経済史A講義メモ、2002年6月14日
前回講義終了時点での学生からの質問:「労働力」と「労働」とのちがいについて。
これは、経済史と経済の仕組み、そしてその理論としての経済学を理解する根本的なキーワード:くわしくはすでに配布した資料も読みなおし、また私の研究室HP(下記の頁)も参照のこと。http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/kogikeizaishi20010514.htm
労働力・・・人間の体にある肉体的精神的な労働する(仕事をする)の能力。
労働・・・労働力を持っているひとがその能力を発揮し使用して働くこと。
働いている最中・・・生きた活動状態の労働.
これに対し、生きた労働の結果として、生産手段に付け加えられた労働(過去形の労働)=「対象化された労働」と表現する。
労働の対象化・・・商品の生産には、生産手段(機械、工場設備・建物などの消耗分と原料)および労働が費やされる。この生産手段にくわえられ、できあがった製品の価値を、「原料+機械等の損耗分」以上に高めるものが対象化(ものに付け加えられた)された労働である。
ものに付け加えられた労働は、過去の労働であり、生きた労働とはちがう。生きた労働が対象に付け加えれるごとに、過去の労働となる。
ものに付け加えられた労働(量)が、価値(価格の基礎)の実体である。
「労働力の使用は労働そのものである。労働力の買い手は、労働力の売り手に労働をさせることによって、労働力を消費する。このことによって、労働力の売り手は、現実に活動している労働力、労働者になるのであって、それ以前はただ潜勢的にそうだっただけである。彼の労働を商品に表わすためには、彼はそれを何よりもまず使用価値に、何かの種類の欲望を満足させるのに役立つ物に表わさなければならない。だから、資本家[1]が労働者につくらせるものは、ある特殊な使用価値、ある一定の品物である。
使用価値または財貨の生産は、それが資本家のために資本家の監督の下で行われることによっては、その一般的な性質を変えるものではない。[2]」
人間の欲望と生きる必要のためにたくさんの特定の品物を生産するということ、労働過程は、資本家社会、資本主義社会だけのことではなく、古い時代から、人類史と共に発展してきたことであった。
「労働力に含まれている過去の労働と労働力がすることのできる生きている労働とは、つまり、労働力の毎日の維持費(人件費に相当・・・永岑)と労働力の毎日の支出とは、2つのまったく違う量である。
前者は労働力の交換価値(人件費部分に相当・・・永岑)を規定し、後者は労働力の使用価値をなしている。労働者を24時間生かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる1日労働するということを妨げはしない。[3]」
労働力という商品を資本家(法人企業)が購入するにあたって、「決定的なのは、この商品の独自の使用価値、すなわち価値の源泉でありしかもそれ自身が持っているよりも大きな価値の源泉だという独自な使用価値だった。これこそ資本家(現代では資本を所有する法人企業・・・永岑)がこの商品に期待する独自な役立ちなのである。
そして、その場合彼(資本家、現代では法人企業)は商品交換の永久的法則にしたがって行動する。じっさい、労働力の売り手は、他のどの商品の売り手とも同じに、労働力の交換価値を実現して(すなわち、販売した労働力という商品の対価・等価である給料をもらって・・・ながみね)、その使用価値を(資本家・法人企業)に引き渡すのである。・・・
労働力の使用価値、つまり労働そのものはその売り手のものではないということは、売られた油の使用価値が油商人のものではないようなものである。
貨幣所持者は労働力の日価値を支払った。だから、1日の労働の労働力の使用、1日中の労働は、貨幣所持者のものである。労働力はまる1日活動し労働することができるにもかかわらず、労働力の1日の維持には半労働日しかかからないという事情、したがって、労働力の使用(すなわち労働・・・永岑)が創り出す価値が労働力の日価値の2倍だという事情は、買い手にとっての特別な幸運ではあるが、決して売り手に対する不法ではないのである。[4]」
商品の価値(=価格の基礎にあるもの)の実体[5]は、その商品に付け加えられた労働であり、その商品の原料と生産手段(過去の労働)に付け加えられた一定時間の労働(どの商品にも共通するその意味で抽象的な労働の一定時間、その商品の生産に社会的に必要な労働時間)である[6]。
「商品は使用価値と価値との統一である」・・・商品は効用=使用価値をもつと同時に、その生産に投じられ費やされた労働時間=価値をもつ。
「商品そのものが使用価値と価値との統一であるように、商品の生産過程も、労働過程と価値形成過程との統一[7]」である。
生産過程から出てきた品物(商品)の価値の構成=
原料の価値+機械等の磨耗分の価値+一定時間の生産労働で新しく付け加えられた価値
このうち、「原料の価値+機械等の磨耗分の価値」=古い生産過程・過去の労働の結果=それらの価値は新しい品物(商品)に移転され吸収される=価値量は不変=コンスタントな部分という意味でcと略記。
この生産過程で新しく付け加えられるのは、新しい商品を作るための労働(時間)。
その一定時間は労働力の再生産に対応する時間=人件費部分の価値の再生産=v
さらにそれ以上の労働時間が付け加えられてはじめて、剰余価値(利潤、利子、地代[8])=mが形成される。
「価値形成過程と価値増殖過程とを比べてみれば、価値増殖過程は、ある一定の点を越えて延長された価値形成過程にほかならない。もし、価値形成過程が、資本によって支払われた労働力の価値があらたな等価物によって補填される点までしか継続しなければ(すなわち Vに対応する労働時間だけならば・・・永岑)、それは単純な価値形成過程である。もし、価値形成過程がこの点を越えて継続すれば、それは価値増殖過程になる。[9]」
生産過程の結果として新しく産出された商品の価値=c+v+m
政府統計(法人企業統計)による現状の分析:
付加価値の構成・・・付加価値の労働者と資本(この場合、土地建物所有者への地代・賃借料、貨幣資本所有者への利子、国家棟公共団体への租税公課などをふくむ)とへの分配(率)
労働分配率(v部分) |
資本分配率(m部分) |
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75パーセント (=付加価値に占める人件費割合=労働分配率)) |
25パーセント (=資本分配率) |
100% |
114.75時間 (1ヶ月の総労働時間中にしめる人件費対応労働時間) |
38.25時間 |
1ヶ月の総労働時間=153時間 |
金額で、35万1,335円(1ヶ月平均月収=平均賃金[10]月額) |
11万7121.5円 (利子+地代・賃借料+租税+営業純利益) |
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必要労働(時間とその貨幣表現) 自分の労働力を販売した人が自分と家族の生活を維持するために必要な労働=労働力の価値 |
剰余労働(時間とその貨幣表現)・・生産手段の所有者に帰属 |
総労働時間の内訳 |
支払い労働(時間とその貨幣表現)・・・賃金として支払われる部分に対応する労働 |
不払い労働(時間とその貨幣表現) |
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人類原始史:未開時代から文明時代への移行・氏族制度解体の一般的経済的諸条件[11]
1.分業(生産力の発達)・交換の発生・規則化・恒常化と商品・貨幣の発生・発展
2.生産物・生産手段の私的所有の発生・発展・・・氏族制度の基礎的前提の解体
自然発生的分業
両性関分業:
分業は純粋に自然発生的である。分業は両性のあいだに存在するだけである。男子は戦争し、狩猟と漁労にでかけ、食物の原料を手に入れ、これに必要な道具をつくる。女子は家事と衣食の用意とに従事する―つまり料理し、織り、縫う。両者はどちらも自分の分野で主人である。男子は森の中での主人、女子は家庭の中での主人である。
どちらも、自分がつくって使う道具の所有者、つまり男子は武器、猟具の所有者、女子は什器の所有者である。世帯は、幾つかの、往々にして多数の家族の共産主義的世帯である。共同で作って利用する物、つまり家屋、園圃、長艇(カヌーなど)は共同財産である。
貨幣は、規則的・恒常的・大量的な交換の必要が発生してくるとともに、規則的・恒常的・普遍的な交換の用具として、ある特定の商品が選ばれることから発生
・・・このことに関して、アダム・スミス『国富論』に面白い叙述がある。
商品交換の発展・成熟と貴金属貨幣の誕生
[1] 現在では、ほとんどが株式会社等法人企業。株式会社においては、株式資本(自己資本)と社債・借り入れ金など他人資本を合わせた資本を法人が使用し、生産手段を購入し雇用者を雇って、生産を行う。
[2] 『資本論』第一巻第5章 「労働過程と価値増殖過程」、大月書店、233ページ。
[3] 『資本論』第一巻第5章、大月版、253‐254ページ。剰余労働、剰余価値の根源にあること。労働力、すなわち「労働能力がその再生産と維持とのために費やす労働時間と、労働能力そのものがなしうる労働とが非常に違うということは、A・スミスにはよくわかっていた。」『剰余価値学説史』全集、大月版、26I、53ページ。
[4] 『資本論』第一巻第5章、大月版、254ページ。労働力という商品しか売ることのできない近代労働者・雇用者大衆に、その生活維持費=その労働力維持費としての正当な価値(価格)を支払い、購入した商品である労働力をその価値の再生産に要する時間を超えて決められた時間だけ使用するのは、なんら不法ではない。労働力商品の売り手・労働者とその買い手・資本・法人企業との売買は、等価交換である。
[5] A・スミスは、いろいろと混乱している部分があったとしても基本的に、「商品の交換価値の正しい規定−すなわち、商品に費やされた労働量または労働時間によるそれの規定−を固持している。・・・・生産物に含まれている労働量を・・・価値および価値規定者と解している・・・分業と改良された機械が商品の価格に及ぼす影響に関する彼の全学説は、この見解に基づいている。」(マルクス『剰余価値学説史』全集、大月版、26I、50−51ページ。
「諸商品は、一定量の労働の価値を含んでおり、われわれはそれらを、そのときに等量の労働の価値を含んでいるものと交換するのである」(スミス)というとき、正確には「一定量の労働」すなわち「一定の価値」を「そのときに等量の労働」と、したがって「等量の価値」と表現すべきであった。労働が価値の実体であり、マルクスが指摘しているように「労働の価値」は意味をなさない概念だからである。
ともあれ、マルクスはそのことを踏まえた上で、この引用に続いて次のように言う。
「ここで強調されているのは、分業によって引き起こされた変化である。その変化とは、すなわち、富はもはやその人自身の労働の生産物のうちにではなく、この生産物が支配する他人の労働の量、すなわち、この生産物が買いうる社会的労働の量のうちに存するということ、そしてこの量は、この生産物そのものに含まれている労働の量によって規定されているということである。
事実上、ここでいわれていることは、ただ、私の労働は社会的労働としてのみ、したがって私の労働の生産物は等量の社会的労働に対する支配としてのみ、私の富を規定するという、交換価値の概念だけである。一定量の必要労働時間(あるものの生産に社会的に必要な労働時間・・・永岑)を含む私の商品は、等しい価値を持つ他のすべての商品に対する支配、したがって他の使用価値に実現されている等量の他人の労働に対する支配を、私に与える。
ここで強調されているのは、分業および交換価値によって引き起こされた私の労働と他人の労働との等値、言い換えれば社会的労働の等値である(私の労働、または私の商品に含まれている労働もまた、すでに社会的に規定されており、その性格を本質的に変えているということはアダムに見落とされている)」同上、57ページ。
[6] 詳しくは、また正確な理解のためには、『資本論』第一巻、4大月版7−56ページ。すなわち、「第1章 商品」の「第1節 商品の2つの要因:使用価値と価値(価値実体、価値量)」を参照されたい。
[7] 同、245ページ。
[8] 「すべての経済学者が共通に持っている欠陥は、彼らが剰余価値を、純粋に剰余価値そのものとしてではなく、利潤および地代という特殊な形態において考察していることである」マルクス『剰余価値学説史』全集、大月版、26I、7ページ。
[9] 『資本論』第一巻第5章、大月版、256ページ。
[10]「労働力の価値をなにか固定したもの、一定の大きさとして理解することが、資本主義敵生産の分析をその仕事とする近代経済学にとっての基礎なのである」。経済科学の創始者=重農学派において、平均賃金、あるいは「賃金の最低限が学説の軸をなしている」。マルクス『剰余価値学説史』全集、大月版、26I、13ページ。
「A・スミスは、言及に値するすべての経済学者と同じく、重農学派から平均賃金を受けつぎ、これを賃金の自然価格と呼んでいる。
『人間は、つねに自分の労働によって生活しなければならないし、そして彼の賃金はすくなくとも彼を扶養するに足りなければならない。たいていの場合、賃金はそれより幾分か多くのものでさえなければならない。そうでなければ、彼は家族を養育することが不可能であろうし、またこのような労働者の家系は一代限りで絶えてしまうであろう』(スミス『諸国民の富』第1巻、第1篇、第8章)」
『剰余価値学説史』全集、大月版、26I、48ページ。
[11] 参考文献など詳しくは次ぎを見てください。http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/kogikeizaishi20010702.htm
[12] 『資本論』第一巻第2章 交換過程、大月版、117−118ページ。
[13] 第1次世界大戦の膨大な軍事費の結果としての、そして敗戦の結果としてのヴェルサイユ体制の結果としてのドイツ国家財政の悪化は、ものすごい紙幣増発、紙幣価値下落、インフレーションを引き起こした。かばん一杯の何兆マルクという紙幣で、たったのパン1個、とか、当時日本からドイツに留学していた政府留学生などが貴重な古本などを「棚一本でいくら」で手に入れたとか、インフレ期の混乱にまつわる逸話は数多い。