教養ゼミ:資料
アメリカ独立戦争・独立革命の闘士
ベンジャミン・フランクリン(1706年出生)と教養
および
ヘーゲルの世界史洞察(普遍的法則と諸個人)
最終更新日:2008年4月7日(月)
広辞苑の記載:
フランクリン【Benjamin Franklin】
アメリカの政治家・科学者。印刷事業を営み、公共事業に尽した。理化学に興味を持ち、雷と電気とが同一であることを立証し、避雷針を発明。また、独立宣言起草委員の一人で、合衆国憲法制定会議にも参与。自叙伝は有名。(1706〜1790)[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
フランクリンは、経済学上も、商品分析=労働価値説の発見者の一人として、高く評価されている[1]。
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フランクリンは自発的教養ゼミを組織した。彼は高等教育を受けることができなかった。一〇歳から働いた。印刷業の職人となり、長じて印刷屋を開業した。読書が好きで、夜間や休日に自発的読書を楽しみ、教養を身につけた。
大学だけが教養の場ではない。いやむしろ、普通の生活の場、市民生活の場こそが教養を深め拡大する場であるだろう。
大学はむしろその一生をかけての教養の深化拡大のためのできるだけいいきっかけを作る場ということであろう。
教養形成・深化の一つの重要な手段が読書であるとすれば、別に大学だけが教養の場でないことは極めて明白である。
フランクリンは自発的な公共的図書館の創設者でもあった。公共図書館は、自分たちのもっている本を集め、相互に貸借することから発展した。
彼は自発的な消防組合の提唱者、創立者でもあった。
そして、ペンシルヴェニアに大学を設置・創立する組織者の一人となった。自発的読書会として発足したジャントー・クラブがその中心となった。
→1751年創立のフィラデルフィア大学[2](のちペンシルヴェニア大学)[3]
彼はまた自発的な寄付金による法人を組織して病院を建設し、その基礎の上に州会から補助金を得た。
・・・・ヴォランティア精神
『フランクリン自伝』から、自発的勉強会の設立に関する箇所を紹介しておこう。
1727年の「秋、わたしは有能な知人の大部分を集めて相互の向上を計る目的でクラブを作り、これをジャントー(スペイン語から来て、徒党・秘密結社を意味する)と名づけて、金曜日の晩を集まりの日にしていた。会則もわたしが起草したのだが、それによると、会員はすべて順番に、倫理・政治ないしは自然科学に関する何らかの点について少なくとも一つの問題を提出し、仲間の討論にかけることになっていた。また三ヶ月に一度は何であれ、自分の好きな題目について論文を書き、それを提出して読むという約束であった。討論も、議長の司会の下に、議論のための議論をするとか、相手を言い負かすために議論するとかではなしに、真理探求という真面目な精神で行うことになっており、しばらく後には、議論が喧嘩腰になるのを避けるために、独断的な言い方や真っ向から反対するといったことはいっさい禁制となり、それを破る者には小額の罰金を課することにした。[4]」
ジャントー・クラブは、「頃合の人数として」会員数を一二名までと決めてあったという[5]。
教養ゼミも、また2年生後半以上の本ゼミも一二名程度,せいぜい二〇名程度が理想的であろうと、私も考える。
できれば、『フランクリン自伝』の全体を読んでみてはどうだろうか。(こんなことを別にことさら強調しなくても、手元の岩波文庫版だけで56刷にもなっていることから、みなさんの中にもすでに読んだ人が何人もいるかもしれない)。私自身、読みなおすと、感銘深い点をいくつも発見できて、面白く、教訓的であった。
アメリカの健全な精神(アメリカにも日本や世界の至るところと同様に、傲慢不遜な精神・勢力がいることはいうまでもない)の育成にあたって大きな影響と与えた(与えている)とされるフランクリンの業績について、一度は味わってみるのは価値あることのように思われる。
彼は道徳を考える場合にも、「完全に道徳を守ることは、同時に自分の利益でもある」ことを強調した。
彼は「現世の幸福を望むものにとって、徳を積むことは有利なのだ」という確信を述べ、それを証明し、自伝の読者に対して証明しようともしている。
彼が自ら定め、それを完全に身につけようと努力した徳(実際に行うのは彼の場合でさえ、彼自身、謙虚に、認めるように困難至極だったが[6])、その有名な13徳はつぎのようなものであった[7]。
「第1 節制 飽くほどに食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
第2 沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁をろうするなかれ。
第3 規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
第4 決断 なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
第5 節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
第6 勤勉 時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
第7 誠実 詐(いつわり)を用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまたしかるべし。
第8 正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
第9 中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
第10 清潔 身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
第11 平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
第12 純潔 性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
第13 謙譲 イエスおよびソクラテス[8]に見習うべし。」
フランクリンは、「あらゆる宗派の人に役立つ」道徳基準を確立すること、「ある特定の宗教に特有な教義といったもの」を排除することを目指した。人類に普遍的な道徳基準を確立し、自らの基準、努力目標にしようとしたということであろう。
フランクリンの精神、世界諸宗教に共通する道徳基準を抽出するという精神、人類の共通原則の確立という精神的地平は、宗教をめぐって、あるいは宗教を武器として悲惨な戦争がいまなお続く現代世界にとっても、熟慮すべき事柄だろう。
しかしフランクリンは、なによりも貧困から身を起こすこと、財産・富を持たない普通の人びと、年齢層でいえば「若い人びと」の向上と「立身出世」に資することを目指した。「正直と誠実とは、貧しいものが立身出世するのに最も役立つ徳であるということを、若い人びとに悟らせるようにしたいと思った」と[9]。
さて、教養ゼミに参加する諸君は、この点をどう考えるか?
フランクリンの13徳を、一つの努力目標の参考にするか、無視してしまうか?
自分なりに新たな基準をつくるか?
その場合に、世界の偉人から学ぶか?
現代世界のフランクリンはどこから出てくるか?[10]
フランクリンは、アメリカの偉人の一人であり、アメリカ独立革命の闘士であり、アメリカ憲法に体現されたあたらしい理念の推進者であった。
ヘーゲルの『歴史哲学講義』(岩波文庫、上、58―64ページ)から、そうした世界史的な偉人・英雄等に関する叙述を書きとめておこう。
カエサルの具体例を述べた後、ヘーゲルは言う。
「歴史上の偉人とは、自分のめざす特殊な目的が、世界精神の意思に合致するような実体的内容を持つ人のことです。偉人が英雄とよばれるのは、その目的や使命を、現存体制によって正当化されるような、安定した秩序のある事態の動きから汲みとるばかりでなく、内容が隠されて目に見える形をとらないような源泉からも汲みとってくる場合にかぎられます。その源泉とは、いまだ地下にひそむ内面的な精神ともいえるので、この精神は種子の殻をたたくように外界をたたき、外界をこわしてしまう、―つまり、英雄とは自分のなかからなにかを創造するように見える人物のことであり、その行為が、かれのもの、かれの作品であるとしか思えない事態や状況をうみだす人です。
こうした個人は、目的の設定にあたって理念を意識しているわけではない。かれらはむしろ、実践的かつ政治的な人間です。が、同時に、かれらは思考の人でもあって、なにが必要であり、なにが時宜にかなっているかを洞察している。洞察されたものは、まさに、その時代とその世界の真理であり、時代の内部にすでに存在する。かれらの仕事は、世界のつぎの段階に必ず現われるこの一般的傾向をみてとり、それを自分の目的とし、その実現に精力をかたむけることです。だから、世界史的人間、ないし、時代の英雄とは、洞察力のある人びとを考えるべきで、その言動はその時代にあって最上のものです。
偉人は他人を満足させようとするものではなく、自分の満足をねらいとします。彼らは他人から善意の忠告や助言を与えられたりもしますが、それらは偏狭で、いい加減なものが多い。事態をもっとも正確に理解しているのは偉人たちで、まわりのすべての人は偉人に教えられて事態をとらえるか、少なくとも、事態にうまく対処するかするのです。というのも、前を行く精神はすべての個人の内面的な魂をなすもので、偉人たちは、個人の無意識の内面を意識にもたらすものだからです。だからこそ、この魂の指導者に他人がついていくことにもなるので、人びとは、偉人という形で自分の前にあらわれた自分自身の内面精神に、どうしようもなくひきつけられてしまうのです。
このように、世界史的個人は世界精神の事業遂行者たる使命を帯びていますが、彼らの運命に目をむけると、それはけっしてしあわせなものとはいえない。かれらはおだやかな満足を得ることがなく、生涯が労働と辛苦のつらなりであり、内面は情熱が吹きあれている。目的が実現されると、豆の莢(さや)に過ぎないかれらは地面に落ちてしまう。アレクザンダー大王は早死にしたし、カエサルは殺されたし、ナポレオンはセント・ヘレナ島へ移送された。歴史的人物が幸福とよべるような境遇にはなく、幸福は、種々様々な外的条件のもとになりたつ私生活にしか約束されない、というのはぞっとするような歴史の事実ですが、その事実になぐさめられる人もいるかもしれません。が、そんななぐさめを必要とするのは、立派な遺業を見て不愉快に思い、なんとかそれを小さく見せようと粗(あら)さがしをする嫉妬深い人だけです。・・・・自由な人間というものは嫉妬心などもたず、高貴な偉業をすすんでみとめ、それが存在することによろこびを感じるものです。
だから、歴史的人物を考察するには、その関心と情熱がどのような全体的事業に向けられたかをみなければなりません。かれらが偉人であるのは、偉業を、それも思いこみの偉業ではなく、正真正銘の偉業をなそうとし、なしとげたからです。
こうしたものの見かたは、いわゆる心理的考察をも排除します。心理的考察とは、嫉妬心の満足には大いに役立つもので、すべての行動をその心理にわけいって説明し、主観的形態に還元してしまう。すると、行動を起こしたひとはすべて大小なんらかの情熱にもとづいて、つまり欲心にもとづいて行ったことになり、この情熱ないし欲心のゆえに、道徳的人間ではないことになります。マケドニアのアレクサンダー大王はギリシャの一部を征服し、ついでアジアを征服した、だからかれには征服欲があった、といわれる。かれの行動は名誉欲や征服欲に基づくもので、欲がかれをかりたてたことの証明は、かれが名誉を得、征服を行った事実に求められる。
アレクサンダー大王やユリウス・カエサルをあつかう学校教師のなかで、この二人がそうした情熱に突きうごかされた不道徳な人間であることを証明して見せなかった人がいるでしょうか。そこからただちに出てくる結論として、大それた情熱をもたない学校教師のほうが、アレクサンダーやカエサルよりも立派な人間だということになり、それを証明するものとして、学校教師はアジアを征服もしないし、ダリウスやポロスを打倒もせず、人に危害を加えることなく安穏にくらしている、という事実があげられるのです。
こうした心理家たちはまた、歴史的大人物の私生活にまつわる特殊な事実に、強い執着を見せます。人間は食べたり飲んだりしなければならず、友人知人と付き合い、刹那的な感情や興奮にかられます。「従僕の目に英雄なし」とはよく知られたことわざですが、わたしはかつて、「それは英雄が英雄でないからではなく、従僕が従僕だからだ」と補足したことがある(ゲーテが10年後に同じ言葉を繰り返しましたが)。従僕というのは、英雄の長靴をぬがせ、ベッドに連れて行き、また、かれがシャンパン好きなのを知っている男のことです。歴史的人物も、従僕根性の心理家の手にかかると救われない。どんな人物も平均的な人間にされてしまい、ことこまかな人間通たる従僕と同列か、それ以下の道徳しかもたない人間になってしまう。・・・・・・・
世界史的個人は冷静に意思をかため、広く配慮をめぐらすのではなく、ひたむきにひとつの目的に向かって突進します。だから、自分に関係のない事柄は、偉大な、いや、神聖な事柄でさえ、軽々にあつかうこともあって、むろんそのふるまいは道徳的に非難されてしかるべきものです。が、偉大な人物が多くの無垢な花々を踏みにじり、行く手に横たわる多くのものを踏みつぶすのは、しかたのないことです。
理性の狡知
理性の策略
個人は一般理念のための犠牲者となる・・・
歴史の根底を流れる真の民主主義の論理(大局的歴史進化の論理、宇宙史・地球史・人類史の論理)
一般理念の実現は、特殊な利害にとらわれた情熱ぬきには考えられない。特殊な限定されたものとその否定から一般理念は生じてくる。特殊なものが互いにしのぎを削り、その一部が没落していく。対立抗争の場に踏み入って危険をおかすのは、一般理念ではない。一般理念は、無傷の傍観者として背後に控えているのです。一般理念が情熱の活動を拱手傍観し、一般理念の実現に寄与するものが損害や被害をうけても平然としているさまは、理性の策略とよぶにふさわしい。世界史上のできごとは、否定面と肯定面をあわせもつ。特殊なものは大抵は一般理念に太刀打ちできず、個人は一般理念のための犠牲者となる。理念は、存在税や変化税を支払うのに自分の財布から支払うのではなく、個人の情熱を持って支払にあてるのです。
個人の存在とその目的と目的の満足とが犠牲に供され、個人の幸福が空前の要素に左右される・・・結局は個人を手段のカテゴリーのもとにとらえるほかはない・・・」
世界精神、世界法則、世界法則を捉える人類の歩み、科学的知識の総体,人類史
それと個々の時代、個々の地域、個々人の関係
ヘーゲル『歴史哲学講義』上、岩波文庫、64―69ページ
「手段ということばを聞くと、わたしたちはまず、自分の外にあって、目的とはなんのかかわりもないような手段を思い浮かべます。が、実際は、自然物でさえ、いや、身のまわりの生命なき物体でさえ、手段としてつかわれるときには、目的と合致する面を、目的と共通するなにかを、もっています。
まして、人間が理性的目的の手段となる場合、その人間が外的な手段にとどまることなど、およそありえない。人間は手段であることに満足し、手段の位置にたって理性の目的とは内容の違う特殊な目的を設定するのみならず、理性の目的そのものにも関与し、こうしてまさに自己を目的とするものになる、・・・・
人間が自己を目的とするといえるのは、人間のうちに神々しいものがあるからで、それは、もともとは理性と名づけられ、それが活動力として明確な姿をとると、自由と名づけられるものです。・・・宗教心や道徳心はそうした自由な理性を土台ないし源泉とするもので、外からやってくる必然や偶然に左右されることはないといえます。ただ、道徳的ないし宗教的な堕落や、道徳心ないし宗教心の弱さが露呈することはあって、個人が自由に生きようとするかぎり、そうしたことに責任をもたねばならないことはいっておかねばなりませんが。
人間は何が善で、なにが悪かを知っている、といわれますが、それは、人間の絶対的で高貴な使命をいいあらわすことばです。まさに、善を意思するか悪を意思するかが問われているので、一言で言えば、人間には責任というものがある。悪だけでなく善にも責任があり、あれにもこれにも、どんなものにも責任があり、のみならず、特に個人の自由に関わる善悪に責任がある。本当に責任がないといえるのは動物だけです。・・・・
人間の美質や道徳心や宗教心が歴史上でこうむる運命を見わたすとき、善意の誠実な人びとが多くの場合に不幸な目に会い、邪悪な人びとがうまくやっているようにも見えますが、そんなことを嘆きの種にするのはあたらない。うまくいくというのもさまざまな意味があって、富や外見上の名誉などもふくまれる。しかし、絶対的に存在する目的を問題とする場合には、あれこれの個人がうまくいったかいかなかったかは、理性的な世界秩序になに一つかかわるところをもたない。世界の目的という観点からすれば、個人が幸福な状態にあるかどうかより、道徳と法にかなったよい目的が確実に実現されているかどうかのほうが重要です。
人間が道徳的に不満を感じるのは(とはいえ、この不満はよく自慢の種になるのですが)、正義でも善でもあるとみなされる目的(特に今日では理想的な国家機構)に現実が合致していないと思えるときです。そのとき、目の前の現実に本来のあるべきすがたが対置される。もとめられているのは、特殊な利害や情熱を満足させることではなく、理性や正義や自由を満足させることです。
正義や善の名分を与えられると、現実への要求は声高になり、現在の状況に不満を言うだけでなく、それに怒りをぶつけるようにもなる。そうした感情や見解を正当に評価するには、文句のつけようのない形で提示される要求を、あらためて検討してみる必要がある。
現代ほど、現実に対する一般的な命題や思想が声高に提示される時代はないからです。過去の歴史が情熱の闘いとしてあらわされるとすれば、現代の歴史は、情熱が欠けているわけではないにしても、主として思想の自己主張の闘いとして、ときには、思想の自己主張という形をとった情熱と主観的利害の闘いとしてあらわされる。理性にかなったものという形で主張される正義の要求は、まさしく絶対の目的と見なされ、宗教や道徳に匹敵するものとされるのです。
すでにいったように、(空想の産物たる)理想が実現されていない、この素晴らしい夢が冷たい現実によって壊される、といったなげきほど、今日よく聞かれるものはありません。厳しい現実にぶつかって、実現の途上でついえさるような理想は、さしあたり主観的なものにすぎず、自分のことを最高にして最優秀な存在だと考える個人の所有物に過ぎない。わたしたちはそんなものにかかずらう必要はありません。個人が自分ひとりで考えだしたことが一般的現実にとっての法則になるはずはなく、同様に、世界の法則が、いずれは消えていく個々人のためにだけ存在するということもないのです。が、理想といわれるものには、理性、善、真の理想もあって、シラーのような詩人は、この理想を心の琴線に触れるよう感情ゆたかに表現しつつ、理想が実現されないことに深い悲しみの情を吐露しています。
これにたいして、わたしたちが普遍的理性の実現というとき、むろんここの経験的事実を問題にしているのではない。個々の経験的事実はよくもわるくもなりうるので、というのも、ここでは偶然や特殊条件が事態を大きく左右する力をもっているからです。だから、個々の現象については、非難すべき点はいくつも見つけられる。個々の事実のうちに働く一般的理性を認識しないで、その欠点だけを主観的にあげつらうのは難しいことではなく、そういう非難を得意とする人は、自分だけは全体の幸福を考える善意の心やさしい人であるような顔をしていて、いい気になってふんぞり返ったりするものです。個人や国家や世界支配の欠点を見つけることは、その真の内実を認識することよりも簡単です。事柄のなかにわけいって、事柄そのもの、事柄の積極面をとらえることをしない人でも、否定の口調で非難のことばをなげつけていれば、事態を上から見下ろすような、気持ちのよい偉そうな顔が出きるのです。
青年期はなにかと不満だらけなのに、年をとると人間がおだやかになるという。年をかさねることが判断を成熟させるからで、利害にとらわれない目でマイナス面をも評価できるようになるだけでなく、まじめな人生経験を積むことによって、洞察力が深まり、ものごとの実体ないし実質をつかめるようになるのです。
哲学は理想を夢想するのではなく、冷静な洞察をもたらさねばなりませんが、その洞察とは、本当の善ないし普遍的な理性は、自己実現する力をもっている、という洞察です。」
世界史のあゆみ
ヘーゲル『歴史哲学講義』上、岩波文庫、114―115ページ
「思想に親しむという習慣をもたない主観的教養人にとって、思考観念は違和感をかきたてるものであり、対象のイメージや理解のうちには見出されないものだと思えるのですが、それはイメージや理解に欠陥があるのです。かれらは、哲学は歴史学のことがわからない、という。が、かれらはむしろつぎのことをみとめるべきだ。哲学は、歴史学で力を発揮する分析的思考をもつのでもなければ、分析的思考のカテゴリーにしたがって思考をすすめるのでもなく、理性のカテゴリーにしたがって思考しつつ、同時に、分析的思考を理解し、その価値と位置をもわきまえていることを。
分析的思考の方法をとる学問にあっても、本質的なものをいわゆる非本質的なものから区別し、それとして取り出してくる必要のあることはいうまでもない。が、それができるためには、本質的なものがなにかを知らなければならない。
世界史の全体が考察の対象・・・・・・」
「一般的にとらえられた特徴とはっきり矛盾するような、身近な例を持ち出す人がいますが、そのやり方は、普通は、理念をとらえたり理解したりする力のなさをあらわしてもいます。自然史において、境界のはっきりとした類や綱をかきみだすものとして、奇形や異形や混成種の例が持ち出されることがありますが、それに対しては、ごまかしのためによく使われる手ではあるが、例外は規則を証明するものだ、といういい草をかえしておけばよい。いい草の真意は、例外を見れば、それが生じてくる条件なり、正常状態から逸脱した欠陥体や両性具有体なりがわかるということです。・・・」
118ページ
「真の道徳原理ないし共同精神・・・」
「世界史は道徳の本領たる、私的な心情、個人の良心、個々人の意思と行動といった場面よりも、もっと高い次元を動くもの・・・個人はそれぞれに価値ある点や非難されるべき点をもち、賞と罰をうけますが、精神の絶対的な究極目的が要求し成就すること、もしくは、神の摂理がおこなうことは、個人の道徳性に関わる義務や責任能力や要求をこえたものなのです。・・・」
119ページ
「世界史的個人といわれるような大人物たちの行為は、かれらが意識しないような内面的な意味で正当化されるばかりでなく、世界の流れという立場からも正当化されます。
とはいえ、世界史的な行為や行為者に対して、世界の流れを見つつ、道徳的な要求を掲げるわけにはいかないので、それが場ちがいというものです。つつましさ、謙虚さ、人間愛、慈善などといったくだくだしい個人道徳をかれらに要求してもはじまらない。世界史というものは、道徳が問題になったり、人のよく口にする道徳と政治の区別が問題となったりするような領域とはまったく違う。世界史は道徳的判断などしない―もっとも世界史の原理や、その原理と行動との関係は、それ自体すでに判断だとはいえるのですが―・・・・
世界史の地理的基礎
ヘーゲル『歴史哲学講義』上、岩波文庫、149ページ
「アメリカは未来の国です。近いうちに、たとえば南北アメリカの対立が世界史を動かすほどの重大事件になるかもしれませんが。古いヨーロッパの歴史的な武器庫にうんざりしたすべての人にとって、またアメリカはあこがれの地です。ナポレオンは、『古いヨーロッパはもうたくさんだ』といったそうです。アメリカは今日まで世界史が動いてきた土地からは除外されます。いままでにアメリカが獲得したものは、旧世界の反響、および、異質の生命の表現に過ぎず、未来の国については、私たちの関知するところではありません。・・・・・」
以上,見てきたように、ヘーゲルの世界史認識は実に深い洞察に満ちているのであるが,
他方では、青年ヘーゲル派、フォイエルバッハ、マルクスなどが批判したようなプロイセン国家主義、プロイセン国家擁護,現状擁護の思想も色濃く残っていた。
マルクスは,その一番初期の作品のひとつ「ヘーゲル国法論批判」で,文字通りそうしたヘーゲルの批判を行っている。
「それぞれの国民はその国民に適合しその国民にふさわしい体制を有する」というヘーゲルにたいして、マルクスは、「ヘーゲルの論法からすれば、・・・『自己意識の在り方と形成』が『体制』と矛盾しあうような国家はどんな意味においても真の国家ではないことになってこざるをえない」Aus Hegels Räsonnement folgt nur, daß der Staat, worin „Weise und
Bildung des Selbstbewußtseins“ und „Verfassung“ sich widersprechen, kein wahrer
Staat ist.と批判する。
そして、
「或る過去の意識の産物であった体制が或る進んだ意識にとってむごい桎梏となりうるとか,その他等などの事柄はなんといってもありふれた事実である。このことから出てくるべきものはむしろ,意識とともに前進していくという規定と原則をそれ自身のうちに具えた体制が要請されるということだけであろう。現実の人間とともに前進していくということ、このことは『人間』が体制の原理になってこそはじめて可能なのである。」
Daß die Verfassung, welche
das Produkt eines vergangnen Bewußtseins war, zur drückenden Fessel für ein fortgeschrittnes werden kann
etc. etc., sind wohl Trivialitäten. Es würde vielmehr nur die Forderung einer
Verfassung folgern, die in sich selbst die Bestimmung und das Prinzip hat, mit
dem Bewußtsein fortzuschreiten; fortzuschreiten
mit dem wirklichen Menschen, was erst möglich ist, sobald der „Mensch“ zum Prinzip der Verfassung geworden
ist.
[Marx: Zur Kritik der Hegelschen Rechtsphilosophie, S. 33 ff.
Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 192 (vgl. MEW Bd. 1, S. 218 ff.)]
交換価値を始めて意識的に、ほとんど平板なまでにはっきりと労働時間にまで分析したのは、ブルジョア的生産諸関係がその担い手たちと同時に輸入され、歴史的伝統の欠如をおぎなってなお余りある沃土を持った地盤の上に急速に成長した新世界の一人物である。その人とはベンジャミン・フランクリンであって、彼は1719年に書かれて1721年に印刷に付されたその青年時代の労作で、近代政治経済学の根本法則を定式化した。彼は、貴金属以外に価値の尺度を求めることが必要だ、と断言する。これこそ労働だ、と言う[1]。
Die erste bewußte, beinahe
trivial klare Analyse des Tauschwerts auf Arbeitszeit findet sich bei einem
Manne der neuen Welt, wo die bürgerlichen Produktionsverhältnisse gleichzeitig
mit ihren Trägern importiert, rasch aufschossen in einem Boden, der seinen
Mangel an historischer Tradition durch einen Überfluß von Humus aufwog. Der
Mann ist Benjamin Franklin, der in seiner Jugendarbeit, geschrieben 1719, zum
Druck befördert 1721, das Grundgesetz der modernen
politischen Ökonomie formulierte.22 Er erklärt es für nötig, ein
andres Maß der Werte als die edeln Metalle zu suchen. Dies sei die
Arbeit.
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『資本論』第1巻第一章第三節、価値形態:注記
第二版への注。
一流の経済学者の一人であってウィリアム・ペティについで価値の性質を見抜いた有名なフランクリンは、つぎのように言っている。「およそ商業はある労働と他の労働との交換にほかならないのだから、すべての物の価値は労働によって最も正しく評価されるのである。」(『B・フランクリン著作集』スパークス編、ボストン、1836年、第2巻、267ページ。)
フランクリンは、すべての物の価値を「労働で」評価することによって彼は交換される諸労働の相違を捨象し―したがってそれらの労働を同等な人間労働に還元しているのだということを意識してはいない。とはいえ、彼は自分の知っていないことを言っているのである。彼は、まず「ある労働」といい、次に「他の労働」と言い、最後に、あらゆる物の価値の実体としての、そのほか何も形容詞のない「労働」と言っているのである。
Note zur 2. Ausgabe.
Einer der ersten Ökonomen, der nach William
Petty die Natur des Werts durchschaut hat, der
berühmte Franklin, sagt: „Da der Handel überhaupt
nichts ist als der Austausch einer Arbeit
gegen andre Arbeit, wird der
Wert aller Dinge am richtigsten geschätzt in
Arbeit.“ (“The Works of B. Franklin
etc.”, edited by Sparks, Boston 1836, v. II, p.267.)
Franklin ist sich nicht bewußt, daß, indem er den
Wert aller Dinge „in Arbeit“ schätzt, er von
derVerschiedenheit der ausgetauschten Arbeiten abstrahiert - und sie so auf gleiche
menschliche Arbeit reduziert. Was er nicht weiß, sagt er jedoch. Er
spricht erst von „der einen Arbeit“, dann „von der andren
Arbeit“, schließlich von „Arbeit“ ohne weitere
Bezeichnung als Substanz des Werts aller Dinge.
[Marx: Das
Kapital, S. 1163. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 4477f]
[2] 『フランクリン自伝』松本慎一・西川正身訳、岩波文庫、1957(1996、第56刷)、192ページ。
[3] 同、189ページ。1743年に大学設立案を起草していた(同、176ページ)。実現したのは8年後ということになる。
[4] 同、98ページ。
[5] 同、163ページ。
[6] 「大体からいえば、私は自分が心から願った道徳的完成の域に達することはもちろん、その近くに至ることさえできなかったが、それでも努力したおかげで、かような試みをやらなかった場合に比べて、人間もよくなり幸福にもなった。・・・」と謙譲の精神で、また正直の精神で、しかしまた向上への努力を人一倍尊重する精神で、述べている。同、147ページ。
[7] 同、137−138ページ。
[8] イエスとソクラテスの共通項は何か? フランクリンは自分のために「謙譲」の徳の見本とした。しかし、イエスはローマ帝国の権力により、磔の刑に処され、ソクラテスは青年を惑わすものとしてアテネ都市国家の権力により投獄され、死刑に処せられ、毒杯を飲んだ。いずれも、当時の社会の支配者たち・権力者たちにとって都合の悪い人びとだった。
当時の社会の支配的意識、支配的観念を批判する人びとの精神は、「謙譲」という概念とどのような意味で整合するだろうか?
イエスやソクラテスの態度を「謙譲」という精神的態度でまとめることができるだろうか?
何に対する「謙譲」であり、何に対する不遜・不敬であろうか?
彼らは何に対して謙虚だったか?
聖書(福音書)でイエスが批判したのはどのようなことだったか。ソクラテスはどのようなことを青年に対して行ったか、『ソクラテスの弁明』を熟読する必要がある。『ソクラテスの弁明』(岩波文庫、他)はきわめて短い本であり、教養ゼミ参加者もすでに高校時代に読んでいるかもしれない。私は、高校一年生のとき、夏休みの「倫理・社会」の課題図書のひとつとして読み、よく理解できないながら読書感想文を提出したのが最初の読了体験だった。
ヘーゲルの洞察から、ヒントを与えておこう。
「真理が認識されるのは、感覚や取り止めのない思いつきによってではなく、ひとり思惟によってである・・・既成の事物は思惟によってその力を奪われた。多くの政体が思惟・思想の犠牲となり、宗教は思惟・思想によって攻撃され、まったく啓示と考えられていた確固たる宗教的諸表象はくつがえされ、古い信仰は多くの人の心のうちで破壊されてしまった。
かくしてたとえば、ギリシャの哲学者たちは古い宗教に反抗し、その諸観念を破壊した。多くの哲学者が、一体をなしている宗教および国家を破壊するものとして、追放されたり殺されたりしたのは、そのためである。このように思惟は現実の世界のうちで有力となり、恐るべき力を振るったのである。」ヘーゲル『小論理学』上、岩波文庫、101‐102ページ。
事実と論理 → 思惟=考え抜くこと=理性を働かせること →真実と真理の発見=認識=知性の喜び・頭脳の質の高い快楽(カントなど世界的哲学者の洞察=実感)!!
70歳のソクラテスが法廷で行った『ソクラテスの弁明』(プラトン著)は、結論だけから言えば、判決においては効果がなかった。死刑判決が下された。
検察官の告訴の弁は、裁判官や傍聴の市民(民衆)さえも掴んでしまった。
Welche Wirkung, Männer von Athen, meine Ankläger
auf euch ausgeübt haben, weiß ich nicht.
弁明の冒頭で言うように、ソクラテスさえわれを忘れてしまいそうなほど、告発は鋭いものだった。Denn ich selbst hätte unter ihrem Eindruck beinahe mich selbst vergessen, so bestechend sprachen
sie.
だが、その告発の能弁は、ひとことも真実ではなかった。Indes, die Wahrheit haben sie eigentlich
keinen Augenblick gesagt.
ソクラテスの弁明に感動し、それを心に焼きついたのはプラトンなどごく少数の人びとだった。
だが、その少数の心を捉えた真実が、今日まで多くの人を感動させる。
だが、真実や真理こそは、多くの人にとって「危険」でもある。ソクラテスが告発されたのは、神を信じず、青年を迷わして「危険だ」という理由である。ソクラテスは危険な演説家だEr sei ein gefährlicher Redner、と。
真実や真理をいっているかどうかが、問題とされたのではない。
これが恐ろしいところ。言論や思想の自由の大切さを噛み直すべきポイント。
ソクラテスの演説が真実ではなく、真理をいっていないことが告発されたのではない。
告発者達(アテネ社会の裕福な名望家、政治・軍事の著名人)は、真実を言っている人を危険な演説家だとしたのである。Sie nennen den einen gefährlichen
Redner, der die Wahrheit sagt. ソクラテスは、「一文無し」であった。(岩波文庫『ソクラテスの弁明』53ページ)
ソクラテスは、自分が知っていないことを知っているようには見せかけなかった。知らないことわからないことを、知らないといい、またわからないと明言した。
無知を無知と認められないこと、これが問題だ。
ソクラテスは、フランクリンが言うように「謙譲」の精神で、謙虚に自分の無知を認め、議論で智を得ようとした。
「知っている」と称する人に疑問を投げかけ、議論し、実はその人も知らないことをはっきりさせた。それが恨みを買った。
[9] フランクリン、前掲書、149−150ページ。
[10] 2003年9月24日付記:最近、馬場宏二先生から『マルクス経済学の活き方―批判と好奇心―』御茶ノ水書房、2003年9月刊を頂戴した。それによれば、私はまったく気付かなかった(少なくとも記憶に残っていない)ことだが、フランクリンはインディアン追放は正当なこととしていたようである(『フランクリン自叙伝』を調べなおしていないので、馬場先生のご指摘をそのまま紹介する)。
煩を厭わず引用しておこう。
同書P.70‐71
「さっき『近代社会』は、神を殺した.王を殺した」と言いましたね。アメリカはそれのもっと徹底したやつで、インディアンも殺したわけですね。3人目。つまり、神を殺し、王を殺した人々、もしくはその子孫が勝手に『発見』をしたと称した地域ヘ渡ってきて、前からいる人達を事実上もう殲滅に近いところまで消しちゃった。消し方はいろいろあって、ナイフで首を切ったのもあるし、銃で打ったのもあるし、それから奴隷にし酷使して殺したのもあるし、ラム酒を飲ませて殺した、堕落させた、というのもある。病気をうつしたのもある。いろいろありますけれども、その結果、無主の土地を、「発見」したのではなく、無主の土地を作り出しちゃったわけですね。そうしておいて、そこへ自分たちの共通利害というか、共通の理念で社会を展開した。だから、純粋で理念的な近代社会を作りやすいのは当たり前なんです。
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アメリカの自己正当化とは、・・・成功物語・・・
その成功物語は、インディアン文明の抵抗があるうちは、ちょっとびっくりするような開き直りをやっていた。例えば、ベンジャミン・フランクリンの『自叙伝』、これは多くの方がお読みになっていると思いますけれども、あの中で、インディアンにラム酒飲ませて滅ぼすと、土地が広くなっていく、われわれ耕作する文明人に都合がいいんだ、そう言うところを、これは「神の御旨」である、といっている文章があるのですが、ご記憶ありますか。あったら相当偉い人ですが、この議論の下敷きはロックにある。
ベンジャミン・フランクリンよりかなり人格の落ちるであろう、アンドリュー・ジャクソン、これはインディアン退治に最大の功績のあった大統領ですけれども、かれでもやっぱり似たようなことを言っているのですね。「森に隠れた野蛮人が、数百万人の文明人の西漸の前に土地を譲るのは当然である」というようなことを言っている。つまり、抵抗があるうちは、そういう、われわれから見ると改めてびっくりするような、率直な自己正当化をする。これが抵抗がなくなりますと、古典的な西部劇になるんですね。悪いインディアンは鉄砲で殺されて当たり前だ、というふうに。それがぼつぼついけない、ということになると、マカロニ・ウエスタンにしておいてあとは忘れるのです。歴史を忘れる。しかも忘れることにまた口実がついていまして、アメリカ人は、移民の子孫だから歴史を忘れるのは当たり前だ。冗談じゃない。・・・・・・・」