59]」であった。
不幸な世界が、科学の用途を決めた。
世界が平和になった段階では、現実的には、原子力はエネルギー源として、活用された。
(同時に、潜在的には、冷戦体制という敵対的関係の中で、敵を殲滅・抑圧する手段として、原爆その他の物理学工学関係の手段がつねに開発され大規模化された[60]。原爆はいまなお「抑止力」として開発が継続されている。敵対的な要因をもつ社会では、原爆開発がつづけられている。イスラエル対パレスチナ、インド対パキスタンなど)
人間・人類が敵対的な諸国家や敵対的な諸グループに分かれているかぎり、敵対する両方の陣営が、科学技術=人間の力・社会の力を敵を破壊するため、敵を抑圧するため、敵を抑えこむ目的で使用する、使用しようとするのは必然である。
人間・人類が敵対的な諸グループ、敵対的な諸社会、敵対的な諸民族、敵対的な諸国家などに分かれているかぎり、そのいずれの側も最高の科学技術を敵の殲滅、敵の抑圧に使用しようとする。
人間・人類が、相互に敵対的でない社会を創出していくしかない。
人間・人類は、相互に敵対的要因を拡大しないように、日々、慎重な理性的な努力を積み重ねていくしかない。
人間・人類は、問題発生のたびごとに、理性の手段を使って解決するように、社会全体の理性的能力を高めていくしかない。
人間・人類の内部の敵対的諸要因をなくすること、これが人間・人類の課題であろう。
そのためには、何が敵対の原因・根拠になっているか、敵対の根源は何か、その総合的な冷徹な解明=理性的解明が前提となろう。
ともあれ、倫理、宗教、道徳は、胃の府を満たすことはできず、肉体に物理的生物的エネルギーを充満させることはできない。
胃の府を満たし、生命を維持する物質的な富を、人間は、群れ・社会を形成して、自然・地球に働きかけ、その労働・生産によって獲得してきた。
生産とは?
人間・人類の富の生産と人間・人類の肉体・頭脳・理性との関係、相互のダイナミックな発展関係こそが、人類史である。
サルから人間への進化史のなかでの労働=手の役割
機械化・工業化の進展のなかで、人間は手の感触を喪失・・・手の新たな再発見
近代教育学の父ペスタロッチの「子供の手の敏感な感触を自由に発揮させ、それを享受させることが教育のはじめである」という言葉・・・人類発達史における手の役割の重要性[61]
「人間は道具を使う動物である」という定義もあるように、技術は人間を特徴づけるものである。進化のなかで人間は、直立の姿勢をとり自由になる器用な手を持ったことと、脳が発達したことにより、現在のような特別の位置を獲得したのである。しかも、器用な手の巧みな扱いが脳を刺激して発達させ、脳の発達がさらに進んだ道具を生み出すという形で、両者が助け合いながら、新しい技術、さらには文化をつくりあげてきた。
このように考えると、技術は単に物を生み出すための方便ではなく、人間が生きることの本質にかかわり合うものであることがわかる。[62]」
人類史の到達点の一つが、われわれ人間の脳
「脳の中には、約1000億のニューロン(神経細胞)がある。それぞれのニューロンが、シナプスと呼ばれる数千から一万の結合を通して他のニューロンと関係を結んでいる。この複雑なネットワークのなかに・・・豊かな想像力の世界、(他方では)幻覚の世界を生み出す秘密が隠されている。」 この現代脳科学の知識をちょっと見てみるだけで、われわれの脳がいかにものすごい機能を持ち得るかが想像される。「豊かな想像力」といっても、脳が持つ機能からすれば、ほんの一部を使っているにすぎないのではないか。
天才といわれる人は脳全体を使っているともいわれる。
常人が使う脳のネットワークに比べて、天才が使う脳のネットワークは、何十億倍であるのか?
現代の脳科学によれば、脳を構成する要素である「一つ一つの素粒子には、心はない。一つ一つのニューロンにも、心はない。脳の小さな部分を取り出しても、そこには心がない。心を生み出すのは、脳全体にまたがって、1000億のニューロンが作り上げる、複雑で豊かな関係性である.つまり、心を生み出すのは、脳というシステムなのである。[63]」
その土台としての脳、システムとしての脳をわれわれ人間は、宇宙史、地球史、人類史の成果として、個人個人の頭の中に持っている。
問題は、その土台としての脳が活性化されているかどうか、1000億のニューロンがしかるべき関係性を持ったネットワークとして、縦横無尽に機能しているかどうか、であろう。
そして、その縦横無尽の活発な脳のニューロン細胞の働きを可能にする条件を、熟知しているかどうか。
人間諸個人がからだのなか、脳のなかにみんな持っている宝、宇宙史・地球史・人類史の成果、このひとりひとりみんな潜在的にもっている宝物を十分に活性化しているかどうか、その活性化のための条件は何か。
現代の理性・科学はそのような脳の働きそのものを深く全面的に把握することを課題とし、着実に前進している。
この現代科学の成果からも、われわれは学ばなければならないだろう。
「脳の機能局在の傾向」と一つの生きた有機的構造体としての脳による統合
・ 脳の各機能が脳の各部署に分かれている。
・ ニューロンはそれぞれの機能に対応して選択的に反応する。
・ 脳の機能局在は、「階層構造が形成されている[64]」
それら諸機能を統合するものとしてのニューロン・シナプス・ネットワーク
・
脳細胞全体の諸ニューロンとその諸機能の有機的構造的立体的システム的連関
「私たちの意識を生み出しているのは、脳の中のニューロン活動である。・・・現時点では、私たちの意識がニューロンの活動からいかに生み出されるかについて、確実に言えることは少ない。ただ、一つだけ確実なのは、私たちの意識が、脳のニューロンのネットワーク全体のシステム論的性質から生み出されているということである。
例えば、私が意識の中で『赤い色』を感じたとする.この主観的体験に、V4野の赤い色に対して反応選択性を持つニューロン活動が寄与する・・・。しかし、このとき、『赤い色』という表象は、V4野の単一のニューロン活動によって生じたのでは結してなく、そのニューロンが脳というシステムの中で他のニューロンと結んだ関係性の下に生じたのである。・・・・『赤い色』という主観的体験を生み出すニューロンの関係性は、視覚野だけにとどまるわけではない。つまり、脳は、視覚情報を視覚情報として処理することに終始しているのではない。脳は、最終的には環境から入ってきた情報に基づいて、動物が適切な行動を取るために存在している。すなわち、視覚野で処理された視覚情報は、何らかの形で動物の運動に繁栄されなければならない。・・・・[65]」
20世紀末・・・高度に発達した機能を持つニューロンの発見!=ミラーニューロンの発見[66]・・・「鏡に映したように自分の行為にも相手の行為にも反応するニューロン」・・・ミラーニューロンは「休憩時間中に偶然発見された[67]」。予期せぬ、期待せぬ発見。ガレーゼたちは、ある特定の形状の物体や、ある特定の行動に伴って活動するニューロンを探そうとしていて、それとは全く違った昨日のニューロンを発見。
衝撃的発見・・・1990年代初頭、イタリア、パルマ大学、ヴィットリオ・ガレーゼとジャコモ・リゾラッティの発見(猿の大脳皮質の運動前野から)・・・視覚の情報と運動の情報を融合する反応特性を持つニューロンの発見。ミラーニューロンは、「自分の」行為と「相手」の行為を結びつけるという意味で、自己と他者という、意識の根本問題に関わる情報処理をしている。
ミラーニューロンは、特定の反応特性を持つ今までに発見されたニューロンと違って、「いわば脳の情報処理の全てに関わるような特性を持っている」。
「視覚と運動、自己と他者、空間知覚、ボディ・イメージ(身体感覚)。このような、脳というシステムの根幹に関わるようなニューロンが、従来は「運動前野」=運動プログラミングを行う領野と片付けられてきた場所で見つかったからこそ、衝撃的だった[68]」と。
脳科学の歴史は、ある意味では「まさかこんな反応特性を持つニューロンがあるとは」という驚きの歴史とか!
1962年の発見・・・のちにノーベル賞を受賞したアメリカの神経科学者、デイヴィッド・ヒューベルとトーステン・ヴィーゼルの発見…猫のV1野(第一次視覚野)で、「ある特定の方向に傾いた線分」だけに反応するニューロンを発見。
ミラーニューロンに相当する部位(ミラーシステム)は、fMRI(陽子断層撮影法)などを使った研究によって人間の前頭葉の運動前野でも見つかっている、と[69]。
「ミラーニューロンの発見以降、もはや、感覚情報処理と運動情報処理を分離して理解しようとするアプローチは不充分であるという認識が広まっている。感覚運動連合を含めた脳全体のシステム論的性質という視点から、単一のニューロン活動の電気生理学データを含めた全ての脳科学の知見を見直すことが意識され始めている。システムとして理解しようとするのでなければ、脳という複雑な臓器の性質を解き明かすことはできない。これが脳科学の『システム論的転回』のメッセージなのである。[70]」
ミラーニューロンは、その具体的な存在場所(運動前野)での具体的な機能が高度であり特殊である。生物学的細胞学的に取り出せば、ミュラーニューロンも「ただのニューロン」である。
「ミューらーニューロンという単独のニューロンが、私たちの意識を支えているというわけではない。ミュラーニューロンも、運動前野からとりだしてペトリ皿の上に置けば、何の変哲もないただのニューロンである。ミュラーニューロンが脳というシステムの中で特別な役割を果たしているとすれば、その特別な役割を与えているのは、ミラーニューロンを取り囲むニューロンの関係性である[71]」と。
前頭葉の運動前野のニューロン群の相互関係・機能連関
[1] 宇宙・・・う‐ちゅう【宇宙】‥チウ
(淮南子えなんじの斉俗訓によれば、「宇」は天地四方、「宙」は古往今来の意。一説に、「宇」は天の覆う所、「宙」は地の由る所。すなわち天地の意)
#世間または天地間。万物を包容する空間。風流志道軒伝「論語は―第一の書」
#〔哲〕時間・空間内に存在する事物の全体。また、それら全体を包むひろがり。もっと狭い限られた範囲の事物全体を指していう場合もある。
#〔理〕すべての時間と空間およびそこに含まれる物質とエネルギー。
#〔天〕すべての天体を含む空間。また特に、地球の気圏のそと。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
[2] 諸科学はエンチクロペディー(エンサイクロペディア・百科全書)として、全体系、全連関性において、個々の科学・学問の分野はその部分領域として、とらえられなければならない。これがヘーゲルのエンチクロペディーの合理的方法である。
人間・人類の経済の歴史、経済史が人類の歴史総体とそれに関する諸科学全体の連関のなかでどのような位置にあるか?
受講生諸君、この問題をひとつじっくり考えてみて欲しい。
その一つの答えをヘーゲルは出しているのであり、またスミスやマルクスなど世界的に名前の通った巨人たちは、そのような大きなスケールで問題を考え、また答を出そうとした。
ヘーゲルにおける「哲学」は合理的今日的用語からすれば、科学である。参考までに、彼の文章で「哲学」とあるところを「科学」に置きなおしたつぎの『小論理学』の一節を熟読玩味して欲しい。
ニュートンの力学原理だって、正式タイトルは「自然哲学の数学的原理」であった。The
Principia : Mathematical Principles of Natural Philosophy Isaac
Newton イメージを見る
当時は、自然科学の世界最高水準の成果が「哲学」とよばれ、哲学として位置付けられていたのである。それだけ哲学は総合的な知的営為と考えられていたということである。
「科学の諸部分のおのおのは、いずれも一つの科学的全体であり、それ自身のうちで完結した円であって、そこでは科学的理念は特殊の規定性あるいは領域のうちにある。しかし、個々の円は本来集まって体系的な全体をなすべきものである・・・全体は、おのおのが必然的なモメントをなしているところの多くの円からなるひとつの円としてあらわれ、諸円に特有な諸領域の体系が完全な理念を構成し、またこの理念はあらゆる領域のうちに姿をあらわしている・・・」。ヘーゲル『小論理学』、上、「エンチクロペディーへの序論」、岩波文庫、85ページ。
ヘーゲルの科学的な精神においては、すなわち、彼の弁証法的な「エンチクロペディーは普通のエンチクロペディーとは異なったところを持っている。普通のエンチクロペディーは、偶然的かつ経験的に取り上げられた諸学の寄せ集めにすぎず、しかもこれらの学問のうちには、学問というのは名だけで、単なる知識の寄せ集めにすぎないものもある。」同、86ページ。
これに対して、ヘーゲルの世界観の合理的核心を取りだし、全体の連関性・内的な発展的相互関係の把握という方法的見地を樹立する必要があろう。
例:生物学と宇宙の関係・・・「最近では、生物学の分野でも宇宙への関心が高まっている。生物学の課題の一つに、地球上の生命の起源という問題があるが、それを知るには地球自体の誕生の様子を調べなければならない。
地球は、45億年ほど前に誕生し、それから10億年くらいの間に原始生物が生まれたと考えられているが、そのころの地球の様子を知るには、地球の仲間である太陽系の惑星や月からえられる情報が役に立つ。最近、電波望遠鏡を使って、遠い宇宙のかなたの星と星のあいだにあるガスを調べた結果、星間に生体物質と類縁の物質が存在していることがわかってきた。大きな流れ星のもえ残りが地球にまで達した、いわゆる隕石は“宇宙からの手紙”といわれ、これを分析すれば、宇宙に存在する物質がわかる。そして、隕石のなかにも、生物と関係のある物質が発見されたという報告もある。・・生物の研究も、いまでは宇宙の広がりの中で行われるようになり、ときには宇宙生物学などという言葉も使われることもある。流れ星を見ていると、150億年といわれる宇宙の歴史の中、同じく150億光年の広大な空間の中で、今この地球という星の上に生きている人間という存在の意味を考えずにはいられれない。」中村桂子『生命科学者ノート』岩波現代文庫、2000年、12―13ページ。
宇宙の時空のさまざまの次元を、写真でわかりやすく説明するものとして、『パワーズ・オブ・テン Powers of Ten―宇宙・人間・素粒子をめぐる大きさの旅―』フィリップおよびフィリス・モリソン、チャールズおよびレイ・イームズ事務所 共編著、村上陽一郎・公子訳、1983年(2004年4月、第12刷)を参照。
この本のエッセンスを紹介した部分を含む池内了編著『これだけは読んでおきたい科学の10冊』(岩波ジュニア新書)456、も参照。
[3] 現代科学の全域を具象的に説明する前述の『パワーズ・オブ・テン Powers of Ten―宇宙・人間・素粒子をめぐる大きさの旅―』(原著は1982年、邦訳1983年)の冒頭部分(p.12-14)を紹介しておこう。
科学の全域
人の腕の長さで測れる世界、つまり1mのスケールの世界は、ほとんどの人工物の世界であり、生き物にとってもっともなじみの深い世界でもある。エジプトのピラミッドからアメリカのペンタゴンに至るまで、どんな大きな建造物でも単独でキロメートルの規模をこえることはない。
これと同じような限界は生物界にもある。どれほど巨大な樹でも高さ100mを超えることはないし、古今の動物でも100mに達したものはない。
人工物の中でも、実際に用いられ、かつ目でも見分けられる最小のもの、例えば豆本に描かれた精巧な文字とか、縫い針の穴などは、もしかすると1mmの何十分の1くらいにはなるかもしれない。
べきにして6程度の大きさ(0.1mm~1km)は、身近にあるもののほぼすべてを含んでいる。この大きさをあつかう科学は概して絶対的なもので、この範囲での科学の特徴は、人間の行動の基底にあるものを求めるところにある。
[4] われわれの天の川銀河は1億年程で一回転しているという。
10億後年ほどのところにある大銀河は、小銀河を飲み込もうとしているという。壮大な宇宙史の姿が、またひとつ「スバル望遠鏡」で明らかになったようだ。京都新聞(共同通信、記事)(2004年9月21日電子版)によれば、
「地球から10億光年離れた銀河が、近くにある小さな銀河をのみ込もうとしている姿を谷口義明東北大助教授らのグループが、すばる望遠鏡で観測、21日から盛岡市で始まった日本天文学会で発表した。
大きな銀河は、周囲の小さな銀河をのみ込みながら成長すると考えられており、こうした状況をとらえたのは米国のハッブル宇宙望遠鏡に続き2例目という。
谷口助教授は「今後20億―30億年で小さな銀河はのみ込まれるだろう。こうした天体を観測することで、銀河形成の歴史を知る手掛かりになる」と話している。(共同通信)」
私たちの世界を物理的な大きさに従って区分けしてみよう。
スケールが大きくなると、人間の働きはほとんど目につかない。見えるのは鉄橋、堤防、ダム、高速道路くらいである。これらは空中から見た場合、3次元の立体にはならず、すべて細長いリボンのように見える。人工的なものは集団を構成したとき初めて、幅が10~100kmとなるような、かなりの広がりをつくる(それでも3次元的には見えない)。たとえば耕作した平原や段丘、水田、原始林の中の開拓地、巨大都市とその郊外などだ。これらは計画的につくられたというよりも、発展の跡を物語っているというべきだろう。
生き物についても同じことがいえる。草の葉一枚はいかにも小さいが、草原やサバンナや深い森になると、一地方を越えて広がり、1000km以上になることがある。この段階では自然および土地利用にかかわる科学が役に立つ。おそらく過去の歴史学者と地理学者が残した記述も、また現在、過去を通じて農林業から工業に至るまでの高度な実用技術に精通した人たちが述べていることも、大いにかかわりがあるに違いない。
1000kmというスケールを超えると、人類の気配はまったく消えてしまう。地球や地域をあつかうにしても、1万kmの規模になると人間臭さのない科学が力を得る。速い気流、雲の流れ、吹き続ける風、ゆるやかな川の流れ、海流、氷河、さらには大陸の動きなどが見渡せる。この段階は、気象学、海洋学、陸水学、地質学などの動的な科学の舞台である。ここ2,30年の間に、地質学はその守備範囲を驚くばかりに広げた。ほんの少し前までは、地球全体が地質学の対象になるなどとは考えられなかった。各地域はかなりくわしく研究されてはいたが、広大な大洋の両側に離れた海岸が、じつは分かれてきたものだと考えたりすることは、思いもよらなかったのだ。しかし現在、地質学者は、地球は一地方にすぎないと考えている。
1万kmのスケールを超えると、地球からはみだすが、それでもまだ人間が関係する領域である。私たちはすでに勇敢な宇宙探検隊を月世界にまで送り込んだ。地球の静止軌道、すなわち赤道上、地球半径の5倍の高さで地球を回る軌道は、今や開発の進んだ天然資源といってもよい。この重力バンド内を回る人工衛星は、自転している地球から見ると、けっして沈むことも昇ることもなく、つねに一定の場所に静止している。これらの衛星は音声と画像を、従来の方式ではとても届かないような離れた国から国へ、自由に中継する。
太陽系の限界まで達するには、さらに10の6乗以上の距離が必要である。そこでは地上では見えない彗星の飛び交う空間に身をおくことになる。太陽系を対象とする科学、すなわち、惑星の表面や内部の研究、また惑星の衛星、隕石、彗星、広範に広がる宇宙塵に関する探究などは、今日ではたんなる天文学を超えた内容をもつようになっている。私たちはもやは、ただ遠くから眺めるだけではなく、手で触れ、サンプルを採取しているのだ。
今日の天文学は恒星からスタートする。恒星の一つである太陽は、私たちの生命を支える心臓であり、くわしい研究が可能な唯一資金の恒星である。この太陽と、一番近い恒星との間には、信じがたいほどの距離がある。恒星の国に入るためには、さらに10の4, 5乗の距離が必要である。
恒星は宇宙の目に見えるすべての物質が結びついてできているガスの球である。その恒星にも誕生、成長、死という生涯のあることが話題になったのは、今世紀に入ってからであった。これこそアストロノミー(天文学)という言葉の持つ本来の意味、星の学問である。天文学は今や、未完成ではあるが、学問として成熟の域に達している。
さて、今度は逆の方向を見てみよう。目を凝らして見るミリメートル以下の肉眼の世界から、肉眼では見えない小宇宙へと、小さい領域にむかってみよう。
まず目につくのは、私たちの体とすべての生命体がもつ精巧な仕組みである。この段階で私たちが出会うのは解剖学、生理学、組織学、細胞学などの領域で、これはすべての生命形態の基礎となる細胞の研究にまで至る。
ここからさらに10の3、4乗進んだところで顕微鏡下の生命の世界が開ける。これが微生物学で、最も古いかたちの生命である小さな細胞から、自活しているかどうかも定かでない寄生生物、ウィルスまで登場してくる。その段階、つまり、1000Å(オングストローム)前後で、私たちは分子生物学の分野に出会う。ここは形態と機能を結びつける段階なのだ。形態は分子レベルであり、機能は生命のもともっとも根本的な性質にかかわるもので、生物の進化の全時間を通じてすべての生命界に共有されているものである。この次元では遺伝学、巨大分子の生化学、さらには両者の相互作用が問題になる。ここからまもなく、生命と、ランダムな運動や原子のつながりを論ずる化学の世界との境界線にぶつかる。
再び天界に戻ろう。ここでも私たちは、本当の意味での自然の境界を越えることになる。それは私たちの「天の川」を離れるときであり、そこから先は時を超えてつながりあい渦巻いている数限りない星の集まり、すなわち、銀河の世界なのだ。星の天文学はまず新しい星を生み出す希薄な星間物質の研究から始まった。次に私たちの銀河、さらに他の銀河にかかわる天文学の発展があった。星の集団はさまざまの驚嘆すべき姿を見せつつ、はるかな宇宙に散らばっている。
目を再度内側に転じて、巨大分子の世界からより小さな世界に分け入ると、最後には一つの原子にぶつかる。この場合のスケールはほぼ1Å(オングストローム)で、これ以下の大きさになると、もっぱら物理学と化学の独擅場(どくだん‐じょう【独壇場】‥ヂヤウ(「擅せん」の誤読からできた語) (→)「どくせんじょう(独擅場)」に同じ。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版])である。
原子の内部に研究を進めると、通常の世界では思いもかけなかった形象を相手にすることになる。もちろん、直接その形を見られるわけではなく、非常に強力な装置を用い、現代物理学の概念を駆使して、初めて目に見える形にできるのだ。現代の物理学は、新しい基本法則をいくつか明らかにした。当初これらの法則は矛盾して見えたが、今では私たちの知っている定型的で安定した物質の世界を説明するのにたいへんな威力を発揮している。100程度の化学元素がつくりだす複合的世界、あるいは、それよりは多いが、それでも一定数の核種がつくりあげている世界は、秩序と偶然との微妙な相互作用に支配されている。
私たちの画像が終わる二つの極限、つまり極大と極小の世界は、要するに現在わたしたちが知っている限界を示す。一方の極では、はるか遠く銀河が暗黒の中に輝く泡のような姿を見せる。ここで頼れる科学はただ一つ、宇宙論である。10億光年以遠の所で、現在の空間上の知識を代えねばならないようなものがあることは、とくに知られていない。私たちが知っているものはすべて、最大限10億光年という距離で片がつく。たしかに、宇宙空間にはもっと素晴らしいことがある。しかし、それはもはや距離ではなく、時間を広げねば表現できない。
宇宙とは結局、同じ材料でつくられたたくさんの銀河で埋めつくされてできたものだといってよい。もう一方の極、すなわち極小の世界でも、通用する科学は一つだけ、素粒子物理学しかない。
しかも、この極大と極小の世界は、互いに関係があると思われるふしがある。誕生直後の燃えたぎるように熱い宇宙には、現在素粒子の実験室でたまたま出会う類の物質しかなかったらしいのだ。
私たちの世界はモジュラーな世界である。つまり、非常に単純な構造が無数に繰り返し重ねられてできあがっている。しかひ、その根本の構造が明らかになり始めたのは、ごく最近になってからだ。
原子核の中には陽子がある。陽子のなかには相互作用し合うクォークがある。ではクォークのなかには何があるのか。磁場をかけた環や管でできている巨大な加速器、つまり現在の兆微視的な探索器は、まだ決定的な答えを出していない。
私たちが確実に知っているといえる世界は、10の42条にわたる間だけである。それ以外のことについては、推量と憶測をあえてするほかはない。心では無限について考えられるように、現実の世界でも無限であるかどうか、議論はできるにせよ、まだ答えはない。極大世界ないし極小世界への旅をどこまで続ければよいのか。」
[5] 「私たちは、酸素がなくては数分だって生きていられないが、酸素がきらいな細菌もある。そもそも、大昔の地球には酸素などなかったのだから、当時の生物はみな酸素ぎらいだったはずだ。」同上、18―19ページ。
[6] 極微の世界も、日々驚異的な発見が相次いでいる。
「DNAの中を電気が流れる速度は秒速数センチで、塩基配列が違うと速度が変わることを大阪大産業科学研究所の真嶋哲朗教授らが確かめ、米科学アカデミー紀要に21日、発表した。DNAを材料にしたナノレベル(ナノは10億分の1)の電気回路実現に役立つほか、速度の測定によってその部位の塩基配列特定が可能になるのではないかという。
調べたのは、分子結晶から電子が欠けた正孔(ホール)の移動の様子。正の電荷を持った電子のように振る舞い、電気の流れとなる。
真嶋教授らは長さ約10ナノメートルのDNAで実験。レーザーを使って発生させた正孔は、10ナノメートルを数マイクロ秒(マイクロは100万分の1)で移動した。秒速数センチに当たる。(共同通信)」
[8] 発明・発見の歴史において、実験が根本的に重要。データとの直接の格闘が大切。
自然科学の最新の事例・・・青色発行ダイオードの発明でノーベル賞最短といわれる中村修二氏(現在は、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授)の刺激的啓発的な著書は、歴史研究、経済史研究においても根本的に重要な事実への沈潜、事実のなかから法則性を見抜く姿勢の必要性を示唆している。
たとえば、「実験データをつぶさに眺め、現象だけから考えを進め、現象が示すことだけから本質を見抜いていく−私はこの方法で青色発光ダイオードの成功を導いた」と。同『考える力・やり抜く力・私の方法』三笠書房、209ページ。世界トップの仕事を成し遂げたとの実感を持つ著者の気迫がびんびん伝わってくる。多くの若者を勇気付ける書物のような気がする。一読を薦めたい。1点だけコメントすれば、研究・探究の「方法」がこの本でもいちばん学ぶべき点であろう。
[10] 立花隆は、現代科学の解明した宇宙的時間スケールを意味させるものとして、「100億年」と使用している。ただ、「100億年の旅をする主体は、この世界である」(同『100億年の旅』朝日文庫、2002年3月刊、はじめに、5ページ)というとき、まず確認しておかなければならないことは、本当は、科学の解明した到達点からすれば、われわれ自身、われわれの地球とそれを包む大宇宙がそれ自体として事実において、すでに100億年の旅をして来たのだ、ということである。それを人類の現在までの科学の力で再発見し、認識しているということなのである。
[11] スティーヴン・ワインバーグ著小尾信彌訳・佐藤文隆解題『宇宙創成はじめの3分間』ダイヤモンド社、(新版)1995年。
この本の末尾の「数学ノート」p.240-241で、ワインバーグは膨張宇宙の実例を挙げながら,次のように言う。
「おとめざ集団の銀河はわれわれの銀河系から毎秒約1000kmの速さで遠ざかっている。光速度は毎秒300,000kmである。したがって、おとめ座銀河集団からのいかなるスペクトル線の波長もλ’も、正規の値λから,
λ’/λ=1+ 1000km/300,000km=1.0033
の比だけ大きい」と。
光速に近いスピードで遠ざかる最遠方の銀河集団と比べれば、秒速1000kmのおとめ座集団は、われわれから比較的近い距離にある銀河集団だといえよう。
[12] 超ひも理論は、「重力を含む4つの力の統一理論として期待される理論」だということだが(佐藤文隆『科学と幸福』岩波現代文庫、2000年、98,128ページ)、これが一般相対性理論と量子力学の矛盾を総合的に乗り越えて、新たな物理理論・宇宙理論の地平を築くのかどうか、物理学界のチャレンジを見守っていきたい。
ブライアン・グリーン著林訳『エレガントな宇宙‐超ひも理論がすべてを解明する‐』草思社、2001年は、なかなかセンセーショナルなタイトルだが、佐藤によれば、「従来の場の理論が無限小の時空点の力学であるのに対して、ひも理論では有限の大きさ(プランク長さ、10のマイナス33乗センチ)のひもの和の力学とする。これにより場の理論の発散の問題は根本的に解決される」ということで、一面、量子力学の従来の難問を解いているようであるが、他方、「基本理論から現実の力を出してくることにはまだ成功していない」と。佐藤、同上、128ページ、注(16)。とすれば、宇宙論の難問を解きほぐすにはいたっていないということでもあろう。
[13] 2003年2月12日の『朝日新聞』夕刊、1面「宇宙は137億歳、永遠に膨張」「NASA発表、議論に決着?」の記事は、最新の到達点をつぎのように言う。
「宇宙の年齢は137億歳、平らで永遠に膨張を続ける―。米航空宇宙局(NASA)は11日、人工衛星でとらえた誕生直後のう中の様子を公開し、その『姿』を明らかにした。これまでも130億歳以上で、平らなどと推定されていたが、NASAは人工衛星詳細に観測して分析。宇宙をめぐるさまざまな議論を決着させる成果だという。
NASAは、WMAPという衛星で、宇宙誕生の大爆発(ビッグバン)から38万年後の宇宙から降り注ぐ電波(宇宙背景放射)の御どなどを100万分の1度の精度で観測。宇宙の温度分布図をつくった。(記事のなかにはこの温度分布図がカラーで挿入されている)
宇宙全体のエネルギーのうち、水素など星を形作る普通の物質は4%にすぎず、正体不明の暗黒物質(ダークマター)が23%。73%はアインシュタインが予言した宇宙定数(ダークエネルギー)だった。」
とすると、「暗黒物質(ダークマター)」とは何かが決定的に問題になる。「暗黒物質」がなにかはまったく分かっていないからである。不明のものに仮につけた名前が「暗黒物質」であろう。科学はこの解明を課題としていると言うことだろう。
「形は、曲がっていたり、反っていたりするのではなく、平らであることがはっきりし、誕生直後に爆発的に膨張(インフレーション)したことも確実になった」と。このインフレーション理論では日本人の貢献が大きかったはずだ。どこかに書いてあったが、その場所、その人物をいま思い出せない。
「宇宙が将来、収縮に点じてつぶれる可能性はなくなった」ともいう。
しかし、「暗黒物質」なるものが解明されていないのに、どうしてそのような断定ができるのだろうか?
「国立天文台の杉山直教授(宇宙論)は今回の結果から宇宙の大きさは800億年後に現在の100倍になると計算。『これまで予想されていたことが格段に高い信頼度で明らかになった.宇宙論は証明できないストーリーから精密な科学になったといえる。ただ宇宙のほとんどを占める物質やエネルギーは何かという新たな謎も生まれた』と話す」と。
「精密な科学」としての宇宙論は、いまに始まったことではないだろう。たくさんの科学的発見、科学的天才の発見した法則の積み重ねの結果として、今日の科学的宇宙論があるといえよう。その精密さに新たな精密な実験データが付け加わったと言うことだろう。
[14] ハッブルがこの観測を行うことができた一つの条件は、第一次大戦に勝利したアメリカの好景気だった。「高価な科学機器といえばかつては大望遠鏡だった。第一次大戦後のアメリカの景気がこの国の天文学を世界一にし、銀河世界と膨張宇宙の発見をもたらしたのであった」と。佐藤文隆『科学と幸福』岩波現代文庫、2000年、55ページ。
高エネルギー物理学、大型加速器・・・「実験の目的は素粒子の研究であるが、実験のためには超伝導磁石やビーム技術などを開発するので、確かに民生への技術的波及効果は存在し「役立つ」といえないこともない。ところがこういう超高度の技術が直接インパクトを持つのは、先端的な軍事技術がどうしても多くなく。理由の一つは共に採算性を度外視しているからである。このため、民生技術では使わないぐらいの高い精度を達成する技術などが開発される。・・・望遠鏡でのぞいた星の像の大気によるボケを直す補償光学といった技術を開発しているのは、最先端の天文学と防空技術だけである・・・ともかくいずれも採算と効率を無視し、経済原理の作用する儲けの世界とは無縁な科学者技術者の〈理想郷〉であるという意味で、純粋科学と軍事科学は背中合わせで案外近いところにいるのである。」佐藤、同上、60‐61ページ。
むしろ、本当の近接性は、いずれの科学の場合にもある「最先端性」にあるのではないか?研究開発費には、それぞれこの「最先端性」が関係する。
「最先端性」の客観的評価は? 平時には、通常の諸研究者の競争の中で、実証されるしかない。
競争の中でもっとも厳しいものが、巨大国家どうしの対立競争。
米ソ冷戦期の高度軍事技術をめぐる競争。「かつて、アメリカでは物理学を修めた人材の40%は広い意味での国防・軍事関係で働いていたという。」(佐藤、同、61ページ)
[15] S.W.ホーキング著林一訳『ホーキング、宇宙を語る―ビッグバンからブラックホールまで―』早川書房、1989年(第53刷、1998年)、25―26ページ。
[16] 佐藤文隆著『宇宙を顕微鏡で見る』岩波現代文庫、2001年、97ページ。
[17] 読売新聞科学部『日本の科学者最前線』のインフレーション理論の提唱者「佐藤勝彦(宇宙物理学)−宇宙膨張のメカニズムを解明−」の項、274-275ページ。
[18] 小尾信彌・吉岡一男著『新版 太陽系の科学』放送大学教材8212、1999年、24ページ。
[19] 読売新聞科学部『日本の科学者最前線』268−272ページ。
[21] 同、270ページ。
[22] スティーヴン・ワインバーグ『宇宙創成はじめの3分間』ダイヤモンド社、(新版)1995年、14ページ。
[23] ワインバーグが言うように、現代物理学が集めた客観的データを整合的に理論化するとビッグバンを前提にしなければならないということであって、ワインバーグ自身、「わたしたちが述べていることについて、まるで本当にわかっているかのように最初の3分間について書きながら、私は非現実性を感ずるのを否定することはできない」(同、10ページ)としている。宇宙科学の進化が、今後どのようなデータを集め、どのような宇宙史を描くか、興味はつきない。
なお最近、池内了編著『これだけは読んでおきたい科学の10冊』岩波ジュニア新書456(2004年1月)が出たので読んでみたが、ビッグバン宇宙論のこのワインバーグの本が冒頭に上げられており、その紹介は池内了氏が行っていた。平明でわかりやすい。
その最後に次のようにある。
p.30-31
「おわりに
ワインバーグの本が出て以後、宇宙論は大きく飛躍しました。いまや、人工衛星を使って宇宙マイクロは背景放射を細かく調べ、ハッブル宇宙望遠鏡によって宇宙の果て近くの天体も観測できるようになりました。
また、地上の大望遠鏡を用いて銀河の分布や進化を調べることにより、ビッグバン宇宙の進化が具体的に実証できるようになったのです。
また、ホーキングのような宇宙創成の物語に挑戦する研究者も増え、宇宙初期に起こった素粒子反応もくわしく研究されています。宇宙論自体も進化しているのです。
しかし、ワインバーグがまとめた「宇宙のはじめの3分間」の物語(正確には、宇宙誕生後の100分の1秒から40万年の間に起こったできごとの物語ですね)は、現在にも通用する内容をもっています。現在までにさらに多くのデータが集積されていますが、まったく変更する必要がないのです。素粒子反応や原始反応の理論が厳密に適用され、正確に記述されているためです。多くの諸君が本書に親しみ、宇宙への興味を持って繰れたらと願っています。」
[24] もともとこの装置は、「陽子崩壊」という現象を世界に先駆けてキャッチするのが目的だった、と。原子核を構成する陽子は、いつまでも崩壊しない安定な粒子のように見えるが、宇宙に働く力の性質を統一的に説明する現在の「大統一理論」が正しいとすると、陽子は崩壊する。それを確認しようというものだ。その本来の目的に生きつく途中で、ニュートリノ発見を行ったのだ。研究の進む道は単線的直線的ではない。読売新聞科学部『日本の科学者最前線−発見と創造の証言−』中公新書ラクレ17、2001年、300ページ。
このニュートリノ天文学の開拓者・小林昌俊教授にも、教養ゼミのページで紹介したファインマンの科学的精神と同じ精神が生き生きと宿っている。物理との出会いは、チュガウ学1年。体調を崩して入院中、担任の数学教諭が岩波新書の『物理学はいかに創られたか』(アインシュタイン、インフェルト著)を差し入れてくれ、「へえ、こんな学問があるか」と思ったという。
「中学生のとき、ハトが巣に戻る理由を『ハトには帰巣本能があるからだ』と説明され、一度は納得した。しかし、これはおかしな説明だと気づいた。『巣に戻る』という観測事実を、『帰巣本能』というもっともらしい言葉で言い換えただけで、その理由については何も説明されていない。他人の説明を鵜呑みにせず、疑い、自分で考えることの大切さを、講師て学んだ」と。(『日本の科学者最前線』、301ページ)
「それは大学に入ってからも続いた。原子核をつくる粒子は安定で、それは、ある物理学の法則によれば当然なのだ、と説明された。すかさず、眉につばをした。『これは,その粒子が壊れるところを見たことのある人がいない、という事実を<法則>と読んでいるにすぎない』。では、この『陽子』という粒子が、本当に安定で壊れない粒子なのかどうか、装置を作って調べてみよう―こんな型破りの発想が、カミオカンデ計画の卵になった。帰省の法則を信じ込んでは、科学は進歩しえないのだ。」(同、301−302ページ)。
達成した頂点を乗り越え、批判し、踏み越えていく精神が根本的に必要なのだ。すなわち、別の箇所で指摘しておいた原理、止揚・揚棄・アウフヘーベンの基本原理と基本精神こそは、歴史においても、日常生活においても、また科学においても、普遍的な的な根本原理・根本精神なのだ。そのように総括することでヘーゲルの偉大さが理解できる。
受講生諸君も、実は自分の勉強と体験で、日々、自分の知識をアウフヘーベンしているのだ。多くの場合、それとは気づかずに。
[25] 読売新聞科学部『日本の科学者最前線』、298ページ。
[26] 同、299ページ。
[27] 同、299−300ページ。
[28] 現在の宇宙に至る自然史が明らかになると、問題は、「未来の宇宙はどのようになるか」ということが必然的に問題になる。太陽系、地球の消滅・転成が必然であるように、現在の膨張宇宙は消滅・転成するのか? これまた現代宇宙科学の探究の的である。「果たして、このまま未来永劫膨張していくのか、それともいつの日にか宇宙の膨張は止まり、重力により収縮し、ふたたび高温な宇宙に逆戻りするようなことが起こるのだろうか」という問題である。杉山直『膨張宇宙とビッグバンの物理』岩波書店、2001年、9ページ。「宇宙の物質の密度が非常に高ければ」、物質が作り出す重力によっていつか膨張から収縮に転じ、「いったん収縮をはじめたら、それを止める何物も存在しない」(同上)。宇宙の物資がものすごい勢いとエネルギーでひきつけ合いぶつかり合い、150億年ほど前の現在の宇宙の創成時のようなすべてを溶かし去った火の玉状態になる、ということになる。とすれば、それは何百億年後のことか?
カントがはじめて太陽系・地球の崩壊と星雲状態化を理論的に定式化したとすれば、21世紀初頭の現在の宇宙科学は、宇宙全体の重力崩壊・火の玉形成論を検討する段階にある。人間の科学認識も、この200年のあいだに飛躍的驚異的に進化し、深化・拡大したことがわかる。宇宙全体の生成・発展・没落、そして新たな生成・・・へと、実に壮大深遠な認識ではないか。
現代科学、それを担う人類の先端部分・先端的諸個人は気宇壮大な水準に達している。問題は、そのような科学的達成が人類の最先端部分にのみとどまっていることである。その人類化、地球化、普遍化、常識化には相当の年月を要する、人類の成長を要するということである。
科学の最先端の認識は何十年か、何百年か遅れて、はじめて一つの常識にまで普遍化する。
[29] このような見地は、科学的自然観、科学的地球観であり、それは、「神が創造主である土地に代表される自然」(神野直彦『人間回復の経済学』岩波新書、2002年、12ページ)といった見方、すなわち宗教的世界観・宗教的自然観とは別ものである。科学的地球観・自然観は、神という人間の宗教観念を持ち出さないで、地球史や自然史を合理的に説明している。
[30]中村桂子著『生命科学者ノート』岩波現代文庫、2000年、23−24ページ。
[31] 同、24ページ。
[32] 「太陽系の質量の99.86%は、中心の太陽が占めている。太陽はごく普通の恒星であり、寿命は100億年程度で、年齢は太陽系天体とほぼ同じであり、約46億年と考えられる。」小尾・吉岡(1999)、27ページ。
[33] 「カントは自然科学の中に将来の地球の破滅を導入した」F.エンゲルス『空想より科学へ』岩波文庫、p.43
[34] 濱田隆士著『地球とその歴史』放送大学教材8215、2000年3月。金子務『宇宙像の変遷と人間』放送大学教材8214、2000年3月などを参照。
[35] 海部宣男著『宇宙のキーワード』岩波ジュニア新書191、岩波書店、1991年(2001年6月、第4刷)、22-23ページ。
[36] 同上、23-26ページ。
[37] 目下隆盛になりつつある「ナノ・テクノロジー」の提唱者、「なの・テクノロジーン父」ファインマンによれば、「ごくごく小さな空間に膨大な情報が詰めこめるという事実は、もちろん生物学者ならとっくに知っていることです」と、ナノ・テクノロジーの発想が奇想天外なものではないこと、生物科学の最新の知識を踏まえたものであることを示唆している。「ぼくら人間のようにとびきり複雑な生きものを組織する情報が、どのようにしてあんな微小な細胞に全部収納できるのか、と言う長年の謎も、おかげで解決がつきました。僕らが鳶(とび)色の眼を持つか、あるいはそもそも思考能力を持つかどうかという情報から、はては胎児の下顎骨の発達過程であらかじめ側面に、あとで成長する神経が通る穴を空けておくなどと言う、とてつもなく膨大な情報がすべて細胞の中の、それもほんのわずかな部分に長い鎖をなすDNA分子の形でおさまっており、その中では細胞についての情報1ビットあたり約50個の原子が使われているのです」と。朝永とともにノーベル物理学賞を受賞したリチャード・P・ファインマン著大貫昌子・江沢洋訳『ファインマンさんベストエッセイ』岩波書店、2001年3月刊、113ページ。このような膨大な情報量を持つ細胞の形成も、実は地球史何十億年もの成果だと知るとき、はじめてその神秘のベールを少しはぐことが可能となる。
このような「客観的なものの見方が身につき、物質の神秘と壮大さを十分に悟ることができたら、その客観的な眼を今度はただの物質である人間に戻すのです。そしてこの深遠な宇宙の神秘の一部として生命を見なおすのは、いままで描かれたためしのない、たぐいまれな経験となるでしょう。この体験をしたものは、完全な理解など到底無理だということを悟って、なんとなくさっぱりとした気持ちになり、たいがい笑い出してしまうものです。こうした科学的な世界観の行き着くところは、不確実さの深い淵にのぞむ畏怖と神秘です。一方、宇宙の膨大さ深遠さを思うとき、そのすべてが悪と闘う人間の姿を見守る神の造りたもうた舞台であるなどという説は、どう考えても的外れとしか思えません」と、ファインマンは現代人類の到達した最高水準の科学的世界観から、稚拙な宗教を批判している。同、299ページ。
[38] 中内光昭『DNAがわかる本』岩波ジュニア新書291、岩波書店、1997年(2001年、第9刷)、80‐84ページ。
[39] 中村桂子『生命科学者ノート』岩波現代文庫、2000年、32-33ページ。
[40] 最新の植物科学最前線に関する啓蒙書、岩波新書の塚谷裕一著『植物のこころ』(2001年5月刊)を参照せよ。
[41] 美宅成樹『分子生物学入門』岩波新書、2002年3月刊、196-197ページ。
[42] 長谷川眞理子『進化とはなんだろうか』岩波ジュニア新書323、1999年、p.73‐74. 「遺伝子に生じた変異が中立であると、それが淘汰によってとくに除かれたり増やされたりすることがないので、そういう変異がいくつ積み重なるかは、確率的な過程に支配されることになる・・・それは数学的な式で表すことができる・・・ある生き物、AとBとが、それらの共通祖先から分かれてTと言う時間がたったとする・・・分かれた直後には、AとBとは、ある部分の遺伝子に関して、同じ配列を持っているが、分かれてから時間がたつにつれて、中立な変異がそれぞれの系統に起こると、それらは時間に比例して一定の割合で蓄積されていくのではないかと考えられる。このことを使うと、ある生き物AとBとが、進化の道筋でおよそいつ頃に別れたのかを計算することができる・・つまり、AとBの中立な遺伝子の差異から、時間Tを割り出せる・・・これを分子時計という・・・たとえば、ヒトとチンパンジーのいろいろなたんぱく質のアミノ酸の中立的違いは、調べられている範囲では、全体の1.9パーセントくらいでしかない・・・そうすると、これくらいの違いが蓄積する程度なら、ヒトとチンパンジーの祖先が別れたのは、・・・およそ650万年前ということになる・・・」
[43] 長谷川眞理子(1999)、53ページの「図3 進化に関する2つの見方」を参照されたい。
[45] 美宅成樹『分子生物学入門』岩波新書、2002年3月刊、194ページ。
[46] ヘーゲル『法の哲学 T』中公クラシックス、41ページ、訳注。
[47] 同、42ページ。
[48] 長谷川眞理子『進化とはなんだろうか』岩波ジュニア新書323、1999、28ページ。
[49] ジェイムズ・ワトソン、S.グリフィスス編渡辺政隆・松下展子訳『世界の知性が語る21世紀』岩波書店、2000年、解説部分、305ページ。
[50] 「遺伝子で脳を究める―東大・堀田凱樹研究室」立花隆『立花隆・100億年の旅』朝日文庫(朝日新聞社)、2002年3月刊、28ページ。
[51] 美宅、前掲(2002年3月刊)、2ページ。
生体の「小分子」(セクレチン、アドレナリン、インシュリン、性ホルモン、副腎皮質ホルモン、ノルアドレナリン、物質ビタミンなど)の発見(抽出、単離)、すなわち「小分史の分子生物」は20世紀前半に大きく進展した。20世紀後半は、「生体高分子」の解明が飛躍的に前進した。同、12ページ。
[52] ニューロンなど生物科学における脳・神経に関しては、本学総合理学研究科の佐藤真彦教授の生物科学入門講座が明解である。佐藤真彦『脳・神経と行動』(丸山工作・岩月邦男・石川統編生物科学入門コース、6)岩波書店、1996年(第五刷、2001年)。
同書、25ページから引用しておくと、「ニューロンは、信号処理のために高度に特殊化した細胞である。・・・腔腸動物からヒトにいたるすべての動物の神経系が、ニューロンを単位として構成されている・・・。すべてのニューロンは、速い時間経過の電気的なパルス(インパルス)を信号として用いている。インパルスは、ながい軸索を速い速度で減衰することなく週末まで伝わる。
そして、シナプスで伝達物質の放出という化学的信号に変換された後、次ぎのニューロンで再び、電気的信号(シナプス電位)に変換される。
このインパルスとシナプス電位からなる、時間経過の速い過程は、神経系が行う情報処理の基盤となっている。
この一連の過程は、脳のどの部位でも、また下等な動物から高等な動物まですべて変わらない。神経系が採用している原理は、恐ろしく単純、かつ普遍的なものである・・・」と。
[53] 「遺伝子で脳を究める―東大・堀田凱樹研究室」立花、前掲(2002年)、28‐29ページ。
[54] 「大きすぎ」だけが滅亡の要因ではないことは、小平『怠け数学者の記』がつぎの箇所で言っていることからも明らかである。
すなわち、6500万年の昔白亜紀の終わりに恐竜が絶滅した。その原因は謎とされていたが,1980年にアルヴァレス父子は白亜紀の終わりの地層がその上下の地層に比べて多量のイリジウムを含むことを発見し、そのことから直径一〇キロメートルの巨大な隕石が落下して爆発し、その塵が空を蔽って太陽の光をさえぎり地上の温度が下がったのが原因である,という説を唱えた。
また最近の『タイム』誌(Time, October 14. 1985)によると,シカゴ大学のアンダースはその地層が上下の地層に比べて一万倍も多くの炭素を含み、しかもそれがかたまってろうそくの煤のような形をしていることを発見し、爆発にうよて生じた火災の煙の方が主な原因である,という新説を発表した。ベーリング海に落ちた巨大隕石の爆発のエネルギーは一億メガトンに達し、華氏3000度(約1700℃)の火球が音速で拡がってアジアと北米に巨大な山火事を起こし、その黒煙が成層圏にまで上昇して地球を蔽った、というのである。核の冬と同様な隕石の冬とでもいうべき現象が起こったわけである」と。
「巨大隕石が地球に衝突したのはまったくの偶然の事故であって、この事故が無かったとすれば、7000万年にわたって繁栄した恐竜はさらに数千万年繁栄しつづけ、哺乳類の発展が遅れて現在未だ人類は発生していなかったであろう。巨大隕石の衝突は恐竜にとっては呪うべき事故であったがわれわれ人類にとっては祝福すべき事件であったことになる。今から6500万年後の未来の地球上に新しい知的生物が文明を築き、古生物を研究して、「昔栄えていた人類という動物が6500万年前に突然絶滅した。その原因は大脳が発達しすぎて多核弾頭ミサイルという馬鹿な武器を発明し、戦争をしたためらしい」という発見をした,というようなことにならないことを望むのみである」と。小平邦彦「科学・技術と人類の進歩」同『怠け数学者の記』岩波現代文庫、2000年(初版は1986年)、74ページ。
[55] 小平(2000)、68ページ。
[56] 同、69ページ。
[57] 同。核爆弾の脅威、「脅迫によって本能を押えている」ことの危うさ。「押えきれなくなったときにはひどいことに」。「やはり何とかして人間の理性的な面を強化して、それによって本能を押えなければなりません」(同、70‐71ページ)。
[58] 『ブッダのことば―スッタニパータ―』中村元訳、岩波文庫、1984年(1999年、第35刷)と取れば、二千数百年前から人間は、その本能・欲望・煩悩のさまざまの発現をどのように統御したらいいかで悩んでいたことがわかる。普通人ができないことをやろうとすれば、「この世とかの世とともに捨て去る」修行者にならなければならなかった。これは至難の技であろう。
冒頭から言う。「怒りが起こったのを制する修行者(比丘)は、この世とかの世とをともに捨て去る」、「すっかり驕慢を滅し尽くした修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る」、「内に怒ることもなく、四の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る」など(同、11―12ページ)。
たとえば、ブッダが「瞑想に入って座し、塵垢を離れ」(同、233ページ)ても生命を維持して学生ウダヤの質問に答えられるのは、最小限の生命維持のための物的エネルギー(食料など)が誰かから提供され、それを食しているからである。その食の生産と提供という基本前提は厳然として存在する。
したがって、ブッダも食欲などの欲望を完全に押えこめるなどという非合理を説くことはできない。「むさぼり」を戒めている。「あらゆる欲望に対する貪りを離れ」よというのである(同、225ページ)、「諸々の欲望に対する貪りを制せよ」(同、232ページ)など。
しかし、どうしたらいいのか。ブッダは宗教に特有のやり方で説いている。すなわち、「無所有をめざしつつ、『何も存在しない』と思うことによって、煩悩の激流を渡れ」と(同、225ページ)。何らかのものを所有している人びと、あるいは貪っている人びと(現代なら、「飽食の人びと」)に対しては、この教えは必要であろう。しかし、無所有を目指さなくとも、現に無所有である人びとはどうすればいいのか?
世界の飢餓線上にある人びと、世界の飢餓地域はどうすればいいのか?
現代の一つの問題解決のやり方は、宗教を説くことではなく、有意義な開発援助を深く行うことを提起している。一例:世界銀行頭取の発言。
The World Bank President stressed that much has been learned
about ways to improve aid effectiveness, including the lesson that aid should
encourage developing countries to design their own strategies for reducing
poverty.
"This is not about rich countries telling developing
countries what to do. This is about creating a chance for
developing countries to put in place policies that will enable their countries
grow" Wolfensohn said.
出所:http://www.worldbank.org/developmentnews/stories/html/032102a.htm
真に有意義な具体的な援助とは、どのようなものだろうか?
貧困の克服、開発と発展のために、どのような「チャンスを創造する」ことが可能か?
特定の地域が飢餓地域に陥ったのはどのような諸原因・諸条件・諸事情によってか?
貧困と飢餓という現代世界が抱える問題は、チャレンジングなわかものたちの解決努力を待っている、といえるだろう。そのためには問題発生の原因群を探求する必要がある。
[59] 佐藤文隆『科学と幸福』岩波現代文庫、2000年、8ページ。
[60] 冷戦の終結は、冷戦期の膨大財政赤字の削減を可能にしたが、それは、同時に、国防費の大幅削減であり、国防と結合した科学技術予算の削減であった。「財政赤字立て直しの中で米国連邦予算での研究開発費(R&D)にも異変が起こった。激しい動きになったのはクリントン政権になってからである。民主党になり医療改革などに熱心になったこと、それ以前にソ連が崩壊して『冷戦』が終わったこと、などさまざまな要因がからんだ。連邦予算の研究開発費の大物は国防費である。レーガン政権時にはこれが全体の6割以上を閉めたこともあったが、最近(佐藤の著書の初版刊行は1995年・・引用者注)はその他全体と同程度にまで減っている。・・・」佐藤『科学と幸福』51ページ。
物理学研究にとってショッキングな事件は、レーガン大統領が鳴り物入りで任期末の1988年2に建設を決定した「素粒子の質量の起源を解明するための」SSC(超伝導超コライダー)の建設中止・・・1993年一〇月末の議会決定・・・すでに20%程度は建設が進んでおり、また2000人近い雇用者を解雇する荒療治で、総額20億ドルつぎ込んでいたプロジェクト、これの廃止。佐藤、同、52‐53ページ。
[61] 中村桂子『生命科学者ノート』岩波書店、2000年、4ページ。
[62] 同、11ページ。
[63] 以上、茂木健一郎『心を生みだす脳のシステム‐「私」というミステリー‐』NHKブックス931、日本放送出版協会、2001年(第2刷、2002年)、11ページ。
なお、この本について注意しておけば、何回か引用する箇所が示すように、本書は最新の科学的発見を紹介した興味ある部分を多く含む。しかし、科学的発見を叙述する部分ではなく、それを解釈する部分、一種の哲学の部分は、観念論的逸脱となっている。例えば、つぎのような箇所である。
「目を上げて、あなたの身の周りのものを見てほしい。あなたの目に入るソファーや、テーブルや、椅子や、コンピュータや、天井や、その他全てのい表象は、あなたの脳が外にあるものを再現した結果ではなく、あなたの脳が、無から作り出して、あなたの前に置いたものである。このように考えるだけで、ずいぶんと世界の見え方が変わってくるだろう」と。(同、69ページ)
上に上げた具体物(椅子、コンピューターその他)は、「無から創り出して、あなたの前に置いたものである」というのは、観念論の典型である。われわれの椅子やコンピューターの観念・意識自体は、外界の物質的なもの(椅子やコンピューターなど)を視覚、聴覚、その他の諸感覚でとらえ、頭脳の中で再現したものに他ならない。決して、具体物の観念・意識は「無から創り出し」たものではなく、具体物の頭脳の中での反映物(1000億のニューロンとそれと結びつくシナプスなどが有機的に連携して作り上げたもの)である。頭脳の中の観念・意識の前提は、意識以外のもの、外界のもの、具体物である。
その観念論的抽象化は、「『私』の核心は抽象的である」といった規定にも見られる。「核心」という制限・限定・抽象を行ってしまえば、「私」が抽象的になってしまうのは当然であり、同義反復にすぎない。むしろ、「私」という生きた個人は、人類とその諸科学の今日的到達点が明らかにしている無数の多次元的諸規定の統合体であり、宇宙史・地球史・人類史等の成果としての無数の過去の遺産を遺伝子と肉体全体に統合した具体物・具体的生命体・具体的脳構造・具体的意識構造をもったものである。
[64] 同、21‐25ページ。
[65] 同、26ページ。
[66] 同、28‐33ページ。「分子生物学におけるDNAの二重らせん構造の発見に相当する、心理学上の大発見である」と評価する研究者(カリフォルニア大学、脳科学研究者ヴィラヤヌール・ラマチャンドラン)もいる、と。同、35ページ。
[67] 同、37ページ。意外性のある発見、画期的発見が、このような「休憩時間中」に発見された(29‐30ページ)ということは、重要な指摘であり、興味深い。マックス・ウェーバーがすでにパイプの煙をくゆらせているときに偉大な発見があることを指摘したことを想起しても分かるように、ある種の偉大な学者には、発見の秘密が体験的に分かっていることであろう。そのような意外性を含めた思想や発見の歴史をしっかり把握しなければ、本当に世界的に貢献するような発見・発明の土壌を広範に創り出すことにならないだろう。狭苦しい、細かな、表面的な業績主義が偉大な発見・発明を抑圧するという危険性をわれわれは直視しなければならないだろう。「偉大な発見」というのは結果として立証され検証されることであって、その当初段階では誰にも偉大さは分からない。軽々しい判断ができないはずのものである。
[68] 同、33ページ。
[69] 同、35ページ。
[70] 同、36ページ。
[71] 同、36‐37ページ。