2016-10-30成田発-11-09羽田着
 科研費出張
  ―科研費課題「ドイツ航空機産業の世界的転回―世界の勃興期航空機産業との関連の解明」(研究代表・永岑)―

調査先:
 ミュンヘン・ドイツ博物館アルヒーフ(10月31日、11月2〜4日、7〜8日)
 およびフリードリッヒスハーフェンのツェッペリン博物館・ドルニエ博物館
    (11月1日―バイエルン州は「全聖人の日」祝日で博物館も閉館、隣のバーデン・ヴュルテンベルク州は博物館開館)
 ミュンヘBMW博物館(11月5日土曜日)


 今回の調査の中心は、ドイツ博物館アルヒーフのユンカース文書(DMA, FA Junkers, Juluft)
  -その中でも、「ユンカースの世界戦略と中国」に関わる史料の発掘・収集―




 今回の調査・史料収集旅行では、明治大学の博士課程院生・西尾さんと一緒。
 それで、今まで写すことのなかった自分の写真も、何枚か撮ってもらった。

 逆に、自分のコンパクトカメラは、ツェッペリン博物館で入場前にちょっとした硬い床に不注意で落としてしまい、まったく作動しなくなった。
 その意味でも、私にとって、ドルニエ博物館以降の写真は貴重。

 (昨年の2015年11月、ちょうど同じころフリードリッヒスハーフェンやドイツ博物館アルヒーフで仕事をした時の記録HP
 
・・・視察した博物館・歴史的記念碑などは今回とかなり重なっている。天気が良かったので、写真は去年のほうがいいものが多い。)



 成田空港  41 搭乗口


成田空港 搭乗機787

 成田空港



  デュッセルドルフ空港―ここで乗り換えミュンヘンへ
  初めての乗り換え空港。








 デュッセルドルフ空港から飛び立ってすぐの景色


 
 ミュンヘン中央駅・南口(赤い壁のビルはInterCityHotel)
 (宿泊したホテルEuropäischer Hof 518より撮影)




 背景にドイツ博物館・イザール川(Isar)
 博物館は、イザール川の中島に。



 ドイツ博物館への道の途中、Gasteigを撮影。
  ガシュタイクは、文化センターであり、
  ミュンヘンフィルハーモニーの根拠地・建物がある。
   (11月4日 20時からのコンサートチケット第1クラス・61.40ユーロ、
    学生は同じクラスの隣の席で12.40ユーロ、5分の一、
    ミュンヘンに卒業旅行など学生として行ったときは、この割安チケットを利用し第一クラスの席で音楽をきくのはおすすめ。)

 ここには、ミュンヘンが第二次大戦で破壊されるまで、
 大きなビアホール・ビュルガーブロイケラーがあったところ。
 ヒトラー・ナチ党が好んで演説会場とした場所。
 特に、11月8日のミュンヘン一揆の記念日でのヒトラー演説は定例化。

 第二次大戦勃発の約二か月後の記念日、ヒトラー演説の機会をとらえ、
 1939年11月8日、家具職人ゲオルグ・エルザ―がヒトラー暗殺を企てた。
 ヒトラーの演説台の後ろの柱に時限爆弾を仕掛けて。 

 この同じ場所、ビュルガーブロイ・ケラー(大衆ビアホール)があったと同じ場所に。
 文化センターとしてのガシュタイクGasteigの建物。
 ミュンヘン・フィルの根拠地が、第二次大戦後、創設された。。

 エルザ―のヒトラー暗殺計画とその失敗、
 そして、1945年4月9日の処刑を記した銅板が、
 このガシュタイクの敷地内に設置されている。



  ドイツ博物館本館―展示建物―


 ドイツ博物館の図書館…この3階にアルヒーフがある。


図書館の玄関ホール。
 ホールから二階へ階段をのぼったところ
 ここからさらに一階上って、アルヒーフ

 アルヒーフ(文書館ないし文書室)のドアの前で





 ミュンヘン中心部・・マリーエンプラッツ、市庁舎と聖母教会
 ドイツ博物館での仕事の帰り(夕方5時過ぎ)に、撮影。


 オデオンプラッツの英雄廟

ヒトラーが1923年11月8日に、ビュルガーブロイ・ケラー(大衆ビアホール)で、
クーデター(一揆)計画をぶちあげ、市中心部のこのオデオンプラッツ(オデオン広場)まで来たとき、
バイエルン警察により、鎮圧された。
 ヒトラーは、逮捕投獄された。その獄中で、『我が闘争』を書いた。


  英雄廟…ナポレオン戦争での戦勝将軍などを顕彰



ーーーーフリードリッヒスハーフェンーーーーーーーーーーーーーー
  ミュンヘン―フリードリッヒスハーフェン間は、今回は長距離バス利用(格安、ただし帰りの便は満席状態)

  中央駅の正面にある公園とそこにある記念碑

 ツェッペリン伯爵を顕彰する記念碑








ボーデンゼー(ドイツとスイスの間にある湖)
 対岸は雲が厚くて見えないが、スイス。



 プロムナード(遊歩道)⇒海岸通り






中央駅から海岸通りを15分ほどで、Friedrichshafenの港(Hafen)

  ツェッペリン号―対岸のスイスの港との往復船


  フェリー


Friedrichshafenの港にツェッペリン博物館(案内パンフレット表紙写真


 巨大な飛行船の実物大の立派な客室など、圧巻。
 乗組員50人ほどと、実に多い。
 その一番の巨大飛行船ヒンデンブルク号は、事故で炎上墜落。
 その遺物・破片なども展示されている。












ーーーーーードルニエ博物館展示物配置図ーーーーーーーーーーーーーーー

同じフリードリッヒスハーフェンの空港Flughafenに隣接するドルニエ博物館
 中央駅からバスないし鉄道で北に10分ほど(鉄道のチケット・2.10ユーロ)。

 



ーーーーーーーミュンヘン市内ーーーーーーーーーー
 ミュンヘン市内中心部にあるユダヤ教の教会(シナゴーグ)
  1938年11月8日から9日の「帝国水晶の夜」事件で、ドイツ全土でシナゴーグが放火・破壊されたが、
  最近になって再建された。博物館併設。
 
  ベルリンで再建されたシナゴーグは、伝統的な形のそのままの再建だが、
 ミュンヘンのシナゴーグはみるからに最新の様式。




 ミュンヘン大学本部前・ショル兄妹記念広場(Geschwister Scholl-Platz)にて。


 ショル兄妹は、1943年2月、この正面の高い場所から抵抗ビラをばらまいて、
 守衛に見つかり、逮捕投獄へ。


 白バラの反戦・抵抗を呼び掛けるビラを再現したプレート

 大学本部玄関出たところの路上に新しく設置されはめ込まれたショル兄妹の写真・「白バラ」のビラ








 イングリッシャーガルテン(イギリス風庭園)南端に第三帝国時代に建てられた
 「芸術の家」(Haus der Kunst)
   ゲーリングが美術新を収集・展示していた。



ーーーーーーーーBMW博物館ーーーーーーーーーーー   



    BMW博物館右側のお椀型の建物)
    左側の高い建物(クローバー)型のビルは、BMW本社

    BMWは、第一世界大戦の末期に、航空機・エンジン製造のために作られた会社。
   博物館最初の展示物は、航空機。

   ヴェルサイユ体制下、平時になって自動車生産へ。