ゲーテとシラーの町、ワイマール、
第一次大戦終結当時、世界で最も民主主義的共和制の憲法が制定された都市、ワイマール、

そのフランツ・リスト大学
                  Franz Liszt
                  Hochschule






1989年の平和革命(ベルリンの壁の崩壊の内発的要因-これはほとんど忘れ去られている―、
東西ドイツの平和的民主主義的統一、東ドイツの民主的解体)を記念し、祝う精神。

それは、フランツ・リスト音楽大学の前の広場の記念版(広場に埋め込まれた石版)にも示されていた。

       大学前広場


       記念石盤


 市民大衆にデモへの参加を呼びかけ、輪を広げた中心的スローガン:

”われわれが人民だ”

この場所で、1989年10月24日、ワイマールで火曜日デモが始まった。

”民主主義だ。今やらなければ二度とチャンスはない”


 

「ベルリンの壁の崩壊」、その歓喜の場面だけは、ほとんどの人が記憶にとどめている。

だが、「ベルリンの壁の解体」の前提に、東ドイツ全土に広がった市民の大衆的なデモのうねりがあった。
民主主義の要求、体制の根本的変革の要求が国民大衆全体に浸透した。
 これが決定的に重要な点である。

ワイマールからベルリンへの帰路、ライプツィヒに途中下車。

このライプツィヒのまさに、1989年平和革命の「発火点」、ニコライ教会の壁にも、その革命を記念する張り紙が掲げられていた。


       1989年10月9日-平和革命の核心となる日付
         ライプチヒ・民主主義体制を求める平和のデモの始まった日付


          ニコライ教会


           ニコライ教会内部




         2009-平和革命20周年
         平和の祈り・講演・パネルディスカッション
                     www.kirche-leipzig..de:  「2009 平和革命20周年」


            想起
                感謝
                    問い

         





  詳しくは、2009年8月末―9月初めの科研費調査旅行記録、参照。