20060524感想・質問・意見など。

 

感想1

ヒトラー・ヒムラー・ハイドリヒ・アイヒマン等の相関関係の図(資料@ラインハルト作戦指揮命令系統)は、ご希望により、また、第三回の講義内容にも関係しますので、次回配布します。 

 

感想2

原爆絵図・丸木夫妻美術館での若者の「ガス室否定」の書き込み、驚きました。人びとがきちんとした歴史の研究に触れないで、その隙間を縫って流されるナチ、ネオナチ、極右等の情報を若者が信じてしまうことは恐ろしいことです。

 

通俗若者向け雑誌やインターネットなどで流布される「ガス室否定論」との対決は、歴史研究者の重要な課題だと感じ、この10年ほど仕事をしてきました。

 

ご指摘のとおり、人々の弱さを付いて、反ユダヤ主義が流布されるわけですね。その極限がガス室、ということですね。戦争などになると人間の弱さ(野蛮性・残虐性・病的エゴイズムなど)が露呈してしまうのですが、そのはけ口がマイノリティ・ユダヤ人に向けられるような構造になっています。 

 

感想3: 

 開始時間を早くすると、会社勤めのひとなどにとって不都合となり、難しいのではないでしょうか? 

     時間延長だと、後に予定のある人などにはこまるかもしれませんね。しかし、語りたい内容がいろいろあると、どうしても長くなってしまいます。

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ご指摘のとおり、日本では、戦争責任の問題がきちんと考えられていない、戦後一貫して政権を握ってきた政府与党の中に、戦前との連続性が濃厚で、繰り返し同じ問題を引き起こしていますね。

 

2006525日の朝日新聞で、『敗北を抱きしめて』(岩波書店、上下、二冊)著者・歴学者ジョン・ダワーが実に素晴らしいことを言っていました。ジョン・ダワーの見地(公平な物事の見方)が日本の圧倒的多数の人々の考えにならないといけないでしょうね。

 

感想4

ゲーリングのハイドリヒへの命令書を「かなり特異」と見ているとは、なかなか鋭いご指摘です。この点には、講義のときにあまり触れることができませんでしたが、ゲーリングが1939年当時、四カ年計画全権だったことと深く関係すると考えます。

軍備増強の経済計画遂行の上で、無秩序なポグロム、商店などの焼き討ち・破壊は深刻な阻害要因となること、そうしたゲーリングの四カ年計画全権としての見地・責任・守備範囲との関連を見る必要があると思います。

 

「ゲーリングの権勢欲」では説明が付かないと思います。 権勢欲があったからといって、何の問題にでも口出しできるわけではないからです。

ゲーリングのニュルンベルク裁判での証言を講義レジュメにリンクしておいたのですが、簡単に言及するだけで、十分な説明時間がありませんでした。

 

感想5

まさに、ポーランドのイェドヴァブネ村でユダヤ人が納屋に集められて放火殺害された事件は、56年前だったでしょうか、ポーランド人の村人だったことが暴かれて、大問題となりました。ユダヤ人をまとめて殺すなどということはすべてナチスのやったことだと説明されてきたわけですから、ポーランド人や世界は大変驚愕しました。

 

しかし、それは、ポーランド社会の中に長くひそんできた宗教的系譜の反ユダヤ主義が、反ソ意識・反コミュニズム意識とむすびついて、ソ連攻撃を開始したドイツ軍の侵攻のドサクサに暴発したものだったわけです。

 

パルチザンはスターリン・ソ連軍が支援し、組織したものであったこと、落下傘などで送り込まれてくる赤軍将校などが中心にいたことは明確です。それだけに数は少なくても軍事的打撃は大きく、パルチザンと連携したり協力したりする人々(ドイツによって迫害されるユダヤ人が秦パルチザン感情を持つのは不思議ではありません)は、アインザッツグルッペの恰好の標的であり、報復の的となったわけです。無防備・無力な普通のユダヤ人は、大量に犠牲者とならざるを得なかったのです。

 

小さな子供などは、パルチザンを支援するなどということは考えられないわけで、治安警察・保安部の報復の熱情・使命感の犠牲となったのです。それを示すのが、たとえば、第2回講義でも触れたイェーガー報告書です。たくさんの子供、女性が射殺されていることがはっきり分かる報告書です。

 

感想6

毎回のように私の話を聞いてくださる方がいて、驚いています。感激です。

「救いようのない絶望感」は、たしかに、第二次大戦中の現場を見れば、そのとおりですね。しかし、現在の世界、21世紀初頭の地球は、世界戦争の渦中ではなく、世界戦争に突入していくような列強の争いもない状態ではないでしょうか。

その意味では、人類は少し賢くなったのではないでしょうか。この大局的な平和の状態をできるだけ充実させていくこと、中東をはじめ、まだ内戦状態にある国々や地域を世界の人々の力で何とか平和の状態にもたらすようにすることがわれわれに求められていると考えます。

そうした営みの一環に、正確な歴史認識もあると信じます。歴史認識を正しく深く広くしていくことに貢献で切るならば、うれしいと思っています。

 

いかなる国であっても、自国の過去の戦争責任・政治責任を無視したり、見ないようにしたりする態度は、その反対のスタンスだと思います。

日中戦争、南京事件などに関しての講座のご希望ですが、本学には満州国に関する歴史研究者もいますので、そのうち実現するかもしれません。

 

 

聴講者の一人からのメールによる質問ないし意見とそれへの応答

 

永ュ(ママ)先生

 

早速、お返事いただきありがとうございます。貴ホームページには、いろいろ貴重な資料が掲載されており

熟読させていただきます。先日、質問を提出しましたが、私はパレスチナ問題にも関心をもっています。

私はパレスチナ問題はすぐれて、ユダヤ人問題だと考えています。

ユダヤ人は長い年月の間、ヨーロッパの各地(西欧だけでなく、中欧、東欧、ヨーロッパ・ロシアにおいても)

で非ユダヤ人社会との共存に成功しなかったが、今日、ユダヤ人の相手はパレスチナ・アラブ人となっているが、

ここでも幾多の軋轢が起こっている。(移民の国、アメリカでもユダヤ系市民は、他の白人エスニック・グループにとって

好ましい隣人とは思われていないのが実情である)

こうしてみると、何故、ユダヤ人は集団として他の民族との共存が難しいのか。

 

イスラエル建設の論理、すなわち、ここは大昔、神により自分たちに約束された土地だと主張して、「土地なき民が

民なき土地へ」と、アラブ人が住んでいる土地に入り込んでくる論理。しかも、先住のアラブ人と共存するのではなく、

アラブ人は劣悪な人種としてこれを排除する姿勢は、ホロコーストの裏返しのようにも映る。

また、軍事力と国際的発言力を持つアメリカや西欧諸国はホロコーストに関する自責と同情の念からユダヤ人の主張

を支持し、その後ろ盾となっている現代の姿は、国際的に正義にかなっているのか。ヨーロッパは自分たちのユダヤ人

問題をパレスチナ・アラブ人に押し付けていることについて、どう考えているのだろうか。

 

私は理由の如何を問わず、ホロコーストは決して許されるべきものではない、と考えていますが、同様に、パレスチナ・

アラブ人に対するユダヤ人の思考・行動(そして、これに加担する欧米)も許されて良いとは思いません。勿論、アラブ

側がテロで報復することも決してよいことではないが、しかし、ことの発端はどうみても、アラブ側ではなく、ユダヤ人側

にあります。

 

ホロコーストとは直接のかかわりはありませんが、この問題はやはり、ユダヤ人を考える時の基本に触れる問題と

私は考えています。

 

-----リプライ------

基本的なご趣旨に賛同するところが多いです。

 

ただ、「なせ、ユダヤ人は集団として他の民族との共存が難しいのか」と考えるとき、マイノリティとしてのユダヤ人を2000年以上にわたって差別してきたマジョリティ側・支配の側の長い歴史、差別され続けてきたマイノリティのユダヤ人(特に原理主義的な、シオニストのユダヤ人)が独特の文化・思想構造となってしまっていることを見なければと考えます。

 

西欧諸国にあるイスラエル支持の潮流が、アラブ人たちに絶望感をもたせ、閉塞状況のなかでテロに走る構図も、ご指摘のとおりです。

 

イスラエルの人々とパレスチナの人々が、融和し合えるような政治体制・国家体制(EUのようなシステム)の構築に向けて進むしかないのではないでしょうか?

一時明るい兆しが見えたときもありました。

そうした流れが再活性化し、相互尊重の民主主義的精神と政治体制ができあがるまでに、どれだけ多く後が流れるか、たしかに気の遠くなるような話ではあります。

 

取り急ぎ、一言まで。