2005年9月執筆(20060104更新)
ホロコーストの事実・論理・力学と
人類の世界史的到達点の事実・論理・力学
ホロコーストはなぜ遂行されたのか?
実行主体・勢力の論理は何か?
責任主体の範囲は?
民衆の論理は?
ドイツ国民(民族)の状態は?
ドイツに占領された諸地域の人々の状態は?
実行主体・勢力の論理は、ヨーロッパと世界の人類の到達点とどのように関係していたか?
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問題の視角:
第二次世界大戦終結60周年の今年、たくさんの記念行事や回顧のテレビ番組があった。それらの企画の背景には、歴史の風化や忘却に抗し、第二次世界大戦の意味を考え、21世紀の世界平和・地球の平和と安全と考える問題意識が見受けられた。
まさに、20世紀、とりわけその前半の世界戦争・革命の時代とその帰結としての世紀後半の冷戦体制の時代の世界史を、冷戦体制崩壊後の現時点で、人類の今日的到達点に立って見据えて行く作業は、現代の歴史研究の課題である。
その観点からするとき、ホロコーストに関して世に広く行われている捉え方は、まだ、ホロコーストの事実の再確認というレベルに留まっているように思われる。ホロコーストが二つの世界大戦と世界人類の歴史的到達点の総体の中で、適切に位置付けられてはいない。
欧米と日本のホロコーストの歴史的検証は、大きな課題に直面しているといわなければならない。
8月17日から20日まで5回シリーズ(19日に2本放送)で、BBC製作の『アウシュヴィッツ』が放映されはじめた。それは、アウシュビッツの機能転換を冷徹に見据えつつ、大量殺害マシーンのメカニズムを明らかにしている。欧米の歴史研究を踏まえた優れた番組である。
だが、アウシュヴィッツは、番組でもときおり示唆されているように、独ソ戦の展開と関連して、機能転換して行ったのである。
アウシュヴィッツの機能・位置づけ・意味の変化は、独ソ戦の推移、ヨーロッパ戦争から世界戦争への推移の脈絡(地域的戦争が2大陣営の世界戦争に転化し世界戦争の死闘が繰り広げられる文脈中)に位置づけてはじめて、内在的理解が可能となる。
そうした方法的問題を提起したのが、拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941−1942』同文舘、1994年である。
これに対する批判と欧米の研究動向を踏まえた研究が拙著『独ソ戦とホロコースト』日本経済評論社、2001年であった。
さらにその方法的問題を「ヒトラー命令」の発令時期を巡る欧米と日本の論争史を批判的に検討し、自説の資料的根拠を点検しなおして練り直したのが、拙著『ホロコーストの力学−独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法−』青木書店、2003年である。
しかし、こうした方法的スタンスは、筆者のもっともも初期のヒトラーの思想構造の研究(科研費研究の成果報告書の1982年の出版物に発表)で、当時の研究史との格闘、暗中模索の中から打ち出した方法であった。そして、その後の第三帝国に関わる諸問題の実証研究の中で一貫して追求してきたものである。
そして、ホロコーストを戦時下の厳しい戦争政策と国家的統合の諸条件の展開で見るべきこと(視角・方法的スタンス)は、この論文の前提となった科研費報告書(1980年)で示しておいた。
こうしたこれまでの研究の経過と到達点を総括する意味で、講義を行ってみたい。