更新日:03/02/24

 

T.開講にあたって

1.受験勉強時代にできなかった読書をできるだけたくさんやる。

2.多様な関心をもとに広い分野の本を読む、あるいは関心を喚起し、刺激の場とする。

3.自立的で自主的な読書習慣を身につけるための訓練をおこなう。

4.読書感想の相互交換によって、深く、あるいは多面的に本を読む習慣を身につける[i]

 

 

 



[i] 生命科学(発生細胞生物学)で細胞分裂のしくみ解明に先駆的世界的な業績をあげ、米ラスカー賞(その受賞者の多くが後にノーベル賞を獲得するという医学分野の国際的な賞)を受賞した増井禎夫(よしお)トロント大名誉教授の言を引用すれば、「論文や教科書に出てくる知識は、他人がこういうふうに解釈しなさいよ、というもの。物事は一通りの見方ではなく、人と違った読み方をする。通り一遍に読むだけではなく、事実を目の前において、どんな読み方ができるのか努力して考えなければならない」と。読売新聞科学部『日本の科学者最前線―発見と創造の証言―』中公新書・らくれ172001年、19ページ。

 

そのためには、「開放的な気風」が必要だと増井は言う。彼の仕事は、「トロントにいたからできた・・」「カナダでは、人間関係を日本流にうまくさばく能力がなくても、特殊な才能だけを伸ばすことができる」と、同国の開放的な気風が成果に結びついたことを強調(18ページ)。「開放的な気風」の重要性については、わが大学の総合理学研究科長・小川恵一先生も、米英の大学の経験から述べておられる。「日本人のものの見方の窮屈さがなぜか気に掛かる」と穏やかに。小川先生は2002123日の学長選挙で次期学長に選ばれた。(学長職の1年間の問題に関して、2003224日付記)

 

 大学における自由な雰囲気は、批判的創造的研究の不可欠の条件であるいや絶対的条件といっていいかもしれない。

 

はたして、わが大学はどうか?

 

少なくとも、かつては、「金はないが自由だけはある」との評判があった。

すなわち、現在、東京大学大学院総合文化研究科生命環境系教授・浅島誠氏は、ベルリン自由大学研究員を経て横浜市立大学助教授として赴任するに当って、横浜市立大学では、「金はないが自由だけはある。好きなように研究すればよい」とアドバイスされたというのである。実際、「成功が保証されない研究に予算はつきにくく、学生実験で使ったカエルをもらい受けて、自身の実験材料にしていた」という。(読売新聞科学部『日本の科学者最前線―発見と創造の証言―』中公新書・らくれ172001p.23ページ)涙が出るような話ではないか。

 

しかし、浅島教授は「自由」な環境だからこそであろう、「生命の神秘に魅せられて」、受精卵が分裂し、やがて手足や臓器ができあがるという「分化」の研究に没頭できた。その結果、「地道な努力は89年、ついに実を結ぶ」。15年間探しつづけてきた物質、生物の分化を導くたんぱく質「アクチビン」を特定し、オランダの国際会議で発表した。発見は世界初であった。世界的貢献をし、世界的研究者になったのだ。(同書、24ページ)

 

現在は国立大学も予算と人員の削減に連なる「独立行政法人」化で大変である。国立大学に関しては「国立大学法人」法の細目がつぎつぎと形作られている。これを横目で見ながら、公立大学も都立大学をはじめとして、その予兆にてんやわんや。

 

わが大学の不充分な研究費も、この間の財政悪化で、図書費をはじめどんどん削減されている。来年度は非常勤講師削減「一律5%」!。それだけ、学生諸君のメニューは減っていることになるのだ。

非常勤講師予算、図書予算、研究費予算など、今後ますますカットが厳しくなりそうである。それとともに、地味な研究からは研究費が削られ、「競争的」研究費とか「戦略的」研究費という名称でプールされ、基礎的な地味な、いつ成果があがるかわからないような研究はますます切り捨てられようとしている

 

「歴史研究に何の意味があるか」、「歴史なんか必要ない」といった悲しい人びとが大学にもいるとすれば、寒々しい。歴史をはじめ、地味な研究が切り捨てられる危険性がある。

「競争的」であるとはだれが判断するのか。何が本当に競争的であるのか。ファインマンの言っているように、答えのないところから議論を積み重ねなければならないのが科学というものだ。

「戦略的である」とはだれが判断するのか。

人間と社会、そして自然を歴史の大局のなかでつかむことの必要性と重要性を理解しないものに、歴史研究の重要性はわかるだろうか。

 

今の市立大学の公表された予算を見てみるといい。実益・実利と結びつかない学問分野にいったいどれだけの公費が使われているというのか?

市立大学の予算の圧倒的部分は医学部予算・大学病院予算である。高度な医療は市民に直接的に還元される。その直接的に還元され得る医学部予算が大学の圧倒的部分を占めているのである。文科系の諸学問、実利と実益に直接的には関係のないような(実益しか眼中にない人びとに対しては説明の困難な)諸学問は、予算的にどのように保障されているか? 

 

ともあれ、軽薄な視野狭窄の風潮に抗議する声を押さえる雰囲気、教養なき専門人、小役人的な形式主義、画一主義、官僚主義が横行し自由の抑圧が強まれば、すなわち自由な精神の活動を妨げる瑣末主義がはびこれば、地味な基礎的で根底的な(ラディカル)、したがって長期的世界的な見地で研究を続けている潜在能力を持った研究者はせっかくの豊かな可能性の芽を摘み取られ、精神的に摩滅させられてしまうことになる。

若若しく活発自由な精神も、いつもばかげたことで鼻ずらを引き回されていれば消耗してしまう

いつのまにか奴隷的屈辱的精神構造になってしまう。あきらめてしまう。

それでは、せっかく浅島先生のような世界的発見の可能性を持っていたものでも、それを達成することができないだろう。たんなる研究費削減、非常勤講師削減といったこと以上に、それらは重大な問題だろう。

 

自由な研究のためのもっとも大切な条件は何だろうか?

 

受講生諸君、考えてみて欲しい。

諸君が、勉強にさく時間がなく、読書をする時間がなければ、考える時間もないのではないか? 生命活動にとっても頭脳の活動にとっても、時間は決定的に重要な必要条件・前提条件ではないか。

 

まさに、われわれ大学人が直面している問題から自由な研究のための条件を一つあげれば、時間である。自由な研究時間が必要である。

雑事に振りまわされない時間、自由に思索を練る時間が必要である。

 

歴史を研究しているわたしにとっては、史料や資料を読解する時間が必要である。それは簡単なことではないし、短時間で済むことではない。

 

最先端の研究がどこまで進んでいるのかをフォローするための文献調査・読解の時間が必要である。それには、短時間の細切れの時間では十分ではない。

さまざまの議論と論争を整理して、自分なりの着眼点や問題接近・問題解明の方法を練っていく時間が必要である。古典などを読みなおす時間も必要である。専門分野の狭い文献だけではなく、ひろく科学の諸分野にも目を向けなければならない。それには精神的余裕と時間が必要である。

 

先ほど浅島教授の例を挙げたが、その意味では「金がなくても自由が必要」という場合、自由な研究時間が一番大切、ということである。

研究に没頭する時間がなく、基礎的な史資料・文献読解の時間、実験の時間などがなくては、いい研究ができないのは当然である。

 

では現在のわが大学はどうか?

私がこの大学に来たのは1996年だが、それ以来6年間に、よりよい研究条件をもとめて一体どれだけの人が他大学に移っていったか? 

市当局は深く考えているだろうか?

市民は大学の実情を知っているだろうか?

学生諸君は大学教員の置かれた事情を知っているだろうか。

 

各教員は、一体、毎日何時間、毎週何時間、生き生きとし、健康を維持しつつ、長期間研究を行える時間を持っているだろうか? 1日や2日、研究に没頭したからといって、本格的な研究が行えないことは言うまでもない。

どれだけの人が、この点を理解しているだろうか?

最近学内には、研究の本質的基礎条件を知らない人が増えてはいないか?

財政事情を理由に、研究の基本的前提を無視しようとすらする雰囲気がありはしないか? 

研究に素人のものが、深く物事を考えず、大学の真の発展ためではなくて自分の業績主義と立身出世主義、そして保身術とから、かつて末弘厳太郎著『役人学三則』(岩波現代文庫、2000年)が指摘したと同じように、威張り散らしてはいないか?

また、このような流れに流されて、研究を圧迫され、あるいは研究を止めざるをえなくなっている教員がいるのではないか?

教員たちが「忙しい」とあげている悲鳴は、熟慮されているか?

 

生き生きと創造的で、これまでの到達点を踏まえ乗り越える意味で批判的で、建設的な研究をしている教員がどれだけいるか、これが大学の価値を左右する。

最先端の問題の「神秘に魅せられ」ている研究者がどれだけいるか。

そのような研究者を保護し、育み、活性化させる手立てが積極的に講じられているか。大学の発展を本当に考えるならば、このような問題をよく見なければならないだろう。

 

他方、われわれ研究者には、自分の研究成果を教員プロフィールをはじめ、多様な形態で、社会に研究内容を提示していく必要があろう。さいわいなことに教員プロフィールを通覧すれば、どの教員がどのような研究をやっているか、今日では一目瞭然である。

 

ともあれ、集団遺伝学の世界的研究者・分子進化の「ほぼ中立説」の太田朋子氏も、本学の木原生物学研究所の研究員に採用され、研究者の道が開けた。アメリカに留学して「個人主義をしっかりまなんだ」。そして、帰国後、国立遺伝学研究所へ、と(同書、5354ページ)。