2004年4月後半日誌(0419―0430)
2004年4月30日(2) 今年のセンター試験問題を契機に、出題者氏名の公表を求める圧力があったが、情報公開法の規定でも試験の公平性・秘密性を確保するため試験(問題出題者)の公開は免除されている[1]。その基本原則に従う形での一応の決着がみられたようである。「大学入試センター問題は、一応、危機を脱しました」(「市民の教科書研究所」HP)へ
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2004年4月30日(1) 「首都大学東京」に関する東京都(行政当局)の「御知らせ」によれば、「新大学の特色」は下記コピーのようなものだという。「首都大学東京」は、「都市社会」「大都市」の課題を中心に据えた大学であり、「都市」だけが突出している。総合大学としての人類の繁栄や地域と世界の平和への貢献を掲げるものではないのだ。都市は農村との関係のなかで存立し、地球を取り巻く海洋(史)・大気(史)・宇宙(史)などのなかで都市と農村がある。そうした総体を問題にするArts and sciencesとともに、都市・都市住民も生命力を維持している。Arts and sciencesの総合としての大学を構想している大学人の見識(教員組合の見解:Cf文部科学省への要望書(pdf)(4/23) 手から手へ第2276号(pdf))とくらべるとき、その落差に驚く。特定の狭い問題意識・課題意識の元での単科大学化という雰囲気を感じてしまう。窮屈な大学だという雰囲気である。研究費の「傾斜配分」という武器を使って、教員を縛りつけてもいる。いやはや。これでは、新大学よりも自由な開放的な仕事場が見つかれば、多くの教員がさっていくのでは必然ではないか。こうした新大学への統合で本当に都立4大学は発展するのだろうか? 大学間競争ではどれだけ優秀な活力ある人材をひきつけるかということが最重要課題ではないのだろうか?
-----------「新大学の特色」---------
3 基本理念
「大都市における人間社会の理想像の追求」を使命とし、現代の都市社会に不可欠な創造力・課題解決力及び幅広い視野を養う人間教育を実践するとともに、アジア共通の大都市の課題に立脚した教育研究に取り組む。
4 特色 〜大都市の特色を活かした教育の実現〜
「都市の文明」を学ぶ教養教育 〜都市教養学部の設置〜
・都市文化、都市経済、都市工学など、「都市の文明」を全学部の学生に教育
大都市の課題に対応した学部等の再編、新学部の設置
・都市環境学部、システムデザイン学部、健康福祉学部を設置
大都市をキャンパスにした現場重視の体験型学習の導入
・
都市の抱える問題に直接触れ、社会の側が求める能力を付与するために現場体験インターンシッププログラムを全学生が履修
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2004年4月29日 「首都大学東京」の設置申請が出されたようである。経済学コース「断念」とか(Cf.☆首都大学東京:都が設置認可を申請 経済学はコース断念)。博士課程がない大学では申請できない最先端研究の中心としての予算COEを難関を突破して取得して研究に専念している人々に、明確な大学院構想などを提示し得ないままの強引な改革の押しつけであり、いったい都立大学経済学部がなが年蓄積してきた経済学関係の研究教育蓄積はどうなるのか?「大学院は都立短大を除く3大学の研究科を引き継ぐ形だが、来年度までに改革案をまとめる。大学院の募集定員は768人」ということなので、COEグループが納得し得るような、社会的にも説明責任を果たせるような大学院構想がまとまるかどうか、見守るしかない。本体の学部だが、あくまでも「都市教養」という狭い教養の名称に固執している。この狭い名称で学問諸分野文化諸分野を総括した学部は、教職員組合などが深い教養理念の理解から的確に批判しているように(@2004年4月26日,都立大学・短期大学組合の
文部科学省への要望書(pdf)(4/23):A要望書提出の経緯や説明は 手から手へ第2276号(pdf))、新しい大学の魅力となるのか。寒々しいかぎりである。名称だけで狭さが感じられるところに無理がある。文部科学省、そして大学設置審議会等は、行政主導のこのような案にたいして、どのような判断を下すのだろうか?
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2004年4月28日(2) (1)で日本と世界の政治に関わる民主主義原理を問題としたが、民主主義原理への侵害問題は、本学の内部問題でも発生している。本日、ボックスに入っていた教員組合の文書「3学部カリキュラム保障期間に関する学長・事務局文書について―学生の権利保障と学内民主主義を―」がまさにそれを指摘している。経営と教育研究システムの大変革、すなわち独立行政法人化と3学部統合という二つの大変革を行うに当り、さまざまの面で学則(そこに反映している憲法以下の諸法規)が守られていないことが問題として指摘され批判され続けてきた。今回の文書では、商学部・国際文化学部・理学部という三つの学部に現に入学している1年生から4年生までの学生に対する約束(カリキュラム体系など入学試験の際までに公開して、提供すると約束してきたもの=公約)を、どれほどきちんと守るかどうか、その誠実な態度、公約遵守の精神、民主主義の精神が問われている。受験生は、公開されたカリキュラム・教授陣、および学則等諸規則を信じて、受験し、入学している。学生には学則遵守を義務付けている。当然にも大学もその学則を守ることが求められる。契約の基本原理だろう。そうした社会的約束を踏まえて入学してしまった学生・院生の弱い立場を逆手にとって、提供するとして宣伝してきたカリキュラム体系(それを支える教授陣)を勝手に削減してしまうのは、公約=公的契約に対する違反として、厳しく批判されるべきものである[2]。すでに学長(事務局)は、新入生にたいする文書を出したが、それは、こうした社会的約束事を無視することに対する抑制感覚(民主主義感覚・マイノリティの権利擁護の感覚、大学の理念にたいする感覚)がどれほど麻痺しているか、を示すものである。研究教育を担う教員、その自治自律組織としての教授会、それを基盤とする大学評議会における多様な意見を無視ないし抑圧して突き進んできたことが、こうした点にはっきり露呈しているということである。その意味で、今回の教員組合の筋の通った主張に共鳴する。法律体系・法的諸制度の無理解に基づく「任期制」導入正当化の発言のたぐいに対しても、教員組合ニュース(「教員組合週報」4月26日号)が的確に説得的に批判している。
-----------3学部カリキュラム保障期間に関する学長・事務局文書について-------------
―学生の権利保障と学内民主主義を―
今月の入学式およびオリエンテーションにさいして、事務局からは「市立大学改
革推進の取り組み」という文書(付録1として抜粋を添付する)が、また、
小川学長の名で、「学生・大学院生の皆さんへ 新大学(法人設置)の開設にとも
なう現大学(横浜市設置)の学生の教育保障について」(付録2として抜粋
を添付する)と題する文書(ともに日付なし)が配布された。
この二つの文書において事務局および学長は、商学部・国際文化学部・理学部(
以下3学部)および看護短期大学部に入学した学生が、現学部・現短期大学
部に在籍する期間を平成20年度(2008年度、以下西暦で記す)までとし、同年度ま
でに卒業しない学生については、翌2009年度から新学部へ学籍を
移したうえで、現3学部・現短期大学部の教育課程を履修すること、その場合、卒
業証書等には現学部の教育課程を修めたむねを証することをうたっている。
以下に見るように、両文書の述べている措置が実行されれば、重大な問題が生じ
る。問題点はあまりにも多いが、以下おもな点にしぼって我々の見解を述べ
る。
第一に、この措置は学生の権利を著しく損なうものである。学生は、当然、現3
学部・現短期大学部の学則の許す期間内に現3学部において教育課程を履修
し、現3学部・現短期大学部を卒業できるものと考えて当該学部に入学している。
3学部について言えば、現行の学則は、8年間の在学を認めており、休学期
間のある場合、最大12年間の学籍維持を保障している。他の大学においても8年間の
在学期間を保障しているのが通常であり、入学した学部において当然8
年間在学することができると期待することは、社会通念上、当然の権利となってい
る。
これまでの国立大学における同様の例において、学部の統廃合等の移行措置のさ
いには、一,二の例外を除いて、旧制度の在学生がいなくなるまで旧学部等
は存続させるという措置を採っており、本学において旧文理学部を改組した際にも
同様の措置を採っている。
このように見ると、現時点における在学生は、現行の規定の保障する期間、現学
部に在学する権利を有しているとみなすべきである。したがって、本年度3
学部入学生は、退学処分等のない限り、本年度から12年間、すなわち2015年度まで
現学部に学籍を持つ権利があり、大学は、この権利を保障する義務が
あるのである。すなわち、現3学部は、2015年度まで存続しなければならない。それ
よりも前の期間に現学部における在学期間を打ち切ることは、たとえ
新学部への移籍後の、現学部教育課程履修を保障するとしても、契約違反にあたり
、不当な権利侵害である。
念のため申し添えれば、同じ理由から、留年・休学をしなかった場合に現在4年
次学生となっている3学部2001年度入学生も、2012年度まで在籍す
る権利を有するのであり、両文書の述べる措置は、新入生のみならず、ほとんど全
ての在学生の権利をも侵害するものである。
なお、学長は「皆さんが現学部を卒業できるよう、個別の指導・相談に応じます」
と述べているが、もしこれが、2008年度までに卒業するよう学生に「指導」すること
を意味しているのであれば、学生の権利を侵害する不当な指導を予告するものであり、
良心的な教員はそのような「指導」をすることはできない。
また、このような学籍の扱いに関する重要な変更は、遅くとも本年度入学生が入
試要項を入手するよりも前から、すなわち、昨年中においてそのような予定
を公表しておかなければならない。そのようなことは行われなかったので、入学時
に両文書をもって周知したとしても、不当性を回避するにはすでに遅い。
第二に、現3学部の存続を2008年度までとする根拠が明らかにされておらず、上記
のような学生の権利侵害を正当化するような、十分な理由があるとは
考えられない。学長、事務局も認めるように、2008年度以降も在学している現学生
については、現行教育課程を保障しなければならないが、そのような保
障のためには、本年度入学生が全員卒業するまで、現学部を存続させることが、最
も合理的である。
第三に、新学部において単位の読替えが可能なのか、きわめて疑わしい。両文書
は、2008年度を越えて在学する学生については、新学部の科目を履修
し、単位の読み替えをすることで、現学部の教育課程を修了できるように保障する
としている。しかし、本年3月25日に発表された、横浜市大学改革推進本
部の「国際総合科学部(仮称)コース・カリキュラム案等報告書」を見るかぎり、
新学部の科目は、現3学部の科目に比して、科目数がいちじるしく少なく、
対応する科目が見当たらない場合がきわめて多い。したがって、両文書のうたうよ
うな「単位の読替等」が実際に可能なのかきわめて疑わしい。特に教職課程
の科目に関しては、新学部のカリキュラム案が、英語と理科を除いて教職免許を取
得できなくする方針であるために、消滅する予定のものが多く、したがっ
て、これら教職課程科目についての単位読替は不可能であると予想される。学長は
「安心して勉学に励んでください」と言っているが、はたして安心していら
れるのか? 学長・事務局は、このような「単位の読替等」がどのように可能なの
か、説明しなければ、学生を瞞着する無責任な態度を取っていると非難され
てもしかたがない。
第四に、このような措置を事務局と学長が、学内の議を経ずに、一方的に通告し
たことは不当である。この措置が現学部の存続期間を定めようとするもので
あるにもかかわらず、事前に当該学部の教授会の議を経ることもなく、大学の最高
意思決定機関である評議会の決定も経ていない。このようなやりかたは、す
でに今回の改革にさいして、さまざまなかたちで行われ、我々が再三その都度批判
してきた他の措置と同じく、学内民主主義と大学自治を踏みにじる行為であ
り、学校教育法第59条
の「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない」とす
る規定に違反するものであり、ひいては日本国憲法第23条の定める学問の
自由の原則に違反するものである。また、当事者である在学生に対してもなんら事
前の説明をしておらず、この面でも学内の民主主義的な意思形成のプロセス
を無視する、事務局・学長の強権的な体質を露呈させるものである。
以上のように、さまざまな問題点がある今回の措置に対して、我々は強く抗議し
、学生の権利を保障するよう要求し、大学自治の原則を尊重してきちんとし
た教授会、評議会等での討論を通じての決定の手続きを取るよう強く求めるもので
ある。
2004年4月27日
横浜市立大学教員組合
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付録1 「市立大学改革推進の取り組み」
独立行政法人化後、学部が統合される商学部・国際文化学部・理学部や、4年制化
する看護短期大学部へ入学した学生の教育保障について
平成16年度以前に現大学の商学部、国際文化学部・理学部及び看護短期大学部に
入学した学生に関しては、在学期間中、現行カリキユラムの履修を保障し
ます。ただし20年度までは独立行政法人化後の大学の学部として、商学部、国際文
化学部及び理学部を存続させますが、21年度以降は新たな学部に籍を移
し、現行の教育課程を履修することとなります。この場合、卒業証書等においては
、例えば「商学部の教育課呈を修了した」ことを証することになります。
付録2 小川恵一学長「学生・大学院生の皆さんへ 新大学(法人設置)の開設
にともなう現大学(横浜市設置)の学生の教育保障について」
本学は、平成17年4月に独立法人化し、新たな横浜市立大学へ生まれ変わります
が、既に市立大学に在学している学生・大学院生の皆さんの教育課程の修
了に必要な授業科目の提供については、在学期間中保障しますので、安心して勉学
に励んでください。
なお、教育保障の内容は次のとおりです。
1 商学部、国際文化学部及び理学部
(1) 商学部、国際文化学部及び理学部は、平成20年度まで、新たに横浜市が
設立する公立大学法人の設置する大学の学部として存続させます。従って、
現大学に入学した学生は原則として、現学部で卒業することになります。皆さんが
現学部を卒業できるよう、個別の指導・相談に応じます。
※具体的には、市立大学商学部(他学部も同様)の学生は市立大学商学部での卒業
となります。
(2) 休学などやむを得ない事情により、20年度までの卒業が困難な学生につ
いいては、21年度から新学部への学籍を移し、新学部において現学部の教
育課程を履修するものとしますが、単位の読替等には十分に配慮します。
※この場合においても、学籍は新学部となりますが、卒業証書等においては、例え
ば「商学部の教育課程を修めた」ことを証することになります。
(3) 教職課程、司書課程、司書教諭課程については、入学した時点で取得が可
能であった資格について必用な授業科目を、20年度まで提供します。
(4) 在学期間は、現在の学則で定める期間とします。(休学等を含めて最大
12年)
[参考図、略]
2 医学部及び医学研究科
学部名等に変更がありませんので、法人移行と同時に、新大学に移籍するものと
します。
3 医学研究科以外の大学院及び看護短期大学部
医学研究科以外の大学院及び看護短期大学部は、16年度以前の入学生が在学し
なくなるまで存続させます。在学期間は、現在の学則で定める期間とします。
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2004年4月28日(1) イラク人質事件の被害者に関するある国会議員の「反日的分子」という表現が、民主主義原理を否定するものとして、大きな議論の的になっている。「意見広告の会」ニュース141の記述(「共同通信」の記事)によれば、その「反日的分子」発言は以下のとおりである。政府が国会多数派を形成する政党(単数・複数の特定党派)によって担われるという議会制民主主義は、その必然的な民主主義の原理からして、少数諸政党・少数党派の存在と主張を尊重すること前提にしている。少数派が国民の信を得て多数派になること、与党と野党とが逆転すること、その可能性をきちんと保証すること、ここに民主主義の生命がある。つい最近のスペインの政権交代(政府の与党・野党関係の逆転)、国民の選挙を通じてのその民主的平和的な政権転換とイラク派兵政策の転換(イラクからの撤兵)を見よ。政府(与党)の政策と行動は、議会の多数派の政策でしかない。したがって、過半数を占めることができなかった少数派諸政党、それに反映される国民の意志は厳然として存在しているのであり、現在の政府の政策と行動を批判することを通じて、少数派は多数派となることをめざすのであり、自らの主張・政策と行動こそが日本政府のものとなるべきだと国民と国際世論に訴えるのは必然であり、使命であり、民主主義の義務である。さしあたり政府=国会多数派ではあるが、政府=日本ではなく、したがってまた反政府=反日ではない。ところが、「反日分子」発言は、「政府=日本」、「政府与党の意思・政策=国民の意思・政策」と等置している。この等置式は、議会制民主主義の原理的否定、日本国憲法の否定である。この等置式は、国民世論の分裂状況、対立状況という真実のすがたを否定する論理である。少数意見を反日として切捨て抑圧する恐るべき発想といわなければならない。
-----日本人人質「反日的分子」(共同通信)--------
自民党の柏村武昭参院議員(60)が26日、参院決算委員会で、イラクで人質にされた日本
人について「自衛隊イラク派遣に公然と反対した人もいるらしい。そんな反政府、反日
的分子のために血税を用いるのは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と述べた。
質問後「日本のやり方に反しているのだから反日的分子。(不適切と)思う人はいるかも
。ぼくの考えだから」と撤回する考えのないことを示した。
[共同通信社:2004年04月26日 16時37分]
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2004年4月27(4) 大学評価学会の通信第1号「大学評価学会通信」第1号(2004年4月25日)が出た。この日誌で、設立大会の参加経験を書いたとき、益川敏英教授を大学評価学会副代表と書いたが、今回通信を読みなおして、記憶違いであることを確認した。すなわち、学会代表であった。代表は2名の体制である。益川教授の今回の挨拶で興味深いのは、学会を続けるためには【楽しみもなければ】というところである。普通の専門学会では出会えないような人々と出会えること、専門分野の違ういろいろな人と話し合う機会があること、これが多分今回の大学評価学会の独自の重要な特徴であり、楽しみのある点、魅力となる点だろう。益川教授のご意見に共鳴した。
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2004年4月27日(3)都立の新大学の設置申請に関わる意見書を、教職員組合が公開した。それにリンクを張っておこう。内容は、本学のカリキュラム編成権、学部・学科(学府)・大学院の編成権に関する教授会権限(責任)の問題など、重なり合うところが多い。
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@2004年4月26日,都立大学・短期大学組合の 文部科学省への要望書(pdf)(4/23)
A要望書提出の経緯や説明は
手から手へ第2276号(pdf)
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2004年4月27日(2) イラク人質バッシング問題で、アカデミー・ネットワークは、中田市長の発言を取り上げている。以下にコピーしておこう。大学にたいする「定款」のあり方とどのように整合するか、熟慮が必要のようである。
━ AcNet Letter 101 【4】━━━━━━━━━━ 2004.04.25 ━━━━━
ネットからのクリップ
─────────────────────────────────
【4-1】略
【4-2】04/22 東京新聞:中田横浜市長
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kgw/20040422/lcl_____kgw_____000.shtml
国が国民の安全を守るために、体を張ってやるのは当たり前だ。
救出を『やってやったんだ』という言い方はおかしい
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2004年4月27日(1) 「都民の会」からの都立大学情報を入手した。以下にコピーしておきたい。
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都立4大学の「改革」をめぐる
3月以降の事態についての「都民の会」の見解−
最終更新日:2004年4月23日
みなさま
「都民の会」の取り組みに、変わらぬ支援を寄せてくださりありがとうございます。
最近、都立4大学の動向について、各種マスコミにおいて「混乱の収拾」という形での
報道が続いています。しかし、これらの報道は残念ながら事態を正しく伝えているとは
言えません。
このような状況を踏まえ、「都民の会」では、「都立の大学」問題に関心を寄せ、事態
の推移を見守ってくださっているみなさんに、この間の事態に対する現時点での私たち
の見解をお届けすることにしました。
1. 3月から4月はじめの経緯について
私たちは日比谷集会以降、都立4大学の「改革」について「都民のための大学づくりを
行うこと」、そのために「学生・院生・教職員・都民に開かれた協議の場をつくること
」を求めて活動を行ってきました(2月28日、日比谷集会での参加者1800人によるアピ
ールより)。
しかし、その後の都立4大学をめぐる動向は、私たちの要望とは大きく異なるものでし
た。3月9日には、西澤潤一学長予定者と大学管理本部長の連名で、「新大学の構想に
ついて、現大学との対話、協議はあり得ない」と明言する「最後通告」と報道された文
書が出されました。法的にまったく根拠のない「意思確認書」の提出の如何によって教
員の処遇を差別する、「公に改革に批判を繰り返す人たち」(この中には「都民の会」
の日比谷集会に関わった教員も含まれているとのことです)は「何らかの担保がない限
り」新大学への参加は認めないなど、異論や批判を認めないという一方的な「脅し」が
、大学に対して行われました。
この通達には、当然ながら大学内外から批判と抗議が相次ぎました。このような一方的
な脅しにもかかわらず、大学関係者は、引き続き「新大学」設置に向けた協議体制の確
立に向けて、ねばり強い交渉を続けたと聞いています。
その後、大学管理本部に対する大学内外の抗議や大学側の働きかけによって、「新大学
」設置に向けて協議体制を確立していくことが、大学管理本部と都立4大学との間でい
ったんは確認されました(3月29日の都立大学総長声明)。その前後に「意思確認書」
の提出が行われましたが、これは「協議体制」についての議論を交渉の俎上にのせるた
めの、やむを得ない判断であったと考えています。
総長声明にあるように、協議体制が本当に確立されるのであれば、これはこの間多くの
卒業生・都民が求めてきた流れであり、歓迎すべき変化です。しかし、この「変化」は
あくまでも文部科学省への設置申請を間近に控えての一時的なものであり、なおも警戒
を怠ってはならないというのが現時点での私たちの考えです。
第一に、大学管理本部は、3月9日の「最後通告」で示した姿勢を公式には撤回してい
ません。「現大学との対話、協議はあり得ない」とする姿勢が撤回されないままで、果
たして「協議体制の確立」が可能なのか、大いに疑問です。
第二に、今回確認されている「協議体制」は、あくまで大学執行部と大学管理本部との
間の協議に限られたものです。学生・院生の声がどのように「新大学」設置に向けた議
論に反映されるのか、さらにはその過程で都民の声をどのように聞くのか、といったこ
とはまったく議論されていません。学生・院生も含めた大学全構成員による協議体制の
確立と、新大学設置のプロセスへの都民の参加の具体化について、早急に議論される必
要があります。
第三に、先述したマスコミ報道の問題とも関わりますが、この間石原都知事・大学管理
本部は、大学側と「協議」を続けながらも、一方で「意思確認書を提出させた」と強調
することで、「大学側が東京都に対して屈服した」という構図を意図的につくりだそう
としています。この対応は、都知事・大学管理本部側にどれだけ誠実に「協議体制」の
確立に向けた努力を行う意思があるかを疑わせるものです。また都立4大学の問題に関
心を寄せている卒業生・都民の期待に応えるものではなく、却って無用の不安をかき立
てるものです。
事実、文部科学省への設置申請後の4月8日に、山口大学管理本部長は各大学の教職員
に文書を配布し、「新大学への参加意思を示した人たち」が「新大学の基本的枠組み」
に反対する運動を展開することは許されないとの見解を示しています。このような見解
の表明は「協議体制の確立」に向けた取り組みに水を差すものであり、見過ごすことは
できません。大学管理本部は文書を撤回し、「協議体制の確立」に向けた努力を早急に
再開するべきです。
2. 都知事・大学管理本部および都立4大学への要望/都民の会の今後の取り組みにつ
いて
私たちは、以上の点から、事態はなおも予断を許さないと考えます。事態の打開のため
に、私たちは以下の点を都知事・大学管理本部および都立4大学に求めていきます。
4月8日に管理本部長名で出された文書を、大学管理本部が速やかに撤回することを求
めます。その上で大学管理本部、都立4大学の双方に対して「協議体制の確立」に向け
た取り組みを継続することを要望します。
「協議体制」について、それをより実質化する取り組みを、大学・大学管理本部双方に
求めます。とりわけ今回の問題でもっとも直接的な影響を受ける学生・院生の声がきち
んと反映されるような協議体制の確立を強く求めます。また都立の新しい大学が「都民
のための大学」になるよう、都民各層との協議・意見交流の場を設定することを求めま
す。
この間の都立4大学と大学管理本部との交渉の過程は、大学の外から見たときに、決し
て明瞭なものではありませんでした。都立4大学「改革」については、その動向を見守
り、推移に関心を寄せてきた多くの都民、卒業生がいます。これらの都民、卒業生に対
して、大学側がこの間の経緯について説明を行う、「都民に向けた説明会」を開催する
ことを求めます。
以上の点を実現するために、都民の会としては以下の取り組みを行っていきます。
都知事・大学管理本部、および都立4大学に対して、日比谷集会のアピールで確認され
た内容に基づいて、「都立の新しい大学」づくりに対する要望書を提出します。
都知事・大学管理本部および大学に対して、都民の会との協議の場を設定することを求
めます。また、「教学準備委員会」「経営準備室運営委員会」等での議論の内容を公開
するなど、都立4大学の改革に関する情報が都民に明確に伝わるように求めます。
都民や卒業生のみなさんとともに地域での学習会の開催や街頭宣伝などに取り組み、引
き続き「いま何が起きているのか」「私たちはどのような大学を求めるのか」というこ
とを、都民に広く知らせていきます(現在そのためにリーフレットの作成に取り組んで
います)。
集会への取り組みの中で形成された、各団体とのつながりを活かしながら、都民各層か
らの「都立の大学」に対する要望を聞く会を行います。またその成果を「都立の新しい
大学」づくりのプロセスに反映させるように求めていきます。
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2004年4月26日(2)任期制と一緒に提起された年俸制との関連で、実際の民間企業の業績評価における問題が、指摘されている。民間企業ですら、評価の客観性・透明性・社会的説明責任が問題になるとすれば、研究教育の場における評価は、とりわけ文科系(人文・社会科学系)のような人間的社会的利害対立などが絡んでくる場合に置いては、また真理探求が必然的に対立的な見解や評価をもたらすことを考えれば、慎重な制度設計が求められる。人文社会科学系の場合、それぞれ一人一人の研究者が一国一城のあるじであり、それぞれが独立の責任を学界(日本と世界)・学生・院生・社会に対して持つことになる。こういう側面からして、軽々な判断は、学問文化の研究教育の豊かさや自由を失わせる。全国国公私立大学の事件情報から引用しておこう。遊んでいても熱心に業績をあげていても同じ賃金では駄目だ、というのが一方にあり、他方に、それでは「遊んでいる」ことと「熱心に業績を上げていること」とをどのようなものさしで、だれが計測するか、これが大問題だということになる。学問研究の「効用」をどのようなスタンス、どのようなパースペクティヴではかるか、これが問題となる。「大学評価学会」設立大会(2004年3月28日)における益川氏や海部氏などの発言はそれを的確に指摘していた。これまで「遊んでいる」人々をそのままにしていたのは、いかなる理由によるのか。「熱心に業績をあげている」という場合は、その業績の内容・質は?
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成果主義賃金導入の企業、90%以上が制度運用で問題
年俸制等の成果主義賃金は,民間大手企業を中心に急速に導入されているが,運用面における実態は下記の報道にあるように,評価基準等をめぐって問題を抱えている。大学の研究・教育職は,業績等成果を定量的に把握ことは困難であり,その質が鋭く問われる。したがって,ここに成果主義賃金が導入された場合には,一般民間企業以上に深刻な問題を露呈させることになることは確実である。
共同通信(4/23)より部分引用
従業員個人の業績を賃金に反映する成果主義賃金制度を導入している企業の90%以上が、評価基準などをめぐって問題を抱えていることが23日、人事院の外郭団体「日本人事行政研究所」の調査で分かった。…
…成果主義賃金を導入しているのは全体の67%の132社。複数回答で、評価基準の明確化が困難(66%)、業務内容の異なる者の評価の調整が困難(65%)、評定者の自覚や訓練の不足(58%)−など大半の企業が制度の導入による問題点を指摘する一方、特に問題がないと回答したのはわずか5%だった。
同研究所は「成果主義賃金の導入は本格化しているが、運用に苦労していることがうかがえる」と分析している。…
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by 管理者 : 掲載日時 2004年04月24日 00:00 | コメント (0) | トラックバック (0)
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http://university.main.jp/blog/archives/000846.html
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2004年4月26日(1) イラク人質事件に関する「自己責任」論・人質事件被害者バッシングに抗議する緊急声明(東大教員発起人)が、全国的にに展開されることになり、早速賛同署名した。以下にも、声明等をコピーしておきたい。
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Academia e-Network Letter 号外 (2004.04.25 Sun)
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イラクの人質となった人たちに敬意を表し激励する、東大の教職員
の方による緊急アピールを、号外で紹介(*)しましたが、多くの大
学からも賛同署名があったことを受け賛同署名を広く募る、世話人
会の方針が、意見広告の会ニュースで伝えられました【1】。発行
人もネット署名の形式での賛同署名募集に協力したいと思います。
これまで実施してきたネット署名と同じ形式の署名ページ
http://ac-net.org/honor/ を試作しました。本日中を試行期間と
し、明日(4月26日)月曜日午前0時から、正式にスタートした
いと思います。
(*) http://ac-net.org/dgh/blog/ardhives/000593.html
なお、試行期間中の署名も、署名者が削除しない場合は、そのまま
正式の署名として扱います(いつでも、署名者ご自身で訂正や削除
等が直接できる形式のネット署名です。)また、一般の方も参加で
きる形式となっていますので、試みてください。
最終調整中ですので問題が残っている可能性があります。お気づき
の点がありましたら、admin@honor.ac-net.org までご連絡くださ
い。よろしくお願いします。
AcNet Letter 発行人
--------「意見広告の会」ニュース138--------
** 目次 **
1 緊急アピールの今後
2 アピール再録
3 時事通信記事に関連して 読者からのお便り
1 緊急アピールの今後について 代表世話人より
「緊急アピール イラクで人質になった方々の活動に敬意を表し、これらの方々への非
難・中傷を直ちに止めるよう訴えます」は、本日(23日)正午をもって一旦の打ち切り
とし、4時より東京大学構内記者クラブで報道発表を行いました。
東大内の賛同は約150名、その他約200名という結果となりました。
この結果はもちろん公表致しましたが、特筆すべきは、本来このアピールは東大内の運
動として出発したにもかかわらず、それが紹介されるや、短時間で全国から賛同の申し
込みが集まったということです。
全国の方々のお気持ちが、飽和点に達していたということでしょうか。
私たち呼びかけ人は、今後このアピールの賛同者を広く全国に求め、我々の志をより大
きなものとして、関係者・人々に訴えてゆきたいと考えました。
そこで、このアピールを「大学人・市民の緊急アピール」とし、改めて賛同者を募りま
す。
以下、その方法について記します。
(1)ネット上で簡単に署名ができるようにいたします。そこに必要な事柄をお書き込み下
さい。方法は本ニュース、Acnet Letterなどに公表します。
(2)アカウントを準備するまで、あと1日ほどお待ち下さい。
(3)それまでは従来の方法で、賛同申し込みを受け付けます。これまでの申し込みは、す
べて「有効」です。改めて申し込まれる必要はありません。
(4)アピール・賛同署名は、政府機関・各政党・報道各社に伝達・公表します。
(5)北海道東京事務所、北海道知事、これまでの各支援団体に感謝の気持ちを込めてお届
けします。
(6)事情が許せば、人質となった方のご家族・ご本人に、私たちの気持ちとしてお伝えし
ます。
(7)以上の(4)(5)(6)には、皆様からのご意見の一部を匿名の形で添付致します。
(4),(5)の1次締め切りは26日(月)あたりを目途と致します。
広範な方々へ連絡・訴えを、改めてお願い申し上げます。
代表世話人 醍醐聡
*なお、上記の記者会見の模様についての共同通信配信ニュースを、下記で見ることが
出来ます。
http://www1.jca.apc.org/aml/200404/39222.html
2 東大教職員の緊急アピール 再掲(日付もママ)
以下の呼びかけは、東大内の運動として開始されたものですが、Acnet Letter など
のご協力により、すべての人に開放されたネット署名が始まる予定です。
その際も、現在まで
<qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp>
などに寄せられたメールはすべて有効です。
改めて記入される必要はありません。
また現在も上記アドレスで、賛同を受け付けております。
…………………………………………………
東京大学の教職員の皆様へ
緊急アピール
「イラクで人質になった方々の活動に敬意を表し、これらの方々への
非難・中傷を直ちに止めるよう訴える」へのご賛同をお願いします。
イラクで人質となった5人の方々が無事解放され帰国されたにもかかわらず、政府やマ
スコミの一部では、これらの方々とその家族の方々の「自己責任」が声高に叫ばれてい
ます。さらに一部では、5人の方々の過去の経歴なるものを持ち出して、いわれのない
非難・中傷さえ、なされています。そのため、一足先に帰国された3人の方々は、人質
の体験に加え、こうした冷淡で非人道的な非難・中傷によって精神的に追い詰められ、
心身を傷つけられています。
しかし、5人の方々は戦禍のイラクの悲惨な事態に心を痛め、ジャーナリストとして、
また草の根のボランティアとして、イラクの人々に人道支援の手をさしのべようとした
若者です。
私たちは、このように日本が世界に誇るべき方々にいわれのない非難・中傷が浴びせら
れている日本の現状を憂えるとともに、ささやかではあっても、東京大学で働く教職員
の良識において、日本人の人道精神をイラクの人々へ届けた5人の方々とその家族の皆
様に敬意を表し、激励したいと考えました。また、5人の方々への不条理な非難・中傷
を一刻も早くなくすよう、政府、マスコミ、そして国民の皆様に向けて緊急のアピール
を出すことにしました。
そして、このアピールを5人とそのご家族の方々に届けるとともに、政府各機関、マス
コミにも伝えたいと考えています。
大変、急なよびかけではありますが、皆様のご賛同を心よりお願いする次第です。どう
かよろしくお願いいたします。
(注)今週中には公表したいと考えています。そのため、急なお願いですが、ご賛同い
ただける場合は、極力、4月23日(金)正午までに、qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.
jp へご返事を下さいますよう、お願いいたします。
2004年4月21日
よびかけ人
小野塚知二(経済学研究科)
小森陽一(総合文化研究科)
○ 醍醐 聰(経済学研究科)
野村剛史(総合文化研究科)
横山伊徳(史料編さん所)
市野川容孝(総合文化研究科)
○ 代表世話人
*賛同登録は、氏名、所属、氏名公表の可、不可を必ずお書き込み下さい。
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緊急アピール
イラクで人質になった方々の活動に敬意を表し、これらの方々への非難・中傷を直ちに
止めるよう訴えます
東京大学教職員有志
イラクで人質となった方々が解放され国民が安堵しているさなかに、政府、一部マスコ
ミの間で、これらの方々の「自己責任」を追及する意見が声高に叫ばれています。さら
に、人質となった方々の過去の経歴なるものをあげつらって、いわれのない誹謗・中傷
が行われています。5人の方々のイラク入りについては、その状況判断に問題がなかっ
たか、議論がありうると思います。しかし、考えてみて下さい。巨大な情報収集能力を
持つアメリカ政府でさえ、あのイラクで取り返しのつかない誤算を繰り返しているので
はないでしょうか。今回の人質事件に関して、その背景的状況を抜きにして論点を「自
己責任」にずらしてしまうのは問題のすりかえであり、矮小化であると、私たちは考え
ます。
そもそも、5人は戦禍のイラクの悲惨な実態を世界に伝えるために、また、戦争・貧困
・環境破壊に苦しむ人々を支援するためにイラク入りしたのです。フランスのルモンド
紙は、人質となった方々のことを「犠牲となっている人々に手を差しのべた」、「戦争
、暴力、非寛容を拒否する思想の伝達者である」と報じました。
アメリカのパウエル国務長官も、「危険を知りながら、良い目的のためにイラクに入っ
た市民がいることを日本人は誇りに思うべきだ。」「『危険をおかしてしまったあなた
がたの過ちだ』などと言うべきではない」と語っています。
こうした海外の論調をみても、5人の方々は日本人の勇気ある人道精神を世界に知らし
めた、誇るべき若者といえるのではないでしょうか。
また、人質となったある方は、「それでもイラクの人を嫌いになれない」と語っていま
す。この言葉によって、またこの言葉に共鳴してくれるイラクの人々の力によって、む
しろ何人もの日本人の(自衛隊員を含む)命が救われている可能性すらあるのです。
にもかかわらず、日本政府や一部マスコミは「5人は政府や関係機関に多大な迷惑をか
けた」、「救ってやった」、「謝罪せよ」といわんばかりの態度です。こうした冷淡で
非人道的な態度に私たちは唖然とし、背筋の寒ささえ覚えます。
このような観点から、私たちは日本政府、マスコミ関係者に、そして国民の皆様に次の
ことを訴えます。
1.人質となった5人の方々ならびにその家族の方々へのいわれのない非難・中傷を直
ちに中止するよう求めます。
2.人質となった5人の方々は戦禍のイラクの悲惨な事態に心を痛め、ジャーナリスト
として、また草の根のボランティアとしてイラクの人々に人道支援の手をさしのべよう
とした、日本が世界に誇るべき方々です。私たちはこれらの方々の勇気と情熱に敬意を
表するとともに、政府・マスコミ関係者、そして多くの国民の皆様が5人の皆さんとそ
のご家族の方々にねぎらいと激励の言葉をかけて下さるよう呼びかけます。
以上
3 読者からの連絡 3人の家族の住所
3人の家族の住所は、そもそも、日経のWEBニュースサイトで流れたものです。
ほどなくして日経のページは、住所部分だけ削除したものに差し替えられたようです。
それがソースとなって、2ちゃんねるなどに流れたものと認識しております。
私もそのときリアルタイムで2ちゃんねるの監視をしておりましたし、貼られたハイパ
ーリンクで、日経の当該記事を目撃しました。
(残念ながら、ページを保存し忘れておりましたが。)
○○さんの写真展をやっている○○さんという女性にも、そのときメールを送ったので
すが、彼女が確認した時には、すでに削除されていたということでした。
しかし、そのとき2ちゃんねるには数多くの日経サイトへのハイパーリンクが張られ、
日経が記事を差し替えたあとからは、日経からの引用という形で住所が直接書き込まれ
ていたので、ほぼ間違いないと思います。
ですから、事実確認をしてからということになりますが、当局は、日経に事情を聞き、
事実であれば厳重注意すべきではないかと思います。
藤井啓之
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2004年4月23日(3) 任期制における業績評価も、研究者・教育者としての大学教員の仕事の時間と密接に関わる。「裁量労働制」の場合に、従来のような研究者教育者としての独自の勤務形態・仕事のあり方を認める側面では問題ないが、不当な超過勤務が「裁量労働制」の名目の元で押しつけられる可能性・危険性がある。そのしわ寄せは結局のところ、研究者教育者としての本務(研究教育時間、その準備時間、その準備エネルギーなど)に影響してくる。本務の評価が厳しくなる以上、本務を阻害する諸要因、その一つとしての超過勤務・不当な時間外勤務などは阻止することが必要になる。秋田大学の情報は、そのことを考えさせてくれる。
----裁量労働制問題------
新首都圏ネットワーク |
秋田大学の裁量労働制について(3) |
---------
2004年4月23日(2) 本学の任期制導入のあり方にも関係する大阪大学の任期制について、「全国国公私立大学の事件情報」に貴重な情報が掲載された。リンクを張ると同時に、念の為、以下にもコピーして活用させていただこう。
-------大阪大学における任期制(資料整理)--------
[任期制規程]
■国立大学法人大阪大学における任期に関する規程(2004年4月1日施行)
http://www.osaka-u.ac.jp/jp/saishin/ninki.pdf
[同大学・任期制に関する新聞記事]
教官に任期制=阪大
時事通信(2004/04/16)より
大阪大は16日、独立法人化に伴う教職員人事適正化策の一環として、現在は終身雇用となっている教官の雇用制度について任期制を導入する計画を明らかにした。大学院工学研究科では2004年度から、新規採用する教官(助手、講師、助教授)全員について5年間の任期制を導入、今後採用される教官の雇用期間は最長で2期10年までに限定される。
阪大大学院工学研究科長・馬越佑吉氏へインタビュー、「個人評価、賞与に反映」
日刊工業新聞(2004/03/29)
大阪大学大学院工学研究科は4月の国立大学法人化に合わせ組織運営・体制改革を実施する。法人化後、理事・副学長に就任する馬越佑吉工学研究科長に、組織、任期制導入、個人評価についての狙いなどを聞いた。
―研究科の体制が大幅に変わります。
「研究科長と専攻を代表する代議員で構成する代議員会で研究科運営の重要事項を決める。研究科の最高決定機関だった教授会の権限は大幅に縮小する。研究科役員会ではビジョンなどを決め研究科長、副研究科長などで構成する。アドバイザーリーボードを設けて外部人材を活用する」
―4月以降に採用する助教授・講師・助手を対象に任期制を導入します。
「任期は5年間で、再任は可能。例えば採用後に研究室に合わなかったり、成果が出なかったりすることもある。本人は懸命に研究をしており、転身の話を切り出しにくい。5年という区切りがあれば、別の大学や研究機関、企業など進路を考えるきっかけになるし、話もしやすい。企業側も仮に欲しい人材がいても声をかけにくい。もともと大学で採用した優秀な人材なので、転身するなら年齢的にも若い方がいい」
―教授への任期制導入は考えていますか。
「そういう声もあるが、教授は長期的な視野を持って研究科の運営にかかわる必要があり、ふさわしくない。教員個人の評価は研究科に新設する評価室と専攻長で評価[3]し、報酬面に反映する。評価を厳しくすることで対応する。米国を見ても教授には任期はなく、教授になるために必死に努力している」「4月から工学研究科は24専攻になるが、05年度には10専攻に再編・統合する予定。従来は事実上、各専攻で教授を決めていたが、今後は外部を含めて公募するし、専攻の再編・統合[4]により専攻内での競争が厳しくなり、教授になること自体が難しくなる」
―個人評価は報酬に反映させますか。
「個人評価は賞与に反映していく。個人ごとに環境が異なり、研究、教育、組織運営と等しく仕事はできないので、可能な部分を伸ばしてほしい。現状では外部資金を多く獲得しても報酬には反映されないが、将来的には反映させるべきだと考えている。何のインセンティブもない滅私奉公的な仕組みでは、若い人もついてこないし、人材流出を招く。ただ個人の業績に応じて報酬を増やすことは以前から可能で、運用の仕方に問題があった。今回、仕組みはつくったが、機能するかは別の話[5]。新しい研究科長のリーダーシップ[6]が求められる」
【記者の目/組織の運営で他大のモデルに】大学は研究だけでなく教育の使命があり、失敗はできず、継続制は欠かせない。法人化と今回の組織運営改革により長期的展望を持ちつつ、時代の要請にこたえる意思決定の速さ、機動性、柔軟性を持つことができる。現状の運営体制に限界を感じている他大学が改革を行う際の参考になるのではないか。
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2004年4月23日(1) またまた「割愛」にかんする衝撃的な噂が耳に入った。その噂が本当なら、商学部からはさらなる割愛で「有力」教授が去ることになるようである。関西方面の「有力」私学とのことである。教授会決定とその「たなざらし」問題、それと関連する今回の「改革」の進行の仕方、「大学像」に押し込められた不当な任期制の導入圧力とこれにたいする学内の気分、「定款」における教授会の不当な扱いなどとの板ばさみ[7]がなければ、はたしてこのような結果になったか?「改革」のあり方・進め方を考える一つの重要素材であろう。ともあれ、噂が本当なら、ご自身の決断(ベターな職場・ベターな研究・教育・生活の諸条件だとの総合判断)に基づくものであろうから、お祝いしたい。そのポストの後任はどうなるか? いい人(研究教育者として)をとらなければならないのだが、さてその条件は? 人事は教授会の同意を経ないで法人が決めてしまえる制度設計(経営審議会と教育研究審議会との権限責任関係、理事長と学長の権現責任関係など、運用次第では理事長=法人独裁体制となろう、すでに運用における民主的制度設計・従来の学則とのすり合わせさえも考えようとしない思考停止状態も見られる)なので、同意調達のない上意下達の一方的な人事が形式的規定にしたがって官僚主義的に強引に進められれば、大学内・学部内はバラバラになるであろう。
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2004年4月22日(3) 歴史学研究会は緊急に、大学「改革」の特別歴史学研究会シンポジウムを開くことになったようだ。以下に、その情報をコピーしておこう。
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新首都圏ネットワーク |
歴史学研究会シンポジウムのお知らせ |
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2004年4月22日(2) 大学の使命・理念を考えさせてくれる感動的な二つの文章をいただいた。コピーしておこう。行政主導でつきすすんできたために「プラクティカルなリベラルアーツ」以外に大学・新学部の「基本目標」がないとされる以上、その現実を直視する必要がある。「人類は自らの解きうる課題しかおのれに課さぬ」といわれる。本学の到達点、本学関係者の力量総体で「解き得る課題」はなにか? いずれにしろ、本学の「国際総合科学部」の理念は、今後、本学大学人の総力を集める形で、まさにカリー氏のような発想で練り上げられ、鍛え上げられなければならないのだろうが、さてどうなるか?
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━ AcNet Letter 100 【1】━━━━━━━ 2004.04.22 ━━━
IDE-現代の高等教育 Vol 57 No.
3(2004.3), p2-3.
巻頭言「人文科学の復権?」
ウィリアム・カリー氏(William Currie, 上智大学学長)
(IDE分冊購入問合.. IDE 事務局
03-3431-6822)
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(抜粋)
「・・・・・・大学教育に変化が起きていることで、予期せぬ
産物があるとしたら、それは人文科学(あるいは教養教育)ヘ
の興味が再燃したことだろう。大学院レヴェルで、そして学部
レヴェルでさえ専門技術を育成するプログラムが増加するにつ
れ、人文科学は釣り合いを取る力と考えられる。一般知識をも
たらし、かつ論証や判断といった知的能力を伸ばすのであ
る。・・・・・・
1990年代初頭以来、一般教育のコア・カリキュラムという発想
は、多くの日本の大学から事実上消えうせてしまった、しかし、
2年前に文部科学省の中央教育審議会が教養教育の再評価を訴
え、人文科学復権への興味が湧きはじめた[8]。
それでも、古い偏見は残っていて、大学(とりわけ国立大学)
の教育者から、一般教育科目、わけても人文科学科目は時間の
無駄だという意見がまだ聞こえてくる。高校で学んだことの繰
り返しだというのである。私に言わせれば、これは誤解もはな
はだしい。なるほど、高校でも歴史を学ぶが、人名と年号が次々
に出て来るばかりで、歴史の意味について深く考えはじめるの
は大学に入ってからである。偉大な文学作品の多くも同じこと
だと思う。鑑賞できるためには成熟が必要とされる。
もちろん、個別の学問の基礎固めを徹底的にやることも必要だ
が、広く一般的な知識、そして知識を総合するための学際的な
枠組みも、21世紀グローバル社会に生きる人々[9]には必要なので
ある。国際的視野をもった人間になるよう学生を育てないとし
たら、大学は責任を回避していると思う。くわえて、明解な文
化的アイデンティティも必要だ。創造性と総合的知識の備わっ
た、そして強い倫理観を持った人間になるためである。
このような教育を最良の形で実現するためには、人文科学をと
おしてしかなく、専門的な訓練をとおしてはできない。政府、
産業界、医学・法曹界における数かぎりないスキャンダルの実
例を考えてみよ。人文科学、とりわけ倫理学をとおして現実へ
の幅広い見方ができていたなら、こんなことは避けられたであ
ろう。
経営学の分野を例に取ろう。多くの国で、経営学教育のほぼす
べてが技術の鍛錬に向けられている。にもかかわらず、調査に
よれば、あやまち−−−経営的にも、道徳的にも−−−を犯す
経営者たちは、技術的知識が足りなくてあやまちを犯すことは
めったにないという。あやまちを犯すときには、人間関係の綾
と、実際的な知恵に欠けるのである―――アリストテレスが
「思慮分別」と呼んだものである。
経営の指導者たち、そして政府、教育、法律、医学の指導者た
ちには、道徳的理性を教えなければならない。歴史・哲学・文
学・宗教・論理学を学ぶことが必要なのだ。つまり、人文科学
教育、全人間的教育である。・・・・・・
こうした教育は、専攻分野にかかわ らず個々の学生が基本的な
世界観と価値観を獲得し、それによって現代社会の多様な問題
に応えられるようにするためのものである―――「他者のため、
他者とともに生きる人」[10]として。
長い問、人文科学は大学社会において病人あつかいされてきた。
ゆるやかに死に向かっているなどと言う口さがない者もいる。
しかし、家族であるはずの国々が徐々に崩壊し、民族・宗教に
よる閉鎖的なサブ・グループが作られ、互いに反目しあうなか
で、人文科学は諸文化の出会いのための素晴らしい土台たりう
ると思う。また、人々をつなぎ合わせ、共通の価値や習慣を見
出すための結合力でもあり、文化の一国支配にも対抗しうる。
この大学改革の年に、できるかぎり多くの大学が、日本の高等
教育における人文科学の復権を念頭に置くことを切に願う。」
━ AcNet Letter 100 【2】━━━━━━━━━━ 2004.04.22 ━━
嶋田英輔氏(前職 長岡技術科学大学経営情報系 教授)
からのお便り紹介
Date: Tue, 20 Apr 2004 06:42:20 +0900
(Revised: Wed, 21 Apr 2004 05:56:08 +0900)
──────────────────────────────
今年3月国立大学を定年退官し、不毛の議論の結果の法人化から逃
亡しました。民間企業役員、自営コンサルタント、外資企業役員を
経てアカデミズムに仲間入りしましたが、2年在職の後、拡大教授
会の退官挨拶では次のように発言しました。
「大学は社会学的にゲマインシャフトであった筈である。それが
本学は企業出身者が多いためかゲゼルシャフト的傾向が強く、そ
の傾向は法人化によってますます強化されるだろう。企業は時の
流れに従って変容する。古来大学は真理の探究という使命ゆえに
社会に存在を許許容され、その成果で時の流れを作り出してきた
のだ。だからこそ尊敬もされて来た。時の流れに乗ることとが社
会の要求であるならばそれを強化することは必要なことだが、時
の流れを作り出すことが忘れられては大学の意味は無い。それは
もう企業でしかない。この両面をどのようにバランスさせていく
のかが問われていると考える。教授[11]はもはや数年以内に消え去る
アンシャンレジームである。したがって今後の大学をどうするか
は若い教官や職員にかかっているといえる。大いに発言するべき
である。」
経済成長というよりは、国家や企業の生存に必要な新しい概念か製
品のみが大学に求められ、教官もそれに見合った知識の切り売りが
個人ベースで行われてきたのが直近の状況です。いまや巨大になっ
た大手企業はほぼすべての資源を有しており、生存に必要な新製品
のアイデアのみが不足しているのです。
私も企業にいて大学を必要としたのはまさにそのような時でした。
またそのような要請に対応可能な概念や新技術のみがもてはやされ
ているのも事実です。そのようなものを提供する人材が大学にいな
いとなれば、自ら研究所を作り、基礎研究をさえ自前でやるように
なっています。合目的的研究のみが必要とされ、研究馬鹿や理論馬
鹿の存在を許さない社会になろうとしています。何事も事をなした
人は馬鹿みたいに努力をしたのでしょう。しかしこうした馬鹿が生
み出してきた成果が時の流れを作り出し、その結果、その馬鹿が急
に天才に昇格するというのが、従来からのパターンでした。企業は
そのような馬鹿がリーダーであるときは成功を収めますが、歯車と
しての馬鹿は切り捨てられる可能性が高いのです。それが経済合理
性の求める姿だからです。
在職中は、成績だけでなく一芸に秀でた学生の入学も許可しようと
主張して来ました。そこに馬鹿の存在の可能性を期待したからです。
研究馬鹿や理論馬鹿こそ大学の中で庇護され育成されねばならぬ筈
です。それこそが天才を育てる基礎になるのです。大衆はカミオカ
ンデには興味を示しても中性粒子に質量があるのかどうかは、商品
に反映されるまではまったく門外漢なのです。小柴先生の偉業は豊
かな時代の国と東大という権威が守り育てた結果でしょう。
ルネッサンスを支援したメジチ家とか、日本では本田宗一郎を育
てた藤澤氏や、井深大を育てた盛田氏のような存在が、今後大学に
も必要になります。
国は財政的苦境からその立場を捨てました。
国立だろうが私立だろうが、大学はそれを建てたところの要請に
逆らうことは困難でしょう。しかし大学本来の理念とは何だったの
かを、国民須らく考えねばならない時期であることだけは事実のよ
うです。大学もそれに応えて変容する気構えが必要でしょう。
しかしどんな時でも、時の流れを作り出す素地を残すことを、主
張しようではありませんか。
企業出身者といえども、大学を効率だけでは見ていない者が居るこ
とを申し上げました。
-----------
2004年4月22日(1) イラク問題と関連して、人質バッシングが横行している。権力・武力を持たない市民の立場から、イラクの人々に貢献しようという平和主義的なボランティアの人が人質となり、その平和主義的な人道支援がイラクの民衆と武装勢力に理解されて解放されたことが、ブッシュ政権とそれに追随して派兵する小泉政権には都合が悪いということなのだろう。この関連で、東京大学の新しい動きが伝わってきた。本学から東京大学に移った小野塚知二氏が名を連ねているのはうれしい驚きだが、それに都立大学を考える集会で感動的な話をした小森陽一氏、さらにわたしにとっては意外な人物として醍醐聡氏(世話人代表)までもが呼びかけ人となっている。醍醐氏は、地方自治体の財政・会計の杜撰さ[12](バブル期の大量土地購入、その塩付け、その財政負担の解明)を批判する研究者として存じ上げていたが、今回の人質バッシングにも抗議する研究者であったのだ。そのアピールをコピーしておきたい。同じ動きは京都精華大でもあったようで、その記事もコピーしておこう。社会の民主主義と大学の民主主義は、原理の点でお互いに補完関係にあるだろう。社会と孤立した大学内だけの民主主義の展開はありえないだろう。イラク派兵は憲法問題であり、憲法違反が厳しく問題にされている。大学「改革」でも、問題になっているのは、研究教育に対する法人・理事長の権限の強さ(行政権力者の大学介入・大学支配の可能性と問題性)など「大学の自治」「学問の自由」の問題であり、憲法問題・民主主義の問題である。
-------「意見広告の会」ニュース136--------
** 目次 **
1 東大教職員の緊急アピール(「全国国公私立大学の事件情報」4月22日付参照)
東京大学の教職員の皆様へ
緊急アピール
「イラクで人質になった方々の活動に敬意を表し、これらの方々への
非難・中傷を直ちに止めるよう訴える」へのご賛同をお願いします。
イラクで人質となった5人の方々が無事解放され帰国されたにもかかわらず、政府や
マスコミの一部では、これらの方々とその家族の方々の「自己責任」が声高に叫ばれて
います。さらに一部では、5人の方々の過去の経歴なるものを持ち出して、いわれのな
い非難・中傷さえ、なされています。そのため、一足先に帰国された3人の方々は、人
質の体験に加え、こうした冷淡で非人道的な非難・中傷によって精神的に追い詰められ
、心身を傷つけられています。
しかし、5人の方々は戦禍のイラクの悲惨な事態に心を痛め、ジャーナリストとして
、また草の根のボランティアとして、イラクの人々に人道支援の手をさしのべようとし
た若者です。
私たちは、このように日本が世界に誇るべき方々にいわれのない非難・中傷が浴びせ
られている日本の現状を憂えるとともに、ささやかではあっても、東京大学で働く教職
員の良識において、日本人の人道精神をイラクの人々へ届けた5人の方々とその家族の
皆様に敬意を表し、激励したいと考えました。また、5人の方々への不条理な非難・中
傷を一刻も早くなくすよう、政府、マスコミ、そして国民の皆様に向けて緊急のアピー
ルを出すことにしました。
そして、このアピールを5人とそのご家族の方々に届けるとともに、政府各機関、マ
スコミにも伝えたいと考えています。
大変、急なよびかけではありますが、皆様のご賛同を心よりお願いする次第です。ど
うかよろしくお願いいたします。
(注)今週中には公表したいと考えています。そのため、急なお願いですが、ご賛同い
ただける場合は、極力、4月22日(木)までに、qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp
へご返事を下さいますよう、お願いいたします。
2004年4月21日
よびかけ人
小野塚知二(経済学研究科)
小森陽一(総合文化研究科)
○ 醍醐 聰(経済学研究科)
野村剛史(総合文化研究科)
横山伊徳(史料編さん所)
市野川容孝(総合文化研究科)
○ 代表世話人
*賛同登録は、氏名、所属、氏名公表の可、不可を必ずお書き込み下さい。
緊急アピール
イラクで人質になった方々の活動に敬意を表し、これらの方々への非難・中傷を直ちに
止めるよう訴えます
東京大学教職員有志
イラクで人質となった方々が解放され国民が安堵しているさなかに、政府、一部マス
コミの間で、これらの方々の「自己責任」を追求する意見が声高に叫ばれています。さ
らに、人質となった方々の過去の経歴なるものをあげつらって、いわれのない誹謗・中
傷が行われています。5人の方々のイラク入りについては、その状況判断に問題がなか
ったか、議論がありうると思います。しかし、考えてみて下さい。巨大な情報収集能力
を持つアメリカ政府でさえ、あのイラクで取り返しのつかない誤算を繰り返しているの
ではないでしょうか。今回の人質事件に関して、その背景的状況を抜きにして論点を「
自己責任」にずらしてしまうのは問題のすりかえであり、矮小化であると、私たちは考
えます。
そもそも、5人は戦禍のイラクの悲惨な実態を世界に伝えるために、また、戦争・貧
困・環境破壊に苦しむ人々を支援するためにイラク入りしたのです。フランスのルモン
ド紙は、人質となった方々のことを「犠牲となっている人々に手を差しのべた」、「戦
争、暴力、非寛容を拒否する思想の伝達者である」と報じました。
アメリカのパウエル国務長官も、「危険を知りながら、良い目的のためにイラクに入
った市民がいることを日本人は誇りに思うべきだ。」「『危険をおかしてしまったあな
たがたの過ちだ』などと言うべきではない」と語っています。
こうした海外の論調をみても、5人の方々は日本人の勇気ある人道精神を世界に知ら
しめた、誇るべき若者といえるのではないでしょうか。
また、人質となったある方は、「それでもイラクの人を嫌いになれない」と語ってい
ます。この言葉によって、またこの言葉に共鳴してくれるイラクの人々の力によって、
むしろ何人もの日本人の(自衛隊員を含む)命が救われている可能性すらあるのです。
にもかかわらず、日本政府や一部マスコミは「5人は政府や関係機関に多大な迷惑を
かけた」、「救ってやった」、「謝罪せよ」といわんばかりの態度です。こうした冷淡
で非人道的な態度に私たちは唖然とし、背筋の寒ささえ覚えます。
このような観点から、私たちは日本政府、マスコミ関係者に、そして国民の皆様に次
のことを訴えます。
1.人質となった5人の方々ならびにその家族の方々へのいわれのない非難・中傷を直
ちに中止するよう求めます。
2.人質となった5人の方々は戦禍のイラクの悲惨な事態に心を痛め、ジャーナリスト
として、また草の根のボランティアとしてイラクの人々に人道支援の手をさしのべよう
とした、日本が世界に誇るべき方々です。私たちはこれらの方々の勇気と情熱に敬意を
表するとともに、政府・マスコミ関係者、そして多くの国民の皆様が5人の皆さんとそ
のご家族の方々にねぎらいと激励の言葉をかけて下さるよう呼びかけます。
以上
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Kyoto Shimbun 2004.04.19 News |
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人質ら批判 直ちにやめよ イラクで人質となり解放された日本人とその家族に対し、政府や与党内などから批判が起きている問題で、京都精華大(京都市左京区)の教員有志は19日、「個人の立場で人道支援を担った人に対する不当な扱いで直ちにやめるべきだ」とする緊急アピールを発表した。小泉純一郎首相や各政党、大学などに送付する。 人文学部の辻節子助教授(英語学)らが呼びかけ、19日までに19人の教員が賛同人に署名した。一部メディアやインターネット掲示板などで、拘束された日本人へのひぼう中傷が起きていることを批判。「自らの信じるところに従って行動した人をたたくのは止めよう」と呼びかけている。 辻助教授は「国際法違反のイラク侵攻と憲法違反の自衛隊派遣がそもそも問題で、支援活動に向かった民間人が批判されるのはおかしい」と話している。
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2004年4月21日 大学の自主・自立・独立を掲げた「独立行政法人化」が、実際には行政の大学統制を強化する方向(民主主義原理の抑圧、憲法が保障する大学の自治・学問の自由の抑圧の方向)に進むのではないか、と各方面で危惧されているが(その現象もいくつも見られるが)、パレスチナ問題、イラク問題は、独立・自主・自律という民主主義原理に関する根本的問題を提起している。イスラエルの「国家テロ」にたいして批判的なエジプト・ムバラク大統領がルモンドのインタヴュー(国立大学独立行政法人化の諸問題で知った)に答えていうように、「不公正感」、「不公平感」はテロリズムのもっとも根底にある原因の一つだろう。
さて、今回のわが大学の改革には「公正感」や「公平感」はみなぎっているだろうか?
本学学長は、「新しい動きに批判はつきもので結果で証明するしかない」として、「結果」を問題にしている。問題は、その「結果」を生み出すためのシステムにある。大学人が希望と公平感・透明感を持って仕事に励むことができるような制度設計かどうか、任期制など、全くその後、どのように検討がすすんでいるのか、どのようになるのか情報がない。そうした制度設計の一つ一つはまだ未決定(すくなくとも本学の一般教員には未知のこと)である。「結果」を生み出すためのシステム構築は、まだまったく不透明である。
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2004年4月20日(2) 『東京新聞』の市大に関する特報記事が出た。総合理学研究科・佐藤真彦教授のHPで紹介されているが、ここにもコピーしておこう。下記の記事のなかで、責任ある学長の発言には、―今後、学長が否定したり、東京新聞に公開の抗議声明を出して修正を求めたりしないかぎり、学長発言と受け止めておくしかないが―、直視しておくべきいくつかの問題点が含まれている。いちばん問題だと思われるのは、「市長の指示は答申を忠実に実行した上で、それを踏み越えた良い案を考えろという意味に受け取った。答申の骨格概念『プラクティカルなリベラルアーツ(実践的な教養教育)』に不必要に反対しても、他の教育目標がなかった」という箇所だろう。今回の改革が理念なき改革だということ、少なくとも学長が明確な基本目標を提示しえないままに、「あり方懇答申を踏まえ」てしまい、行政(市長・大学改革推進本部)・大学事務局責任者主導で、行政主義的な改革が進んだということを認めているところであろう[13]。
これは、市立大学の歴史(大学にたいする市当局の態度にもかかわらず積み重ねられた大学人の長期の奮闘、国際文化学部と理学部への分離独立のための努力、学術文化の研究教育の高度化に伴う大学院修士課程の創設、ついで大学院博士課程の創設、木原や鶴見の研究所・連携大学院などの創設、看護短大の創設と4大化への持続的努力)、学則の第1条(大学の使命)とその実現のための長年の大学人(教職員と学生・院生)の努力をきちんと歴史的に総括していないことの現われではないだろうか? 先人の努力を無視する発言ではないだろうか? 大学の歴史をまったく知らない外部者と「落下傘」官僚による作文(座長私案に典型的集約的に露呈、それを学長は今回の発言でも「多少ピントはずれ」程度にしか受け止めないのだが)にすぎない「あり方懇談会」答申の傲慢な内容に服した発言ではいだろうか? 「あり方懇答申」に憤激[14]して「市民の会」(会長:長谷川洋・本学名誉教授)が立ち上げられ大きな運動となったことの根本的な意味が、学長には理解されていないことが、あらためて浮き彫りになっているといえよう。
「新しい動き」には、歴史が示すように、否定的側面と肯定的側面がある。いかなる「新しさ」なのか、問題はそこにある。克服すべき古いものはなんだったのか?骨格理念が『プラクティカルなリベラルアーツ(実践的な教養教育)』でしかなかったという根本的な問題への批判は、正当ではなかろうか? 今回の改革における具体的なものが、合理化・事務室統合による人員削減にあわせた3学部の1学部への統合にしかなかった、それだけを押し切った、大学院に関してもその理念と新しい構成もまったく議論されず、博士課程の縮小(ないし廃止)という事務的形式的なところの結論だけが先行したという問題性をどのように考えるのか?
新しい大学院も学部統合に合わせて人文社会科学と総合理学を統合した国際総合科学研究科とされるようだが、それも、3月末にはじめて打ち出されたことではないか。博士課程創設から、その維持のために大変な努力がなされ、そのために(種々の反対の気分に抗しつつ)公募して採用した博士課程担当教員が瞬く間に去っていくという事態になったことは、どのように総括すべきなのか? 大学人が直面している問題は山積している。
-------『東京新聞』2004年4月20日付--------
特報 カリキュラム変更で競争力強化?(Pdf.版)
波紋広がる横浜市立大
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040420/mng_____tokuho__000.shtml
カリキュラム変更で競争力強化?
波紋広がる横浜市立大
来年度からの独立行政法人化に向けた横浜市立大学改革に、現場の動揺が続いている。「科目などが減らされ、自分の専攻課程がなくなる」と在学生間で不安が広がっているためだ。学部削減やカリキュラム変更の不透明さに不満も募る。「改革は実質的に中田宏市長のトップダウンで、現場の声を反映していない」との批判が出るなかで、改革が目指す「競争力のある大学」に生まれ変われるのか−。(藤原正樹)
「日本史専攻だが、必要な基礎科目の古文書学もなくなる。ゼミ専任教授が定年で非常勤になり、本年度中は教えてくれるが、その先は分からない。ゼミごと消滅する恐れがあり、卒論の指導は受けられるのか」。国際文化学部三年の男子学生(21)は悲観的だ。
不安の要因は、改革に伴うカリキュラム変更の不透明さにあるようだ。横浜市大学改革推進本部が先月二十五日に出した「コース・カリキュラム案等報告書」では「社会情勢の変化、学生のニーズで(専門教養)コース改廃を一定期間ごとに検討する」と打ち出した。新カリキュラムは来年度以降の入学者が対象だが、在学生にとっては、自分が受けている授業がなくなるとの不安がある。
大学は、学生に対し学長名で「教育課程修了に必要な科目の提供については、在学期間中保障する」との文書を配布したが、「担当教員が辞めたらどうなるか分からない」(前出の学生)からだ。
同大改革は、全教員の任期・年俸制や複数学部の二学部統合などで「教養教育の充実で、もっと社会から評価される大学」を目指す。だが、改革内容に「大学の文化や学問の自由の危機」などと教職員らが反発。学生たちの間では、反発から辞める教員が続出するのではと懸念が広がっている。
■博士課程制限で「人文系つぶし」
また改革案ではそもそも基礎教養科目自体が削減される。ある理系教員は「(削減で)数学の体系的な研究教育は消滅する。数学は諸学問の基礎で、最先端技術も数学なしでは成り立たない。目先の利益だけを優先した視野の狭い改革でしかない。辞める教員もでるだろう」と批判する。商学部二年の男子学生(20)は「数学は経済学の基礎で、しっかり身につけたかったのに…」と憤る。
大学院のカリキュラムも文系学生の選択肢を狭める内容に変わる。前出の報告書では「文系の大学院博士後期課程は指導教員が責任を持てる範囲に学生数を絞る」と制限した。
「横浜市大を考える市民の会」副代表で同大講師(ドイツ文学)の遠藤紀明氏は「研究者を目指す文系学生は前期課程だけで辞めると、大学院に入った意味がない。教員免許は英語・理科・数学だけになり、国語・社会は取得できなくなる。大学院に進む文系学生が激減する可能性が高く、『実用的でない人文系つぶし』の狙いは明らか」と指摘する。
実際、国際文化学部博士課程一年の女子学生(26)は「自分の専攻課程が残るのかどうか不安で、大学院進学を希望していたのに就職した知人が多数いる。一橋大などの大学院に移った人も同じ理由だ」と改革を敬遠する学生もいるようだ。
教員流出の懸念は大学院も同じだ。同課程一年の別の女子学生(28)は「市大教授は実力のある人が多く、他大学に移る例も多い。研究に打ち込むには、長い学問の蓄積がある環境が必要なのに、改革案はその環境を壊すものでしかない」。経済学研究科博士課程の男子学生(26)も「大学院入試で希望指導教員を指定するが、入ったら目当ての教員がいない例が増えている。ゼミ指導教員の変更も多く、就職の世話をしてもらえるのか」と不安がる。
実際、商学部専任教員でみると、定年の三人を含め十四人が辞めたが、補充は一人だけだ。市大教職員組合は「心から改革に賛成している教員はいない。転籍先なしに辞めた教員が二人いるが、改革に憤り大学を飛び出した形だ。複数の理系教員も転籍を希望している」と実情を語る。遠藤氏は「新カリキュラムの実施で、基礎教養系教員の解雇が進むだろう」と予想する。
■予備校は冷淡「進学勧めない」
この状況に、ある大手予備校は「先行き不透明な市大への進学は勧められないと指導している」と冷淡だ。河合塾の滝紀子西日本大学事業部長も「高校の進学指導教員も市大を積極的に勧められないでいる。在学生の不安の方が大きいだろう」と分析する。
動揺が収まらない現場に小川恵一学長は「学生、教員が改革を不安がるのは、理解不足にすぎない」と言う。だが、改革手法に疑問の声が上がる。
市大改革は大学の「プラン策定委員会」がまとめたが、中田市長の諮問機関「市大あり方懇談会」が昨年二月に出した答申に沿ったものだ。この動きを教員側は「市長は『その答申を踏まえた』改革を市大に指示した。さらに答申では『大胆な案が出ない場合(廃校も含めた)別の選択肢も考える』と明言し、大学に答申通りの改革案を出させた」(遠藤氏)と主張。改革論議に現場の声が届かず、改革内容が「実質的に中田市長のトップダウンで決められた」と批判している。
これに対し、小川学長は「(六年前ごろからの)市大内の議論では学部ごとのセクション意識が強すぎて、改革案がまとまらなかった。その弊害を乗り越えるにはトップの実行力が必要だ。学外から異質の考え方を入れると、多少ピントはずれでも緊張感のある議論の素材になる。改革が進むなら中田市長のトップダウンで構わない」と市長の意向を受けての改革案づくりだったことを認めた。
さらに小川学長は「市長の指示は答申を忠実に実行した上で、それを踏み越えた良い案を考えろという意味に受け取った。答申の骨格概念『プラクティカルなリベラルアーツ(実践的な教養教育)』に不必要に反対しても、他の教育目標がなかった」と、答申を受け入れた経緯を説明する。
大学が出した改革案はほぼ答申通りの内容になったが、学長は「答申を踏まえて自由な議論ができた。市長とは人格と人格のやりとりでまとめた改革案で、間違いない。『競争力のある大学』に生まれ変わる。新しい動きに批判はつきもので結果で証明するしかない」と強調した。
■基礎教養の削減「逆行している」
だが、独立法人化に伴い大学運営を評価するため、今年三月に発足した大学評価学会の運営委員で名古屋大学大学院の池内了教授(天体物理学)は、こう危ぐする。「国立大法人化で幅広い視野を持った学生を育てようと、基礎教養課程を拡大する動きがあるが、市大の改革は逆行している。あの改革内容でリベラルアーツの看板を掲げるのには疑問を感じる。就職に有利な教科を強化し、即戦力の学生をつくるのが目的だ。これでは研究の質が落ちて“大学の格”が下がる。市大から優秀な教員や学生がいなくなり、つぶれてしまうのではないか」
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2004年4月20日(1) 都立大学の評議会の様子、およびそれに関する教職員組合の見解を入手した。以下にコピーしておきたい。
------「意見広告の会」ニュース134--------
*AcNet Letter 98 が「イラク人質自己責任論」批判の特集をしています。
以下をご参照下さい。
http://letter.ac-net.org/log.php
** 目次 **
1 都立4大学 この間の経過と組合の見解
2 人文学部教授会見解
3 フランス・その後
1 組合の見解
残された時間はわずか
新大学実現を望むなら、管理本部は態度を改め、ただちに大学と「協議」を開始せよ
──この間の経過と、組合の見解
都立大学茂木総長は4月13日の定例評議会において、4月8日付大学管理本部長文書
にある四大学総長・学長懇談および第7回教学準備委員会をめぐる事実経過について、
その誤りを指摘する報告を行うとともに、4月15日部長会において前日(4月14日)に
行われた管理本部長との会談について報告を行いました。これらは4月15日定例教授会
を通して、都立大学各学部・研究科に明らかにされました。
「本部長文書には「協議」「単位バンク」などで重大な誤りがある」
─3.29教学準備委員会について
評議会には、3月29日の教学準備委員会に都立大学から参加したメンバーを中心に開
かれた部長会懇談会で行われた“3月30日付総長文書と4月8日付管理本部長文書の異
同の確認”の結果が報告されました。その内容はおおよそ以下の通りです。
1 3月23日四大学総長・学長懇談の概要については、すでに4月9日に都立大学全
教員宛に送付した文書(「十分な協議」が確認されたなどとする総長文書)の通り
である。
2 第7回教学準備委員会の内容については、以下の通りである。
@単位バンクについて、組織案として委員会で了承されたという事実は全くない。
多 くの疑問・質問が出され、部会長が答えたものの、その回答は多くの委員の納
得を得られず、検討・審議を継続することが確認された。
A大学院WGの報告では、部会長が大学院には研究者養成機能を持たせる、大学院
部局化を行うと述べた。その際に、大学院部局化を行うと決定機関に参加できない
教員が出てくることについての可否が部会長より問われたが、2名の委員がそれは仕方
がない、了解していると答えた。
B「都市教養学部」の学部名称については、4月2日付学長予定者・管理本部長宛
都立大総長「意見と要望」の通り(多数の委員から「総合教養学部」への変更を
求める意見が出されたにもかかわらず一任後の座長判断で「都市教養学部」に決められ
たことへの違和感)である。
C経済学コースの取り扱いについては、「全員が意思確認書を提出してきた場合に
限り」という記述は不正確である。「何人が出したら」というように言われても
困ると大学管理本部長が発言したにとどまる。なお、総長は経済学グループのメンバー
は新大学において研究、大学院等の重視がおこなわれるかどうかを主に問題にしている
という発言をした。他方で、定数問題が新大学に行かない理由となるのは理解できない
、経営コースと経済学コースの間の定数配分をいじるのであれば賛成できないという発
言があったのも事実である。
D今後の進め方について、現大学の意見は総長・学長を通じて「必要に応じて反映
させる」としている部分は、「必要」を判断する主体が明確でなく正確でない。
大学の代表たる総長・学長等と「開かれた協議」「十分な協議」を行っていくことを確
認した。
E都市政策コースの記述に関しては、この件は会議資料にもなく、記憶が定かな委
員 からは報告も審議もなかったとされている。
3 第3項目(法人化・人事制度)第4項目(教学に関する質問等の多かった事項)
に 関しては、どこかで決定したことを書いているのか、大学管理本部として考えを
述べたに過ぎないものか、あるいはそのいずれでもないのか、記述の根拠が不明である
。
また併せて事務局長より、4月8日付管理本部長文書は、3月30日付総長文書の内容
について他の3大学学長より認識が異なるとの意見があったために出したものとの管理
本部長からの説明があったことが報告されました。
「開かれた協議を行え」「意見はきくが現大学代表とは協議しない」
―4.14総長・本部長会談
部長会で報告された、4月14日の都立大総長・管理本部長会談の内容は以下の通りで
す。
第一に、管理本部長は「意見を聞き話し合いを行うことについては否定しないが「協
議」については合意はない」としました。これに対して総長は、「開かれた協議を今後
行うということでよいか」と確認を求めたが明確な否定はなかったこと、現大学代表者
である総長・学長と話し合うということが協議であることを主張しました。しかし本部
長は「協議」についてはあくまで認めず、この点は物別れに終わりました。しかし、総
長から意見を聞き話し合うことは行うとし、その際、新しい教学準備委員会に総長等を
加えるか、総長・学長懇談会で行うかは双方で検討することとなりました。
第二に、指名による新学部長予定者らで構成が予定されている新しい教学準備委員会
について、総長は現大学の学部・研究科等を代表する人文学部長等のメンバーを加える
べきことを主張しました。本部長は現大学の代表者との協議を行わないという原則は崩
せないと述べる一方で、総長の推薦については真摯に検討するとしました。
第三に、単位バンクについて総長は、学位設計委員会および科目登録委員会の役割は
ともに教育課程編成そのものに関わるので、教授会のもとにおくかなくすべきことを主
張しました。
第四に、都市教養学部等の編成について総長は、学系・コースを学科・専攻に改める
べきことを主張しました。
第五に、大学院部局化について本部長は、部局化については一度も認めていないと述
べる一方で、そのような方向をとる可能性についても示唆しました。
第六に、暫定大学院人文科学研究科長予定者について本部長は、総長に指名を求めま
した。これに対して総長は、指名は大学になじまないと主張するとともに、今回の学部
長予定者の指名についても学内で多くの疑義がでていることを述べました。
第七に、総長はこのままでは意思確認書を取り下げる等の動きが学内に出てくる可能
性があるが、これを総長として押さえることができないことを指摘しました。
最後に、4月16日または19日に再度総長・学長懇談を行うことを本部長が提案、総長
もこれを了承しました。
以上の都立大学執行部からの報告に関して、教職員組合中央執行委員会の見解は以下
の通りです。
1.現実に教育研究を担う教員との協議を相変わらず拒否したまま本申請が強行される
なら、現在と未来の学生に取り返しのつかない禍根を残すことになります。「形だけ」
の教育課程設計に終わるのか、教員の意欲と熱意をそこにこめるのか、今が最後の機会
です。大学管理本部は「協議はだめだが話し合う」などという支離滅裂な言辞を弄さず
、ただちに「現大学の代表との開かれた協議」を表明するべきです。そして、組織的で
迅速な意見の集中が可能な学部、研究科の代表による教学準備委員会で、杜撰で危険な
単位バンクやコース制の徹底的な見直しを開始すべきです。この点で組合は総長の主張
を全面的に支持し、その実現を管理本部に要求するものです。
2.「協議」の重要ポイントとして、私たちは大学院の設計をとくに重視します。それ
は、新大学の性格を左右するからです。これまでも主張してきたように、教育と研究が
一体となって推進される総合大学として発展するためにも、また不当に抑圧や切り捨て
の危機に瀕している人文・社会科学や理系の一部の高度な研究体制を保障するためにも
大学院の部局化を明確にするべきです。同時に、今後の検討を実のあるのものするため
に「指名」による委員ではなく、全大学全研究科の代表による設計委員会とすべきです
。
3.この「指名」問題は、その重大さにおいて「意思確認書」に勝るとも劣らない、大
学の民主主義をめぐる試金石となっています。なんら根拠もなしに一方的に「指名」さ
れた「新学部長・研究科長予定者」が教員組織を代表するものと認めることはできませ
ん。組合は、法人化された国立大学の学長があらためて信任を問うたように、何らかの
方法で教員組織の信を問うことを要求します。また、この手続きなしに「指名」だけを
根拠とした教学準備委員会には強く反対します。
4.都立大事務局長の言ったように、科技大、保科大、短大の学長が3.30総長文書
が事実と異なると主張したのが事実であるなら、三学長はただちに、総長と同様に見解
を公表すべきです。重要なことが二点あります。ひとつは、大学の代表であるなら、そ
れぞれの教員組織に重大な会談、会議の内容を逐一報告すべきだということです。それ
ともこの間の懇談会、拡大教学準備委員会、経営準備室運営委員会等にはまだ「個人」
で出ているのでしょうか。二つめはさらに重大で、三大学の学長の異論の結果出された
、「現大学を代表する者との協議は行わない」という管理本部長の言辞を許容するのか
否か、という問題です。もし許容するなら、みずからを選出した教員を愚弄しているこ
とになり、大学人としてとうてい許し難い態度です。三大学学長がただちに見解を公表
することを求めます。
5.新大学の構成が決定されようとしている現時点でも、助手の処遇について何らの検
討がなされていないことに強く抗議します。研究条件はもとより「単位バンク」によっ
て実験実習科目の実施体制も非常に不透明になり、さらに大学院の設計内容によっては
将来の展望すら奪われかねない立場の助手への配慮と要望の受け入れをただちに行うよ
う、管理本部ならびに各大学執行部に要求します。
6.すでに明確に表明しているように、組合は「新制度」なる任期制・年俸制には反対
しており、同時に昇給、昇任のない「旧制度」も認めません。これらは明らかに、勤務
、労働条件の変更であり組合との交渉事項です。したがって、これらがすでに決まった
かのごときいっさいの言説は不当であり、無効であることを改めて強調しておきます。
「移行型法人」であることは誰もが認めており、であれば、現行の労働条件の切り下げ
は法の趣旨に反しているのです。総長は、教学の観点から、就任承諾書提出への危惧を
表明していますが、組合は、勤務、労働条件未確定のままでは就任承諾書提出要求は不
当であり、またその提出は、なんら実際の就任を約束するものではあり得ない、という
ことを管理本部にあらためて警告するものです。
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2004年4月19日(2) 都立大学の人文学部教授会が声明(4月15日付)を出した(「国立大学独立行政法人化の諸問題」4月19日付・掲載)。行政の一方的なやり方にたいする抗議であり、今後の展開を考えるばあい、重要な論点を含んでいる。リンクを張っておこう。
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2004年4月19日(1) 奈良教育大学の教員組合が国立大学法人としての新たな出発に当って、「未来を切り開く」見地からの素晴らしい声明を公表しているのを知った。社会の多様な組織・機関のなかで、大学が固有に持っている中心的使命、すなわち「真理の探求」を真正面に据えて、大学を発展させていこうとするものである。それこそが、社会貢献であり、人類(地球)貢献・市民(地域)貢献の基礎にある。「学問の自由」といい、その制度的保障としての「大学の自治」といい、それらはまさに「真理の探求」のための前提条件であり、「真理の探求」、「真理の発見」こそが人類に貢献することを人類が幾多の悲劇・負の経験をとおして深く洞察したものであろう。すべての判断はこの真理探求を軸として行われなければならないだろう。大学における自由で創造的な研究と教育の中心におかれるべきものは、まさにこの「真理の探求」以外にないだろう。そのことを、上記声明は明確に指摘している。そのときどきに支配的となっている考え方、その時々の多数派がもっている思想やその時々の学界を主導する学問、その時々の政治社会状況は、常に人類のそのときどきの歴史的到達点を示すものである。人類がまだ幾多の点で野蛮の時代にあることは、イラク戦争、パレスチナ紛争、地球環境破壊など現代世界の抱える幾多の問題が示しているとおりである。その意味で、人類の現在の到達点が発展的に乗り越えられなければならない水準にあることは、まさに現在の世界の諸問題・悲劇的諸事件が公然と人類に対して提起している。人類は、人類史(地球史)の続くかぎり、そうした到達点を常に乗り越え、発展的に解決していかなければならないであろう。その意味で現状の問題点を直視し、現状・到達点の諸問題を批判的発展的建設的に克服すること、「未来を切り開くこと」、その精神が、大学の真理探求の基本にある。現状に安住し、現在の「権力」や「財力」、多数派に無批判的に追随するのであっては、大学の根本的使命を果たすことにはならない。声明に共感し、ここにリンクを張ると同時に、煩を厭わず、以下にもコピーしておこう。
大学に働くもの、大学で研究教育に従事するものに対して、雇用不安の脅かしで、自由に発言すべきことを押さえこむとすれば、大学は死んでしまうであろう。時々の行政当局、さまざまな意味で権力・財力を持つものにたいして自由に批判できる環境こそ、真理探求の不可欠の条件である。アカデミック・ハラスメントが云々される。その意味では、大学の教授陣も、新たに採用される助手、講師、助教授にたいしては、一面では権力者の立場にある。したがって、任期制などの導入に際しては、慎重な評価基準、公明性と透明性のある評価システムがまず構築されなければならないだろう。そうした慎重な合理的な制度設計を抜きにして、安易に任期制を導入してしまうと、大学の自由な研究教育はなくなろう。大阪大学でも大学院工学研究科が新任の人事において任期制を導入することになったようである。前提としての評価・審査の公平性・透明性・客観性を担保する制度は構築されているのであろうか? 医学系や理科系では、任期制の導入が進んでいるように思われるが(本学でも、文科系は全員任期制反対の教授会決議などを挙げているが、医学系やその他の理科系では反対決議はないようである)、それは、業績審査などが公平・透明・客観的という保障があるからだろうか? 自然科学系は、世界標準が確立していて、世界的基準での透明で公平な業績審査が可能だということか? 本当か? 任期制でも若い人びとは萎縮しないで研究出きるということか? 5年や6年の中期目標・中期計画で大学の研究が縛られて、自由な長期的スタンスの研究はできるのか?若手が任期制で縛られて可能か? 大学評価学会創立大会で益川氏が発言していたように、長期的な評価基準がないと、日本の科学研究は駄目になってしまうのではないか? たしか、湯川秀樹氏などは基礎物理学研究所における任期制ポスト(任期制導入)に反対ではなかったか? すくなくとも文科系は、人間関係の対立的敵対的諸現象をも扱う以上、評価が非常に難しい(客観性透明性などの確保が難しい)といえるのではないか? 政治・社会の諸現象は、たくさんの宗教やたくさんの政党などが厳然として存在していることから見ても、なかなか単純なものさしでははかれないのではないか? 社会が対立的敵対的であることを認めたうえで、そのいずれの立場も存在できるような場として、そのいずれの立場もみずから信じる真実・真理を、事実と論理という科学・理性の方法・手段で自己主張できる、自由な発言の場が保障される、というのが大学でなければならないのではないか。
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新首都圏ネットワーク |
真理の探究を存立の根拠として −奈良教育大学の新たな出発にあたっての声明− |
[1]試験問題は、公的な批判に耐える公正妥当なものでなければならず、その学問的科学的な公的な公然たる試験問題の批判は必要不可欠であるが、それと出題者を明らかにして出題者を多様な社会的政治的圧力(非学問的圧力群)に直接さらすこととは別のことである。
[2] 弱いもの、マイノリティの民主主義的権利を大学が否定しては、大学の存在価値はない。学問芸術各分野の最先端は必然的に単数・少数者であるからである。
研究ではなくて「教育に重点を置く」という精神が、実はこうした大学の本来的使命(学問芸術等の最先端を探求するという使命)を無視し、わかりきったこと常識化したことを「教える」という傲慢な、高みにたった、古い固定した観念に基づくものであるとすれば、大学改革を語る資格はないといわなければならない。
[4] 教授ポストを減らすということで競争を激しくするのは、全体的な科学技術の発展からすると問題ではないのか?
教授ポストひとつひとつが厳しい競争と社会的(日本と世界)基準で選抜されることは大切だが、教授ポスト自体を減らすということと日本の科学技術の向上とは一致するか?
[5] まさに、これこそ大問題。
[6] 独裁的リーダーシップと民主的リーダーシップがあろう。
権限だけが教化された研究科長が、「独裁的」であれば、自由な生き生きとした科学の発展は期待できないだろう。(もちろん、「民主的」という場合にも、悪くすると、「衆愚的」に堕落する危険性もある)
[7] わたしの思い過ごしかもしれないが、額の縦皺の数がこの一、二年多く深く長くなったように感じていたので、噂が本当なら、そこに「板ばさみ」の苦痛を感じざるを得ない。
「割愛」によって新しい職場に移るのだとすれば、任期制問題(若い人との板ばさみ)に悩む必要もなく、数年前までの明るい雰囲気を取り戻されるのではないか。
[8] 時期的附合から考えて、このあたりが、本学の「教養重視」の改革路線の発信源であろう。
[9] 社会史的必然性。
[10] 市場関係、商品の生産・交換・消費が全世界的になってきた(グローバルになってきた)以上、生産諸力・科学技術の発達で必然的に、ますますグローバルな取引関係・相互依存関係となる以上、日本で生産するものは世界のいたる所で消費され、日本で消費するものは他人・他国・他地域・世界のいたるところで生産されたものとなる。世界的分業関係の進展は、まさに世界の人々が相互に「他者のために」生産し、「他者とともに生きる」人となることを求めている。社会史的必然性!!
[11] 「教授会」か?
[12] 市立大学の累積債務は、病院建設、大学の新しいキャンパスの購入など、少なくとも学術的に長期的に市民・日本・世界に貢献するはずのものだが、バブルに乗った膨大な土地購入とその負担はどうか?
バブル期の市政の失敗(膨大な財政負担)を、大学「改革」などを喧伝することで、隠蔽する構造がありはしないか?醍醐氏の何冊かの本(横浜市の塩付け地問題も扱っている)に目を通しながら、それを考えたことがある。
[13] 目標(3学部統合、独立行政法人化)を決めたら、議論が大きくならないうちに、しゃにむに電撃的にことを進めてしまえ、というのは、誰の方針・誰の手法だったか? 昨年5月から10月末までの経過が、じっくり検証されなければならない。
[14] 最近、「あり方懇答申」にあらためて目を通してみたが、ひどい内容だと感じる。現段階の「改革」が。この「答申」の酷さから幾分なりとも距離ができているところは、各教授会・研究科の決議や批判・要望書類、教員組合や「市民の会」をはじめとする多くの人々の批判のたまものというべきだろう。