6月30日 成田発25日、往復に3日間、会議期間3日間で、ウィーン大学現代史研究所主催の会議(「両大戦間期の中欧・南東欧戦略構想」)に参加し、今朝、成田着、午後、研究室に来て事務処理。
最近、ルーマニアやブルガリアのEU加盟を歴史的にどうとらえるか、この問題関心から、両大戦間期の「広域経済圏」のあり方との歴史的位相差を確認したいという問題意識で、科研費の研究を進めている。すなわち、EU拡大の最先端―南東欧への拡大―の意味を考えて見たい。
今回の会議は、それにピッタリの国際会議だった。時間的に極めて苦しい日程(火曜日の教養ゼミA、大学院の講義演習を終えた後水曜日に出発、帰国は火曜日の教養ゼミ等を休まなくてすむように月曜日)であったが参加した。結果的には、大変有意義だった。
とくに、ルーマニアのブカレスト大学史学教授ムルジェスク氏と直接話し合うことができたのは、きわめて有益であった。彼の話で印象的だったのは、1995年加盟申請、1999年実質調査、そして2004年くらいまでにさまざまの条件整備、それを踏まえての2007年1月1日からEU加盟というプロセスで、厳しいEU基準をクリアできたことであった。しかも、それは、実は、ルーマニアの民主化(行政の透明性)にも貢献した、内発的な発展だけでは実現できないことがEU加盟に向けての努力の中で実現できた、といった意味のコメントであった。ある種の社会改造が、EU加盟を目指す中で実現できた、ということだろう。
そこで実現した行政の透明化と関係するのだろうが、会計検査院Rechnungshofから依頼され、資料集をまとめ、会計検査院の歴史も単著として発表できたという。彼の著作リストを見るだけでは分からないことが、直接話してみると分かってくる[1]。
普通、官庁の文書は30年原則で、歴史研究に供されるのは30年後であるが、すべて見せてくれた、という。会計検査院としては、ほとんどの人が知らないこの役所の仕事を多くの市民に知ってもらうこと、情報公開が緊要だと考え、実現したのであろう。
ルーマニアがNATOに加盟して、アフガニスタンにも派兵していること、最近の犠牲者はアフガニスタン派遣兵士だとのことであった。イラク戦争は「だめな戦争」だが、アフガニスタンへの派兵は、NATO加盟国としてしかるべきものだ、と。
私は、日本は、「厳しいEU基準」からすれば、かなりの長期にわたって加盟申請すらできないだろう、GDPの160%もの国の借金の累積状況ひとつ取ってみても、とコメントした。借金漬けの国、財政規律の確立していない国、というのは、信頼されないのではないか。国が借金まみれの一方で、民間・巨大企業群には莫大な資産の蓄積がある。一方の極には、規制緩和なるもので急膨張した非正規雇用の問題もある。人権状況という点でも、人間が大切にされる民主主義の原則からいっても、日本の格差構造は、問題だろう。租税構造も問題となろう。
会議にはセルビア人、ハンガリー人の研究者、さらに、イギリス、アメリカからの研究者も参加していた。今後、この関係を発展させ、できれば、ブルガリアの歴史研究者・現代EU拡大史研究者とのコンタクトも構築できればと考えている。アジアからの参加者は日本人の私だけであり、日本人がEU拡大に関心を持っていることが、会議参加者の間では印象的だったようである。
現在は、ルーマニア、ブルガリアなど東欧諸国の一員だった諸国が、よりよい政治・経済・文化・生活の水準を求めてEUに参加を申請し、36項目の参加基準をクリアして初めてEUに参加できる、そのような民主的平和的なプロセスでの大経済圏への参加であり、その拡大である。両大戦間期、列強が自分の指導下・覇権下に勢力拡大のための「広域圏」形成を目指し。列強のそれぞれの「帝国」の間の利害対立が激化し、戦争へと展開したのとは、歴史的位相が本質的に違っている。
ウィーンには、1985年夏、当時勤務していた立正大学の在外研究でミュンヘンに1年間留学中のとき、数日間滞在したことがある。
しかし、記憶に残っているのはシュテファン大聖堂とプラターの大観覧車(映画『第三の男』で有名)くらいしかなかった。今回、ウィーン・カード(72時間、18.50ユーロ)で、気楽に短時間の空きを利用できるので、これはと思うところを見て回ることができた。
美術館・博物館などは、時間がなくて入る余裕はなかったが、19世紀末アール・ヌーヴォー関係のさまざまの建築、ヒトラーが受験に失敗した造形美術学校(美術館)、旧ウィーン・ユダヤ人街の一部など、この眼で確認できた。
ウィーンの町は、人口170万人とかで、日本の都市の規模からすると小さいし、今回、旧市街だけを行き来したためかもしれないが、「意外と小さい町」という印象が強く残った。
泊まったホテルは、インターネットで探して見つけたホテル・コルピング-ツェントラル(U4、中央駅から3つ目の駅ケッテンブリュッケン・ガッセ)だったが、ウィーナー・ツァイレという見所のすぐそばで、手ごろで便利だった。ただ、ユーロ導入当時、1ユーロ=100円くらいだったのと比べると、このところ、160円代がほとんど、この間は168円くらいだったので、ホテル代も高い感じ、予算的にはかなり苦しい。
スイス・オーストリア共催のサッカー・ヨーロッパ選手権が開かれる期間と重なっていることを後で知って、ホテルが取れたのは幸運だったかと思ったが、町は案外平穏だった。出発した29日の夜、決勝戦だったので、夜はどうだったか?ドイツ人とスペイン人の応援団は相当に盛り上がっていただろうが・・・機中、現地時間の2時半過ぎ、めずらしく副操縦士が「現在、右手にベルリンが見えます。ベルリン上空を飛行中です、ドイツ最大のまちです、よく見えます」などと解説していた(これは日本人向けの解説だろう)が、そこから、決勝戦を控えて盛り上がったドイツ人の気分を感じざるを得なかった。
結果も、朝方、機内放送で伝えられた。「ただいま試合が終わりました。スペインが1:0で勝利しました」と。これらの特別情報サービスは、乗客の多くがドイツ人なので(飛行機はルフトハンザだった。オーストリア航空による直行便は出発21日前にはすでに埋まっていて予約できなかった、これはヨーロッパ選手権のせいかもしれない)、当然か。
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6月20日 立命館大学経済学部有志は経営陣の責任を問い退陣要求をだしたという。
--------「全国国公私立大学の事件情報」--------
立命館大学経済学部教授会有志声明
経常費補助金15億円(25%)減額という事態を招いた立命館首脳部の退陣を求める
生命科学部の「特別転籍」問題に関して、文部科学省は、教学上の合理的な理由はなく、私学助成金の不交付を回避することが目的であったとする見解を示した。これを受けて日本私立学校振興・共済事業団は本学の管理運営が適切を欠いていたとして、私学経常費補助金の25%(15億円)の減額を決定した。
今回の「特別転籍」は、教授会など教学機関の議を経ずに常任理事会が決定したものであり、従って経営的判断からこの決定を行った常任理事会及び法人の代表である長田豊臣理事長の責任は極めて大きいと言わなければならない。
以下略
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6月19日 憲法の民主主義的平和主義的核心は、「新鮮感覚」で活性化すべきものであろう。それは、大学における自由と民主主義の活性化を目指すことと対応するであろう。憲法9条は、ドイツではほとんど知られていないという。憲法9条の世界的意義を確認し、ドイツの若者に知ってもらおうとする書物は、新鮮である。
加藤周一、浅井イゾルデ、桜井均編『憲法 9条 新鮮感覚 ―日本・ドイツ学生対話』花伝社、2008年4月刊
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6月18日 昨日と今日の新聞に市立の新しい高校の創設にかかわり、市大への入学者10名の特別枠が決まった、との報道がある。
巷では、いったいどこで決定したのか、入学や卒業は、PEにおける進級基準問題・その適用問題・その変更問題などと同じく、教授会マターであるはずだ、教授会が審議すべき重要事項のはずだ、学校教育法はそうなっている、かつて何十年も教授会マターとして、学則に定められていたのだが、との疑念が出されている。現行の学則が、そうしたことをしないでもいいとしているとすれば、現行学則こそ、違法ではないか、と。
仮に百歩譲って、現行学則が直ちには違法ではないとしても、その運用の仕方が違法であり、しかるべき機関での審議決定により入学者枠を決定するということになっていないのではないか、と。
立命館大学では、教授会審議をやらないで転籍措置したことも重要な原因となって、学部転籍が大問題となり、文部科学省から厳しい処分を受けた。
さて、本学のこの間の諸措置には、問題はないか?
大学の教員たちは、上記のような事に関して、新聞報道を通じてはじめて知る。「改革」過程で出現した事態と同じ構造である。
すくなくとも、過去数十年の大学教授会・評議会の審議を知るものにとっては、異常事態である。
学校教育法順守の点で、コンプライアンス委員会は機能しているのか?
なぜ大学の教員が、入学者の枠や質といったことに重大な関心を持たざるを得ないか?
なぜ、教授会の重要審議事項として、入学、卒業、進級等が位置づけられるのか?
もしこれに的確に答えられないとすれば、
そんなことを考えてみたことない人々が、すなわち大学における教育と研究の内実に関して、知らない人々が、別の思惑から、物事を決めている、ということである。立法の意味、学校教育法の意味を考えたことのない人が、物事を決めている、ということになる。
新聞報道(今では大学HPにも掲載)では、「市大と市教育委員会」とが協定を結んだという。「市大」の経営陣がすべて市当局の任命であり、市教育委員会の委員がすべて市当局であれば、つまりは、市当局がすべてを牛耳ることになる。大学の自治などなく、大学の教育研究における自立性・独立性など存在しない。大学の教育研究を担う教員は、単なる小間使い、外で決められたことに従うだけの存在、ということになる。この問題に関して、大学の教学機関はどのような位置におかれているか?
大学の入試・入学政策、進級政策、卒業生送り出しの政策の全過程が、「外から」、「上から」決められているようでは、大学構成員の力が発揮されるはずはない。命令に従う一部の人間たちだけが関与し、圧倒的多数の人間は大学の諸政策への関与を排除されて(学則がそれを規定する−学則改定は行われていない)、次々知らされる「よそ事」については、無関心と諦観の中で、自分の狭い範囲の仕事に従事するだけということになろう。意見交換と合意形成に基づく大学のあらたな創造ではなくなる。
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6月14日 ある人から、「昨年度SDシートを記入登録した人の公開している内容(登録内容と自己評価)は(承認済みである場合)見ることができます。参考にある人の登録内容と自己評価を添付ファイルで送ります」と、該当部分を送っていただいた。送っていただいたシートによれば、当該データは大学システム上で所有している「権限」の大きい人のものであるが、そこに書いてあることは、まったく内容のないといっていいものであった。
これを昨年度の典型的なSDシート証拠物件・参照事例とすれば、書くべきことを無内容に近い形で書き、それが通用するということかもしれない。だとすれば、逆に、そのように無内容な目標設定を書かせておいて、処遇に反映させるということになると、権力上の優位者の勝手がまかり通るということになろう。内容がなければ、達成度に関する評価・区別のしようがなくなるからである。
他方、上記の事例は、権限を持った地位の人でも、「萎縮している」、「自由闊達に目標設定などできない」、「怖いので、できるだけ抽象的に、何か悪い評価を下される手がかりを与えないように」との意識を示しているとも考えられる。それはそれで、SDシートによる教員評価のシステムがいかに問題をはらんでいるかを示すものである。別の面からいえば、さまざまな次元・活動分野におけるピアレヴューを経たある程度客観的なものを教員評価の基準にするという基本スタンスが欠如していることを示している。それは、一種の馴れ合いの構造、というべきものかもしれない。
問題点の多いSDシートであるにもかかわらず、それを提出しない場合、「最低の評価」などと脅かすやり方(学長文書および事務当局文書参照)の品性のなさは、歴然としている。悲しいことだが、昨年度の前学長の文言と同じである。権力を背景にした官僚的画一的押し付けの文言である。それが、交渉場面で口頭で、丁々発止のやり取りの中で出てきたものではなく、事務局文書として、さらには、学長文書の中にも出てきていること、これが深刻である。
ある人は、怒りを静かに抑えて、次のようにいう。
「また、SDシート記入の要請にあたって、学長名の文書(「平成20年度教員評価の実施について」(平成20年5月21日付))は、「SDシート未提出者は、今後設定する評価の中で最低の評価となります」と述べ、また、処遇と連動させるむねが記してありましたが、このような威嚇に類する文言で圧力をかけることは、ファカルティ・デイヴェロップメントにふさわしいやりかたであるのか、はなはだ疑問であり、また学問の自由に対する侵害であるので不当である・・・。」
同感である。SDシートは、人々のやる気を喚起し、精神的高揚をもたらすファカルティ・ディベロップメントの手段というより、抑圧と萎縮効果のための武器となっている。制度に問題があろうがなかろうが、従わなければ差別する、というわけだから。これは粗雑で乱暴ではないか?
この威嚇の精神的水準と上述のようなSDシート記述の精神的水準とは、対応するのであろう。「無内容なものでいいから、ともかくかけ。書かないと差別するぞ」といっているわけである。ファカルティ・ディベロップメントの情理を尽くした説明や合理的で品格ある説得でないことだけはあきらかである。
それに対して、教員組合の声明(6月9日)は、問題点を明確に指摘し、理性的であり、節度をわきまえたものとなっている。
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6月13日 今年度は、SDシートを提出してみることにした。さて、どのような当局側の反応があるか、介入があるか。あるいは同僚各位からの批判があるか。
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6月12日(2) 研究費配分に関する当局回答が、組合ニュースで知らされた。
-------横浜市立大学教員組合週報-------
組合ウィークリー
2008.6.12
もくじ
●「教育研究費付加交付分上限額の大幅減額に関する再質問状」に対する回答
●教育研究費付加交付分上限額の大幅減額に関する再質問状に対する回答
前号の週報でお知らせしましたように、教員組合は、5月15日付けで「教育研究費付加交付分限度額の大幅かつ唐突な減額に関する質問状」を学長・理事長に提出し、22日に研究院長名の回答を受け取りました。また、同日、その内容は、事務サイドから各教員にE-mailで送信されました。
しかし、この回答は、いかにして上限額を決めたのかという重要な部分が不明なものでしたので、6月6日付で再質問状を研究院長宛に提出したところ、以下のような回答がありました。
平成20年6月11日
横浜市立大学教員組合
委員長榊原徹様
研究院長高山光男
「教育研究費付加交付分上限額の大幅減額に関する再質問状」に対する回答
平素は研究院の活動にご理解をいただきありがとうございます。
さて、平成20年6月6日付の教員組合からの再質問状に対しまして、以下のとおり回答しますのでご査収ください。
1 教育研究費付加交付分の配分の考え方
4月の研究戦略委員会(今後発行予定の研究院ニュースに掲載予定)において、各コース等への上記研究費の配分につき、従前の考え方に従い、実験系、非実験系、準実験系に分類し、教員個人に行き渡る平均額を試算しました。これは実質的な申請上限額に等しくなりますが、実際の配分額は実際の申請者数および科研費申請状況などと照らし合わせて、学部長とコース長へ委ねることとしました。
4月1日付けで執行可能にした定額基礎分(教員一人あたり30万円)を除いた教育研究費交付分を上記の3分類に配分した結果、実験系、非実験系、準実験系の絶対差額は昨年と比較して大幅に少なくなり、参考額として、実験系が上限額30万円、非実験系が12万円の試算となりました。結果として、実験系の絶対額が大幅に削減されることになりました。準実験系の分類は、各コース等内における教員個人の専門に依存するため、学部長またはコース長に委ねることとしました。
従来の実験系の配分額を維持すると、非実験系と準実験系への配分が不可能になってしまう試算となり、結果として実験系の絶対額を削減せざるを得ない状況となりました。また、昨年実績で非実験系の配分額が8〜9万円という少額になった例もあったため、これを是正した結果、実験系、非実験系、準実験系の配分の差額が大幅に圧縮されてしまいました。
以上の考え方の参考資料を下記に示します。
参考1 平成20年度予算の状況
先に説明しましたとおり、厳しい財政状況を踏まえ、横浜市からの運営交付金が削減される中、教育研究費を含めた平成20年度予算は、前年度比の一律90%(△10%)となっています。
参考2 平成20年度教育研究費の付加交付分の大幅減額の理由
基礎的な研究費となる定額基礎分については、前年度同額(30万円)を確保した結果、付加交付分の配分可能総枠は、前年度に比べ大幅な減となりました。
参考3 昨年度いただいた意見
・上限額が50万円とあるのに、実際配分された金額は大きく異なっている。ならば、初めから現実的な額を上限額とすべきである。
・計画書に記載した付加交付分額と決定された額とは大きな差があり、再度計画を大幅に見直す必要が出てきた。大きな見直しは非常に煩雑な作業である。
2 今後の付加交付分配分までの流れ
@ 平成20年5月23日(金)で付加交付分の申請受付は終了しました。
A 上記@の申請総額を集計の上、教育研究費の予算残額(予算額−定額基礎分配分総額)から、付加交付分の配分総枠を算出します。
B 上記Aの配分総枠をもとに、学部長・研究科長を通じて、各コース長に教員一人ひとりの実際の配分案を作成いただきます。
C 上記Bの配分案については、6月23日(月)開催予定の教育研究会議、7月1日(火)開催予定の教育研究審議会での審議を経て、最終決定となります。
以上、大学における個人研究費削減と外部資金獲得を奨励する全国的な傾向のなかで、今後とも教育研究費の獲得維持に努力してゆきますので、教員各位の協力をお願いいたします。
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6月12日(1) 「全国国公私立大学の事件情報」に下記の記事が出ていた。
まさに、本学でも、われわれ教員(教員組合)がまったく知らないような勤務形態・処遇形態の多様な教員が、法人化後に採用されている。この間、教員組合執行部が当局からその多様な、正規雇用を脅かす諸形態の教員の導入に関して、規定類の提出を求め、検討を始めている。全国的な情報交換、制度分析が必要となろう。
--------「全国国公私立大学の事件情報」(11日付)--------
大学において急増する非正規雇用の教職員:実態調査と資料提供のお願い
2008年6月8日 国立大学法人法反対首都圏ネットワーク事務局
非正規雇用者は社会全体で増え続け、全労働者のなかに占める割合は33.5%と既に3分の1を越えています(男18.7%、女54.0%、2007年総務省「労働力調査」)。この非正規雇用者の急増が生み出す深刻な諸問題については既に多くのところで指摘され、労働組合側からの反撃も開始されているところです(たとえば「格差社会にいどむユニオン」木下武男、2007年、花伝社)。
では大学はどうなのでしょうか。…
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6月9日 教員組合ウィークリーが届いた。SDシート記入をめぐっては、昨年の結果をどう踏まえるか、当局の「処遇への反映」の方針が、果たして妥当か、教員評価のあり方の公正性・透明性などの点で重要問題を積み残したままの強行ではないか、など、組合の主張を当局がきちんと受け止め、合理的な範囲で、合意点を見出すことを期待したい。
昨年の実績が、当局の言うとおりであり、また、多くの教員が昨年の結果に納得しているのならば、多数派は参加することになろう。
しかし、問題は、この場合も、昨年の結果に不満・不信を持った人々に関してであり、あるいは、制度不十分なままでの処遇への反映に多かれ少なかれ異論をもっている人々のことであろう。マイノリティを処遇差別で脅かし、強制するというやり方は、大学としてとるべきではなく、マイノリティの意見・異論をくみ上げ、制度構築に活かし、あるいは制度改善の素材として評価するシステムを構築すべきだろう。そうした点での合意形成が期待される。
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横浜市立大学教員組合週報
組合ウィークリー
2008.6.9
もくじ
●教育研究費付加交付分上限額の大幅減額に関する再質問状
●教員評価制度に関する組合の要求声明
●教育研究費付加交付分上限額の大幅減額に関する再質問状
教員組合は、5月15日付けで、「教育研究費付加交付分限度額の大幅かつ唐突な減額に関する質問状」を、学長・理事長に提出しました。
22日に、研究院長名の回答を受け取りました。また、同日、その内容は、事務サイドから各教員にE-mailで送信されました。
しかし、この回答は、重要な部分が不明ですので、再度以下のような質問書を提出しました。
平成20年6月6日
横浜市立大学研究院長
高山 光男 様
横浜市立大学教員組合
委員長 榊原 徹
教育研究費付加交付分上限額の大幅減額に関する再質問状
教員組合が5月15日付で学長・理事長に提出した「教育研究費付加交付分限度額の大幅かつ唐突な減額に関する質問状」に対して、ご回答をいただき、有難うございました。
5月22日にいただいた回答では、上限額をどのような理由で決めたのかについて説明がなされていません。「研究戦略委員会での検討を経て、1人あたりの配分可能額を算出した」と書いてありますが、いつ開かれた研究戦略委員会でどのような検討が行われて、いかなる理由で算出したのでしょうか。
教員間の重大な関心事項ですので、再度説明を求めます。
●教員評価制度に関する組合の要求声明
5月29日(木)教員組合では拡大執行委員会を開いて、教員評価制度に関して検討しました。教員組合は、教員組合として納得できる教員評価制度が作られ、かつ妥当な運営がなされるのであれば、平成20年度の評価結果を翌年度の処遇に反映することに反対しません。そこで、教員組合は、当局と折衝を重ねています。しかし、現段階では教員評価制度には大きな問題があり、このままではとうてい処遇への反映に合意できません。
2008年6月9日
教員評価制度に関する組合の要求声明
横浜市立大学教員組合
1.
平成19年度の教員評価結果について、領域ごとに1次評価者の評価結果および2次評価者の評価結果を各教員に文書で示せ。
2.
平成19年度の評価基準を示せ。教育評価者研修においてA〜Cそれぞれの評価基準について、いかなる方針が示されたのか、説明を求める。
3.
評価者の修正意見は助言にとどまり、指揮・命令は許されるべきでない。ウエイト変更も指示は許されない。教員間には、管理職の選任方法、その教育研究能力および評価能力について大きな疑問がある。多くの教員が、管理職から修正要求を受けることに、大きな疑問・不満を抱いている。現行の管理職(評価者)の選任方法、それによって選任された管理職(評価者)の教育研究能力および評価能力が、教員評価を客観的かつ公平におこなうに十分なものであるということは何によって保証されるのか、その根拠を説明せよ。
4.
コース長・共通教養長の選出方法をコース所属教員・担当教員の互選に改めよ。管理職に各教員の研究内容等に関して判断できる能力があるのか疑問の声が強い。上からの管理職任命というシステムのもとでは、パワーハラスメントの温床を一つ増やすこととになり危険である。
5.
「平成19年度教員評価不服申立の手続きに関する取扱」は不適当な内容を多く含む。平成19年度教員評価結果に対する不服申立制度について事前に教員組合に協議しなかったことに強く抗議する。平成19年度の教員評価不服申立の手続きおよび平成20年度以降の教員評価不服申立の手続きについて組合と直ちに協議せよ。
6.
「平成20年度教員評価の実施について」(平成20年5月21日付)において、「法人としては、諸課題を整理したうえで、20年度の評価結果については21年度の給与等の処遇に反映していく予定です」等と記しているが、2006年11月30日の団交時に当局が回答しているように、「処遇への反映は教員組合との協議事項」であり、「処遇への反映は、教員の理解が得られてから」(以上、「団交の記録」(平成18年11月30日))であったはずである。当局は団交において回答した自らの発言内容を堅守せよ。
7.
「平成20年度教員評価の実施について」において、「SDシート未提出者は、今後設定する評価の中で最低の評価となります」旨記しているが、本学の評価制度が様々の重大問題を抱えていて修正の必要性があるにもかかわらず、このようにSDシート提出を強制するのは不当である。本学の評価制度についてこれまで教員から出された意見が具体的にどのように反映されたのか、明らかにせよ。
8.
昨年度秋、SDシートに記載するほかに、別の事項についても記載するよう求める文書が送られてきた。平成20年度に教員評価に関してSDシートの他に教員が記載するものがあるのか回答を求める。
9.
学校教育法に基づいて本来教授会が審議事項として決めるべきことが教育実績の評価を行う前提となる。カリキュラムの編成を全面的に教授会・コース会議の権限とせよ。
10.
上記に掲げた事項が明らかにならなければ、本年度のSDシートを適切に記載できない。SDシート提出期限を延期せよ。
以 上
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6月4日 シュティグリッツの最近の共著は、大変興味深い。ブッシュ政権が不正義の戦争を引き起こし、アメリカと世界中に不幸を撒き散らし続けていることがよく分かる。この本によって、ノーベル経済学者のなかにも、アマルティア・センと並んでまともな研究者がいるということがわかる。衝撃的な事実が次々と明らかにされている。
第1章 ブッシュは3兆ドルをどぶに捨てた
「開戦5年めが終わりに近づき、2008年の運用費(戦争自体に費やしたいわゆる”経常費“)は、イラクだけでひと月125億ドルを超えると推定される。2003年に比べて44億ドル増え、アフガニスタンと合わせるとひと月160億ドルになる。160億ドルという金額は、国連の年間予算、あるいはアメリカの13州分の年間予算に等しい。しかも、この金額は国防総省が通常の支出として一年間に費やした5000億ドルを含んでいない。また、機密情報収集費や他部門の予算と組み合わされた隠された支出も含んでいない。
しかも、以下で論じるように、これらの莫大な財政的コストは、戦争にかかった総コストのほんの一部でしかない。」(26ページ)
「10万人以上の請負兵を採用」・・・・「2007年、<ブラックウオーター>や<ダインコープ>などの民間会社で働く警備員は一日に1222ドル、年間44万5000ドルを稼いでいた。それに対して、陸軍軍曹の稼ぎは給与と手当てを合わせて1日に140ドル〜190ドル、年間で5万1100〜6万9350ドルだった。」
「ハリーバートン社(ディック・チェイニー副大統領がかつて最高経営責任者だった軍事会社)の独占入札」・・・業者選定における不正。
「原価加算契約」・・・請負業者は費やした金すべての払い戻しを受け、さらに利ざやも稼ぐことができる(コストをかけるほど利益が増えるというねじれたインセンティブ)(p.31)
「最悪の例は、184億ドルという巨額の復興援助金のゆくえ・・・(p.32)
「アメリカでは、汚職がどこの国よりも巧妙な手口で行われる。報酬は通常、直接の賄賂という形をとらず、二大政党への政治献金という形をとるからだ。1998年から2003年までの間に、<ハリバートン>社の共和党に対する献金は114万6248ドル、民主党に対する献金は5万5650ドルに達した。<ハリバートン>は実入りのよい独占契約によって、少なくとも193億ドルを受け取った。
政府にかかる過剰なコストは民間軍事業者の過剰な利益に反映され、彼らは(石油会社と並んで)この戦争の数少ない真の勝者となっている。・・・」」(p.33)
「”金には換えられない命”の値段」・・・・「戦争の総コストは、政府が用いる公式の数字よりも大きい。勘定に入っていないコストがあまりにもたくさんあるからだ。たとえば官僚たちはよく、兵士の命を金には換えられないものと称える。しかしコストの点から見れば、この”金には換えられない”命は、国防総省の台帳にただ50万ドルとして載っている。遺族に支払われた死亡給付金と生命保険の金額だ。
開戦後、死亡給付金は1万2240ドルから10万ドルに、生命保険は25万ドルから40万ドルに上昇した。その増えた金額ですら、同じ人が例えば無分別な自動車事故で死亡した場合に通常受け取る金額よりずっと少ない。安全衛生規制などの分野では、政府は、将来の所得能力を最大に見積もった場合、若者の命の価値は700万ドル以上としている。軍の死亡給付金の場合よりもずっと高い。この数字を使えば、イラクで死亡した約4000人のアメリカ兵のコストはおよそ280億ドルとなる。社会にかかるコストは、政府予算に表れる数字よりもずっと大きいのだ。」(p.35)
「政府の巧妙な経費隠し」(p.37)
「議会が手を出せない『緊急予算』」・・・・5年間も戦争を行っていながら、いまだに同じ方法(「議会による監視とあらゆる支出の承認」というやり方を回避する「緊急予算」での支出)(p.40)
第2章
二つのシナリオで予測するアメリカの暗い未来
―国家予算にかかる戦争のコスト―
「イラクとアフガニスタンにおける戦争の前払いコスト、すなわち議会が承認して軍が使った、あるいはつかう予定の金額は、いまや8000億ドルを超えている。ニュース番組でもっとも頻繁に論じられるこの数字は、2008年にも戦争を続けるため大統領が現在要求している約2000億ドルと、2001年以後イラクとアフガニスタンのために議会がすでに承認した6450億ドルを超える資金を足し合わせたものだ。
6450億ドルは莫大な金額だ。そして8450億ドルはさらに大きい。そのうちの4分の3、つまり6340億ドルはイラクに費やされる。この金額はブッシュ政権のイラク戦争にたいする初期の見積もりの10倍に相当し、毎年メディケア(高齢者医療保険制度)とメディケイド(低所得者医療扶助制度)に費やされる合計額よりも多い。
しかしそれは、わたしたちが予測する戦争のコストよりもかなり少ない金額だ。現実的に判断すれば、連邦政府にかかる利息を除いた財政的コストだけでも、2兆7000億ドルに達する可能性が高い。・・・」(p.53-54)
「戦争の回転資金は毎月160億ドル」・・・2003年当初は44億ドル。以後、80億ドル、そして120億ドルへと着実に上昇。2008年には160億ドルに達すると予測される。「言い換えれば。アメリカのほぼ全所帯が,両戦争の現在の運用費に毎月138ドルを費やし、そのうち100ドルあまりはイラクのみに使っていることになる。」(p.56)
「撤退までの駐留コストは最低5000億ドル」
「退役軍人にかかる膨大な医療費」(p.61)
「疲弊した軍隊を再建するコスト」(p.64)
「通常予算に隠された戦争資金」(p.68)・・・「アメリカの歳出承認法では、戦争への資金供給は、通常の国防予算から切り離さなければならない。戦争は割り増しコストなのだ。イラクとアフガニスタンに使われた金は、通常の国防予算と別立てになっている。アメリカの国防支出の総額は、二つの戦争に費やしてきた金額をはるかに上回る。例えば2007年、アメリカはイラクとアフガニスタンでの戦争に費やした1730億ドルに加えて、国防関連に5260億ドルを費やした。しかし実際には、重複部分がたくさんある。イラクにいるアメリカ兵の固定給は、通常の国防予算から支払われている。危険特別手当や任地手当てなどの臨時給与は、追加の戦争予算から支払われている。
国防支出は対GDP日で急上昇しており、2001年度の3パーセントから2008年度には4.2パーセントとなった。・・・より厄介なのは、国防支出の増大が、機密資金(社会保障のような受給資格に基づく支払いを必要としない金)の割合が増大―2000年の48パーセントから今日の51パーセントに上昇―と連動していることだ。つまり裏表合わせた国防の需要が、これまでになく大きな割合で税金を食いつぶしているのである。
政府がイラクとアフガニスタンにかかる真のコストを隠す方法のひとつが、拡大を続ける”通常の“国防予算内に戦争の支出を隠すことだ。国防総省の予算は、イラク侵攻以来、累積的に6000億ドル以上増加した。」(p.68)
「再入隊者に15万ドルのボーナス」(p.70)・・・「新兵徴募活動を見れば、全般的な国防支出率に対するイラク戦争の影響をうかがい知ることができる。国防総省は新兵の補充と確保に、いっそうの大金を費やさなければならなくなった。通常の軍事給与を28パーセント引き上げ、特別手当を二倍にし、傷害補償給付金と退役軍人給付金の”同時”受け取りを追加した。その資金の大半は、通常の予算から供給されている。そして訓練された兵士が死傷すると、かわりに新たな兵士を訓練しなければならない。驚くまでもないが、戦争反対の声や死傷者数の多さから、軍は兵士および将校の補充と確保に苦労している。
2005年には、アメリカ陸軍は、ほぼ年間を通して新兵補充目標に届かず、結局目標を下げて達成させることにした。補充を増やす努力のなかで、国防総省は入隊年齢の上限を35歳から42歳に引き上げ、外見や態度などの基準を徐々にゆるめた。2006年には、以前より多くの重罪犯の元受刑者を陸軍に入隊させはじめた。2007年には補充目標を満たしたが、高校を卒業した入隊者は73パーセントのみだ。90パーセントという国防総省の目標には遠くおよばない。黒人と女性の補充は急速に減少した。”カテゴリー4“の新兵―適性検査の最低得点者たち―が増えている。基準の崩壊は、士気の低下や軍の実働兵力を下げることにもつながり、長期的な軍の再建はこれまで以上に困難で費用のかかる仕事になるだろう。」(p.70-71)
読めば読むほど、アメリカのイラク戦争の負担の巨大化、その長期化が分かる。
それは、同盟諸国へも、さまざまの経路で負担増加の圧力となってくることを予測させる。
「民間の請負業者に委託する費用」(p.74ff)・・・10万人の請負業者・・・その保険料支払い、その他。
「この世に無料の昼食はない」(77ff)・・・「イラク戦争が始まった当初から、アメリカ政府はすでに赤字におちいっていた。新たな税金は導入されておらず(それどころか、開戦直後、高所得者層の税金が引き下げられた)、国防以外の支出が増えつづけていることを考えれば、予算編成の観点から、今日までに戦争に費やした資金はすべて借金であり、すでに存在する政府の負債に加算されていると考えても不合理ではないだろう。”現実よりの保守的“シナリオでは、すでにある9兆ドルの国家債務に、これまでのイラク戦費約1兆ドルが上乗せされた・・・」
第3章 兵士たちの犠牲と医療にかかる真のコスト
「脳損傷の生存者が増えている」・・・「アメリカ国民は、イラクとアフガニスタンからの帰還兵が払わされる未曾有の犠牲を目のあたりにしている。これまでに26万3000人以上が、さまざまな症状を訴えて退役軍人医療施設で治療を受けた。10万人以上が精神衛生上の問題で治療を受け、5万2000人が心的外傷後ストレス障害(PSTD)と診断された。さらに18万5000人が、予約の要らない”退役軍人センター“でのカウンセリングや再適応のサービスをもとめている。2007年12月までに、22万4000人の帰還兵が障害手当てを申請した。
これらの退役軍人のほとんどは、複数の健康問題の徴候を示す。一件の請求で、平均5種類の異なる障害の症状が列挙されている(例えば、聴力障害、皮膚病、視覚障害、腰痛、精神的外傷など)。もっとも不運な退役軍人たちは、脳損傷、手足の切断、やけど、失明、脊髄損傷など、想像を絶する過酷な障害に苦しめられている。医者が”ポリトラウマ”と呼ぶ複数の外傷をかかえる人もいる。帰還兵の4人に一人は、8種類以上の障害について補償を請求している。」(p.90)
「陸軍病院の悲惨な実態」
「悪夢のような役所手続き」・・・アメリカには存命中の退役軍人が2400万人いて、そのうち約350万人(とその遺族)が障害手当てを受けとっている。総合すると、アメリカは2005年、過去の戦争の退役軍人に年間の障害給付金として345億ドルを支払っている。そこには、湾岸戦争の退役軍人21万1729人、ベトナム戦争の91万6220人、朝鮮戦争の16万1512人、第二次大戦の35万6190人、第一次大戦の3人が含まれる。それに加えて、アメリカ軍は障害退役手当てに年間10億ドルを支払う。
アフガニスタンとイラクに配置された90万人以上の兵士(そして戦争終結前に任務につくと予想される数十万人)のそれぞれが、退役軍人給付金局(VBA)からの傷害補償を請求する資格を持つ可能性がある。障害補償とは、”軍関連の障害“を負った退役軍人に支払われる金のことだ。・・・
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例えば、ベトナム戦争の退役軍人には、平均1万1670ドルが給付されている。・・・」(p.98)
「劣化ウランの大きな影響」
「慢性的な職員不足」・・・「イラクとアフガニスタンからの帰還兵は、異常なほど複雑な請求過程を経なければならない。現在の戦争の退役軍人が提出した未決請求の滞積は4万件にもなるが、大多数の兵士たちはこれから請求を行う。・・・」(p.105)
「急増するPTSD患者」・・・「イラク戦争では、さまざまな身体的外傷、特に外傷性脳損傷が目立つとはいえ、対応が遅れている最大の需要は精神医療にある。配置延長の重圧、ストップロス制度、緊張を強いられる地上戦、除隊や撤退をめぐる不確かさなど、すべてが負担を与えている。
これまでに治療を受けた退役軍人の約38パーセント―前代未聞の数字だ―が、精神衛生上の問題があると診断された。これには、PSTD、急性うつ病、薬物乱用などが含まれる。」(p.109)
「毎年のように財源不足」
[1] ケルブレ教授も、4月来日時(17日)の大学院生等若手とのセミナーで、外国に出張することの意義を、現地の研究者と直接会話できることにあるとしていた。そこから、図書館を何ヶ月か走り回って探しても分からないような貴重な発見がある、といっていた。そのとおりだと感じた。