−独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法−
青木書店、2003年8月刊
(注[1])(注[2])(2002年9月の目次)
永岑 三千輝
序‐問題の限定‐
第1章 ヒトラーの「絶滅命令」とホロコースト−研究史概観−
はじめに
1.41年8月前半説とその問題点
2.41年9月下旬説から41年12月12日説まで
3.戦時政治力学とユダヤ人抹殺の拡大−地域研究の進展と問題点−
むすび
第2章 独ソ戦の展開・世界大戦化とホロコースト
−「東方への移送」政策から世界大戦化による絶滅収容所への「移送」へ−
はじめに
1.方法の検討と課題の設定
2.「早まった勝利の熱狂」下の戦後移送計画
3.「冬の危機」・対米宣戦布告とドイツ・ポーランド・西欧ユダヤ人の絶滅収容所への移送
むすび
第3章 「絶滅命令」に関する史料批判と史料発掘の意義
はじめに
1.ヘース証言の意義と問題性
2.アイヒマン証言の信憑性の検証
3.ヒトラーのヨーロッパ・ユダヤ人「絶滅命令」−「41年12月12日」説−
4.ソ連におけるアインザッツグルッペの活動と41年8月以降のユダヤ人抹殺拡大
おわりに
第4章
一時回避的移送政策とウッチ・ゲットー問題
−移送政策再開から絶滅政策への転換期としての41年10月−
はじめに
1.ユダヤ人の東方移送−「フューラーの希望」と部分疎開作戦−
2.ウッチ・ゲットーの実態−1941年9月ヴェンツキ報告の段階−
3.ヒムラー、ハイドリヒの強行突破策とヒトラーの承認
むすび
第5章 部分疎開政策とガス自動車「安楽死」作戦
はじめに
1.ソ連占領地ユダヤ人殺戮の無差別化と「安楽死」技術転用の検討開始
−1941年8月中旬−
2.「特殊自動車」開発とソ連占領地への投入
−配備開始1941年11月末−
3.西ヨーロッパ各地の不穏状態とユダヤ人東方移送への圧力群
4.ヒムラー・ハイドリヒによるライヒ・ユダヤ人のウッチ移送強行
−自動車排気ガスによる「安楽死」抹殺へ−
おわりに−総督府問題とラインハルト作戦の展開−
第6章 総力戦の圧力群と総督府におけるホロコースト
はじめに
1.総督府におけるユダヤ人排出圧力とプレ・ラインハルト作戦
2.大々的な東方移送強行政策の決定とヴァンゼー会議
3.ラインハルト作戦加速化の圧力群
おわりに
第7章 ヴァンゼー会議からラインハルト作戦終了まで
はじめに
1.会議の重要な確認事項と論点−難問としての混血児問題
2.敗退の断末魔とハンガリー・ユダヤ人の運命−ポスト・ラインハルト作戦−
おわりに
終 章 −アウシュヴィッツ否定論の潮流とその批判−
はじめに
1.証言の信憑性問題におけるダブル・スタンダード
2.政治宣伝の武器としての「アウシュヴィッツの嘘」と歴史科学
3.否定論の似非科学的手法
おわりに
あとがき