占領地域の治安体制確立とホロコースト
アインザッツグルッペの報告書(『事件通報・ソ連』)
リトアニアのホロコースト
リトアニアにおいて、下記のイェーガー報告書(41年12月1日まで)までの最終結果:
最初の半年間で、彼の部隊だけで、13万7346人の殺戮。
殺戮された者の99%といってもいいくらいのほとんどの人は、ユダヤ人。
イェーガー報告書をみるとわかるが、報告日ごとに何百人、何千人のユダヤ人男女(8月中旬以降は子供も)が殺されるが、コミュニストは数人程度。
特に興味深いのは、たとえば、通常の犯罪者Verbrecherとユダヤ人とが区別されている報告(Blatt2 、8月13日の数字)。
「ユダヤ的コミュニスト」、「ユダヤ人コミュニスト」の固定化した敵観念と
ソ連軍・ボルシェヴィキの前線における激しい抵抗・広大な占領地統治・「冬の危機」・レニングラード包囲前線の後方地域。
たとえば、イェーガー報告書の8月18日の記述を見ると、
「698人の男子ユダヤ人、432人の女性ユダヤ人、56人のリトアニア人(全員、活動的コミュニスト)をサボタージュ行為に対する報復として」、射殺している。
こうした直接的な表現がなくても、全体として、ユダヤ人殺戮が「報復」、「治安平定」など治安警察の見地(理由付け)から、行われている。
レニングラード攻略に向かうドイツ北方軍集団の進撃・配置
その後方を進撃し、治安平定にあたるのが、アインザッツグルッペA(そのいくつかのアインザッツコマンド)
ソ連軍を撃破して進撃してきたドイツ軍を歓迎する親ドイツ派市民
反ソ派リトアニア住民の憤激の行動:
ドイツの戦車隊の兵士と一緒にソ連の旗などを焼く。
リトアニア人民衆とドイツ兵士の目の前でのユダヤ人撲殺(ポグロム)
1941年6月27日
ユダヤ人射殺場所
反ユダヤ主義=反コミュニズムの宣伝ポスター
「ユダヤ人=永遠の敵=スターリン
ユダヤ人=唯一巨大な悪党」
駆り立てられたユダヤ人
・・・コミュニストと見なされる。
1941年6月カウナスで。
駆り立てられ、カウナスに移送されたユダヤ人女性
・・・決起した反コミュニストのリトアニア人が見守る
以上の写真の出所:
(Koeln,Weimar,Wien 2003)
1941年に、バルト三国のひとつリトアニアでは、リトアニア人の支援を受けて、ほとんどのユダヤ人が殺戮された。
この1941年のリトアニアにおけるホロコーストをドイツ、リトアニア、アメリカの歴史家の共同研究で解明。
同書:付録ドキュメント1
ホロコーストの実施に関する報告書(イェーガー報告書)
(1941年12月までの総括報告:報告時点までに13万7346人を処刑したことがわかる)
7月28日までに3834人処刑。
41年8月22日までに、1万6152人処刑
41年8月に一挙に数が増える。8月22日から9月1日までの11日間で3万人ほど。
9月1日までに、4万7814名となる
たくさんの子供(Kinder)が殺されている。
9月26日までに、6万6159人。
処刑の欄の統計は、男子(Juden)、女子(Judinn)、子供(J'Kind.) となっている
子供の数の多さ!!
いくらなんでも、ユダヤ人の子供をコミュニストと言い張るわけには行かない。幼児がコミュニスト?
「将来のコミュニスト」と見なしての処刑、か。
各部隊合わせて、41年11月29日までに、9万9804人。
報告までの最終結果:13万7346人。
「リトアニアにおけるユダヤ人問題は解決したと確認できる」と。
そして、
生存しているのは、労働ユダヤ人(労働に動員されたされたユダヤ人)だけ:約3万4500人、と。
労働ユダヤ人も片付けたいが、ドイツ「民政当局および国防軍が、殺害を厳しく禁止している」と。