2005年2月作成
社会経済史研究所(凱旋門そばの左手の建物)
ズデーテン問題(少数民族問題、第二次世界大戦後の難民問題・ドイツ系住民追放問題など)に入り込むきっかけは、ツォルン教授のもとでの研究。ミュンヘンを中心とするバイエルン州は,第二次大戦の結果として追放されたズデーテン・ドイツ人が最も多く住むところであり、ズデーテン文書館など関係施設が集まっている。
(帰国後公刊した関連論文は業績リストを参照されたい。ミュンヘン留学と直接関係する仕事は、業績リストのうち、著書リスト5の『地域と国家』所収の論文、および論文リストの9と10のズデーテン関係論文)
(中世都市における市の門、その現在・1985年夏) (カウフィンガー通りと聖母教会)
、
(カウフィンガー通り、野生動物博物館前) (Siegessaule)
(家主のヘリッヒさんFrau Prof. Herrlichと
愛用の車VW−Passat)
(部屋から庭を。リスがりんごの木の向こうに)
(子供の友達と1986年2月お別れ会)
(近くのミュンヘン市営テニスコート)
(ミュンヘン・イギリス風庭園の中国塔)
(赤い尖り帽子の旧市庁舎)
(ニュンフェンブルク城・マリアヴァルト小学校)
そこにヒトラーの別荘、そしてナチ党幹部・第三帝国最高指導部の別荘がつぎつぎと。
(オーバーザルツベルクのヒトラー山荘ベルクホーフ)
休止した採掘場のひとつが、見学用・博物館に。
しかし、かつては、町のはずれに巨大な収容所
ミュンヘン近郊の強制収容所・第三帝国で一番早くつくられた。
1985−86年ミュンヘン滞在中、子供を連れて見に行ったが、
子供には刺激的過ぎた。見学後、子供は何日間か、夜、
恐怖で寝られなかった。
いまでもダッハウは小さな子供(小学生など)も見ることができるようになっているか?
ヒトラー山荘の記念館で2002年夏経験したが、中学生くらいまでは刺激が強いので見せないところもあった。
オーストリアのリンツで開催される国際的学会
(リンツ市中心部広場で)
(ドナウ川流域のリンツの町、ヒトラーもここでの進学を目指し、挫折した町、彼もこの風景をみたことだろう)
(9月下旬ー10月)
(世界中から観光客が集まり、9月下旬からホテル代は最も高いランクになる)
(Spaten社のテント・ビアホール) (ホーフブロイハウスのテント・ビアホール)
(テント内部)
(夜景、大きな遊具、空中回転の船など)
(ルートヴィヒの作品のひとつ)
(ルートヴィヒが作った最も有名な城・新白鳥城Neuschwanstein)
ボーデンぜー湖畔の町リンダウ(ドイツ)
(バイオリンの製作で有名なミッテンヴァルト・オーバーアマガウ)
(ヴィースの教会)
ドイツアルプス、ドイツ最高峰
(ツークシュピッツへのケーブルカーから下界俯瞰)
ミュンヘン発→アンパス→インスブルック→ザルツブルク
1807年の作品と。
(オーストリア、オーベルンドルフ、ドイツとの国境沿いの町の教会)
(1985年クリスマスにこの村に出かけたが、観光客で一杯だった)
(ウィーン、「第三の男(Der Dritte Man)」の名場面の巨大観覧車Riesenrad、1985年)
(ウィーン、シュテファン・ドーム、1985年)
(シェーンブルン宮殿、意味は「美しい泉」の宮殿)
(リヒテンシュタインの首都・ヴァドゥーツの郵便局) (後方山の上にリヒテンシュタイン城)
(城の下に街)
リヒテンシュタインを通過して、
(ディンケルスビュールでとまったホテル・白馬)
(ロマンティック街道から見下ろした鳥瞰的写真)
(市庁舎と市場・・・中世都市の中心的機能、その現在)
(アウグストゥス皇帝像)
(ケーニヒスぜー)
(走行中の車中より)
(ミュンヘンからチロルを抜けてヴェニスへの途中、アルプス越えの峠で休憩)
(ヴェニス、1985年夏、ミュンヘン滞在中、夏休み旅行で撮影)
(リアルト橋)
(サンマルコの教会と広場)
(かつて地中海貿易を制覇したヴェニスの栄光を
しのばせる黄金装飾のサンマルコ教会)
85年クリスマス休暇、86年正月スペインとポルトガルがEU加盟のとき、スペイン・ポルトガル旅行
(バルセロナのグエル公園のガウディの建築に驚嘆。聖家族教会にもびっくり。
熱帯性・は虫類的雰囲気・暖かさと元気さ・明るさ、そしてエネルギー。
寒いドイツからやってくると、暖かさに感動(着ていったものが厚すぎて、困った)
1881年
マラガの闘牛場・・闘牛好きの少年ピカソはここでも見たか?
このページが大きくなりすぎるので、 以下、別のファイルに。
冬休み15日間(ユーレイルパス利用)の旅
・
スペインのバルセロナ、アルハンブラ)
ミュンヘン85-86-2 ,
ミュンヘン85-86-3(ポルトガルのリスボンほか)。
ミュンヘン85-86-4(ローテンブルク→ボーフム→知人(ブーヒンさん)宅→オランダ→ベルギー→ドイツ)
90年夏休みの旅行(この目で見ておきたかったことの第一は崩壊直後の「ベルリンの壁」とベルリンの町の雰囲気、第二はズデーテン地方の今日の状態とプラハの状況)