真珠湾攻撃・対米宣戦布告・世界大戦と
   ポーランド・西欧ユダヤ人絶滅政策への移行

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「冬の危機」戦時経済の総力戦化(人的物的資源の窮迫・占領地からの奪取・「奴隷労働」)・反ドイツ抵抗運動ヴァンゼー会議 


 
41年12月11日 ヒトラー国会演説(対米宣戦布告)
  東部戦線で、ドイツの戦死者162314、負傷者57万1767人、行方不明3万3334人、と。

 
41年12月12日 ヒトラー、ナチ党幹部会議戦争の責任者ユダヤ人命で償わせる、と(ゲッベルス日記記載、12月13日)。

41年12月14日 ヒトラー・ローゼンベルク会談(スポーツ宮殿での演説に関する打ち合わせ)・・「ユダヤ人根絶を使わない」(脅迫の表現だから)、実際に宣戦布告した後は、「わるいのはユダヤ人、罰がぶち当たるのだ」と正当化の表現にする。


 
41年12月16日 ポーランド総督フランク(統治困難・内部対立→生贄を外部に求める・その点で統合・協力)・・・総督府閣議で、総督府のユダヤ人の粛清Liquidierungを表明。その方法は、近いうちにベルリンで予定の会議で、と(閣議議事録、その会議とは、ヴァンゼー会議:42年1月20日)。

 
41年12月18日 ヒムラーのヒトラーとの会談メモ「ユダヤ人、パルチザンとして根絶」

 42年1月8日、ヴァンゼー会議の召集状

 
42年1月20日 ヴァンゼー会議議事録(ドイツ語オリジナル英語

   参考:映像資料「ヴァンゼー会議」(ドイツARD製作)、記念館(私の訪問記録)、記念館公式HP


  
42年1月25日の卓上談話(ヒムラー同席)・・・ヨーロッパの人々の「理解」・・・・ヨーロッパ・ユダヤ人の根絶