原爆開発・・・日本の行為日本の責任が重大

       日本の政府・軍部の責任重大。 

 

1941128(日本時間)真珠湾攻撃

それに伴う軍事同盟国ドイツの対米宣戦布告(1210)が、原爆開発を決定的に促進

 

 全ヨーロッパを支配下においたドイツ、ソ連をも屈服させようとするドイツ、その強大なドイツと組んだ東洋の強国・帝国日本のアメリカへの攻撃。

 

 アメリカの反ドイツ・反日の熱狂的エネルギー。

 原爆開発の熱狂的エネルギーが解き放たれる。 

 

---------原爆の開発への道-----------

 理論的出発点・・・1905年のアインシュタインの発見 E = m c2 

1905年にドイツの学術誌・Annalen der Physik 17 pp.891921 に掲載、特殊相対性理論)

 

1914年、H.G.ウェエルズの空想小説・・すでに1914年、核戦争を予言。

 

1938年                          ヒトラー・ナチス支配下のドイツで、オットー・ハーンが、核分裂発見・・・ベルリンの研究所で、ウランにニュートロンを照射すると、まったく予期しない現象が発生(ラジウムが検出される)

 

1939年                          1月  

  オットー・ハーンの元同僚リ−ゼ・マイトナーが謎解明・・・「これは原子核分裂だ」・・・

このニュースは燎原の火のごとく世界を駆け巡る。

 

 

ドイツで原子爆弾開発の試みられることを危惧。

アインシュタインの友人・物理学者シラード・・・核分裂の連鎖反応を認識・・爆弾製造の可能性認識。

 

当時最大のウラン鉱山・・・ベルギー領コンゴ・・・これをドイツに渡さないことが必要。

シラードは、ベルギー女王とのコンタクトを求める・・・アインシュタインと女王のコンタクト・・・アインシュタインから働きかけることを企画。

 

193982日 アインシュタイン単独署名のローズベルトへの書簡

政府と核物理学者とのコンタクトを薦め、ウラン確保を進言。



            オーウェン・ギンガリッチ編集代表・ダン・クーパー著梨本治男訳『エンリコ・フェルミ』大月書店、2007年(英文、90ページ、その翻訳91ページ)より






„Das neue Phänomen könnte auch zum Bau von Bomben führen. ... Eine einzige Bombe dieser Art, auf einem Schiff befördert oder in einem Hafen explodiert, könnte sehr wohl den ganzen Hafen zusammen mit Teilen des umliegenden Gebietes zerstören.“

 

「核分裂の新しい現象は、爆弾製造にも導きうる。この種の(核分裂を利用した)爆弾はただ一個で、船で運び、港で爆発させれば、港湾全体と周辺地域を破壊できるだろう。」

 

ロールベルト大統領への手紙の最後に、ドイツの動きに関し、警告・・・193810月、ナチス・ドイツが支配下に置いたチェコスロヴァキアのウランの販売中止させた、・・・その意味は何か? ドイツが、原爆開発を目指している可能性を推測

 

だから、アメリカも、原爆開発を・・・

 

 

   193991日、戦争勃発。ヒトラーのポーランド攻撃。

93日、英仏が対独宣戦布告・・・・・ヨーロッパにおける戦争

 

1011日、シラードの友人ザックスが、大統領に働きかける。ローズベルトと会談の約束を取り付ける。

 

フェルミと三人のハンガリー人によるウラン委員会の設立(スタンダードオイル、アメリカ陸軍・海軍の代表で構成)・・6000ドルの研究資金提供・・・あまりにもわずかの金額

 

1939111日・・・ウラン委員会の大統領への第一報告ローズベルト大統領は、関心を示さず。シラードはあせり、アインシュタインに大統領あて、第二の手紙を書くよう要請。

 

194037日、アインシュタインとシラードの連名の大統領宛手紙。

    ドイツにおける秘密裏の原爆開発の可能性を示唆。

 

    ローズベルト大統領は、ウラン委員会の拡大を提案。アインシュタインも入ることを求める。

 

    アインシュタインは、委員会への参加の申し出を文書で、特別の理由を挙げずに拒否・・・アインシュタインと原爆開発の結びつきは、これで終わり。

 

194110月 イギリスの物理学者グループ・・・・ウラン爆弾開発の可能性を説く

チャーチルもその結果を知らされ、ウラン濃縮施設の建設が提案された。

チャーチルは、ウラン濃縮施設の建設に同意

しかし、チャーチルは、現存の爆発物で満足していた。

 

1941年末、この原爆開発プロジェクトは、前代未聞の技術的企画へと飛躍

 

アメリカが日本に自国を攻撃されてウラン研究はこれまでとはまったく別の重みを持つことになった。

 

 

真珠湾攻撃(現地時間127)・・・ロス・アラモスに原爆開発施設(ウラン濃縮施設)の創設を決める。

 

 

1210日、ドイツがアメリカに宣戦布告・・・・文字通りの、世界(地球全体)規模の戦争・・・ドイツがヨーロッパで行っていた戦争と、日本がアジアで行っていた戦争とがリンク。

 

 

原爆開発に、アメリカのほぼすべての物理学者が動員された。

イギリスの物理学者とアメリカの物理学者の協力

アメリカの莫大な資金の投入・・最終的には総額25億ドル(現在のドルで評価するといくらになるか?)

 

 

ロス・アラモスで、3年半のうちに(194112から19457月までの3年半)、原爆開発に成功。(マンハッタン計画

 

     19454月・・・トルーマン大統領に、「あと4ヶ月で」原子爆弾ができる、との知らせ。

  

       1945716日・・・ロス・アラモスで、原爆実験成功。

 

           

 

 

ポツダム会議・・・対日のポツダム宣言・・・「無条件降伏」、「民主化」他を求める。・・・日本政府はこれを無視

 

 

194586日 原爆、広島に投下。・・・日本政府なお戦争継続を主張。

 

 

58日、ソ連の対日戦争参加・・・満州に、ソ連大軍が侵入。

 

 

194589日 第二の原爆、長崎に投下。

 

  

日本政府の態度、やっと変化。

 

 

1945814日 ポツダム宣言受諾。

 

 

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参考文献Albert Einstein. Leben und Werk. Herausgegeben von Olaf Benzinger, Directmedia Berlin 2005, Digitale Bibliothek Band 122

オーウェン・ギンガリッチ編集代表・ダン・クーパー著梨本治男訳『エンリコ・フェルミ』大月書店、2007

山崎正勝・日野川静枝編著『増補 原爆はこうして開発された』青木書店、1997年(2007年、第5刷)