2006年3月の日誌
3月31日 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)で、法人化された公立大学の特色に関する情報を知った。本学に関する部分で、われわれ内部の教員でも知らないことがかなりあった。それとも、知らないのは、わたしだけのことか?
---「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)----
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3月30日(3) 教員組合から緊急情勢報告が入った。景気回復の中で、一定の引き上げが期待されるが、問答無用の対応のようである。何の説明もなしに「凍結」宣言だけとは。一方的なこうしたやり方は、これまでの行政当局のすべての大学に対するやり方に共通のことであり、決して大学の雰囲気をよくするものではなかろう。給与は研究教育のための、生活のための基礎条件であり、この情勢で、市の全体の部局でも「凍結」なのだろうか?問答無用の画一的「凍結」は、「やる気のない職員」を増やすことになりはしないか?
「やる気のない職員」は、経営者が作り出すのではないか?そうしておいて、「やる気のない職員」は長くいてもらっては困る」というのか。
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教員組合員の皆様への緊急情勢報告
本日付(3月30日)「組合ウィークリー」でお知らせしておりますように、現在当局に対し
団体交渉の申し入れをおこなっており、その準備調整のための折衝もおこなっています
が、きわめて遺憾なことに当局側は団体交渉開催に消極的な姿勢をとり続けています。
当組合は早期実現を求めていきます。
ところでその折衝の際に、当局より、平成18年度賃金に関し、平成17年度の年俸算
定でおこなった、「定期昇給分」の積み上げは一切おこなわない(すなわち、平成17年
度の年俸から全く引き上げない、このまま「凍結」する)との意向を伝えてきました。
これは実質的な賃金切り下げであり、また組合との何らの協議を経ない一方的な通告
であり、こうした当局の対応はきわめて不当かつ違法なあるものであると言わざるをえま
せん。当該問題について、今後当組合では、少なくとも今年度も「定期昇給分確保」の実
現を求め、当局との交渉を進めていきます。
取り急ぎ、お知らせまで。
横浜市立大学教員組合
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3月30日(2) 久しぶりに新首都圏ネットワークを訪問した。北陸先端大の「年俸制」導入に関わるニュース「北陸先端大が年俸制 国立大初 世界的科学者招聘へ役員並み待遇」は、まさに制度そのものの趣旨にかなうものであり、全社会的に理解が得られる方法だろう。それでも、任期は定めないという。任期制が一定期間後無条件に解雇できる制度であれば、優秀な研究者を招聘するのは困難だ、ということなのであろう。問答無用の年俸制一律適用や、任期制一律適用とは違ったものとして、注目したい。
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3月30日(1) 教員組合ウィークリーが送られてきた。組合が求める団体交渉に、当局はまだ応じていないようである。現実に、不安・危惧にさいなまれている教員のことはどう考えるのだろう。教育研究業績等これまでの昇任人事で行われた審査は、どこまで進んでいるのだろう?
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横浜市立大学教員組合週報 組合ウィークリー 2006.3.30
もくじ
● 3月定例執行委員会概要
● 団交申し入れ経過報告
● 京都大学任期制再任拒否事件控訴審、大阪高裁の不当な判決文
● 任期制についての素朴な疑問Q&A
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3月定例執行委員会概要
3月16日に定例執行委員会を開催しました。その概要は次のとおりです。
1.執行委員の役割分担の確認
執行委員長 岡 眞人
副執行委員長 真鍋 勝司
書記長 本宮 一男
書記次長 和仁 道郎
会計担当 藤崎 晴彦
情報宣伝担当(含:議事録作成) 吉岡直人、岩佐朋子、坪谷美欧子
福利厚生担当 中村 紀雄
給与調査担当 小山 洋道
安全衛生労働時間 小城原 新
2.共済関係申請書書式の一部変更
3.組合費関係
本俸(給与明細の「給料相当部分」)の0.8%であることを確認
4.週報の内容・発行方式について
5.組合ホームページの管理方法について
6.団体交渉について
7.その他
・独法化対策委員のメンバー確定
・年度明けより、組合の学習会を企画予定
団交申し入れ経過報告
前回の週報でお知らせしたように、教員組合は当局に対して2月27日に団体交渉を申し入れ、3月9日には同日付申し入れ書を手交しましたが、当局は検討中、調整中などの言い訳を繰り返し、日程が未だに確定できない状況です。
当組合としては、昇進をえさにして任期付の新契約を強要するようなやり方はするべきでないという原則的立場にたって論点を提起し、当局の回答を求めています。この正当な要求に団体交渉の場で誠実に回答することは当局の義務であり、団交に応じなければ労働法違反に問われることになります。当組合は団交の早期実現を繰り返し要求していきます。
任期制問題に関する情報提供
1.任期制についての素朴な疑問Q&A
昨年3月18日、24日に横浜市立大学教員組合が発行した任期制についてのQ&Aをぜひご参考にして下さい。組合ホームページ(http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/)トップページ左側の項目から入りますと、以下のような疑問の回答が掲載されております。
Q.「普通にやっていれば再任する」と言っていますが、本当に大丈夫ですか?
Q. 井上事件の時には、専門家の外部評価委員会が一致して可としたのにそれでも再任拒否となってしまいました。提案されている審査制度で大丈夫でしょうか?
Q. 職場を変わりたいときには現在のように自由に異動できますか?
Q. 任期付きの場合の離職はどうなりますか?
Q. でも、ほかの大学の理工系・医学系では任期付きでもけっこう異動している人がいるのですが、どうしてですか? 任期法と労基法でちがいがあるのですか?
Q. 自分が3年任期か5年任期かなど、条件が明確でないのに、任期に「同意」しても大丈夫ですか?
Q. 任期付きの雇用は将来、経営不振などで人員整理に使われませんか?
2.京都大学任期制再任拒否事件控訴審での判決
任期付大学教授の再任拒否をめぐる初の高裁判決が昨年末出されましたので、ご参考までにご紹介させていただきます。判決は任期法によるものですが、一審の京都地裁の判決への控訴審が1月に大阪高裁で行われ、そこでも再任は認められない判決が出たようです(井上氏は上告予定)。
大阪高裁の判決文全文(平成17年12月28日)は、「全国国公立私立大学の事件情報」ホームページ(Academia
e-Network Project、http://ac-net.org/poll/2/)の2006年1月11日号を
ご覧ください。
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教員組合に皆様の声をお寄せください
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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel 045-787-2320 Fax 045-787-2320
E-mail : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
組合HP:http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
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3月28日 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付) によれば、「全教員を対象とする任期制」が、福岡県立3大学でも導入されるという。
「全教員を対象」とするとされるが、実際に任期制に移行するのはいかなる基準で、どのような人々か?
具体的な適用が、大学教員任期法が規定する限定的な条項に合致する特定の教員(しかるべき民主的な検討・手続きが必要だが-そのための自治原則に従う審議機関が必要だが)ということならば問題ないが、一網打尽的なやりかたをとるのだろうか? 本学の場合、昇任者に「昇任」と引き換えに任期制を受け入れさせようという法人の態度は、教員組合から不利益措置として厳しく批判されているが、現在の進行状況についてはわれわれは今のところ情報を持たない。
ともあれ、本学でも問題になっているように、法人化への移行は、身分継承を前提としているはずだが、それとの関連で誰に対して任期制を適用しようとするのか、その具体的な対象が問題となろう。
「多様な人材が交流できる余地を広げる任期制」という。まさにそれこそ大学教員任期法の立法趣旨である。しかし、その制度設計において、「任期付きの教員」が「任期の付かない教員」との間で諸条件(研究教育その他の処遇で)にどのような違いが付けられるのか。
それによっては、そのやり方・基準・手続によっては、横浜市長がいったというように「やる気のない職員」を排除するための手段ということになろう(それは、文字通りなら、任期制の精神に反するものであろう)。そして、その「やる気のない職員」かどうかの判断、すなわち個人の業績評価が市当局任命の経営陣によってやられるとすれば、これはもう完全に大学の自治(大学における学問研究の自由の制度的憲法的保障)ではなくなろう。行政当局からの自由(自治・自律・自主)どころではなくなろう。
福岡県立の場合、「県の直轄から離れ」というが、経営者は誰が任命するのか?
「自律・自主」はどのようにして保障されるのか?
評価はどのような組織によって行われるのだろう?
本学のように、理事長・副理事長を県知事が任命し、理事長・副理事長によって、学内の秘密投票の自由で自主的な意向表明も抜きに学長(副理事長)も選ばれるということでは、どこに「自律・自主」があるといえるのだろうか?
そしてそうした経営陣と学長によって学部長・研究科長・コース長などすべての管理職が任命される場合に、大学の教職員・学生の意向はどのように自由に表明できるのか?
そのような人々によって構成される人事委員会が昇任規程やその内規をきめるとき、そしてその運用もそのような管理職によって行われるとき、どこに大学教員の自由・自律・自主がのこるのだろう?
いろいろな意味で力・立場の弱いものが、秘密投票でなくしては自由に意思を表明できないのは、民主主義の原則ではなかろうか?その原則は、大学の審議・運営のどこで行われているのか?
「大学の自治」は、福岡県立大学の場合、どのようにして保障されるのだろう。今後の情報を見守っていこう。
なお、人事委員会による昇任規程の制定が、教授会審議を経ていないで制定され、運用されようとしていることなど重要問題に関して、学長宛に6名の教授連名で質問状を一ヶ月以上も前に出したが、その後一度、「もうしばらく」という秘書からの連絡があったのみで、いまだに具体的な返事がない。今や年度末になり、このまま放置されてしまうのではないかという懸念もある。仮に放置されても、問題自体が無くなったわけではない。
学長だけではなく、学部長、研究科長など人事委員会の構成メンバーに、法的問題などに関して、その見識を公式に公的に問うべきなのかもしれない。いずれにしろ、学長に対してはもちろん、学部長、研究科長に普通の教員がこうした問題に関して意見を述べ、見解を公式の場で確認する(問題があれば批判する)という機会・場がない、ということは厳然たる事実であり、大学のあり方を全員参加型でやる(自治自律の原則で総力を結集する)という点では、問題を抱えていることは事実であろう。
昨日だったかに送られてきた年一回の教授会・研究科会等の時間割を見ると、たくさんの会議を1時間程度で処理して済ませるように組み立てられており、すべて実に短く、およそ審議などできないような組み立てになっている。つまり、組み立てそのものが議論を封じる構造というべきであろう。さて、実際にはどのような組み立てになるのか? いずれにしろ、このような日程と時間配分自体が、本学の構造・学則のあり方(問題性)をしめすものであろう。
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■西日本新聞(2006/03/27)
〇全教員対象の任期制・個人業績評価制度
多様な人材が交流できる余地を広げる任期制や、学生の授業評価を取り入れた個人業績評価制度を導入し、大学の「教育力」を高める。……
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3月23日(3) 久しぶりに、「市大新聞ニュースブログ」を訪問した。新しい記事が出ており、学生諸君の要望に対する当局の回答があったようだ。二項目が受け入れられ、8項目が拒否されたようである。拒否された中には、「社会系・国語系教職課程の復活」もある。慶応大学藤沢キャンパスも、「最初は教職課程は必要ないと設置しなかったが学生の要望が強く、設置した」という話を、最近も大学評価学会の第三回大会の場で聞いた。学生や父母の希望を受け入れた制度改善について、知る人は知っているのである。
学部学生ではないが、大学院ではどうか?
大学院国際総合科学研究科に入学する大学院生も、既に取得した資格のランクを上げるために入学してくるものがいるので、以前と同様(他大学で教職をとった人などの場合も考え)、資格ランク認定の申請をすべきであろう。これは、学部に教職課程を復活するのと違って、大学院教員の担当科目を歴史・地理の該当科目に対応するものとして申請すればいいはずだからである。少なくともこれだけでも実現できないものだろうか?
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3月23日(2) 下記の日本科学者会議のシンポジウム趣旨説明では、本学の問題にも言及がある。都立大学・首都大学と並んで、本学の研究教育者の権利の問題は、全国的な関心の的となっている。とくに、「科学者の権利問題委員会」の文書がそれである[1]。日本科学者会議は、「研究者の「権利地位・宣言」「倫理綱領」案(Ver3)」を制定しようとしており、「制定にあたって(まえがき)(Ver.3)」は、本学も含む全国の大学・研究機関等で進行しつつある研究者を取り巻く深刻な問題状況を見据えている。そこでは、科学・学問の普遍性・全社会的意義からして、大学だけではなく、民間研究機関の研究者・技術者にも基本的な、憲法の保障する学問の自由が保障されなければならない、という点が印象的である。
「研究者の倫理綱領(Ver.3)」を一読したが、その内容に共鳴する。とくに、第5節、すなわち、研究教育の自由と終身在職権の不可分の関係の指摘は、現在の「全員任期制」問題からして、重要と思われる。さらに、第6節、「研究評価はあくまでも研究奨励のためのものでなければならず、身分・待遇上の差別に利用されてはならない」という主張・宣言も、今後、評価問題が具体的になるに従い、重要な意味を持つ。
「研究者の倫理綱領(Ver.3)」も一読したが、その主張に背筋を正す思いがする。
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3月23日(1) 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)によれば、選挙戦告示前の討論で、現市長は、全員任期制問題に関して、それが「やる気のない職員」を排除するためのものだと主張したという。もしそれが事実なら、現実にこの間、非常によく仕事をする人がたくさん脱出したというこの現実をどう捉えるのだろうか?
今谷明氏のような全国的に非常に有名な日本中世史研究者が、新聞で公然とどのような怒りを語っていたか。「やる気のある教員」、そして顕著な実績を積んだ教員がしかるべく評価されないばかりか、今回の改革でいるべき場所を失ったと感じて抗議辞職や脱出をしたのではないか?
抗議辞職した人は、わたしの見るところでは、「やる気のない職員」どころか、かえって非常にやる気がある人であり、業績もしっかりある人だと、私には思われる。まさにその業績をどのように評価するのか、これが大学の自治や学問の自由、大学内部における自由のあり方と深く関係しているのである。
「やる気のない職員」を排除する効果ではなくて、実際には、やる気などは出さないで、「普通にやっていれば」問題ないというのが、今回の「全員任期制」に同意を迫る言い方ではなかったか?「普通にやっていれば」という言い方は、任期制受入を求める当局の正当化のいいかたでもあった。
しかし、まさに教員組合(ウィークリー参照)が問題としているように、「普通にやっていれば」とはなにを意味するのか?
不明確・あいまいな基準で研究教育活動が縛られれば、精神の自由への恐るべき圧迫となるのではないか? まさに、「やる気を失わせる」効果があるのではないか?それは大学を生き生きと発展させることにならないのではないか?この重苦しい精神抑圧効果こそ、由々しいと思われる。
しかも、大阪大学など任期制を導入する場合にも、これまでの研究教育体制を根底から揺るがさないために、また法秩序を乱さないために、新しく採用した教員に関して限定的に任期制を適用している(これとても、新しい採用の科目が果たして任期法に照らして活性化に適しているかどうかといった点が問題になるのであり、新任に一律適用であれば、限定的ではない点で問題が発生すると思われるが、今後具体的に何か問題が起きれば法律論争・法律問題となろう)。ところが本学では? 教員組合が主張しているように、重大な問題をはらんでいるのである(cf.教員組合委員長の挨拶参照[2])。
また、最近報じられている奈良の県立医大の場合も、あくまでも医科大学という特殊な大学であり、医学部系統に属する部局(現場の病院関係の仕事と大学での仕事・研究教育を一定期間ごとに交替し、相互交流して行うシステムが確立している)であって、けっして学問の分野を問わないものではない。文科系を中心に、教員一人一人の従事している仕事の多様性・多次元性などから、仕事の評価が非常に難しく、したがって学問の自由(精神活動の自由)の束縛に結びつきやすい制度設計に多くの教員が反対しているのであって、このことは、どのように理解されるのか?
教員組合は、全員任期制導入に反対してきた根拠を示し、「やる気のない職員」の排除のためという市長の言説(この間(どのようにいっているのか知らないが)を批判しておくべきではなかろうか?教員組合はどのように対処するのだろうか? 少なくとも報じられていることが本当かどうか、まずその趣旨などを確認しておくことが必要かもしれない。
「やる気のない職員」という以上、それは大学に限らず、普通の市当局の部局にもいるはずである。市長は、みずから率先して、この間その普通の部局にも一律に「全員任期制」(有期雇用契約)を導入したか? 市当局の部局全体に任期制(有期雇用制)を導入しようとしているであろうか?そもそも、大学以外の普通の部局のなかの「やる気のない職員」に対しては、どのような政策と行動をとってきたのだろうか?
こう考えてみると、一律の全教員に対する任期制(有期雇用契約)適用がいかにおかしいか、わかるのではなかろうか。その教員に及ぼす精神圧迫・萎縮効果は大きいのではないか?その突破口として、昇任者に任期制受入を強要するのは、何重にも、深刻な問題を引き起こすであろう。
「全員任期制」の導入と「やる気のない職員」の排除とを一緒くたにするのはおかしいのではなかろうか?
教員組合はじめ、だれも、法律に従った任期制の適切な導入には反対していない。まさにその適切な制度設計をこそすべきだというのが、普通の教員のスタンスであろう。そのための教授会審議(たとえば昇任規定、さらにその運用においての審議)を求めているのである。
それに、そもそも、大学教員の任期制の導入に当たっての立法趣旨・精神はなんだったのだろうか?
「やる気のある教員」、現在確実な実績を上げている教員・研究者を大学に取り入れ、あるいは顕彰し、一定期間は引き止め(そのためには給与条件などを他の教員よりしかるべき高くする・・・東北大学の場合は確か学長以上の給与を払うのではなかったか)、大学の研究教育を活性化するためのもの(その意味で積極的で建設的発展的な前向きの精神)ではなかったのか?
「やる気のない職員」を排除するといった後ろ向きの否定的で気分が暗くなるような立法精神・立法趣旨ではないと思われるが、いったい何のための「任期制」なのか?
実績を挙げれば、すなわち、「やれば報われる」というのが、趣旨ではなかったのか?
排除の論理と建設的で前向きの評価の論理とは、表面上は似ているように見えるかもしれないが、大きな違いがある。
「任期制」が、教員評価のあり方とも関連し、またそれが給与条件などとも結びつく場合、教員全体の疑心暗鬼を拡大し、精神的自由を束縛する効果こそが、これまで繰り返し一貫して教員組合によって批判されてきたのではなかったか?
市長発言が報じられるとおりであれば(その内容如何によっては)、大学への任期制導入の根本精神からして、問題だということではないか?
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横浜市長選、中田氏「市大には多額の市税を投入してきた。やる気のない職員が長くいるのは問題だ」
日経神奈川版(3月11日)で,12日告示の横浜市長選で,10日夜,現職の中田氏と新人の松川康夫氏が横浜市の課題をめぐって舌戦を繰り広げた。以下,教育分野でのそれぞれの主張の要約。
…… 教育では松川氏が横浜市立大学での教員任期制導入などを「学問の自治を尊重すべき」と批判。中田氏は「市大には多額の市税を投入してきた。やる気のない職員が長くいるのは問題だ」と切り返した。……
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3月22日(2) 「全国国公私立大学の事件情報」(本日付)で、大学評価・学位授与機構によるいくつかの大学の評価が出ていることを知った。公立大学ということで、公立はこだて未来大学の評価を試みに見ると、教授会の毎月開催、昇任基準の教授会審議など、学校教育法(その背景・根拠に憲法がある)に照らして、しかるべき適切なことが行われているかが、逐条的に検査され、審査の基準・評価項目になっている。これらに照らすとき、すなわち、大学評価・学位授与機構が学校教育法を基準に本学を調査した場合には、現在行われている事態(教授会は年一回のみ、昇任基準・規程などはいっさい教授会審議抜き・「昇任規程の問題点」[3]など)からすれば、評価対象・評価項目の多くの事項で基準を満たさないという結果となろう。そうした規程・内規を制定(公表)し、それにもとづいて運用を進めているのは、現経営陣であり、大学執行部(学長・人事委員会とそのメンバー)である。それを任命したのは?
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3月22日(1) この間、各種情報から、立命館大学が相当に理事会専制体制(経営主義の体制)となり、かつての民主的名声が過去のものとなったということが次第に広く明らかになりつつあるが、今度は、法政大学においてまさに理事会専制体制が構築されようとしている。本学改革に際して、当時の法政大学総長・清成氏は、自分の総長時代に数十年の間行われなかった学部創設をいくつもおこなった業績を示しつつ、それが可能であったこととして全学を挙げての民主的意思形成を尊重したことを指摘していた。特定の構想だけを専制的に認めるようなことは、互いの構想をつぶしあう不毛な泥沼状態に陥るので、多様な構想(4つないし5つの学部構想)を活かすように意思形成を行ったと語っていた。そうしたシステムでつくられた現在の「優良」経営の法政大学が、専制的な経営形態へと移行し始めているかのようである。五十嵐仁氏HP「五十嵐仁の転成仁語」(「3月19日民主主義を主張するのであれば」)が、病が進行しないうちに役員選出体制などを見直すように主張しているのは、おそらくは先見の明のあることであろう。
国立大学、公立大学の法人化に伴う経営優位のシステムが、全国の私立大学における理事会専制体制への雪崩現象を引き起こしつつあるのではないか、と危惧される。それは、遠からず、自由で民主的な大学の雰囲気をなくしてしまう自治システムの抹殺へと、そして経営と教職員との対立の激化へと突き進むのではないか、と。これまではごく少数の特異な体質とされてきた理事長・理事会専制体制が、多くの大学に広がるのではないか、と。
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3月21日 18日の大学院入試追加募集試験のあと、桃山学院大(大阪・和泉市[4])で開催の「大学評価学会」第3回大会「何のための評価か、誰のための評価か−どうする日本の大学-」に出席のため、大阪に向かう。
18日にはやっと懇親会の途中(元都立大学総長・茂木俊彦氏の挨拶・故田中代表に関する思い出など)以降に間に合うに過ぎなかったが、懇親会でも参加者の各大学・各層(教員だけではなく少数とはいえ職員、院生・学生も)の発言に傾聴すべきことがたくさんあった。
二日目の第2分科会「学術政策の動向と大学改革」の座長(龍谷大学の油井氏が学部長職にあり同僚の死去に伴う葬儀で欠席となり、急遽座長の役目を割り当てられ、引き受けた。議論をフォローし、最後の総括討論の場にエッセンスを報告した。
「学術政策の動向」(蔵原氏報告)では政府や文部科学省の学術政策、日本学術審議会の政策、日本学術会議の政策提言などが手際よく整理され、日本のすべての大学がそれぞれに世界に直結する課題群に応ずるやり方で大学改革の方向性を模索し打ち出していくべきことが印象深かった。大学人を萎縮させてしまう「上から」、「外から」の評価のあり方とは違うもの、大学人に希望を与える評価のあり方、そのための大学の改革課題の位置づけが求められている。
第二報告は、研究評価−大阪大学の場合−で、工学研究科を牽引者とするポイント制の評価システムの構築とその試行実験、それに対する反発と個人評価シート・評価ポイント修正がなされ、現場と研究の実態に即した修正が行われていることが報告された。同時に、他の研究科・学部等では、そのような工学研究科主導の評価システムのあり方を受け入れず、それぞれに独自のやり方になっている現状も報告された。学問分野のあり方と評価のあり方は対応するので、画一的点数主義的評価の手法がなじまないことは、ここからも明らかになっているようである。議論では、やはり、大学院大学であるため、研究科長が評価責任者となるが、その研究科長は選挙(第一次投票で上位数名に絞り、そこから第二次選挙で決定する方式のようであるが)で行われているようで、大学自治の原則に従ったやり方がとられているようである。しかし、そうした研究科長が、給与条件にまで関わる評価の責任者となり、教員組合の交渉相手の立場に立つことの問題性などが、議論となった。これは、今後いたるところで発生する問題であろう。
いずれ詳しい報告、あるいは報告者の投稿論文が掲載された学会誌が刊行されるであろう。
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3月17日 教員組合ウィークリーが届いた。団体交渉申し込み文書の内容が報じられている。昇任と任期制適用に関するきわめて重要な問題であり、当局が関連諸法律に基づき、依拠する諸法律を明示し、団体交渉で明確に示すと共に、誤解や紛れのないように文書で回答すべき内容であろう。
下記の当局回答で驚くことがいくつもある。
たとえば、「透明性については、学外の委員が2名入っており、十分確保している」という点である。誰が学外委員を任命したのか?学外委員が経営サイドの意向を暗黙のうちに反映するような人材であることは、普通に考えれば十分にある。学外委員選任基準は公開されているか?「学外委員」は、なんら透明でもなく、透明性を通じて確立すべき公平性・公正性を保障するものでもない。当局者・経営サイドは、自分たちが選んだ「学外者」の資質について、その公平性・公正性についてどのように証明できるのか(社会的説明責任)?
しかも、当局者は行政当局によって任命されたものであり、その立場の公平性が、「大学の自治」(学問の自由)の観点から、自明のものとして保障されているのではない。上記のような発言を平気でするところに、行政主義的上位下達の精神が露骨に表れている。
「特別契約教授」に関しても、「専任教員と同様の手続き」として、透明性・公平性・公正性が確保されているというが、経営サイドの唯我独尊というべきスタンスである。まさに、今回、組合の冒頭の昇任候補者選定に関わる交渉要求を見ても分かるように、専任教員についてこそ、不透明・不公平・不公正が問題になっているのである。
まして、「特別契約教授」に関して、どこで誰がどのような基準によって妥当と判断されたのか、それは今後の大学のあり方にとってきわめて重要である。審議機関の如何、審査機関の所在・構成如何によっては、経営サイドに都合のいい人物だけがよりぬかれるということが十分にありうるからである。そして、それは、大学の自治、学問の自由の見地からすれば背反するのである。既にある人は「特別契約教授」に任命されたが、ある人は拒否されたとも耳にする。その情報が正しければ、実際に任命された人と、今年定年退職する人で任命されなかった人とを並べてみれば、見る人が見ればすぐ傾向がわかる。かくして、その実例が他の人々への教訓・示唆を与え、ある方向へ、ある方向へと大学教員が方向づけられることになる。「経営の論理が、真理探究などを中心的で最高の基準とする教育研究の論理と相容れないことは、歴史上も現実にも幾多の事例があるからである。
さらに、次の点も驚く。
「4.これまで講師だった者の年俸算定基準を旧来の助教授の給料表に基づくものに移行させること。
当局側回答
これまでの給料表はなくなっており、年俸決定の際に評価し、年俸に反映させていきたい。」
年俸決定と「これまでの給与表」とには一切の関係がないのか?
現在施行されている年俸制は、何を基準にしたのか?
評価制に基づく年俸制という新しい制度がきちんと労使合意の上で確立していない段階で(その案すら提案されていない段階で)、旧制度であれば当然にも昇給していた人が昇給されないとすれば、それこそ不当な変更である。
組合の要求は正当であり、少なくとも移行期の10年間くらいは、これまでの給与表体系ならばどうなるかの参照基準がなくしては、それこそ恣意がまかり通ってしまうではないか。その点からすると、「政治的判断として実現していただくようお願いしたい」という発言には首をかしげる。法人化によって講師だった人が不当に不利益を得ることについては、その不当さを証明して、筋の通った解決こそもとめるべきではないか?既得権は既得権として確実に実施させなければならないのではないか。「筋の通った判断」と政治的判断がイコールであるならば問題ないが。
トッフル500点問題は、経営サイド・行政サイドの責任を回避するような「責任のあいまい化」(第二次世界大戦後の「一億層懺悔」的な責任論)が、当局から示されている。「大学として決めたことであるから、全学をあげて努力していく」と。改革の強行に際しては、設置者権限を前面に出していたことがすっかり覆い隠されている。
トッフル500点などは、どこで審議決定されたのか?
「大学として」というが、大学の組織といえば、その当時はまだ教授会・評議会があったが、どの教授会、どの評議会で決定したことか?
これは、決定過程をきちんと検証し、市行政当局が主導でやったことをきちんと事実関係に即して、検証する必要がある。任期制の導入に関する経過もそうだが、市長諮問委員会あり方懇答申にはじまる諸プロセス、設置者権限を前面に出して進められた審議過程の資料があらためて問題となろう。Cf.トッフル問題重要資料。
「大学として決めたことであるから、全学をあげて努力していく」というが、誰がどのような方針で、どのような予算措置の責任をとってやっていくのか?その審議機関は? 教授会で審議させるのか?
「全学を挙げて」というが、その具体的な政策決定はどこで誰が行うのか?その決定権限と責任の所在は裏腹の関係にある。
精神主義でこの問題は片付くものではない。外部試験であるトッフルの一律の基準を全員に適用し進級基準にした責任(決定者・組織)が、その実行・実現の責任を負い、それが不可能なら変更の責任をとらなければならないだろう。
全員任期制とまったく同じく、画一的な「上から」、「外から」の決め方の決定的な問題があったのであり、それに付随して制度自体が根本的に問題をはらんでおり、それをどの機関が責任を持って改正するか、それを公表するか、その際誰が責任を取るか、これが問題なのである。
こうした決定的なことで、問題と責任の所在をあいまいにするこの回答のやり方こそ、大学教員のやる気を失わせるものではないか?
制度設計への参加、制度変更への審議権を教授会・評議会といった機関に与えないで、問題が起きたら責任だけを全員に負わせる、というわけだから。管理職手当てなどをもらい、その他のさまざまのメリットを享受しながら、責任を取る段階になると、その責任は私たちにはありません、責任はみんなで分けましょう、と。
責任にも軽重がある。靖国神社問題でも、問題になっているのは、主要戦犯(主要責任者)の合祀の問題であり、その神社への首相という一国を代表する人物の公式参拝の問題である。
「全国民に責任があるから全国民で努力しましょう」などという論理が通るか?そんなことが問題になっているのか? ライブドアの全社員が今回の事件に関係があるからといって、全社員が責任を問われているか?
主たる責任の所在を明確に、あるいは責任の軽重の度合いを明確にしなければ、それこそ、無責任体制である。
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横浜市立大学教員組合週報
組合ウィークリー
2006.3.17
もくじ
● 団体交渉申し入れ書
● 2006年2月1日団体交渉の記録
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●団体交渉申し入れ書
教員組合が当局に対して提出した「団体交渉申し入れ書」は以下のとおりです。団交の日程はまだ未確定ですが、新年度に入る時期を目前にしてとりわけ教員の昇任人事の問題は緊急性があるとの見地から、組合では当局に対して早急に交渉に応じるよう要求しています。
平成18年3月9日
公立大学法人 横浜市立大学
理事長 宝田 良一 殿
横浜市立大学教員組合
執行委員長 岡 眞人
団体交渉申し入れ書
時下ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
当教員組合は今般執行委員選挙を実施し、新たな役員体制で教員の教育・研究条件の向上を図るとともに、教育現場から本学の真の改革を目指す取り組みを継続して展開することになりました。建設的な労使関係の形成に向けてご高配を賜りますようお願い申しあげます。
さて今回、下記の要領で団体交渉を申し入れることにいたしました。ご多用の折恐縮ですが、議題の重要性にかんがみ、三月中を目途に可及的速やかな対応を要請いたします。
記
一 現在、大学当局が進めている教員昇任人事および関連事項に関する要求
(1)
現在、大学当局が進めている本学教員の昇任人事プロセスは不透明かつ説得力に乏しく、教員間に不安や疑念を引き起こしている。今回は特に昇任候補者の推薦が誰のどのような判断基準に基づいて行われたのかについて明快な説明を求める。さらに、今後どのようなプロセスを経て昇任決定に至るのかについて具体的な説明を求める。
(2)今回の大学改革における教員全員任期制の導入は関連法規の条文と付帯決議、法曹界での議論にてらして違法性が極めて強いばかりでなく、関係教員の労働条件の一方的な不利益変更にあたるというのが当教員組合の一貫した基本的見解である。横浜市立大学から公立大学法人への移行に際して、教員の身分は法に基づいて継承されている。この身分継承者が教授等への昇進に際して、すでに獲得している定年までの期間の定めのない雇用保障に関する権利を放棄するよう強制されることは重大な労働条件の不利益変更に当り違法である。したがって、昇任有資格者と認定された者に対して、任期制受け入れの諾否に係らず速やかに昇任の発令をすることを求める。昇任の機会を利用して任期付き雇用契約への同意を強制することは、重大な違法行為であると当組合は考えていることを通告する。
(3)任期付の雇用契約を教員が受け入れた場合、どのようなメリットとリスクが生じるかについて、雇用主としての公立大学法人は詳細な説明を行い、労働契約条件を文書で示し、しかるべき考慮・検討時間を保証する必要がある。このプロセスを欠いた労働契約は無効であるというのが当組合の基本的見解である。この立場を踏まえ、次の事項を要求する。
@昇任後の賃金、労働条件について文書で明示することを求める。
A昇任人事に際して昇任候補者に推薦された教員が任期つき労働契約の締結を検討しようとする場合、「再任」の基準・条件が明示されていない状況においては、契約締結の諾否について適切な判断を当人が行うことは困難である。これに関して「普通にやっていれば再任される」という趣旨の発言が以前の当局説明会においてなされたが、「普通」とは具体的に何を意味しているのか曖昧なので具体的で明確な説明を求める。
(4)今回の昇任人事に関する規程および内規は平成17年12月20日施行とされているが、当組合がその存在を確認したのは平成18年2月1日の団交時であり、全文入手にはさらに数日を要した。教員の身分や労働条件に関する重要事項について、当局が当組合に速やかな周知を行わなかったことは労使間の誠実で信義ある関係を損なうもので極めて遺憾である。このような事態の再発防止を強く求めるとともに、今回の昇任人事規程および内規について内容を再検討するための協議を当組合と速やかに行うことを求める。
二 賃金および労働条件に関する要求
(1)当局は賃金制度について教員評価制度に基づく年俸制を導入するとしているが、その具体的内容については一年以上にわたり当組合に対して必要な説明を実施していない。当局は近い将来の制度導入に向けて検討を進めていると聞くが、事実とすれば、その検討内容について説明を求める。本件は極めて重要な労働条件の変更にあたるので、当組合との交渉に応じるのは当局に課せられた法的義務であることを申し添える。
(2)平成18年度における賃金等の改善についての当局の見解を求める。
(3)公立大学法人への移行時に講師と助教授の職名が準教授に統合された。法人化以前の特に文系学部における人事慣行では、講師と助教授の講義負担は大差なく、講師から助教授への昇格は比較的に短期間で行われていた。このため、法人化により講師から準教授になった者に対しては、以前の助教授並みの処遇体系に移行させるのが妥当なので、早急な改善を求める。
(4)公立大学法人移行後に採用された教員に対する労働契約の内容と提示方法について説明を求める。
以上
●2006年2月1日団体交渉の記録
先月初めに行なわれた団交で、当局が事実上、昇任人事を餌に任期制の受け入れを迫るという不当な姿勢を示したことは、すでに組合ウィークリーや総会・学習会の中でお伝えしてきましたが、その正式の記録については、当局との確認作業を経て、このたびようやく確定しましたので、これを以下に掲載します。
このなかで、昇任人事をめぐる任期制強要以外にも、いくつか当局の方針の問題点が明らかになりました。たとえば、従来の専任講師だった教員の給与の改善について、当局は「そのようなことは考えていない」と拒否する姿勢を示しています。これでは、専任講師と助教授は一括して「準教授」とされたものの、専任講師の給料水準はそのまま据え置かれ、昇進の機会もなくなっているため、従来の慣行に比べて不利益な変更がなされているという問題を放置することになります。「評価し、年俸に反映させ」るといっても、評価制度自体が不透明な状況です。組合としては、引き続きこの問題を取り上げていきます。
他方、教員組合の正当な要求に対して、当局側の前向きな回答も、いくつかの点においては得られました。現場教員の意見を無視して強行した結果招いた「TOEFL500点」をめぐる危機的状況については、「状況について英語教員の責任を問うつもりはない」として、責任をなすりつけたりはしないということを当局側は明言しました。また、4年後の次回学長選考の際には、「より一層教員の声を反映する制度」の導入に向けて検討していくことを当局側も約束しました。
こうした問題点と成果を踏まえ、教員組合はなお粘り強く交渉を続けていく方針です。
2006年2月1日団体交渉の記録(横浜市立大学・教員組合)
出席者
(経営側)松浦・副理事長、清水・事務局長、中上・経営企画室長、福島・人事担当課長、金井・学務センター長、渡邉・人事担当係長、田辺・人事係員
(組合側)上杉・執行委員長、真鍋・副執行委員長、随・書記長、和仁・書記次長、岡・独法化対策委員、小城原・独法化対策委員、山根・独法化対策委員、
(1)教員の待遇、勤務条件、教員の人事制度に関する要求
1.教員の昇格人事に際し、任期制を受け入れる旨の新規雇用契約を強制しないこと。
当局側回答
昇任人事については、基準についての内規を決め、推薦作業をお願いするなど、ようやく一昨日から具体的作業に入ったところである。昇任する場合、任期制が法人としての基本的な枠組みであるから、これを崩すわけにはいかない。したがって、審査の段階では任期制への同意の有無は問わないが、任期制を受け入れない場合には、新たな雇用契約が成立しないので、昇任の発令ができない。ただし、その場合も既得権は認め、いずれ任期制に応じる場合は昇任させる。
組合側発言
任期制を受け入れないという理由で、昇格の資格ありと認められた者を昇格させないというようなやり方は、深刻な問題を引き起こす。そのような方針は組合としてはとうてい受け入れられない。
2.教員人事の透明性を保障するために以下の措置を要求する。
@教員人事の審査と推薦候補者決定を当該コース所属教員の互選により選定された専門教員に任せること。選考過程に専門的学問以外の要素が入らないように工夫すること。
A審査の結果およびその過程等について全教員に周知すること。
B最近検討されていると言われている「特任教授」の制度上の趣旨を明確にするとともに、その採用に当たっては、その必要性を十分に吟味すること。なお、その際にも「透明性・公平性・公正性」の原則が貫かれるべきことを確認すること。
組合側補足発言
要求項目の@は以下のように修正したい。
「@教員人事の審査と推薦候補者決定を当該コース所属教員等の互選により選定された専門教員に任せること。選考過程では専門的学問の要素が最も重視されるように工夫すること。」
当局側回答
部会で細かく審査したものを人事委員会に上げるというやり方をとって、その中で専門的要素を重視するという形でやっていきたい。透明性については、学外の委員が2名入っており、十分確保している。周知についてはホームページの学内専用情報で行っていく。特別契約教授は、学外の専門家で活躍している方に協力していただく場合や、定年退職でやめられた方で後任が必ずしも十分に補充できないときに一年任期で就いていただく(更新あり)という趣旨のものである。専任教員の職域を狭めるような性質のものではない。透明性・公平性・公正性については、専任教員と同様の手続きを取ることで確保している。
組合側発言
学外委員が入っているというだけでは必ずしも透明性や公平性の保障にはならないのではないか。学内の教員に対する透明性の不足という問題がある。新任の教員がどのような専門業績を有する方かというような今まで教授会による審査過程で伝えられていたことが全教員に知らされておらず、仲間としてお迎えすることも十分にできないなど困った事態も生じている。学部長から全教員に伝えるというようなやり方もできるのではないか。
当局側発言
個人情報の問題もあるが、教員どうしの情報が伝わるような措置を講じたい。
組合側発言
実際に専門的学問内容の審査に当たる教員は3名と定められたと聞いているが、問題があるのではないか。
当局側発言
日程を急ぐ都合上から部会において個別ケースとしてそのような方式をとったのだと考える。規則として定めたわけではない。
組合側発言
人事における権限が管理職に集中しており、恣意的な運用となる危険性が生じている。
当局側発言
発議段階で各コースの運営方針を反映している仕組みになっている。
3.教員人事評価制度のあり方を教員独自の組織で具体的に検討し、評価は同僚評価に基づく「能力向上」を目的として行えるよう工夫すること。評価を処遇に安易に反映させないこと。もし、処遇に反映させる場合にも、試行期間を十分にもって行われるべきことを確認していただきたい。
当局側回答
4月以降実施していきたいので、制度設計の中で望ましいものを作っていきたい。試行期間は十分に取るようにする。
4.これまで講師だった者の年俸算定基準を旧来の助教授の給料表に基づくものに移行させること。
当局側回答
これまでの給料表はなくなっており、年俸決定の際に評価し、年俸に反映させていきたい。
組合側発言
これまでであれば当然、専任講師が助教授に昇格するということがあったのに、それがなくなったという事態になっているので、政治的判断として実現していただくようお願いしたい。
当局側発言
そのようなことは考えていない。
5.サバティカルの制度化を早急に実現させること。
当局側回答
すぐに検討する段階には至っていない。中長期的な課題であると認識している。
(2)教員の教育研究条件に関する要求
1.キャリア支援センターの職員を充実させ、本来の事務的な教育研究補助の業務を教員に押し付けることを止めること。旧来事務で行ってきた学生に対する教務上の個別連絡、事務手続きを個別の教員に行わせないこと。
当局側回答
教員と職員の仕事を機械的に分けるという考え方ではなく、仕事を双方で分け合い、本来の業務に差し支えが生じないような、フレクシブルな関係をもう少し築いていくような努力を続けたい。
組合側発言
キャリア支援センターの人員は増やすのか?
当局側発言
最終的にはまだ決まっていない。市に帰る人員との調整を行なっているところである。
2.雑誌購入をカットしたために、電子ジャーナルで入手し得ない雑誌が激増している現状に鑑み、研究機関にふさわしく、その復活・拡充に努力すること。
当局側回答
件数が減っているという面はあるとしても、電子ジャーナルでカバーすれば時間外でも見られるというメリットもある。専門誌の重要性は認識しているが、予算が取れないという制約があることを理解していただきたい。
3.いわゆるTOEFL500点問題において、危機的状況の責任を英語教員に押しつけないこと。
当局側回答
状況について英語教員に責任を問うつもりはない。大学として決めたことであるから、全学をあげて努力していく。
4.研究費の配分基準をより明確にすること。
当局側回答
競争的研究費については、分野による戦略的配分を行なっており、それを研究戦略委員会・教育研究審議会での審議という手順をとって、きちんと基準に沿って進めている。限られた予算であるから不満もあるだろうが、公平性を確保しつつ効果的活用を図るという、いわば「選択と集中」がなされていることを理解していただきたい。
組合側発言
分野による偏りが大きすぎる結果になっていないか。
当局側発言
採択率などで考えれば、一概には言えない。
組合側発言
医学部では個々人に10万円が配分されるということが、十分周知されていない。
当局側発言
必要な情報は周知するよう努力する。
5.教員の担当コマ数の基準を明白にすること。
当局側回答
公平であるべきという理念に対し、現在はカリキュラム上の科目適合性を優先しているため、一部に集中している面があることは承知している。一律に何コマ以内と定めることは、それができるような時期が来れば考えたいが、現在は難しい。
(3)教員の大学運営への参加(大学行政)に関する要求
1.学長選考に現場の教員の声が反映する意向投票のような制度の導入を検討すること。その他のいわゆる管理職の選考に当たっても現場教員の意向を取り入れる仕組みを考案すべきこと。
当局側回答
候補者の推薦について、経営審議会及び教育研究審議会からの推薦だけでなく、学内の教授及び準教授15名以上の推薦により候補者となることを可能としており、学内意向は反映できるものと認識している。次回学長選考は4年後なので、その際にはより一層教員の声を反映する制度を導入することを検討していきたい。その他の管理職については、制度的にはともかく、現場との対応を十分念頭において選考されるものと考えている。
組合側発言
制度的保障がなければ、必ずしも現場の意向が尊重されているとは思われない。
2.現場の意見や苦情を直接学長及び理事長に届けることができる仕組みを確立すること。
当局側回答
現在も所属長を通じてはなされているが、今後さらにコミュニケーションを円滑にする努力はしていきたい。たとえば、あらかじめ時間を設定しておいて自由に訪問できるようにする「オープンドア」などについても考えていきたい。
組合側発言
昇任人事の内規や予算書は組合に提供してもらえるか。
当局側発言
内規は提供する。来年度予算など審議中のものは無理だが、過去の資料などは提供する。
以上
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教員組合に皆様の声をお寄せください
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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel 045-787-2320 Fax 045-787-2320
E-mail : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
組合HP:http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
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3月16日 新潟大学学長選において、学長選考会議が、規程に違反して第二次意向投票を参考にしていないことが問題となり、訴訟にまで発展している。意向確認のためには、新潟大学は二回に及ぶ学内意思確認の投票(秘密で自由な意思表明)を行っている。まさにこうした一番の基本において、自治を支える構成員の意思確認(従って民主主義的制度とそれによる意思確認)が行われている。大学の自治を担う人々による基本的な民主的意思確認という前提(土俵=憲法的土台)の上で制定された選考規程があり、その運用をめぐる問題が争われている。
ところが、本学では、定款制定から学則制定、学長選考規程の制定にいたるまで行政主導で行なわれたため、まったくこうした制度が制定されていない[5]。すなわち、学長選考においても、自由・秘密投票による学内の意向確認のためのシステムすらまったく設定されていない[6]。市長任命の理事長、副理事長など、またその任命した少数の内部者(任命された管理職であり、自由な秘密投票による選挙で選ばれた人々ではない)・外部者などによって選考できるシステムであり、大学の自治はないと同じである。本学の制度が、憲法の保障する大学の自治の原則(Cf.芦部『憲法』)に違反しているのは明らかではなかろうか? 大学人が秘密に=自由に意思を表明できる選挙制度が学長選考において欠如しているというその根本において、憲法違反ではないか? それは民主主義の常識、イロハのイではないか?
念のために付言すれば、 教員組合のアンケート結果はその問題点を多様な角度から指摘している。
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■「意見広告の会」ニュース333より
1 提訴の型
(1) 2005年12月6日の新潟大学選考会議の次期学長候補者の決定の無効確認を求める訴え。
(2) 2006年2月1日以降、長谷川彰氏による新潟大学長としての職務執行を停止させることを求める仮処分の訴え。
2 原告
(1) 山下 威士 やました・たけし
新潟大学大学院実務法学研究科長・教授、評議員
以下6名
新潟大学大学院現代社会文化研究科教授
新潟大学大学院実務法学研究科教授
新潟大学工学部教授
新潟大学教育人間科学部教授
新潟大学理学部教授
新潟大学大学院医歯学総合研究科教授
3 原告訴訟代理人
弁護士 川 村 正 敏 かわむら・まさとし(新潟県弁護士会)
4 被告
新潟大学 学長 長谷川 彰 はせがわ・あきら
学長選考会議・議長 小林俊一 こばやし・しゅんいち
5 次期学長候補者選考の経過
(1)<学長選考>
新潟大学は、学長選考規則にもとづき、この度、学長選考のために、教育職員およびその他の職員を投票資格者とする第一次意向投票、第二次意向投票、および、学長選考会議の審議を行った。第二次意向投票の実施前に、学長選考会議委員(常設の機関)である鈴木佳秀氏は、学長候補者から辞退することを伝えた。しかし、この辞退届は、学長選考会議(あるいは、学長選考会議議長)の議を経ないまま、何ら権限のない菅原秀章・理事(事務総括担当)によって握り潰され、鈴木氏は、第二次意向投票の候補者とされ、したがって、以後の学長選考会議の審議から外された。
(2)<第二次意向投票と学長選考会議の決定のズレ>
2005年11月30日に、第二次意向投票が行われ、山本正治氏が443票(総投票数の53%を獲得)、長谷川彰氏が360票、鈴木佳秀氏が22票という結果であった。この第二次意向投票の結果を受けて、2005年12月6日に学長選考会議が開催された。委員13名中、病気欠席1名の他、山本、鈴木両氏が学長候補者であることを理由に委員から外され、合計10名の委員で、学長選考会議が構成された。審議の結果、学長選考会議は、3分の2の多数ギリギリの委員7名の賛成によって(学長選考会議規則6条2項)、第二次意向投票で2位であった長谷川氏を、次期学長候補者とすることを決定した。
(3)<説明責任の放棄>
第二次意向投票で2位であった長谷川氏を学長候補者とすることについては、下記のように多くの点で違法であり、問題点も多いにもかかわらず、小林俊一・学長選考会議議長は、「選考会議の経緯を説明することは、学内に混乱を避けるために公表しない」と述べて(2005年12月6日記者会見)、まったく説明していない。ただし、後に、「選考の経過」という文章を持つ「次期学長候補者の決定について」という文書(2005年12月7日)が、まったく権限のない新潟大学総務部長名で、全教員に配布された。
6 学長選考会議の決定が、違法であり、無効と判断される理由
(1)<今回の決定は、学長選考規則14条1項に違反し、無効である。
学長選考規則14条1項は、「学長選考会議は、第二次意向投票の結果を参考とし、学長候補者を選考の上、決定する」と定めている。したがって、その「参考」ということばをいかように解釈するにせよ、学長選考会議が学長候補者の決定を行うに際して考慮すべきものは、規定による限り、「第二次意向投票の結果」のみである。したがって、「第二次意向投票の結果」と異なる決定を行った本決定は、学長選考規則に違反し、無効である。
(2)<今回の決定を下すことについての学長および学長選考会議議長の説明責任の履行がまったくなく、国立大学法人法35条および独立行政法人通則法3条に違反し、無効である。国立大学法人法35条によって準用する独立行政法人通則法3条は、「業務の公共性、透明性、および、自主性」について定める。とくに、その2項において、国立大学法人(および独立行政法人)の行為について「透明性」、すなわち、「説明責任を果たすこと」を、法の原則として規定している。にもかかわらず、今回の決定について、学長および学長選考会議議長は、まったくその説明責任を果たしていず、今回の決定は、法の要求する透明性をまったく持っていない。このような理由から、本決定は、国立大学法人法および独立行政法人通則法に違反し、無効である。
なお、今回、上記透明性(説明責任の履行)という観点から説明されるべきであったことは、最低限、以下のことがらであったろう。
@ 「学長選考規則14条1項の明文にもかかわらず、そこには書いてないが、『第二次意向投票の結果』以外のものを『参考』にしてもよい」という学長選考規則の解釈を示す必要がある。
A その上で、では、そのような「第二次意向投票の結果」以外の参考にされるものとは、「何か」を示す必要がある。
B その上で、そのようにして「学長選考会議がAで考えたもの」と、明文の規定で定められている「第二次意向投票の結果」とを比較考量して、「なぜ、前者が重いと判断されたのか」を示す必要がある。
この内、Aについてのみ、その文書の性格について不明の点も多いが、上記総務部長名文書に「中期目標・中期計画の進捗状況等大学運営に関する様々の観点」というものがあるが、それのみに止まり、著しく不足している。
(3)<鈴木佳秀氏が第二次意向投票から辞退の意思を表明したにもかかわらず、その取扱いについて不備があり、そのために、今回の選考の結果に大きな影響をもたらすほどの学長選考会議の構成について重大な欠陥を生じており、これらが、学長選考会議規則6条、16条、学長選考規則14条2項に違反しており、このようにして構成された学長選考会議の決定は、無効である。>
学長選考規則14条2項は、「学長選考会議の委員が第二次学長候補適任者となった場合は、前項の選考(学長候補者選考)に加わることができない」とし、学長選考会議規則6条2項は、「出席した委員の3分の2以上の多数をもって決する」と規定している。もともと学長選考会議の委員であった鈴木氏は、第二次意向投票の前に、学長候補者より辞退する意思を表明した。このような場合、扱いについて疑義がある限り、学長選考規則15条により、学長選考会議(緊急の場合なら、学長選考会議議長)が、その取り扱いについて議事を開き、決定すべきであった。しかし、その処理を行ったのは、いかなる権限をも持たない菅原秀章・理事(事務総括担当)であり、その判断により、鈴木氏を第二次意向投票の候補者から外す手続きを、まったくしなかった。鈴木氏は、学長選考の候補者からの辞退を表明したのであるから、本来なら、学長選考会議の構成員としての資格を取り戻し、以後の会議に招請されるべきであった。このようにして、鈴木氏は、事務総括理事によって、学長選考会議規則および学長選考規則に違反して、学長選考会議から排除される結果となった。
このようにして構成された選考会議は、重大な欠陥を有するものであり、鈴木氏の会議への参加によって、結論に重大な齟齬が生じる可能性のある限り、そのような欠陥を有する会議の決定は、学長選考会議規則および学長選考規則に違法し、無効である。
7 本訴訟の意義
(1) 本件は、新潟大学の次期学長候補者の選考の無効の確認を求めるものである。
そこには、みずから定めた規定を、みずからが守らないという、コンプライアンス(法令順守)をめぐる、きわめて初歩的な欠陥がある。基本的に大学としての体をなしていない姿勢であり、その点を、この訴訟を通じて問題提起し、注意を喚起したい。
(2) しかし、そのような新潟大学特有のものを超えて、今回の事例は、2004年4月以降、ほぼ同様の学長選考規定を有する旧国立大学に共通する問題性をもち、その先例としての影響、わが国の大学システムに対する影響は、計り知れない。とりわけ、研究の根幹を保証するものとしての公共性と透明性(説明責任)とを重視するわが国の大学一般にとって、今回の新潟大学の経緯は、悪しき先例として、その将来の死命を制するかもしれないほどの大きな(マイナスの)意義をもつ。この訴訟を通じて、この点を明確にし、わが国の健全な大学の発展に寄与したい。
以上
2005年12月20日・2006年1月15日 山下威士
1 はじめにー逆転また逆転の学長選考過程
12月7日(26面)の新潟日報を開いて驚いた。「学長に長谷川氏再任 2次投票2位 選考会議で逆転」という大見出しが目に飛びこんできた。後の報道(新潟日報12月16日29面)と併せると、学長選考会議(以下、選考会議)10名の委員の投票において、教職員の行った第二次意向投票で第2位の長谷川彰・現学長が、7票を獲得し、第二次意向投票で、教職員の投票の53%をとって第一位となった山本正治・医学部長の3票を破って、まさに大逆転で、次期学長候補者に決定されたという。
11月30日の第二次意向投票結果
有権者 1,140名 投票率 72% 1位 山本 443票(53%) 2位 長谷川 360票
11月7日の第一次意向投票結果
有権者 1,632名 投票率 58% 1位 長谷川 516票(54%) 2位 山本 394票
(第一次と第二次の有権者の数の大きな違いは、職員を含むか否かによる。)
この間、私は、大学院実務法学研究科長・評議員という立場にありながら、今回の選挙にまったく関係なく、投票に行くだけで、結果を見てビックリするという、大方の一般教職員と同じ状況にあった。ただ、毎回の意向投票の結果については、そういうこともあろうかと思うだけであったが、選考会議の結果は、まったく受け入れがたい。
以下、連載
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3月14日 日本の対米従属(ブッシュ流単独行動主義=帝国主義への従属)を鋭く批判するのが、森田実政治日誌であり、その一貫した主張は傾聴に値する。最新の紹介(「年次改革要望書」の指示どおり米国に隷従する小泉売国政治)が、佐藤真彦・本学元教授のHPに掲載された。
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3月13日 岩国基地再編強化に対する昨日の住民投票(投票率58%)は、87%強の圧倒的多数で、NO.を選んだ。神奈川県でももし同じような住民投票が行われれば、圧倒的多数がNoを選ぶのではないか?横須賀市はどうか?横浜市は? 座間市は市長が再編強化反対の先頭に立っているようであり、岩国市とまさに同じになりそうだが。
日本全土での米軍基地の再編強化をやらなければ、問題は解決する(「米軍基地の再編・強化に反対する神奈川の大学人」のHP)。
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3月10日(2)
『全国国公私立大学の事件情報』(本日付)で、「岩見沢校/北海道教育大学」に関する新たな考察「歴史に学ぶ『スターリン体制』」を読んだ。教授会の形骸化、「お手盛りポスト」、「お手盛り人事」、それを可能にする「危機状態」の演出、「緊急事態」の演出(「1100億円の赤字」云々、「改革なくして存続の余地はない」)、つぎつぎと身近な具体例が浮かぶ。行政当局と直接的な関係におかれる公立大学(従って市長・市議会の見識によって大学のあり方が違ってくる)と違って、国立大学法人は、全国たくさんあって、一定の歯止めがかかるように予測していたが、新潟大学や今問題が露呈しつつある北海道教育大学の事例を見ると、どうも大学によって「独裁体制」化が一挙に進むところもあるようである。
そうした大学の問題も、デモクラシー原理で解決していく手段(理性の武器)として、「言論」があること、上記執筆者の結論、その実践に共鳴する。人事・予算において権力を握ったものが批判にさらされないとどうなるか。批判に曝されてこそ、権力が一定程度まともに行使される、ということである。
「構造安定性」入門──デモクラシーの不安定と独裁の安定」によれば、「岩見沢校/北海道教育大学教授会で「報告」扱いを連発し,また
(「動議-採択-議論-採決」を中心に据える) 議事法を無視する執行部は,この行為によってデモクラシーの装置を壊している」と。
しかし、本学は?、そもそも教授会が一年に一回しか開かれず、代議員会も「報告事項」ばかり、・・・・・。学部のコース会議は毎月一回、研究科の専攻会議も毎月一回開かれているが、・・・。
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3月10日(1) 「米軍基地の再編・強化に反対する神奈川の大学人」のHPが立ち上がったとのお知らせをいただいた。大学人の基地再編強化反対声明(訴え・呼びかけ)に加わったものとして、現在の情報発信の最先端の手段で、神奈川県の人々、日本の人々、心ある人々に訴える機会が増えるとすれば、まことに喜ばしい。「理性の府」大学とその担い手は、理性に訴える手段で、広く地域から日本中の人々の平和的連帯(平和の連帯)を強靭化していく必要があろう。上記HPを通じて、賛同者、参加者が増えることが期待される。
かつて、中曽根首相が「日本を不沈空母にする」とレーガンに語って顰蹙を買ったが、まさにその後の日本は、「普通の国へ」といいながら、その実、「不沈空母化」の道を進んでいるのではないか? 今朝の朝日新聞に新潟県加茂市長(元防衛庁の役人)が、イラク派兵を憲法違反としていたが、まさに、憲法違反の海外派兵までやるのが現在の日本政府である。どこまで従属が進められるのか?沖縄返還時の密約が米側公文書や当時の外務官僚の証言で暴かれても、しらを切りとおすのが、現在の政府である。
アメリカ陸軍の司令部が日本におかれる事態は、まさに日本の完全な対米従属そのものであり、アメリカ合衆国のために日本をさらに根本的な意味で「不沈空母」にしようとするものではあるまいか?
これはまさに、日本国憲法と相容れない。憲法を活かし、再活性化し、アジアと世界における平和を再構築するためには、こうしたアメリカ陸軍司令部の県内移転などにはきちんと反対すべきだろう。憲法が保障する「大学の自治」の国民的世界的普遍的権利を守り、再活性化することと、アジアと世界の平和的発展のベクトルを強化していくこととは、密接に関連しているといえよう。
いつか小泉首相が「現在の自衛隊の戦力その他の実情と憲法とは整合しない」旨の発言を行い、憲法改正を推進する発言をした。つまり、憲法違反の現状を肯定するための憲法改正を目指している、ということである。
憲法を守り、再活性化する見地からすれば、憲法違反の現状を憲法規範の枠内に是正するために政府の行動を縛る、ということであろう。
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3月9日(2) 教員組合・新執行部の挨拶を載せたニュースを頂戴した。格調高い委員長・書記長の建設的メッセージに賛同し、ご奮闘をお願いし、期待したい。教員の身分保障・生活保障は、研究と教育の発展のために、そして全体としての大学の発展のために不可欠である。
教員組合に結集し、みんなで連帯して法律に基づく大学の発展を構築していく必要があると改めて感じた。
---横浜市立大学教員組合週報----−
組合ウィークリー
2006.3.9
もくじ
● 新執行委員長就任挨拶
● 新書記長就任挨拶
● 執行委員選挙の開票結果と新執行部体制
● 団体交渉を申し入れています
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●新執行委員長就任挨拶
岡 眞人(国際総合科学部人間科学コース教授)
大学改革という名の大学破壊の激流の中で、横浜市立大学教員組合はしっかりと教員の教育・研究環境を守り、大学のあるべき姿と方向性を提示してきました。私は歴代執行委員会の奮闘に敬意と感謝の念を抱いておりましたが、このたび、思いがけず委員長の職務をお引き受けすることになりました。この厳しい時期に非力な私には荷が重いのですが、組合員の先生方と力を合わせて本学の健全な発展のために頑張っていこうと思います。どうかよろしくお願い申しあげます。
大学当局は一貫して「教員全員任期制」を大学改革の目玉にしています。全員任期制は大学教員任期法はじめ関連法規の精神に全くそぐわないもので、教員の身分を不安定にし、教員が安心して教育・研究に取り組める環境を破壊しています。その結果、とどまるところを知らない人材の流失が進行しています。研究棟の廊下を歩くと空室が目立ち、まるでシャッターを閉めた店が連なる崩壊寸前の商店街のようです。横浜市大が長い歴史の中で脈々と育んできた知的伝統の森は乱開発で根こそぎなぎ倒されているように感じます。実に腹立たしく悲しい想いです。
横浜市立大学から公立大学法人への移行に際して、教員の身分は法に基づいて継承されました。当局は任期制への同意を求める文書を各教員に送りつけましたが、多くの教員は正当な法的権利に依拠して任期制受け入れを拒否し、従来どおり定年までの雇用保障の権利を維持したまま勤務しています。しかし、ここに再び重要問題がもちあがりました。教授や準教授への「昇任」を契機に、任期付きの新しい労働契約を迫るという事態です。これは定年までの期間の定めのない雇用保障を放棄することになるので、実に重要な労働条件の変更になります。組合との協議は不可欠ですが、当局のやり方は一本釣り方式で新契約締結を強行しようとしているように見えます。その上、当局は契約期間終了後の「再任」について何ら説明をしていません。まるで白紙委任状の提出を求められているのに等しく、5年ほどの任期が切れたら「契約期間満了」という名の「雇い止め」になる可能性も否定できません。これではリスクが高すぎて「昇任」という甘い香りに誘われて任期付き契約に同意することは賢明ではないと言わざるを得ません。
この問題は法人化後、新規に任期付きの条件で採用された教員が数年後に直面する問題でもあります。すでに任期制に同意した人であっても、教育と研究に継続的に安心して取り組める環境は必要不可欠です。新規採用になった教員に聞いたところ、「任期制に同意できますね」と口頭でいわれただけで、労働条件の文書による提示はなく、再任ルールの説明もなかったそうです。これでは落ち着いて教育・研究に打ち込むことはできないでしょう。当局は「普通にやっていれば再任される」と以前説明したことがありますが、その「普通」の定義は曖昧なまま放置されています。
ここに任期制に同意していない人も同意した人も、全ての教員が直面する切実な課題があります。これこそ教員組合が当面取り組むべき最大の課題だと思います。組合の基本的立場は、任期付き雇用に同意することなく教授等への昇任を実現することです。大学当局は、全員任期制が改革の目玉なので絶対譲れないという立場に固執しています。これは関係法規の条文と精神に照らして誤っているだけでなく、大学運営の現実論から見ても人材の大量流失を招き、本学の教育・研究の質的低下を引き起こすという間違いを犯しています。そもそも、現場の教員の声を無視して、トップダウン方式で横浜市立大学の全てを一挙に変えるのが改革だといわんばかりの蛮行を犯したツケが回ってきているのです。
教員組合は組合員一人ひとりの生活とキャリアの重みを強く意識して、安心して教育・研究に従事できる環境をつくりだすために引き続き努力していきます。同時に教員組合は大学に期待されている社会的役割を発揮するために、大学の自治と学問の自由という高い理念に基づいて、職員、学生の皆さんと力を合わせ、民主的運営による生き生きとした大学の創造に尽力していきます。皆様のご理解とご協力を再度お願いして、ご挨拶とさせていただきます。
●新書記長就任挨拶
本宮 一男(国際総合科学部国際文化創造コース教授)
本学の激動の中で、歴代の執行委員の皆様が多大なご尽力を払われてきたことに敬意と感謝の念を持っておりましたが、期せずして、この度書記長をお引き受けすることになりました。新任のご挨拶代わりに、少々愚考していることを申し上げたいと思います。
その意味合いを深く考えることなく、問答無用というかのごとく、ともかくも変えてしまおう、排除してしまおうという姿勢は、悪しき意味での「革命」となってしまいます。「改革」であるのならば、そもそも改めるべき問題は何なのか、それをどのように変えていくことが適切な方法なのかを、明確にそしてじっくりと検討すべきだと考えます。「もはや時間がない」とは思えません。大切なことは、10年後あるいは30年後により良い姿になっていることであり、そのためには将来をしっかりと見据えながら検討をおこない、「改革」の方向性も常に点検しつつ、必要とあれば敏速にしかるべき軌道修正をおこなうことも求められるべきです。ある時点での「流行」に目を奪われて、「バスに乗り遅れるな!」式の「改革」の強行がもたらす危うさ、愚かさは、幾多の過去の歴史が示しています。いやさらに言えば、当局が示すような「任期制」や評価制度に基づく「年俸制」に関する考え方は既に「時代遅れ」になりつつあり、もはや愚かし後追いとなってしまっているように思われます。
また、本学を築いてこられた先人達が残された蓄積に対する評価・点検も十分に果たされているとは思えません。伝統を否定して新しいものにすることがいつでも良いことになるわけでないことは当たり前のことですが、ここしばらくは社会全体として、「変わることは無条件に良いことだ」、と言わんばかりの風潮が蔓延しているように思われてなりません。良き意味での「保守」(良いものはできるだけ維持すべきである)の考え方はどこに行ったのでしょう?いやそもそも、かつての「保守」「革新」という考え方自体が、今では極めて複雑な、捻れた状況になっているのでしょう。ともあれ、言うまでもなく、伝統は長い時間の上に、ようやくにして築きあげられるものであり、しかし一方で、いつでも心しておかなければ一瞬で失われてしまう危うさを持つものでしょう。そして、一度失われれば、もはや取り戻すことできないものかもしれません。本学がこれまで辿ってきた道を顧みたとき、私はすべてが良き伝統であるとは言いませんが、しかし、かけがえのない良き伝統の蓄積は少なくないと考えています。
組合員の皆様に向けた文でこのようなことを申し上げるのは、「釈迦に説法」となること、あるいは少々乱暴なまとめ方をする愚挙を承知の上で申し上げますが、我々の仕事である学問は、先人達が残された蓄積を的確に受けとめ、受け継ぐべき点は受け継ぎ、修正すべき点は修正して先に進んでいく営為でしょう。その意味では、「保守」と「革新」(「改革」)の両面を兼ね備えるべきものだと思います。だとすれば、私たちが学問をおこなっていく場である大学の問題に関しても同じように、良き意味での「保守」と「革新」(「改革」)の思想を兼ね備えた姿勢で臨んでいくべきだと思いまし、大学は社会全体の中でも特にそうした点を強く意識した組織であるべきだと思います。
したがって、今回の大学「改革」もこうした観点から捉えていくべきだと思っているのです。これまでの基本的方向性は、真の意味で学生のためになる、社会に貢献できる、そしてそこで働くことに喜びを見いだせる大学改革とはなっていないと考えます。
教員組合は、我々組合員の労働条件の保障・改善を目指していくことはもちろんであるが、同時に我々の働く場である本学がより良い大学に発展していくことも強く願っており、両者は密接不可分の関係にあるとの考え方は、多くの組合員の皆様が共有されているもののではないかと思います。
もとより、書記長という大役を務めるには微力な身ではありますが、執行委員の皆様、組合員の皆様と協力して、責の一端でも埋められよう努めたいと思います。皆様におかれましては、よろしくご教示、ご支援いただけますようお願い申し上げます。
●執行委員選挙の開票結果と新執行部体制
2月16日に開票が行なわれた執行委員選挙は、以下の結果となりました。
投票総数 119票
有効投票 119票
岩佐 朋子 117票
小山 洋道 119票
岡 眞人 116票
本宮 一男 118票
中村 紀雄 118票
吉岡 直人 118票
小城原 新 116票
これを受けて同日行なわれた引継ぎの執行委員会において、当面、下記の役割分担を決定しました。
執行委員長
岡 眞人(国際教養)
副執行委員長
真鍋 勝司(理)
書記長
本宮 一男(国際教養)
書記次長
和仁 道郎(国際教養)
会計担当
藤崎 晴彦(経営科学)
情報宣伝担当
坪谷美欧子(国際教養)
情報宣伝担当
岩佐 朋子(経営科学)
福利厚生担当
中村 紀雄(理)
給与調査担当
吉岡 直人(理)
記録担当
小山 洋道(看護)
安全衛生労働時間担当
小城原 新(医)
●団体交渉を申し入れています
教員組合は、当局に対して3月中旬にも団体交渉を行なうよう、申入れをしています。要求項目は、教員昇任人事に関連する事項、および、賃金・労働条件(評価制度を含む)に関する事項であり、要求書の詳細は追って皆様にお知らせいたします。
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発行 横浜市立大学教員組合執行委員会
〒236-0027 横浜市金沢区瀬戸22番2号
Tel 045-787-2320 Fax 045-787-2320
E-mail : kumiai@yokohama-cu.ac.jp
組合HP:http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm
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3月9日(1) この間の昇任規程問題(内容の問題や内規未公開問題)で、制定過程・制定内容などに関して学長に所信と説明を求める質問状を出した(2月28日付け)。質問状を出して10日ほどすぎたが、いまのところ学長からは返事がないようである。教員6名の有志が連名で質問したのだが、どのように対応するつもりか、学長のスタンスが近いうちに明らかになろう。
昇任といった重要な人事問題でその規程が関係者全員(すくなくとも直接関係する大学教員全員)に周知徹底されず、またコンセンサスを得られるものでないとすれば、一体それは大学らしいやり方であろうか?それは大学を活性化するものであろうか?研究や教育の評価のあり方が大学の活性化に密接に関連し、したがって昇任の規程や基準(その制定権・執行権・審議権)は、きわめて重要な大学自治の構成要件、大学評価の構成要件ではないか?
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3月7日 『全国国公私立大学の事件情報』(本日付)で、北海道教育大学も、学長「再再任」の「お手盛り」制度(学内民主主義の欠如・大学人の意向尊重の欠如・社会的説明責任の欠如)の創設、それに対する函館校教授会の抗議・反対決議、岩見沢校の「沈黙」(副学長の反対)、となかなか深い問題を抱えていることをはじめて知った[7]。論理的数学的合理的思考が排除される、その象徴としての数学教室いじめという現象が、ここでも見受けられる。
「沈黙論」は、本学の現在と過去を噛み締めなおすためにも一読の価値がある。また、お手盛りポストの創設も、類似現象が思い浮かぶ。
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他大学と比較して、わが大学は?
一楽教授が指摘するように、「学務教授」など、「教授でない教授」の創設[8]、その他、行政主導・経営主導の体制作りが着々と進行してはないか?
現在では、教員組合がかろうじて独立的自立的声を発しているに過ぎないのが、本学の状態ではなかろうか。すなわち、全体として「沈黙」が支配してはいないだろうか?このままいけば、いずれたいへんなことが起こるのではないか? トッフル500点問題は? 昇任問題は?
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3月6日 新潟大学の学長選訴訟(2005年12月6日、学内7名の教授は学長選考会議による次期学長候補推薦決定の無効確認を求める提訴)関連の新しいニュースが、『全国国公私立大学の事件情報』(本日付)に掲載された。「学長選考会議決定の撤回を求めるアピールには、2月28日現在で学内教員1,145名中451名(39.4%)が署名」とのこと。なぜ、学内意向確認で第一位の人を選考会議は学長に選ばないのか? その説明説明責任が問われている。
正規の手続と学内の意思を尊重するシステムでない限り(すなわち正当性を欠いている限り)、まっとうな大学の発展はないだろうと思われるが、さて、どうなるのか? 大学における学問研究のためには、自治・自律性が最大限に尊重されなければならないと思われるが、学内の意思を覆す(無視する、尊重しない)手段として、「選考会議」が機能しているようである。 学内意思を確かめる手段を持たないようなシステムでは、学内の意思がどこにあるのかさえも分からない。
憲法論との関連はどうなるか?
「選考会議」の権限は、法廷においてはどう評価されるか?
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3月3日(2) アメリカのいうがままの基地移転費用の負担をはじめ、最近も、日本政府の対米従属振りは顕著だが、それは日本全土に米軍基地が張り巡らされているという戦後一貫した体制を土台にしている。この対米従属の果てし無い進行をずっと批判してきた森田氏の日誌が、佐藤真彦・本学元教授HPに引用掲載されている。一読に値する。
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森田実政治日誌『月刊日本』3月号インタビュー記事(2006.3.1)
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3月3日(1) 昨日のコース会議における情報では、昇任規程の内規も学内のHPに、この数日中に、公開されたということである(それならそれできちんと学内に周知徹底するように、紙媒体でも全教員に知らせるべきだろうが、それはいまだにない)。どのような理由で、内規公開がこれほど遅れたのか、いずれきちんとしなければならないだろう。また、その「伏せていおいた」のは、伏せなければならない理由があったはずで、それがどのような根拠なのか、内規の諸条項に照らして検討する必要があろう。
だれがこの規程・内規の制定に関わったのか?
いずれにしろ、これらを決めたのは人事委員会(?)など責任組織・機関によるもの(制定責任、制定権力=制定権限、そして執行責任=権限)だろうから、その説明責任が問われるであろう。人事規則、昇任規定という人事問題で一番重要な規則に関して(教員の士気・モラル・努力の方向性・精神的自由など大学教員の学問のあり方・研究教育の仕方に対し生殺与奪の力を持つもの)、学校教育法に基づく教授会が審議決定したのではないことだけは、はっきりしている。この間、昨年5月だったかの第二回の教授会以来、教授会が開催されていないのだから。
今後、規則(規程・内規)の正当性、合法性が問題となろう。
公明正大な規則、オープンな競争条件、オープンな審査(評価の公明正大さ・客観性・社会的説明責任・・・審査結果の公開・・公開内容が大学内外の社会をなっとくさせるもの)なくしては、ゆがんだ支配服従関係・利害関係・利益収受関係が大学を支配することになろう。それは、自由な精神活動、大学の自由闊達な精神風土を腐らせるものであろう。
最近の朗報と感じたのは、ある新任人事の結果である。
公募にどのような人が応じてきたのか、かつてならば教授会で一覧表が配布されたので分かったが、今回はその点は秘密になっている。したがって、最終的な厳密な意味で、今回の結果を「朗報」といっていいかどうかは分からないところがある。「任期制」を一律に条件とするのではなく、大学教員任期法のように若手(助手)の場合と、準教授の場合、教授の場合で、その研究教育業績に応じて「任期制」とするか最初からテニュアを与えるかなどを提示していた場合にどのような応募者があったのかといったことも、分からない。
しかし、ともあれ、きまったとされる人の業績・活動は、相当なものである。「えっ。・・・大学から来るの」という声が漏れたが、「任期制」を掲げていてなお、これだけの人が来るにはそれなりの理由があるのであろう。
ひとたび「任期制に同意」して採用された教員に関しては、テニュア制度など、業績に見合った身分保障の制度を早急に確立し、条件提示しておかなければ(不安定なままに曝しておけば)、実力がある人であればそれだけ早々に、立ち去っていくであろう。毎年のように単著(しかも3冊本なども)をまとめ、バリバリ働く若手「準教授」も、この4月からある東京の私学に転出するのだから。
テニュア制度も、「任期制」押し付けをスムースにするために、花火のように打ち上げられたが、その後、検討が具体化した、前進しているという話は聞かない。現状は、若手や昇任資格者たちに、不安だけが蓄積する状況となっている。
テニュア制度の制定責任者・制定機関・制定組織は? 何をどのように進めているか? これも、教員組合が団体交渉で確認すべきことのひとつかもしれない。
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3月2日 「市立脳血管医療センターに関する署名簿提出」という記事を読んだ。署名者数1万6千余。多くの人が、脳血管医療センターの現状に重大な問題を感じ、再生を希望していることが分かる。この署名者1万6千人余が、二人、三人、あるいは5人でも10人でも身近な人に問題を語りかけることで、さらに広く市民が問題の重要性を認識するに違いない。
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3月1日(2) 「みんな失望してやめる」との見出しに引かれて佐藤真彦・本学元教授(改革のあり方に抗議して昨年3月退職された)のページを読み、脳血管医療センター問題のますます深刻化する現状を改めて確認した。一昨日あったはずの市人事委員会の公開審理はどうだったか?優秀な医師の不当配転問題(医師を普通の事務部署へ)は、今回の4人の医師の「失望」退職問題の露呈でも裏付けられるように思われる。その根本に、「話し合いがない」こと、民主主義的討論の欠如があげられているのも、重要である。上位下達の行政組織、専制的システム・体質!
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二十七日の同市人事委員会での口頭審理で証言した神経内科医は、「センター長は命令ばかり。医師にディスカッションの余地を与えない。みんな失望して辞める」とぶちまけた。
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他人事ではない。
本学人事委員会の人事の進め方には規程と内規の問題(2月18日付、一楽教授の問題提起、内規非公開問題)、その運用の面で不明確さ・不統一性などがあるようだが(そうした情報も教授会が定期開催されていないので公然とした形には今のところなっていない)、それもまた若手の人々が「失望してやめる」一因になるのではないか?
最近ある教授が定年前に退職されるとの情報を得たが、その重要な原因もいろいろな意味での「失望」のようである。
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3月1日(1) 韓国の「大学教員任期法」も、いろいろ深刻な問題を抱えているようだ。各大学の「主人」が誰であるかによって、すなわち、大学の自治の担い手が誰であるかによって、教員の身分の不安定さが大きな影響を受けるようだ。翻って、本学は? 首大は?
大学教員任期法が、大学教員の奴隷化・従順化・精神的拘束を決定的に推進するとすれば、結局は、学問・科学の発達も、その市民への還元も、ありえないことになる。市民ひとりひとりが、「任期制」の押し付けによって「大学の自治」、「学問の自由」が蝕まれ脅威に曝されていることの全社会的意味を察知してほしいものである。しかし、その前提は、大学内部の人々、大学人の認識であり行動でもあろう。ひとりひとりに、「大学の自治」破壊に協力していないか、それを推進していないか、問い直されているのではなかろうか?
-------「全国国公私立大学の事件情報」-------
大学教員期間任用制が導入された後、再採用で不当に脱落した大学教員に対して再採用脱落決定再審査機会を付与し、再採用脱落者などの権益を保護するという趣旨の「大学教員期間任用制脱落者救済のための特別法」が2005年7月に公布された。これに伴い、教育部に設置された教員請願審査特別委員会が再審を要求する解職教授を審査し、その結果を発表している。
しかし、教授労組は27日に声明を発表し「これまで請願審査特別委員会で『被請求人が請求人に行った再採用拒否処分を取り消す』という内容の決定書を受けた解職教授の数は数十人にも至らないのに、実際に大学に戻る道が開かれた教授は国公立の一人か二人でしかない」とし「しかも私立大学はどこも審査委の決定を受け入れていない」と主張した。
また教授労組は「この背景には『この法に従うかどうかは、学校の主人次第』という教育部の解釈と主張がかくされている」とし「紙切れに過ぎない決定書を配るために国会は特別法を作り、大統領は法を公布して教育部は解職教授を招集し、特別審査をしたということか」と強く批判した。……
[1] 抜粋しておけば、
「最近の活動(「日本の科学者」2004年5月号より)
科学者の権利を意識した研究教育体制を目指して
科学者の権利を侵害する事例はこれまで私立大学や民間研究機関でしばしば発生してきた.既に法人化された国立試験・研究機関でも憂慮すべき状況が報告されている.法人化後の大学では,事業効率を重視した大学運営によって研究者・科学者の権利侵害が発生する可能性が高くなることが危惧されている.
科学者の権利意識の低下は科学者運動の停滞を招く原因の一つとなっている.とくに,若手および中堅の科学者の中でその傾向が顕著であり,背景の一つに大型共同研究が主流となる環境がチームリーダー中心の研究費の流れをつくり,その中で共同研究者になることが優先され,結果として上意下達的な研究体制を許していることがある.ポスドク研究者では全くの無権利状態で研究に従事している数多くの例がある.これらの事態はあらためて研究者・科学者の権利について今日的な課題を提起している.
権利間題委員会では「研究者の権利・地位宣言」のためのアンケートの作成を行う準備をしてきた.4月にアンケートを各支部に依頼し,中間的なまとめを15総学の分科会で発表する予定である.支部,分会での積極的な取り組みをお願いしたい.
2月14日,第7回権利ミニシンポジウムを開催し,都立大学の統合問題,京大再任用拒否問題,国立大学法人化に伴う問題,独法化後の国立研究所の状況,NTT研究所における専門業務型裁量労働制,等について報告を受け討議した.とりわけ,都立大学における教員の権利を全く無視した強権的な改組問題は,横浜市大問題と共に法人化後の国立大学にとって決して他山の石ではないことを印象づけた.委員会ではアンケートの分析やシンポジウムなどの討論を科学者・技術者の権利宣言(憲章)として結実させる考えである.
[2] たとえば、「大学当局は一貫して「教員全員任期制」を大学改革の目玉にしています。全員任期制は大学教員任期法はじめ関連法規の精神に全くそぐわないもので、教員の身分を不安定にし、教員が安心して教育・研究に取り組める環境を破壊しています。その結果、とどまるところを知らない人材の流失が進行しています。研究棟の廊下を歩くと空室が目立ち、まるでシャッターを閉めた店が連なる崩壊寸前の商店街のようです。横浜市大が長い歴史の中で脈々と育んできた知的伝統の森は乱開発で根こそぎなぎ倒されているように感じます。実に腹立たしく悲しい想いです。
横浜市立大学から公立大学法人への移行に際して、教員の身分は法に基づいて継承されました。当局は任期制への同意を求める文書を各教員に送りつけましたが、多くの教員は正当な法的権利に依拠して任期制受け入れを拒否し、従来どおり定年までの雇用保障の権利を維持したまま勤務しています。しかし、ここに再び重要問題がもちあがりました。教授や準教授への「昇任」を契機に、任期付きの新しい労働契約を迫るという事態です。これは定年までの期間の定めのない雇用保障を放棄することになるので、実に重要な労働条件の変更になります。組合との協議は不可欠ですが、当局のやり方は一本釣り方式で新契約締結を強行しようとしているように見えます。その上、当局は契約期間終了後の「再任」について何ら説明をしていません。まるで白紙委任状の提出を求められているのに等しく、5年ほどの任期が切れたら「契約期間満了」という名の「雇い止め」になる可能性も否定できません。これではリスクが高すぎて「昇任」という甘い香りに誘われて任期付き契約に同意することは賢明ではないと言わざるを得ません。」
[3] 直接関係する一節を引用しておこう。
「この規程は、教授資格、準教授資格を定めたものであり、大学にとって大変重要なものである。したがって、学校教育法によって教授会で審議すべきものであることは、明白であろう。改革と言いさえすれば、法律を無視してもよいというわけはない。大学の自治は、憲法で定めている学問の自由を保障するものとして重要な法律的概念であり、現在も守らなければならないことには誰も議論の余地がない。」
[4] はじめて訪れたが、素晴らしいキャンパスだった。キリスト教(聖公会系)の大学らしく、レンガの壁、ヨーロッパの修道院や教会の雰囲気を漂わせる趣のある校舎群で、いい学問環境が整備されているのに驚いた。
[5] 教員推薦15名で候補を推薦できるとしているが、大学人の自由な意思(秘密投票)を確認するその制度的保障がないだけの推薦制度は、機能しなかった。結果が見え美恵だからであり、自分たちの自立的で自由な意思が尊重されない(その保障がまったくない)ことがはっきりしているからである。二人の候補はいずれも、大学自治の原則からすれば、「上から」「外から」の推薦であった。
[6] 普通の民主主義的常識から、選挙が(現在行われている横浜市長の選挙もそうだが)、無記名・秘密が保障されていなければ、弱い立場の人々、利害の相反する人々が自由に意思を表明できないことは明らかではなかろうか?
とくに経営サイドの責任者の任命権を市長(行政当局の長)が握っている場合、予算と人事を通じて、いかようにでも大学を支配できることになり、大学内部の人間が自由に意思表明できないのは明らかではないか?
大学における自由が破壊されていることは明確この上もないのではないか?
[7] 「岩見沢校/北海道教育大学」研究のサイトをちょっと訪問してみたが、刺激的主張にみちており、素晴らしい。大学における科学的合理主義の実践、その他、熟読玩味すべき論説が、感銘深い。
若干のタイトル(リンク)を、コピーしておこう。
本ウェブサイトを不都合と感じるのはまちがい
──デモクラシーへの導入
陰湿・低能・低文化──落書き事件・・・現代数学のエッセンスも紹介されている。
いま上原專祿先生『大学論』を読む・・・・「わが国の大学の現状を顧みると、学問の名にも値しがたい気ままな研究業績を、それも細々と挙げたり挙げなかったりしている現実であるにも拘らず、大学の使命は真理探究の府たる点に存すると自称して、青年教育の労をとるに甚だやぶさかであることの遁辞としているような事例も絶無ではない。或は、旧態依然たる固陋で傲岸な官僚や、旧習そのままの卑屈で利己的な会社員や、浅薄で独善的な教員などの大量生産に従事しているに過ぎないのに、これをもって大学の教育職能を発揮していると誇称しているような事実も稀ではない。況んや、日本再生の根本契因が新しい精神生活の日本人を創造することのうちにのみ存するという明確な自覚の下に、教育の問題を真剣に取り上げつつある大学は必ずしも多くはないのである。大学における学問研究の領野においてもわれわれの重視すべきことは、まさに新なる精神生活と生活態度とを備えた新研究者たるべく自己を再形成し、又さようの研究者たるべく若い世代の人たちを育成してゆくという教育活動であろう。職業人の養成の場合も同様である。職業的技能の担い手たる人間そのものを全人格的意味において育成することから、大学の職業教育は始められねばならない。」