経済史B 講義ノート20051115


1.2005年度商学部特別セミナー(東大教授・小野塚知二氏:11月29日の経済史Bの時間):案内コピーの配布


2.永岑研究室HPの「経済史」関連HPへのアクセス:   
  @アドレスを直接入力するやり方:研究室HPアドレス:                 http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/
   
    上の研究室HPアドレスから、「経済史」のページ→「講義メモ・資料・ミニテスト補足説明等のリスト」のページ
  
  A市立大学HP「在学生の方へ」「商学部」→教員情報「経済学科」→「私の名前」、の順序でクリック。




3.前回(ロシアの工業化)説明の補足
  (1)ロシア現代史における重要人物アンケート(革命記念日アンケート・「朝日新聞」記事)


   ロシアにおける革命は、日露戦争敗北時(1905年)、そして、第一次大戦(1917年3月、11月)の終末期に発生した。
   戦争の悲惨(大量の戦死者、飢餓など)と革命とが関連していた。
   今日のロシアにおいても、そうした現在ロシア人の生活の状態を反映した人気順位となっているようである。



     冷戦解体・ベルリンの壁解体・ソ連解体で大きな役割を果たした人物、現在、まだ活躍中で、この間に来日したゴルバチョフ(ノーベル平和賞受賞)などは、後世からどのように評価されるであろうか?




  (2)資本主義大企業における労働者階級の増加、および、ロシア社会の階級構成
      






-------------------19世紀における不均等発展の諸相--------------------


以下、cf.『新版 西洋経済史』



「世界の工場」イギリスの栄光と相対的地位の低下


1810年時点ですでに、綿製品が毛織物製品を上回る。
 イギリス産業革命を主導した綿工業の重み。





紡績業の生産性の上昇

    生産高・・・・9倍
    紡錘数・・・・4.3倍

    労働者数は・・・・2.3倍程度

織布業の生産性の上昇

    生産高・・・・8倍強
    稼動織機・・・・1.6倍強
  それにたいして
    労働者数は・・・・・減少。
 





イギリスは、1830年代にすでに典型的工業国家に。
     すなわち、輸入は、食糧と原料が圧倒的割合。
            輸出は、工業製品が圧倒的割合。
               







輸出品の構成・・・綿製品、そして要望製品、ついで、鉄鋼製品など。






イギリスの輸出圧力はどこへ向かうか?

  1820年代から40年代において、決定的に転換し、60年代、80年代と強まる傾向は?(下の表17-5参照)


一方で、
イギリスの工業製品輸出の圧力に屈しないで産業革命を達成した諸国における綿工業の確立・発展

従って、他方で、
   イギリスの輸出先は、しだいに、低開発諸国、モノカルチャー諸国へ。




原料・食糧輸入国としてのイギリス








-------------------------------新興諸国の追い上げ:二つのタイプ------------------------------


アメリカの産業発展、綿工業発展
・・・・南北戦争を契機に、イギリスの原綿輸入は、インドなどへ重点移動








アメリカ・・・・国内市場拡大型工業発展
工業製品に関する広大な国内市場
輸出はこの時期には、原料中心。








ドイツ
  国内市場の相対的狭隘性
 工業製品の輸出依存度の高さ





-----------------先進工業国の発展で経済発展がゆがめられる諸国------------------------

イギリス綿業、イギリス工業の圧力の下、その競争に打撃を受け、在来産業が壊滅する地域
  ・・・モノカルチャー型経済


ブラジル・・「コーヒー経済」
インド・・・「インド織布工の骨は、インドの平野を白くしている」・・・植民地農業国への転化





ガンジーやアマルティア・センの自立的経済発展の主張と植民地・従属国からの脱却。

 その達成は、長い苦難の時期の後、第二j大戦後になって。
 すなわち、世界的に植民地支配、帝国主義支配が、否定される歴史的発展のなかで。