専門ゼミ(2005年度まで)の案内・概要等
まえおき
ゼミ生(少人数ゼミだが)が最近選ぶテーマで一番多いのは、ヨーロッパ統合に関するテーマである。
通貨統合の歴史、通貨安定のための財政安定の工夫、不均等な経済構造ながら模索され着々と進められている共通の環境政策など。
ヨーロッパが二つの世界大戦から学んで幾多の苦難を経て統合を一歩一歩進めてきており、その全過程から学ぶべきことは多いだろう。
最近も、EU憲法批准の国民投票で、これまで統合の中心とされてきたフランスで否決された。新聞報道などによれば、昨年のあらたな加盟国10カ国で、急膨張した拡大EUがまだ安定的に軌道にのらないうちに、次の段階の憲法が提起された、エリートと市民意識のギャップ、という問題が背景にあるようだ。広範なフランス国民の不安や危惧の意識をエリートが十分に解消しえていないということであろう。
その「なぜか」を考えていくこともおもしろいであろう。
来年度からは、新しい国際総合科学部の「ヨーロッパ社会論」の演習も持つことになるが、そこでも20世紀の前半の世界戦争の時代と、その悲劇を踏まえた平和の構築、平和的な統合、ヨーロッパ共同体の形成史と現状が中心的テーマになろう。
それは、アジアの民主的で共同体的な発展の道を模索するためのものである。
すなわち、歴史を学ぶことは、過去の経験を活かしながら、新しい社会、新しいアジア、さらに新しい地球の平和的で共同体的な発展を構築するためである。将来を構築するために、豊富な素材を歴史経験から学び取とうとするものである。
現在の日本とアジア諸国が抱えている問題は、われわれ一人一人が考えていくことを求めているのではないか?
ただし、本論で詳しく述べるように、テーマや議論の素材は、ゼミ生と相談しながら決めていく。
ゼミ生の主体性、参加意欲、興味がすべての前提となる。話し合いながら、テキストなどは決めて行きたい。
2005年度
1.4−5月『ユーロの野望』を輪読しつつ、ヨーロッパ統合について議論。
2.5−6月 統合の前提としての両大戦間期問題:拙稿「ズデーテン問題」論文、「戦後復興期」論文をテキストに議論、およびケルブレ「移民」問題論文
3.7月 4年制のゼミ論文に関する報告
2005年度:ゼミ紹介(ゼミ連フォーマット記載事項:5月25日現在)
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1.
(1) ゼミの進め方(基本方針・テーマ設定・中間報告会など)
大学の勉学は自発性・自立性・自主性・自律性を基礎とする[1]。
それは人間にとってもっとも貴重な個性的自由を大学生活において尊重するところに由来する。
自主的自発的な研究こそ、真の喜びである。その喜びを見つけられれば、すばらしい。
それは自己発見・自己発現の過程でもある。
「汝自身を知れ」
(この言葉は、ソクラテス[2]がつねに念頭に置いた言葉だが、現在にも生きる、しかし本当は非常に難しいこと、自分探しで一生が終わるという感じすらある)
各人がみずからの学問的関心、現代的問題への関心から出発し、解くべき具体的問題を探していくこと、友人たちとの議論などを糧にしながら自分自身でチャレンジしアタックする具体的な問題を発見すること、そしてそれを解いていくこと[3]、こうしたことこそ、その人自身の個性の現われであり、その全プロセスとその時々の成果の報告・結果の提出(その内容)に一人一人の生きざま、全人格が表出される。「文は人なり」
各人の興味・各人の問題関心に従い問題・テーマを選んで、史・資料文献を集め、ゼミ論・卒業論文をまとめる。
それは必ずしも簡単なことではない。暗中模索から、何かを発見し見つけ出すしかない[4]。
次々と問題関心が移ることも、おかしくはない[5]。
「大学生活全体の総括というべきものが卒業論文」(このような位置づけで、卒論のテーマの選び方、史料の選び方、書き方などを紹介した歴史科学者協議会編『卒業論文を書く』山川出版社を参照されたい)であり、それをどのように纏め上げるかにその人の個人が表現される。
提出した卒業論文はまとめて製本して研究室の保存するが、ゼミ生は後々のために自分用に一部コピーを取っておくことを薦める。
ゼミ生の関心は広く、これまでのゼミ生の選んだテーマは、古代中国から現代のアジア経済、EU統合問題まで、多岐にわたる。
ゼミ論のための中間報告会を経済史系の3ゼミで合同で4年生の夏休み明けに行う[6]。
現在の4年生は、「現在のゼミ生のページ」を見ていただければわかるように、EUの外国人労働者問題、アジア経済と日本、ドイツ参謀本部の歴史、ビスマルクの外交政策と国際関係、オスマン・トルコのバルカン支配の歴史的変遷をテーマにしている。
(2) 2、3、4年次でやること(方針など)
2年次・・・共通のテキストを輪読し、歴史研究とは何か、どのように論文を書いていくか等を学ぶ。
(参考)
これまではたとえばE.H.カーの『歴史とは何か』岩波新書、歴史科学者協議会編『卒業論文を書く』山川出版社などを取り上げた。後者の本の一節は私が執筆している。
例えば、拙著を取り上げる年もある。拙著『独ソ戦とホロコースト』日本経済評論社、2001年、ハルトムート・ケルブレ著『ひとつのヨーロッパへの道』日本経済評論社、1997年、玄田有史『仕事のなかの曖昧な不安 〜揺れる若年の現在〜』中央公論新社、2001年などを読み、議論。
3年次・・・各人が2年次の半年間に模索していたテーマについて、具体的に文献や資料の調査を行う。ゼミで毎月一回程度、その報告を行っていく。
4年次・・・夏休み明けまで各人がゼミ論準備を進め、その中間報告会を歴史系3ゼミ合同でおこない[7]、深めるべき論点、調査を進めるべき問題を確認する。
その指摘を踏まえて、1月の提出期限までにゼミ論のまとめを行う。
(3)歴史系の勉強は、直接的な意味では実社会との関係が薄いと感じられるようである。
しかし、歴史こそは人間のすべてであり、みなさん一人一人が歴史の産物であり、また歴史を多かれ少なかれ主体的に形成し、歴史を担う生きた人間・現代世界の個人である。
現在の世界の経済の動き、経営の動き、その個々の分野の動向、どれをとってもいかなる問題を取っても、歴史的見地抜きには判断できない。
卒業論文をまとめるなかで、歴史的現実的感覚、能動的主体的精神を磨いて欲しい。
EU統合と環境問題
ミュンヘン協定の歴史的再検討
ヨーロッパ統合の歴史社会学−ドイツ統一の社会史−」
「墨家の展開とその衰退の考察」
「現代日本における宗教の位置」
「日産コンツェルンの研究―なぜ日産系企業は、戦後企業集団を形成しなかったのか―」
“Hispanic
Empowerment: An example from
California”
「日本におけるウーマン・リブ運動」
「IRA服役囚による1980年からのハンガーストライキ事件に関する考察」
「ナチス政権下の言論統制とジャーナリズムの順応」
「日本におけるファシズム概念―概念・主体からのアプローチ―」
「日本の対アジア支援を考える―21世紀、日本のアジアにおける課題は何か―」
「ビスマルクの外交政策―多元的同盟協商制度による平和政策―」
「EU市民はありえるか―EU統合の歴史的背景とこれからについて―」
「南北問題の発展的解消を求めて―東アジア高度経済成長の分析から―」
「オスマン帝国とデウシルメ制―奇妙な制度の隆盛と衰退―」
「ユーロ誕生の背景と欧州各国の対応」
「ドイツ参謀本部の歴史」
「小国フィンランドの戦後史」
[1] ゼミ・コンパはその年によって、学生が「飲み会」が好きだと何回か開催。
また、合宿は、かつては毎年のようにやっていたが、最近は学生さんの要望がなく、いってはいない。「余暇の過ごし方」と同様、これも学生さんの希望次第。
[2] プラトン『ソクラテスの弁明』岩波文庫他をぜひ一読されたい。
[3] どのようなことを具体的な自分の問題として対象に選び出すか、これがその人によって違う。しかし、なんらか具体的なものを自分の対象に選び出し、時間をかけて検討する限りで、分析力と総合力、その両者を併せた理性の力を鍛錬し、身につけることになろう。その点、世界的な仕事をしたヘーゲルやゲーテの天才の言葉を聞いておこう。
ヘーゲルはゲーテを引用しながら次のように言っている。
「行為するには、あくまで性格が必要であるが、性格を持つ人とは、一定の目的を念頭に持って、それをあくまでも追求する悟性的な人である。何か偉大なことをしようとする者は、ゲーテが言っているように、自己を限定することを知らなければならない。これに反して、何でもなしたがる者は、実は何も欲しないのであり、また何も成し遂げない。
世界には、スペインの詩や化学や政治や音楽や、興味を引くものがたくさんある。これらはすべて興味あるものであって、それらに興味を持つからといって、誰もそれをとがめだてすることはできない。しかし、かぎられた境遇にある一個人として、ひとかどのことを成し遂げるためには、人は特定のことを固く守って、その力を多くの方面に分散させてはならない。」ヘーゲル『小論理学』http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=367021_1_1、上、岩波文庫、242ページ。
自分の道の発見。
自分の問題を発見していく過程で考えるべきことに関しては、参考的なことを教養ゼミのページでも触れておいた。
[4] 例えば、教科書裁判で有名なあの家永三郎氏でさえ、高校や大学への進路選択や学問分野選択で迷ったことを『一歴史学者のあゆみ』(岩波現代文庫、2003年5月・・・最初は1967年9月の「三省堂新書」)で述べている。
大学進学では、哲学科に進みたかったが、「外国語中心の学問を専攻する自信がなかったし、・・・ドイツ語をろくすっぽ勉強していなかったので私がいちばん関心をもっているドイツ哲学を専攻するなどということは、思いもよらなかった。・・・昔歴史が好きだったからという惰性にしがみついた一面、これもだめ、あれもだめで国史ぐらいならできるだろうという、いわば窮余のあげくの志願」で、東京帝国大学文学部国史学科を第1志望としたという。(同、86‐87ページ)
その国史学科でも、「一方では国史学という学問そのものに対する興味の欠如、他方には国史学界のなかで大きな勢力を占めている平泉イデオロギーの重圧、この二つの内外両事情によって、私は大学の3年間を苦渋にみちた気持ちで過ごさざるを得なかった。私はただ何とか合格点をつけてもらえるような卒業論文を書いて、早く大学を脱出したい、どうせ私のような能力のないものが学究になれるはずもないから、最低限生計の立つ職業について、あとは自分の好きな本でも読んで暮すよりほかあるまいといった、ほとんど自暴自棄の心境になっていた」(同、100ページ)と。
展開は、修学旅行から!
「とにかく一応国史学を本気でやってみようという気持ちを起こさせてくれたのは、国史学科で例年行われている関西旅行であった。・・・昭和十年十二月、寒い最中ではあったが、1週間にわたり連日数々の古美術の傑作に接しつづけていく関西旅行は本当に楽しかった。私の生涯を顧みて、この1週間くらい楽しい日々を送ったことはないといっていいかもしれない」と(101ページ)。
やはり、本当に楽しいことを見つけると、やる気が起きてくる、ということで、これはきわめて重要な自己発見の方法だろう。
「いま一つ、私に研究の目標を与えてくれたのは『上宮聖徳法王帝説』のなかにでてくる聖徳太子の「世間虚仮、唯仏是真」という言葉であった。私はこの言葉の故のみに、聖徳太子という思想家に心をひかれるようになった。聖徳太子と壬申の乱、この二つを焦点として、私の卒業論文のテーマが決定されたのである」と(102ページ)。
貴重な示唆を与えてくれるものではないか?
「哲学と『理論』とのとりことなって事実に興味を失ってしまった私は、国史学科を卒業するからには、歴史の論文を書かないわけにはいかなくなったが、自分の関心を活かそうとするならば、いちばん哲学と接近した領域である思想史をやるほかあるまいと思っていた。そして、実際今日まで思想史をひたすら学びつづける結果となったのである」と。
(102ページ)
[5] 家永三郎『一歴史学者の歩み』(岩波現代文庫、2003年)によれば、
「病身の私はいつまでも生きのびられるかの自信がなかったし、やがて日中戦争から米英との戦争へというふうに、戦争が激化していって、たとい病気で死なないにしても、いつ戦争で生命を失うかはかりがたい境遇にあったので、できるだけ短期間のうちにできあがった分だけを活字として客体形象化しておけば、私のようなつまらぬ人間でもこの世に生まれてきたことがまったく無意味でなかったことになるのではないか、という気持ちが強かったからである。いわば、私は研究生活の出発点から、つねに死を見つめつつ、1日でも生命のある間に、たとい未熟でも、客観的な形で仕事を残しておきたいという心境をいだき続けてきたのである。有名な「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌に表現されているのと同様の無常観が、私の学問研究の態度を決定してしまったのであった。」(116‐117ページ)
「私の研究テーマは、・・・次から次へと変わっている。・・・・無能な私は、一つのテーマを追っていてもすぐに壁に行き当たり、それ以上に問題を深く掘り進める目標が立たなくなってしまうので、仕方なくテーマを転換させることで行き詰まりから脱却するほかないという理由による・・・・」(118ページ)
[6] 例年9月最後の土曜日(人数が多い場合には日曜日も続け、2日間にわたる)に行っている。4年生にとって,一つの試練のときである。この試練をどのように乗り越えるか、これが卒論の質と量を大きく左右する。
昨年度(2002年度)は、経済史関係ゼミの4年生が少なく、合同の中間報告会は開催されなかった。
今後も、経済史関係ゼミの4年生の数などによって、合同報告会となるか、それぞれのゼミのなかでの報告会となるか、事情変更はありうる。
[7] この中間報告会は、二〇〇二年度は事情により実施しなかった。4年制の状況などにより、開催されない場合もある。