21世紀の現在だから見えること、
     21世紀の日本だから見えてくること。


 「ホロコースト」という世界史的に巨大な険しい山を何合目までか分からないが、世界のたくさんの研究者がよじ登り、道を切り開いてきた。

 そのたくさんの研究成果の恩恵に浴しつつ、ときに道に迷い、小石に躓き、険阻な岩にまわりみちをよぎなくされながらも、私も少しずつ岩場を上ってきた。

 その現時点での目線・地平・視線・視野で見えてきたことはなにか。 
 
 冷戦解体とグローバル化の進展など、世界の人びとのあらゆる意味での
努力と血の結晶としての今日の到達点で見えることはなにか。

 主観的には、今日の世界平和を喜び、享受し、今日の日本と世界の自由と民主主義の強靭化・再構築・進化発展をめざす見地。



  
粗雑なナショナリズム、この危険な要因は、芽のうちに摘み取る。

 排外主義の病原菌に対しては、それが蔓延しないように、歴史を直視し、悲劇をできるだけ正確に理解して、感染しないような抵抗力を付ける。



戦後60年間の信頼されるドイツの構築は、ドイツ国民の自由と民主主義の再構築と建設の努力、福祉国家建設の努力、そして「過去の克服」の不断の闘いとその成功による。

 しかし、ドイツ人だけの努力ではなく
ヨーロッパの広範な人々の相互的な建設的努力によって、さらには世界の人々・諸国家の努力とあいまって−



 
ドイツ人の名誉のために・・・ヒトラー政権誕生後の33年3月選挙でも、非ナチ党(カトリック中央党など)と反ヒトラー・反ナチ党の政党(ドイツ社会民主党・ドイツ共産党など)に、国民の過半数が投票していた。

 ドイツ国民が諸政党の存在とそれらへの選挙権をもっていたかぎりにおいては(ワイマール憲法体制が何とか維持された間は)、ドイツ人は、
ナチ党に過半数を与えなかった。



 
だからこそ、ヒトラーはナチ党以外をなんとしてでもつぶしたかった。手段を選ばなかった。すなわち法律違反のこと、犯罪行為をヒトラー、ゲッベルスなど最高指導部が企画し、命じ、SAやSSに実行させた(国会炎上事件)。


 ヒトラー・ナチ党は、強制的な一党体制にむけて、ドイツ共産党、ドイツ社会民主党、労働組合などをつぶしていった。

 また、ワイマール憲法を根底から破壊する全権委任法を成立させた。

 1933年7月に法律の国家試験に合格してプロイセン当局(警察、政治警察、秘密国家警察ゲシュタポ)につとめることになったギゼヴィウスのニュルンベルク裁判における証言を参照。