ホテルの部屋から見た  ミュンヘン駅北口


2001129日―16日ミュンヘン出張。科研費調査

10日月―14日金、ミュンヘン滞在。

 

現代史研究所にて『ホロコーストの力学』の原稿のための文献・史料調査

この滞在中の仕事の一部は、別のページに掲載。

 


滞在ホテル:ミュンヘン駅(北口)前のHotel Amba

 

ホテル案内には、mittelständisch(直訳なら「中間層」向け、意訳すれば「中流」くらいか)のホテルとあった。

星印は3つ。値段は160マルク[1](朝食つき、風呂つき)だった。

駅前だが騒がしくはなかった。

 

ただし、このホテルでも客が少ない時期にあわせて改装・修理工事を行う部屋があるようで、ボーリングの音がうるさいときがあった。夜7時過ぎに「いつまでやっているのか」と怒って受付に抗議したら、あと15分か30分くらい、というので、「そんなにながく?」といやな顔をして、抗議の意思を表明した。部屋に帰ったら、ちょっとして(数分たたないうちに)騒音はやんだ。抗議は通じたのだ。当然のことだ。

 

1.    ホテルの部屋は404号室。そこから見たミュンヘン中央駅北口

2.    ホテルの部屋の内部(窓側からドアの方向ドア側から窓の方向、ドア側から洗面所・風呂場)

 



3.    ミュンヘン現代史研究所・閲覧室の屋根(ガラス製のとんがり帽子が並んだところ)の修理中。

写真ではよくわからないが、足組み組んで修理中。内部の照明蛍光灯取替えで、一時、閲覧室がつかえず、文献・資料カタログ室が仮の閲覧室になった。責任者が、「今年は年がら年中、いたるところ修理することになって」と申し訳なさそうだった。

 

現代史研究所は、朝8時半開館で、4時半が閉館時間。

ホテルから路面電車20番、21番でレオンロッド・プラッツ(すぐ近くにミュンヘン・オリンピック公園がある)まで行く。

そこから徒歩5分ほどでLeonrodstraße 46 bにある現代史研究所に。

 

毎朝、訪問者・利用者台帳に、氏名、出身地、テーマを記帳。

 

持参したパソコン、ノート類を持って、階下の閲覧室へ。今ではほとんどの人が携帯用パソコンを持参。

今回は冬でクリスマス前だということもあってか、二人とか数人しか利用者がいない日々だった。あたかもわたしのためにある研究所とでも言う感じ。

 

閲覧室には周囲の壁全体に、現代史関連文献が整理されて収納されている。開架閲覧。

また、新着学術雑誌も並べられている。

この開架閲覧の図書・学術雑誌を通覧していくだけで、ドイツ現代史研究のそれぞれの分野のスタンダードワーク、基本史料、基本文献が何かがわかる。

訪問するごとに、繰り返し利用する図書・学術雑誌・公刊史料がならんでいる。実に便利。なれた雰囲気なので、すぐに仕事に取り掛かれる。

 

昼食はカンティーネ(館内食堂)で研究所の人やわたしのような訪問者たちと。

メニューは、Tが9マルク50だった(Uが確か6マルクくらい)。これにサラダ、コーヒーと合わせて13マルク程度だった。

円が強いこれまでのところでは、実に安い感じがした。

 

夕方4時半すぎに外に出ると、緯度の高いミュンヘン(日本では札幌のイメージと結び付けられるが、実際には緯度の上ではサハリン中部にあたる)なので、暗くなっている。

 今年の冬は特に寒さが厳しいようで、また特に「モスクワからの寒波」(日本だと「シベリアからの寒波」というが)がやってきたときにぶつかったので、夕方からマイナス10度以下。「いたいような寒さ(bitter Kalt)」だった。雪もうっすらと積もるくらいだった。

 

路面電車(回数券10個の帯び、17.50マルク、一回に2つ分の帯びを自動機械でスタンプする。3マルク50プフェーニヒが「回数券」を利用した場合の電車賃。これで2時間、目的地に向かう方向でであれば、路面電車、S-Bahn近距離高速鉄道、地下鉄など何回でも乗り降り自由。1回ごとの通常の「普通乗車券」は4マルク)

 

この路面電車Straßenbahnで、まず中央駅前のホテルにかえり、ふたたび中央駅からS-Bahnにのって町の中心部へ。

ホテルへの帰路は歩いて散策しながら。クリスマス前の季節なので、またドイツも商店の営業時間がよる7時半―8時まで延長されるようになったので、人通りは多かった。

 

4.    市庁舎まえのクリスマス・ツリー

5.    市庁舎前広場(=マリーエンプラッツ)のクリスマス屋台(クリストキンドル)・・たくさんのクリスマス・ツリーの飾り付けの品々が売られている。

6.    また、ワインをあたためてコップ一杯4マルクで売っている。コップは5マルク。最初に9マルク払う。コップを欲しい人はそのまま持ちかえる。わたしは記念に持ちかえった。コップの絵柄が毎年、また町によって違い、思い出の品、コレクションとなる。必要ない人は返却すれば5マルクが戻される。

7.    市庁舎裏手の広場、老舗ダルマイヤー(コーヒー、チョコレート菓子など高級嗜好品で有名、近くでは横浜・高島屋の地下にも出店)の店前から、聖母教会Frauenkircheをみる。

8.    国民劇場(National Theater)前のマキシミリアン通りの夜景(全体の昼間の雰囲気は、別のページに収めてある夏の写真を参照されたい)

9.    中央駅 (中央口・東口)前の百貨店ヘルティの夜景。

 

月曜日から金曜日まで、毎日作業に没頭したため、市中心部には夕方から夜にしか行けなかった。夜景しか撮ることができなかった。

クリスマスの雰囲気を味わうにはそれもまたよしとしなければならないだろう。



[1] あと少しでユーロに統一されるが、その最後の段階の1マルク=58円ほどだった。60円で計算して、160マルクは、9600円というところ。

 ユーロ導入直前で、テレビでは毎日、「ユーロに関するご質問を待っています」という質問コーナーが放映されていた。