レーニン『帝国主義』岩波文庫



第一次大戦中の1916年、亡命先のスイス(チューリヒ)で執筆。1917年出版

この本の執筆のために、レーニンは膨大な文献を研究している。『帝国主義論ノート』は、研究をいかにすべかのひとつの模範となっている。

彼が問題にしたのは、第一次世界大戦がなぜ起きたのか、その背後にある基本的に重要な経済的要因は何か、を解明することである。

解明すべき問題は、現実の世界戦争・総力戦・長期戦が提起している。


なぜこんな戦争なのか?

第一次大戦の基礎にある経済的問題はなにであるか、戦争の基本的性格はなにであるか、を解明しようとするもの。


戦争の性格に対応して、戦争にどのような態度を取るかが決められる。
第一次大戦において、死闘を繰り返すどちらの陣営も、すなわち、英仏露の側も、独墺側も、戦争の大義を掲げていた

どちらの戦争の大義が、正しいのか? 

それともちらの掲げる大義もまやかしであって、世界の強国同士が、自分(たち)の利権・領土・植民地を拡大するためのもの(帝国主義列強が二つに分かれて行った戦争)だったのか?

レーニンの立場は、協商国側も枢軸側も、どちらも帝国主義国(列強)であり、どちらも自分たちの勢力圏の拡大、自分たちの領土の拡大、自分たちの植民地の拡大のためにぶつかり合った戦争だ、どちらの側からも帝国主義の戦争だ、とする立場である。


すなわち、下に掲げた箇所でレーニンがいう。

「1914−1918年の戦争が、どちらの側から見ても帝国主義戦争(すなわち、侵略的、略奪的、強盗的な戦争)であり、世界の分けどりのための、植民地や金融資本の『勢力範囲』等などの分割のための戦争であった」と。






レーニンは、下記の序言にみられるように、第一次世界大戦を「最初の世界帝国主義戦争」と位置づけている。

1920年7月のフランス語・ドイツ語版への序言


1920年にレーニンは、世界帝国主義戦争が今後もありうることを予想していることが、「最初の」という言葉に現われている。

レーニンは、1924年に死去して、その後の歴史は知らないわけだが、われわれが知るように、世界は、たしかに再び帝国主義戦争・第二次世界大戦に突入した。

なぜ、レーニンは、1914−1918年の戦争が「最初の」帝国主義戦争であり、今後も世界帝国主義戦争があると鋭く予測した(正確に予見できた)のか?

それは、レーニンが、第一次世界大戦の基礎にある重要な諸要因として抉り出した諸問題が、まったく解決されていないこと、を見ていたからであろう。

すなわち、勝った側(協商側)が敗戦国(ドイツ)に、戦争責任を押し付け、領土割譲、植民地奪取(戦勝国側の委任統治領)、過酷な賠償金を課したことを見ていたから、敗戦国の側に復讐心が潜在化していることを見て取った。

はるかにいっそう残忍で卑劣なヴェルサイユの講和・・・・」

 




以下に、目次を掲げておこう。








列強による世界分割の状態

 アフリカとポリネシアを1870年代から1900年にかけて、先進資本主義国・高度に工業が発達し金融も発達したヨーロッパ諸国(イギリス、フランス、小さいがオランダ、ベルギーなどの列強)が植民地にしていった。



先進帝国主義国(第一がイギリス、ついでフランス)、
これに対し、ドイツは後進帝国主義国

日本も後進帝国主義国として、「脱亜入欧」、すなわち、欧米帝国主義国の仲間入り



世界強国(帝国主義諸国)による地球の分割





 そこで、この時点で、植民地分割に乗り遅れた後進帝国主義諸国、新しく台頭する諸国のなかで帝国主義に突き進む国(アメリカ、日本、ドイツ、ロシアその他)は、すでに先進帝国主義が手にしている獲物を奪い取るしかなくなる。

地球の植民地再分割の要求







帝国主義諸国の支配・従属関係・・・政治的に形式上独立国でありながら、実際にはさまざまのルートで従属している国)
  アルゼンチンのイギリスへの従属
  ポルトガルのイギリスへの従属






明治維新以後の日本のアジア侵略の歴史をあいまいにしようとする見方、すなわち、「日本は欧米列強のアジア支配を打破するために戦った」とする立場の問題に関しては、すでに指摘されている。


「アメリカ人によるフィリピンの併合を非難する」日本人は、同時に、自分の国が行っている「朝鮮の併合に反対してたちあが」っているか?
 その意味で、
公明正大であるか、と。
 



公明正大な日本人のひとりとして、幸徳秋水がいた。

また、石橋湛山もこの公明正大な人物の一人である。







 二つの世界大戦を経て、この60年間、先進諸国の間での「熱戦」は行われなかったが、1989年/90年まで、二大陣営(ソ連陣営、アメリカ陣営)に分かれた冷戦体制であった。