科学者の戦争貢献・戦争協力
フリッツ・ハーバーはユダヤ系ドイツ人。
(ただし、キリスト教に改宗。最初の妻も、その妻が自殺したあと結婚した二番目の妻も、キリスト教に改宗させた。)
彼は第一次大戦のとき、化学の力で、
一方では毒ガスを開発、「毒ガス開発の父」とも称される。
(宮田親平『毒ガス開発の父 ハーバー』朝日新聞出版、2007)
他方では、空中窒素の固定(アンモニア合成法=ハーバー・ーボッシュ法)で窒素肥料の人工的生産で人類・農業生産に貢献。
しかしこの化学合成窒素(N)も、イギリスにチリ硝石nitrium、NaNO3を断たれたドイツのTNT爆弾生産において決定的意味をもつ。
(「工業的な窒素固定法は1913年にドイツの化学者ハーバーとボッシュが考案した。
これは窒素ガス(N2)と水素ガス(H2)
を200-1000気圧、500℃で鉄触媒を用いて反応させるアンモニア合成法」
『元素111の新知識』講談社Blue
Backs、58ページ)
第一次大戦のとき、ユダヤ系ドイツ人は、キリスト教系ドイツ人とともに、同じ「国民」として、同じドイツ人として戦う。
ハーバーは、第一次大戦後の1919年に、1918年度ノーベル化学賞。
ハーバーは1933年ナチス政権誕生の時、カイザー・ヴィルヘルム協会の物理化学・電気化学研究所長だった。
ヒトラー政府の公務員法(ユダヤ人排斥法)に抗議し、辞職。
イギリスに亡命(ケンブリッジ大学の招聘)。しかし、1934年1月29日、避寒中のスイス・バーゼルで心臓発作で死去(享年64歳)
OTTO HAHN BAU↑位置
オットー・ハーンはカイザー・ヴィルヘルム化学研究所長。
↓Otto
Hahn記念館
Otto Hahn Bau der Freien
Universität自由大学オットー・ハーン記念館
原子核分裂発見
(核時代の道を切り開いたを記念する銘板)
この建物でIn diesem
Hause
当時カイザー・ヴィルヘルム化学研究所のこの建物でdem damaligen Kaiser-Wilhelm Institut für
Chemie、
1938年に発見した。entdeckten 1938
オットー・ハーン
と
フリッツ・シュトラスマンが
ウランの核分裂URAN-SPALTUNGを、と。
(オットー・ハーンは、1945年11月に、1944年度のノーベル化学賞を授与された。
アメリカによる原爆投下後だが、ハーン自身は画期的な核分裂を発見しただけで、核爆弾開発には無関係、と)
しかし、オットー・ハーンが核分裂を発見したとき(1938年)、
ドイツを支配していたのは、ヒトラー・ナチス。
そのヒトラー・ナチスドイツが、核エネルギーを爆弾に利用したらどうなるか?
ドイツ物理学は世界の最先端をいくのでは?
1918年度ノーベル賞のマックス・プランク(「量子論の父」)は、カイザー・ヴィルヘルム協会総裁では?
若くして量子論に関する不確定性原理でノーベル賞をとった原子理学者のハイゼンベルクが、ドイツにいるではないか?
ヒトラーが原爆をもったらどうなるか?
ナチ体制下の原子核物理学者たちはどうしていたか?
ドイツの軍部は核分裂・核エネルギー開発にどのように行動していたか?
Heereswaffenamt陸軍兵器局はどうしていたか?
ヒトラーは、どんな考え?
ナンバー・ツーのゲーリングは?
軍需大臣シュペーアは?
産業界は?
事情を知る人々は、ヒトラーが原爆をもつ危険性に気づき、アメリカ大統領に原子爆弾開発を進言。
アメリカにおける原爆開発は、
ナチスドイツの侵略膨張とともに、
西ヨーロッパ大陸支配から東欧南東欧支配へ、そしてソ連攻撃へ、
ヒトラー・ナチスの征服地の拡大、
対米・対世界への危険性の増大とともに、次第に本格化する。
日本の真珠湾攻撃、
これによるヒトラーの対米宣戦布告が決定的転機となる。
本格的原爆開発=マンハッタン計画は、1942年始動。
完成したのは(原爆実験に成功したのは)、1945年7月16日。
その時、すでにヒトラーは自殺(4月30日)し、ナチス・ドイツは無条件降伏(5月8日)していた。
連合国軍の敵は日本(大日本帝国)だけになっていた。
広島(ウラン爆弾)・長崎(プルトニウム爆弾)は、巨大な原子核エネルギーの瞬間的放出。
他方、日本も依存率30パーセント台にまでなっている原子力発電も、
核分裂エネルギーを利用。
科学の革命的発見は、平和的な利用も可能であり、軍事的な利用も可能である。
ノーベルは、ダイナマイトを発明した。
それは、平和的な目的にも利用できるが、
軍事的にも利用された。
ノーベル賞は人類への普遍的貢献、平和への貢献などの業績に対して授与される理念。
人類の手に入れた科学の成果を人類のために。
使う側の問題。誰が、どのような目的で。
しかし、原子力発電所で日々ウラン燃料が使用され、その結果、
ウラン以上に核分裂しやすいプルトニウム、放射性物質が地球に蓄積していることは、
はたして、地球・人類にとっていいことなのか。
再生可能エネルギー(太陽発電その他)こそ、今後、飛躍的に開発・普及すべきものではないか?
グリーン・ニューディールは、
世界的・地球的・人類的な緊急課題!
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1942年6月 ハルナック・ハウスに軍需大臣シュペーアほか、重要人物が参集
ウラン問題(核エネルギー開発)に関する会議が、ハルナック・ハウスで開催された。
ハルナックハウス講堂Hoersaal(当時、カイザー・ヴィルヘルム協会KWGの建物)
Hoersaal正面玄関
Harnack-Haus Hoersaal
現在はFUの政治学関係研究所↓ (ナチ時代まではKWGの人類学研究所)Ihnenstr.
アウシュヴィッツの残酷な実験の医師メンゲレなどがここで学ぶ
メンゲレを教えた教授名
科学者は、自分たちの科学研究の内容と結果に責任あり、と。