ソ連侵略開始(1941年6月22日) と占領地(戦闘終了地域・前線後方地域)におけるユダヤ人殺戮の開始
占領の基本方針とユダヤ人の位置づけ(41年7月16日会議)
ソ連侵攻当初の占領政策の基本指針
(占領地域住民の統合の必要性と経済的利用=搾取の必要性・・・矛盾する必要性のせめぎあい)
・・・・・電撃戦の頓挫と占領政策基本指針の挫折
現地住民の反ソ・反ユダヤ意識の意識的活用。
ソ連地域
ヒムラー親衛隊ライヒ(全国・帝国・最高)指導者・ドイツ警察長官に治安秩序樹立の任務
アインザッツグルッペ(治安警察・保安部の特別出動部隊A,B,C,Dの4隊:「世界観の軍隊」)
・ ハイドリヒの命令、
・ 「活動・情勢報告書」(第1号、第2号、第3号、第4号、第5号、第6号、第7号、第8号、第9号、第10号、第11号)(外務大臣あて送付:出所=外務省「ユダヤ人問題最終解決」ファイル)
以上、一級の一次史料
・
ソ連地域においてドイツ占領下に、戦時の最初の半年間に50万人余の殺戮
(Cf. Aの総括報告1942年1月31日・付録地図・・・アインザッツグルッペAだけで半年間に22万人ほど)