経済史A配布メモ 200267

 

注意:前回の質問との関連

付加価値の意味とそのの構成について、「人件費」(労働時間のうち必要労働時間の部分に対応)とそれ以外の部分(すなわち、@利子・賃貸料・地代、A租税、B営業収益(=利潤)を合わせたもの=労働時間のうち剰余労働時間の部分に対応)について、内容を質問したら正確な理解をしていなかった。経済の歴史、経済の発展、近代の資本主義生産様式での資本蓄積、資本主義の拡大再生産のプロセスの理解にとって重要なポイントなので、配布レジュメを参考に、認識を正確にしておいて欲しい。研究室HPページは、

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/kogikeizaishi20010514.htm

 

念のために確認したいが、付加価値value added とは何か? 

 

「生産において、新たに付け加えられた価値」=「生産額から原材料使用額など中間投入分を差し引いたもの」[1]

 

差額はどこから生まれるか?

何が「新しい価値」を付け加えるか?

政府・財務省統計は、この付加価値の内容として、すでに見たように次ぎの定式を与えている。

付加価値=人件費+支払利息・割引料+動産・不動産賃借料+租税公課+営業純益(営業利益−支払利息・割引料)

 

平成8年を取り出してみれば、

 

 単位:億円

 

    

 

構成比

 

 

 %

  付加価値

2,697,206

100.0

  人件費

1,965,808

72.9

  支払利息・割引料

192,084

7.1

  動産・不動産賃借料

254,076

9.4

  租税公課

133,216

5.0

  営業純益

152,022

5.6

 

「人件費」が、なぜこの年度に「新たに付け加えられた価値」なのか?

 

「支払利息・割引料」が、なぜこの年度に「新たに付け加えられた価値」なのか?

「動産・不動産賃借料」が、なぜこの年度に「新たに付け加えられた価値」なのか?

「租税公課」が、なぜこの年度に「新たに付け加えられた価値」なのか?

「営業純益」が、なぜ「新たに付け加えられた価値」なのか?

 

何がこれらの諸価値を生み出すのか? 誰が創造するのか?

 

個々的な売買での損得、個々的な取引の競争では、それらの損得が相殺されてしまうので、全社会的毎年の「付加価値」の創造を説明できない[2]

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人類史の基礎は、労働にある。

社会をなして労働することを通じて自然との物質代謝。

労働の発展史、労働による富の生産の発展史が人類史であり、社会の発展史である。

同時に、労働の生産力の発達、社会の発達と共に、余暇の充実が進展する。

 

労働の発展史、生産の発展史は、その手段、すなわち労働手段の発達史、生産手段の発達史であり、その手段を所有する社会関係の発達史であり、それらの発達を担いそれと相互関係にある人間の肉体的精神的諸能力の発展史(一部の動物的諸能力の退化史)である。

 

資本主義の社会では、資本(現在なら、法人企業、資本の法的人格の代表者)が主人公になる。

 

価値の創造主体、資本の創造主体、資本の増殖の主体が人間の労働である、といったことはほとんど説明されない。あたかも、資本が独自に増殖力を持つかのごとくに解釈されている。

機械や原料、工場設備を遊休させておけば、何も商品が生産されず、新しい価値も創造されないことからみても、価値創造の主体的担い手が人間であり、その労働であることは明白だが、それがきちんと説明されない[3]

 

企業(資本)も、働く人々の仕事が企業を支える主体的要因であることは知っている。いい人材を集めようとするのはその必然である。たとえば、ある人間が同じ初任給で他の人の何倍も働くとすれば、これほど企業にとって得になることはないではないか。

 

他方で、現代の成人の圧倒的部分は、企業で働き口を見つけるしか、生存の道はない。なぜなら、資本を所有せず、機械設備・原料など生産手段を所有しないからである。所有しているのは、自分の働く能力(=労働力)だけだからである。

 →「生産手段からの自由」(ただし、これは美化された表現であり、本質からいえば、生産手段を喪失し、生産手段から解放されたということ)

 

現代人の圧倒的多数は、また、古い時代と違って、人格的に誰かに縛られてはいない。自分の労働力を誰に売ろうが、どこにいって売ろうが自由である。労働力(労働能力)という商品の所有者として、商品市場で自由な販売行動[4]が可能である。

 →「人格的自由」

 

資本主義的生産様式が支配している社会では、働く人々(労働者)は、このように、「二重の意味で自由」である。

 

封建社会、その他の社会から資本主義的生産様式が生まれてくる過程は、商品・貨幣経済がしだいに社会の中に浸透する過程であったが、決定的にはこの「二重の意味で自由な」労働者社会層として生まれてくる過程でもあった。すなわち、商品のなかでも、とりわけ労働力の商品化が決定的な重要性を持つものだった。

 

 そして、戦後日本社会でも、また現在の世界で、ますますグローバル化している資本主義、「グローバル資本主義」のもとでも、この労働力の商品化のプロセスは進展している。


日本の最近40年間の労働力調査結果(出所www.stat.go.jp/data/roudou/3.htm)

             1956  1966  1976 1986  1996    40年間

単位: 万人,

 

昭和31

 41年 

 51年 

 61年 

平成8年

増減数
平成8−昭和31

増減倍率
平成昭和31

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15歳以上人口

6,050

7,432

8,540

9,587

10,571

4,521

1.75

 労働力人口

4,268

4,891

5,378

6,020

6,711

2,443

1.57

  就業者

4,171

4,827

5,271

5,853

6,486

2,315

1.56

  完全失業者

98

65

108

167

225

127

2.30

 非労働力人口

1,776

2,537

3,139

3,513

3,852

2,076

2.17



 

 

 

 

 

 

 

 

 

雇用者
自営業主・家族従業者

1,913
2,258

2,994
1,831

3,712
1,551

4,379
1,458

5,322
1,147

3,409
-1,111

2.78
0.51

農林業
製造業
サービス業

1,437
805
507

1,006
1,178
682

601
1,345
876

450
1,444
1,205

330
1,445
1,598

-1,107
640
1,091

0.23
1.80
3.15

完全失業率
労働力人口比率

2.3
70.5

1.3
65.8

2.0
63.0

2.8
62.8

3.4
63.5

1.1
-7.0

1.48
0.90

(注)1.昭和31年、41年には沖縄県の数値が含まれていない。2.完全失業率は、労働力人口に占める完全失業者の割合=(完全失業者÷労働力人口)×100  3.労働力人口比率は、15歳以上人口に占める労働力人口の割合=(労働力人口÷15歳以上人口)×100 

要するに、現代資本主義社会は、基本的に、近代に独自な資本産業資本が支配する資本主義的生産様式・・・労働力の売買(労働力の商品化)・・・人間の一定層の賃労働者化

   PmProduktionsmittel生産手段)           (G’=増殖した貨幣量)

GW     ・・・・・・・・・・・・・・P・・・・・W’G’

   AArbeiter賃金労働者=雇用労働者)(生産過程)  (W’=新しい商品=価値増殖した商品、付加価値がつけられた生産物)

 

最初の買い(G=W)、最後の売り(W’=G’)は、等価交換を前提にしなければならない。

それでは、どこから価値の増加、はじめの価値を越える価値の増加分は生じるか?

 

最初の投下資本(G[5]で、生産手段(Pm機械・原料など)を購入し、労働者(A)を雇い、生産現場・企業の中で製品を製造し、できた製品(W’)をうって手に入れた貨幣額(G’)=価値額が、当初より増えている(すなわち、G+Δg)、というのは、まったく一般的な法人企業(資本)のあり方である。資本一般はそれを本質とする。

 

P(生産過程)において、人間が機械設備を持ち原料に働きかける労働を投下することで、古い価値は維持され、あらたな価値が創造される。生産過程の革新こそは、現代経済の発展の最も重要な基礎。

 

 

封建制社会から資本制社会への発展的移行=封建制の経済的基礎[6]の解体過程[7]・・・商品貨幣経済の拡大と資本・賃労働関係の生成

 

資本主義的生産様式の発生史は、一方における貨幣財産(賃労働者を雇用して近代的産業資本に転化するもの)の蓄積の歴史、いわゆる「本源的蓄積」(大塚テキストでは「原始蓄積[8]」の訳語をあてている)の歴史であり、他方における「二重の意味で自由な」賃労働者の発生史である。

貨幣も商品も最初から資本ではないのであって、ちょうど生産手段や生活手段がそうでないのと同じことである。これらのものは資本への転化を必要とする。しかし、この転化そのものは一定の事情のもとでなければ行われえないのであって、この事情は要するにつぎのことに帰着する。すなわち、2つの非常に違った種類の商品所有者が対面し接触しなければならないという事情である。その一方に立つのは、貨幣や生産手段の所有者であって、彼らにとっては自分がもっている価値額を他人の労働力の買入によって増殖することこそが必要なのである。他方に立つのは、自由な労働者、つまり自分の労働力の売り手であり、したがってまた労働の売り手である。

自由な労働者というのは、奴隷や農奴などのように彼ら自身が直接に生産手段の一部分であるのでもなければ、自営農民などの場合のように生産手段がかれらのものであるのでもなく、彼らはむしろ生産手段から自由であり離れており免れているという二重の意味で、そうなのである。

このような商品市場の両極分解とともに、資本主義的生産の基本的諸条件は与えられているのである。資本関係は、労働者と労働実現条件の所有との分離を前提する。

資本主義的生産がひとたび自分の足で立つようになれば、それはこの分離をただ維持するだけではなく、ますます大きくなる規模でそれを再生産する[9]だから、資本関係を創造する過程は、労働者を自分の労働条件の所有から分離する過程、すなわち、一方では社会の生活手段と生産手段を資本に転化させ、他方では直接生産者を賃金労働者に転化させる過程以外のなにものでもなありえないのである。

つまり、いわゆる本源的蓄積は、生産者と生産手段との歴史的分離過程に他ならないのである。それが、「本源的」として現われるのは、それが資本の前史をなしており、また資本に対応する生産様式の前史をなしているからである。[10]

農民の両極分解と農村住民からの土地の収奪

 イギリスの事例・・・14世紀終わりごろ、農奴制は事実上消滅。15世紀にはさらに一層、人口の非常な多数が自由な自営農民[11]になっていた。        

 農民のなかで上昇して富農になり、付近の貧農を労働者として雇うものがでてくる。

富農・・・農業資本家、貧農・・・農業労働者、 すなわち農民が資本家に上昇するものと労働者に下降するものに分かれる。

「かつての大きな領主所有地では、土地管理人(それ自身農奴だった)は、自由な借地農業者に駆逐されていた。農業の賃労働者は、一部は、余暇を利用して大土地所有者のもとで労働していた農民たちからなっており、一部は、独立の、相対的にも絶対的にもあまり多数でない、本来の賃金労働者の階級からなっていた。後者もまた事実上は同時に自営農民でもあった。というのは、彼らも自分たちの賃金のほかに4エーカー以上の大きさの耕地と小屋とをあてがわれていたからえである。そのうえに、彼らは、本来の農民といっしょに共同地の用益権を与えられていて、そこには彼らの家畜が放牧されていたし、また同時にそれは彼らの燃料になる木や泥炭なども供給していた。[12]

近代資本主義的生産様式の発祥の地イギリス・・・資本主義的生産様式の基礎をつくりだした変革の序曲は、15世紀の最後の3分の1期と16世紀の最初の数十年間

イギリス絶対王政の成立過程(中央集権・絶対的主権の追求)・・・イギリスにおける商品貨幣経済の発展=ブルジョア的発展の結果、狭い封建制を打ち破る・・・封建家臣団の解体・・・無保護なプロレタリアの大群が労働市場へ

王権や議会に頑強に対抗しながら大封建領主は、農民をその土地から暴力的に駆逐、また、農民の共同地を横領→農民のプロレタリア化。

これに直接の原動力を与えたものが、イギリスではとくにフランドルの羊毛マニュファクチャーの興隆とそれに対応する羊毛価格の騰貴。

古い封建貴族は大きな封建戦争に食いつくされていたし、新しい貴族は、貨幣が権力中の権力になった新しい時代の子だった。だから、耕地の牧羊場化が新しい貴族の合言葉になった。農民の住居や労働者の小屋はむりやりに取り壊されるか、または腐朽するに任された。

15世紀について『イギリス法の讃美』で大法官フォーテスキューは、人民の富(コモンウェルス)を描く。

16世紀についてトマス・モアが描く『ユートピア』の世界・・大塚テキスト

 

                      



[1] 有斐閣『経済辞典』3版、1039ページ。この辞典の第4版(2002年)には、本学商学部経営学科の丸山宏先生も執筆陣に加わっている。

[2] 労働価値説・・・・価値を創造しうるのは、新しく創りだしうるのは、労働以外にはない。価値(価格)の実体としての労働は、商品に対象化された労働であり、抽象的社会的な労働である。その一定時間分が具体的な商品の価値の実体を形成する。アダム・スミスからリカードを経て、マルクスが批判的に磨き上げた労働価値説についてはすくなくとも『資本論』の第1巻第1章、第4章、第5章を熟読してみなければならない。また、その価値学説(剰余価値学説)を経済学の諸体系を批判しつつ生み出した過程については、『剰余価値学説史』を見なければならない。

[3] 現在、うずたかく詰まれている経済学の教科書から「付加価値」の創造の説明をしているのがあるか、探してみてください。そのなかから説得的なものがあったら、次回のミニテストのときにでも書いてください。

[4] ただし、資本を所有している法人企業・会社は、個々の労働者に対しては優越した地位にある。働く人々は歴史的に見て、資本・企業・会社の不当な労働条件・賃金条件などに対しては、組合を結成して交渉し、場合によってはストライキなどで闘って、労働力商品の正当な販売のために、努力してきた。それは、現代では、また多様な労働関係法律によっても守られるようになっている。しかし、景気の低迷、不況の長期化の中では、それも脅かされる人々が多くなってしまう。「過労死」、リストラによる失業、働く人の権利剥奪。セーフティネットの欠如・・・資本主義の病理。

[5] 簿記会計の講義で習うように、またすでに配布したある企業の貸借対照表から明らかなように、現代企業は、自己資本(株式資本など)だけで営業を行っているわけではない。原料や機械、工場設備などを購入し、労働者を雇うために、銀行などに蓄積された資本(利子生み資本)を借りる。一定期間の借り代が「利子」「利息」である。日本の法人企業が全体として大量の銀行等からの借金で営業し、利子を支払っていることは、前述の付加価値(前掲の表をみよ)を支払っていることから明かである。

[6] 基礎としての村落共同体・・・この基本構成=@家屋敷・宅地・菜園地、A耕区制、混在耕地制、耕区強制=共同体規制、B共同地・・・森林、放牧地、草地・・・領主と村民の利用権=共同権。 大塚テキスト、4546ページ。

[7] これについては、別にまとめて、説明。予習のためには、次ぎを参照:私の研究室HPhttp://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/kogikeizaishi20010709.htm

[8] テキスト・大塚久雄『欧州経済史』4057ページ。

[9] 労働力調査の前掲表の「自営業主・家族従業者」の欄を見よ。

まさに、日本のように高度に発達した資本主義国・先進工業国において、最近の四〇年ほどの間に、自営業主(資本・生産手段を所有する零細企業、小商店等の小ブルジョアおよび農民)とその家族従業員が激減していることがわかる。

これに対して、雇用者大衆(=資本・生産手段を喪失し労働力を販売する人々)の数が毎年のように増加してきた。

すなわち、資本=賃労働関係は、社会の生産諸力の発展のなかで、ますます社会の隅々にまで浸透している。経済史の主要法則の貫徹。

[10] 『資本論』第一巻第二四章、大月版、933934ページ。

[11]  「自分の畑を自分で耕して適度な裕福を楽しんでいた小土地所有者たちは・・・当時は国民の中で今(一九世紀中頃)よりずっと重要な部分をなしていた。・・・16万よりも少なくない土地所有者たち、それは家族を合わせれば総人口の7分の一以上を占めていたにちがいないが、彼らは自分たちの小さな自由保有地(自由保有free holdは完全に自由な所有である)「の耕作によって生活していた。・・・自分の所有地を耕作していた人々の数は、他人の土地にいた借地農業者の数よりも大きかったと計算された」。・・・17世紀の最後の3分の1期にもまだイギリス人民の5分の4は農業に関係していた。同、937ページ。

[12] 同、936937ページ。