経済史講義メモ         

分業の原理分業発展の諸段階

No.7 File kogikeizaishi611

最終更新日:200272()

                   20025/31配布レジュメ

 

経済の歴史・・・ものを生産する人間の能力・労働の発達史

 

分業とはなにか?   日本語では、「業」を「分」ける。

その元になった英語では、division of labor、ドイツ語では、Teilung der Arbeit

すなわち、分業=労働の分割、仕事の分割。

 

現代社会を見ると、

1.無数の業種、職種への分化…分業の高度の発達

 2.分業の広がりの世界化・地球化

 3.精神労働と肉体労働の分化・・・現代的社会ほど精神労働の比重の増大、労働における肉体のウエイトの現象、頭脳労働の増大

4.生産における科学技術の分化・細分化の高度な進展、

科学技術の決定的役割、科学技術の担い手の多様で高度な分業・・・大学等における研究教育の細分化

 

 

 

 

分業、生産力発達による富の形成と社会階級の発生

原始社会・・・原始的共同社会・・・分業の低い段階・・生産から消費が、群れ、集団の共同体内でおこなわれる。→ 生産力の発達、生産手段の蓄積とともに富(生産手段、消費手段の蓄積・予備の一部のものによる所有)の発生 →富・所有をまもるための所有者の組織、生産組織の秩序=共同利益を維持するための国家の発生[1]

 

 歴史的な分業発達の狭さ=生産力発達の低い段階・・・現代世界の事例(「横倒しの世界史」)・・・少数民族・極小民族の消滅の危機と「消えゆく言語」・

狭い生活空間=狭い分業関係の基礎としての熱帯・亜熱帯における生物多様性=「豊かな」生存の可能性、その「豊かさ」の消滅傾向。

 

文化人類学者と言語学者の共同研究[2]=ダニエル・ネトル/スザンヌ・ロメイン著島村宣男訳『消えゆく言語たち―失われることば、失われる世界』新曜社、2001年。

 

 「生物多様性(biological diversity)に満ちた地域とすぐれて言語多様性(linguistic diversity)に満ちた地域とは、非常に密接な関係がある。……最大の生物・言語多様性(biolingiuistic diversity)が見出だされるのは先住民族の居住する地域で、人口こそ世界総人口の4パーセントほどにすぎないが、そこでは世界の諸言語の少なくとも六〇パーセントが話されているのである。絶滅の危機に瀕している動植物の種や環境には、これまでも強い関心が寄せられてきたが、諸民族も同じように危機的な情況に陥っていることはほとんど知られていない。人間言語の多様性の消失以上に話題にのぼるのは、パンダやシマフクロウの生存の危機である。[3]

 

分業の狭さ=自給自足=非常に小規模な集団=言語集団の小ささ=人口の分散化

 「なぜ、これほど多くの言語が低地地方や高地外縁地方に発達したのか・・・ひとつの重要な要因は、…生態学的な背景にある。生態系が持続して生産的であったことから、非常に小規模な集団でも、選択次第では、自給自足が可能になる。さらに、マラリアなどの疾病や土地を休ませておく必要性[4]のため、人口の分散化が助長される。[5]

 ニューギニアにおける言語多様性=極小言語集団の並存・・・・「山地の多い地勢とその自給自足の可能性[6]

ただし、「主食に供する食物については自給自足であったが、地域集団は他の物資との交易を広範囲に、また精力的におこなっている。貝類が海岸地域から、羽毛が内陸地域からやってくる。石製の道具類、陶器類、塩は中心産地から長い供給経路を経て到来し、国中に行きわたった。」

基本的生活物資における基本的な自給自足体制(現代社会になればなるほど、この自給自足的要因は極小化し、生活の基本領域から周縁・例外的部面・例外事象へと移行)とそれを補完する物資の広域的分業=交易圏

    

小共同体の日常的基本的自給自足体制と共同体交換・交易・分業の非日常性=名産の交易=交易の場としての祭礼・祭事(=非日常的催し物)・・・・市(いち)の立つ日と宗教的行事の関係:

 

「このタイプの交易には」、すなわち非日常的な交換には、「しばしば祭事などの儀礼の機会が伴う。そこでは言語の境界を越えて、名産の物資が山のように交換された。これが地域集団間の協力を強固なものにし、争いごとが起これば互いに連合することもたびたび起こる。パプア・ニューギニアの争いごとは、とくに破壊的なものでないにしても、地方病のようなものであったように思われ、最も大きな協力網の支配権を掌握できた集団が、優位に事を運べたのである。[7]

 

 いくつもの小社会=小共同体=小言語集団の相互の協力関係を組織し、統一を樹立し、その市場関係=協力関係の秩序を維持し得た集団、その集団の長が支配者。

支配の基礎は協力関係=その広さと強さであり、協力関係をすべること(統べること=総べること)、その組織化……統治(すべおさめること)。

 

物資の交易関係=人間の交流=婚姻関係における交流=諸言語の交流=交流の武器としての言語能力の開発

「物資と同じように、人間も結婚のため言語の境界を越えて結びついた。どこの小社会も例外はないが、ニューギニアの集団も配偶者を自分のところから得るのが難しかったのである。全体的な社会組織は非常に流動的であった。地域集団は争いに負ければ、協力関係にある集団や近隣の集団へと散り散りになり、そこの文化の構成員となる。逆に、肥大化して手に負えなくなり分裂する集団もあったし、悪疾、政治的な駆け引き、あるいは資源の消耗などが、緊張状態を招くこともあった。

 このように、地域集団のあいだには不断の相互交流があった。この結びつきをよく例証するのは、ほとんどの人々がいくつもの言語を話したという事実である。自分の地域集団の日常語はもちろん、多くの人びと、とくに男子は近隣の一、二の集団の言語や、おそらくは、谷あいや海岸線に幅広く流通するようになっていた言語を知っていたのである。[8]

 

交易・交流の広さ=広域で流通する言語

「この多言語併用の範囲はさまざまである。高地地方のように言語集団が大きければ、その縁辺区域の人びとだけが多言語併用者になる傾向があった。集団が小さければ、実際上誰もが縁辺区域の多言語併用者になるわけで、多言語の知識が当たり前であった。ドン・クーリックが研究したガプンという低地地方の村では、四〇歳以上の男子が理解している言語数の平均は、日常語と通用語に加えた三つほどの他の地域言語の計5個であった。[9]

        小集団、マイノリティの言語能力開発=生活・生存のための武器の必要性・・・ユダヤ人(エリート)、オランダ人・オランダ社会

       

多言語・多数言語能力の保持者=多集団間の協力関係の担い手=広い協力関係の担い手=豊かさと秩序の担い手

=精神的能力の大きさと支配の関係  

別の地域の言語を話すのは、特殊な能力であり、それに基づいた「特権の源でもあった。勢力をもつ男たちは。他言語を修辞的にあやつり、それはまさに言語芸術であった。

 

 

 

アダム・スミスが示す「分業を引き起こす原理」

 「あるものを他のものと取引し,交易し、交換するという性向」=「人間の本性のなかにある一定の性向」・・・・猿人から人類が生成してくるなかで,そして人類の発展史の中でもっとも本質的な要素としての物の生産関係、労働関係と交換関係:アダム・スミスは、「交換」、「人間の本性」が歴史的形成物であることを明確にはしていない。

 

「動物は,人間または他の動物から何かを獲得しようとするばあい、そうしてもらおうとするものの好意をかちえる以外には,どのような説得方法ももちあわせない。[10]」しかし、「子犬は母犬にじゃれ付いてご機嫌を取り,スパニエルは食事中の主人の注意を引くためにありとあらゆる芸をして,主人からのご馳走にありつこうとする。[11]

すなわち、何らかの働きかけを主人に対して行って、好意をかちえて、主人からしかるべきものを受け取ろうとする。

 

分業と物々交換W-W  →分業の発展、商品の発展[12]

  物々交換の諸困難を克服するものとしての貨幣G(一般的等価物)の発見・諸種の貨幣の発明:

  生産物交換の一定の発展成熟を前提とする貨幣G

→貨幣を媒介とする生産物・素材的富の交換、GW(買い)、 WG(売り)

                       買いと売りの一体性・相互性

  市場社会の諸個人・諸法人・諸企業は、あるときは売り手、あるときは買い手

  商品交換関係における売り手・買い手の不断の交替=平等性、不断の協力関係の側面

 

アダム・スミスの興味深い説明:

「人間は、ほとんどつねにその同胞の助力を必要としていながら、しかもそれを同胞の仁愛だけに期待しても徒労である。そうするよりも、もし彼が、自分に有利になるように同胞の自愛心を刺激することができ、しかもかれが、同胞に求めていることをかれのためにするのが同胞自身にも利益になるのだ、ということを示してやることができるなら、この方が奏功する見こみが多い。およそある種の取引を申し出る場合には、こういうことをしようと提案するものである。私の欲しいものをください、そうすればあなたの欲しいものをあげましょう、というのがこのような申し出のあらゆる場合の意味なのであって、こういうふうにしてこそ、われわれは、自分たちが必要とする世話の圧倒的部分を互いに受け取り合うのである。われわれが自分たちの食事を期待するのは、肉屋や酒屋やパン屋の仁愛にではなくて、かれら自身の利益に対する彼らの顧慮に期待してのことである。われわれは、かれらの人類愛にではなく、その自愛心に話しかけ、しかも、彼らにわれわれ自身の必要を語るのではなくて、かれらの利益を語ってやるのである。主として市民同友たちの仁愛に頼ろうとするのは、こじき以外には誰もいない。[13]

 

労働の生産力の発達 → 何らかの余剰生産物の生産 → その交換 → 余剰生産物のさらなる生産 → 交換の拡大

 

「自分自身の労働生産物の余剰部分のなかで、自分自身の消費をこえてあまりあるすべてのものを、他の人々の労働生産物のなかで、自分が必要とするであろうような部分と交換しうるという確実性が、あらゆる人を刺激して特定の職業に専念させ、この特定の種類の仕事についての彼の才能または天分がどのようなものであろうとも、それを発展させ、完成させるのである。」

 

 

アダム・スミスの先駆者

ウィリアム・ぺティ・・・「ぺティは分業を生産力として、しかもアダムスミスよりももっと大規模な構想で展開した。・・・・彼は、…のちにアダム・スミスがピンの製造についてやったように、生産にとっての分業の利益を懐中時計の製造について示しただけではなく、同時にまた一都市や一国全体を大工場施設という観点から考察することによっても示している。…ぺティは、自分を新しい一科学の創始者だと自覚していた。[14]

 

 

都市と農村

分業の成熟のある段階で都市の成立(農産物を周辺農村に依存)

農村と都市(商業・手工業の専門化とそれらの集中立地)の分離、

中世都市の発達とギルド制度[15]

 

 

局地的市場圏と農村工業

資本主義がもっとも早く発達したイギリスでは、農村において、早い時期に、局地的市場圏農村工業が成立し、自由な小商品生産者層が形成され、発展した[16]

 

 大塚テキスト、p1523の史料・・・1381年の「人頭税徴収報告書」に記載されたある村の社会的分業

 

中産的生産者層の両極分解・・・一方は小資本家に、他方は労働者に。

 

自営業者(中産的生産者層)の両極分解は、戦後日本の経済構造・社会階層の大きな変化の特徴の一つでもある[17]

 

 

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人類古代史研究・原始婚姻史・家族史の研究[18]

・・・19世紀歴史科学の発展

バッハオーフェン『母権論』1861年・・・先史における母権制の発見

マクレナン(イギリス人、イギリスの先史学派の創始者、指導者)『原始婚姻論』1865年・・・族外婚「部族」と族内婚「部族」を区別(実際には「部族」ではなく、母系による「氏族」の区別)

ラボック『文明の起源』・・・未発達な諸民族では一連の男が一連の女を共有する婚姻形態が存在・・・この集団婚(Communal marriageを歴史的事実として確認。

ルイス・H・モルガン[19]『古代社会』岩波文庫(原著は1877年、ロンドンで刊行)

マルクス[20]『古代社会ノート』(1881)クレーダー編布村一夫訳(未来社、1976年)

エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』岩波文庫、ほか(原著は1884)

 

その後の、経済人類学、文化人類学の研究

 

モルガンの研究の画期的意義・・・19世紀中頃、アメリカ・インディアンの部族の中に入って40年以上にわたる研究の成果としての原始家族形成史に科学的解明の光をあてる。

 

マルクスはモルガンの本を研究し、その全体から詳細な抜書きを行い、評注を付した。それが彼の『古代社会ノート』

 

エンゲルスは、マルクスの『古代社会ノート』を活用しながら、バッハオーフェン、マクレナンなど重要な先行研究を批判的に検討、その独自の原始社会史研究を踏まえて、『家族・私有財産・国家の起源』を書いた。

 

 

人類史における婚姻関係・家族関係・・・・・その歴史的生成・変化・発展

 人類の原始状態の研究によれば、「元来は、家族が発達して部族になったのではなく、反対に、部族こそが、血縁関係にもとづく人類社会形成の本源的な自然発生的な形態だったのであり、したがって、部族的紐帯(ちゅうたい)の解体がはじまってからはじめていろいろに違った家族形態が発展するようになったのである。[21]

 

 集団婚 → 対偶婚 → 単婚(一夫一婦制)

  集団婚から単婚への以降の中間形態としての対偶婚

 

 → 単婚(一夫一婦制)の変化・発展の歴史

 

ドイツ人のバッハオーフェンの画期的功績=人類史研究における「一つの完全な革命」=母権制氏族の発見

       「古典古代文学が示す多くの痕跡によれば、ギリシャ人やアジア人のあいだでは一夫一婦制の以前に、一人の男が数人の女と性的交渉を持つだけでなく、一人の女が数人の男と交渉をもち、しかもそれが慣習に違反しないという状態が実際に存在したこと、この慣習が消滅しても、女が一夫一婦制の権利をあがなうためには、制限付きの肉体提供という形でその痕跡が残らざるを得なかったこと、したがって、血統は元来、女系によって母から母へとたどる以外にありえなかったこと、この女系の専一的妥当性は、父性が保証される、ないしはともかくも承認される一夫一婦制の時代になっても、なおながく維持されてきたこと、そして子どもたちの唯一の確実な親としての母の本源的な地位は、彼女たちに、したがって女性一般に、その後2度と占めることのないほど高い社会的地位を保証したこと、これらを証明した[22]」ことであった。

 

アメリカ人のモルガン(モーガン)『古代社会』(1877年)

 人類の原始時代・・・集団婚・・・通婚禁止の規律

 「集団婚が行われていた時期には、部族は、いくつかの、母方の血縁による集団すなわち氏族(ゲンス)にわかれ、この氏族(ゲンス)の内部では厳格な通婚禁止がおこなわれていたので、ある氏族の男はその妻を、なるほど部族の内部で(めと)ることはできたし、また原則として娶っていたが、しかし、自分の氏族の外部から娶らなければならなかった。[23]」・・・母権制氏族、母系氏族、その内部での通婚禁止=規律化

 

 母権制氏族 → 父権制氏族(これが古代の文化諸民族にみいだされる氏族)

「文化諸民族の父権制氏族の前段階として本源的な母権制氏族を再発見したことは、原始史学にとって、ちょうどダーウィンの進化論が生物学にとって、またマルクスの剰余価値理論が経済学にとってもつのと、同じ意義を持っている。[24]

 

猿、猿人から人間へ

 猿、類人猿などが示す多かれ少なかれ無規律な性交渉関係・・・その克服過程

 

動物状態から人間状態への移行期における無規律の性交渉の時期から漸次的な規律化への進化・・・・・動物的無規律から集団婚(母系による秩序確立)

 

生存力・発展力・進歩の力の前提としての集団・群団・社会

「動物状態から脱却して発展をとげ、自然が示す最大の進歩を達成するためには、・・・個体には欠ける防衛能力群団の結集した力と協力によって補充することが必要であった。・・・動物の人間化は、比較的大きな永続的な集団の内部でのみ達成できたのであるが、このような集団を形成するための1の条件は、成熟した雄の相互の忍耐、嫉妬からの解放であった。そして、実際にも、歴史上で明確に証明できるし、今日でもなおあちこちで研究できる、最古のもっとも本源的な家族形態として、われわれが見出すものは、・・・集団婚である。すなわち、男たちの集団全体と女たちの集団全体とが互いに相手を占有しあっていて、ほとんど嫉妬の余地を残さない形態である。そのうえ、のちの発展段階では一妻多夫制という例外形態が見いだされるが、これこそまさに、あらゆる嫉妬の感情を真っ向から打ち破り、したがって動物には未知のものなのである。[25]

 

 



[1] モルガン『古代社会』岩波文庫、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』全集第21巻、岩波文庫など。

[2] ダニエル・ネトル/スザンヌ・ロメイン著島村宣男訳『消えゆく言語たち―失われることば葉、失われる世界』新曜社、2001年。

[3] ネトル/ロメイン(2001)、「はじめに」、i-iiページ。

[4] 背後にある生産力・科学力の低さ・狭さ、その意味での「貧困」。

[5] ネトル/ロメイン(2001)128ページ。

[6] 同。

[7] 同。

[8] 同、129ページ。

[9] 同、130ページ。

[10] アダム・スミス『諸国民の富』T(大内兵衛・松川七郎訳),岩波書店、p.82.

[11] 同上。

[12] 生産物の一部分が例外的偶然的に交換になる段階から、生産物のすべてが商品として他人の消費のために生産される段階まで、時代により地域により、発展度合いはさまざま。

[13] A.スミス、前掲、p.8283.

[14] マルクス『経済学批判』(第一章、A商品の分析の史的考察)、『全集』http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=366343_1_8

13巻、37ページ。ぺティは、信教の自由を商業の一条件として弁護する。「なぜなら、富を余り持たないものが、とくに主として貧しいものに属する神の問題については、多くの知恵と理解力を持っている,という考えを彼らに許しさせすれば、貧しいものは勤勉となり、労働と勤勉を神にたいする義務だと考えるようになるからである。」だから商業は「どれか一つの宗教と結びついているものではなく、むしろつねに全体のうちの異端的な部分と結びついているもの」である。ウィリアム・ぺティ著大内兵衛・松川七郎訳『政治算術』岩波文庫、http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=366344_1_1

5558ページ。歴史的に、すなわち、封建社会からそれを解体するものとして商品・貨幣経済が生まれてくるプロセスでは、たとえば江戸時代の階層秩序に見られるように、商業・商人は低い位置に置かれていたのは、日本でも周知の事実であろう。

 マルクス (同、37ページ) によれば、ぺティは「天才的な豪胆さ」を持った人物で、たとえばアイルランドとスコットランド高地のすべての住民と動産を大ブリテンの他の地方に移そうという提案をしている。そうすれば、労働時間は節約され、労働の生産力が引き上げられ、イギリスが富強になるというのである。「大規模な住民移動」の発想は、ペティにすでにあったのだ。そのペティは、「まったく浮薄な一外科軍医であって、クロムウェルの庇護の下にアイルランドで略奪する一方で、また、チャールズ二世に取り入って略奪に必要な従男爵の称号をかちえるのをはばからなかったほどである」という。富国のための洞察、経済全体に関する天才的洞察力と一地域全体の住民移動、略奪を物ともしない精神とが結びついていたのだ。その天才の限界は、発想が、「イギリスの富強と自己の富強の統一」の強者の論理であり、そのレヴェルを超えなかったとことにある、ということだろう。

[15] 大塚久雄テキスト、p.93108.

[16] 大塚テキスト、p.141-

[17] 以前に配布した最近40年間の変化に関する財務省資料と解説をもう一度参照してください。

[18] エンゲルス、前掲書、第4版序文(1891)

[19] モーガンの標記も。

[20] モルガン(モーガン)の著書の研究ノート(1881年作成)

[21] 『資本論』(第三版、1883)1巻第4篇第12章の注。

[22] エンゲルス、前掲書(第4版序文(1891)、戸原四郎訳、岩波文庫版、p.17.

[23] 同上、p.24-25.

[24] 同上、p.25.

[25] 同上、p.47-48.