20062月の日誌

 

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228日 都立大(首大)では、任期制に関する理事長・学長の教員宛メッセージが出されたようである(「全国国公私立大学の事件情報」本日付)。

任期制は、組合の主張しているところでも、以下のような重大な問題を残したままのものである。にもかかわらず、どうして、「3分の2程度が任期制適用」に同意したのか?[1]

教員組合の主張では、今回の「同意者」は、「自由意志による同意」だというのだろうか?

これまでの行政当局・経営サイドからの数々の脅迫や下記にも示されるような数々の差別措置をもって迫る「同意」は、強制そのものではないのか?大学教員の身分保障はどうなっているのか?

強制による「任期制同意」は、違法ではないのか?

そもそも、強制しなければ同意できないような「任期制」というのは、大学の研究教育の活性化という本来の任期法(任期制導入)の根本精神・根本趣旨に反するものではないのか?

任期制を受け入れた教員たちのメリットは何か?

その検証が必要になろう。隠された事情があるように感じられる。

現在、首大や本学で強行されようとしている「任期制」は、若い人びとが希望をもち、自由な研究にまい進できるような制度では決してないと思われるのだが、若い人々も、3分の2も同意したのだろうか?

首大当局は、任期制によって「流動化促進」を行うというが、まさに、できるだけ早くテニュア(定年までの終身保障)付きの地位を提供してくれる大学に脱出しようという意味での「流動化促進」ではないのか? この日誌でも何回か触れた本学有望若手の流出(「流動化」)は、まさにその具体例なのだが。

新規公募に応じてくる人びとは、職のない若手、現在すでに任期制の職についている若手、あるいは現在の職場が、定年制の保障があっても、他の条件で相当にひどい水準にある人々ということにならないか? 「任期制がない場合に応じてくる人びと」と「任期制があっても応じてくる人々」の間に、落差があるのではないか? 

結局のところは、大学が生き生きと活発に研究教育にまい進できているかどうか、それが検証されなければならないだろう。

その点では、大学の空気は?

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「旧制度」教員の昇任問題について回答がないことが基本的問題として残っている。また任期なし教員の昇給が「基本給」に限定され、かつ2010年度までの時限措置であること、研究員制度の引き続き協議などを得られたとはいえ、任期つき研究員の処遇が再任回数などにとどまり、「流動化促進」という当局の基本姿勢に変更がないということも問題である。さらに給与水準の低下という不利益がありうることも事実である。

 

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224日 首都大学東京に関する教職員組合の「2006年春闘方針(案) 首都大学東京の現状」が、「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)に転載された。いかにも、コピーしておこう。

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20060224

都立大・短大教職員組合、2006年春闘方針(案) 首都大学東京の現状

……

2.大学改革問題

1.大学をめぐる現在

(1)学長選考の民主化を求める動き
 最近、法人化によって新しい制度が導入された学長選考をめぐって、国立大学で大きな問題が起こっています。新潟大学では教職員らによる意向投票の結果とは違う人物を、学長選考会議が学長候補に決定しました。これに対して今年1月、この決定過程は国立大学法人法に違反するとして、候補者決定の無効と文部科学大臣への候補者推薦の取り消しを求めて訴訟が起きています。そもそも学長選考とは、大学にとっては「顔」となる人物を選ぶ行為です。選考過程に正当性がなければ、このように訴訟になるでしょう。またもしならない場合でも、そのようなプロセスで学長になった人物に対する教職員からの信頼は生まれません。候補者の選考過程は、それが十全に民主的であれば、どの候補者が当選したとしても、まがりなりにも自分たちが選考に関わったという実感を投票者に与えるものです。そのことは、大学という場において非常に重要なことなのです。正当な手続きによって選ばれたのではない学長、あるいは部局長に対して、教職員が信頼を寄せることはありえません。

(2)任期制教員再任拒否問題
 また、任期制をめぐって見過ごせない事件もおきています。京都大学再生医科学研究所教授が任期終了時に再任を拒否された問題です。この教授は処分の取り消しを求めた裁判を起こしましたが、高裁は一審と同様、請求を棄却しました。司法は、任期制を適用された教員は任期が切れた時点で退職することが前提なのであり、再任拒否は行政訴訟の対象となる「処分」ではない、という判断をしています(『日本経済新聞』2005 12 28 日)。つまり大学教員任期法に規定された任期制は、あくまでも一旦退職するということを内容として含んだものであることを示しています。
 従って「全員任期制」という法人の方針は、先の判決に即した理念の上においては次のような結論を導き出します。所属する教員は誰一人として、基本的に5年の任期の間しか雇用は保障されておらず再任を絶対に保障するものでない。従って教員の側からすれば、任期の期間を越えて大学の将来について責任を負う必要はない、ことになります。もちろん現在、首都大では任期の有無にかかわらず、多くの教員が大学の再建を期して努力しています。そして1年更新、最大3年の雇用など厳しい条件のなかで働いている固有職員が、派遣職員と並んで大学の業務を支えています。「全員任期制」という理念がもたらす論理的帰結からすれば、こうした現在の本学の現状は、まったくの僥倖であることを、法人当局は認識するべきでしょう。

2.首都大学東京の現状
(1)大学のHPなどで露出する石原知事
 つい先頃まで、首都大学のHPを開くと石原知事の動画があらわれ、「こんな大学、世界にないぞ」というセリフが飛び込んできました。また今年のセンター入試の2日目『読売新聞』朝刊の解答速報の下欄に首都大の宣伝広告があり、ここにも西澤学長と一緒に石原知事が写真入りで出ています。このHPや新聞広告、考えてみれば異常です。独立行政法人になって東京都からは独立したはずなのに、いったいなぜ石原知事が、あたかも大学の「顔」であるかのように前面に出てくるのでしょうか
 運営費交付金で運営されているから、出資をしている自治体の首長が大学のHPや広告に登場するのは当然だというのでしょうか。そんなはずはありません。都立の大学の時代には制度上、設置者=知事との関係は現在以上に近かったにもかかわらず、大学の広告等では総長、学長が大学の「顔」であったはずです。初代の安井誠一郎知事以来、都知事がこのように露出した例はないのです。また法人化した国立大学の宣伝物のなかに、小泉首相が学長と同じくらい大きな写真入りであいさつをしている姿も、全ての国立大学について調べたわけではないにせよ、見出すことができません。首都大のHP、新聞広告が、いかに奇怪なものであるかがわかるのです。
 このエピソードは、8 月1日以後の知事と東京都の、大学に対する扱いを、象徴的にあらわしています。この問題は、本来であれば法人の長、学長が抗議するべき問題でしょう。

 

(2)大学運営の現状
 開学から1年を経た、「世界にない」大学の現状はどうでしょうか。新大学は開学早々から、学内運営に未曾有の混乱を招くことになりました。2003 8 1日に石原知事がそれまでの改革大学構想を一方的に破棄し、突然にぶち上げた新大学構想がいかに実質を伴わない空疎なものであるのかが改めて明らかになったのです。華々しく喧伝した新大学の目玉商品も、ほとんどが実効性に乏しいものとなっています。しかも不幸なことに、2006 年度の大学案内は相変わらず大学の本来の特徴を正確に伝えず、実行不能なこれらの目玉商品を掲載したままです。
 しかも新大学の開学準備には、大学管理本部と都の路線に迎合した一部教員との密室で行われたため、全体として機能不全に陥っているのが新大学の現状です。法人化以前より大学運営が改善されたと考える教職員は、おそらくほとんどいないはずです。この間の大学改革論議のなかで必ずいわれてきたのは、過去の大学というものが評議会、教授会などの機関による協議を経ていたために、迅速な意思決定ができないというものでした。そして評議会、教授会の権限を削減し、「トップダウン」による運営を行うべきであるということは、「東京都大学改革大綱」に貫かれた思想でもありました。8月1日以後の大学との協議を無視するやり方も、そうした思想がグロテスクにあらわれたものだったといえます。しかしこうしたふれこみにもかかわらず、評議会、教授会が機能していた昨年度までに比べて、首都大開学後の大学運営が円滑に行われているとはいえません。むしろ停滞していることは、誰の目にも明らかなのです。
 ふりかえってみれば、年度当初に科学研究費申請書類の所属機関代表者を、学長ではなく理事長に書き直させ大混乱が起きました。この誤りは、経営を教学の上に置くという当局の発想から生じたものです。一部の私大では理事会の権限が非常に強い場合がありますが、経営と教学についての最低限の区分はわきまえているはずです。東京都の唱える理念が、いかに大学の常識とかけ離れたものであるかを示しています。また研究費配分をめぐって大きな問題が起こりました。経営企画室は、傾斜的研究費の配分について、首都大に就任しなかった教員に対する差別的取り扱いを行いました。これは「同意書」、「意思確認書」以来の「踏絵」政策の一環でした。また大学の実態をふまえないで基礎的研究費の配分を行ったため、研究室運営に大きな支障がでる事例もありました。教員の研究費が実際のところ、教員の狭義の個人研究にあてられているわけではなく、院生・学生の研究・学習の保障を含む学科、研究室全体のために使われるという、大学における教育研究のあり方に対するまったくの無理解が、こうした問題を引き起こしました。また大学の教育研究全体を見渡し、院生・学生の研究・学習への配慮もしながら教育研究の活性化につながる予算配分を行うためには、経営企画室が一方的に配分にたずさわるのではなく、教育研究審議会などの機関が十全な権限をもつ必要があります。
 また、オープンユニバーシティで、法人当局が来年度「300講座」実施という方針を無理矢理に押し通そうとして教職員の間に混乱が起こっています。これは大学の教育研究を発展させるために設定するはずの「数値目標」が一人歩きし、法人幹部がこの「数値目標」を達成することを自己目的化したことのあらわれでした。

(3)「トップダウン」の実態
 ところで、学内意思決定機関の権限が奪われてしまっていれば、なおさらそれを補う主体がなければ組織は動きません。常に大学全体に目配りをし、的確な判断力によって、機関の機能不全化のもたらす弊害を克服できる主体でなければならないはずです。おそらく世間では、そうした主体の決断を「トップダウン」と呼んでいるのではないでしょうか。ところが、この大学で「トップダウン」というタームが、世間とはまったく別の意味で使われていることは、いまや自明のことです。先にみたオープンユニバーシティをめぐる問題も、このことと無関係では決してありません。
 2月14日の教育研究審議会における来年度の「教員管理職等」についての「学長発言骨子」は、ようやく学内の混乱を認識してそれへの対応を行おうとしてする姿勢がでてきたかのうようにみえます。しかしそこで提起された案は、相変わらず大学運営停滞の原因がどこにあるのかということについての理解がまったくないものとなっています。
 図書情報センター、基礎教育センターには「部局長補佐」を2名まで配置可とする、都市環境学部には「部局長補佐」を2名まで増員可とする、オープンユニバーシティには「副オープンユニバーシティ長」を新設するとあります。図書情報センター、オープンユニバーシティ長は学長が兼任してきたものの、実質的にまったく業務に関与しない状況が続いていたことへの対応だと思われますが、「部局長補佐」、「副オープンユニバーシティ長」を置くことで「長」としての責任をなお一層回避するものではないでしょうか。まったく業務を行わないにもかかわらず、いつまでも「長」の椅子にあることの意味が理解できません。また都市環境学部長の「部局長補佐」の増員は、都市環境学部長が工学研究科長、都市科学研究科長を兼務することに伴う措置のようです。いたずらに規則にない新しい役職を作り、一人の人間が兼務するというのではなく、当該部局のなかから構成員の信頼を得た教員を研究科長に選出するべきです。
 先に本学では「トップダウン」というタームが、別の意味で使われていると述べましたが、本来の意味における「トップダウン」でも、大学という組織の運営を円滑に行っていくことはできないでしょう。そうではなく、むしろ教職員が大学運営に主体的に参加し、教育研究審議会、教授会に十分な権限が与えられ、学部、研究科、オープンユニバーシティ、図書情報センターなどの機関の長が自覚と責任観念を備えていくことで、改善できるに違いありません。
 このような現在の大学運営の混乱を収拾し、大学再生の舵を切るためには、法人の代表である理事長及び学長が開学1 年の経過について、全教職員の前で経過の報告を行い最高責任者として不十分であった諸問題について率直に責任を認めると共に、2 年目に向かって、混乱の修復への協力を、一般教職員に虚心坦懐に呼びかけるぐらいのことがあってしかるべきです。何故なら、2 年目には、日野キャンパスと南大沢キャンパスとの間の研究室の移動問題、荒川キャンパスへの2 年生の移動、短期大学の最終年、学生サポートセンターの活動修正などの新たな課題が存在し、全学的な取り組みが整然と実行されなければ、新たな混乱が増えるばかりになるからです。全学を挙げて取り組むべき課題が目白押しの2 年目に向かって、理事長や学長がその第一線に立ち、教職員と共に取り組む明確な姿勢を示すことこそ、最高責任者の取るべき態度であると思われます。

3.大学運営の根本的刷新を!
 組合は、以上の問題を放置すれば、首都大は大学としての体をなさなくなると考えています。また組合として特に放置できない問題は、教職員の労働条件に悪影響を及ぼすことです。法人、大学行政が合理的に運営されていない、あるいは指揮系統が不全であれば、朝令暮改の連続となります。そうすれば教職員に過重な負担がかり、労力を合理的に配分することができずムダも生じます。都立の時代は、「管理運営事項」であるとして労使協議の対象とすることを拒否されてきた事柄も、教職員の労働条件に少しでも関わるものであれば労使協議の対象となります。
 2005 8 1 日に開催された組合主催の集会「新大学開学4ヶ月を検証する」および、11 4 日の組合、学生自治会、「都民の会」共催の「首都大学を考える会」の場において、60 年近い都立4 大学の教育研究の成果の蓄積の継承と発展を図る上で何が必要かということが議論されました。組合はこれらの集会での議論も参考にしながら、大学の再生に向かって努力する方針です。当面、法人、大学で生じている問題を一刻も早く解決するために、組合はその役割の範囲内で、問題点を徹底的に洗い出します。また場合によっては学内外にもこうした現状を伝え、真の大学改革のあり方についての議論を喚起していきます。
 また教職員ばかりでなく、大学に学ぶ学生、院生の学習、研究条件の改善を行っていくことも必要です。新大学の開学以来、南大沢キャンパスでは昨年に比べ多くの学生が学んでいます。そのため昼食時には生協食堂が混雑する状況が生まれていました。そのため食堂混雑の緩和策を求める署名を学生自治会と共に実施しましたが、短期間で905 名もの賛同者がありました。この賛同署名は多くの建設的な意見を添えて、学生自治会執行委員らと共に、12 月初めに法人事務当局へ提出しました。これ以外にも学生、院生の学習、研究環境をめぐって改善の余地があります。こうした要求にもできるだけ応えて、大学運営の刷新を求めていかなければなりません。
 なお、開学2 年目を迎えるに当たり、大学運営の実態などに関して、組合員を中心としてアンケートを行い、現状把握と打開の方向性を導き出す活動を展開していきたいと考えております。

 

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222日 この間の大学「改革」をめぐる大学人の動きを見ていて、予算や人事を行政当局(その任命者)に握られたら、大学人は非常に弱いものだと考える。だからこそ、予算や人事における大学の自治(経営者・行政当局からの独立自立)が、とりわけ重要になる(芦部『憲法』)。その歴史的教訓を踏まえたのが、憲法の保障する大学の自治(学問の自由の制度的保障)だろう。その点に関する日弁連文書(抜粋)が、「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)に掲載された。ここにコピーしておこう。

      翻って、現在、昇格資格候補者(助手から准教授へ、准教授から教授へ)に対して、任期制(有期労働契約)への同意を強制しようとしているのは、明確な憲法違反ではないか?

現在の就業規則その他を理由に「合法的なもの」とされるとすれば、憲法に照らすときには、それら就業規則その他こそが違反するのではないか? 

それを行うに至らしめた市行政当局(市の大学改革推進本部による諸規定の制定と、経営陣の任命、その経営陣による諸規則の執行)の憲法違反が問われるのではないか?

現在推進されようとしている制度(その運用)では、昇格人事を進める諸手続、諸規定の制定過程、その周知徹底、公明性・公開性・公平性など、たくさんの点で「大学自治」の観点から容認できない深刻な問題を抱えていると思われる。その具体的な解明が求められているであろう。

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国際人権条約、「経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会」の一般的意見 「学問の自由と大学の自治」

日弁連「国際人権ライブラリー」
 ●「経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会」の一般的意見
 一般的意見第13 (1999) 教育に対する権利(規約13 ) (E/C.12/1999/10)21 会期,1991 ) 1

 下記に,国際人権条約における「経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会」の一般的意見のうち,現在問題なっている「無償教育の漸進的な導入」の13条(b)以外の13条関係を抜粋する。
  特に「教育職員の物質的条件」の保障,および「学問の自由」と「高等教育機関の自治」を示す。

13 条2項(e) : 学校制度, 十分な奨学金制度, 教育職員の物質的条件

25 「すべての段階にわたる学校制度の発展を積極的に追求し」なければならないという要請は、締約国には学校制度について総合的な発展戦略をもつ義務があるということを意味する。 この戦略はすべての段階の学校を包含したものでなければならないが、規約は締約国に対して、初等教育を優先するよう求めている(パラグラフ51 を参照) 「積極的に追求」 するとは、この総合的戦略には政府による一定の優先順位が与えられるべきであり、かつ、いかなる場合でも、精力的に実施されなければならないことを示唆するものである。

26 「適当な奨学金制度を設立し」なければならないという要請は、規約の無差別及び平等条項とあわせて読まれるべきである。 奨学金制度は、不利な立場におかれた集団に属する個人による教育上のアクセスの平等を高めるものであるべきである。

27 規約は「教育職員の物質的条件を不断に改善すること」を求めているが、実際には近年、多くの締約国において、教員の一般的な労働条件が悪化し、容認できないほどの低水準に至っている。 これは第13 2 (e)に合致しないのみならず、教育に対する生徒の権利の完全な実現にとっての重大な障害でもある。 委員会はまた、規約第13 条2項(e)、2条2項, 3条並びに、教員の結社及び団体交渉の権利を含む第6〜8条の関係に留意し、教員の地位に関するユネスコとILO の共同勧告(1966 )及び高等教育職員の地位に関するユネスコの勧告(1997 )について締約国の注意を促し、かつ、締約国に対し、すべての教育職員がその役割に相応する条件及び地位を享受することを確保するために取っている措置について報告するよう強く求める。

学問の自由及び機関の自治17)

38 委員会は, 多数の締約国の報告書を検討してきた経験に照らし、教育に対する権利は職員及び生徒の学問の自治が伴わなければ享受できないという見解を形成するに至った。従って、たとえこの問題が第13 条に明示的に触れられていなくとも、委員会が学問の自由について若干の所見を述べることは適当かつ必要である。 以下の所見は、高等教育機関に特に注意を払っている。 それは、委員会の経験では、高等教育の職員及び生徒は学問の自由を阻害する政治的その他の圧力に特に弱い立場にあるからである。 しかし委員会は、教育部門のすべての職員及び生徒が学問の自由についての権利を有しており、以下の所見の多くは一般的に適用されるものであることを強調したい。

39 学問の世界に属する者は、個人的又は集団的に、調査、教授、研究、討論、執筆又は製作を通じて、知識及び考えを自由に追求し、発展させまた伝達することができる。 学問の自由は、個人が、自分が働く機関又は制度について自由に意見を表明し、国又はその他のいかなる主体による差別又は圧迫の恐れもなく職務を遂行し、専門的な又は代表制に基づく学術団体に参加し、かつ、同じ管轄に属する他の個人に適用される国際的に認められたすべての人権を享受する自由を含む。 学問の自由の享受には、他の者の学問の自由を尊重し、反対意見の公正な議論を確保し、またすべての者をいかなる禁止事由に基づく差別もなく取扱う義務のような義務を伴う。

40 学問の自由の享受のためには、高等教育機関の自治が必要である。 自治(autonomy)は、学問的な活動、基準、道営及び関連の活動に関して高等教育機関が効果的な意思決定を行うために必要な程度の自己統治(self-governance)である。しかし、自己統治は、特に国によって提供されている資金との関連で、公的な説明責任(accountability)の制度に合致したものでなければならない。高等教育において相当の公的投資が行われていることをふまえれば、機関の自治と説明責任の間には適切なバランスが見出されなければならない。 単一のモデルはないものの、制度的取決めは公正、公平かつ衡平であるべきでありかつ、できる限り透明で参加型のものであるべきである。

 

Posted by 管理人 : 掲載日時 20060222 00:08 | コメント (0) | トラックバック (0)
URL : http://university.main.jp/blog3/archives/2006/02/post_1100.html

 

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221日 福島大学の学長の貴重な見解を、新首都圏ネットワーク221日)で知った。以下にコピーしておこう。

地方公共団体(地方自治体)の直接的支配下に置かれた本学(実質において、定款と学則制定において、理事長以下の大学経営陣と教育研究審議会の主要メンバーの任命制において)の実情、大学の自治、その民主主義的発展とは逆の方向を本学においてみるにつけ、感銘深いものがある。問題は、自立性・自律性がどのように発展させられ充実させられるか、その実際であろう。

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新首都圏ネットワーク

 

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以前の記事は、こちらの更新記事履歴


『福島民報』日曜論壇 2006219日付

大学法人化の思想


 一昨年4月から福島大学を含む全国の国立大学は一斉に「国立大学法人」へ
と移行し、管理運営システムも大きく再編された。本年4月より2つの県立大
学も法人化されるということで最後の総仕上げがなされているであろう。この
法人化にかかわる報道で気になることがある。それは無造作に「独立行政法人
化」という用語によって報道されていることと、しばしば当事者自身において
もその用語が使用されていることである。

 私のようにまず旧「国立大学」学長として選出され、その時期に「法人化」
の最終決定(国立大学協会総会)に加わった者からして、この「独立行政法人
化」という用語にはとても抵抗を感じるし、不正確な使用法となっていると思
う。その点に関しては、たとえば当時の文部科学大臣であった遠山敦子氏の著
書では「平成9年国立大学の特性を考慮しない『行政改革』的な独立行政法
人化に対して強い懸念」がなされ「数多ある国の機関の中で唯一国立大学だけ、
そして政府部内で文部科学省だけが独立行政法人制度の無条件適用に異を唱え
つづけ」「『独立行政法人』制度と異なる『国立大学法人』制度の創設が提唱」
されたと紹介している。

 私も一国立大学の長として、当時の「法人化」最終決定の際には、反対もし
くは保留の気持ちを持ちながらも、他方でこの独立行政法人とは区別される国
立大学法人への提案がなされているという認識をふまえ、今後の国立大学の発
展への希望を託しつつ総会に臨んでいた。

 すなわち今回の国立大学法人化については、ある人は「民営化への一里塚だ」
と主張しているが、その点については私は全く異なる立場にたっており、「国
が国立大学のあり方やその財源措置に責任をもちつつ、国立大学の自主性・自
律性を高めるため」の法人化であるととらえている。

 この国立大学法人化路線に対して、その法人化路線の本来の本質からして
「独立行政法人化」なる言葉を回避し、安易に「国立大学法人化」という言葉
に置き換えることに反対する立場もあるが、あの移行過程の私の体験・実感か
らして、むしろこの「国立大学法人化」という思想の可能性に賭けたいという
思いがある。

 したがって、私は国立大学法人化を安易に独立行政法人化と同一視する立場
とは一線を画している。この「国立大学の自主性・自律性を高める」法人化と
いう立場から、私は福島大学における法人化の基本原則について検討すること
を全学に提起し、その検討結果をふまえて『福島大学の法人化について(最終
報告)』が法人化直前の平成16年3月5日付けで完成している。この報告書
は、福島大学において〈大学法人化の思想〉を具現化させたものとして私は重
視したい。

 大学法人化の思想として重視したいのは、大学という組織体が真にその目標
に沿うものとして機能するためにも学問研究・教育研究の特性を生かしつつ、
その組織体における民主主義を充実・発展させるということである。そして大
学と社会との相互交流を積極的に位置づけつつ大学の研究・教育の成果を社会
に還元させることである。

 その際の大学の民主主義と、大学と社会の相互交流を保障するものこそ、教授会自治を継承発展させた大学全体の自治であろう。(臼井嘉一・福島大学長)

 

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220日 下記、記者会見には、伊豆氏、伊藤氏、久保氏など5名が参加され、反対声明の記事を「神奈川、東京、読売、朝日が掲載してくれました」ということである。また。事務局からよせられた連絡では、4月にシンポジウムが開催されることになったようである。

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「米軍基地再編・強化に反対する大学人の声明」呼びかけ人各位

呼びかけ人をお引き受けいただきました「米軍基地再編・強化に反対する大学人の声
明」は、26名(217日現在)の方のご賛同をえました。

18日(土)の神奈川、東京、読売、朝日の4紙に掲載されました。ご協力有難うござ
いました。

「声明」添付いたしました。ホームページへの掲載、各地の集会等での活用、さら
に賛同者を広げる際にご利用いただければ幸いに存じます。

なお、会見後、話し合いまして、415日(土)午後にシンポジウム(基調講
演:「米軍の世界戦略と在日米軍基地再編・強化」(仮)、横須賀、座間、池子、沖
縄各基地反対運動関係者によるシンポジウム)を企画しました。詳細が決まり次第
ご案内申し上げますが、引き続きご協力下さいますよう、お願い申し上げます。

以上、ご報告とお願いまで

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20日 事務局

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218日 米軍基地再編強化や横須賀の原子力空母の母港化などに反対する声明(大学人による県民への呼びかけ)に名を連ね、昨日記者会見で発表された。アメリカ軍事基地が再編強化されるとすれば、地域住民の生活がますます脅かされるだけでなく、日本国憲法の空洞化はさらにいっそう進むことになる。米ソ2大陣営の冷戦体制が終結してから15年ほど、この平和の潮流こそ強化すべきであり、ふたたび軍事緊張を高めないような努力が必要だろう。

憲法の改悪を阻止し、現在の憲法の平和主義・民主主義(その理念と規範的価値)を活かすためにも、米軍基地再編強化などをこのまま拱手傍観はできない。

われわれは、アジアの平和的な共同体の構築のためにこそ、多様・多次元の努力を積み重ねるべきだろう。自衛隊の軍隊化や米軍の軍事基地強化の道はとるべきではないだろう。

「白バラの祈り」のような悲劇を再現させないためには、平時のときの努力こそが求められるであろう。

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<県民のみなさんへ、大学人の訴え>

「神奈川における在日米軍基地の再編・強化に反対する」

 

沖縄に次いで多くの米軍基地をかかえる神奈川で、米軍再編に伴う陸軍第一軍団指令部座間移転や相模補給厰の再編強化、横須賀への原子力空母母港化に対して、地元の住民や自治体の反発が強まっています。

 

ふり返れば、神奈川の米軍基地は、戦後を通じて県民に多くの犠牲を強いてきました。この年明けには横須賀で米兵による殺人事件が起りました。厚木基地の爆音問題に対しては、40年余にわたって地元住民が反対運動を続けてきています。1976年横浜市緑区の住宅地への米軍機墜落で、住民親子が犠牲になった事件も記憶に残っています。池子の米軍住宅建設は、横浜市に残された貴重な自然保護の問題にもかかわる新たな問題として周辺住民が反対の声を上げています。

 

全国的にも、沖縄普天間基地の辺野古移設や岩国への空母艦載機移転に、それぞれの地元で幅広い反対運動が繰り広げられています。その他の米軍再編に関わる全国の自治体でも、基地の再編強化に反対する動きが広がっています。

 

今、米軍の再編成に応じて基地の増強に協力することになれば、私たちの生活と安全はもっと重大な脅威にさらされることになるでしょう。

 

これに対して小泉政権は、この3月に日米安保委員会の最終報告をまとめ米軍再編強化に即応しようとし、辺野古に対しては特別措置法で強引に移設を図ろうとしています。

 

政府は、全国に広がる地元住民の反対の声に耳を傾けるべきです。また、日本自体が世界第2位級の戦力を持つ軍事大国となっていることには口を閉ざし、中国脅威論をあおり立てる一方で、アメリカに追随し9条改憲で自衛隊海外戦闘行為参加の道を開くことは、東北アジアの平和と安全にとって大変危険な選択です。

 

問題を武力によって解決するやり方に反対し、なによりも、市民の交流と外交を通じた相互理解に基づく平和的な手段によって、中国や近隣アジア諸国・地域との友好関係を築いていくことが求められています。

 

県民のみなさん。地元住民を無視した基地の強化・恒久化につながる米軍再編とこれに追随する小泉政権に対し、反対の意思を示しましょう。既に、地元住民と自治体は反対の声をあげ、行動に立ち上がっています。この問題は、基地に隣接する自治体や地域だけの問題ではありません。県民全体の安全と生命に関わる問題です。

 

私たちは、地元住民と自治体の運動に連帯し、再び戦争への道を開く憲法改悪に反対し、県民の安全と生活を脅かす米軍基地を神奈川と日本から無くすために、広範な県民が連帯して声を上げ、立ち上がるよう訴えます。                      

 

 2006年2月17

 

呼びかけ人50音順)>:

 

伊豆利彦(横浜市立大学名誉教授)、伊藤成彦(中央大学名誉教授)、上野正(東京大学名誉教授)、岡眞人(横浜市立大学教授)、奥村皓一(関東学院大学教授)、久保新一(関東学院大学教授)、小林直樹(東京大学名誉教授)、桜井由躬雄(東京大学教授)、佐藤司(神奈川大学名誉教授)、清水嘉治(神奈川大学名誉教授)、下山房雄(九州大学名誉教授、横浜国立大学元教授)、首藤信彦(東海大学教授)、田代洋一(横浜国立大学教授)、田畑光永(神奈川大学教授)、土井日出夫(横浜国立大学教授)、中西治(創価大学教授)、中西新太郎(横浜市立大学教授)、永岑三千輝(横浜市立大学教授)、鳴海正泰(関東学院大学名誉教授)、服部 学(立教大学名誉教授)、林博史(関東学院大学教授)、原沢進(立教大学名誉教授)、藤田秀雄(立正大学名誉教授)、安田八十五(関東院大学教授)、矢吹晋(横浜市立大学名誉教授)、山根徹也(横浜市立大学助教授

 

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 以上と直接関連するものとして、横浜弁護士会の講演会が開催されるようである。以下にその案内をコピーしておこう。

 

拝啓

 メールで失礼します。国民連合・神奈川の世話人をしています越川好昭です。

 在日米軍再編、憲法改正など、アメリカに従って戦争できる国造りが進められてい

ます。

 とりわけ神奈川県は、米軍キャンプ座間に陸軍司令部を持って来ることが日米政府

の間で合意され、今回の在日米軍再編の重要な柱の一つとなっています。

 関東学院大学の久保新一先生が中心となって、<県民のみなさんへ、大学人の訴

え>「神奈川における在日米軍基地の再編・強化に反対する」が25人の大学人の皆

さんで呼びかけられ、2月17日には県庁で記者会見をしました。今後、学習会など

も開催される予定です。

 米軍基地を抱える自治体の首長をはじめ、自治会、労働団体など、さまざまな団体

が米軍基地の再編・強化に反対しています。

 横浜弁護士会では、人権擁護委員会・法律相談センター運営委員会が主催して、次

のとおり、講演・討論会を行います。入場無料、どなたでも参加できますので、ご案

内いたします。

 

テーマ  「自衛軍創設!」って…? 〜米軍基地再編と憲法9条改正をつなぐも

の〜

日 時  3月9日(木)午後6時〜午後8時30分

会 場  横浜市開港記念会館1階1号室

(県庁筋向かい、JR・市営地下鉄「関内」駅徒歩7分、

 市営地下鉄みなとみらい線「日本大通」駅県庁前出口徒歩1分)

講師 1 阿部浩己・神奈川大学法科大学院教授(国際人権法)「集団自衛権と日本

の針路」

講師 2 梅林宏道・軍事評論家・NPO法人「ピースデポ」代表「米軍再編と日本、

そして神奈川」

 

 

 

 

 

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217日 久しぶりに香川大学の吉田さんのHPを見た。120日のところで確認できたが、教員流出に関する情報はやはり私が想像したとおりだったようだ。そのとおりだとすると、この若手有望研究者の流出決断・決定は、まだ今回の「昇任規程」及びその内規が公表されるずっと前のことである。既にここでもコメントしてきたような重大な問題をはらむ今回の「昇任規程」(及びその内規)が、今後、こうした若手有望研究者たちに与える精神的打撃は、はかりしれないのではなかろうか。一楽教授の言うように、まさに撤回すべきものだろう[2]

せっかく長年(助教授歴10年以上も)努力して研究と教育に励んで実績を挙げても、だからこそ「昇格」の資格・実績ができても、その昇任には「任期制同意」が求められるとしたら、いったいだれが明るい展望をもてるであろうか?

何のために努力していることになるのだろうか? 不安定雇用(任期制)に向かって努力などできるか? 

実績が認められ、教授昇格と共にテニュア(定年までの終身在職権)が与えられるというのなら、話はわかる[3]

ところが、せっかく努力して教授昇格の資格ができたら、任期制という不安定雇用に落とす、それに同意せよ、というのである。普通の市民常識からすれば、信じられないことではないだろうか?

このような制度では、何とか教授資格を取るまでに業績を上げるが、しかしその主たる目的はできるだけ早急に外にでることであり、そのために必死で努力する、働いている大学に愛着などない、実績を挙げてもそれが正当に認められないそんな大学には留まる理由などない、ということになりはしないだろうか? 出て行かないのは、出て行けないからだけだ、ということになりはしないか?

「任期制同意」を強要することは、若手教員に、「出て行け、出て行け」と鞭打っていることになりはしないか? そうだとすれば、「出て行きたいだけの、将来に明るい展望を持てない教員」に教えられる学生・院生は、どう感じるだろうか?

「普通に働いていれば大丈夫」などというのも、人々を愚弄するものであり、表向き「任期制」導入で掲げていた理念と合致しない。

「努力が報われる」制度ならば、努力に応じて高い評価(学界・社会・学生院生などの多次元の評価を媒介とした評価)が行われるシステムでなければならない。10年以上、努力=実績を積んだら、昇格はさせるが任期制を飲ませ、雇用の点では不安定雇用に落とす、というのは、何という制度、何という法人か?

現在強行されようとしている「任期制」は、その基本の制度設計と理念において、重大な問題をはらんでいるであろう。

教員組合執行部の奮闘を期待したい。

久しぶりの吉田さんのHPから2005720日の記事もコピーしておこう。

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一般にわが国の地方公共団体においては,国立大学における文部科学省や私立大学における理事会のような,大学問題を第一義的・恒常的に考える場が存在しないか,存在してもその力は弱く,日常的な運営は大学自体に委ねられてきた。一方,大学に対する施策や財源は,選挙により交替する地方公共団体の首長の見識,並びに変動する財政事情によって左右される傾向が存在する。こうした傾向は国立・私立大学の場合にも無いわけではないが,公立大学の場合はその程度が著しく,その帰結の一端が現にいくつかの大都市公立大学の改革過程で生じている教員の流出などに現れているといえよう。(89頁:強調は引用者)

「首長の見識」を敢て取り上げているところが注目される。せんじつめて言えば、「いくつかの大都市公立大学」では「財政事情」に加えて「首長の見識」に問題があったから、「教員の流出」が生じたということになるからだ。
市大で闘っている方々には日本学術会議という協力な援軍がついたようだ。これへの当局の抗弁がみものである。

 

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215日 「全国国公私立大学の事件情報(本日付)に、労使関係・労働問題を専門に研究するサイト管理者(片山氏)の労基法14条改正に関わる論評が発表された(下記コピー参照)。同氏の13日付のコメント(「労基法第14条に基づく全教員任期制の強要、日本の全大学人への挑戦」)と合わせ、本学教員(組合)に対する力強い支援であり、全国の大学人への貴重な情報提供である。

この論評では、国会の議論、立法の趣旨(使用者側の意図と労働者側の意図など)が明確に解明されている。

その解明によれば、本学における全教員への労基法14条適用(就業規則に定めるやり方)は、「基幹労働者の丸ごと代替有期雇用化などあり得ないと発言した労働政策審議会使用者側委員の想定さえも超えた」ものだという

まさにこうした専門家・専門研究者(労働問題研究者)の理路整然とした議論(改正の経緯と趣旨、立法の意図と論理、国会付帯決議を必要とした背景事情、法律体系の中での位置づけなど)こそが、われわれ不安定雇用化の脅かしにさらされている大学教員が求めるものである。

私はこの議論が正当だと理解するので、その必然的帰結として、こうした違法な内容を盛り込んだ「就業規則」はそれこそ法律に違反するものとして、労働基準監督局がきちんと取り締まるべきものではないかと考えるがどうだろうか? もちろん、同時並行的に、法人当局(理事長・副理事長など)にも、その法理についてきちんと文書で問いただす必要がある。

労働基準監督局の判断を仰ぐために、教員組合はしかるべき行動をとる必要はないだろうか?

 

任期なしの継続・継承教員に対して、昇任において「新たな労働契約」を結ばせるということを、労働契約に関する教員組合との協定においてではなく、「昇任規程」の中にもぐりこませることも根本的に問題だということになる。

独立行政法人化し、法人としての独立性・自律性を獲得したはずの公立大学法人で、私立大学のほとんどすべてが採用しているようなやり方[4]をとらないという異常さ(その合理的合法的説明の欠如)も問題となろう。

 

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20060215

横浜市立大学労基法第14条に基づく全員任期制、国会の付帯決議にも違反するのではないか

衆議院厚生労働委員会「労働基準法の一部を改正する法律案に対する付帯決議」(平成1564日)
参議院厚生労働委員会「労働基準法の一部を改正する法律案に対する付帯決議」(平成15626日)

 200374日公布の改正労基法(200411日施行)は,解雇規定の新設および裁量労働制の規制緩和とともに有期労働契約の期間の上限に関する定めを変更した。その内容は有期契約の期間の上限を原則1年から3年に引き延ばし,特例の3年を5年に延長・緩和するものであった。
 
 労基法第14条は,これまで,その本来の立法趣旨と異なり,解雇権濫用の法理に対する回避策として利用されてきた。すなわち,期間の定めのない正規雇用者の場合,判例上「正当な理由」(整理解雇の4要件など)のない解雇は明確に違法とされており,この規制を免れるために,使用者は恒常的に必要とされる業務についても「期間満了」という形態で解雇が可能な有期労働契約を締結しようとしてきた(ただし,有期契約を何回も反復更新するなど,期間の定めのない雇用と変わらない労働実態が認められる場合,有期労働契約と言えども雇止めに対して解雇権濫用の法理が適用される。そこで,この問題をクリアすることが,上記労基法改正の真の狙いでもあった。)したがって,労働契約期間の上限規制の緩和は,新たな不安定雇用者の拡大をもたらすものである。

 この点に関わり,上記労基法改正審議過程において,労働政策審議会労働条件分科会では,「有期労働契約の期間の上限を延長することに伴い,企業において,期間の定めのない労働者の雇用に代えて有期契約労働者を雇用するケースが増大するのではないかとの強い懸念があり,常用代替が進まぬよう一定の期間を超えて雇用した場合の常用化や期間の定めのない労働者のとの機会均等を要件にすべきだ」との意見が労働者側委員から強く出された。他方,使用者側委員からは,「企業においては,基幹労働者は基本的に期間の定めのない雇用としており,今回の見直しに伴って基幹労働者を有期労働契約にすることは考えにくい」との反論意見が出された。
 この懸念については,国会においても同様に問題にされ,最終的に改正法案を通過させるにあたって,衆参両厚生労働委員会は以下のような付帯決議をつけた。すなわち「労働契約期間の上限の延長に当たっては,常用雇用の代替を加速化させないように配慮するとともに,有期雇用の無限定な拡大につながらないよう十分な配慮を行うこと」である。こうして,改正労基法第14条は,適用にあたっては常用雇用の有期雇用への代替,有期雇用の無限定な拡大が戒められている。

 横浜市立大学の労基法第14条による任期制は,期間の定めのない雇用者たる教員を全員3〜5年の有期雇用に置き換えようとするものであり,まさに下記の付帯決議の趣旨に違反する(基幹労働者の丸ごと代替有期雇用化などあり得ないと発言した労働政策審議会使用者側委員の想定さえも超えたといえよう)。また,期間の定めのない労働契約を有期労働契約の変更するためには,労働者の合意が必要にもかかわらず,昇任手続きと引き替えに無理矢理に不利益変更への合意を強要することも違法であろう。理性と良識の府たる大学において,かの厚生労働大臣でさえ,契約期間上限の延長のデメリットとして認識し防止しなければならないと公式国会答弁した有期雇用への置き換えについて,横浜市立大学はこれを意図的に強引かつドラスチックに進めようとしているのである。
 このように雇用面での安定秩序を破壊し,大学教員への権利侵害・反労働者的行為を平気で行う大学において,西の横綱を立命館大学とするならば,まさに横浜市立大学は東の横綱として堂々「昇格」した。

労働基準法の一部を改正する法律案に対する付帯決議
平成1564
衆議院厚生労働委員会

一 労働契約の終了が雇用者の生活に著しい影響を与えること等を踏まえ,政府は,本法の施行に当たり,次の事項について適切な措置及び特段の配慮を行うべきである。

1 (略)
2
 労働契約期間の上限の延長に当たっては,常用雇用の代替を加速化させないように配慮するとともに,有期雇用の無限定な拡大につながらないよう十分な配慮を行うこと

3 以下、略。

労働基準法の一部を改正する法律案に対する付帯決議
平成15626
参議院厚生労働委員会

一 政府は,次の事項において適切な措置を講ずるべきである。

1 (略)
2
 労働契約期間の上限の延長に当たっては,常用雇用の代替化を加速させないように配慮するとともに,有期雇用の無限定な拡大につながらないよう十分な配慮を行うこと

3 以下、略。

衆議院厚生労働委員会 18号 平成15528日(水曜日)

……

○坂口国務大臣 おはようございます。
 有期労働契約期間の上限延長に伴うデメリットについてお話がございましたが、現在いろいろ懸念をされておりますことは、一つは、期間の定めのない労働者にかえて有期契約労働者を雇用したり、有期労働契約が事実上の若年定年として利用される可能性があるのではないかというのが一つ。それからもう一つは、一年を超えるようなより長期の有期労働契約を締結した場合には、契約期間の途中でさまざまな事情の変化が起こる可能性が高いにもかかわらず、そのような場合にも中途解約ができずに、不当に労働者が拘束されるおそれがあるのではないか。この二つのことが懸念として示されているというふうに思っております。
 過去のいろいろの裁判例等を見ましても、この辺につきましてはさまざまな角度からの最高裁あるいは高等裁判所等からの判決も出ておるところでございまして、かなりこの辺も整理をされてきているというふうに思っている次第でございます。
○水島委員 判例においてはかなり整理されてきているという御認識であるわけですが、今大臣が懸念される点として挙げられた点については、まさに私も同感でございます。本日、ぜひこの質疑の中で、その点について、大臣がその懸念をどのような形できちんと措置されているかということを明らかにしていっていただきたいと思っております。
 そもそも、大臣はこの有期雇用というものに関しては望ましい雇用形態と考えていらっしゃるでしょうか、それとも、あくまでも例外的な雇用形態というふうに考えておられるでしょうか。
○坂口国務大臣 どのような雇用形態によって労働契約を締結するかということは、これは労使双方が労働条件などのさまざまな要件を考えて選択をし、締結をするものでありますから、雇用形態がどれがいいということを一概に言うことはなかなか難しいというふうに思います。
 しかし、最近の状況を見ますと、みずからの専門的能力を生かして働きたいという労働者の意識の高まりというのも、今までに比較をいたしますと大きくなってきているというふうに思います。また、労働者の転職希望率というのも、これもまた高まっておりまして、終身雇用や年功賃金に関する意識変化というものがあることも御承知のとおりでございます。
 このような状況の中で、転職を繰り返す中でキャリアアップを図りたい、そういう方もございますし、あるいはまた、自分の専門的知識を生かして働きたい労働者にとって、有期労働契約がメリットの人もおみえになる。
 ただし、そうはいいますものの、そういう労働者ばかりではありませんから、有期労働ということによってマイナスになる可能性の方も私は率直に言ってあるというふうに思いますから、そういう皆さん方に対してマイナス面をより少なくしていくという努力が必要ではないかというふうに思っております。
○水島委員 確認をいたしますけれども、つまり、有期雇用という形で働きたいということを進んで希望する方には、当然、有期雇用という制度があるべきであるけれども、有期雇用という形を望まない人にとっては、やはりこの有期雇用が実質的に働き続ける唯一の手段となることはできるだけ防いでいかなければいけないというような御認識ということでよろしいでしょうか。
○坂口国務大臣 常用雇用というのが決してなくなるわけではございません、これからも続くものというふうに思っておりますし、経済の動向によりましては、企業の側も常用雇用というものをもっと重視する可能性もございます。したがいまして、常用雇用を希望される方はやはりその道をできるだけ選ばれる、そういう選択が十分にできるような体制というのをつくっていかなければいけないというふうに思っている次第でございます。……

 

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214日 「全国国公私立大学の事件情報(本日付)に、一楽氏の「昇任規定」制定過程・内容・適用過程に関する批判が掲載された[5]。そして、随氏の明快なジャーナリズム批判も掲載された。できるだけ多くの大学人に、本学をめぐって今まさに行われようとしている事態が、このまま放置すれば、既に教員の立場が弱いような大学から始めて「明日はわが身」となることを認識していただくきっかけとなろう。

「事件情報」管理人の労働法・労働基準法に関する的を射たコメントは、われわれを勇気付ける法律論である[6]。以下にコピーしておこう。

それは、本学の就業規則、任期制雇用契約への同意強要が、不安定雇用化を推し進める就業規則であること[7]、その点で全国・全世界でオンリーワンの雇用関係を創出しようとしているものだということ、それは必然的に大学破壊をもたらすことを明らかにしてくれるものだろう。

下記の労働基準法解釈が示すように、本学の就業規則、教員全員任期制への労働基準法第14条の適用は、違法であろう。すくなくとも立法の趣旨に反する強引なものであることは確実だろう。本学に法律の素養を持った人々はいるはずで(副理事長も確かどこかの大学の法学部出身)、そうした経営責任者たち(副理事長だけとは限らない)の法律解釈が今後、きびしく問われることになろう。

昨日の組合学習会で、たくさんの問題点が出された。その一つ一つに法律解釈が関係してくる。この点も昨日の学習会の成果、少なくとも私にとっての成果であった。

教員組合執行部による論点整理、団体交渉によるその問題点の提示、当局への回答の要求、当局からの回答、その内容次第で次にとるべき行動が提起されてくるであろう。

当局は、昇任候補者に対して「2-3日で書類を提出するように」と求めたようであり(cf.上述「全国国公私立大学の事件情報」一楽氏文書、及び昨日の教員組合集会における何人かの発言)、それからすれば、教員組合は、期限をきり、数日間で当局から明確な回答を書類で提出するよう求めるべきだろう。

きちんとした適切な日数以内の回答なくしては、教員(今回の場合は直接的には昇任候補者のひとびと)は、判断・行動しようがないからである。

日数を提示し期限を切って当局に回答を文書で求め、その要求文書をきちんと公開しておくべきだろう。誠実交渉義務を当局が果たしているか、関係者全員、そして社会が明確にわかるようにしておくこと、検証可能なようにやりとりを文書で残しておくことが必要だろう。

一方的に昇任候補の教員だけが苦しめられるのはおかしな話だろう。

弱い立場の教員だけが一方的に「時間切れ」、「時間がない」との圧力で思考停止の状態に追い込まれるのは、不当だろう。

一楽氏の指摘するような時間切れの状態を作り出した責任も含め、そうした行為は、不当労働行為そのものではないか?

 

 

-------「全国国公私立大学の事件情報213日付-------- 

20060213

横浜市立大学の労基法第14条に基づく全教員任期制の強要、日本の全大学人への挑戦ではないか

 横浜市立大学は,任期制導入問題について,教員組合との団体交渉の際,「任期制に同意しない教員の既得権は認めるが、業績評価によって昇格が認められても、任期制に同意するまでは昇任を発効させない」とする態度を示し,個々の昇任をたてにとって力ずくで任期制の導入を強要しようとしている。

 横浜市立大学の任期制は,通常の任期制と次の点で特異な性格をもつ。一つは,全教員に適用させるものであり,いまひとつはその法的根拠を「大学の教員等の任期に関する法律」ではなく,労基法第14条に置いている点にある。この2つをセットにした任期制は,全国広しと言えども横浜市立大学をおいて他に例がないのではないか。そもそも労基法第14は,有期の労働契約が特定使用者への長期間の緊縛をもたらすことがないよう,契約期間の上限を定めるものであって,あくまで職業選択の自由を保障する労働者への保護が立法趣旨である。この規定を逆手に利用して期間の定めのない常用雇用者を有期契約雇用者に,しかも在職教員を全員それに適用させる行為は暴挙というほかない(一般の民間営利企業でさえ,こうした乱暴な雇用条件の不利益変更は聞いたことがない。つまり課長や部長に昇進したければ皆有期雇用の契約にサインしろというのと同じ。)本来の任期制の趣旨とは遠く離れて,実質は全教員の不安定雇用化=「有期雇用化」である。

 厚生労働省は,「有期労働契約の締結、 更新及び雇止めに関する基準」告示において,有期労働契約を締結するに際して,「労働者に対して当該契約を更新する場合又はしない場合の判断の基準を明示しなければならない」としているが,横浜市立大学の任期制は,この判断基準さえ具体的に示していないようだ。したがって,同大学のそれは大幅な規制緩和(改悪)を狙った2004年改正労基法にも悖る

 日経新聞(22日付)において,宝田良一理事長は,下記のように,「それでも実施してみないことには教員の指導計画もつくれない」とのコメントを出している(教員の「指導計画」とは何かよく分からないが,とにかく実施することに重きを置いている)。他方,教員組合は,「現在の横浜市立大学における教員の地位と権利を守る闘いは、決して横浜市立大学だけの闘いではありません。われわれは、全国の大学教員の不安定雇用を拡大させる流れに抗し、日本の教育研究労働者のエネルギーの大いなる損失を食い止める闘いの最前線にいることを肝に銘じる必要があります」と述べている。まさに組合の主張通りだと思う。いま,全国の大学をみても,すさまじい勢いで,教員の雇用不安定化が進んでいる。大学教員の人材派遣さえ登場している中にあって,まさに市大の闘いは,日本の全大学関係者の闘いでもある。

 

 

 

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213(3) 公共哲学のメーリング・リストで、山脇氏からのメールを受け取った。以下に紹介しておこう[8]。私も問題の映画『白バラの祈り』をすでに見たが、総力戦敗退下の市民のさまざまの行動のあり方を考えさせる印象深いすぐれた映画である。

裁判長フライスラーは、ショル兄妹たちに死刑判決を下した。最後の場面は、ゾフィー・ショルがギロチンの木枠に首を入れられる場面である。暗転して、ギロチンの鎌が落ちる。暗黒の画面で、音だけが響き渡る。まさに、「首切り」。強烈な最後の印象。

 

下記強調部分は引用者によるが、「力ずくで」任期制を強要する当局の動きは、「生真面目に自分なりの職務を遂行」する人びとによる任期制押し付けという問題でもあり、恐ろしいことではないか。「職務」だと信じて[9]、どれだけの人びとが、若い人々に対する任期制の「力ずく」の押し付けに協力しているのだろうか?

昇任規程と内規を示して、しかるべき候補者に、昇任とあわせて任期制を「飲ませよう」としている人びとは、だれだろうか?

人事委員会での議論はどうだったのだろうか?

学長以下、人事委員会のメンバーは全員、「法人の方針だ」などと同意したのであろうか?

 

今はナチ時代と違う。法律に基づき、きちんと議論して、最後には裁判に訴えてでも、大学の生命、教員の権利を守らなければならないのではないか?その第一歩が、今日の教員組合による学習会なのだろう。

 

 

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皆さま

久しぶりにメールする山脇直司です。

いま、スピルバークの『ミュンヘン』が話題を呼んでおり、今日のパレスチナ問題に通じるシリアスな問題を描いているようなので、私も近いうちに観に行くつもりですが、今日はもう一つのミュンヘン映画を観てきました。それは、私が25年程前(1978-82年)に4年間学んだミュンヘン大学を舞台にした映画『白バラの祈り』です。1943年2月に、反ナチのビラをミュンヘン大学で兄と共に配ったところを守衛に見つかり逮捕され、審問の結果、数日後に処刑されたゾフィ・ショルを描いた作品で、ドイツでは100万人が観たと言われています。時代も国籍も違うとはいえ、哲学部に属していた私はゾフィの後輩とも言えるわけで、ミュンヘン大学の懐かしい建物を観ながら、色々感慨に耽りました。印象的だったのは、まさに当時の番犬だった「尋問官」とゾフィとのやりとりや死刑を言い渡す「人民法廷」裁判長の狂信的な叫びです。しかし、審問官といい裁判長といい「生真面目に自分なりの職務を遂行」したわけで、そこが人間の怖ろしいところだと再認識した次第です。参考までに、この映画のサイトを貼り付けておきますので、お時間があったらご覧下さい。

http://www.shirobaranoinori.com/

http://homepage3.nifty.com/meien/movie/sirobara/shirobara.html

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD8314/?flash=1

http://www.paoon.com/film/jugoxwtzwd.html

 

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213(2) 教員組合書記長の「日経記事批判」のウィークリーを頂戴した。以下に掲載しておこう。

 

--------横浜市立大学教員組合週報---------



 
組合ウィークリー

2006.2.13





2月2日付けの日経記事について

文責:教員組合書記長 随 清遠



 2006年2月2日付けの『日本経済新聞』(神奈川県・首都圏経済面)に、「市立大、遅れ

る意識改革」と題する記事(以下単に「記事」と呼ぶ)が掲載されました。題目には誰の意識

改革が遅れたか書かれておりませんし、論理構成自体が曖昧ですが、その内容を読む限り、市

立大学の問題は、ろくに仕事もせず、ひたすらに既得権にしがみつこうとする教員の意識改革

の遅れが問題の所在であるかのような印象を与えかねないものになっていますので、若干の検

討を加えておきたいと思います。

 記事はジャーナリズム精神を欠いた支離滅裂な内容構成になっていますが、一応取り上げら

れた問題の要点を見ておきましょう。

l        
「任期制導入からまもなく一年。全教員の3割は同意を留保したままだ」。


l        
「累積負債が2001年度で約1140億円」。にもかかわらず、「意識改革の歩みは

ゆっくりだ」

l        
「市大ブランドに安住して学生指導を怠ってきた」(学内スタッフの話を引用する形で)。

 なぜ、この記事がジャーナリズム精神を欠いた支離滅裂な内容だといえるのか、詳細に見て

みましょう。



3割の教員が任期制同意を保留した点について

 この記事の論調では、一部の教員が任期制導入に同意しないことをもって、意識改革が遅れ

ていることの最大の証拠としているように思われます。

 一般論としては任期制を導入すれば無条件にパフォーマンスがあがるとは限りません。初歩

的な経済学の知識があれば、高度成長の奇跡は終身雇用・年功序列主体の雇用制度の下で成し

遂げられたということを知っているはずです。もちろん、終身雇用・年功序列主体の雇用制度

だから高度成長が実現されたという単純な議論も成り立ちません。

 任期制がどういう条件の下で良い効果を発揮するか、これは非常にデリケートな問題です。

パフォーマンスが比較的単純明快に判断できるプロスポーツ界では、雇用期限付きの契約が多

く見られます。そうでない業界ではプロスポーツ界と同じような契約を被雇用者に求めるわけ

にはいきません。大学教員がスポーツ選手と一般勤労者のどちらに近いのかは人によって判断

が分かれるかもしれませんが、少なくともはっきりしているのは、いきなり全員一律に任期制

とするような乱暴な制度では良い効果はあがらないということです。実際、大学教員任期制法

という法律では、任期制を導入できるのは、先端的・学際的研究などを行う特別な組織や特定

のプロジェクトなどに限っているはずです。市大では法律の抜け道を使ってまで強引に全員任

期制を導入することで、いったいどのようなプラス効果が生まれるというのか、果たしてきち

んと検証されたのでしょうか。ホリエモン人気のように、社会が難題に直面するとき、本質的

な議論をせず、奇抜なことを言い出す人に人気が殺到する傾向がよく見られます。本来ジャー

ナリズム精神を持つものは、このような盲目的な人気の殺到に歯止めをかける役割を担うべき

ですが、残念ながら、記事の著者は経済理論を重視してしかるべき有力な経済新聞の支局長級

記者であるにもかかわらず、こういう盲目的な人気殺到の一員に加わっているようです。


 市大においては、任期制導入の経緯も大勢の教員が同意を保留している重要な要因です。改

革の必要が叫ばれた際に問題とされた点は「任期制導入」といったいどのような関連を持つの

か、学内ではほとんどなんの議論もされませんでした。任期制導入に不可欠な評価基準、評価

プロセスはどうなるのか、未だに決定されていません。教員の意見を聴取するような聞き取り

調査やアンケート調査は一度も行われたことがありません。事実、大多数の教員が任期制の正

式導入を最初に知ったのは、一方的な当局によるマスコミ発表でした。

 市大における改革の手法はきわめて異常なものです。まず、2002年8月7日に中田市長

が「市立大学の今後のあり方懇談会」を設置し、大学の深刻な問題(累積負債のこと、後にこ

の点を再び取り上げる)を2003年1月17日付けの『神奈川新聞』でいきなり社会に向け

て告発させました。教員がもともと予算権を持っておらず、ほとんどの人はそれまで「114

0億円の累積負債」のことを知りませんでした。しかし、問題視された部分の原因究明、状況

改善について何も議論がないまま、全く関係のない部分[10]を解体(商学部・国際文化学部・理学

部を一つの学部に統合)し、そして教員に何の脈絡もなく「全員任期制・年俸制」を求めまし

た。多少の良識を持つ者なら、こんな改革に納得できるでしょうか?新聞記者が何千何万人に

対して市大のことを発信するなら、改革の経緯をしっかり調べ、そのことを含めて伝えるべき

だったのではないでしょうか。

 そして記事にもあるように、「任期制度への変更には、本人の同意が必要とな」ります。こ

れは法律で保証されたことです。記事の論調が正しければ、教員が法律で保証された権利を放

棄しないから、意識改革が遅れたということになります。記事の論調を正当化するなら、まず

法律による権利保証の間違いを立証すべきではないでしょうか?



累積債務の問題について

 記事はこの大学が抱えている最大の問題として1140億円の累積債務を指摘しました。市

大が累積した債務は地方債の形で調達されてきたものです。しかし、『地方財政法』では資産

の裏付けのない地方債発行は禁止されております。市民の財産とのバランスで考えるべき債務

は、単純な赤字の問題とは違いますが、この記事はそうした点には触れていません。

 また横浜市立大学は二つの巨大病院を抱えており、予算上、小さなネズミのからだ(教育本

体)の上に二頭の巨象(二つの病院)が乗っかっている構造になっています。1140億円の

累積債務のうち、893億円が病院関係です。

 大学設置者である中田市長が予算のことをさんざん騒いでいたのに、自分に解決する能力が

ないと悟った後、2004年2月19日の記者会見で「負債というバランスシート上の話を持

ち出したことは、私は一度もない」とあっさり軌道修正した経緯をこの記者はまるで知らない

ようです。

 大学の予算書を調べればすぐわかる話ですが、学生教育部門は、問題とされる累積債務のう

ち、わずかしか関係しておりません。経済新聞の記事なら、多少の財務分析の知識に基づいて

書かれても良さそうなものですが、なぜ常識的な範囲の認識もできないのでしょうか?




「学生指導を怠ってきた」とは

 記事では、学内スタッフの発言を引用する形で「市大ブランドに安住して学生指導を怠って

きた」ことを指摘しています。しかし、その前段の議論(大学に優秀な学生がいる)と何の脈

絡もありません。大新聞の記事としてこのような論理構成が許されるのでしょうか?

 組合で調査した結果、記事の論調は発言が引用された人の意図とまったく別物であることが

判明しました。ご本人はあくまで一般論として、自分が目指す目標は何かを多くの学生に早く

から意識させるという配慮が必ずしも十分されてこなかったと指摘したにすぎないということ

です。記事は発言の論旨を的確に伝えていないし、教員意識改革の遅れに対する批判として紹

介しているのだとすれば、そのような意図はまったくなかった、と不本意に思われているよう

です。ここまで来ると、事実誤認以前の取材モラルの問題ではないでしょうか。



 市大の教員の多くは、単に既得権にしがみついて改革に抵抗しようとしているわけではあり

ません。しかし、大学教育と研究活動の向上に現場でまじめに取り組もうとすればするほど、

強引な上からの「改革」がむしろ妨げとなったり、混乱を引き起こしたりしている現状に直面

しているのです。記事はその構図を事実と論理に基づいて検証せずに、「遅れる意識改革」と

いうきわめて漠然とした否定的印象を与える言葉だけでくくろうとしている点で、ジャーナリ


ズム精神を欠いてしまっていると言わなければなりません。





                          
発行 横浜市立大学教員組合執行委員会

236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号

Tel 045-787-2320   Fax 045-787-2320


mail to : kumiai@yokohama-cu.ac.jp

組合HP http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm



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213(1) 『カメリア通信』第37号を頂戴して、昇任規程、その内規、それらの問題点をはじめて知った。驚くべきものである。一楽教授の批判的解明に共感する。

法律論として、これはきちんと整理し、教員組合への回答とあわせて、違法性を明らかにしなければならないだろう。私はこれまでの経緯(昇任規程の審議決定過程、その主体など)、そして今回はその内容において、明確に関係諸法律違反(労働基準法、労働法、学校教育法、憲法など)だと考える。今日の学習会における法律家の関連諸法律分析で学びたい。

一楽氏が「大学の自殺行為」と表現するように、もしこの昇任規程が通用するのであれば、多くの大学(経営者優位の大学)がただちにこれを模倣し、法人・経営者言いなりの大学ばかりになろう。全国の大学は任期ばかりの教員になってしまうであろう。そして、大学経営者に従順なだけの教員になってしまうであろう。それは大学における精神の自由、学問の自由の圧殺であろう。

手続き的にも、昨年1220日に決められたものが、1ヶ月以上も遅れて、大学側(?人事委員会)に示され、それに基づいて、昇任と任期制への強制を抱き合わせに押し切ろうとしているようである。合理的に説得できないので、「時間切れ」で押し切ろうとする。これまた大学らしからぬ強制の方法である。該当者の不安・怒りには想像を絶するものがある。

教員組合ニュースによれば、当局側は、一方では教員の「既得権は認める」と回答したという。「既得権」とは、全国の正常な大学と同じく本学でも、教授会の自治(大学の自治)が機能していること、その機能の上で制定された昇任規定が明確になっており、その昇任規定を審査[11]のうえで満たせば昇格・昇任できるということだった。今回は、「任期制への同意」という新たな不利益・不安定な条件がつけ加えられたのであり、既得権を侵害している、と見るのが常識ではないか?

一方で既得権を認めるという。しかし他方で、それを根底から覆すことを、法人当局はやっているのではないか?

この点も、「既得権」なるものの法律解釈とあわせて、今夜、専門の法律家に確認してみたい。

 

なお、「今年も入試志願者は、3371にとどまり、平成16年度の4654にはとうてい及ばない」という冷厳な事実の指摘も重要である。

平成16年度志願者に比べて、17年度志願者が激減した責任を問われた副理事長は、教員説明会でどういったか?

平成16年度の志願者数に「とうてい及ばない」現実に対し、自らの発言との整合性、責任の取り方はどうなるのだろう。

 

大学教員の士気を高めるべき時に、それとは逆行する効果を持つのが、今回の昇任規定、そして、代議員会時点での未公開、現時点でも公式には未公開[12]という姿勢であろう。

 

なお、昇任者(候補者)選定において絶大な権力を握る各管理者が、選定において基準とすべき内規も制定されている。その内規がまた、恣意的に運用される可能性は厳然として存在する(事実、候補者に内規が示される場合とそうでない場合があるという)。内規が未公開であり、その運用の仕方が恣意的であるなら[13]、大学圧殺行為そのものであろう。

この内規も公開すべきものである。

 

 

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横浜市立大学の未来を考える

『カメリア通信』第37

  2006212(不定期刊メールマガジン)

Camellia News No. 37, by the Committee for Concerned YCU Scholars

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昇任規程の問題点

横浜市立大学研究院

教授  一楽重雄

1220日に施行されたという「公立大学法人横浜市立大学昇任規程」が、2月に入って明らかになった。明らかになったと言うより、この規程とその内規によって実際に昇任のプロセスが始まっている。教員全体に周知することもせず、管理職が該当すると思われる教員ひとりひとりを呼び出し、「推薦するから書類を書くように、締切りは来週の月曜日」と言っているような状態である。しかも、管理職によって内規を示す場合示さない場合とそのやり方にも差がある。

 

想像するに当局の言い分は、「昇任は、もう一年近く待たせているのだから4月にはぜひとも発令したい」ということであろう。しかし、一年も遅らせたのは誰なのか。当該教員には、何の責めもない。しかも、1220日施行と言うのに、なぜ、一月以上も経った2月になるまで明らかにされなかったのか。一月も空白期間をおきながら、2,3日で書類を調えろということは、あまりにご都合主義ではないだろうか。

この規程は、教授資格、準教授資格を定めたものであり、大学にとって大変重要なものである。したがって、学校教育法によって教授会で審議すべきものであることは、明白であろう。改革と言いさえすれば、法律を無視してもよいというわけはない。大学の自治は、憲法で定めている学問の自由を保障するものとして重要な法律的概念であり、現在も守らなければならないことには誰も議論の余地がない。問題であったのは、大学の自治という美名のもとに、教授たちは己の利益を守るためにのみ腐心し、大学の問題点を放置し、改革を怠ってきたのではないか、ということであった。仮に、この指摘が当たっていたとしても、大学の自治を守らなくてよいということにはならない。

 

 だからこそ、松浦副理事長も、法人化するに当たっての教員への説明会で「今後は大学の自治を尊重する」と明言したのであった。この言葉に期待をしていた多くの教員は、今回の昇任規程を見て、裏切られた思いでいっぱいであろう。

 せめて、規程の中味が納得のいくものであれば、「結果よし」としよう、ということもあるかも知れない。が、今回の規程は中味も大問題である。 第一に、昇任人事発令のために「新しい契約」を必要とすることを明記したこと。これは、任期制への同意を強制していることである。もちろん、これも法律違反の可能性が高い。本人の同意なしに期限なしから期限つきの労働契約に変更することはできない。

 

 市会での委員会質疑において「任期つきの教員は、任期なしの教員とは、待遇に差をつけるべきではないか」とか「学生が任期のある教員とそうでない教員を分かるようにしたら」というような意見があった。これらに対して、当局は、ほとんど積極的な回答を与えることが出来なかった。それは、「全員任期制」という制度設計自身が間違っていたからである。まず、「全員任期制」が法律に違反している可能性が高い。少なくとも法律の趣旨に反していることは、労働基準法が改正されたときの付帯決議で明らかである。いわゆる大学教員の任期法によって任期のあるポストを大学の一部に作るのであれば、任期のある教員をいかように優遇することも出来た。しかし、全員任期制では、制度として一つであって、制度上は任期なしの教員は存在しない。たまたま、任期つきに切り替えることに同意しない教員がいるだけである。また、同意しないことは、法律上の権利であるから同意しないからと言って差別をすることも出来ない。結局、任期のある教員を優遇することは出来ない。

 

現実には、この制度はよい教員を追い出す作用しか持たない。教員の流出は相変わらず、止むところを知らない。テレビで中田市長自らが取材したA教授はこの4月から転出する。

 

規程の問題は、任期制にとどまらない。管理職の推薦がない限り審査の対象ともならないことも大問題である。この問題点は、教員説明会において指摘したのだが改善されていない。しかも、管理職が選挙で選ばれたわけではないから「あんな管理職に推薦されたくない」という人が出ることも十分考えられる。専門分野が異なれば、仕事の評価はおろか内容の理解さえできないのが、学者の世界である。自分の仕事が分かるはずもない人に推薦してもらうのもおかしなことである。

 

昇任の資格として「ふさわしい研究業績」に並んで「本学に対して多大な貢献をした者」という一項が入っている。これは、大学の自殺行為である。本学に対して多大な貢献をした人に対しては、その貢献の種類に応じたしかるべき待遇をするべきであって、「ふさわしい研究業績がない」人を教授や準教授にすることは、学生や社会を欺くことにほかならない。今でさえ「学務教授」という教授でない「教授」を作ってしまった。今後は、教授でない「教授」が出現する

 

学長・理事長は、新大学を本当によいものとする気持ちを持っているのであれば、今回の昇任規程をいさぎよく撤廃し、真によい大学を作るために新しい規程を早急に教授会の審議を経て決定すべきである。

 

今年も入試志願者は、3371名にとどまり、平成16年度の4654人にはとうてい及ばない。市民にとって価値がある大学に改革されたならば、当然志願者も大幅増のはずである。大学改革の図面をひいた人は責任を取るべきである。仮に「大学改革はうまく言っている、このままでよい」ということであるとするなら、改革の図面を引いた本人が、表に出てリーダーシップを発揮すべきである。批判を恐れ、隠れたところで欠陥図面を出し続けるならば、これは構造計算偽造と同種の犯罪行為である。

 

 

昇任規定本文Pdf.ファイル:カメリア通信を参照されたい)

 

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編集発行人: 矢吹晋(元教員)   連絡先: yabuki@ca2.so-net.ne.jp

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210日 教員組合が騒いでいる「任期制同意」なるものは、たんなる大学改革への同意を求めたものに過ぎない、という「甘い言葉」[14]をささやく人がいる。昨年3月の任期制同意に関する文書は、そのようなものだという[15]

本当か?

しかし、そんな抽象的なことに同意をもとめられたのならば、どうしてそのような同意書に多くの教員(文科系の教員を中心に国際総合科学研究科・国際総合科学部の教員)が署名するのを拒否し、教員組合に預けたのであろうか? そんなにも多くの教員は愚かなのか?

記憶は薄れる。もしかしたら、私の記憶違いで、「改革に賛成してくださればいい」というようなあいまいな内容だったのかと、文書をひっくり返してみた。

タイトルからしてまぎれなく、「任期の定めのある雇用契約への同意について」とはっきり規定している。たしか就業規則で任期は3年とか5年などとなっている。同意を求める内容もかなり具体的な事項に踏み込んでいる。勤務時間のあり方も具体的に言及している。これらの部分が、同意書に署名した人々を拘束することは確実だろう(一体どこまでに同意したことになるのか、不安になるのは当然ではないか[16])。その意味で、やはり多くの教員が危惧を抱く内容・文面である。「改革に同意すればいいのです」というような抽象的で、誰も否定できないような「甘い文面」では決してない、と私は考える。誤解なら、明確な文書で責任を持って、誤解を解いてもらいたい。

教育研究業績の評価システムが、大学らしいものとして整備されていない段階(それは、現在の審議システム・学則では経営審議会・理事長副理事長などの経営責任者に責任があると思われるが)で、昇格審査者に対して研究業績教育業績等の審査に合格した後も任期制に同意しないうちは昇任させない、という団体交渉での回答とあわさって、大変な怒り・不信感を増幅させているのである。

巷には、当局回答が「組合側の誤解だ」などという説も出てきたが(どうしてそのように当局の考えを知っているのだろう?)、それならば、当局は、明文を持って、きちんと不安を取り除き教員のプライドを傷つけないような回答文書に仕上げ、組合に提示すればいいであろう。

昨日は、代議員会があったという。そのひとつの論点に、「昇任審査基準を公開しないのはなぜか」という問題があったということである。130日に人事委員会(誰が委員会メンバー?学長が委員長であることは確実だが)で制定されたというルールなのだから、公開すべきである。

誰が該当者か、基準がはっきりしなければ応募しようがないではないか。コース長が恣意的に基準の内容を伝え、本来の該当者を排除してしまう可能性だってある。人事における公明性・公開性はどうなったのか?

法人サイドに都合のいい(法人に従順な人だけを昇任させる・法人の言うままの大学・・・法人責任者は誰が任命しているか?・・・大学の自治は?)人事制度だという疑いをもたれても仕方がないのではないか?

他方では、かなり問題の条項もあるかに噂されている。それを隠すためか?

一方で審査基準が厳しくなったという噂を耳にする。他方で、研究教育業績などなくても、当局の言うままに行動すれば褒章が与えられる規準となっているとも耳にする。

現物を見ないので、疑心暗鬼! 「過去5年間に論文一本も書いていなくてもいいんだって・・・」などと[17]

いらざる噂の徘徊を防ぐ道は、早急な基準公開であろう。

かつては教授会で公然と昇任基準を議論していた。誰でもが基準を知り、その基準をクリアすべく、努力していた。

現在は、学長等の管理職(全員法人任命のはず)で構成する人事委員会が決定権を持ち、しかも、それをわれわれ一般教員には分からないようにしたままで、ことを進めている。

いつになったら基準は公開されるのか?

人事委員会が責任を持って決めたものならば、普通の教員にわかるように、なぜ公開しないのか?

ごく少数のちょくせつの該当者だけがわかっていいものではない。なぜか?

いまだ候補資格はなくても、何年かけて、どのような業績を積めばいいのか、たくさんの若手教員は知りたいだろう。それなくしては努力の仕様がないだろう。規則・基準の公開性は、大学の人心を安定させるためには不可欠である。かつては教授会規則・教授会人事規定などとして誰でも分かる形になっていた。

そして次に問題となるのは、審査を誰がやるかである。

審査員を誰が決めるのか?

それによって、結論は初めからわかってしまう場合さえあろう。

 

 

 

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29日 顧問弁護士を迎えての教員組合:緊急学習会。

-----組合ニュース----- 

緊急学習会のお知らせ

 

昇格人事における任期制強要にどう対処するか?

 

 

 

      教員組合「ウィークリー」でもお伝えしましたように、21日の団体交渉において当局は、任期制を認める契約に同意しなければ昇格人事は発令しないという強圧的な方針を示しました。これは、合理的な理由なしに一方的に従来の労働条件を不利益変更しようという不当かつ違法な方針と言わざるをえません。教員組合は、法律上の考え方を含め、この問題にどう対処していくべきかを話し合うため、緊急に顧問弁護士をお招きして学習会を開催いたします。組合員の皆様、どうぞご参加ください。

 

 

 

教員組合学習会

 

テーマ: 昇格人事における任期制強要にどう対処するか

 

日 時: 2006213日(月) 午後6時より

 

場 所: シーガルセンター1階(生協)ゲストルーム

 

講 師: 弁護士・江森民夫さん(東京中央法律事務所)

 

 

主催:横浜市立大学教員組合(Tel 045-787-2320

 

組合HPhttp://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

 

 

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26日 教員組合ウィークリーを頂戴した。以下にコピーしておこう(いうまでもないことながら、何時ものように強調箇所は引用者・私によるもの)

23日付けで緊急に書き留めておいた本日誌の記述がほぼ正確であったこと、当局の回答の不当な内容が正確にわかる。

下記の委員長・組合執行部の見解に全面的に賛成する。

昇格候補の各教員は、正々堂々と審査基準(いまだ公開されていないが)にしたがい、昇任資格審査(研究教育・学内貢献・社会貢献等の業績審査)を受け、その合格をかちとり、その上で、「任期制を承認しない限り昇任させない」などという当局に対し、労働法、労働基準法、学校教育法、その他の関係諸法律・諸権利(国際基準としてのユネスコの宣言なども含めて)をもとに、教員組合とともに対峙することを期待したい。現在の法人当局のやり方は、大学教員任期法制定時の国会付帯決議が「乱用」をいましめたその「いましめ」を破るようなことをやっているのではないか。そこに今回の教員組合委員長文書が示す怒りが湧き上がるのではないか。

不当な昇任(発効)延期は、その間の経済的不利益、精神的不利益・苦痛、社会的不利益も含めて、当局にしかるべき弁償をもとめるべきものである。当局の不当な強制に従順にしたがうのではなく、当面、すくなくとも、任期制の制度設計(大学の研究教育の活性化の説得的合理的説明を伴う合法的な制度)が明確になるまでは、その任期制への同意を避けるべきではないだろうか。

合理的で説得的な制度で、しかも大学教員任期法の精神と諸規定に真の意味で合致する制度であるならば、生き生きと力を発揮できる制度ならば、そしてそのようなものに選ばれたのならば、まさにエリートとして任期制の契約(契約文書をきちんと入念に見る必要があるが・・・京都大学井上教授事件の痛々しい経験を反面教師とし参考にすべきである)をしてもいいのではないか?

それはともあれ、正々堂々と昇任を勝ち取ったあかつきには、昇任業績審査合格時点からその時点(昇任発効時点)までの不利益は、損害賠償等としてしかるべき弁償をさせるようにするべきであろうと考える。それは無理なことか?私はそれこそ正当なことだと考えるが。イェーリングが『権利のための闘争』で説くように、先人の辛苦と血で作られ守られてきた諸法律は、それを活かす現代人の努力なくしては、無に帰してしまうのではないか。

学生、教員、市民に「プライド」を説く学長(130日付記事)は、教員に精神的苦痛を与え、大学の研究教育を担う主体である教員集団のプライドを台無しにするこうした法人当局の態度に対しては、どのような態度をとるのであろうか?

 

----横浜市立大学教員組合週報-----


 
組合ウィークリー

2006.2.5



昇任を餌に任期制を飲ませる力ずくの当局方針

に抗議する!



 さる2月1日(水曜日)午後5時半より、教員組合と当局との団体交渉が行われ

ました。その場で当局から次のような重大な回答が行われましたので、われわれの

基本的立場を明確にするとともに、今後の対応をどうすべきか検討していただくた

めに緊急に組合員の皆さんにご報告いたします。



われわれの要求「教員の昇格人事に際し、任期制を受け入れる旨の新規雇用契約

を強制しないこと」に対し、当局は、次のように回答しました。

  (1)     1月30日の人事委員会で承認基準の内規を決定し、それに基づく昇格

    候補者の推薦を各学部長にお願いした。審査対象者にする際に任期制の

    同意を条件とすることはしない。

  (2)     しかし、任期制は改革の根幹をなすものであり、この原則は譲れない。


    任期制に同意しない教員の既得権は認めるが、業績評価によって昇格が

    認められても、任期制に同意するまでは昇任を発効させない。任期制を

    受け入れれば、業績審査は改めてせずにその時点で昇任を発効させる。 



 この回答は、われわれ教員組合に対する正面からの挑戦です。われわれは、任期

制や評価制度、年俸制は、「その内容が不明瞭で、きわめて危険な可能性を含んで

おり、現状のままでは到底受け容れられない」としてきたからです。「任期制への

同意を強制しない」と言っておきながら、「昇任させてもらいたければ任期制に同

意しろ」と言う「給料と地位」を餌に「任期制の理念への屈服」を求める当局のこ

力ずくの方針が、どれほどわれわれ教員の誇りを傷つけるかを当局は知るべきで

す。このような当局の態度は、当局に対する教員の不信感を一層増幅させ、ただで

さえ、教員の大量流出、横浜市立大学への帰属意識と士気の低下、大学運営の混乱

という現状を一層、ひどいものにする可能性があります。当局はその責任を負わな

ければなりません。  

 この回答は、「経営責任者として合理的説明なしに従来の労働条件の不利益な変

更を行う」当局の方針の一方的通告にあたり、われわれは、労働組合として到底受

け入れることはできません。今後、組合は、当局にその義務である「誠実交渉」を

求め続ける方針です。

 教員組合の執行部としては、昇任手続きの進行に遅れることなく、顧問弁護士を

交え、独立法人化対策委員会のメンバーの方々などとご相談しながら具体的方針を

早急に提示するよう努力して行く所存です。



昇任対象になられた先生方へ

 特に、昇任対象になられた先生方は、近く極めて厳しい選択を迫られることにな

るものと思われますが、私たちは、組合員個々の対応を特定の方向で縛ることはあ

りません。このような状況の下で、それぞれの組合員の方にとって何がその身分を

守り、生活・研究・教育条件を向上させて行くのに最も良いのか、情報や見解を提

示し、皆さんからの質問に答えるよう努力したいと思います。そして組合として皆

さんの利益を守るために可能な限りのことを行って行きます。

ここでは、現在まで明らかになっている次のことを最低限お示ししておきます。

(1)任期制は、評価制度と結びついており、現在その評価制度の概要さえも提

  示されておらず、それが、どれほど客観的で、公正に機能するかは全く予断

  を許さない状態のままであること。(ことに「改革」の強引な推進によって、

  教員の間で、当局に対する疑心暗鬼が募っている状況の下で、「怨念を残さ

  ない意欲を高める評価、教育研究の活性化を図る評価」がどれほど可能か、

  きわめて疑問です。)

(2)任期制は、その期間の雇用を保証しているだけであり、たとえ業績が充分

  であっても、人件費の大幅削減を求められている状況の下では、「雇い止め」

  の可能性が充分ありうること。(「普通にやっていれば」などと言われて、安

  心していられる状況ではないのです。)

(3)万が一、不当な理由で「雇い止め」の通告を受けたとしても、任期制に同

  意する署名をしてしまうと、それが裁判では不利に作用することが、すでに

  他の裁判で実証されていること。



 現在の横浜市立大学における教員の地位と権利を守る闘いは、決して横浜市立大

学だけの闘いではありません。われわれは、全国の大学教員の不安定雇用を拡大さ

せる流れに抗し、日本の教育研究労働者のエネルギーの大いなる損失を食い止める

闘いの最前線にいることを肝に銘じる必要があります。われわれは、労働者として

の法に保障された権利に基づき、横浜市立大学人事当局の不当な攻撃に屈すること

なく正々堂々と闘っていきます。

(文責 教員組合委員長 上杉 忍)

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23日 昨日の夕方、教員組合定期総会があった。出席者・委任状を含めると組合員の9割くらいが定期総会の議題に関心を持ちまた、総会の結論に賛成したことになる。任期制・年俸制問題、研究教育条件の問題など、難問が山積しており、多くの教員が切実な関心を持ち、組合に期待していることが伺われる。まさにその教員組合の存在意義・力量に直接関わるような回答が、当局側からあったようである。

正式の内容はいずれ組合ニュースなどで知らされるだろう。しかし私の理解したかぎりでは、「准教授から教授への昇格・昇任者には任期制を承認させる(任期制同意者のみを昇任させる)」との回答だったようである。これは繰り返し教員組合が、「やらないように」と求めてきたことであったことは、ウィークリーなどから明らかだが、その根幹的な要求を拒否した内容のようである。

私の考えでは、これは、大学教員任期法が規定した限定的な研究教育活性化のための任期制ではなく、昇格者全体に任期制を昇任と引き換えに強制しようとするもので、大学教員に対する任期制の不当な適用であろう。組合執行部は顧問弁護士とも相談しながら、法的措置も含めて本格的に検討を開始するということで、今回の団体交渉における当局側答弁によって、まさに教員組合の存在意義と力量、全大教など全国教員組織の力量とが問われる事態となったように感じられる。

法律に基づいた大学教員の任期制のきちんとした制度設計がないままに、制度の承認だけを迫る(「承諾しなければ昇任なし」というのは最大の強制である)、内容の分からない不透明な制度に同意しなければ昇任させないというのは、これは不当なことではないか? 重大な不利益措置、不当労働行為ではないか?

これは一般的な公序良俗にさえも反し、憲法の諸規定に反することではないか?

昇任者・昇格者という弱い立場の人間(大学教員全体から言えば、当面の事例に即しては少数者マイノリティ)を差別し、各個撃破しようとするものではないか?

しかるべき研究教育業績を上げ、しかるべき大学運営に貢献した実績が客観的基準で示されれば昇任する、というのがこれまでの本学、そして全国の大学の教員の昇任のあり方だったからである。この根本を転覆しようとするものであろう。

それは不利益措置でなくてなんであろうか?

こんなことが通用するのか?

労働基準局はどう反応するのか?

任期制導入の本来の趣旨、任期制適用の精神である大学の研究教育の活性化とどのように結び付くのか、経営側の説明責任が問われる。

「上から」任命された学部長の下では、「権限なし」、「審議権なし」などと教授会は開催されないとしても、代議員会は憲法や学校教育法で規定された教授会の権限を行使するために、きちんと議論すべきではないか?

他方また、昨日の時点では、昇格基準に関しては明文規定(公明・公開の規定)が示されないままに、候補者をコース長が選ぶ、という。いつの時点で基準が公開されるのか、その基準の適用をコース長だけが行うとすればどのような問題が発生するのか、大変な問題になりそうである。

その他、総会で明らかになったことだが、数理科学科廃止に伴い数理科学科の教員の配属問題が宙ぶらりん状態になっているようである。形式上は、4名が基盤科学コース、4名が環境生命コースに割り当てられているようだが、それは本人たちの同意・合意なしのようである。そうした事態が発生したこととの関連で、改革の目玉とされた研究院・学府構想の崩壊(文部科学省で拒否されたこと)がある。研究院は一応教員全員が所属するものとして、位置づけられているが、その実権・実務処理分野がほとんど皆無なので、名ばかりの研究院所属、となっている。その活性化・機能強化も、改革理念を大切にするなら検討すべき(学則改正など)だが、それは問題提起に留まるか、端緒についたばかりというところだろう。

 

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22日 千葉大(公共哲学)の小林正弥氏の『世界』の下記の論文が、佐賀大学・豊島耕一氏HPに掲載されたことを知った。熟慮すべきすぐれた問題提起だと考えるので、リンクを張っておきたい。憲法「改正」(=改悪)阻止の平和的結集のために、何をなすべきか、国民一人一人に問われている問題であろう。

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小選挙区制下、いかに第三極を形成するか

「オリーブの木」方式の平和連合を提唱する

小林正弥

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[1] 本学の場合は、医学部・その付属病院という特殊事情があるので、単純な比較はできない。学問分野の特性、教員流動化の高い分野とそうでない分野の違い、文科系と理科系の違いなど、緻密な検証が必要だろう。若手と定年まで数年のひととの違いなども重要であろう。

 

[2] しかし、当局のこの間のさまざまの態度からすると、それは絶望的でもある。

[3] ドイツの事例から示唆を受けて書いたことがあるが、教授にランクを付けることも考えられよう。最初は、Cランク教授(普通の教授)、さらに研究教育実績を積めばBランク教授、そしてさらに研究教育実績を最後はAランク教授、というのならまだいい。そうしたB,Aの実績を明確に示せない教授(学問分野によっては十分考えられる)Cランクのままでもいい、といったことも考えられよう。 

 これならば、教授になるまでに積み上げた実績が、無に帰すことはない。今までの給与体系だって、「何号俸」といった形でのランクをつけていたのであり、そうした段階上の評価はありえよう。

 これまでの、そして現在の体系では、行政組織と同じように管理職になればその手当てとして経済的評価(ノルマ負担の軽減も含め)が実質的に保証される。行政的管理職だけが、経済的保証と身分を保証されるというような制度設計の問題性にこそ、メスを入れるべきである。ところが今回の内規は、冒頭に管理職を優遇する条項を入れている。これは従来のあり方の踏襲でしかないであろう。

研究教育という側面では、そうした実績評価がこれまでなかったに等しい(あったのは、学部担当教員と大学院担当教員の差、大学院担当教員の間では修士担当教員と博士担当教員との差、これら微々たる差だけである)。

だからこそ、実績を積めば、同じ大学ではなく、上位ランクの大学、好条件の大学への移動、というかたちで、研究実績ある教員が移ることになっている。

研究教育実績のある教員を引き止めるための制度設計こそ行うべきなのである。

ところが、今回のやり方は、逆に、研究教育実績のある教員を「任期制への同意」の強要で、追い出すことに突き進んでいる、ということになる。

 

[4] 昇格・昇任の際に新たな労働契約を締結したりはしない。

通常の民間企業でもそうであろう。

要するに、一般社会、市民常識に反することをやろうというのが、今回の「昇任規程」であろう。

 

[5] 「大学の自治」破壊の口実とされることについて、一楽氏は次のような議論を紹介している。「大学の自治という美名のもとに、教授たちは己の利益を守るためにのみ腐心し、学の問題点を放置し、改革を怠ってきたのではないか」、などと。

 そのような批判をする人々は、具体的には、市大に関しては、どのような現象を取り上げて言うのであろうか?

 10数年ほど前に、戦後一貫した願いであった文理学部の改組、国際文化学部と理学部の分離独立を達成し、ついで、経済学研究科に博士課程を創設し、・・・本学関係者は、さまざまの困難を乗り越えて大学改革を行ってきたのではないか?

 

 大学外部の委員だけで作られた市長諮問委員会「あり方懇」が、そうした本学の内在的発展を無視し、行政当局の意のままになる大学作りにまい進したのではないか?

 随氏の新聞記事批判にもそうした問題点が的確に指摘されている。

 

 この数年の「改革」をめぐっては、きちんと歴史的総括が為されなければならないだろう。大学教員の問題性をきちんと見据えることはもちろんだが、設置者、行政当局、議会など関係者がどのように大学と向き合ってきたかの全歴史も見据える必要があろう。

 大学教員だけに「改革」の「遅れ」なるものの責任を押し付けるのは、一面的であろう。

 

 今回の「昇任規程」に付属する「内規」が重要だが、その「取り扱い」について問題があるので、公然と公開はしないように、というのが教員組合に開示した際の当局の態度だという。条例に基づく情報公開の請求でしか、市民には知らせないということだろう。

 

(しかし、一番関心のある助手や准教授には、内規も全員に差別なく配布しなければおかしいであろう。ある人に示し、ある人に示さないなどという差別は、昇任と経済的社会的利益とが結合しているだけに、不当労働行為ともなろう。いつの時点で全員に交付されるのか? そのやり方・時期も、経営サイドに都合にいい人びとだけを昇進・承認させるのか、大学らしい研究教育基準で行うのかを判断するひとつの重要材料となろう。)

 

 ともあれ、教員組合で披露され(公開を抑止された)その内容には、驚くべき問題点がいくつもある。教授会で審議していたならば、大変な問題となったような諸条項がある。

 

 私の理解を、抽象的に言えば、「普通の教員の昇任基準は、かつてよりもはるかに厳しくなった、しかし、他方、経営サイドに立つ管理職業務の人びと(経営サイドが任命する人びと)については、甘い基準」、と。(今回の改革のあり方の本質・手法が、露呈している、と感じる。教員組合の集会で出された意見では、大学設置基準との関連では通用しないのではないか、とも。)

 

 実際の運用にもよるだろうが、はたして今回の「昇任規程」と内規は、実際にどのように運用され、どこまで客観的データが公開されるのであろうか?

 公開性、透明性の基準で、今後の推移を見ていけば、いろいろなことが浮かび上がってこよう。

 

 

[6] 「事件情報」読者の労働法学者、労働基準法問題に詳しい方々の更なるコメントや支援を期待したい。

 

[7] しかも、昇任候補者というある意味で弱い立場の人間に対して昇任発令を対価に同意を強要するという手法でも、市民常識からしてもおそるべきもの。

それは、弱いところを攻撃し、そこから突破口を開いて全面展開しようというやり方、マイノリティ攻撃=一点突破全面展開の戦略、各個撃破を通じて全員任期制への道を切り開こうとするものともいえよう。

 

[8] 専門的になるが、一言すれば、山脇氏は、映画解説などに依拠しつつ、Volksgerichtを「人民法廷」と訳しているが、ナチ時代のVolkは民族と訳すべきだろう。王侯貴族・一部特権的支配者に対する人民という意味で、Volkが使われる場合もあるが(Volksrepublik人民共和国)、ナチズムの民族主義的本質と民族至上主義の理念からすれば、Volkは、民族と訳すべきである。Volksgemeinschaftは、ナチ体制下においては、「民族共同体」と訳すべきであるのと同様である。

 

[9] 諦観して?

いやいや、自分の出世のため目立った実績を挙げる好機として?(・・・任期契約に関する同意書作成に関係した市行政当局職員は、今どこに?)

 

それとも、若手教員を始め多くの教員が苦しむのを見て喜ぶ意識で?・・・「改革」の動機=ルサンチマン説。(自らは安定した雇用を確保している管理職の人びと、その他は、大学教員の身分が不安定化するのをどのように見ているのか?)

昇任規程によって、人事関係の「職務」にたずさわるさまざまのレベルの管理職の人々の声を聞いてみたい。

 

[10] 巨額の「負債」と称されるものは、医学部新キャンパス、大学病院・鶴見キャンパスなどの大型施設建設・購入などであり、一方では商学部や国際文化といった文科系学部とはまったく関係のないものであり、他方は、(引用者・私のコメント)資産として長期的に大学(市民)の財産として活用されるものである。すぐ後の節で、随氏の懇切な解説があるが、一言。

 

[11] 審査もまた、行政や外部のさまざまの権力が恣意的に介入しないような教授会(大学)の自治の原則の下でおこなわれなければならない。しかし、自治的組織がないとき、「上から」「外から」、審査者が任命される。

  

 

[12] のはず。少なくとも普通の教員には配布されていない、受け取っていない。

 昇任規程は、その内容からして、大学の自治、大学の人事のあり方の根本にかかわるのであって、直接関係のない教員に対しても周知徹底すべきものである。

その周知徹底と関係するのが、教授会における審議であり、それを通じる深く正確な規程理解である。

 その大学における諸規定の制定・理解・合意形成において決定的に重要な教授会が機能していない。

 

[13] 学部長、研究科長は、経営者が「信望厚い」とする人物を選び、その経営者による任命(経営者を任命するのは市長)であり、学内における秘密投票による選挙といった学内民主主義の関門をクリアしていない人々による運用という密室性・非民主制。

 どこに大学の自治はあるのか?

 行政の大学支配が、予算だけでなく人事(今回は昇任人事)でも貫徹する全システムを、「大学の自治」と呼べるであろうか?

 

[14] どんなところが発信元・依頼源かは全体の流れからして想像できる気がするが、正々堂々ときちんと物事を解明し、不安を取り除く、法人サイドがやるべきことをきちんとやって、説明すべきだろう。

 

[15] 「署名したって、本来の契約書ではないのだから、契約条項を明確に規定した本契約書を見て同意できなければ、同意しなければいいのだ」と。

 

それが合理的法律解釈で、同意書への署名が普通の教員を拘束しないことが明確なら、当局はそれを明文化し、同意を求めるための説得材料とすべきだろう。

 

[16] 不安にならないのは、在職年数が3年未満の人びと、あるいは当局との関係が非常に密接で良好である人々、などであろう。

 あるいは医学部・大学病院のように、その専門職からして病院と大学の間を行き来するのは慣例化し、むしろ実績を積む経路となっているような場合、などであろう。

 

医学部という大所帯の任期制「同意」を、さもこの制度への同意が圧倒的に多いかのように喧伝することは、任期制によって決定的に身分が不安定化する医学部以外の(特に文科系の)教員への圧力を強めるための手段となっている。

 

[17]文科系・理科系によっても違うのだろうか、また理科系でも、理学部・工学部・医学部などではちがうのだろうが。