2020‐02〜03‐06  



ーーーーーーー創作か盗作か、関係学会が歴史科学的に当否を判定する責任を問う 3月6日ーーーーーーーーーーーー

小林氏の告訴、これによる裁判で争われたのは、小林氏著作(1975年12月刊)が、原朗氏のそれまでの業績からの「盗作か 創作か」ということである。

原朗『創作か 盗作か―「大東亜共栄圏」論をめぐって』(同時代社、2020年2月20日刊)が、歴史科学的ルール・倫理規範(普遍的で世界共通の規範)にしたがって完璧なまでに実証しているのが、小林英夫1975年12月刊行の『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』(御茶の水書房)の全体にわたる原氏業績からの盗作剽窃行為である。ほんの一部についての、不注意によるもの、などというものではない。

 これは実際に、
原朗上掲書(2020年2月20日刊)を読んでみれば、ほとんどの人が理解できるはずである。
 
 なぜ、地裁と高裁の裁判官たちは、今日の学生院生の普通の知識と倫理水準なら理解できることを理解しようとしないのか。
 それは、信じがたいほどである。

裁判において問題になっているのは、学術研究倫理・ルールである。盗作か否かである。

普通の学術研究論争の専門的知識が求められることではなく、どの専門でも、とりわけ対立者が歴史研究者であるとすれば、歴史研究者各人、そして関係歴史学会が、みずからの規範、自らの不正行為確認ルール、あるいは、
一般に科学研究費等において毎年の確認が求められるごく普遍的な基準で、それぞれの責任で、判定を下すべきであろう。

科学研究者、ここでは歴史科学研究の専門家集団こそが、その盗作か否か、学術研究倫理違反かどうかの判定に責任を持ち、判定を下し、社会的に公表すべきではないだろうか?

今現在では、堀和生「小林英夫氏盗作行為の起源」(論文と付属資料)を、早稲田大学学術研究倫理委員会の調査委員会が、告発(2019年7月2日)から約8か月の慎重な調査を踏まえて、告発状にあるとおり、
小林氏の不正を認定した(2020年2月25日)。その知らせは、2月27日事務局からの電子メールで、ついで、最終調査報告書は、同日午後、西早稲田郵便局消印(12‐18)で、28日昼過ぎ、私がベルリン調査出張(11日間)から帰宅したときには、届いていた。

その通報者に対する送り状には、「最終報告は非公開の内容」との規定のもと、インターネットで公開しないようにとの要請が末尾にあった。

この要請に対して、「原朗氏を支援する会」としては、「非公開」という点には原理的原則的に不同意であること、時機・ボリューム等はいろいろ配慮すべきことがあるとしても、
原則として、科学的調査による研究倫理の違反か否かの判定とその証拠資料、判定証明は、公開しなければならない、それがごく当然の学問科学のルールであることを、早稲田大学に対して表明した。

研究者諸個人は、関係の所属学会に対しても、必要に応じて、ある研究者の仕事(論文や著書)が盗作か否か、学術研究の倫理・ルールに違反しているか否かの判定を求め、その告発に対して、告発を受けた諸関係学会は、不正行為審査委員会等しかるべき調査・審議機関を設置し、普遍的学術研究倫理の基準で、告発の当否を調査判定すべきではないだろうか。

学術研究の一般的規範、科学研究の倫理に関する判定を、科学研究の素人集団でしかない司法の場に持ち出し、司法権力の判断に、盗作か否か、科学のルール・倫理に違反しているかどうかの判断を任せてしまうことは、学者・研究者としての責任を放棄することではないだろうか。
しかし、これが原告により、法廷に持ち出された以上、真実を求めて、真実の勝利のために、闘うしかない。

こう考える以上、みずからが最低限の具体的行動は関係学会に対してとってみよう。
そう考え、具体的には、昨日、歴史学研究会の委員長と政治経済学経済史学会の理事代表に文書・証拠資料一式を送付した。他にも、同じ考えの研究者がいれば、しかるべき関係学会に告発すればいいと考える。逆に、不適切な行動だという研究者からは、ご批判があるであろう。

 さて、どうなるか?
 
念のために注記しておけば、今回の学会に対する上記二つの告発は、私のまったくの単独行動であり、「原朗氏を支援する会」の審議とか承認を得たものではない。私の行動が軽率であるとすれば、それについて、どのような責任の取り方があるか、ご教示いただき、適宜、考え行動していくしかない。

解釈ではなく、変えること、行動を

ーーー最新情報2020年3月2日現在までーーー

早稲田大学学術研究倫理委員会による尹論文盗作の件、
不正行為=盗用が認定された。
これは、2013年の裁判開始以来、初めてまっとうな科学研究の論理とルールを踏まえた判定が出たといえようる。学術研究のルールを正確に知らない素人判断しか行っていない地裁・高裁の判定とは本質的に異なる。
さすがに、日本の大学を代表する最高水準の大学の学術研究倫理委員会の判定である。これは、われわれの「原朗氏を支援する会」の認識と一致する。最高裁はこの学術的最高水準の判定をきちんと咀嚼して、地裁・高裁の判決を破棄しなければならない。
「原朗氏を支援する会」ウェブサイトに、今日明日中にも掲載される予定のこの件の説明文書を読んいただきたい。

私の下記最新情報(2月3日まで)では、原朗『創作か 盗作か―「大東亜共栄圏」論をめぐって』同時代社が2020年2月20日刊なので、堀和生「起源」論文が収録されているかどうかわからなかった。
むしろ、それが収録されていないと想定していた。

しかし、刊行された本書を手に取ってみると、
「新証拠」なる位置づけで、きちんと収録されていた。

私は、小林氏の研究開始(学部生)から、早稲田大学教授時代(2011年)までの全期間の盗作・剽窃問題を簡明かつ本質的に証明した論文・証拠として、この論文の収録を切望していたので、大変うれしい。
しかもそれが、早稲田大学の学術研究倫理委員会によっても、2020年2月27日に
不正行為=盗用と認定されたのであるから、なおさらである。
 
 この画期的発見の証拠文書を最初に見た昨年5月(控訴方針を議論した会議に出された赤字傍線いっぱいの資料・・・乙85文書:ウェブサイト掲載)を見たとき、「これはなんだ」、「文字数48%の盗用とは」と衝撃を受けた。(ウェブサイト掲載の証拠資料は、著作権問題があり、ごく一部のページだけだが、赤字傍線が示す盗用の多さは歴然!!)
そのことが、鮮明に思い出される。その場にいた方々(支援する会主要メンバー)の雰囲気も思い出す。



ーーー最新情報2020年2月初めまでーーー

20-02-17(予定) 原朗『創作か 盗作か ――「大東亜共栄圏」論をめぐって』同時代社、2020年2月刊・・・2月27日から店頭に並ぶとのこと。

 いよいよ、原朗氏の6年半ほどにもおよぶ裁判闘争の記録が出版される。
 裁判官諸氏、とくに最高裁の裁判官たちは、本書を熟読玩味する必要があろう。
 本書は、小林氏の盗用に対する歴史科学的批判であると同時に、裁判所(地裁と高裁)の判決に対する根底的批判でもあるからである。
 本書の主たる内容(各種意見書等)は、すでに、「原朗氏を支援する会」ウェブサイトに掲載済みのもので、それを書籍の形で一般に広く知らせるためのものである。

 古来、ソクラテスやガリレオに対する裁判で見られたようなような不当な判決は、古今東西、枚挙にいとまないが、それにまた今回の「剽窃か盗作か」をめぐる東京地裁と東京高裁の判決が加わった。
 最高裁において、はたして科学の論理をきちんと踏まえた判断がくだされるかどうか、それが問題だ。市民・学生院生諸君のなかに、本書の理解が深まることを願う。

 科学に携わるものには――歴史科学だけではなくて、ほかの諸分野でも――、今一度改めて、「創作か盗作か」、その科学的ルール・判断基準は何かを、再確認するために、本書は必読の文献となろう。
 歴史研究者をはじめ多くの科学・学問に携わっている人々、関心を持っている人々が、版元ドットコムが掲載している石井寛治氏の推薦文と本書の目次・前書き抜粋をぜひ一覧・一読いただき、広く普及に努めていただきたい。
 版元ドットコムの該当ページ
 それを紹介した「原朗氏を支援する会」ウェブサイト2月2日更新: https://sites.google.com/view/aharashien/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0


 本裁判記録の書籍『創作か 盗作か』に収録されていないのが、昨年5月の高等裁判所への控訴時点で発掘され、提出された
乙83証拠資料、すなわち、堀和生「小林英夫氏盗作行為の起源」(『創作か 盗作か』に収録され、「支援する会」インターネットでは非公開)である。

この堀和生論文は、小林氏の盗作の「起源」を明らかにすると同時に、2011年現在(すなわち2013年の原朗氏を告訴する2年前)の小林氏の認識を示す。
盗作を盗作と思っていない。2011年に小林氏が公刊した論争書に、学部時代からの自からの優秀性を証明する論文としての解説を付け、最後の結論部分(100パーセントの盗作)をのぞき、そのまま採録されているからである。
この根本的誤認があるとき、原朗氏の仕事に対する態度も、原朗氏を論争書出版の2年後に名誉毀損で訴えることも、理解が可能になる。
「尹論文」に関するみずからの行為が引用・参照等の科学的学術的「ルール違反」だとは認識して
いなければ、同じことを繰り返すからである。その誤った認識が、半世紀にわたって持続していたことが堀論文によって証明されているわけである。

したがって、半世紀ほど前の、大昔の学部学生・院生当時の「尹論文盗作」ということではすまず、2011年にも同じ盗作論文が現役教授の肩書で公刊されていることを示していると同時に、さらには、この半世紀間のほかの小林氏諸論文においても同様のことがないか、検討の必要を迫るものとなっている。
学術論文のルールを認識していない(あるいは不正確・不十分にしか認識していない)ことが、堂々と半世紀にわたって継続しているとすれば、その間における論文・著作・教育指導・学生院生の学位審査等において同じルール違反の繰り返しがあったはずと、論理必然的に推定される。恐るべきことではないか?
ことは、小保方問題のような若手の問題ではないのである。
東京地裁・高裁における6年余の裁判過程で、原氏・堀氏・松村氏等の膨大な盗作証明の諸論文・諸証拠の呈示にもかかわらず、小林氏は告訴人としての立場を変えていないのである。

堀論文が証明している盗作の実態はおどろくべきもので、小林論文の文字数で48%もが、尹論文の盗作(朝鮮語翻訳)という事実である。
堀論文は、学生院生のみなさんが、卒論・修士論文・博士論文を書く前に、一度は目を通しておくべき論文である。どういうことをやってはいけないかが明確にわかる。余り人々が知っていない外国語だからといって、丸ごとの翻訳(文字数にして論文の48%も)をあたかも自分の仕事のように見せかけることは、学術論文作成ルール上、許されない。天網恢恢、疎にして漏らさず、と。


【大学と出版社の責任を問う】
2011年当時は、小林氏が現役の早稲田大学教授であった。学生の卒論、院生の修士論文や博士論文を指導し、学位を認識している研究者に求められる基礎条件は、盗作等の不正行為をしないように指導することである。堀和生論文が証明する盗作行為を小林氏が行っているとすれば、学部や大学院の教育が不正常であったことを示してはいないか。
 とすれば、長く教授として学生院生の教育指導にあたってきた現役教授が行った盗作行為・学術論部ルール違反に、早稲田大学としては責任があるのではないか?
 
 また、この2011年の小林氏の論争書を出版した彩流社には、出版倫理における問題があるのではないか?
 これらの責任を「原朗氏を支援する会」ではあきらかにすべく、申し入れを行った。
 「原朗氏を支援する会」ウェブサイトに申し入れとそれに対する回答が掲載されている。

 彩流社は、出版倫理問題に自立的・自主独立に立ち向かうことをせず、裁判の結果に問題処理をゆだねるという態度をとった(上記支援する会のウェブサイトの往復書簡参照)。

 早稲田大学は、予備調査を数か月かけて行い、9月には調査委員会を立ち上げた(上記支援する会のウェブサイトの往復書簡参照)
 調査委員会は、中間報告を一か月以内に受け、最終報告を3か月+1か月以内に出すことになっている(早稲田大学当局から受け取った「研究活動に係る不正行為」調査フロー参照)。
 この「研究活動」に係る不正行為調査のルール通りであるならば、すでに中間報告が出ているはずであり、あと少しで、最終報告も出されるはずである。
 
 早稲田大学が、小保方問題に対する徹底的反省を踏まえ、彩流社のような裁判待ち・「お上の判断待ち」という日和見主義の態度ではなく、「学の独立」の見地を実践して、自主独立に科学の論理・大学の「研究活動に係る不正行為」判定の大学ルールにのっとり、粛々と調査を続けていることを期待し、
最終報告を今か今かと、まさに一日千秋の思いで待ち望んでいるところである。

【科学・学問のルール――批判・反批判の自由】――学問的批判・反批判の循環的発展、学問内容に関する当否を司法にゆだねるべきではない。
学問的批判(盗作の指摘・・・もちろんその科学的実証が前提となるが)が名誉毀損とされれば、学問の自由、その自由で豊かな発展は、望めない。学問の否定である。
盗作の指摘・批判には、いかに独創的で先行性があったかを立証する態度が科学的・学問的対であろう。
事実、原氏が、小林氏の告訴に直面して、最初に感じた怒り・疑念は、私の理解する限りでは、学問・科学における論争点(盗作か創作か)を、名誉毀損で司法に訴える研究者としてあるまじき行為であった。
批判と非難との違いを明確にしなければならない。市民社会における批判(誹謗中傷・非難)と学問における批判とは厳格に区別する必要がある。

盗用しているという批判に対しては、それに反論するためには、「創作だ」ということを立証しなければならない。
まさに、事実に即し、『創作なのか、盗作なのか」が、学問的科学的に事実に基づいて、検証され、立証されなければならない。
それが、科学のルールであろう。
この問題の当否・正・正否の判断を、司法にゆだねることは、それ自体、科学的精神の取るべき態度ではない。
小林氏は、この学問的科学的検証を、司法にゆだねてしまったという点で、日本の学問史上、重大な問題を残したといえよう。
原朗氏の一貫した主張を流れる論点が、ここにあり、上告の重大な理由が、まさにこれだと、私は考える。

地裁・高裁の判決は、そうした
憲法問題にかかわる主要な論点も回避している。
地裁は、本来、名誉毀損での小林氏の訴えを、学問的科学的な問題での争いなので、司法での決着はなじまない、しかるべき学会等の場で、論争し、決着をつけるべき問題だと、門前払いすべきものだった。
この論点も、原朗氏の主張のなかに明確に示されている。

地裁・高裁は、そうした司法の判断になじまない学問的科学的争いを取り上げ、しかも、学問的科学的判断においてもミスを犯している、というのが原氏サイドの主張だと私は考える。

そのことを立証するのが、2月刊の『創作か 盗作か――「大東亜共栄圏」論をめぐって』同時代社刊、だと考える。
本来、科学の場で論叢に決着をつけるべき問題を、司法という場が取り上げ、学問内容に素人の裁判官が判定を下させるとしたこと、これが、日本の学問史上、最大の汚点となろう。学問内容への司法の介入、憲法違反として。

盗作か否かをめぐる大学の判定は、司法とは独立の、科学・学問の自由の担い手としての責任ある行動であろう。
大学は、盗作か否かの判断基準の精密なルーツを持っており、蓄積しており、研究不正行為の判定は、学問・科学の自由のために不可欠の仕事となっているというべきだろう。




ーーー経過ーーー

19-05-31
剽窃盗作とは何か? 裁判における争点:名誉毀損か剽窃盗作か? 
     先行研究・先行論文等の
適切・正確な引用・参照の明示(注記)の有無をめぐって。
 法廷提出の鑑定書・証拠資料を順次掲載予定の
「原朗氏を支援する会」Webサイトに詳しい文書情報。

5月17日付高裁提出の堀和生「小林英夫氏盗作行為の起源」(乙83証拠資料‥2020年3月現在は『創作か 盗作か』に収録され、著作権の関係で非公開)は、画期的発見。明晰で秀逸な剽窃盗作の科学的証明(尹亨彬論文と原朗氏業績からの盗用手法の共通性の解明)・・・大部の公開裁判記録・文書集への序論となろう。剽窃盗用の手法のエッセンスが簡明にわかる。
  したがって、多くの学生院生の論文作成上も、必読の
参照・引用ルール入門となり必須の参考文献(反面教師としての)となろう。
 
証拠資料に明示された大量の剽窃盗用個所赤字傍線部分)は、強烈な衝撃を多くの人にあたえるであろう。
 ・・・彩流社と早稲田大学に対する通報とその現時点(8月31日)までの対応
。 

6月30日研究集会への参加者を中心とする「原朗氏を支援する会」の賛同者82名(Web署名者一覧表こちら)・高等裁判所宛て「
公正な裁判を求める要望書」(127名署名捺印・7月11日提出)

9月18日高裁判決:一審判決維持(原朗氏敗訴)
 
日本の(いや何人かの韓国の研究者も含めた)歴史学界関係者の原朗氏支援の賛同者82名をみるだけで、一審判決、そして9月18日の高裁判決が、学界の判断(科学的判定)とは違っていることが判明する。
 多くの裁判で科学的判定とは違った判決が出ていることは周知のことだが、今回の場合も、まさにそれにあてはまる。
 問題点として特筆すべきは、高裁に
はじめて提出された新証拠(上記「起源」論文、乙83証拠資料、5月17日提出)に高裁判決でいっさい触れられていないことである。これは、まさに新証拠無視として、歴史に残る不公正判決・劣悪判決・誤判決・違法判決となろう。

9月30日 原朗氏最高裁に上告。
 
新証拠(乙83)無視高裁判決の決定的欠陥=誤りを、早急に
会・学界に広く知らせる必要があろう。最高裁が、歴史に残る非科学的で不公正な誤った判断をしないように!!

10月2日 同時代社・栗原哲也氏(日本経済評論社元社長)との議論:
 最高裁に対してだけではなく、学生・院生、諸学会・関連の学界、関係出版社、一般社会向けの
情報提供のため、「原朗氏を支援する会」中心メンバー編による「電車のなかでも読める」ブックレット出版企画(案)について。

「原朗氏を支援する会」ウェブサイトをいったいどれだけの学生・院生・学会・関連出版社・マスコミ関係者が見ているだろうか?「支援する会」ウェブサイトのこと、その公開情報を広く世に知らせ訴える必要はないか?
 すでにウェブサイトで公開していること
ごく一でもブックレットにして、積極的能動的に広く世に知らせることは、「支援する会」中核メンバーの社会的責務ではないだろうか。それは、すくなくとも、呼びかけに応じて氏名公開で「支援する会」を支える82名(2020年3月現在は、署名者111名、公開97名)以上の人びと、高等裁判所に「公正な裁判」を求める要望書に署名した127名以上の人びとの希望ではないだろうか?

 大部の重厚精密な裁判記録(Webサイト掲載中、書物として刊行準備中の普及版でも350ページ、完全版では700ページを超えるとか・・・高価になると予想され、購入者は研究者や図書館などに限られ、大衆性はないのではないか)への「いざない」・紹介、「序章」、「入門」、「序説」などの位置づけで――もちろんそれを通じてウェブサイトへのアクセスの増加、今後の普及版・完全版の販売に資することも願って――、画期的暴露の論文・簡明でインパクトのある
堀和生「起源」論文と証拠資料一式(乙83証拠資料)をブックレット化することは、必要不可欠と考える。
 乙83証拠資料が示す剽窃盗用の事実は、もし、それを一切カウントしないで最高裁が判決をだすとすれば、間違いなく歴史に残る破廉恥判決、ということになろう。国内外から嘲笑されることになろう。
 広く世の中に剽窃盗用の事実・手法・問題点を広報する上で、他に名案・対案があるだろうか?
 原朗氏の仕事からの剽窃盗用・手法・問題点が単純な形ではあるが1966年の「起源論文」と2011年のその「抄録」に共通している。1966年最初の論文と2011年のその「抄録」の共通性、40数年におよぶルール違反の共通性・持続性は、この二つの証拠の間に原氏の諸論文と小林氏の最初の大著とが存在するだけに、別件として一切顧みないなどということはできないのではなかろうか。

 もちろん、ブックレットの刊行にはしかるべき経費が必要であり、その普及にも労力と経費が必要である。しかし、上記の82名ないし127名を核とする支援者集団が学生・院生に講義等で紹介しディスカッションの教材とし、場合によっては卒論指導・修論指導で「反面教師」として活用して、普及に協力してくれるであろう。そう期待したい。
 もしも、「原朗氏を支援する会」関係者の協力により、良好な販売実績が達成できれば、赤字の重圧が予想される普及版や分厚い完成版の出版にも、いい影響が出るのではないか?

11月10日 自らなしうることとしては、
ツィッターやフェイスブックでの発信がありうるだろうとの示唆があった。
 なるほどと、登録だけしてまったく発信をしていなかったツィッターに、この問題を投稿することにした。そうすると、whiterabbitというペンネームの人(2014年からツィッターをやっていると)が、継続的にツィッターで剽窃問題についても発信していることを知った。さらに、「原朗氏を支援する会」をキーワードで検索すると、小島庸平氏のサイト(フォロワーhttps://twitter.com/taozikw/status/1139845041310986240)も、アクセスが多いことを知った。こうしたツィッターの輪も広がることを期待したい。

11月14日 裁判記録(同時代社から刊行)は、550ページの大著になるようだ。冬休みと正月に同時代社が大車輪で仕事をする予定とか。1月中には刊行か。

11月19日 フェイスブックでの発信「支援する会」アカウント
フェイスブックを作ったというご連絡を頂きました。これにより、82名の氏名公開支援者、127名の「公正な裁判」を求める支援者の基盤が強化され、情報が学生・院生をはじめ広く共有され、論文の執筆者・関係者に理解と共感・支援の輪が広がることを期待したい。 

11月21日 私個人のFacebookの自己紹介等のページを更新。この「ながみねWeb研究室」サイトを自己紹介の欄に記載した。最近なにをやっているかの情報を提供するので、自己紹介として。

12月3日付で「原朗氏を支援する会」のお知らせをいただいた。上告で最高裁に提出した一件書類である。これらの一件書類を丁寧に読んで、その内容・論理を最高裁がしっかり理解し、科学(歴史も科学)における盗用・剽窃とは何か、先行研究と後発研究のあり方・相互関係の科学的示し方(
後発研究における先行研究の注記欠如=剽窃盗用か、具体的注記ルールに従っているか)について、しっかりした見識を示すことを期待したい。少なくとも最近では、特に小保方事件以降、学生院生でも注意深くなっていることについて、裁判官たちが学んでいないようでは、この国の科学・司法が根底から覆ってしまう。
 最高裁は、歴史科学(それ以外の科学と共通する科学)のルールを無視した(あるいは正確に理解しない)地裁と高裁の判決を、歴史に残る誤判決の事例とすべきである。

20-02-17(予定) 原朗『創作か 盗作か ――「大東亜共栄圏」論をめぐって』同時代社、2020年2月刊
 ついに、原朗氏の歳晩闘争記録が出版された。これは、小林氏の盗用に対する歴史科学的批判であると同時に、裁判所(地裁と高裁)の判決に対する根底的批判でもある。
 古来、ソクラテスやガリレオに対する裁判で見られるようなような不当な判決は、枚挙にいとまないが、今回、それにまた今回の「剽窃か盗作か」をめぐる東京地裁と東京高裁の判決が加わった。
 科学に携わるものは、今一度改めて、「創作か盗作か」、その科学的ルール・判断基準は何かを、再確認するために、必読の文献となろう。
 歴史研究者をはじめ多くの科学・学問に携わっている人々、関心を持っている人々が、版元ドットコムが掲載している石井寛治氏の推薦文と本書の目次をぜひ一覧いただき、広く普及に努めていただきたい。
 版元ドットコムの該当ページ
 それを紹介した「原朗氏を支援する会」ウェブサイト: https://sites.google.com/view/aharashien/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0