経済史A講義メモ、2002614

 

前回講義終了時点での学生からの質問:「労働力」と「労働」とのちがいについて。

これは、経済史と経済の仕組み、そしてその理論としての経済学を理解する根本的なキーワード:くわしくはすでに配布した資料も読みなおし、また私の研究室HP(下記の頁)も参照のこと。http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/kogikeizaishi20010514.htm

 

 

労働力・・・人間の体にある肉体的精神的な労働する(仕事をする)の能力。

 

労働・・・労働力を持っているひとがその能力を発揮し使用して働くこと。

働いている最中・・・生きた活動状態の労働.

 

 

これに対し、生きた労働の結果として、生産手段に付け加えられた労働(過去形の労働)=「対象化された労働」と表現する。

 

労働の対象化・・・商品の生産には、生産手段(機械、工場設備・建物などの消耗分と原料)および労働が費やされる。この生産手段にくわえられ、できあがった製品の価値を、「原料+機械等の損耗分」以上に高めるものが対象化(ものに付け加えられた)された労働である。

     

ものに付け加えられた労働は、過去の労働であり、生きた労働とはちがう。生きた労働が対象に付け加えれるごとに、過去の労働となる。

ものに付け加えられた労働()が、価値(価格の基礎)の実体である。

 

 「労働力の使用は労働そのものである。労働力の買い手は、労働力の売り手に労働をさせることによって、労働力を消費する。このことによって、労働力の売り手は、現実に活動している労働力、労働者になるのであって、それ以前はただ潜勢的にそうだっただけである。彼の労働を商品に表わすためには、彼はそれを何よりもまず使用価値に、何かの種類の欲望を満足させるのに役立つ物に表わさなければならない。だから、資本家[1]が労働者につくらせるものは、ある特殊な使用価値、ある一定の品物である。

 使用価値または財貨の生産は、それが資本家のために資本家の監督の下で行われることによっては、その一般的な性質を変えるものではない。[2]

 

 人間の欲望と生きる必要のためにたくさんの特定の品物を生産するということ、労働過程は、資本家社会、資本主義社会だけのことではなく、古い時代から、人類史と共に発展してきたことであった。

 

「労働力に含まれている過去の労働と労働力がすることのできる生きている労働とは、つまり、労働力の毎日の維持費(人件費に相当・・・永岑)労働力の毎日の支出とは、2つのまったく違う量である。

前者は労働力の交換価値(人件費部分に相当・・・永岑)を規定し、後者は労働力の使用価値をなしている。労働者を24時間生かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる1日労働するということを妨げはしない。[3]

 

労働力という商品を資本家(法人企業)が購入するにあたって、「決定的なのは、この商品の独自の使用価値、すなわち価値の源泉でありしかもそれ自身が持っているよりも大きな価値の源泉だという独自な使用価値だった。これこそ資本家(現代では資本を所有する法人企業・・・永岑)がこの商品に期待する独自な役立ちなのである。

そして、その場合彼(資本家、現代では法人企業)は商品交換の永久的法則にしたがって行動する。じっさい、労働力の売り手は、他のどの商品の売り手とも同じに、労働力の交換価値を実現して(すなわち、販売した労働力という商品の対価・等価である給料をもらって・・・ながみね)、その使用価値を(資本家・法人企業)に引き渡すのである。・・・

労働力の使用価値、つまり労働そのものはその売り手のものではないということは、売られた油の使用価値が油商人のものではないようなものである。

貨幣所持者は労働力の日価値を支払った。だから、1日の労働の労働力の使用、1日中の労働は、貨幣所持者のものである。労働力はまる1日活動し労働することができるにもかかわらず、労働力の1日の維持には半労働日しかかからないという事情、したがって、労働力の使用(すなわち労働・・・永岑)が創り出す価値が労働力の日価値の2倍だという事情は、買い手にとっての特別な幸運ではあるが、決して売り手に対する不法ではないのである。[4]

 

 

商品の価値(=価格の基礎にあるもの)の実体[5]は、その商品に付け加えられた労働であり、その商品の原料と生産手段(過去の労働)に付け加えられた一定時間の労働(どの商品にも共通するその意味で抽象的な労働の一定時間、その商品の生産に社会的に必要な労働時間)である[6]

 

 

「商品は使用価値と価値との統一である」・・・商品は効用=使用価値をもつと同時に、その生産に投じられ費やされた労働時間=価値をもつ。

「商品そのものが使用価値と価値との統一であるように、商品の生産過程も、労働過程と価値形成過程との統一[7]」である。

 

生産過程から出てきた品物(商品)の価値の構成=

原料の価値+機械等の磨耗分の価値+一定時間の生産労働で新しく付け加えられた価値

 

このうち、「原料の価値+機械等の磨耗分の価値」=古い生産過程・過去の労働の結果=それらの価値は新しい品物(商品)に移転され吸収される=価値量は不変=コンスタントな部分という意味でと略記。

 

この生産過程で新しく付け加えられるのは、新しい商品を作るための労働(時間)

  その一定時間は労働力の再生産に対応する時間=人件費部分の価値の再生産=

 

  さらにそれ以上の労働時間が付け加えられてはじめて、剰余価値(利潤、利子、地代[8])=が形成される。

 

「価値形成過程と価値増殖過程とを比べてみれば、価値増殖過程は、ある一定の点を越えて延長された価値形成過程にほかならない。もし、価値形成過程が、資本によって支払われた労働力の価値があらたな等価物によって補填される点までしか継続しなければ(すなわち Vに対応する労働時間だけならば・・・永岑)、それは単純な価値形成過程である。もし、価値形成過程がこの点を越えて継続すれば、それは価値増殖過程になる。[9]

 

生産過程の結果として新しく産出された商品の価値=c++

 

 

 

政府統計(法人企業統計)による現状の分析:

付加価値の構成・・・付加価値の労働者と資本(この場合、土地建物所有者への地代・賃借料、貨幣資本所有者への利子、国家棟公共団体への租税公課などをふくむ)とへの分配(率)

 

    労働分配率(v部分)

資本分配率(m部分)

 

75パーセント

(=付加価値に占める人件費割合=労働分配率))

25パーセント

(=資本分配率)

100

114.75時間

1ヶ月の総労働時間中にしめる人件費対応労働時間)

38.25時間

 

1ヶ月の総労働時間=153時間

金額で、351,335(1ヶ月平均月収=平均賃金[10]月額)

 

117121.5

(利子+地代・賃借料+租税+営業純利益)

 

必要労働(時間とその貨幣表現)

  自分の労働力を販売した人が自分と家族の生活を維持するために必要労働=労働力の価値

剰余労働(時間とその貨幣表現)・・生産手段の所有者に帰属

総労働時間の内訳

支払い労働(時間とその貨幣表現)・・・賃金として支払われる部分に対応する労働

不払い労働(時間とその貨幣表現)

 

 

 

 

 


人類原始史:未開時代から文明時代への移行・氏族制度解体の一般的経済的諸条件[11]

 

  1.分業(生産力の発達)・交換の発生・規則化・恒常化と商品・貨幣の発生・発展

 

2.生産物・生産手段の私的所有の発生・発展・・・氏族制度の基礎的前提の解体

 

 

自然発生的分業

両性関分業

分業は純粋に自然発生的である。分業は両性のあいだに存在するだけである。男子は戦争し、狩猟と漁労にでかけ、食物の原料を手に入れ、これに必要な道具をつくる。女子は家事と衣食の用意とに従事する―つまり料理し、織り、縫う。両者はどちらも自分の分野で主人である。男子は森の中での主人、女子は家庭の中での主人である。 

どちらも、自分がつくって使う道具の所有者、つまり男子は武器、猟具の所有者女子は什器の所有者である。世帯は、幾つかの、往々にして多数の家族の共産主義的世帯である。共同で作って利用する物、つまり家屋、園圃、長艇(カヌーなど)共同財産である。

 

最初の社会的大分業

馴養動物の発見・飼育・・・アジアでは人間は飼い馴らすことができる、そして飼いならした後でさらに飼育することのできる動物をみいだした。野生の雌の水牛は、狩で捕らえなければならなかった。だが飼い馴らした雌水牛は、毎年、1頭の仔牛と、そのうえミルクをもたらした。多くのもっとも進歩した部族―アーリア人、セム人が、まず家畜の飼い馴らしを、後にはただその飼育と見張りだけを、彼らの主要な労働部門とした。遊牧諸部族が爾余の未開人の群れから分離した。 

 

規則的な交換

遊牧部族は、爾余の未開人よりも多量の生活手段を生産したばかりではなく、爾余の未開人のものとは違う生活手段をも生産した。彼らは、ミルク、乳製品、肉をより多量にもっていたばかりではなく、獣皮、羊毛、山羊毛、また原料の分量が増えるに連れて増加する紡糸と織物をも持っていた点で爾余の未開人にまさっていた。

そのことによって、規則的な交換がはじめて可能となった。

 

最初・・・部族間交換=部族と部族のあいだの交換・・相互の氏族長たちを通じて交換。

 ついで、畜群が特有財産(私有財産)に移っていき始めると、個別交換がしだいに優位を占め、ついには唯一の形態になった。

 

 「諸物は、それ自体としては人間にとって外的なものであり、したがって手放されうるものである。この手放すことが相互的であるためには、人々はただ暗黙のうちにその手放されうる諸物の私的私有者として相対するだけでよく、また、まさにそうすることによって互いに独立な人として相対するだけでよい。

 とはいえ、このように互いに他人であるという関係は、自然発生的な共同体の成員にとっては存在しない。その共同体のとる形態が家長制家族であろうと、古代インドの共同体であろと、インカ国その他であろうと、おなじことである。

 商品交換は、共同体のはてるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる。しかし、物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それは反作用的に内部的共同生活でも商品になる。

 諸物の量的交換関係は、最初はまったく偶然的である。それらのものが交換されうるのは、それらのものを互いに手放し合うというそれらのものの所持者たちの意志行為によってである。しかし、そのうちに、他人の使用対象に対する欲望は、だんだん固定してくる。交換の不断の繰り返しは、交換を一つの規則的な社会的過程にする。

 したがって、ときがたつにつれて、労働生産物の少なくとも一部分は、はじめから交換を目的として生産されなければならなくなる。この瞬間から、直接的必要のための諸物の有用性と、交換のための諸物の有用性との分離が固定してくる。諸物の使用価値は諸物の交換価値から分離する。他方では、それらの物が交換される量的な割合が、それらのものの生産そのものによって定まるようになる。慣習はそれらの物を価値量として固定させる。[12]

 

 

特定交換物=特定商品=貨幣機能

遊牧部族がその近隣部族と交換して引き渡した主要な物品は、家畜

 家畜は、他のすべての商品がそれでもって評価され、またどこにおいても他の商品と引き換えに好んで受け取られる商品となった。要するに、家畜は、すでにこの段階に貨幣の機能を獲得し、貨幣の役を務めた。商品交換の発端においてすでに貨幣商品に対する欲求が、こういう必然性と速さをもって発展した。

 

貨幣は、規則的・恒常的・大量的な交換の必要が発生してくるとともに、規則的・恒常的・普遍的な交換の用具として、ある特定の商品が選ばれることから発生

・・・このことに関して、アダム・スミス『国富論』に面白い叙述がある。

 

「社会の未開時代には、家畜が商業の共通の用具であったといわれる。そして家畜はきわめて不便な用具であったには違いないけれども、それでも昔はしばしば物が、それと交換に与えられる家畜の数に応じて評価されたことをわれわれは知っている。」として、ホメロスの『イリアス』(岩波文庫訳、上、193194ページ)を引用している。

すなわち、「ディオメデスの鎧(よろい)は牡牛9頭にしか値しないのに、グラウコスの鎧(よろい)は牡牛100頭に値したとホメロスはいっている」と。そして、エチオピア、すなわち「アビシニアでは塩が、インドの沿岸のある地方では一種の貝殻が、ニューファウンドランドでは乾燥した鱈(たら)が、ヴァージニアではタバコが、われわれの西インド植民地のあるところでは砂糖が、他の幾つかの国では生皮またはなめし皮が、商業と交換の共通の用具であるといわれている。そして、今日でもスコットランドのある村では、職人が貨幣のかわりに釘をパン屋や酒場にもっていくことが珍しくないという話である」と。

 

モルガンも『イーリアス』から、貨幣の発生の歴史を示す別の箇所を引用している。そこでも、が取り上げられている。

すなわち、貨幣といっても鋳造貨幣は知られていなかった当時、取引は、ほとんど物々交換だったことについて、しかし、葡萄酒が多様な商品・財の等価形態(多様な商品が共通に自己の価値を表現するものとして)として選び出されている事実について、次のように言う。

 

「そのときから、長髪のアカイア人は葡萄酒を買うようになった。

 あるものは青銅で、あるものはひかる鉄で。

 あるものは牛皮で、またあるものは牛そのもので、

 あるものは奴隷で」(『イーリアス』VII472-75)

 

商品交換の発展・成熟と貴金属貨幣の誕生

貨幣の本質はまさに、多様な商品(商品所持者、商品交換関係者)が共通に自己の(所有する生産物・商品の)価値を表現するものとして選び出さした特定の商品というところにある。

貨幣商品は人間活動、歴史の産物(分業と交換の産物)であり、貨幣は、商品種類が増えた段階でたくさんの商品が自己の価値を共通の尺度で表現する一般的等価の形態である。

 

たくさんある生産物・商品の中からいかなる商品が貨幣に選ばれるか、これは商品交換関係・市場関係の地域的空間的発展・広がりと関係する。

 

貨幣商品として、商品世界の無数の財貨の中からなぜ金属が選ばれてくるか、特に貴金属が選ばれてくるかに関するアダム・スミスの説明: 

交換の用具として、「不可抗的な理由で、他のすべての商品にまさるものとして金属を選ぶ」ことになった。なぜなら、

「金属ほど腐敗しにくいものはほとんどないから、保存(保存可能性・蓄積可能性)しても損失を招かない点では金属は他のどんな商品にも劣らないばかりでなく、同じようになんの損失もなしにどんな数の部分にも分割できる(分割可能性)し、しかもそれらの部分を溶解によって容易に再結合することができる(結合可能性)のであって、この性質は同じような耐久性を持ったほかのどんな商品にもないものであり、他のどんな性質にもまさって金属を商業と流通の用具に適したものとするものである。たとえば、塩を買いたい人がそれと交換に与えるものを家畜以外には何も持っていないものとすれば、彼は一度に牡牛まる1頭ぶん、または羊まる1頭ぶんの価値だけ塩を買わざるをえないにちがいない。彼がこれよりも少なく買うことはめったにできないだろう。なぜなら、彼が塩と引き換えに与えるべきものは、損失なしには分割できないからである。また、もし彼がそれよりも多く買う気があるとするなら、同じ理由で、2倍か3倍の量、すなわち2頭ないし3頭の牡牛または2頭ないし3頭の羊の価値だけ買わざるを得ないにちがいない。」・・・・生き物(家畜)分割不可能性=貨幣機能としては欠陥

ところが、「逆に、もし彼が羊や牡牛のかわりに、塩と引き換えに与えるべき金属を持っているものとすれば、彼が直接必要としている商品の正確な量にその金属の量を容易につりあわせることができるだろう。」そこで、「さまざまな金属がさまざまな国民に酔ってこの目的のために用いられてきた。古代スパルタ人の間ではが、古代ローマ人の間ではが、そしてすべての富裕で商業的な国民の間では金と銀が、共通の商業用具であった。」

 

金属貨幣の発達史・・・最初は粗製の延べ棒。

「プリニウスが古代の歴史家ティマエウスを典拠として語るところによると、セルヴィウス・トゥリウスの時代まで、ローマ人は鋳造貨幣をもたず、何であれ彼らの必要とするものを買うのに刻印のない銅の延べ棒を使っていた。」

 

粗製の延べ棒の交換用具としての不便さ

1、重量を量る手間・・・「量のわずかな差が大きな価値の差を生む貴金属のばあいには、しかるべき正確さで重量を量る仕事でさえ、少なくともきわめて正確な分銅と秤を必要とする。特に金の重さを量ることは、かなり微妙な操作である。」第2には、試金する手間・困難・・・その金属の一部がしかるべき溶剤とともに坩堝のなかで適切に溶解しない限り、そこから引き出されうるどんな結論もきわめて不正確なものである。」不純物の混入、詐欺やごまかしの可能性など。

 

→→ 公的な刻印をおした鋳造貨幣(鋳貨)の創出。金属の品質と重量を保証する刻印!

 

しかし、「世界のすべての国で、王侯や主権国家の貪欲と不正は、臣民の信頼を悪用して、本来自分たちの鋳貨の中に含まれていた金属の正味の量をしだいに減らしていった・・・ローマのアスは、共和国の末年には、本来の価値の二四分の一に減らされ、1ポンドの重量でなく、わずかに半オンスの重量しかなくなっていた。イングランドのポンドとペニーは、今日、当初の価値の約3分の1、スコットランドのポンドとペニーは約36分の1、フランスのポンドとペニーは約66分の1しか含んでいない。それをおこなった王侯や主権国家は、外観上は、そうでない場合に必要である量よりも少ない銀で債務を支払い、契約を実行することができた。しかし、確かにそれは外観上のことにすぎなかったのであって、なぜなら、彼らの債権者たちは、自分たちに支払われるべきものの一部を実は詐取されていたのだからである。この国のほかのすべての債務者も同じ特権を認められていて、旧鋳貨で借りていたものがいくらであっても、名目上同額の劣悪な新鋳貨で支払っていいことになっていた。したがって、そのような操作はつねに債務者に有利で、債権者には破滅的であることが判明したのであり、きわめて大きな社会的災害によって引きおこされえただろうものよりも大きく普遍的な変革を、時々私人の財産にもたらしたのである。」

 

 負債に苦しむ王侯、主権国家は、悪貨を作り出す[13]。 

 

 

 

 

表面の公的刻印と内実との乖離・・・流通、取引において、「悪貨は良貨を駆逐する」(グレシャムの法則)---ある鋳貨(内実は価値が低いもの)名目が同じものだからというので良貨(内実の価値が高いもの)と同じものとして通用するなら、ほんとうに価値のある良貨は手元において、まずは悪貨を使用する。市場取引からは良貨は駆逐されてしまう。市場には悪貨のみが残る。悪貨が一般化する。

 

 

紙幣・・・価値章標・・・「銀製や銅製の金属純分は,法律によって任意に規定されている。それらは,流通しているうちに金鋳貨よりももっと速く摩滅する。それゆえ,それらの鋳貨機能は事実上それらの重量には係わりのないものになる。すなわち、およそ価値というものにはかかわりのないものになる。金の鋳貨定在は完全にその価値実体から分離する。つまり,相対的に無価値なもの、紙券が、金に代わって鋳貨として機能することができる。金属製の貨幣章標では,純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されている。紙幣では,それが一見してわかるように現れている。ここで問題にするのは、ただ,強制通用力のある国家紙幣だけである。それは直接に金属流通から生まれてくる。」

 

強制通用力のある国家紙幣=法定貨幣・・・その背後には、何の「裏打ち」もないか?

 

近代経済学の代表的な教科書でサミュエルソンは、次のように言う

 10ドル紙幣か、あるいはほかの紙幣を調べてみられよ。そこにはおそらく『連邦準備紙幣』と書かれていると思う。それにはまた、「公私を問わず、すべての負債のための法定貨幣」と書かれてある。

 この10ドル紙幣の背後には何があるのであろうか。それは、金か銀か、あるいはその他の何かで『裏打ち』されているのであろうか。実はそこには、何もない。何年も前には、人びとは、わが国の通貨は『金の裏打ち』故に価値があるのだ、と信じていた.今日ではそのような見せかけは全然ない。

 今日、合衆国のすべての硬貨および紙幣は法令にもとづく貨幣である。この用語の意味するところは、ある何かが貨幣であるのは、政府が政令で貨幣と決めるからだということに他ならない。もっと厳密な言い方をするなら、政府、硬貨や紙幣は公私を問わずすべての負債に対して受認されるべき法定貨幣である、と宣言するのだ。金属による貨幣の裏打ちは、今日の合衆国においてはなんら実際的な意義をもたない」と。

 

しかし、「貨幣の歴史」の説明でサミュエルソンが触れているように、貨幣は財貨、商品の「交換の媒介物か支払手段」であり、その本質的な機能は、それぞれの商品の価値=価格を表現し、商品世界の無数の商品群の価格=価値の相互関係を表現しているのである。紙幣や硬貨は、その額面によってある一定量の価格=価値を表現しているが故に、交換の媒介物となるのであり、支払手段となるのである。

商品世界の膨大な商品群が、それぞれに一定の価格を持ち、その背後に価値を持つが故に、すなわち、そのような商品世界の価値と価格の実質的裏づけがあるが故に、紙幣や硬貨が媒介手段として、支払手段として通用するのである。

国家がなし得るのは、あれこれの偽の紙幣や硬貨に対する禁止力であり、商品世界全体に通用する紙幣を商品所有者、商品売買者に示すだけであり、交換のために安定的な通用を保証することであって、国家は諸商品の価値を創造するものではない。 



[1] 現在では、ほとんどが株式会社等法人企業。株式会社においては、株式資本(自己資本)と社債・借り入れ金など他人資本を合わせた資本を法人が使用し、生産手段を購入し雇用者を雇って、生産を行う。

[2] 『資本論』第一巻第5章 「労働過程と価値増殖過程」、大月書店、233ページ。

[3] 『資本論』第一巻第5章、大月版、253254ページ。剰余労働、剰余価値の根源にあること。労働力、すなわち「労働能力がその再生産と維持とのために費やす労働時間と、労働能力そのものがなしうる労働とが非常に違うということは、A・スミスにはよくわかっていた。」『剰余価値学説史』全集、大月版、26I、53ページ。

[4] 『資本論』第一巻第5章、大月版、254ページ。労働力という商品しか売ることのできない近代労働者・雇用者大衆に、その生活維持費=その労働力維持費としての正当な価値(価格)を支払い、購入した商品である労働力をその価値の再生産に要する時間を超えて決められた時間だけ使用するのは、なんら不法ではない。労働力商品の売り手・労働者とその買い手・資本・法人企業との売買は、等価交換である。

[5] A・スミスは、いろいろと混乱している部分があったとしても基本的に、「商品の交換価値の正しい規定−すなわち、商品に費やされた労働量または労働時間によるそれの規定−を固持している。・・・・生産物に含まれている労働量を・・・価値および価値規定者と解している・・・分業と改良された機械が商品の価格に及ぼす影響に関する彼の全学説は、この見解に基づいている。」(マルクス『剰余価値学説史』全集、大月版、26I、5051ページ。

 「諸商品は、一定量の労働の価値を含んでおり、われわれはそれらを、そのときに等量の労働の価値を含んでいるものと交換するのである」(スミス)というとき、正確には「一定量の労働」すなわち「一定の価値」を「そのときに等量の労働」と、したがって「等量の価値」と表現すべきであった。労働が価値の実体であり、マルクスが指摘しているように「労働の価値」は意味をなさない概念だからである。

 ともあれ、マルクスはそのことを踏まえた上で、この引用に続いて次のように言う。

「ここで強調されているのは、分業によって引き起こされた変化である。その変化とは、すなわち、富はもはやその人自身の労働の生産物のうちにではなく、この生産物が支配する他人の労働の量、すなわち、この生産物が買いうる社会的労働の量のうちに存するということ、そしてこの量は、この生産物そのものに含まれている労働の量によって規定されているということである。

 事実上、ここでいわれていることは、ただ、私の労働は社会的労働としてのみ、したがって私の労働の生産物は等量の社会的労働に対する支配としてのみ、私の富を規定するという、交換価値の概念だけである。一定量の必要労働時間(あるものの生産に社会的に必要な労働時間・・・永岑)を含む私の商品は、等しい価値を持つ他のすべての商品に対する支配、したがって他の使用価値に実現されている等量の他人の労働に対する支配を、私に与える。

 ここで強調されているのは、分業および交換価値によって引き起こされた私の労働と他人の労働との等値、言い換えれば社会的労働の等値である(私の労働、または私の商品に含まれている労働もまた、すでに社会的に規定されており、その性格を本質的に変えているということはアダムに見落とされている)」同上、57ページ。

 

[6] 詳しくは、また正確な理解のためには、『資本論』第一巻、4大月版756ページ。すなわち、「第1章 商品」の「第1節 商品の2つの要因:使用価値と価値(価値実体、価値量)」を参照されたい。

[7] 同、245ページ。

[8] 「すべての経済学者が共通に持っている欠陥は、彼らが剰余価値を、純粋に剰余価値そのものとしてではなく、利潤および地代という特殊な形態において考察していることである」マルクス『剰余価値学説史』全集、大月版、26I、7ページ。

[9] 『資本論』第一巻第5章、大月版、256ページ。

[10]労働力の価値をなにか固定したもの、一定の大きさとして理解することが、資本主義敵生産の分析をその仕事とする近代経済学にとっての基礎なのである」。経済科学の創始者=重農学派において、平均賃金、あるいは「賃金の最低限が学説の軸をなしている」。マルクス『剰余価値学説史』全集、大月版、26I、13ページ。

「A・スミスは、言及に値するすべての経済学者と同じく、重農学派から平均賃金を受けつぎ、これを賃金の自然価格と呼んでいる。

『人間は、つねに自分の労働によって生活しなければならないし、そして彼の賃金はすくなくとも彼を扶養するに足りなければならない。たいていの場合、賃金はそれより幾分か多くのものでさえなければならない。そうでなければ、彼は家族を養育することが不可能であろうし、またこのような労働者の家系は一代限りで絶えてしまうであろう』(スミス『諸国民の富』第1巻、第1篇、第8)

『剰余価値学説史』全集、大月版、26I、48ページ。

[11] 参考文献など詳しくは次ぎを見てください。http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/kogikeizaishi20010702.htm

 

[12] 『資本論』第一巻第2章 交換過程、大月版、117118ページ。

[13] 第1次世界大戦の膨大な軍事費の結果としての、そして敗戦の結果としてのヴェルサイユ体制の結果としてのドイツ国家財政の悪化は、ものすごい紙幣増発、紙幣価値下落、インフレーションを引き起こした。かばん一杯の何兆マルクという紙幣で、たったのパン1個、とか、当時日本からドイツに留学していた政府留学生などが貴重な古本などを「棚一本でいくら」で手に入れたとか、インフレ期の混乱にまつわる逸話は数多い。