2005年8月の日誌
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8月31日(2) 先日、朝日新聞の「反時代的蜜語」だったかの記事に、靖国神社への首相参拝に独自の見地から反対している梅原猛氏が、ユクスキュルの『生物から見た世界』岩波文庫を紹介し、日本と世界に普遍的に見られるアニミズム(一つの世界像のあり方)とその環境問題での意義を述べていた。まったく知らない本だったので早速注文し、入手した。すこし読んだだけだが面白い[1]。
著者はエストニア出身[2](1864年9月8日生)で、大学卒業後、ドイツに赴き、ハイデルベルク大学のキューネのもとで研鑚を罪、1907年(43歳)、ハンブルク大学で学位を得たという。しかし、教職は得られずフリーの身で研究をつづけたという。「フリーの身」でとはいった何をしていたのか?62歳(したがって1926年、ワイマール期)になってやっと私的に作られた「環世界研究所(Institut
fuer Umweltforschung)」の名誉教授に招かれた、と。
本書は1933年に執筆され、ナチ政権誕生直後の1934年にドイツで出版されている。日本では1942年に訳され、訳者の日高敏隆氏は学徒動員の工場で読んだという。一筋縄ではいかない歴史的現実の複雑多様さを感じる。
専門研究者の間では周知の本だったかもしれないが、この岩波文庫版(岩波文庫版は今年6月に出たばかりのようで手元の本は2005年7月・第2刷となっている)を通じて多くの人が科学的洞察を手に入れることになれば、すばらしい。地球上の多様な生物のそれぞれの次元における主体性(彼らそれぞれ独自の世界像=環世界)、主体としての知覚(それぞれの主体なりの世界像=環世界)・行動を明らかにした最初の人のようである。これも、生物学における天動説(客観的機械的環境説)から地動説(主体的能動的生物的創造的環境世界説)への転換の画期をなす本なのであろう。
人類も、自分たちが作り出した工業・科学技術文明が資本主義的市場経済の元でどのような地球環境を作り出してきたか(破壊しているか)の世界像を次々と明らかにしつつある。その世界像は、たとえば、核爆弾大量保有を必要と認める列強の世界像である。これに対置する人類のもう一つの世界像は、いまだ大きな力(列強・世界の核廃絶を実現するに足る力)になり得ていない。日本は、アメリカの「核の傘」にたより、冷戦体制の崩壊で可能になった軍事費削減化の方向(ドイツなどはその方向を歩んでいる)をきちんと歩んではいない。
日本人が、主体的に軍事費削減の方向を歩むのかどうか、どのようなアジアと世界の秩序を創造していこうとするのか、これが国家財政のあり方に関わってくる。憲法を改正して現在の自衛隊を正規の軍隊にしてしまうことを、アジアと世界はどのように見るか?日本がどのような世界秩序を作り出そうとしていると見るか?
世界大戦の影響、戦後の冷戦体制で踏みにじられた日本国憲法9条を日本人の主体的努力で、むしろ生き返らせる方向で、世界政策を進めていくのか?
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8月31日(1) 大学に働くものの自由で創造的な研究教育活動にとっては、経営者による独裁体制(ひそかな形態を含めて)が横行してはならない。鹿児島国際大学の事例は、経営者サイド(それに従う研究教育者サイド)が、学校教育法等諸法律を侵害するかたちで起きた問題である。その判決があったようで、このかぎりで、司法はこの段階ではまだ生きている、との感想を持つ。
今回の問題は、人事問題であり、「大学の自治」、「学問の自由」の根幹に関わる。
本学の場合、今回の裁判で問題になったような「選考過程、教授会審議、運営等」の問題は、どうなっているか?
定款、学則等、およびその運営規則、実施規則と実際のプロセス(参加する人間が誰か、だれが選抜したか、その資格と権限は?)が、憲法や学校教育法に合致しているかどうか、これが問題となろう。どのような規則(だれがどこで決めたか?)に則り、どこで何を審議し決定したか、その各プロセスの記録が、「大学の自治」、「学問の自由」の見地(それを法制化した憲法、学校教育法体系)から、重要になってこよう。
この問題は、新規採用人事だけではない。教員組合の団体交渉記録によれば、今年度中には再開されるという「昇格」「昇任」人事にも関わってくるきわめて重要な大学のシステムの根幹に関わるものである。だれが、どのような規則と基準に基づいて、どのように審議、決定したかのすべてのプロセスが問題となる。憲法、学校教育法に照らして一つ一つを検証しなければならないだろう。
その場合、きちんと諸規則が決められるまでは、長年、憲法と学校教育法に基づいて制定され運用されてきた人事規則(旧学即規定、教授会規則その他)を適用する必要があろう。独立行政法人へ移行した国立大学法人では、教授会が残っており、その審議権が維持されているようであり、そうしたやり方を適用すべきであり、拙速な恣意的な人事案件処理がなされては、大学はもたない。
---「全国国公私立大学の事件情報」----
祝 全面勝訴!
8月30日午後1時10分,鹿児島地裁の第206号法廷において,鹿児島国際大学三教授不当解雇事件の判決が出されました。原告三教授側の全面勝訴となりました。以下が,判決の主文です。まだ,判決文全文は入手できておりませんので,入手しだい掲載します。
今回裁判となった3教授への不当懲戒解雇は2002年3月31日に発生しました。地裁での本訴勝利まで,約3年半(日数にして上の最新情報欄にもあるように1248日)かかりました。その間,仮処分裁判も含めて4つの裁判をたたかいました。いずれも勝訴しております。今回で5連勝目です。今後,大学理事会側の控訴をめぐって予断を許しませんが,大きな世論で控訴を断念させていきたいと思います。どうか,ご支援をよろしくお願いいたします。
なお,本件不当懲戒解雇において,学校法人津曲学園(鹿児島国際大学)理事会,そのうち主導的な役割を果たした現理事長菱山泉(元学長=元京都大学教授)および理事伊東光晴氏の責任は極めて大きいものがあります。
1.原告らが、被告に対し、それぞれ雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。
2.被告は、平成14年4月から本判決確定の日まで毎月20日限り、金**円、原告馬頭忠治に対し金**円、原告八尾信光に対し金**円をそれぞれ支払え。
3.被告は、平成14年6月から本判決確定の日まで毎年3月、6月及び12月の各月末限り、原告田尻利に対し金**円、原告馬頭忠治に対し金**円、原告八尾信光に対し金**円をそれぞれ支払え。
4.原告のその余の請求をいずれも棄却する。
5.訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は、第2項、第3項に限り、仮に執行することができる。
このように,学園側の主張をことごとく退けた完全勝利の判決内容でした。
この判決を受けて,原告三教授は,声明を発表しました。
本日,鹿児島地方裁判所は,津曲学園理事会のわたくしたちに対する懲戒解雇処分の無効を宣言いたしました。
2002年3月末に解雇されて以来,3年5ケ月が過ぎました。この間,本件に関連して4件の裁判の結論がすでに出ています。裁判所は,いずれの裁判においても,わたくしたちの主張を認め,学園側の主張をことごとく斥けました。ところが,学園理事会はこれらを謙虚に受けいれることなく,本訴においても,いたずらに時間を空費させ,裁判を延ばしてまいりました。懲戒対象者という汚名を被ったわたくしたち,とりわけ家族は,これまで屈辱と辛酸の毎日を余儀なくされているのです。
本日の判決は,これまでの裁判の総決算であり,仮処分決定とはその重みにおいて,同列でないこというまでもありません。津曲学園は,いまや社会から,公教育に関わる学校法人としてのありかた自体が問われているのです。学園理事会が,この判決を厳粛に受けとめて,今度こそただちに解雇処分を撤回するとともに,原職への完全復帰を認めることを,わたくしたちは強く求めます。
最後に,わたくしたちを支援し,激励してくださった学内外の皆様に対し,衷心から感謝の意を表すとともに,ひきつづき原職復帰までご支援いただくようお願い申しあげます。
同時に,「鹿児島国際大学三教授を支援する全国連絡会」も,次のような声明を発表しました。
本日、鹿児島地方裁判所は、原告の訴えを全面的に受け入れ、解雇無効の判決を言い渡しました。2002年3月の学園側の懲戒解雇処分が不当であるとする三教授の主張が認められました。
事件は、鹿児島国際大学経済学部の採用人事をめぐる選考過程、教授会審議、運営等に不正があったとして、学園側が三教授を一方的に解雇したことにはじまるものでしたが、勝訴判決は、当初より私たちが主張してきたような、学園側の処分の不当性を明らかにしてくれるものであり、歓迎するものであります。
私たちは、三教授のご家族のこれまでの奮闘に敬意を表すると同時に、地元鹿児島の「国際大学身分を守る会」をはじめ全国の多くの支援者とともに、この勝訴判決をこころより喜びたいと思います。また、終始、粘り強くご協力いただいた増田博弁護士をはじめとする弁護団に深く感謝するものであります。
被告学園側に対して、私たちは以下のように要求します。
1.この判決を誠実に受け入れ、三人の教授を現職にただちに復帰させること
2.三教授を復帰させるとともに、鹿児島国際大学を民主的で自由な学園にするようにつとめること
3.三教授の名誉を傷つけてきたことに対して謝罪すること
4.全教職員、学生および保護者を含む学園関係者に事件の真相を説明すること
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8月30日 昨日の外国人記者クラブでの各政党の党首会談のテレビ報道を見た。年金問題・高齢化問題、少子化問題、アジアと世界のなかでの日本の問題(象徴的事件としての「靖国問題」とイラク派兵問題)、それらすべての財源問題(国家の大規模な負債と増税問題、法人税等の増税・累進課税か消費税か)、その背後にある人間生活のあり方の問題(非正規雇用、非正社員・派遣労働者の増加、彼らの不安定な雇用状態と無権利状態、長時間労働)など、国民が熟慮すべき問題があることだけは、わかったといえよう。21世紀の世界との関係のあり方(核爆弾所有列強の支配や単独行動主義か、国連の民主化を踏まえた世界政府化か)も問われている。
アメリカだけから(単なるリップサービスで)支持されるような常連国入りは、アジア諸国からすれば、日米軍事同盟(といっても対等ではなく、従属状態、中国・韓国・ロシア・東南アジア諸国などからみれば日本の心底からの自主性と独立性の見えないもの)のシステム維持の方便としか見えないだろう。憲法9条を改正して自衛隊を正式に軍隊として海外派兵を行うとすれば、それもまた現在の対米従属の軍事同盟の枠内であることはだれの目にも明らかだろう。かつて、日本は日独伊軍事同盟で第二次世界大戦(対米英戦争)に突き進んだ。当時のドイツ第三帝国が世界強国だと見誤ったからである。アメリカの問題性をしっかり批判できるような自律性がないかぎり、アメリカの単独行動主義に振り回されて、再び大きな過ちを繰り返さないとも限らない。すでにイラク開戦へもろ手を上げての賛成を世界的にアピールしたのは、小泉首相ではなかったか?
昨日のNHKテレビ・ドイツ語講座でドイツ人の平和研究の第一人者が、ドイツが苦闘しながら戦争責任を直視し反省してきた実績にたって、アメリカが原爆投下の非人道性・戦争犯罪性やベトナム戦争の問題(謀略のトンキン湾事件、民族独立の武力による抑圧)、イラク戦争(大義なき開戦、国連における圧倒的支持のない開戦、フセイン政権とアルカイダとの関連性の欠如など、もろもろの先制攻撃の違法性)などについてきちんとアメリカ国内で反省していないことが問題だ、アメリカ国内からその批判的克服がなされなければならないと指摘していたが、さすがだと感じ、共感した。
もちろんその問題(過去の戦争に関する責任問題)は、アルジェリア戦争やベトナム解放戦争ならフランスに、インド独立問題などに関してはイギリスにおいていかに反省されているかが、問われなければならない。要するに、世界史における帝国主義支配や植民地支配がもつ共通の問題性・相互連関の批判的解明、ということになろう。
戦勝国が自らの問題を帝国主義や植民地主義の批判の普遍的物差しでどこまで克服しえているか、という問題である。国連の民主化はこの見地からも、なされなければならないだろう。「勝てば官軍」の状態では、世界の普遍的な共感を得ることはできない。
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8月29日(2) 郵政民営化が、米国企業の利益である、というのは米国大使館のHPで公然と述べられていることである。「日本経済のため」とは、何か。日本国民のため、とは書いていない。さすがに、よその国のことであり、自国の巨大な財政赤字からしても、「小さな政府」のためとは書いていない。
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II. 日本郵政公社の民営化
日本郵政公社の民営化が日本経済へ最大限の経済的利益をもたらすためには、意欲的にかつ市場原理に基づいて行なわれなければならない。真に市場原理に基づいたアプローチというものは、様々な措置の中でも特に、日本郵政公社に付与されている民間競合社と比べた優遇面の全面的な撤廃を通して日本の保険、銀行、宅配便市場において歪められていない競争を確保することを含まなければならない。これらの優遇面は、米国系企業および日本企業の双方にとって同様に、長年の懸念となっている。経済財政諮問会議は、9月10日に発表した「郵政民営化の基本方針」において、「イコールフッティング」の確立および日本郵政公社と民間企業との間の「競争条件」の均等化の重要性を確認することにより、重要な一歩を踏み出した。経済財政諮問会議の報告書ではさらに、2007年の民営化開始当初から(民間企業と)同様に納税義務およびセーフティネットへの加入義務を負うことや、郵便保険および郵便貯金商品について政府保証を廃止するとの明確な措置を確認した。米国政府は、これらの具体的な提言を歓迎し、それが日本郵政公社の民営化のための法律に反映されるよう求める。
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8月29日(1) 佐藤真彦先生のHPで、今日はとくに醍醐聡氏の論説「小さな政府論検証シリーズ(1)」が興味深かった。シリーズに期待したい。次のロビンソンの言葉ははじめて知った(少なくとも私の記憶には残っていなかった)が、大変興味深く、共感する。また、引用されている統計(各国における政府部門の比重を示したOECDの統計資料)も、有益であった。
「小さな政府」はもちろん新自由主義の中心的政策。問題は、それで、どのような自由、何の自由が実現されるのかということ。国立大学法人法、公立大学法人法による大学の「独立」行政法人化が、はたしていかなる意味の、いかなる内実の「自由」と「独立」を創造しているか? どのような主体、どのような勢力の、どのような自由なのか? 「長期的不況」(大々的リストラ)のもとでの毎年何万人もの自殺は、彼らの「自由」か?
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元一橋大学学長で、1947年、片山哲内閣の下で経済安定本部次官となり、第1回経済白書(「経済実相報告書」)を執筆した都留重人さんは、自著『経済の常識と非常識』(1987年、岩波書店)の冒頭で、「なんのために経済学を学ぶか、それは、経済学者にだまされないためだ」という、イギリスの理論経済学者ジョーン・ロビンソンの言葉を引用している。
私は近年、日本の経済学者が唱和した規制緩和論、公的年金民営化論などを聞くたびに、都留さんのこの言葉を思い起こした。昨今の郵政事業民営化論の背景にある「小さな政府」論(政府の規模は民間と比べて小さいことが望ましいという主張)についても、同じ感想を持っている。
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「経済学」といっても、ペティ、スミス、ケネー、リカードなど「経済学」の歴史が示すように、さまざまの潮流がある。ロビンソンは果たしてどんな学者のウソを暴いたのか?
たとえば、「付加価値」(法人企業統計における使い方)は最近良く使われる言葉である。「付加価値の高い商品」「付加価値を高く」など。しかし、付加価値とは何か、その元になるべき「価値」が何なのか。その言葉・概念の背後にある実体は何なのか[3]、こうしたことは、ちょっと経済学辞典を調べてみるとわかるが、通常の「経済学」では明らかにされていない(一方では不問に付され、他方では多義的に曖昧に使われ、商品・サービスの使用価値と価値、効用と交換価値とがごっちゃになっている)。それらの最も根本的概念が、多くの場合、たんに貨幣額・通貨額表示で現象的表面的に表現されているに過ぎない。貨幣(通貨)とは何か。貨幣が表現する実体は何か? その根本のところで、「経済学」は問題をはらんでいると考えられる。ただ、醍醐氏の論説は、「経済学」のその根本問題にまでさかのぼるものではないようであるが。
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8月26日 平安女学院大学移転問題・就学権問題に関し、関西で放映されたニュース(大津地裁が中心)を動画にしたサイトが作られた。一般公開ではないということなので、興味のある方は、大学人の会の署名活動の中心になっている片山さん(「全国国公市立大学の事件情報」管理人)に問い合わせていただきたい。
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8月25日 毎日のように佐藤真彦先生のHPを拝見し、いろいろ貴重な情報を得ているが、「郵政民営化法案」の背後にあるアメリカの政府・財界の戦略に関する論評(アメリカが進める日本改造 関岡英之(2005.8.24))を紹介されているのが面白く、リンクをはっておきたい。
特に注目した個所は、次のところである。オリジナルの文書にあたったわけではないが、米国政府が日本国政府の長に対して「指示した」という文言の露骨さに驚いた。これは驚くべき(いや日本政府の対米従属の現実そのままの)露骨な表現ではなかろうか。
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つまり、アメリカの要求は官が保険会社(簡保)を経営することを禁止しろ、と言っているわけです。また、政府系企業に対して外資が参入できるように、経営参画できるようにせよ、と。要するに、買収できるように環境を整えよと、すでに十年前から要求してきているわけです。
その後、一九九九年には、「現在の制度を削減、叉は廃止すべきかどうか検討することを強く求める」と、だんだん具体的かつ踏み込んだものになってきます。そして二年前の二〇〇三年度版になると個人名が出てきます。
「米国政府は、二〇〇七年四月の郵政民営化を目標に、小泉首相が竹中経済財政・金融担当大臣に簡保・郵貯を含む郵政三事業の民営化プランを二〇〇四年秋までに作成するよう指示したことを特筆する」
アメリカの政府文書で個人名が出てくるのはとても珍しく、わざわざ「竹中」という名前が出てくるので、ここで敢えて引用させていただきました。
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しかし、談合摘発など、アメリカ政府の圧力がなければ、法制化できない、摘発できないという日本全体の民主主義の成熟度はいったいなになのか?
日本全体の民主主義が萎縮し押しつぶられているところに、アメリカ(政府・財界)がみずからの利益のため(「国際的金融資本の自由と民主主義」、「国際的民主主義」とでもいうべき一側面・一要因)の要求を出し、それが日本の押しつぶされた民主主義を、さしあたりアメリカ政府・アメリカ財界(特に金融資本)の論理を刺激剤として、限定的な限りで、アメリカ政府・財界(とくに金融資本)の許容範囲で生き返らせるという従属的民主主義の要素がある。日本においてアメリカ資本の自由な活動を可能にするという意味での自由主義と民主主義!
日本政府・日本財界の対米従属性は世界でも類を見ないであろう。
そうした従属的な日本政府と日本財界が、ひとたび日本国民に対しては完璧なまでの支配体制を敷いている。小選挙区制・二大政党制は、自民党と民主党のどちらに転んでも保守勢力・アメリカ追随派が多数を確保できるシステムであろう。それは、現在の憲法改正派(9条改悪・軍隊保持の憲法上の合法化を推進する勢力)が支配する体制であり、自衛隊の公式の軍隊化であり、アメリカに従属しつつ海外派兵を拡大していく道なのであろう。
日本政府・日本における大企業・大資本の支配する非民主主義体制(政府・大企業・大資本の国民支配)に対して、それにすこしの風穴を開ける可能性が外部からの圧力しかないという情けない日本(民主主義)のみじめな状態を象徴するかのごとくである。
21世紀の日本は、これまでの60年間の体制、冷戦体制下で支配した体制をつづけていいのだろうか。これが問われている。
それを改革する真の意味での構造改革は、冷戦体制下で踏みにじられた日本国憲法の原則に立ち返り、憲法9条堅持(その世界化)の精神に沿って平和主義の体制を樹立していくことではないだろうか。
それにしても、立命館大学も様変わり(「全国国公私立大学の事件情報」8月25日付け)。いやかねがねその膨張主義的変質が大学人の間でうわさにはなっていたが、相当なところまで来ているようだ。これまでの発展を支えてきた学内基盤を切り捨ててトップダウンでやるのは、意思決定だけは速やかかもしれないが、その後が問題になろう。
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8月23日 教員組合の団体交渉の結果の報告がやっととどいた。文言をめぐって相当紛糾したようである。
学校教育法、その上位にある憲法などに照らして、教員組合がこれまで繰り返し指摘してきたように、現在の学則(教授会の位置付け、任務その他)は重大な問題を抱えているが、何か大きな問題が出るか、あるいは何年かして、大学としての内実(研究教育の自主的自立的機関としての実績)の問題性がはっきり露呈するまで、このまま突っ走ることになるのだろうか。カリキュラムに関する問題なども、正式の教授会の議論とはならない構造となっている。代議員会では何が議論されているのであろうか?
回答にある「プラクティカル・イングリッシュ進級条件500点」に関する答え方を見ても、現場無視、実態無視ではないかと思われるが、回答を見る限り、このままいくようだ。これは、この間の改革のやり方の問題性(制度設計に自主的自立的組織としての教授会が参加していないこと) をもっともはっきりと検証する問題の一つになるであろう。
教員の評価問題でも、佐賀大学の場合、教授会で審議し、評議会で審議するというオーソドックスな審議手順、法律に基づいた進め方となっているようだが、本学の場合は、そのようなシステムにはなっていない。少なくとも一般教員には何がどのように検討されているのか、その検討過程に参加する機会(審議権をもって)はない。きまったものが「上から」「外から」提示され、それに従わされるだけ、ということか。そのような屈辱的なことでは、大学の自主的で創造的な発展などありえないだろう。この点も今後問題となろう。
教員の発言権、決定への参加権・審議権が剥奪されて(下部基礎単位「教授会」の学則上の位置付けの欠如、全体教授会に対しては代議員選出というきわめて間接的なもの、しかも教育研究審議会等の任命が決定への教員の民主的参加を欠如した「上から」となっていることなど)、大学の主体の一員とみなされていることになるのだろうか?
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横浜市立大学教員組合週報
組合ウィークリー
2005.8.23
もくじ
● 第1回団体交渉の内容
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第1回団体交渉の内容
前号でお伝えしましたように,7月28日(木)に新組合として第1回目となる当局との団体交渉が行われました。当局側からの回答と交渉により確認された内容は,以下の通りです。この記録の細かい文言をめぐって,組合と当局側との折衝が難航し,最終的な調製までに多大の時間を要しました。このため,組合員の皆様への報告が大幅に遅くなったことをお詫び申し上げます。今後は速やかな報告ができるような方式を考えていきたいと思います。
平成17年7月28日教員組合団体交渉回答
T.団体交渉のルールについての要求
(1) 適切な責任者の出席
団体交渉に当たっては、内容に応じて責任ある判断を下すことが出来る当局代表者が出席すること。
回答:労使間の課題に関しては定期的に協議会を開催して意見交換を行い、どうしても妥協できないものの場合のみ団体交渉を行う。
また、交渉の場で「団体交渉は、しかるべき責任者が出席する」ことが双方によって確認された。
(2) 交渉の項目・誠実交渉
横浜市立大学教員組合が、教育・研究労働者の労働組合であるという特殊性に鑑み、以下の課題について当局が誠実に交渉に応じるよう求める。
1.教員の待遇、勤務条件、教員の人事制度に関する事項
2.教員の教育・研究・診療活動に関る事項
3.教員の大学運営への参加(大学行政)に関する事項
回答:民間企業では経営管理問題は交渉しないこともあるが、市大では教育・研究の分野について多くの人に関わりのある場合は交渉対象とし、少数の場合は団体交渉の対象とはしない。
U.当面の要求
(1)教員の評価制度・人事制度に関する要求
1.教員評価制度の構築に当たっては、公正かつ客観的な評価制度を設計する観点に立って、評価を通じて不当な差別が行われないように確約することを求める。具体的には、評価項目の設定及び評価作業を恣意的に行わないこと。例えば、育児休暇、産休、介護休暇の取得など正当な権利行使をマイナス評価しないこと。
回答:現在の評価制度を使い勝手の良いものに改善したい。公正かつ総合的な評価とするため恣意的な評価は行わない。また、育休などではマイナス評価しない。
また、交渉の場で「留学などの学外での研究等についても、育休と同じようにマイナス評価しないこと」が双方によって確認された。
2.教員採用人事の透明性を保障するために以下の措置を要求する。
@ 人事委員会規程及び採用人事にかんする規則を明示すること。
A 新規採用人事についてその方針の適切性を検証できるよう、採用分野、担当科目等の決定理由を学内に公表し説明すること。
B 応募状況、審査経過等につき審査報告書を作成し教員組織及び必要な学内関係組織に公表すること。
回答:規則など公表できるものは公表する。公表の範囲は人事委員会で決定したい。
また、交渉の場で、審査については,報告書を作成して,可能な範囲で学内の教員に対して公表することを確認した。組合側は、今までは教授会で審査報告書を作成してきたことを説明したのに対し、経営側は、事務方では教授会でのやり方はわからないので教えてほしいと回答した。
3.現在凍結されたままになっている昇任人事の再開を求める。
回答:年内には実施したい。
(2)教員の教育研究条件に関する要求
1.今年度の横浜市立大学における研究戦略プロジェクト等の競争的研究経費の採択の過程と結果を明らかにすることを求める。
回答:研究戦略プロジェクト事業の公募概要は研究院全体会議(4/4開催)で説明の上、審査の手順(過程)は、公募時にホームページ上で公開しており、審査結果は、ホームページの研究情報の中で公開している。
また、交渉の場で「具体的な採用過程の公開については、どの程度可能か、検討する」ことが双方によって確認された。
2.来年度の入学試験における募集人員の変更に関し、その決定過程を説明するようを求める。
回答:募集人員の総数は変更していない。一般枠とAO・推薦の枠組みを変更した。緊急入試対策プロジェクト、入試管理委員会で検討した。
3.英語教員の教育活動に対して大学教員にふさわしい権限(単位認定権、成績評価権)を与えるべく改善策を提示することをもとめる。
回答:Practical Englishは、その科目の性格上 TOEFL500点を単位認定の基準としている。
4.現在進められている研究室再配置計画の決定プロセスを説明してほしい。また、個々の教員の研究室移動には、研究教育活動の妨げを最小限にするために、十分な時間的猶予とその支援体制を求める。
回答:教員のカリキュラム編成の協議や学生がくつろげる場所を設けるために実施する。商文棟は夏休み中には整理する。支援が必要な場合は相談いただきたい。
交渉の場で、当局側は、「教員のカリキュラム編成の協議や学生がくつろげる場所」とあるのは、「新カリキュラムに対応して、たとえば教養ゼミAのオフィスアワーに利用したり、在学生を含めた学生のミーティングなどに利用したりする」ということを指す旨の説明を行った。
5.教育・研究をサポートするスタッフを補充してほしい。
6.教員の事務作業を現場の裁量で簡素化できるところは大胆に簡素化するよう工夫を重ねてほしい。そのための「苦情処理」システムを立ち上げてほしい。
回答:具体的に指摘していただいて、個々に改善に取り組みみたい。
7.図書館の専門雑誌購入の大幅削減を直ちに改め、研究用図書館としての機能を回復できる予算措置を求める。
回答:雑誌価格の高騰と財政状況をご理解願いたい。市大としては電子ジャーナルの導入を進めている。今後は外部資金を活用するようにしたい。
また、交渉の場で「電子ジャーナルで対応しきれない面については、充実するように検討する」ことが確認された。
8.今後の専門職員の運用・配置計画について明らかにされたい。
回答:現在検討中であるが、必要な部分にはできるだけ早く専門職を充てていきたい。
(3)教員の大学運営への参加(大学行政)に関する要求
1.大学運営における現場の教員の声を吸い上げ、全教員の協力のもとに大学運営を執行できるようにするため、憲法の定める学問の自由を保障し、学校教育法を遵守して、大学運営への教員の平等な参加権を保障すること。そのために、教授会に、人事、カリキュラム作成・改正、学則の改廃その他重要な事項に関する審議権を回復することを求める。
回答:教授会・代議員会・運営会議の枠組みについては変更するつもりはないが、個々に問題があれば皆様の意見を聞きながら、改善すべき点は改善していく。
交渉の場で、当局側は、「教授会・代議員会・運営会議の枠組みについては変更」しないのは、あくまで「当面変更しない」ことを指す旨の説明を行った。
2.予算、決算、財務諸表(貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書など)、定員(常勤職員数、雇用上限数)などに関する資料を提示するよう求める。
回答:地方独立行政法人法の趣旨に添って、必要な情報はホームページで公表している。
3.全ての大学構成員が共通の情報を可能な限り共有できるようにきめ細かな学内情報伝達に努めていただきたい。
回答:既に学部長を通じて情報伝達に努めているが、今後は学内専用ホームページを充実するなど、さらに検討したい。また全教員のメールアドレスを利用するなども考えたい。
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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel 045-787-2320 Fax 045-787-2320
mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
組合HP http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
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8月22日(2) 佐賀大学・遠藤氏の個人評価に関する論考にリンクをはっておきたい。(「新首都圏ネットワーク」、「全国国公私立大学の事件情報」経由)
本学の場合、評価をめぐるシステムがどのようになるかまだ明確ではなく、教授会無視の体制が構築される可能性は大きく、その場合、問題は、佐賀大学などの比ではない。
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教員の個人評価についての遠藤論文 |
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8月22日(1) 「テロ戦争」、「9・11」の主犯とされるビン・ラディン、アルカイダの組織にアメリカなどの治安当局がスパイを送り込んでいるということ、「テロ戦争」はアメリカの世界支配のための道具作りという側面があることを指摘する田中氏の情報分析は、国連決議のないままで単独行動主義的にイラク戦争をはじめた(口実とした大量破壊兵器は存在しなかった)アメリカの権力の背後にあるものを考える一つの素材になる。
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8月18日 日本学術会議が人文社会系の業績評価のあり方について見解(42005年4月18日)をまとめていたようだ。(「全国国公私立大学の事件情報」8月18日付、経由で知った)。基本的な研究業績の評価がピア・レヴューでなければならないこと[4]、しかしそれにも人文社会系特有の文化的価値観的多様性からくる困難さがあることなど、非常に貴重なまとめがなされている。簡単に画一的な数量的な「研究業績評価」などを云々する傾向に対する厳しい批判となっている。
研究抜きの「教育重視」などという一面的発想は、もちろん、論外というところだろう。研究時間の保障とその成果の発揮としての教育の有機的連関。したがって、その研究業績の評価のあり方に人文社会系特有の慎重さが求められる。
しかし、どのように評価されるかはともあれ、各人は自らの研究教育等の諸活動について、それぞれに「このようなものだ」ということを自発的自主的に、できるだけ全面的に、しかし自分の得意を中心に、できれば目に見えるなんらかの形で、公開することは、大前提となるのであろう。
----「全国国公私立大学の事件情報」8月18日付---
以下,略
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8月15日 公共哲学ネットワークから、「平和のための結集」という提案がなされている。その具体例は、沖縄の事例のようである。日本全国の他の小選挙区でどの程度こうした沖縄の方式・事例を具体化・実現できるのかわからないが、比例区を別として、小選挙区に関しては、実現できれば、それは一つの有力な方法ではないか。現在の憲法が保障する「大学の自治・学問の自由」の擁護の見地からも。小選挙区では「平和」と「憲法」で大同団結し、比例区は小さな政党がそれぞれ自らの党で国民に政策を問う、ということが実現できれば、2大政党制の幻想(憲法の平和原則維持の点での問題)などのを打破する上で有効かも。しかるべき多くの選挙区でパワーとカリスマ性のある平和希求統一候補が見つかるといいが。
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小林正弥
公共哲学ネットワーク代表
地球平和公共ネットワーク代表
public-philosophy@mbj.nifty.com
http://homepage2.nifty.com/public-philosophy/network.htm
http://global-peace-public-network.hp.infoseek.co.jp/
【公共哲学ネットワーク/地球平和公共ネットワーク】
■8・15アピール要旨:9・11選挙では、「郵政民営化への結集」に反対し
て、「参戦」内閣に審判を下す「平和への結集」を
あの9・11に行われる選挙を、イラク派兵など「反テロ」世界戦争に対する日
本の「参戦」に審判を下す選挙にしよう。平和票の分散を避けるために、平和希
求政党や政治家は、平和統一候補を実現して欲しい。政府が「郵政民営化への結
集」を求めて分裂選挙をするならば、私達は「平和への結集」を求めて協力選挙
を実現させたい。
■9・11衆院選における「平和への結集」の訴え――平和統一候補の実現によ
り、平和問題を総選挙の最大争点に
郵政法案の否決をきっかけとする今回の衆院選挙は、日本の平和主義の運命に
とって極めて重要な意味を持っています。
小泉政権は、アメリカの主導の「反テロ」世界戦争に随従して、有事法制など
を定めて日本の軍事化を進め、イラク派兵という決定的な違憲行為を行って、平
和憲法を蹂躙しています。また、小泉首相は靖国参拝を強行して中国や韓国の反
日感情を煽り、北朝鮮問題への強硬姿勢も含めて、アジアで日本が孤立する道を
歩んでいます。しかも、アメリカを頼りにして国連安保理常任理事国になろうと
画策しましたが、アメリカは積極的に支持しようとはせず、失敗しました。この
ように、対米随従外交は悉く失敗しており、地球的な公共的利益に反していると
共に、日本の「国益」にすら反している、と言っても過言ではありません。
さらに、その標榜した「構造改革」も、恩顧主義的な利益誘導政治の改革は十
分には進まない反面、市場を絶対視するネオ・リベラルの路線は強行され、弱肉
強食の風潮が強まり、国民生活が犠牲になっています。いわば、真の理想主義的
「改革」はなされず、似非「改革」のみが実現しています。
郵政「改革」も、その内容はこのような典型的似非改革であるにも拘らず、政
権は「改革派」を装って、「小泉改革派 対 抵抗勢力・反対派」の図式を作り
上げようとしています。造反議員に非情にも「刺客」を送り込んで「郵政民営化
賛成派の結集」を演出し、郵政民営化問題を選挙の中心的争点にすることによっ
て国民の支持を得ようとしています。メディアも、この戦術に幻惑されて、政府
を改革派であるかのように報道し、しかも郵政問題についての自民党の内紛に焦
点を合わせて報道して、実質的には政府を応援しています。
しかし、今回の選挙では、平和問題を始めとする小泉政権の全政策が問われ、
国民の審判を受けなければなりません。万一、郵政問題に幻惑されて政権が敗北
しなければ、イラク派兵・靖国参拝をはじめとする軍事化が選挙によって肯定さ
れることになります。この結果、憲法改定への道が開かれてしまいかねません。
ですから、今回の選挙では、平和希求政治家の数を増やして、政権交代を実現さ
せることが必要です。民主党が単独過半数を取れなければ、野党連合政権を実現
させるべきです。
民主党は、郵政問題を中心的争点にすることに正当にも反対していますが、平
和問題を争点として積極的に取り上げようとはしていません。平和問題について
、この政党の姿勢は曖昧だからであり、選挙によってその国の最重要な問題を争
点とするという政党の機能を十分に果たしていません。
そこで、私達は、あらゆる政党・政治家やメディアに平和問題を総選挙の最大
の争点の一つにするように訴えます。選挙が行われる9・11はまさに4年前に
同時多発テロが行われた日です。この「セプテンバー・イレブンス」に行われる
選挙では、9・11を契機とする「反テロ」世界戦争に対する日本の「参戦」が
正面から問われなければなりません。
このため、私達は、平和と暮らしのために真に実効的に働いて下さる可能性の
高い方に、なるべく立候補して欲しいと思います。このために、平和を真に希求
する政党や政治家(以下、平和希求政党・政治家)が力を合わせて、平和統一候
補を実現するように訴えます。
選挙区では、2大政党化の中で、平和希求政治家が当選することは困難になっ
ています。その状況下において、平和を希求する複数の政党・政治家が分裂して
選挙を行うのは、結局は共倒れに終わる危険が高く、平和主義の観点からは自殺
行為と思われます。
参院選では、沖縄だけで平和希求候補が統一され、糸数慶子氏(無所属、社
会大衆党・共産党・民主党・社民党推薦)が翁長政俊氏(自民党公認、公明党推
薦)と一騎打ちの形で立候補し、当選しました。私達は、このような平和統一候
補が日本全体に拡大することを望んでいます。
ですから、特別の事情がない限り、共産党・社民党などの平和希求政党は、当
選の見込みのない選挙区には独自候補を立てて分裂選挙を行わずに、市民グルー
プなどと協力して可能な限り平和統一候補を実現して欲しいと思います。自民党
が「郵政民営化への結集」を強要して分裂選挙を行う今回こそ、平和志向政党や
グループは逆に統一候補を擁立して、「平和への結集」を実現して欲しいと思い
ます。
アメリカ大統領選の予備選挙などでは、当選不可能とわかった候補は順次断念して他の候補に協力します。
そこで、当選の見込みがない平和希求政党・政治家はその地区の選挙から降り
、当選可能性が相対的に高い平和希求候補者を推薦したりその候補に協力するよ
うに要望します。また、擁立・推薦を行わない場合は、平和希求政党は、自主投
票にせずに、平和を真に求めていると思われる候補者に協力するように求めたい
と思います。
このようにして、平和統一候補を実現し、平和問題を総選挙の最大の争点の一
つとして、「参戦」内閣に対して国民の審判を下すことを私達は訴えます。
2005年8月15日(終戦記念日に)
「平和への結集」有志
浅野禎信(東京平和映画祭事務局長)
天木直人(元レバノン大使)
稲垣久和(東京基督教大学)
上村雄彦(日本自立プロジェクト)
川西玲子(社会・生活システム研究室)
きくちゆみ(グローバル・ピース・キャンペーン)
小林正弥(千葉大学、地球平和公共ネットワーク)
竹村英明(平和政策塾)
平山基生(沖縄などから米軍基地をなくす草の根運動)
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8月14日 『思惟と聯流』第2号(8月15日号)が届けられていた。掲示板では気づかなかったが、研究室に届けられていたので新しい号が出たことを知った。HP開設はまだ「準備中」とのこと(臨時にスキャンしたので掲示しておこう:上半分・下半分)。興味を引いたのは、受験生激減に対する大学当局(学長以下)の努力と市長の出演したテレビ番組の動画データの大学HPでの公開、といったニュースであった。大学HPを見ていなかったので、知らなかった。当局が必死になって受験生を集めようとするその努力は必要なことであろう。
だが、それが大学内部の教員・学生をはじめとする多くの大学人の心からの支援をうけるものかどうか?
市長が直接任命した理事長、副理事長(最高経営責任者と学長)をはじめとする大学当局のこうした宣伝活動が、大学内部の下からの基盤を持っているのかどうか、これが問題だろう。まさにそれが、大学の自治、大学の自主性、自律性に深く関わってくる。
その点で、『思惟と聯流』第2号の記事「削られた数理科学、不透明な検討過程-求められる大学の「公開」-」という記事は、トップダウン「改革」が持つ学内的基盤の面での問題性を指摘しているといえよう。本当の意味で受験生が増加し、しかもその質が向上しているかどうか、そしてすばらしい学生を社会に送り出していける体制になっているかどうか、トップダウン体制、教授会無視の体制でそれが実現できるかどうか、これが今後問われつづけていくであろう。その点で、もう一点、「プラクティカル・イングリッシュ」に一面的に傾斜した教育システム、第二外国語を無視・軽視した語学教育に対する姿勢への批判的論評も、私の共感するところであった。
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8月12日 「全国国公私立大学の事件情報」で紹介されている山口県立大学の独立行政法人化にあたっての案は、人事などで教授会の自治を尊重する内容となっているようであり、本学の場合と比べると、学校教育法に位置付けられた教授会審議権をきちんと踏まえた構成になっているようである。また任期制に関しても、「特定の職を対象とした任期制」としており、本学のような無限定の全員を対象とする任期制などというものではないようである。今後どのように具体化され制度設計されていくか、注目に値する。この資料における対照表で見る限り、首大の異常さが浮き上がるように見える(昇進昇給の差別など)。
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8月10日 莫大な国家の借金(いまや800兆円とも)は、一体どうして発生したのか?借金が膨張しつづける期間、政権を握りつづけたのはどのような政党と勢力なのか? 何兆円もの国家資金を大金融機関に投じて救済することに象徴されるような財界奉仕の政治を行ってきたのはどのような政権なのか? 今回の郵政民営化は財界の団体がもろ手を挙げて賛成しているが、バブルとその崩壊・90年代の長期不況・莫大な国の借金に財界は責任がないのか? 財界こそがバブルに奔走し狂乱したのではないか? 財界(民間)の失敗の付けを国家財政に押しかぶせたのではないか?
「民間でできることは民間に」というが、本当か?
「民間でできる儲けの多い部分だけは民間に」ということではないか。
「民間」とは国民か、それとも巨大資本・金融勢力か? 「民間人」といわず「民間」というところに本音(あるいはごまかし)が表れてはいないか?
民間の人の活力は、膨大な国家の借金(迫りくる大増税)で押しつぶされようとしているのではないか?
民間人の活力を奪い取り押しつぶすような膨大な借金を蓄積するような政治(過去の責任を直視せず国民への大増税に打開を求める勢力)をこのまま続けていいのか?
多くの国民は、財政改革、政治改革をしなければならないとひしひしと感じている。しかし、この間、膨大な借金を蓄積するような政治(自分たちの失敗を国家財政に肩代わりさせるような政治)を行ってきたものが、それを実現できるのか?
アメリカ・ブッシュ政権がはじめたイラク戦争に追随荷担し、イラク占領に自衛隊を派遣しつづける政権がこのまま力をもっていいのか?
そのような海外派兵を憲法の上で合法化する憲法改正を許していいのか?
戦争責任問題を曖昧にする靖国神社参拝で、中国韓国等アジア諸国民の反日の雰囲気を打ち固めさせ、軍事力強化に向かわせ、翻って必然的に日本の軍事力増強に道を開くような政治家に政権を任せていいのか?
国連の民主的改革は、広く地球上の心有る人々の願望であり、人類と歴史の大局的要請であろう。
しかし、そのときアメリカ・ブッシュ政権だけから(分断策のために、心底からではなくリップサービスとして)支持されるような日本政権でいいのか? そのようなアメリカ・ブッシュ政権一辺倒の日本政治は、地球上の諸国民の信頼を得るものなのか? この間の「常任理事国入り」の奔走振りと空振りとは何を意味するのか?小泉政権が真の改革勢力でないことは明らかではないか?
本学元教授・佐藤真彦氏のHPに掲載された天木論評を読んでの感想。中宇の国際ニュース解説 2005年8月10日にも面白い見方(ただ、小泉政権とブッシュ政権はじめ、その支持勢力の選挙戦での力は甘く見ることはできない。ブッシュの勝利に自分の勝利を重ねてみているのではないか?)
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8月9日 先日(日曜日)の朝日「サンデープロジェクト」での亀井静香氏を「猛烈にたたく」番組のやり方(司会とコメンテーターが小泉派ばかりという構成)に、ちょっと異常さを感じていたが、背後にはアメリカ・ブッシュ政権、日本民間マスコミ界等の小泉総選挙勝利への大連合の策動があったという。たまたま見た森田実氏のテレビの朝番組(何チャンネルだったか)での発言、そのHPでの情報は、一考に値する。佐藤真彦先生のHP(05年8月)で読み、直接、森田実HPにアクセスして、それを感じた。
ブッシュ政権・小泉政権とこれに多かれ少なかれ対決する諸勢力との一大決戦ということになりそうであり、イラク侵略戦争・自衛隊派遣の是非、憲法改正問題の是非(自民党・小泉政権派が勝利した場合の改憲への強行的前進)など、郵政問題にとどまらない総合的な問題(内政外交・憲法問題)が、背景にあるといえよう。それを。郵政をめぐる問題だけに矮小化して、「民営化」賛成ムードで押し切れば、小泉独裁政権の誕生となるわけである。小泉政権にとってのアキレス腱(イラク問題、靖国問題、憲法9条改正問題)から目をそらす形で郵政民営化問題だけが争点にされると、大変なことになりそうである。
しかし、森田実氏は、5年前、衆議院議員時代の中田宏氏を高く評価している(森田実)。
その中田宏氏は確か小泉首班指名で一票を投じ、今回の郵政民営化にも賛成し、横浜市における民営化推進の新自由主義の政治という点では、国政における小泉首相と同じ路線のようである。このねじれはどうなるだろうか?森田氏(公共事業必要論)の現在の中田氏評価は、どうなっているのだろう。
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8月6日(5) 香川大学の吉田さんから「引用魔」という形容をいただいた(05/7/30)のを幸いに、久しぶりに、佐藤真彦先生のHP(05年8月)から、以下の文章を引用して、熟読玩味したい。
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【抜粋】 『天皇の玉音放送』 小森陽一 (五月書房 2003年8月15日 第1刷発行) (2005.8.3)
マッカーサー、フェラーズ、キーナンといったGHQと東京裁判検察側と、松平康昌等日本の天皇側近側が、一糸乱れぬ連携プレーによって存在しなかった、「全責任発言」を、非公式に流通させ、その実在性を証明するかのようにマッカーサーの『回顧録』が書かれ、さらにそれを傍証するような発言や回顧録を側近たちが積み重ねていく、という形で、天皇ヒロヒトの「全責任発言」が偽造され、かつ虚偽であることを確信犯的に知る人々によって「事実化」され、やがてヒロヒトの死によって「真実化」されてしまったのである。ここに、歴史を捏造することに権力者たちが成功した端的な例をみることができるだろう。
『天皇の玉音放送』 目次
第一章 二一世紀における歴史認識
新しい歴史教科書の波紋
天皇制と国体の蘇り
第二章 「玉音放送」を読み直す
ポツダム宣言から原爆投下まで
御前会議から「聖断」まで
「終戦の詔書」をめぐる攻防
「終戦の詔書」を解読する
内在させられていた歴史改竄
第三章 マッカーサーとヒロヒト
初めての「宮様内閣」
マッカーサーとの最初のかけ引き
昭和天皇とマッカーサー会見録
第四章 「人間宣言」というトリック
「人間宣言」を必要とした日本の戦後
はたして「人間宣言」はなされたか
第五章 戦後体制とは何か
憲法九条と天皇の免責
二つの独白録の疑問
現実逃避を続ける戦後体制
第六章 サンフランシスコ講和条約と日米安保体制下における象徴天皇制
踏みにじられた目本国憲法と講和条約
固められた戦後体制
この国の主は誰か
終章 我らの戦後
臨界に達する戦後体制
世界の再生に向けて
【抜粋】
第二章 「玉音放送」を読み直す
ポツダム宣言から原爆投下まで
「国体の護持」と「三種の神器」
このような状況誤認の判断がなされた最大の理由は、昭和天皇ヒロヒト及びその側近たちの関心が、いかにして「国体を護持し、皇土を保衛する」のかというところにしかなく、度重なる空襲による国民の犠牲など二の次三の次だったからである。
事実、ポツダム宣言が発せられる前日の七月二五日、ヒロヒトが木戸幸一に問いかけたのは、「三種の神器」が守れるのかということだけだった。もちろん「三種の神器」とは、伊勢神宮に「御魂代(みたましろ)」としてまつってある「八咫鏡(やたのかがみ)」と、熱田神宮にまつってある「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」すなわち「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」と、現在は行方がわからない「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」のことである。・・・
伊勢神宮が爆撃された翌日の七月二五日午前一〇時二〇分、ヒロヒトから呼ばれた木戸は、「戦争終結につき種々御話ありたる」ことに対して、次のように答えている。
「今日軍は本土決戦と称して一大決戦により戦機転換を唱え居るも、之は従来の手並経験により俄に信ずる能わず。万一之に失敗せんか、敵は恐らく空挺部隊を国内各所に降下せしむることとなるべく、斯くすることにより、チャンス次第にては大本営が、捕虜となると云うが如きことも必しも架空の論とは云えず。ここに真剣に考えざるべからざるは三種の神器の護持にして、之を全うし得ざらんか、皇統二千六百余年の象徴を失うこととなり、結局、皇室も国体も護持〔し〕得ざることとなるべし。之を考え、而して之が護持の極めて困難なる事に想到するとき、難を凌んで和を媾ずるは極めて緊急なる要務と信ず。」(『木戸日記」、東京大学出版会、一九六六)
これが、はたして二〇世紀半ばの、近代国家における大人の会話なのだろうかと疑いたくなる内容だ。「皇室」と「国体」を「護持」することが「三種の神器の護持」という論理。
「本土決戦」に失敗すれば、敵が乗り込んできて、「大本営」、すなわちヒロヒトを大元帥とする直属最高統帥機関も「捕虜」となる可能性がある。さらに「三種の神器」も守れない。すると「皇室も国体も護持」できない、だから「和を媾ずる」べきだ、ということを木戸は進言しているのだ。
答が、このような内容なのだから、自(おのず)からヒロヒトの問いも明らかになる。私の身は安全なのか、「三種の神器」は大丈夫なのか、ということを木戸に尋ねたのである。
日々空襲にさらされ、命を奪われている国民の危険など、一切関心の対象になっていない。自分の身の安全と、自分の権力を支えるための象徴的器物のことだけが心配なのである。
さらに背筋が寒くなるのは、明治天皇以来、「帝国臣民」を国家に動員するために新たに捏造された建国神話の宗教的な呪縛に、その権力の中枢に身を置いている者自身が、それこそ骨の髄までからめとられてしまっている、という事実である。
このときから六日後の七月三一日、ヒロヒトは木戸に次のように語る。
「種々考えて居たが、伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思う。而しこれを何時御移するかは人心に与うる影響をも考え、余程慎重を要すると思う。自分の考えでは度々御移するのも如何かと思う故、信州の方へ御移することの心組みで考えてはどうかと思う。此辺、宮内大臣と篤と相談し、政府とも交渉して決定して貰いたい。万一の場合自分が御守りして運命を共にする外ないと思う」(同前)
ここでいう「信州の方」とは松代大本営のことである。戦争の末期に、米軍の空襲から逃れて大本営を移転するために極秘に造られていた、長野県松代の大地下壕である。この大地下壕建設のために多くの強制連行された朝鮮人労働者が働かされていたのである。ヒロヒトと「三種の神器」と大本営の安全のために、強制連行=拉致という国家犯罪が行われたことを、私たちは忘れてはならない。
要するに、ヒロヒトは、ずっと「三種の神器」をどうやって自分が持って逃げるか、ということを考えつづけていたことがわかる。伊勢神宮が爆撃されて以後、ヒロヒトは、自分の命と「三種の神器」の守り方しか考えていなかったのである。
一九四五・八・六 午前八時一五分
そして八月六日午前八時一五分、B29型爆撃機「エノラ・ゲイ」号は、広島上空高度一万メートルから、ウラニウム二三五爆弾を投下したのである。人類史上最初の原爆投下によって、広島の爆心地附近は七〇〇〇度の熱に覆われた。死者約二〇数万人。
昭和天皇ヒロヒトが捕虜にならないことと、「三種の神器」なる器物を守るための犠牲の、はかりしることのできない大きさ。
しかし、ヒロヒトも政府中枢も、広島の非戦闘員の犠牲者に関しては、まったくといっていいほど考えていない。
たとえば鈴木貫太郎は、八月七日の短波放送で、トルーマン大統領の声明が発せられ、八月六日の「新型爆弾」が「正しく世界の驚異的課題であった原子爆弾であることが明らかにされた」あとのヒロヒトの対応について、こう回想している。
「余はこの上は終戦する以外に道はないとはっきりと決意するに至った。陛下におかせられても、広島の惨状を聞こし召されて、ついに、これ以上勝ち目のない戦争を続け両軍の犠牲を重ねることは人類文化上悲しむべきことだと側近の侍従に洩らされ、そのご心境のほどはお痛々しいほど推察されたのである。」 (鈴木一編『鈴木貫太郎自伝』、時事通信社、一九六六)
ヒロヒトは「軍の犠牲」者にしか関心を示していない。つまり日本本土の兵力、約二二五万の陸軍と、一二五万の海軍をいかにして温存するか、ということしか、原爆投下時には考えていなかった、ということだ。・・・
そして翌八月九日、閣議が開かれることが予定されていた日の午前六時、ソ連参戦の報が迫水のところにとどき、午前一一時二分、長崎市に二発目の原爆、プルトニウム爆弾が投下された。死者約一二万人。
広島と長崎をあわせて三三万人。昭和天皇ヒロヒトが「三種の神器」をどこに移せばいいのか、ということを考えつづけていたために発生した、ポツダム宣言受諾の遅れの結果としての犠牲者である。・・・
しかし、原爆投下もソ連参戦も、なにより日本の「ポツダム宣言受諾拒否」を理由に掲げて行われたことを、私たちは忘れてはならないのである。ポツダム宣言第一三項には、「日本国政府が直ちに全日本軍隊の無条件降伏を宣言」することを要求していたのである。そしてそれ「以外の日本国の選択は迅速且完全なる壊滅あるのみとす」と明記されていたのである。
無残な犠牲は必要だったか
そうであるにもかかわらず、昭和天皇ヒロヒトもその側近も、伊勢神宮の爆撃で「三種の神器」がどうなるかわからない、しばらく意思表示を避け、その間に伊勢、熱田の神器を松代大本営に移そう、などという相談に明け暮れ、一〇日間以上を費やしているのである。いったい「ポツダム宣言」の中の「直ちに」という言葉を、この人たちはどのように受けとめていたのだろうか。
要するにヒロヒトは、自分の先祖だといわれている者が残した、鏡と刀と勾玉という骨董品(あるいはそのレプリカ)を守るために三三万人を死に追いやったのである。百歩譲って、広島の原爆は予想がつかなかったかもしれない。けれども現地調査を八月七日にしているのだから、広島の現状が文字どおりの「迅速且完全なる壊滅」であることは明らかであったはずだ。即刻ポツダム宣言の受諾をするのが、正常な判断であったはずだ。
しかし、この人たちには炎熱地獄の中で死んでいった犠牲者に対する想像力は一切はたらいていない。・・・
問題は明白である。たとえばソ連の仲介で開かれるはずであった和平交渉に派遣される予定の近衛文麿は「国体の護持は絶対にして一歩も譲らざること」を第一条件としていたように、ヒロヒトと政府中枢部は、東京大空襲と沖縄戦を経て、明らかに大量抹殺の危機にさらされている国民の生命を捨て、「国体の護持」の方を二者択一したのである。
しかし「国体」とは大日本帝国憲法第一条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という神話を歴史に転倒した空疎な血統主義的幻想と、第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」と第四条の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」という権力の絶対化にほかならない。換言すれば、敗戦直前の、米軍の空爆によって焼土と化した大日本帝国にとって血統神話とそのなれの果てのヒロヒトの身体にしか、「国体」の実体は存在しない。だからこそ、「その場合には」、「三種の神器」を「自分が御守りして運命を共にする外ないと思う」という信じがたい空論が、最高権力者本人によって、まことしやかに語られてしまうのである。・・・
ヒロヒトは「敗北を抱きしめて」ならぬ「三種の神器」を抱きしめているしかなかったのである。そのような男に生殺与奪の権を握らせていたのが「軍人勅諭」と大日本帝国憲法と「教育勅語」の体制だったのだ。・・・
内在させられていた歴史改竄
「開戦の詔書」との辻褄あわせ
それにしても、自己の保身と権力の象徴である「三種の神器」の保全の手立てに腐心していたために、原爆投下に至ってしまったにもかかわらず、それを「敵」の「残虐ナル爆弾」によって「無辜」の民が「殺傷」され、「惨害」が予測できず、このままでは「民族ノ滅亡」になりかねないがゆえにポツダム宣言を受諾するという(「終戦の詔書」の)詭弁には唖然とするしかない。・・・
電波メディアの天皇制
・・・「自らマイクの前に」立つということは、ヒロヒト自身の提案だったことがうかがえる。玉音放送は、ぎりぎりのところまで追いつめられたヒロヒトが、自らの延命と「国体護持」を実現するための必死の国家イヴェントであり、電波仕掛けのスペクタクルであったのだ。
録音は、八月一四日深夜二度にわたって行われた。陸軍の一部には「玉音放送」を阻止する動きもあったが、宮内省に保管されていた録音盤は無事であった。
八月一五日正午、「終戦の詔書」は「玉音放送」として大日本帝国臣民の耳にとどいた。しかし、その後全文が問題化されることはなく、「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」の部分だけが毎年反復されることになったのである。・・・
第三章 マッカーサーとヒロヒト
昭和天皇とマッカーサー会見禄
会談の内容についての藤田発言
・・・藤田(注:藤田尚徳侍従長)はつづけて昭和天皇ヒロヒトのマッカーサーへの発言を紹介している。
「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命するところだから、彼らには責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。このうえは、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい。」 (前出、『侍従長の回想』)
ヒロヒトはこう語ったことになっている。・・・
しかし今回公開(注:二〇〇一年四月に施行された情報公開法に基づいて、「朝日新聞」記者が会見録の公開を請求し、六月に外務省が非公開を決定し、これに対し記者側が不服申し立てをし、情報公開審査会が記録の公開を求める答申を外務省に対して行った結果、ようやく公開)された、外務省の公式記録に、天皇ヒロヒトの「責任はすべて私にある」「私の一身は、どうなろうと構わない」といった発言は見あたらない。互いに挨拶を交わした後、マッカーサーからかなり長い発言があり、それを受けたヒロヒトの発言が藤田の発言に該当する最も近い唯一の言葉だと言えなくもないが、その内容は、「責任」とはまったく異質なものである。
外務省公式記録の中において、このヒロヒトの発言は次のように記されている。
「此ノ戦争二付テハ、自分トシテハ極力之ヲ避ケ度イ考デアリマシタガ戦争トナルノ結果ヲ見マシタコトハ自分ノ最モ遺憾トスル所デアリマス。」(前出、『朝日新聞』[二〇〇二・一〇・一七夕刊])
この記録に即していえば、「戦争」に対する「責任」を認めた、というよりは、むしろ「責任」を回避する発言だと言わざるをえない。
自分としては、「戦争」になることを極力避けたいと思っていたにもかかわらず、結果としては「戦争」になってしまったので「遺憾」である、ということしかヒロヒトは言っていない。・・・
戦争責任をめぐる諸説
・・・この問題を、「戦争責任」発言があったかなかったか、という二者択一から一旦切り離しGHQの占領政策を円滑に進めていこうとしているマッカーサーと、「国体護持」をなんとかしても実現しようとする日米の支配層の利害関係とのからみで考えてみる必要がある。
その点では、マッカーサーとヒロヒトの第一回会談の後、日をおかずしてマッカーサーあてに一〇月二日に出されたボナー・フェラーズ准将の覚書きが参考になる。フェラーズは、「戦争責任」の最も重要なポイントになる、「開戦」をめぐる責任の回避の仕方を提案しながら、ヒロヒトの免責が、占領を効果的に行う切り札であると主張しているのである。・・・
無血侵攻を果たすにさいして、われわれは天皇の尽力を要求した。天皇の命令により、七〇〇万の兵士が武器を放棄し、すみやかに動員解除されつつある。天皇の措置によって何万何十万もの米国人の死傷が避けられ、戦争は予定よりもはるかに早く終結した。したがって、天皇を大いに利用したにもかかわらず、戦争犯罪のかどにより彼を裁くならば、それは、日本国民の目には背信に等しいものであろう。それのみならず、日本国民は、ポツダム宣言にあらまし示されたとおりの無条件降伏とは、天皇を含む国家機構の存続を意味するものと考えている。
もしも天皇が戦争犯罪のかどにより裁判に付されるならば、統治機構は崩壊し、全国的反乱が避けられないであろう。国民は、それ以外の屈辱ならばいかなる屈辱にも非を鳴らすことなく耐えるであろう。彼らは武装解除されているにせよ、混乱と流血が起こるであろう。何万人もの民事行政官とともに大規模な派遣軍を必要とするであろう。占領期間は延長され、そうなれば、日本国民と疎隔してしまうことになろう」 (山極晃・中村政則編・岡田良之助訳『資料日本占領「天皇制」』、大月書店、一九九〇)・・・
日米合作の責任回避論
このとき、「国体護持」の要は、「真珠湾攻撃」と「開戦の詔書」との関係に一気に焦点化されたのである。つまり、描き出すべき物語としては、昭和天皇ヒロヒトはあくまで交渉という平和的手段によって日米関係を切り拓こうとしていたにもかかわらず統帥部が開戦の方向を打ち出し、政府がすでに決定していたために「大日本帝国憲法」の慣例に従ってこれに対して「ベトー」=拒否権を発動することができなかった。しかも「真珠湾攻撃」に関しては詳細な作戦計画は知らされていなかったという筋書が必要だったのである。
同時にヒロヒトを利用したことによって、アメリカは「無血侵攻」が可能になり、「七〇〇万」軍隊が武装解除されたのだから、今後の占領政策実施においても、天皇の利用価値は十分ある。それに対して、もし天皇を「戦争犯罪」人として訴追すれば、国民の強い反発が発生し、暴動が起き、アメリカとしては、さらに多数の派遣軍を送らざるをえなくなり、占領も長期化するという脅しにも似た占領コスト論によって、ヒロヒトを免責することの利点が説かれているのである。
側近たちは、ただちにヒロヒトが、「真珠湾攻撃」について、事前に詳細な情報を知らされていなかった、という証拠捜しに奔走しはじめるのである。
この時点で、まさにアメリカ=GHQと、日本の支配層との、いわば合作のシナリオによる、ヒロヒトの「戦争責任」に対する、徹底した矮小化が謀られたのだ。
別な角度から見れば、日本の文配層が,「国体護持」のために編み出した「終戦の詔書」の論理、「戦争」を米英に対する「四年」間に限定し、中国に対する戦争はまったく存在しなかったかのように消去し、なおかつ、ヒロヒトは「戦争」に対しては反対だったのだ、という筋書が、アメリカ=GHQによって追認されたことになる。そして、マッカーサー=フェラーズの共同演出によって、他の連合国へのヒロヒト免責の論理として世界化される、という形になったのである。・・・
こうした日米合作の「戦争責任」回避劇の中で構築されたのが、次のようなヒロヒトの科白であろう。
「天皇陛下が開戦を御裁可になられたことについて戦後になって、侍従長の藤田尚徳さんが天皇陛下に「陛下はどうして鈴木内閣には終戦の御聖断をお下しになったのに東条内閣に開戦をお許しになったのですか」ということをお伺いしたことがあります。
その時天皇陛下は、「日本の憲法は責任内閣という制度であって、"天皇は統治すれども政治せず"が建前である。具体的な政治問題については、全部責任内閣が責任をもってやるのであって、天皇はこれに干渉しないというのが建前であると考えていた。だから東条内閣の時は、閣議で開戦を決定して自分の裁可を決めてきたから、憲法の手続きによって裁可したわけだ。鈴木内閣の場合は、内閣が意見を求めてきたから、自分がここで意見を言っても、付人の公務権限を侵すことにはならないと思って、自分は自分の意見を率直に言った」とお答えになっていらっしゃいます。」 (前出、迫水久常『聖帝昭和天皇をあおぐ』)
この科白において、ほぼ完全な辻褄合わせが完成しているといえよう。同時に、このようなヒロヒトに対する「責任」だけを「総懺悔」した「臣民」=「国民」は、中国における侵略戦争をはじめとする、アジア地域への加害責任に対する思考を停止するシナリオへ、加担することになっていくのである。・・・
第四章 「人間宣言」というトリック
「人間宣言」を必要とした日本の戦後
表面化した日米対立から生まれた「人権指令」
一九四五年一〇月四日、GHQは「政治的、民主的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」を出す。いわゆる.「人権指令」のことである。
この指令により、特高警察が解体され、思想的政治的弾圧の中軸であった治安維持法をはじめとして、不敬罪、宗教団体法などの諸法規が廃止された。
同時に、思想・政治犯の釈放の指令も出されることになる。
この一連の指令は、「国体護持」を至上命令としていた日本の支配層に大きな動揺を与えざるをえなかった。治安維持法は、「国体」の論理を法的にはじめて規定した法律であり、それが廃止されることは、「国体」の法的根拠を奪うことにほかならなかった。
この「人権指令」は、軍の解体を目前にひかえた陸軍省と海軍省に、「靖国神社」問題に対する大きな危機感を与えた。
すなわち両者は、「軍の解散前に支那事変、大東亜戦争等の為に死歿したる英霊に対し、軍として最後の奉仕」(『靖国神社百年史資料編上』、靖国神社編・刊、一九八三)をする機会をつくり出さなければならなかったのである。
東久邇の「終戦」をめぐる「報告」の末尾にあったように、生き残った者たちが、「総懺悔」しながら、その「宸襟」を「安」んじなければならない昭和天皇ヒロヒトの敗戦後における権威は、戦死した兵士たちの記憶によって支えられていた「国体」に自らの命を捧げた忠魂の象徴としてどうしても死んだ兵士たちを「英霊」にしたてる必要があった。・・・
揺らぎだした天皇制
天皇制をめぐる言論と思想と宗教上の弾圧法であった治安維持法が廃止されたことは、とりもなおさず、近代天皇制をめぐるイデオロギー的な柱の一方をめぐる規制が取り払われたことにほかならない。
大江志乃夫は、近代天皇制のイデオロギーの構造を次のように定義している。
「近代天皇制における天皇の持つ二元的性格、宗教的権威としての「天子」のそれと政治的主権者としての「天皇」のそれとをイデオロギー的に――物理的には大元帥としての側面であるが、みごとに統一し、さらに、このそれぞれが持つ二元構成、宗教的には絶対の「神」であることと温情溢れる「家父」であること、政治的には権力国家の超越的支配者であることと共同態国家の、日常生活的支配者であること、この背反しあう秩序原理をもみごとに統一したイデオロギーと制度が近代天皇制イデオロギーとその制度であり、その骨幹を成すものが国家神道であった。」 (『靖国神社」、岩波新書、一九八四)
ここで、にわかに靖国神社が問題化されざるをえないのである。なぜなら大江が言うように、靖国神社において、陸海二軍の大元帥としての政治大権を持つ「天皇」と、現人神(あらひとがみ)あるいは現御神(あきつみかみ)であると同時に、大祭司でもある「祭祀大権」を持つ「天子」が統合されていたからである。
明治維新以後の近代の徴兵制において、それまで単なる民であった士族以外の一般民衆(男性)は、陸海軍いずれかの兵士になることによって、臣の位置を獲得し、大元帥天皇と君臣関係を結ぶことができるようになった。
その意味で「軍人勅諭」(一八八二)における「朕」という天皇の一人称に対する、二人称としての「臣民」は、その二字の中に、民から臣への上昇志向を内在させていた。
兵士となることによって、天皇の臣となった者は、天皇への忠誠として、自らの命を戦場で天皇に捧げる。・・・
したがって臣としての、兵士の、君である天皇への忠誠に基づく戦死は、国家のための死となり、その戦死者の魂は、祭祀大権を持つ現人神の親拝を受けることによって「国家の神霊」となるのである。このような「靖国」の論理は、日清戦争の際に全国化し、日露戦争の際の膨大な戦死者によって大衆化し、戦死者の魂に、「英霊」という二字熟語が与えられるようになった。そして「英霊」は「天子」に「慰霊」されてはじめて、「護国の神」になるのである。・・・
戦後の宗教的権威構築の仕組み
伊勢(伊勢神宮)から京都(明治天皇桃山御陵)への「親拝」を行った昭和天皇ヒロヒトは、一一月一八日に東京に戻り、「大正天皇多摩御陵」に「親拝」している。結果として、近代日本の帝国主義的侵略戦争の大元帥であった、祖父と父に、「終戦」の「奉告」を済ませたのである。
そしてその翌日、一九四五年一一月一九日に、靖国神社で臨時大招魂祭が行われ、二〇日に、ヒロヒトが、この日のために新しく「調製」した大元帥服ではない「天皇服」を着て、最後の公式参拝をしたのである。
一二月一日に解散される陸軍と海軍が残存している間のぎりぎりのところで、太平洋戦争の戦没者を、「靖国」の「英霊」として大元帥であると同時に祭祀者でもあるヒロヒトの下で合祀することができたのである。同時にそれは、一二月一五日に出される予定になっていた「国家神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止」に関する指令が出る直前の、すべり込み的な最後の天皇の「靖国」公式参拝ともなったのである。
しかし、この最後の、まだ現人神である段階におけるヒロヒトによる公式参拝によって、靖国神社において慰霊された、明治以後の日本のすべての侵略戦争の担い手として死んだ者の「霊」が国家にからめとられてしまったのだ。・・・
ヒロヒトが、太平洋戦争で死んだ戦没者を慰霊したことによって、彼の戦後における権威は、莫大な数の死者の「霊」によって支えられることになる。明治年間の合祀者数が一二万弱、大正末までで一三万強、昭和一六(一九四一)年までが二二万強に対して、一気に十倍強の、二四六万余名の死者をヒロヒトは背負ったのである。
当然のことながら、家族や身内から死者を出した生存者たちは、その死者の死がどのような質の死であれ、原理的に自分が生き残っていること自体に対し負い目を抱いてしまう。こうした生.き残った者たちとしての「赤子」の負い目を、ヒロヒトは巧妙に、自らの生き延び方の支えとして動員したのである。一一月二〇日の、大元帥服ではない、たった一回だけの「天皇服」による靖国神社に対する公式参拝は、東久邇が仕掛けた「一億総懺悔」の意味を変えていったのである。つまり、ヒロヒトその人(あるいは現人神としてのその神)への懺悔だけではなく、彼の背後に追いやられた二百数十万の戦死した者たちの「霊」に対して懺悔する構図がつくられたのである。・・・
死者に対する哀悼の宗教的祭祀の役割を自ら担うことによって、死者に対する生き残った者たちの負い目を、同じ生き残った者としての自己の一身に集中させるという構図の中で、靖国神社に支えられた、敗戦後の天皇ヒロヒトをめぐる、独自な「宗教的権威」がここにおいて構成された。
こうした儀式を、ぎりぎりのすべり込みで実現し得たからこそ、一二月一五日の「神道指令」を乗り切りながら、いわゆる「人間宣言」と対応することができたのである。
「靖国」とGHQの都合
GHQは、いわゆる「神道指令」を準備する段階で、天皇の神格化を前提とした、日本民族の世界への優越といった信念を解体させる方法について苦慮していた。GHQの社会教育局のダイク局長は、学習院の教師だったR・H・ブライスを仲介者にして、昭和天皇ヒロヒト自身が、自らの神格を否定するメッセージを発表するように働きかけをはじめた。・・・
いわゆる「人間宣言」は、まずGHQが発案し、極秘のうちに宮中の側近との連絡が、ブライスから山梨学習院長経由で行われたのである。
これらのGHQからの働きかけはなによりも、ヒロヒトを東京裁判に訴追させないための策動であった。吉田裕は、「人間宣言」の意味をめぐる「政治的文脈」について、次のように分析している。
「アメリカ国内の世論もその他連合国の世論も、依然としてこの段階では天皇の戦争責任を厳しく追及しており、安易な天皇への宥和政策はGHQにとっても命とりになりかねなかったからである。そうした国際世論の厳しい監視のなかで天皇制と天皇の温存をはかるためには、GHQの側としても天皇制が完全に民主化され、再び軍国主義勢力の温床になる可能性がないことを、強く国際世論にアピールしなければならなかった。」 (『昭和天皇の終戦史』、岩波新書、一九九二)・・・
一二月一五日にいわゆる「神道指令」が出され、国家神道としての「靖国」の論理に決定的なくさびが打ち込まれることになるのだが、靖国神社の側はともかく、少なくともヒロヒトの安全な位置は確保されていたのである。
はたして「人間宣言」はなされたか
かくして詔書は発布された
かくして、一九四六年一月一日、「年頭の詔書」が、新聞各紙に掲載されたのである。
年頭、國運振興への詔書(昭和二十一年一月一日)
茲二新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇條ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。
日ク、・・・
様々な紆余曲折を経た結果完成された詔書における、昭和天皇ヒロヒトの要請によって付加された「五箇条の誓文」と、詔書本文の接合点にきわめて巧妙なトリックが仕掛けられることによって、一つのイデオロギーが密かに(あるいはあからさまに)構築されているのである。
「五箇条の誓文」の五番目の項目には、「一、智識ヲ世界二求メ大二皇基ヲ振起スヘシ」とある。「皇基」、すなわち天皇が国家を治める事業の基礎を、「振起」すること、すなわちふるいおこし盛んにすると述べているのである。つまり、天皇が国家を統治することが宣言されているのであり、そのことに対し、引用に続く本文は「叡旨公明正大、又何ヲカ加へン」と全面肯定しながら、「五箇条の誓文」を、ヒロヒト自らの宣言にしてしまっている。「叡旨」とは、とりもなおさず天子の考え、あるいは天子の述べたことを指す。この言葉の中において、かつて「五箇条の誓文」を発した明治天皇という主体が、ヒロヒトに同じ天子としてスライドしていくのだ。
そのあとにつづく「朕ハ茲二誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス」という一節がある以上、この詔書は、昭和天皇による国家統治の継続を、「新ニ」宣言した文書になる。これから「建設」されるところの「新日本」とは、とりもなおさずヒロヒトが統治する国家なのである。
そして「夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國二於テ特二熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實二此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ノ完成二向ヒ」という形で、近代天皇制を気分・感情の上で支えてきた家族国家主義を改めて持ち出しながら、それがそのまま「人類愛」につながるはずだという、破綻以外のなにものでもない「論理」が提示されてくることになる。・・・
そして、「戦争ノ敗北」の結果がもたらした「思想混乱」に対する天子の「深憂」が表明されたうえで、いわゆる「人間宣言」へと接続されていくことになる。
では、はたして、「人間宣言」はなされているのだろうか。
まず最初に強調されているのはこうした「思想混乱」の中で「朕ハ爾等国民ト共二在リ」という思想的支えとしての自己像を提示したうえでの、「朕」と「国民トノ間ノ紐帯」の強さについてである。その中でGHQの要請に答える形で「天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族二優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念二基クモノニ非ズ」という文面が入ってくる。
ここで機能しているトリックでしかないレトリックは重要な意味を持っている。たしかに、自分が「現御神」であったり、日本「民族」が世界を支配するような「優越セル民族」だという考え方が.「架空ナル観念」であるとは言っている。けれども、それは、「朕」と「国民」との関係は、「架空ナル観念」や「単ナル神話ト伝説」に支えられているようなものではない、という、より実体的で強力なものだ、と主張するためのレトリックなのである。
以上のことからも、木下道雄等が危機感を抱いた、天皇は「神の裔」ではない、という記述は、「年頭の詔書」から消すことができ、「大日本帝国憲法」第一条の「国体」概念を守り切ることができたのである。
第五章 戦後体制とは何か
憲法九条と天皇の免責
マッカーサーのシナリオ
・・・「マッカーサーが憲法九条を発想した背景は、理想ではなく現実の解決のためであった。マッカーサーは、天皇制を何らかの形で残したいと考えた。そこで、明治憲法とちがって、新しい憲法では天皇に政治的権力をまったく持たせない象徴としての地位を考えたがそれでも不十分であった。米国政府はいうまでもなく、日本の戦争被害を受けたアジア・太平洋諸国は、昭和天皇の戦争責任を忘れてはいなかったし、この程度で納得するはずがなかった。・・・
「そこで、マッカーサーは、FEC(注:極東委員会)が活動を開始する前に、天皇の地位を残し、かつ.FEC(連合国により構成され、米英のほか社会主義国のソ連、日本の戦争被害が大きかった中国、フィリピン、日本軍国主義に強い警戒感をもっていたオーストラリア、ニュージーランドなどの代表が参加)も結果的に賛成せざるを得ないような思い切った平和的・民主的憲法を、FECより先に作ってしまう必要があった。
そこでマッカーサーは、われわれ日本人が知る事実とは異なって、昭和天皇が主導権を握って平和主義と民主主義に徹した憲法を作ったということにして、これを連合国に伝えた。」(同前、注:古関彰一『日本国憲法・検証資料と論点 第五巻 九条と安全保障』、小学館文庫、二〇〇一)
これが古関の筋書である。天皇の戦争犯罪が徹底して追及される可能性のある、FECの活動開始前の、「国体護持」としての天皇制存続と、昭和天皇ヒロヒトの免責の切り札として、天皇主導の平和・民主憲法発布という、切り札が切られた、という解釈である。・・・
取引材料としての「戦争放棄」
要するに、最も緊急だったのは昭和天皇ヒロヒトの「地位」を守ることだったのだ。「戦争放棄」は極東委員会が活動を始めた時点で、天皇を戦犯として追訴せず、「天皇制と天皇個人を救う」ために、極東委員会を構成する「国々からの支持を獲得するため」の「条件」だったのである。・・・
古関彰一、ジョン・ダワー、ハーバード・ビックスの分析と解釈を総合するなら、やはり極東委員会FECが正式な活動を開姶する前に、ヒロヒト個人の免責と延命、そして天皇制を存続させるために、マッカーサーはいち早くヒロヒト自身が、画期的憲法改正案を出した、ということにしなければならなかったのであり、極東委員会を納得させる最大の条件が、「戦争放棄」と「戦力不保持」といった、後に憲法第九条に結実する内容だったのである。そしてホイットニーを中心とする民政局の「憲法制定会議」の二四人(四人の女性を含む)メンバーは、わずか一週間の期限で憲法草案の起草を開始したのである。・・・
二つの独白録の疑問
秘められた東京裁判の意図
昭和天皇ヒロヒトの戦争責任を免責する中心人物の一人であったフェラーズ准将は、一九四五年九月二二日から、五ヵ月間、東条英機元首相、嶋田繁太郎元海軍大臣らをはじめとする日本の戦争指導者約四〇人に対して、個人的な尋問を継続的に行っていた。その主要な戦犯容疑者に対する個人的な尋問が終わり、フェラーズが期待したとおりヒロヒトの終戦をめぐる「聖断」を評価する証言を得て、ヒロヒトが訴追を免れることのできる最終的な筋書が完成したのが、一九四六年の三月六日だったのである。
フェラーズは、三月六日に敗戦当時海軍大臣であった米内光政と通訳溝田主一を招き、ソ連を中心として、ヒロヒトを戦犯として処罰すべきだと主張していることを強調し、次のような依頼をしたと、溝田文書は明らかにしている。
「右に対する対策としては天皇が何等の罪のないことを日本側から立証してくれることが最も好都合である。其の為には近々開始される裁判が最善の機会と思ふ。殊に其の裁判に於て東条に全責任を負担せしめる様にすることだ。
即ち東条に次のことを言はせて貰い度い。
「開戦前の御前会議に於て仮令陛下が対米戦争に反対せられても自分は強引に戦争迄持って行く腹を既に決めて居た」と。 (豊田隅雄「戦争裁判余禄」、泰生社、一九八六)
これに対し、米内大将は、こう答えた。
「全く同感です。東条〔元首相〕と嶋田〔元海相〕に全責任をとらすことが陛下を無罪にする為の最善の方法と思ひます。而して嶋田に関する限り全貢任をとる覚悟で居ることは自分は確信して居る。」
この瞬間、戦争をめぐる一切の責任を、東条英機や嶋田繁太郎をはじめとする軍部の指導層に帰し、ヒロヒトを完全に免責する筋書をめぐる日米合意が成立したのである。・・・
つまり「共産主義化」を防ぐことと連動するものとして、天皇ヒロヒトの免責が位置づけられており、ソ連を敵とすることによって天皇とマッカーサーが同じ利害関係を共有する者同士として描き出されているのである。
天皇ヒロヒトを免責するための、東京裁判に対する筋書をめぐる日米合意は、反「共産主義」という、ヒロヒトとマッカーサーの共通の立場によって支えられていたのであり、この立場は、その後一貫して日米関係の重要な政治的柱になっていくのだ。・・・
日米合作の表と裏の独白録
三月一八日から、本格的な東京裁判対策がはじまっていく。「陛下、御風邪未だ御全快に至らざるも、かねての吾々の研究事項進捗すべき御熱意あり。よって御政務室に御寝台を入れ、御仮床のまま、大臣、予、松平総裁、稲田内記部長、寺崎御用掛の五人侍して」(同前、注:木下道雄『側近日誌』、文芸春秋、一九九〇)、と木下が記しているように、この日から宮内大臣松平慶民、宗秩寮総裁松平康昌、侍従次長木下道雄、内記部長稲田周一、御用掛寺崎英成の「五人の会」が、「天皇独白録」の聞き取りの会として成立するのである。四月八日まで、全部で五回八時間に及ぶ聞き取りが行われ、先にふれたような開戦責任を回避する論理が構築されたのである。
こうした一連の時間的経緯が示しているのは、昭和天皇ヒロヒトの名による「戦争放棄」と「戦力不保持」の新憲法制定と、そのヒロヒトを戦犯として訴追させないための東京裁判対策は、当初から不可分の対関係を結んでいた、という歴史的事実である。それは、マッカーサーとヒロヒトの、さらにはアメリカと日本との談合的合作とも言える"連携的"共犯関係だった。・・・
一九四六年五月三日、東京裁判が開廷する。それから二日後の五月五日、GHQの民間情報局が制作していたNHKのラジオ番組で、天皇ヒロヒトの開戦責任を免責する報道が行われた。
そこでは「なぜあなたは戦争を許可したのか」とのマッカーサーの問いに対し、もし私が許さなかったら新しい天皇がたてられていたであろう。戦争は日本国民の意思であった。誰が天皇であれ事ここに至っては、国民の望みにさからうことはできなかった」と答えた、との「天皇発言」が「真相」としてあきらかにされた」(豊下楢彦『安保条約の成立――吉田外交と天皇外交』、岩波新書、一九九六)のである。
太平洋戦争の開戦を許可せざるをえなかった状況は、東条英機をはじめとする「軍閥にあやつられた世論が支持したものから」「国民の意思」「国民の望み」そのものにエスカレート」(同前)したのである。
意図的にGHQによって大々的に流された「天皇発言」は、「対日占領の最高政策決定機関である極東委員会の発足(二月二六日)にあわせたかのように米誌『ライフ』(三月四日付)に掲載された、日米特派員の報告記事であきらかにされた「天皇発言」とまったく同じものであった」(同前)のである。
この「"表舞台"」における、昭和天皇ヒロヒトに開戦責任無し、という宣伝と同時に、「"裏舞台"」においては、ヒロヒトがすべての責任を一身に担おうとしているという、「"表舞台"と"裏舞台"とで、その内容を異にする「天皇発言」が流出」していくことになったのであり、それらは「内容が相反するものであっても、そのねらいはただ一つ、「裁判対策」においてみごとに収斂していた」(同前)のである。
「"裏舞台"」の「天皇発言」とは、主席検察官キーナンから、「東京裁判」の方向付けに決定的な役割をはたす証言をした、田中隆吉元陸軍少将に伝えられたものである。
「裁判が開始されたころ、主席検察官のキーナンは田中に対し、前年一二月に来日したさいにマッカーサーから、最初の会見で天皇が「この戦争は私の命令で行ったものであるから、戦犯者はみな釈放して、私だけ処罰してもらいたい」と発言したこと、だから「もし、天皇を裁判に付せば、裁判の法廷で天皇はそのように主張するであろう。そうなれば、この裁判は成立しなくなるから、日本の天皇は裁判に出廷させてはならぬ」と命じられたことを明らかにした。そのうえでキーナンは、「私としては天皇を無罪としたい。貴君もそのように努力してほしい」と田中に"支援"を要請したのである。」(同前)
さらに、ヒロヒトの「独白録」作成に参加していた松平康昌も、ヒロヒトがマッカーサーとの最初の会見で、日本人戦犯は「悉く自分の命令で戦争に従事した者であるから、この人達を釈放して自分を処刑してもらいたい」と発言したと、田中隆吉に言いふくめている。
これを聞いた田中は「私は死を賭して、天皇を無罪にするため、軍部の行動について知る限りの真実を証言しようと決した」のであり、田中の東京裁判における、責任をすべて軍部に転嫁する「真実の証言」は、「裁判の行方を左右するほどの重大な役割を果たすことになった」(同前)のである。
表舞台では、戦争責任を一切認めず、軍部に全面的に責任を負わせ、東京裁判から逃がれようとし、裏舞台では、マッカーサーに対し、全ての責任は自分にあるとヒロヒトが語った、という情報を流し、それに感動した人たちを利用して、やはり東京裁判での訴追を免れようとする、ここに日米合作の談合的な「国体護持」劇の情報操作のねらいがあったのだ。・・・
歴史の彼方の「全責任発言」と今日の歴史認識
・・・マッカーサー、フェラーズ、キーナンといったGHQと東京裁判検察側と、松平康昌等日本の天皇側近側が、一糸乱れぬ連携プレーによって存在しなかった、「全責任発言」を、非公式に流通させ、その実在性を証明するかのようにマッカーサーの『回顧録』が書かれ、さらにそれを傍証するような発言や回顧録を側近たちが積み重ねていく、という形で、天皇ヒロヒトの「全責任発言」が偽造され、かつ虚偽であることを確信犯的に知る人々によって「事実化」され、やがてヒロヒトの死によって「真実化」されてしまったのである。ここに、歴史を捏造することに権力者たちが成功した端的な例をみることができるだろう。・・・
さらに許しがたいのは、この『マッカーサー回想録』の真偽に関して、ヒロヒト自身は死ぬまでの三三年間沈黙を守りつづけた、ということだ。マッカーサーの発言についてのコメントを問われた際のヒロヒトの有名な答、「マッカーサー司令官と当時、内容は外にもらさないと約束しました。男子の一言は守らねばなるまい。世界に信頼を失うことにもなるので話せません」という発言は、これまでの分析に即して言えば、かなり素直な内容だと言えるのかもしれない。ヒロヒトは、自らの戦争責任に関して一切認めていない、ということが真相であるなら、ヒロヒトを「象徴」としている日本という国家が国際的信用を失うのは明らかだからである。・・・
現実逃避を続ける戦後体制
「ワレワレハダマサレタ」、戦後の馴れ合い構造
・・・「全責任発言」を軸にしたシナリオは、次のようになる。ヒロヒトこそは、まだ国民全体が軍部指導者に「ダマサレタ」状態にあった一九四五年九月二七日の段階で、たった一人マッカーサーに会いに行き、太平洋戦争をめぐるすべての責任は自分にある、とみごとに言ってのけた。・・・ヒロヒトが軍部にただ一人「ダマサレ」なかったからこそ(終戦の)「聖断」は可能になった。それはヒロヒトが一貫して平和主義者であったからであり、したがって太平洋戦争の開戦は、ヒロヒトの意思ではなく、軍部指導者の独走だったのだ。そして平和主義者であったからこそ、ヒロヒトは自らの名前で新しい憲法、戦争を放棄し、軍事力を持たないことを規定した憲法を国民にもたらしたのだ。だから、ヒロヒトに戦争責任はない。
おおよそ、以上のような論理において、昭和天皇に「全責任がある」と「責任はない」という、ホントとウソ、裏舞台と表舞台のまったく相反する言説が結合されているのである。・・・
「全責任発言」と憲法、そして安保体制へ
・・・ヒロヒトの天皇としての地位の保全と、日米談合の象徴天皇制への移行は、天皇の「名のもとに死んだ自国の兵士たちにたいする責任」を祭祀大権者としてとり、国内的な支持を取り付け、逆に「二千万のアジアの死者たちに対する責任」を軍部指導者になすりつけ、ヒロヒト自らは東京裁判の訴追を免れることによって可能になったのである。
つまりアメリカと結託することでアジアを切り捨てるという、「日米安保体制」の基本的発想が、このヒロヒトの免責劇のシナリオの中にあらかじめ胚胎していたのである。・・・
第六章 サンフランシスコ講和条約と日米安保体制下における象徴天皇制
踏みにじられた日本国憲法と講和条約
アメリカの庇護を求めた昭和天皇
昭和天皇ヒロヒトの戦争責任の免責とセットにされていた憲法九条問題に、最も敏感に反応したのは、驚くべきことにヒロヒトその人だったのである。
衆議院で新憲法が採択されたのが、一九四六年一〇月六日、その一〇日後の一六日に、ヒロヒトはマッカーサーと三回目の会談を行い、「戦争放棄を決意実行する日本が危険にさらされる事のない様な世界の到来を、一日も早く見られる様に念願せずに居られません」(『朝日ジャーナル』一九八九・.三・三)と、一一月三日に公布される新憲法の「戦争放棄」によってもたらされる「危険」についての不安を表明している。この会見の中で、ヒロヒトがこの年の五月一九日の「食糧メーデー」をはじめとする民衆の闘いの高揚について「日本人の改良未だ低く、且宗教心の足らない現在、米国に行われる「ストライキ」を見て、それを行えば民主主義国家になれるかと思う様な者もすくなからず」(同前)と口をきわめて罵っているように、そこには日本の「共産化」への不安が強く表明されている。反共という一致点における、マッカーサーとヒロヒトの談合がはじまったのである。・・・
ヒロヒトのマッカーサーへの発言は、明らかにこうした大衆的な運動による、日本の「共産主義化」に対する恐怖を表明し、マッカーサー=アメリカによる庇護を依頼するものであった。・・・
つまり、この後の日米安保体制構築の発端を切り拓いたのは、新憲法で「象徴」となり、政治的行動をしてはならないとされたヒロヒトなのだ。ヒロヒトがあたかも「元首」のようにふるまい、自らの保身を、マッカーサーに要請した、というのが、この会談なのである。
生贄としての沖縄=「沖縄メッセージ」
さらに重要なのは、このマッカーサーとの会見から五カ月後、一九四七年九月、昭和天皇ヒロヒトは、アメリカによる沖縄の軍事占領は、「二五年から五〇年、あるいはそれ以上にわたる長期の貸与(リース)というフィクション」の中で行われるべきだとした「沖縄メッセージ」(新藤栄一「分割された領土」、『世界』一九七九・四)を出したのである。
「国体護持」としての自らの延命のために、多くの民間人を含めた甚大な犠牲者を出させ、いわば捨て石にしてしまった「沖縄」を、ヒロヒトは、いま一度自らの身の安全と引き換えにアメリカに売り渡そうとしていたのである。・・・
明らかにヒロヒトは、ソ連を中心とする"共産主義"の「脅威」が、国内の大衆運動と結びつくことによって発生する「日本の内部への干渉」を恐れて、「沖縄」をマッカーサーに売り渡すことによって、「国体護持」を図ろうとしたことになる。
マッカーサーのアジアにおける対ソ連戦略に全面的に協力することと、自己保身を結びつけ「沖縄」を「ソ連による日本本土への直接、間接の侵略にたいする"防波堤"として位置づけ」たのであり、かつて「本土防衛の"捨て石"」(同前)とした「沖縄戦」の場を、再び「国体の護持」という自らの安全確保の生贄としてマッカーサーに献げたのである。「天皇やその側近グループにあっては、沖縄は一貫して本土防衛あるいは「国体護持」のための"手段"であり、"捨て石"と見なされてきた」(同前)のであり、こうした「沖縄」の位置付け方は、実は現在においてもまったく変わっていないのだ。
踏みにじられていた日本国憲法、東条のミステイク
私は、豊下の次のような認識がきわめて重要な意味を持つと考える。
「……かりに天皇が五〇年以上もの米軍占領を認めるようなメッセージではなく、マッカーサーとの初会見で語ったとされる同じ言葉をもって、「一身はどうなってもよいから」悲惨な地上戦を体験した沖縄については軍事の拠点にすることだけはなんとしても避けてほしい、といった姿勢を鮮明にうちだしていたならば、国務省内の沖縄返還論とも"共鳴"しあって、事態がなんらか変化した可能性も否定できないであろう。
しかし、結果として沖縄は、天皇のメッセージの構想に近い、「潜在主権」は残しつつ事実上の米軍支配下におかれる、という歴史を歩むことになった。こうして、本土の「全土基地化」と日米の"防波堤"としての沖縄軍事占領からなる安保体制が形成されることになったのである。」 (豊下、前掲書)
「沖縄」をアメリカに売り渡した「沖縄メッセージ」は、そもそも新しい憲法に違反する形で昭和天皇ヒロヒトが、極秘で内閣を無視して外交・内政上の越権行為を行ったことの証しにほかならない。・・・
「沖縄メッセージ」からほぼ三カ月後の一九四七年一二月三一日、「東京裁判」におけるヒロヒト免責のシナリオが最大の危機に直面する。ローガン弁護人から「天皇の平和に対する御希望に反して、木戸侯が何か行動をとったか。あるいは何か進言をしたという事例を、一つでもおぼえておられますか」という問いかけに対して、前日、この戦争が自衛戦で、国際法に違反しないと主張し、開戦責任を敗戦責任に置き換えることに成功した東条英機は、決定的な発言をしてしまったのである。
「そういう事例は、もちろんありません。私の知る限りにおいては、ありません。のみならず、日本国の臣民が、陛下の御意思に反してかれこれするというはあり得ぬことであります。いわんや、日本の高官においておや。」 (『極東国際軍事裁判速記録 第八巻』、雄松堂書店、一九六八)
東条の論理にそのまま従えば、日本国の臣民であれば誰も、とくに「高官」にいたっては、決して天皇の意思に反対することなどできない、ということになるのだから、すべての戦争は天皇の意思において遂行されたということになると同時に、もし意思に反していたのなら、ヒロヒトが開戦を拒否すれば、太平洋戦争は発生しなかったということになる。
いずれにしてもヒロヒトの開戦責任はある、ということになるのだ。
キーナンはただちに天皇の側近を動かし、東条の発言を撤回させるように指示した。そして一九四八年一月六日、東条英機は自らの発言を撤回したのである。
こうした一連の事態が動いている中で、「うらうらとかすむ春へになりぬれと 山には雪ののこリて寒し」(一九四八年一月二九日「新年御歌会始」の際のヒロヒトの歌)といった言説を平然と発話できてしまう者であればこそ、国民に対する憲法遵守の発言を、平気で裏切り、自らの保身のために、ソ連と共産主義の脅威から、確実に自分を守ってほしいとマッカーサーにすがりつくことができたのであろう。
(以下、略)
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8月6日(4) 「横浜市立大学を考える市民の会」が新たにブログを開設したようだ。しかも、7月23日というから、だいぶ前だ。市民の会がずっと休眠状態だったので、市民の会HPにアクセスすることもずっとなかった。今日はじめて、「全国国公私立大学の事件情報」(8月3日付け)で知った。
広範な市民の目線で、学生や教職員を支援して欲しいものである。それがまた市民のための大学を作っていくことにもなろう。教員組合の団体交渉の要求項目を通読するだけで、本学が公立大学法人として発足した現在、抱えている問題群が浮かび上がってこよう。これを解決していくには、広範な市民の大学に対する深い関心が必要であろう。
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わたくしども「横浜市立大学を考える市民の会」(以下「市民の会」)は2003年2月の発足以来、横浜市立大学がほんとうに横浜市民ひいては世界の市民に貢献できる価値ある大学となるよう、会としての意見を発表するとともに各方面への働きかけを行ってまいりました。その基本的な主張は、たんなる「改革」のための改革、市の財政負担軽減だけをめざした改革を拙速に行うのではなく、充実した研究と教育が自由に行われることで市民に貢献できる大学となるよう、充分に時間をかけて広く市民に意見を求めつつ改革を進めて欲しいということでした。しかし、まことに残念なことですが、「拙速を避けよ」という私どもの主張はことごとく無視されました。とりわけ昨年3月の市会における平成17年度からの独立行政法人化決定以降、その改革の詳細は一般市民にはきわめて見えにくいものとなり、私どもは、独立行政法人としての横浜市立大学の内容がどのようなものになるのか固唾をのんで見守るといった状況でした。HP更新もストップし、皆様にご心配をおかけしたことをお詫び申し上げます。
さて、あらたに独立行政法人となった横浜市立大学がこの4月に発足して以来すでに3ヶ月が過ぎ、カリキュラムを含めた新たな大学の姿がようやく見え始めましたが、そこには、すでに「市民の会」が危惧していた幾つもの問題点が表面化しているように思われます。以下箇条書きにてそれらの問題点を指摘するとともに、「市民の会」の意見を併記します。
1 志願者数の減少
昨年度比約半減となった(http://www.yokohama-cu.ac.jp/02admis/faclty/17jisshi.pdf
およびhttp://www.yokohama-cu.ac.jp/ycu_old/jyuken/nyushi/nyushipdf/16joukyou.pdf)今回の受験者数の減少は、「市民の会」のもっとも危惧するところです。「大学間競争で生き残れる大学」という市長の言葉は何だったのでしょう。志願者の減少は、大学のアピール、宣伝不足というより、「国際総合科学部」という意味不明な名称を持つ学部構成に起因するところが大きいと思われます。「市民の会」は、瀬戸キャンパス旧3学部(商学部・国際文化学部・理学部)の一学部統合に一貫して反対して参りました。高校生および進学指導者に対する充分なリサーチなしに、あるいは「初めに変更ありき」でこうした重大な変更が行われたことは、まことに残念なことです。学部構成を早急に変更することは困難としても、内部で新たな学科構成を行うなど、できるだけ速やかな改善を求めます。
2 教員の流出
優秀な教員の確保は研究・教育の充実のために欠くことのできない基本条件と思われます。ところが残念なことに、とりわけ統合された旧三学部(商学部・国際文化学部・理学部)からの教員流出が相当数にのぼったようです。任期制・年俸制といった待遇の問題ばかりでなく、学問の自由と大学の自治の保障といった、大学としての基本的な性格が損なわれたことにより生じた事態とすれば、きわめて深刻であり、学内の意志決定システムを含め、早急な見直しを求めます。
3 新カリキュラムの問題点
今年度からの新カリキュラムについては、新入生の受講できる科目が大幅に制限されるとともに、300人、400人という受講者をかかえる講義が続出し、教室の手当すらままならなかったり、コンピュータ実習での端末1台に学生3人といった状態であるようです。また、TOFEL500点といった画一化された進級条件の影響で、英語の授業の出席率が極端に低下しているといった情報(http://blog.livedoor.jp/ycu_press/archives/27390910.html)、も漏れ聞こえます。そもそも「教育に重点をおく」として学生本位をうたった改革が、このような事態を招いていることは異常であり、大学の実態を無視し、現場の教員の声を充分に反映しなかった拙速な「改革」の弊害であることは明らかです。カリキュラムについては、教育に関して充分な経験を積んだ教員の主導により速やかに見直しが行われる必要があると考えます。
4 市民への貢献
大学のホームページ(http://www.yokohama-cu.ac.jp
)を見る限り、産学連携などはともかく一般生活のレベルにおいて、新大学の市民サービスが、かつてと比較して向上しているとは思われません。大学は広く市民の意見を取り入れ、教員および市民からなるコーディネーター組織を作るなどして真剣に市民サービスに取り組む姿勢を明確にしていただきたいと思います。
以上4点を指摘いたしましたが、いずれも今後の大学の運営においてゆるがせに出来ないことです。「市民の会」は、戦後の貧困の時代から一貫して市民が支え続けた横浜市立大学がより良い大学となるよう常に見守り、その時々に応じて良識ある市民としての意見を具申しつづけて行きたいと思います。そのため、これまでのホームページを記録として保存すると共に(
http://www8.big.or.jp/~y-shimin/ )、今後の息の長い活動に備え、ブログというかたちで新たなホームページを立ち上げました(
http://y-shimin.way-nifty.com/shimin )。ご覧いただき、ご意見をお寄せいただければ幸いです。
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8月6日(3) 「公立大学の病」に関して。私(のHP)が、「引用魔」という評価を与えられているので驚いたが、ご指摘の「首長の見識」の部分は、確かに私の意識をすり抜けていたようである。
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一般にわが国の地方公共団体においては,国立大学における文部科学省や私立大学における理事会のような,大学問題を第一義的・恒常的に考える場が存在しないか,存在してもその力は弱く,日常的な運営は大学自体に委ねられてきた。一方,大学に対する施策や財源は,選挙により交替する地方公共団体の首長の見識,並びに変動する財政事情によって左右される傾向が存在する。こうした傾向は国立・私立大学の場合にも無いわけではないが,公立大学の場合はその程度が著しく,その帰結の一端が現にいくつかの大都市公立大学の改革過程で生じている教員の流出などに現れているといえよう。(8〜9頁:強調は引用者)
「首長の見識」を敢て取り上げているところが注目される。せんじつめて言えば、「いくつかの大都市公立大学」では「財政事情」に加えて「首長の見識」に問題があったから、「教員の流出」が生じたということになるからだ。
市大で闘っている方々には日本学術会議という強力な援軍がついたようだ。これへの当局の抗弁がみものである。
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8月6日(2) 「全国国公私立大学の事件情報」によれば、この度,「平安女学院大学守山キャンパス就学権確認訴訟を支援する大学人の会」が結成されたようである。そして、8月3日から大阪高裁宛「要望書」提出のための緊急ネット署名を開始したとのことである。
大学の評議会や教授会といった審議機関をないがしろにした「改革」のプロセスで、全国の大学人からネット署名が企画され、多くの署名を得て勇気付けられたことが記憶に鮮明である。
現在も、下記の教員組合ウィークリー(8月2日号)が示すように、学校教育法に基づく教授会の審議権の回復など、市大の大学自治を求める運動はなかなか困難ではあるが継続して取り組まれている。
そうしたわれわれの大学の自治を求める運動(大学人の声を教育研究、大学運営に生かせる制度的保障を求める運動)にもリンクするものとして、学生の声を無視した上からの「改革」に抗議する「就学権確認訴訟」の意味は大きいと思われる。本学の場合も、2年生以上の学部(商・国際文化・理)および大学院(経済学・経営学、国際文化、総合理学)の「就学権」の保障(内容面・内実面における)はきわめて重大な問題であるからである。
就学権確認訴訟は,2000年4月に平安女学院大学が滋賀県と守山市から33億6500万円もの公的な資金をもらって建設された「びわ湖守山キャンパス」をわずか5年で廃止し,学生たちを全員強制的に高槻キャンパスに移すという事件を発端としている。このキャンパス移転は,学生たちへの事前説明も,また充分に意見を聞くこともなく,理事会が一方的に決定し,強行したもののようであるた。わずか5年の見通しもたなかった理事会の責任はどうなるのだろうか?
同キャンパスに通う女子学生たちの大部分は移転に反対したのもかかわらず,結局のところ今年度の4月から実施されている。こうしたやり方で学生の学ぶ権利が侵害され、学生がやむにやまれず訴訟に訴えたようである。
裁判の控訴人の学生(川戸佳代さん)は,この移転問題にかかわり,昨年度から「キャンパスを守ろうの会」を結成し,地域住民も含めて約2万名の署名を集め,関係自治体や文科省にも働きかけを行ってきましたが,当の学園理事会はその願いを受け取ることもなく,また当該学生たちに会おうとさえしなかった。その結果,しかたなく学生たちは,会の代表を原告として裁判所に提訴したのである。
この訴訟の詳しい経緯については,下記のページに書かれている。
http://university.sub.jp/shomei/bunsho1.html
緊急ネット署名については,「全国国公私立大学の事件情報」で掲載されている。
http://university.main.jp/blog3/archives/2005/08/post_225.html
「大学人の会」はHPも立ち上げた。下記のとおりである。
■「平安女学院大学守山キャンパス就学権確認訴訟を支援する大学人の会」のホームページhttp://university.sub.jp/shomei/daigakujinnokai.html
■ネット署名のページは下記のとおりである。
http://university.sub.jp/1/
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8月6日(1) 組合の団体交渉の論点が知らされた。交渉の結果は事後で報告されるとのこと。要求項目は、大学が真に大学らしい大学、学校教育法やその根拠法の憲法に依拠した大学となるために不可欠な要求を含み、大学の自由で創造的な発展に不可欠の項目ばかりである。当局側がどのように返事したか、非常に関心がある。
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横浜市立大学教員組合週報
組合ウィークリー
2005.8.2
もくじ
● 第1回団体交渉・団体交渉要求書
● 新執行委員会体制について
● 新副委員長・書記次長あいさつ
● 夏休み中の組合事務室開室予定
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第1回団体交渉・団体交渉要求書
7月28日(木)に新組合として第1回目となる当局との団体交渉が行われました。当組合からは、上杉執行委員長、真鍋副執行委員長、随書記長、和仁書記次長、中西前副執行委員長、山根前書記次長が出席し、経営側からは、松浦敬紀副理事長、清水一男事務局長、中上直経営企画室長、福島満人事担当課長、金井英孝学務センター長、渡邉昇人事担当係長が出席しました。
これに先だって当組合から提出した要求書の項目は、以下の通りです。(交渉の詳しい内容については、次号でお伝えする予定です。)
公立大学法人横浜市立大学理事長
宝田良一殿
団体交渉要求書
2005年7月21日
横浜市立大学教員組合執行委員長
上杉忍
本組合は、本要求書を作成し、公立大学法人当局に提出いたします。以下の要求事項について交渉に応じるよう求めます。
なお、これまで当組合が提出してきた要求・意見[1]に関しては、基本的に変更はありませんが、今回は特に以下の要求のみに絞って、今回の交渉の項目とします。
T.団体交渉のルールについての要求
(1)適切な責任者の出席
団体交渉に当たっては、内容に応じて責任ある判断を下すことが出来る当局代表者が出席すること。
(2)交渉の項目・誠実交渉
横浜市立大学教員組合が、教育・研究労働者の労働組合であるという特殊性に鑑み、以下の課題について当局が誠実に交渉に応じるよう求める。
1.教員の待遇、勤務条件、教員の人事制度に関する事項
2.教員の教育・研究・診療活動に関る事項
3.教員の大学運営への参加(大学行政)に関する事項
U.当面の要求
(1)教員の評価制度・人事制度に関する要求
1.教員評価制度の構築に当たっては、公正かつ客観的な評価制度を設計する観点に立って、評価を通じて不当な差別が行われないように確約することを求める。具体的には、評価項目の設定及び評価作業を恣意的に行わないこと。例えば、育児休暇、産休、介護休暇の取得など正当な権利行使をマイナス評価しないこと[2]。
2.教員採用人事の透明性を保障するために以下の措置を要求する[3]。
@ 人事委員会規程及び採用人事にかんする規則を明示すること。
A 新規採用人事についてその方針の適切性を検証できるよう、採用分野、担当科目等の決定理由を学内に公表し説明すること。
B 応募状況、審査経過等につき審査報告書を作成し教員組織及び必要な学内関係組織に公表すること。
3.現在凍結されたままになっている昇任人事の再開を求める。
(2)教員の教育研究条件に関する要求
1.今年度の横浜市立大学における研究戦略プロジェクト等の競争的研究経費の採択の過程と結果を明らかにすることを求める[4]。
2.来年度の入学試験における募集人員の変更に関し、その決定過程に関し、説明することを求める。
3.英語教員の教育活動に対して大学教員にふさわしい権限(単位認定権、成績評価権)を与えるべく改善策を提示することをもとめる[5]。
4.現在進められた研究室再配置計画の決定プロセスを説明してほしい。また、個々の教員の研究室移動には、研究教育活動の妨げを最小限にするために、十分な時間的猶予とその支援体制を求める[6]。
5.教育・研究をサポートするスタッフを補充してほしい[7]。
6.教員の事務作業を現場の裁量で簡素化できるところは大胆に簡素化するよう工夫を重ねてほしい。そのための「苦情処理」システムを立ち上げてほしい[8]。
7.図書館の専門雑誌購入の大幅削減を直ちに改め、研究用図書館としての機能を回復できる予算措置を求める[9]。
8.今後の専門職員の運用・配置計画について明らかにされたい[10]。
(3)教員の大学運営への参加(大学行政)に関する要求
1.大学運営における現場の教員の声を吸い上げ、全教員の協力のもとに大学運営を執行できるようにするため、憲法の定める学問の自由を保障し、学校教育法を遵守して、大学運営への教員の平等な参加権を保障すること。そのために、教授会に、人事、カリキュラム作成・改正、学則の改廃その他重要な事項に関する審議権を回復することを求める。
2.予算、決算、財務諸表(貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書など)、定員(常勤職員数、雇用上限数)などに関する資料を提示するよう求める。
3.全ての大学構成員が共通の情報を可能な限り共有できるようにきめ細かな学内情報伝達に努めていただきたい[11]。
以上
新執行委員会体制について
7月15日公示の執行委員選挙は、7月25日に開票され、以下の結果となりました。
選挙結果 投票総数 124票 有効票 124票
藤崎 晴彦 123票
堀 英明 124票
坪谷美欧子 123票
和仁 道郎 123票
真鍋 勝司 123票
これを受け7月25日に引継の執行委員会を開催し、当面、下記の役割分担を決定しました。
役職名
氏名
所属(学系・学科別)
執行委員長
上杉 忍 (国際教養)
副執行委員長
真鍋 勝司 (理)
書記長
随 清遠 (経営科学)
書記次長
和仁 道郎 (国際教養)
会計担当
大月 俊也 (理)
情報宣伝担当
坪谷美欧子 (国際教養)
福利厚生担当
結城 瑛子 (看護)
給与調査担当
一楽 重雄 (理学部)
記録担当
藤崎 晴彦 (経営科学)
情宣補佐
柴田 典子 (経営科学)
安全衛生労働時間担当 堀 英明 (医)
新副委員長・書記次長あいさつ
【副委員長・真鍋勝司】
今度副委員長に就任しました生物系の真鍋と申します。私は本学就任以来組合員ではありますが、今まで組合に積極的に参加していたとは言えません。上杉委員長の2度に渡るお誘いもあり、またいままでとは違って労働組合法に拠る教員組合(多分)になったわけですので引き受けさせていただきました。組合運動に関する知識はほとんどありませんが、理科実験系の「普通の」教員の意見を代弁できれば幸いです。
【書記次長・和仁道郎】
書記次長という役職に就きました、国際文化創造コース(ようやく名称を覚えた)和仁と申します。この週報の編集などを担当いたします。スーパーマンのような前任者には到底及びませんが、あまりにも多くの混乱を引き起こしている「改革」の中で、実質的な話し合いの場としても教員組合の役割はますます重要になっていると思いますので、よろしくお願いいたします。
夏休み中の組合事務室開室予定
大学は夏休みの時期となりましたが、改革の中でさまざまな課題が山積しており、組合員のみなさんも息つく暇がないというのが実感かと思います。当組合事務室は、夏休み中も毎週火曜日には開いています(9月20日は閉室し、9月21日(水)再開)。情報交換やお問い合わせなどありましたら、お気軽にお立ち寄り下さい。開室時間は通常通り、10:00〜16:00です。
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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel 045-787-2320 Fax 045-787-2320
mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
組合HP http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
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[1] 「基本要求事項」(昨年9月15日)、「2月15日当局提示就業規則案及び関連規程類にたいする見解と要求」(本年3月8日)、同「U」(同月23日)、就業規則に関する意見書(本年4月27日)、等。
[2] 教員評価の制度設計には、教育研究に関する専門性が十分に尊重されるよう注意を喚起したい。今後検討をすすめる場合、教員組合の提起する疑問点に答えるとともに、教員組合との誠実な協議・交渉を行うよう要求する。
[3] 今回の教員人事制度の「改革」の目的とされたのは、「公開性」「透明性」であった。その目的がどのように実現されているか、われわれ教職員の前に明らかにすることが必要である。また、われわれは、教員採用人事においては、教育研究の専門家の識見が最大限に尊重されるべきであると考えるが、その識見が尊重されていることを明らかにしてほしい。
[4] 審査がどのような手順で行われ、どのような基準で行われたのか。公正に行われていないという疑問が広がれば、教員の研究意欲をそぐ結果になるので、積極的に説明してほしい。
[5] 現在英語教員は、現場の反対を押し切った「改革」に基づく授業を担わされ必死の努力を行っている。「改革」そのものを見直すことについて、今後現場の声を聞いて送球に検討されるべきである。それはさておき、大学教員に単位認定権、成績評価権を与えずに強制されている現在の教育労働は、大学教員の教育活動に対する尊厳の無視に当たり、早急に改善策が示されるべきである。
[6] 少なくとも今から「夏休み中に移動せよ」などという乱暴な命令はやめてほしい。また、引越しには、運送会社を利用するなどの支援を求める。
[7] 例えば、今年度に入ってから外部講師を招聘した授業が急増しており、講師の送迎に際して事務サイドから適切なサポートが行われていない。授業形態の改変に対応した事務方からのサポート体制の確立が急務である。また非常勤講師に対するサポート体制にも重要な欠陥が見られる。他大学の事例などを参考に改善を求める。
[8] 例えば、郵便物を出す場合に現在極めて煩瑣な作業を教員に強いている。その簡素化は可能なことではないのか。このような現場での問題解決のために「苦情処理」を組織的に行うシステムの確立をお願いしたい。
[9] 図書館の蔵書の充実は、目立たない事業であるが、研究・教育機関としての100年の計を考えれば、最も重要な《ソフトパワー》の一つである。例えば、1998年にScience Direct社を通じて購入した専門雑誌は、167
タイトルだったが、2004年度までに67タイトルにまで削られ、多くの教員が不便を感じている。この《ソフトパワー》の衰微は大学としての生命に関ることである。
[10] 『中期目標』では、「教員と職員の中間領域を担う専門職の人事の適正化をはかるとともに、市は県職員の段階的解消を図る」とうたっているが、現在大学経営に通じた専門職員の配置が極めて不十分であり、様々な問題が生じている。早期の配置を求める。
[11] コースに所属していない教員への情報伝達に努めることなど。
[1] ダニの生活史・・・・「この目のない動物は、表皮全体に分布する光覚を使ってその見張りやぐらへの道を見つける。この盲目で耳の聞こえない追いはぎは、嗅覚によって獲物の接近を知る。哺乳類の皮膚腺から漂い出る酪酸の匂いが、このダニにとっては見張り場から離れてそちらへ身を投げろという信号として働く。そこでダニは、鋭敏な温度感覚が教えてくれる何か温かいものの上に落ちる。するとそこは、獲物である温血動物の上で、跡は触覚によってなるべき毛のない場所を見つけて、獲物の皮膚組織に頭から食い込めばいい。こうしてダニは温かな血液をゆっくりと自分の体内に送りこむ。・・・・
いかなる生物もそれ自身が中心をなす独自の世界に生きる一つの主体である・・・・生物は、機械にではなく機械を操る機械操作係にたとえるほかはない・・・・」(p.12-13)
[2] Jakob von Uexkuellという名前からして、貴族(騎士)の家系のようで、岩波文庫解説によれば、「荘園Gut」で生まれたという。ドイツ騎士団系の古い家系かもしれない。1933年(69歳)から80歳(1944年)で死ぬまではどうしていたのか?
[3] 商品社会、市場社会が人間生活の圧倒的部分を覆うようになると、したがって労働力の商品化が広く深く浸透すると、労働力という商品を売って、労働して、その対価として賃金を受取るものは、労働の対価(労働力の対価)として貨幣があることは自明となる。その経済学的な意味あいこそが、きちんと理論的に解明されなければならないということである。
労働が新しい商品・サービスを創造し、同時に価値をも創造する(付加する)ということ、商品にあらわされた労働の二重性の解明、これは天動説に対する地動説にあたるものだが、いまだに現象的な天動説が経済学では支配的である、あるいは労働の二重性を適格に把握しないで混同している、ということである。
「付加価値の高い商品を」と主張している人々が、付加価値の構成(法人企業統計)を見て、どのようなファクターが大きいのがいいと考えているのか、検証してみる必要がある。
実は、付加価値の構成に、法人税、所得税、住民税などの諸要素も含まれている。したがって、付加価値をどのように考えるか、付加価値の何をどのように増やそうとするかは、政府のあり方、一般政府を成立させる租税を生み出す力(源泉)をどのように見るかが深く関係してくる。
[4] (研究教育に携わったことのないものが、人事委員会において、「ひとがらが大切ですね」「学級肌のひとはもういいでしょう」などと人事の決定に参加する=決定を左右するなどという噂に、大学の自治・学問の自由への重大な侵害を感じるではないか。
ピア・レヴューの基本的重要性はきちんと確認されなければならないだろう。