2002年10月24日 一般の傍聴者として学内開催の「あり方懇談会」を傍聴した。設置者たる横浜市が数十年間、きちんと考えてこなかった問題を大学側(教学側)に問いただすという雰囲気がいちばん印象的だった。医学部は大学予算の圧倒的部分を占めるものとして市民・地域貢献との相互関係がはっきりしているが、理学部や国際文化、商学部は別に横浜市が持たなくてもいいのではないか、というのが座長橋爪氏の「個人的見解」のようだった。大学の評議会には審議事項として予算見積もりがあるが、一度も審議事項に取り上げられたことがないといった実態、教学と経営(予算)問題の分離の問題が、どのような歴史的経緯からのものであるのか、なんら考慮されない発言だった。理学部、国際文化、商学部は、存在価値があるなら私学に移行すればいいのではないか、との発言で、なるほど、「デストロイヤー」だと噂されていたのはこういうことかと感じた。横浜市民、横浜市議会が長年維持してきた市大を市の財政が苦しくなったからといって手放したいというのなら、それも一つの選択だろう。しかし、大学の存在価値、学問の総合性を橋爪氏は著書のなかでは説いている。医学部だけ地域貢献が顕著だとして残し、後は地域貢献が不明瞭なので切り離せというのは、学問論としても、また最近の国立の単科の医科大学と他の学部との統合の進展状況を見ても、学問・科学内在的には説得力はないように思えた。
委員の一人が予算600億のうち88億が市債償還費用だということに驚きを表明していた。大学関係の市債残額が1000億円ということにも驚きを表明していた。しかし、これらは明かに第1には医学部とその二つの病院の建設にかかわることであり(まさにバブル期に大学病院を二つ作った、浦舟は500億円とか、そのバブルのつけがきているのだ)、さらに鶴見の新設(100億―200億?)など、総じて医学部・理学部や総合理学研究科鶴見キャンパスにかかわることであろう。鶴見キャンパスは、京浜地区再活性化のプロジェクトとしての投資であり、はたして大学費にすべてしわ寄せしていいのか、問題であろう。また、商学部などこの数十年間、一体何をしてもらったというのか?第1回懇談会で委員が要求した資料として今回出された学部別経費・収入関係を見てもいちばん「効率がいい」(必ずしも、そのものさしが妥当だとは思わないが)のは商学部ではないか。普通なら、医学部は神奈川県以外の全都道府県では国立大学の学部や国立単科大学として設置されているのであり、本来なら国が持つべき財政負担を横浜市が担っているともいえるわけで、現在の本学の予算・債務構造の内実に関しては、もっときちんと考えていく必要があろう。
医学部も理学部も商学部や国際文化と同じ授業料・学費だということにも座長の橋爪氏は驚きの感想を述べていた。なぜ国立大学と同じようにしなければならないのか、と。だが、なぜ驚いて見せるのか、不思議なくらいだ。これは、国公立大学の歴史と存在意義と深くかかわることであり、優秀な学生であれば、たとえ親の資力がなくても、低い授業料で自然科学系・医学系の学部にも進めるようにしている、というのがわが国の国公立大学の一番の特質だろう。学費が安いことは一種の奨学金制度なのだ。優秀なら学費が安いところで本格的に勉強でき、社会貢献できる人間になれるということだ。それを市民が応援しているということだ。市民はそのような制度で優秀な学生を育てることに寄与して、長期的には市民自身と市民の子孫のためになる人材を育てるということだ。また、他の国公立大学の卒業生の社会貢献の恩恵を市民も享受しているということだ。
私立大学の圧倒的多数で自然科学系が弱いのは、経費負担と学費負担の相互関係からして私学では到底自然科学系の学部を維持できない(非常に困難で、しかも医学部を筆頭に学費が非常に高くならざるを得ない)ことの必然的結果であろう。本学の両極端、すなわち商学部の学生一人あたり経費が90万円弱、これに対して医学部学生一人あたり経費が650万円といったことを考えても、明らかなことだ。今日の委員の発言を聞くかぎり、議論は結局のところ、これまでの市財政の苦しいときに繰り返し出てきたという発想と同じになるように思える。医学部は国立大学にでも移管し、商学部は単科大学に移行し、国際文化や理学部は廃止してもいいということになるのではないか?などと。
議事録にどのようにまとめられるか、見ることにしよう。
いずれにしろ、12月までに結論を出すために、つぎの懇談会ではもっとはっきりした大学としての将来構想をまとめるようにとの座長の要求で、はたしてそのような短期間に何ができるのか、国立大学の独立行政法人化論議にかけられた長期間と比較して、まったく無理な要求だと思われる。だいたいこのような短期間の懇談会に答申を求めるようなやり方自体、拙速だろう。この間の拙速なやり方を推進してきた事務局のおぜん立てに「懇談会」ものっているように見えた。すくなくとも座長発言にはそのような雰囲気が濃厚だった。
どのような答申が出ようとも、それをじっくり大学人として検討し、受け入れるべきは受け入れ、実情と歴史を無視した外在的超越的な答申がでれば、それは大学人が徹底的に批判すればいいだろう。そして、それを大々的に公開し、設置者である市民・市・市議会等の議論にゆだねればいいだろう。大学がその存在を問われると同時に、市、市長、市議会などが歴史的に大学に対して何をしてきたか,どのような処遇をしてきたかもきちんと分析し、批判的に指摘する必要があろう。
「あり方懇談会」の各委員の挑戦的論理は、組合委員長倉持先生のご報告のとおりであり、それを批判する論理構築が必要だろう。学長、その他執行部に奮闘を期待したい。予算的に見ていちばん「効率のいい」商学部の教員欠員補充を行わない(商学部の教育研究条件の悪化が進行することを意に介さない)事務局責任者(それに追随する学長)の恣意性批判も含め、商学部執行部の責任は重いように感じる。
なお、一部、委員のなかには、二兆円から三兆円の予算規模で90億程度(だいたい120億の支出マイナス学費収入30億)の金を大学に使っていることは何もおかしいことではないといった発想も見られた。大学内部の一人としては、これは納得できる発想だ。第1回懇談会で委員が要求した資料としての配布された都立大学,大阪市立大学など各公立大学の市全体予算に占める割合と意味・意義などの検討も必要だろう。
他方で、大学経営に「生き馬の目を抜くような」バリバリの経営者を理事長その他として参加させるべきではないかといった流行の発想、時流に乗った発言も出された。そのような経営者が果たして大学の使命を十分に考えることができるかどうか、そんなに大学経営は営業的論理、民間社会の利潤論理で割りきれるものか、その点が根本的に問題となろう。
和田さんがかつて指摘したように、学長その他執行部は懇談会委員の著書などを検討し、いかなる論理で攻められるか、これまでの発言も含め、きちんと検討し、反論の素材を準備しておく必要があろう。