講義メモ(20040310ff.)

更新日:04/04/02

歴史学は役に立つのか?

経済史・経営史は役に立つのか?

社会史とは何か?

 

人間と地図―大塚久雄「地図―軽井沢随想―」

 

『歴史学ってなんだ?』小田中直樹(PHP新書2862004)を手がかりに

 

参考文献

歴史を見る目、歴史をめぐる論争 

1.    『知識人とは何か』(叢書名:平凡社ライブラリー)E.W.サイード(大橋 洋一訳)平凡社1998.03  

2.    『科学論入門』(叢書名:岩波新書)佐々木力:岩波書店1996.08  

3.    『全体を見る眼と歴史家たち』(叢書名:平凡社ライブラリ−)二宮宏之:平凡社1995.11  

4.    『歴史のための闘い』(叢書名:平凡社ライブラリ−)リュシアン・フェ−ヴル(長谷川輝夫訳):平凡社1995.06 

5.    『イメ−ジを読む〜美術史入門〜』(叢書名:ちくまプリマ−ブックス)若桑みどり:筑摩書房1993.01

6.    『絵画を読む〜イコノロジー入門〜』(叢書名:NHKブックス)若桑 みどり:日本放送出版協会1993.08   

7.    『はじめての哲学史〜強く深く考えるために〜』(叢書名:有斐閣アルマ)竹田 青嗣・西 研:有斐閣1998.06  

8.    『太平洋戦争と歴史学』(叢書名:歴史文化ライブラリー)阿部 猛:吉川弘文館1999.10

9.    『従軍慰安婦』(叢書名:岩波新書)吉見義明:岩波書店1995

10.  『オーラル・ヒストリー〜現代史のための口述記録〜』(叢書名:中公新書)御厨 貴:中央公論新社2002.04 

 

古代・中世・近世 

11.  『ローマ五賢帝〜「輝ける世紀」の虚像と実像〜』(叢書名:講談社現代新書)南川 高志:講談社1998.01

12.  『ローマ人の愛と性』(叢書名:講談社現代新書)本村 凌二:講談社1999.11

13.  『漢帝国と辺境社会〜長城の風景〜』(叢書名:中公新書)籾山 明:中央公論新社1999.04

14.  『中世農民の世界〜甦るプリュム修道院所領明細帳〜』(叢書名:世界歴史選書)森本 芳樹:岩波書店2003.02

15.  『シエナ〜夢見るゴシック都市〜』(叢書名:中公新書)池上 俊一:中央公論新社 2001.

16.  『魔女と聖女 〜ヨ−ロッパ中・近世の女たち〜』(叢書名:講談社現代新書)池上俊一:講談社 1992.11 

17.  『帰ってきたマルタン・ゲ−ル〜16世紀フランスのにせ亭主騒動〜』(叢書名:平凡社ライブラリ−)ナタリ−・ゼ−モン・デ−ヴィス(成瀬駒男訳):平凡社1993.12   

 

近代資本主義世界と市民社会

18.  『フランス革命〜歴史における劇薬〜』(叢書名:岩波ジュニア新書)遅塚 忠躬:岩波書店1997.12  

19.   路地裏の大英帝国〜イギリス都市生活史〜』(叢書名:平凡社ライブラリー)角山 栄、川北 稔:平凡社2001.02

20.  『茶の世界史〜緑茶の文化と紅茶の社会〜』(叢書名:中公新書)角山 栄:中央公論新社1999.02  

21.  『青きドナウの乱痴気〜ウィ−ン1848年〜』(叢書名:平凡社ライブラリ−)良知力:平凡社1993.10 

22.  『歴史人口学で見た日本』(叢書名:文春新書)速水 融:文芸春秋2001.10   

23.  『日本の近代化と民衆思想』(叢書名:平凡社ライブラリー)安丸 良夫:平凡社1999.10  

24.  『新書アフリカ史』(叢書名:講談社現代新書)宮本 正興・松田 素二:講談社1997.07  

 

グローバル化・ナショナリズムと日本の経営

25.  『経営と国境』伊丹 敬之 白桃書房 2004.    

26.  『人本主義企業〜変わる経営変わらぬ原理〜』(叢書名:日経ビジネス人文庫)伊丹 敬之:日本経済新聞社 2002.03  

27.  『理戦73〜明日のナショナリズム〜』(叢書名:季刊 理戦)小熊 英二・高橋 哲哉:実践社2003.07  

28.  『〈癒し〉のナショナリズム 〜草の根保守運動の実証研究〜』小熊 英二著・上野 陽子著:慶應義塾大学出版会2003.05

   

『ためらいの倫理学〜戦争・性・物語〜』(叢書名:角川文庫)内田 樹:角川書店 2003

『映画の構造分析〜ハリウッド映画で学べる現代思想〜』内田 樹、晶文社、2003.06

『寝ながら学べる構造主義』(叢書名:文春新書)内田 樹:文芸春秋 2002.06 

『教養としての〈まんが・アニメ〉』(叢書名:講談社現代新書)大塚 英志:講談社2001.05  

『J−POP進化論〜「ヨサホイ節」から「Automatic」へ〜』(叢書名:平凡社新書)佐藤 良明:平凡社1999.05 

 

 

小田中直樹『歴史学ってなんだ?』を読みながら考えたこと:進行中の大学「改革」問題との関連が去来

 

--------研究室日誌http://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~keizaisi/SaishinNisshi.htm----

200438(3) 東北大学大学院経済学研究科の小田中直樹氏の近著『歴史学ってなんだ?』PHP新書、20042月刊を読む。「パパ、歴史は何の役に立つの?」(マルク・ブロック『歴史のための弁明』序文冒頭)の問いかけではじまる興味深い本である[1]。大学「改革」問題との関連で、独立行政法人化(国立大学法人化)で権力が強くなる学長室の会話は、都知事・行政当局が先頭に立って人文系に大鉈を振るう[2]都立大学の現実が示すように、絵空事ではなく、また本学にとっても決して他所ごとではない[3]。同書、1819ページで想定された「ある大学の学長室で」には、つぎのような想定問答が書かれている。

 

シーンBある大学の学長室で  

「学長、少子化の影響と教育の規制緩和を受けて、いよいよわが大学も受験生の激減[4]が予想されるようになりました。このままではやってゆけませんから、一般企業と同じくリストラが必要です。どこから手をつけましょうか」

「きみの懸念はわかります、副学長。大学の使命は社会の役に立つことですから、それを基準に考えればよいでしょう。いちばん社会の役に立ちそうもない学問といったらなんですか?」

「難しい質問ですが、歴史はその一つでしょうね。」

「では、まず文学部の歴史学科をリストラしましょう。」

「そう言えば、文学部以外にも、経済学部の経済史、法学部の法制史や政治史、教育学部の教育史、理学部の科学史や技術史など、歴史を教えている学科があります。」

「そうか、それではこの際、ついでに全部リストラしてしまいましょう。まさか財界や役所は反対しないでしょうね[5]

「ご冗談でしょう」(大笑いし合う二人)

 

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200438(4) 「歴史学など必要ない」という主張(リストラの主張[6])と同じく、数学という基礎的な学問のリストラがまかり通ろうとしていることに対して、数学の利用者である工学分野の研究者のメッセージが、総合理学研究科・佐藤真彦教授HPで公開されている。数学界の声明に呼応した、数学利用の諸分野の人々による連帯の運動も重要だと感じる。近代科学は数学なくしては発展しないのではないか? 数学の発展と科学の発展は大局的に見て平行的螺旋的なものではないか? すくなくとも、古典的名著E.T.ベル著(田中 勇,銀林 浩訳)『数学をつくった人びと』3分冊(いまや文庫化された)を読むだけでも、そのスリリングな大局的関係は感じ取ることができる。

まさに近代科学の言葉(言語)にあたるのが数学ではないか?言葉の訓練のない社会認識や歴史認識、言葉による論理的認識を欠如した社会科学や人文科学は考えられるか? 本学の歴史関係はどうか? 数学や歴史がきらいな人々が「大学改革推進本部」「コース等検討委員会」を牛耳ったらどうなるか? 恐るべきことではある。

歴史(学)は古来、諸学問のなかでももっとも重要な学問として、帝王学においても枢要な位置を占めていた。民主主義社会の現代世界の「帝王」は、世界の諸個人そのもの(その集合体)だとすれば、まさに現代においては、世界の圧倒的に多くの人々にとって、鏡としての歴史(歴史学)は枢要な学問ではないか? 

鏡がなければ日常生活に困ることはだれでも直ちにわかる。社会生活では歴史認識・歴史的思考力(古今東西の多様な鏡とその本質的に重要なことを知り、そのそれぞれの鏡の使い方を身につけていること)がなければどうなるか。受験勉強的歴史が苦手[7]だった人々が、「歴史」離れ(歴史憎悪?)をして、「大学改革推進本部」(行政の組織)やその行政組織の下に置かれた「コース等検討委員会」(その下部組織も含めて)を牛耳っていないことを望む。「大学改革推進本部」(行政の組織)の議論は密室審議であって、どこまで何を議論しているのかわからないだけに、疑念は強くなる。  

 

 

 



[1] 小田中氏は、「大きな物語」は消滅した、ということ、すくなくとも、「社会革命重視論と経済的基底還元論を特徴とする解釈」としての歴史学の立場である「マルクス主義歴史学」なるものは採用しないようである。坂本義和を引用しつつ、「ぼくらは相対化の時代に生きている、らしい」と。同、47ページ。

この点で一言コメントしておけば、そもそも「マルクス主義歴史学」は、「社会革命重視論」と「経済的規定還元論」と同じなのかが疑問になる。またこの関連で、いつも想起するのは、マルクスが言ったという言葉、すなわち「私はマルクス主義者ではない」という言葉のことである。キリストはたぶん多くのキリスト教信者の言動を見て「私はキリスト者ではない」といったであろう。同様のことは、宗教や世界的な学説を作り上げた人とその信者・弟子・追随者などとの相互関係において無数の実例があろう。マルクスの書いた著作や論文自体をどれだけの人が今日読んでいるのであろうか? キリストについても、ソクラテスについても、ルター等々についてもそうであろう。マルクスについてかかれたこと、マルクスに関する他人の評価は多くの人が耳学問をしたり読んだりしても、マルクス本人の諸著作それ自体を自分の頭で現実に照らし合わせて読むという作業をどれだけの人がやっているのであろう? 

 それはともあれ、わたしは、世界の民主主義化、世界の文明化、世界の科学技術と人間・人類の労働の生産力、生産諸力の発達という意味の大きな流れ、それに対応する世界の普遍的交通の進化=深化、それに対応しつつ生起する世界の社会形態の変化(世界の人々がますます市場経済化に巻きこまれ、グローバル化の影響を受け、生活形態が変化し、近代化し、世界と結びつきを強めている厳然たる事実)は、今日ますます太い流れとして貫徹していると見ている。まさに最近十数年の現象としてITネットワークの世界的なこの驚異的な発達、携帯電話の世界的普及その他、人類史上いまだかつてなかった日本と世界の人々との交流の進化・深化・拡大は厳然たる事実である。

こうした大量的で世界の圧倒的な多数の人々を巻き込む発展・展開には法則性がまぎれもなく貫徹している。

日本社会の一〇〇年前と現在とは、人間関係・社会関係・産業構造がはっきりと変化している。都市化、産業構造の高度化(第三次産業の割合の傾向的上昇など)は、世界全地域を通じて大局的に貫徹している。

 それは、単純な楽観的進歩史観ではなく、人類の生産諸力・科学技術の発達が地球自体・地球環境自体(したがって人類の基礎的生存条件)を破壊するにまで達していること、その危険の科学認識までを包摂する認識である。フクヤマのいう「歴史の終わり」ではなく、現在の世界の「リベラルな民主主義」が、じつは「リベラルと民主主義」の存立自体を危険に晒し壊滅させる危機要因を蓄積し、核戦争の危機などをもたらすという問題に直面している。これは、先日リンクをはって紹介したペンタゴンの秘密報告書の重みを感じる視点でもある。ペンタゴンの警告「温暖化はテロより危険」 [224,国際問題]辻下氏のHPから引用。

ペンタゴン秘密報告の翻訳は、TUP速報261号 温暖化はテロより危険(04年2月23日)。

この記事を読み直しに行って、チャルマーズ・ジョンソンの記事に目が留まった。『チャルマーズ・ジョンソン、帝国の治外法権を語る』[TUP速報]246号 地球を覆う米軍基地戦略 2004年1月28日

 チャルマーズ・ジョンソンの『アメリカ帝国への報復』(邦訳20006月、集英社)は、911のテロを予言するかのような興味深い書物であるが、その著者の分析は現代世界を見る重要な視点を提供している。

 チャルマーズ・ジョンソンと違うが、世界銀行も、テロの背景にある世界の貧困問題に対して先進諸国へ警告・勧告を続けている。最近の世界銀行のニュース(World Bank Weekly Web Update, March 8. 2004)よれば、ハーバード大学のJeffrey Sachs(国連特別顧問special advisor)は、先進諸国に開発援助資金提供の約束を厳守するように促した。

 

Rich Countries Should Fulfill Their Financing Pledges
Jeffrey Sachs, Harvard University economist and special advisor to the
UN's secretary general, urged rich countries to deliver on their promises
of financing for development during a speech at the Bank's annual learning
and knowledge-sharing event on Sustainable Development. "The United
States, Europe and Japan are not fulfilling their financing pledges, and
it's time for them to realize that without that support, countries in the
developing world are not going to lift their people out from poverty, "
Sachs told an audience at ESSD Week 2004. He emphasized that lack of
governance and corruption in developing countries cannot be used as an
excuse "for not delivering on the promises made." After criticizing
increases in military spending by some rich countries
, in detriment of aid
flows, Sachs stressed that "if we get serious, we can achieve the
Millennium Development Goals in every country by 2015, especially the
overarching one on halving the number of people living in extreme
poverty."
http://web.worldbank.org/WBSITE/EXTERNAL/NEWS/0,,contentMDK:20170566~menuPK:34457~pagePK:34370~piPK:34424~theSitePK:4607,00.html

 

[2] これにたいし、身近なところで、たとえば、東大の石田さんたちは学際的なプロジェクトとして、「日本学術振興会 人文・社会科学振興のためのプロジェクト事業領域U 平和構築のための知の再編 ジェノサイド研究の展開」を得て、相当広範囲なジェノサイド研究を展開しようとしている。

多分野・多ディシプリンの関連する分野の研究者をばっさり削減しては、とうていこうした学際的な研究はできなくなる。専門的蛸壺を排して、諸専門の協力による学際的な研究こそが求められる21世紀において、人文系をばっさり削減する理念なき「都市教養学部」において、それが不可能にされるという現実をどうすればいいのか?

 

[3] 「こんなに簡単に学科のリストラを進めることができる大学や、学長にこんな権限がある大学は、たぶんないでしょう」とあるが、都立大学の事例は、その反証ではなかろうか?

また本学における「大学改革推進本部」のコース設定作業が秘密であるため全体像が判明しないが、たとえば、総合経営学府は歴史系の基幹科目(これまでは商学部においてたとえば経済史が基幹科目であったが)を必要としないようなカリキュラム設定になる可能性もある。そうなれば、まさに、この想定シーンそのものであろう。笑い話ではなくなろう。

 

[4] 本学の場合、現在のように不透明な年でも(すなわち学部やコースが一体どうなるのか不明な状態でも)受験生はそんなに減ってはいない。商学部の場合、一般入試前期は、一昨年と同じくらいの受験者数である。

 

[5] これも笑い話ではなく、新聞記事によれば、石原都知事の人文系切捨ての都立4大学改革に経団連会長をはじめとする石原人脈の財界のお歴々がクラブを組織し、エールを送っている。

 

[6] リベラルアーツ重視とどう整合するのかはわからない。

 

[7] これはむしろ普通のことだろう。受験競争という土俵で歴史を学ぶことがもたらす弊害(面白みがなく、人間や社会の深い理解よりも暗記に偏しがちな弊害)が蔓延しているということだろう。

 ただ、高校の世界史は、目的としては、たとえば「世界史Aは、『学習指導要領』によれば、現代世界の形成の歴史的過程について、近現代史を中心に理解させ、世界諸国相互の関連を多角的に考察させることによって、歴史的思考力を培い国際社会に生きる日本人としての自覚と資質を養う」ことを目的としている。(小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年、135ページより引用)

 まさに、これがそのとおりに実現できるならば、すばらしいことであるし、世界史の勉強は面白く有意義で、楽しくなるであろう。そして、ためになり、面白く、国際社会で生きていくうえで必要だとわかれば、その存在価値は大きいものであろう。

 大学の国際教養の科目として歴史系の諸科目が基幹的なものとしてあるのは重要だということになろう。