キンダートランスポート
出張記録:2009年3月15日-3月22日より抜粋
基盤研究(A) (研究代表・明治大学・横井勝彦教授)による出張報告のうちから。
ベルリンのいろいろの駅にユダヤ人は集められ、列車で東の強制収容所・絶滅収容所に送られた。
フリートリヒシュトラーセ(Friedrichstr.)駅の「ユダヤ人移送」の記念群像
西に向かうのはイギリスへのキンダートランスポートで助かる子供たち。
沈痛な面持ちで連行される家族(東方に向かっている)
ユダヤ人救援のキンダートランスポートで西方に向かっている子供たち(明るい表情)
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ベルリンのフリードリヒ駅(南側)の歴史記念の銅像群(これは3月の出張時に見ており、写真も写していた)。
この銅像の設置は昨年。すなわち、1938年11月のユダヤ人迫害「水晶の夜」70周年を記念してであった(解説版による)。
本題からはずれるが一言:8月15日に始まり、23日に終わった2009年世界陸上の宣伝がいたるところに(地下鉄駅にも)。
この銅像群にも、新しい解説がこの夏に掲示された(右手、ドイツ鉄道のSバーンのフリードリヒ駅の窓に)。
私がこの写真を写したのは2009年8月31日。
(しかもその説明版設置は、ちょうど私が滞在中だったようで、この写真を写す二日前。その記念行事に参列した成城大学の木畑和子教授からご教示いただいた。木畑教授は我が国における唯一の”キンダー・トランスポート”の専門研究者)
西へ、救済され、希望を持って進むユダヤ人の子供。明るい表情。
下記、3枚の写真は、フリードリヒ駅にガラス窓に印字された記念の文章・説明
上記銅像の横の壁面(ガラス窓の部分)に。
西に向かう子供たち 東に向かう子供たち
キンダー・トランスポート(イギリスなどで、西側へ、ユダヤ人の子供救出作戦により助かった子供1万人余)
その子供たちにとっては、親・兄弟と離れる悲しさはあっても、命の助かる輸送、であった。
1938年末、最初の救出列車が、フリードリヒ駅から出発した。
「生命への列車」、「命への列車」
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ロンドンに到着したかわいい子供たち(だけ)の写真が印象的。
しかし、
説明によれば、その子供たちは、「自分たちだけが助かった」と、
成長してずっと重荷と感じてきたという。
それに反して、そのような助けの手が届かなかった圧倒的多数のユダヤ人の子供にとっては、東への、「絶滅収容所への」輸送。
「死への列車」
収容所の飢餓状況で痩せ細った子供たちの写真。
Ueberlebende Kinder des Holocaust
Cildren who survived the Holocaust
「収容所で生き残ったやせ細った子供たち(1945)」
東へ向かううなだれ打ちひしがれたユダヤ人の子供たち。
その旅行かばんの中には、片足がない小さな壊れた人形ひとつだけ。
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