ホロコーストとヨーロッパ統合
―二つの対極的論理と史的力学―
永岑三千輝
はじめに
なぜこのテーマを・・・市大最終講義のタイトル
市大15年間(1996/4―2011/3)の総括
この15年間の研究の前提は、@学位論文『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』1995年10月(刊行は1994年9月)と、Aハルトムート・ケルブレ『ひとつのヨーロッパへの道―その社会史的考察―』1997年
@ ナチスの農村進出(大学院時代)から巨大化学企業イ・ゲ・ファルベンの第三帝国期における行動と国家の政策との関連探求、国家と経済・企業(第一回1975-77の留学から第二回1985-86の留学まで)、
・・・公刊・未公刊一次史料:ニュルンベルク継続裁判証拠文書群とBA/R26などの文書。
そして、ズデーテン問題・戦時期占領政策の研究(第二回留学から1990年まで)
・・・公刊史料集・ズデーテン文書館のドキュメント。
・・・DDR末期―BRDの公刊一次史料集。
ズデーテン併合→ポーランド侵攻→西部戦線における電撃的勝利と占領政策・軍事経済に関して一連の論文。
1991年6月の日ソ歴史学シンポジウムでの報告(西側占領地域の活用による第三帝国軍事経済の力量・対ソ攻撃力増強・長期戦化に備えた対ソ奇襲攻撃へ)・
モスクワの史跡体験と帰国直後8月以降のソ連崩壊過程。・・・ソ連末期を暗示するかのごとに待遇(「かつては国賓並み?」、今は?)と雰囲気
世界を二分する強大な国家の生成・発展・崩壊を第三帝国研究の立場から見据え解明するスタンスの必要。
・・・未開拓(世界的にも)の第三帝国によるソ連占領政策(1941-42)へ(ソ連占領政策論文、1,2,3)。
本(学位論文)の原稿作成後、1993年3月―9月末、ドイツ連邦文書館(コブレンツ)での実証研究・・・未公刊一次史料(BA/R58, N19, etc)により拙著の実証的基礎を固め、さらに1942年から45年までの推移を確認し、見とおすため。
一連の実証的論文を、『経済学季報』に発表(リスト参照)・・・それをまとめたのが、『独ソ戦とホロコースト』2001年。
A 戦後西ドイツ・ヨーロッパの繁栄した現場体験・・「第二の故郷」
西ドイツ・ヨーロッパの「繁栄と安定」(私の感覚からはこれが戦後ヨーロッパの主要な特徴)の基礎にあるものはなにか?『ひとつのヨーロッパへの道』を成立させる広範な社会的土台は? そうした漠然とした問題意識に対応する(応えてくれる)のが、ケルブレの仕事。
ケルブレとの接触、度を重ねるごとに、「ヨーロッパ統合」の原理・社会的基礎を体現したかのごとき人柄を認識。・・・・大学院・学部の講義・セミナーに招聘、『ヨーロッパ社会史―1945年から現在まで』を監訳(訳者は若手3人:金子・瀧川・赤松)
市大15年間(1996/4―2011/3)の研究の刺激・推進要因となった二つの直接的契機
@ マルコポーロ事件(1995年1月)と
A 第17回よこはま21世紀フォーラム(2000年10月)企画運営(1996年から議論開始)
1.マルコポーロ事件・アウシュヴィッツ否定論とそれへの批判
「ガス室否定論」・・・アウシュヴィッツ否定論(ホロコースト否定論)、欧米におけるその長い歴史、
敗戦・終戦・「解放」50周年記念にぶつけた否定論の登場
・・・・アウシュヴィッツ否定論の根底的批判の道は?
2.方法的見地
ヒトラー・ナチスの思想・運動・体制の構造とその闘いの必然性・展開の中に反ユダヤ主義・ユダヤ人問題・ホロコーストを位置付けるというスタンス。
そのスタンスは、最初期の仕事から一貫したもの・・・Cf.『国家と経済』科研費(代表・遠藤輝明)報告書、及びそれを共同研究の成果としてまとめた遠藤輝明編『国家と経済』の拙稿「第三帝国の国家と経済―ヒトラーの思想構造にそくして」1982年。
ユダヤ人問題は、世界強国・東方大帝国の建設を目指す民族帝国主義(人種帝国主義)の反ユダヤ主義の武器であり、ユダヤ人絶滅をヒトラーの二つの基本目標の一つとする見方を批判。
3.否定論への直接的反論と拙著書評への学術的反論・・・一次史料による検証作業
否定論に対する直接的批判のいくつかの論文(『現代史研究』などに掲載)
拙著への栗原氏書評(『歴史学研究』)・・・彼は、ヒトラーのヨーロッパ・ユダヤ人絶滅命令=41年「7月末8月初旬」説、
その立場から、41年「12月説」(永岑)は、「研究史無視」と批判された。
実証的検証により、反論することが義務となる。
その見地からの一連の仕事(添付の論文著書リスト参照)。
一方で 栗原氏の主張する「7月末説・8月初旬説」の根拠となる史料群の洗い直し・吟味
・・・・それらの史料群(7月31日ゲーリングの命令、アイヒマン証言など)は、栗原氏の主張の根拠とはならないことを確認。
一連の批判的論文(それを8年がかりでまとめ上げたのが、拙著『ホロコーストの力学―独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法―』2003。
他方で、その確認作業は、同時に、栗原氏が見ていない一次史料群(東部地域占領の基本方針、7月16日、ソ連占領の基本政策・指針、ヒムラーの任務、アインザッツグルッペと帝国保安本部文書、事件通報ソ連、国家警察的重要事件通報など)、12月説(ヨーロッパ・ユダヤ人の移送・殺戮作戦への展開の画期、前提としての9-10月の臨時的措置、ハイドリヒの意識・職務・責務と使命感の状況、11月29日ヴァンゼー会議招集12月9日、その直前、真珠湾攻撃、ヒトラーの対米宣戦布告の大演説、その直後の党最高指導部との会談、総督府フランク長官の閣議での発言、42年1月8日のヴァンゼー会議招集状、42年1月20日ヴァンゼー会議開催とその議事録を巡る情勢)を裏付ける幾多の史料群を確認し、再検証する作業(『独ソ戦とホロコースト』2001に収録した一連の論文)。
その過程で、1996年のゴールドハーゲンの著書『ヒトラーの自発的死刑執行人―普通のドイツ人とホロコースト』とそれに関する国際的論争の発生。(「普通のドイツ人か」?、「死の行進」はどう理解すべきか?)
ゴールドハーゲンへの私の批判のスタンスも、栗原氏への批判の見地と同じ。
第一次大戦の記憶、独ソ戦から世界大戦の全体的推移・力関係・現場の状況とそのダイナミックな変化において、「普通の人々」、「普通のドイツ人」の行動を把握する。・・・・(Cf. 拙著『独ソ戦とホロコースト』)
矢野久氏の書評(ヒトラー擁護、との主張)への内在的反論。
最新のモムゼン(機能主義の代表)の見方
むすびにかえて
ホロコーストの力学と原爆開発の関連の探求
【教科書(担当章・節の執筆)】