125日のヒトラー卓上談話によれば、ヒムラーは宰相府大臣ラマース、ツァイツラー大佐とともにヒトラーに昼食に招待された。

その席で、ヒトラーは、ドイツ・ユダヤ人とヨーロッパ・ユダヤ人のことを念頭におきつつ次のように言った。ユダヤ人問題はドイツとヨーロッパの民衆統合(戦争への結集・協力・人力)が問題になっているのである。

「ユダヤ人は、たとえわが市民層がそれに反応して不幸になっても、すみやかにドイツから遠ざけられなければならない。ユダヤ人はヨーロッパから出て行かなければならない。そうしなければわれわれはヨーロッパの理解を得られない。ユダヤ人はほとんどいたるところで扇動している。いずれにせよ、・・・ユダヤ人は去らなければならない。・・・ 

私が考えることはただひとつだ。彼らが自由意志で出ていかなければ、絶対的な根絶があるだけだ

私はなぜユダヤ人をロシア人捕虜とは違った目で見なければならないのか。捕虜収容所ではたくさんのものが死んでいる。なぜなら、われわれがユダヤ人によってこの状況に追い込まれたからだ」と[1]

 


1942年はじめ、ユダヤ人が自由意志で出て行くことなどできない現実
したがって、ユダヤ人をヨーロッパ各地からいなくさせようとすれば、「絶対的な根絶があるだけ」となった現実、

 ソ連における過酷な現実、それに総督府の下からのユダヤ人排除要求の直接性・切実性とヒトラーの絶滅の正当化の論理とが相互補完して、悲劇が進行することになる。


cf.拙稿「総力戦とプロテクトラートの『ユダヤ人問題』


[1] W. Jochmann, Monologe im Führerhauptquartier 1941-1944: die Aufzeichnungen Heinrich Heims, Hamburg 1980, S.228f. 42年の絶滅政策の展開過程については、さしあたり、前掲拙著(2003)の他、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策−ホロコーストの期限と実態』ミネルヴァ書房、1997年を参照されたい。