経済史講義メモ

「前期的資本」と「近代に独自な資本」(その2)

No.6 File kogikeizaishi515

                        最終更新日:20021216()

 

 

近代資本主義的生産様式(資本・賃労働関係)の日本における発展傾向

 

 

最近の日本の労働力(就業者のうちの雇用者)

日本経済の富の創出者は、この全就業者であり、就業者の中では雇用者の数が圧倒的に多い。

下記の統計を見よ。

現在の日本の総人口約12000[1]ほどの日本で、半分以上が仕事をしている人びと(就業者)である。

就業者のうち、その8割くらいが賃金で雇われている人、すなわち雇用者である。

 

                 第1表 最近の就業者数・雇用者数の推移

 

 

就業者数

雇用者数

 

   万人 

前年差

   万人

 

   万人 

前年差

   万人

短時間女性
雇用者数・万人


1995

96
97
98
99
2000



6,457
6,486
6,557
6,514
6,462
6,446


4
29
71
-43
-52
-16


5,263
5,322
5,391
5,368
5,331
5,356


27
59
69
-23
-37
25

632
692
746
756
773
754

 

 

 

 

 

 


調査機関


出所:総務省「労働力調査」

 

しかし、この数年間だけを見ると、長期的な必然的な傾向性は見えてこない。

不況による就業者数の現象という短期的景気循環的現象に目を奪われてはならない。

 

経済のあり方・・・明治維新以降の日本社会の変化・・・農村社会から工業化社会へ

     古いさまざまの生産様式が衰退没落し、資本主義的生産様式が拡大普遍化

     同時に、古い生産力の新しい生産力による駆逐、生産諸力の飛躍的発展。        

 

小経営=自営業の減少→資本家・組織化された法人企業と雇用者の関係の増大

 

個々人の思惑、動機その他を超えた鉄の必然性・・・社会発展の大局的・内的必然的な法則

・・・人間関係の飛躍的(世界的地球的)拡大、その基礎にある経済関係の飛躍的(世界的地球的)拡大。

 

生産、経済活動の主体としての人間、その諸能力の決定的重要性その諸能力の発展の決定的重要性

・・・人間的諸力の開花・発展の歴史、その重要性。

 

1.   工業化・・・機械制大工業の生産力敵優位(日本では、下記第2章が示すように、40年間に製造業が640万人も増加)。

2.   サービス業の飛躍的発展(日本では、下記第2章が示すように、40年間で1091万人も増加)

3.   農村からの人口流出、農工就業者割合の変化、農業就業者の減少(日本では、下記第2章の示すように、40年間に1107万人も減少)。

 

4.   生産の社会的組織化の進展

5.   自営業・家族従業者の減少、

6.   女性の社会的進出・・・かつて第1次産業は多かったときは、女性は家庭内で仕事。

         工業化、都市化の中で、女性でも社会進出、雇用労働者化の進展。

 

 

 

具体的例証:長期的・全国的な政府統計による実証

(参考資料:アメリカ合衆国)
第2次世界大戦後の日本の大きな変化・・・経済的変化、経済生活の変化

 第2次世界大戦後、農地解放による小土地所有農民の社会は、戦後工業化、都市化のなかで激変。:

 

2表 日本の最近40年間の労働力調査結果(出所www.stat.go.jp/data/roudou/3.htm)

             1956  1966  1976 1986  1996    40年間

単位: 万人,

 

昭和31

 41年 

 51年 

 61年 

平成8年

増減数
平成8−昭和31

増減倍率
平成昭和31

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15歳以上人口

6,050

7,432

8,540

9,587

10,571

4,521

1.75

 労働力人口

4,268

4,891

5,378

6,020

6,711

2,443

1.57

  就業者

4,171

4,827

5,271

5,853

6,486

2,315

1.56

  完全失業者

98

65

108

167

225

127

2.30

 非労働力人口

1,776

2,537

3,139

3,513

3,852

2,076

2.17



 

 

 

 

 

 

 

 

 

雇用者
自営業主・家族従業者

1,913
2,258

2,994
1,831

3,712
1,551

4,379
1,458

5,322
1,147

3,409
-1,111

2.78
0.51

農林業
製造業
サービス業

1,437
805
507

1,006
1,178
682

601
1,345
876

450
1,444
1,205

330
1,445
1,598

-1,107
640
1,091

0.23
1.80
3.15

完全失業率
労働力人口比率

2.3
70.5

1.3
65.8

2.0
63.0

2.8
62.8

3.4
63.5

1.1
-7.0

1.48
0.90

(注)1.昭和31年、41年には沖縄県の数値が含まれていない。

2.完全失業率は、  労働力人口に占める完全失業者の割合=(完全失業者÷労働力人口)×100

  3.労働力人口比率は、15歳以上人口に占める労働力人口の割合=(労働力人口÷15歳以上人口)×100 

 

 
 最近二〇年に関する財務省(旧大蔵省)統計による経済の発展法則の検証

@   日本の法人企業の発展傾向・・・資産、資本と負債、営業利益、経常利益、従業者数における増加発展(資本蓄積)の基本的傾向・・・・大工業・大企業・大経営の成長と勝利の過程・・・生産力原理の貫徹、労働の社会化・生産現場ないし経営現場の社会化・仕事の社会的組織化の貫徹。

 

 A自営業・家族従業者の減少、

単独経営、小経営の両極分解(いわば社会的対流現象、上昇して法人企業に成長転化していくものと、下降して他人の経営する企業の雇用者になっていくもの=傾向的にまた数の上ではこの自営業の下降潮流が圧倒的、これに抗するものとしての新しい小企業の創生=ヴェンチャー企業、しかしその圧倒的部分は挫折という厳しい現実)

 

B法人組織、労働・仕事が社会的に組織された法人企業の資本金および数が増大

1.   資本金10億円以上が2.5(2026社から5520)

2.   資本金1-10億円未満が2倍(13029社から26552社)、

3.   資本金1000万円から1億未満が5倍(236927社から1156152社)も増加。

4.   社会的労働・労働の組織化の勝利・優勢化の不断の傾向

5.   背後にある技術革新=イノヴェーションなど生産力発展の法則、技術革新、労働の組織化を基礎にし、有効な武器にすることに成功したものが競争に勝ち抜く原理の貫徹。

 

 

財務省法人企業統計・

最近20年間の四半期別・資産・負債・資本・経常利益・従業員数の統計・・・日本経済の大局的発展を数値で確認せよ。

 

                                 その大局的全国的成長の中で、法人企業規模別の発展動向をみると、全体しての資本の増大が、規模別にも会社数の増大で、示されている。

四半期統計には登場していなかった資本金規模の小さかった企業が、法人企業統計・四半期別統計に登場する規模(すなわち資本金1000万円以上)に成長して、あるいは新規に設立されて、つぎつぎと統計に登場しているありさまが目に浮かんでくる。

 

そして、国内総生産(国内総支出)等の総括的な統計表も、経済の大局的な発展傾向を示している[2]

 

資本主義的生産様式(生産の仕方Produktionsweise)以前の段階(すなわち封建制段階、ただし資本主義社会においても従属的な形では存続している自営業・小経営)

・・・はたらくもの(勤労者・労働者)が彼の生産手段を私有するという基礎の上に立つ小経営が一般的支配的。

  自由農民もしくは隷農による小農の農業

  都市の手工業

これらの場合、労働手段(すなわち、土地、農具、仕事場、道具)は、個人的な労働手段であって、個人しか使用しないもの、したがって当然貧弱で、小型で、小さいい能力のもの・・・そして普通、生産者自身のもの。

 

このようなばらばらの小さい生産手段を集中し、それを拡大して、現代のような強力な生産のてことすること、それこそが資本主義的生産方法とその担い手たるブルジョアジー(資本家たち)の歴史的役割・・・そして今日も、このプロセスは企業法人によって推進させられ、日本だけではなく世界的に大局的かつ不可逆的に進行している。

 

 

しかし、激しい競争をおこないながら、生産の集積集中、規模拡大、技術革新を行い、設備投資をおこなっていくと、必然的に国民経済全体での、そして世界経済全体での過剰生産能力を生み出してしまう。

この過剰な生産能力は、有効な需要を国内と世界に見出すことができない。

製造業が負債をして設備投資をおこない、その投資が過剰生産能力となってしまえば、無駄となる。負債は製造業にとって不良な負債となる。

貸し手の銀行サイドからすれば、不良債権となる。

 

この数年来の日本の不良債権の累積は、まさにバブル[3]期までに累積した生産能力とバブル期以降の投資による過剰生産能力・過剰設備投資が露呈したということであろう。それが、建設・土木業を中心にするものであることは、最近の大規模破産でも明らかである。

それは、最近の経済発展の担い手である情報機器・情報通信産業が、かつての重化学工業などのような巨大設備投資を必要とするものとは違っていることも影響しているであろう。産業構造全体の就業人口などの第三次産業(とくにサービス業)への移行という大きな経済発展動向もこれに関係しているであろう。

他方では、開発途上国の経済発展と直接競争する部門では、それらの国の労働力の低価格(低賃金)との競争で、不利になり、生産能力の上で競争上、弱くなる、したがって相対的に過剰生産能力となってしまう、という事情があろう。

 

 

現代日本で過剰生産に陥った産業部門=人員削減をおこなっている産業部門を統計で確認するには、産業別統計を見る必要がある。

全体的統計は、産業,男女別就業者数(昭和28年〜平成13年)

 

この統計から作成したつぎの折れ線グラフが示すように、

 1.1992年以降の製造業の就業者数の激減ぶりが顕著であり、

 2.建設業も1997年を頂点に、製造業ほどではないが、かなり顕著に減少している。

 3.金融保険業・不動産業、卸・小売業なども最近数年、若干減少傾向にある。

 

 4.これに対しサービス業は顕著に増加している。

 

最近の長期不況が、製造業・建設業における過剰生産能力・過剰人員を基礎要因として持っていることが見て取れるだろう。

なお、最新(2001年度)の労働力調査結果の公式発表(速報2002129日)には、興味深いグラフなどが掲載されているので、それを検討してください。特に、就業者の推移を示した表のなかの産業別就業者の変化。

 

 

 

 

 

近代資本主義を切り開いた西洋では、一五世紀以降、生産能力の向上線が継続、生産力上昇プロセスが19世紀初頭まで、継続的に進行。(1825年、世界史上初めての過剰生産恐慌

 単純協業 → マニュファクチャー → 機械制大工業[4]

それが世界各地に広がっていくプロセスが近現代世界史。

 

*生産手段・・・個人個人の生産手段を社会的な、人間の集団によってのみ使用できるものに変えた。

糸車や手織り機や鍛冶屋の槌の代わりに、紡績機や力織機や蒸気機関、蒸気槌を作り出した。

*個人のばらばらの仕事場の代わりに、数百人、数千人の協同作業を要する工場を創出した。・・・・雇用労働者=賃金労働者階級の形成、増大。

*生産は、一連の個人的行為から、一連の社会的な行為となった。

*生産物も、個人的生産物から社会的生産物になった。工場で作り出されている糸も織物も、金属製品、機械類も、自動車も、みな多数の労働者の共同の生産物であり、その完成には、多くの労働者の手を通らなければならない。

 

 

 

経営内分業社会的分業(冷戦体制崩壊後、いまや、世界的分業が飛躍的に増大)

*個々の工場内部、経営内部では計画的な分業。

 最高度に発達したものとして、トヨタシステムなどのような下請け諸経営との総体としての計画的分業

 

 *しかし、社会的にはそれぞれの企業、経営が私企業、私的な経営体として、それぞれの計算、計画にもとづいて生産を行い、市場で競争し、自己主張

・・・その結果として、全社会的には無計画、無秩序、生産と消費の不均衡→過剰生産、失業、景気循環(好況→不況→好況→大不況、etc)などの問題を引き起こす。

     ・・・現代世界は、市場経済、私的経済の活力を全面的に開花させながら、同時に、その無秩序・無計画によって引き起こされる諸問題を、どのようにして解決していくかを、巨大な社会的課題として抱えている。

 

 

 

経済の発展と政治・国家・国家間・諸学問の関係(変化・発展)

 

具体的例示:

中世末以降の商品経済の発達・商業の発達、

統一的国家(絶対主義国家)の形成、民族国家・国民国家の形成

  イギリスのチューダー王朝

  フランスのブルボン王朝

 

18世紀−19世紀前半のドイツやイタリアの国民経済、国民国家建設における遅れ

  ウィーン体制下のドイツやイタリア・・・・小邦に分裂させられた(フランスとロシアの利害と発言権)

 ドイツの統一(国民国家建設)は、「諸君主やその他の国内の敵に対抗してだけではなく、また外国に対抗してもたたかいとられなければならなかった」[5]

 

 

ナポレオン帝国の支配を跳ねの、大ナポレオンを打倒して、プロイセン、その他のドイツ諸国の独立を勝ち取った喜びは、ヘーゲルの哲学にも深い影響を与えていた。18181022日、ベルリン大学で講義をはじめるにあたって、ヘーゲルは聴講者にその深い熱情を理性的に語り掛けている。

ナポレオン支配の打倒、フランスに対する民族解放・民族独立の戦争によって、

「ドイツ民族全体が、あらゆる生きた生活の基礎である民族の独立を回復してからは、国家のうちで、現実の世界の政府と並んで、思想の自由な国もまた独立に栄えていく時代がはじまっている。一般に精神の力は非常に勢いをえ、今ではただ理念と理念にかなったものだけが自己を維持しえ、何ものかがおこなわれようとすれば、それは洞察と思想の前に自己の明かしを立てなければならないほどである。・・・民族の偉大な闘争、ドイツ民族がその諸侯とともに、独立と、外国の冷酷きわまる専制の打倒と、精神の自由をめざして戦った偉大な闘争が、今やより高い段階においてはじまっている・・・精神の倫理的な力が今やそのあふれる力を感じ、自己の旗をかかげ、そしてこのような感情をして現実の支配力としているのである。

あらゆる生活関係にたいして、一般に根底のある、しっかりしたものが要求されるようになっている・・・もっとも真実な真面目さは、それ自身、真理を認識しようとする真面目さにほかならない。このような要求は、精神的本性を、感覚し楽しむに過ぎぬ本性から区別するものであって、まさにそれゆえに精神のもっとも深いものであり、潜在的には普遍的な要求である。…この神聖な燈火を護ることはわれわれに託された任務であり、それを養い育てて、人間が所有しうる最高のもの、すなわち人間の本質の自覚が消え亡びないように気を配ることは、われわれの使命である。

ところがドイツにおいてさえ、ドイツの再生以前の時代から存在していた浅薄な精神は、ついに、真理の認識は存在しないことを見いだし証明したと考え、それを断言するほどにまで立ち至っている。・・・昔から、もっとも恥ずべく無価値なこととされていたところの真理認識の放棄は、われわれの時代によって精神の最高の権利にまで高め上げられているのである。理性に対する絶望は、はじめのうちはまだ苦痛と悲しみをともなっていたが、・・・皮相浅薄な知識が平気の平左で自己の無力を告白し、より高い関心をまったく忘れさせることのに自慢の種を見出だすにいたった。・・・・[6]

 

これに対し、ヘーゲルが

「挨拶し、呼びかけ、そして関心を持つのは、…真実な精神の夜明けのみである。その際、私が呼びかけるのは一般に青年の精神にたいしてである。というのは、青年時代は人生の美しい時代であって、それはまだ生活の必要からくる狭い諸目的の体系にとらわれず、それ自身、利害に煩わされないで学問に携わり得る自由を持っているからであり、またそれはまだ虚栄というような否定的精神や単に批判をこととするような実質のない試みにとらわれていないからである。まだ健全さを失わない心は、なお真理を要求する勇気を持っている。・・・・・

精神の国は自由の国である。人間の生活を統一するすべてのもの、価値あり意義あるすべてのものは、精神的なものであり、そして、この精神の国はただ真理と法の意識を通じてのみ、理念の把握を通じてのみ存在するのである。・・・・

 さしあたり私が諸君に要求しうることは、ただ諸君が学問に対する信頼、理性に対する信念、自分自身に対する信頼と信念を持つということだけである。・・・人間は自己をうやまい、自己が最高のものに値するという自信を持たなければならない。精神の偉大さと力は、それをどれほど大きく考えても、考え過ぎるということはない宇宙のとざされた本質は、認識の勇気に抵抗しうるほどの力を持っていない。それは認識の勇気のまえに自己を開き、その富と深みを眼前にあらわし、その享受をほしいままにさせざるをえないのである。[7]

 

ヘーゲル『小論理学』第2版序文(1827525)

「私が私の哲学的努力のうちでこれまで目ざしてきたもの、そして今なお目ざしているものは。真理の学的認識である。それはもっとも困難な道であるが、しかし、ひとたび思想の道にふみ出し、その途上で浅薄なものにおちいらず、真理への意志と勇気を保持している精神にとっては、このひとすじの道のみが関心事であり価値あるものである。彼はまもなく、方法のみが思想を制御し、真理に導き、真理のうちに保ちうることを見出す[8]

 

ヘーゲル『小論理学』第三版序文(1830919日)…ヘーゲルの本に対し多くの批判が出された。これに対する反批判をおこなったのち、つぎのようにいう。

「アリストテレスが言っているように、認識が至福のもの[9]であり、善のうちでも最善のものであるとすれば、この喜びにあずかっている者は、自分がそこで持っているもの、すなわち自己の精神的本姓の要求の満足を知っているのであって、合えてそれをたの人びとに要求せずにいられるし、他の人びとが何を求め、それに対してどんな満足を見出そうとかまわないでいることができる。[10]

 

 

 

これに対して、差し出がましい人びと、科学Wissenchaftに携わる資格のない者ほどそれを鳴り物入りで行うとした上で、ヘーゲルは言う。

 

「その研究が深く根本的であるほど、それは自己を友として孤独であり、外に向かっては言葉少ないものである。皮相軽薄な人間は、早急に仕上げて何にでもすぐに口をさし挟むが、真面目な人間は、ながい困難な研究によってのみ展開されうる大きな内容のためには、静かな研究を続けながら、ながい間そのうちへ沈潜するのである。[11]

 

「エンチクロペディーへの序論」

「意識は、時間からすれば、対象の概念よりも表象の方を先に作るものであり、しかも思惟する精神は、表象作用を通じ、また表象作用に頼ってのみ、思惟的な認識および把握へ進むものである。[12]

 

「近代において再び思惟が独立をうるようになってから、それは、・・・単に抽象的のみふるまわず、現象界の一見無秩序ともみえる無限の素材へ向かっていった。・・・経験的個別性の大洋のうちにある確かな基準および普遍的なものの認識、一見無秩序ともみえる無数の偶然事のうちにある必然的なものや法則の認識に従事・・・[13]

 

ヘーゲルのニュートンやグローティウスの位置づけ・洞察: 「法則、普遍的な命題、理論」の発見者

「われわれはこれまで哲学と呼ばれてきた諸科学を、その出発点からみて経験的科学と呼んでいる。しかしそれらが目ざしかつ作り出す本質的なものは法則、普遍的な命題、理論であり、一口に言えば、現存するものの思想である。ニュートンの物理学が自然哲学と名づけられていたのは、こうした根拠を持っているのである。同じ理由から、たとえば、フーゴー・グローティウスにしても、諸国民相互の歴史的行為を総括比較し、普通の推理を用いて一般的な原則、理論を打ち立てたのであるから、その理論は国際法の哲学とよぶことができる。ニュートンは依然として最大の哲学者と呼ばれている。・・・最近代におこった政治経済学はイギリスでは哲学と呼ばれている。[14]

 

経験的な学問・知識と「思弁的な学問」=理論的体系的普遍的な学問・科学の相互関係・・・・・

 実験・実証と理論の合理的で発展的な相互関係

 

「経験的諸科学はつねに直接的なもの、あたえられたもの、前提されたものからはじめる。・・・経験的科学の方法は必然性の形式を満足させない・・・

思弁的な学問は、経験的な諸科学の経験的な内容を無視せず、それを承認し、かつ使用する。思弁的な学問は経験的な諸科学のうちに見出だされる普遍的なもの法則、類、などなどを承認し、それらを自己の内容のために役立てる。・・・たとえば、思弁的な論理学は、以前の論理学および形而上学を含み、同じ思惟形式、法則、および対象を保存するものであるが、しかし同時により進んだ諸カテゴリーを持ってこれらのカテゴリーを発展させ変形するのである。[15]

 

ギリシャ哲学以来の哲学の諸カテゴリーを継承しつつ[16]、それを批判的に統合史発展させたものとしてのヘーゲルの思弁哲学、弁証法。

フォイエルバッハ、マルクスによるヘーゲル批判。

古典派経済学の諸カテゴリーを継承しつつ、それを批判的に総合発展させたものとしてのマルクスの理論。

 

ヘーゲルの根本思想・方法…マルクスはその合理的核心を踏まえて諸科学を研究した。マルクスはヘーゲルの「肩の上に立って」世界を見た。

「自由な本当の思想は、それ自身のうちで具体的である。かくしてそれは理念である・・・それは必然的に体系でなければならない。というのは、真なるものは具体的なもの、…一口に言えば統体(Totalitätとしてのみ存在する・・・体系を持たぬ…思惟はなんら学問的なものではありえない。

非体系的な…思惟は、それ自身としてみれば、むしろ主観的な考え方に過ぎないのみならず、その内容からいえば、偶然的である。いかなる内容にせよ、全体のモメントとしてのみ価値を持つのであって、全体を離れては根拠のない前提か、でなければ主観的な確信にすぎない。

多くの…著作は、このようにただ著者の個人的な考え方や意見を語っているに過ぎない。[17]

 

 

 

 

 

 

 

 

 19世紀末‐20世紀前半  帝国主義の時代

 

 20世紀後半        冷戦体制の時代

 

 20世紀末‐21世紀    グローバル化の現代世界



[1] 人口統計に関しては、国立機関のデータを利用することができる。

国立社会保障・人口問題研究所の人口推計:http://www.ipss.go.jp/Japanese/newest02/newest02.pdf、これによれば、2000年の日本の人口は12693万人(同、1ページ)

 

同じ国立研究所の第2回全国家庭動向調査結果の概要[要旨]…この調査から、たとえは、以下のような部分を紹介しておこう。

受講生諸君、女性の社会進出と家事労働の関係などを統計的に確認するために、このページにアクセスし、検討してみて欲しい。少子化問題、結婚高齢化の問題など、現代日本の抱えるさまざまの社会経済的問題が、統計数値で解明できる。

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3.夫婦の役割関係

1)妻の家事時間と夫妻の家事分担度

・妻の家事時間は、平日、休日とも30歳代の妻がもっとも長い。

・フルタイムで働く主婦で、平日の家事時間が4時間以上もほぼ3割いる。

・夫の帰宅時間が8時前だと主婦の家事時間は30分近く短かくなる。

・妻がフルタイムで働いていても、夫の3割弱は全く家事をしない。

2)夫妻の育児分担度

・子どもが1歳未満でも、育児は8割近くが妻に集中しており、夫のほぼ1割は全く育児をしない。

3)夫の育児参加の実態と変化

・それぞれの育児の領域で、遂行率は多少伸びているが、「寝かしつける」ではほぼ5年前と同様である。

・「寝かしつける」では6割、「食事をさせる」「おむつを替える」などの育児では、夫のほぼ半数がほとんど行っていない

4)夫の家事、育児参加に対する妻の評定

・夫の家事、育児に対する妻の評価は、多少の遂行率の上昇にも関わらず、否定的態度が1割増加している。

・夫に対する家事、育児への期待度はわずかであるが増加し、妻の要求水準が上がったことにより、夫の遂行率はわずかに上昇したが妻の満足度は低下している。

[2] 社会保障費なども重要な検討すべき項目。

cf.国立社会保障・人口問題研究所:http://www.ipss.go.jp/index.html

[3] 貨幣資本の循環、資本の貨幣形態の循環GWPW’G’、つづめてG・・・G’

 現実の貨幣を出発点とし終点とする流通形態G・・・G’は、金もうけを、この資本主義的生産の推進的動機を、最も明瞭に表している…生産過程は、金もうけのためには避けられない中間の環として、必要悪として、現れるだけである。それだから、資本主義的生産様式のもとにあるどの国民も、周期的に一つの幻惑に襲われて、生産過程の媒介なしに金もうけを成し遂げようとするのである。」

Eben weil die Geldgestalt des Werts seine selbständige, handgreifliche Erscheinungsform ist, drückt die Zirkulationsform G... G', deren Ausgangspunkt und Schlußpunkt wirkliches Geld, das Geldmachen, das treibende Motiv der kapitalistischen Produktion, am handgreiflichsten aus. Der Produktionsprozeß erscheint nur als unvermeidliches Mittelglied, als notwendiges Übel zum Behuf des Geldmachens.Alle Nationen kapitalistischer Produktionsweise werden daher periodisch von einem Schwindel ergriffen, worin sie ohne Vermittlung des Produktionsprozesses das Geldmachen vollziehen wollen.

[Marx: Das Kapital, S. 1692 ff. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 5006 (vgl. MEW Bd. 24, S. 62 ff.)]

[4] 『資本論』第1巻第11章、第12章、第13章。

[5] エンゲルス「歴史における暴力Gewaltの役割」『全集』http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=366893_1_8

21巻、413-414ページ。

[6] ヘーゲル著松村一人訳『小論理学』(哲学的諸学のエンチクロペディー、第1)、上巻、岩波書店(文庫)1951年(1964年、14刷)、1417ページ。

[7] 同、1819ページ。

[8] 同、25ページ。

[9]認識、何か未知のことを新しく知ること、深く知ることは大きな喜びである。卑近な例では、クイズ番組の隆盛をみよ。昨年から今年何回かドイツに行ったが、ドイツでも何種類ものクイズ番組が盛んに行われていた。賞金額の魅力は解答者のみである。クイズそのものの面白さが、民衆をひきつけ、知的好奇心を刺激している。

[10] ヘーゲル『小論理学』上、岩波文庫、57ページ。

[11] 同。

[12] 同、61ページ。

[13] 同、71ページ。

[14] 同、72ページ。

[15] 同、7576ページ。

[16] ヘーゲル『哲学史』http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=366995_1_2、参照。

[17] ヘーゲル『小論理学』上、、8485ページ。