ホロコースト犠牲者数の統計(国別)
大量虐殺(殺戮)によるユダヤ人の犠牲者数(下記専門研究書では)
総数で、5,596,029人(約560万人)から5,860,129人(約590万人)
このうち、6つの絶滅収容所(立地の地図)で、下記統計によれば、合計296万−298万人
そのうちわけ
ヘウムノ(クルムホーフ)・・・・・・・152,000
ベウゼッツ・・・・・・・・・・・・・・・・・・600,000
ソビボール・・・・・・・・・・・・・・・・・・250,000
アウシュヴィッツ・ビルケナウ・・・1,000,000
トレブリンカ・・・・・・・・・・・・・・・・・・900,000
マイダネク・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60,000−80,000
拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆1941−1942』同文舘、1994年, 109ページより。
『ナチズム・エンサイクロペディア』によれば、
6つの絶滅収容所で殺害されたユダヤ人の数は?
ヘウムノ+ベウゼッツ+ソビボール+トレブリンカ+アウシュヴィッツ・ビルケナウ+マイダネク
152,000 +600,000 +250,000 +900,000 +1,000,000~1,500,000 + 60,000~80,000
=合計296万2000人~348万2000人
(アウシュヴィッツ・ビルケナウで殺害されたユダヤ人の数が、100万から150万の間、となっている点で、最初に述べている数字と違っている)
補足説明:証拠文書
最初の大量殺戮はソ連で(独ソ戦の開始以降)
ソ連の場合、1941年6月以降、アインザッツグルッペ(治安警察・保安部の特別出動部隊)による射殺がはじまり、41年8月以降急激にその犠牲者が増えるが、ポーランドに設置された「絶滅収容所」への移送によるものとは区別しなければならない。(たとえば、重要な一次史料:リトアニアで活動したアインザッツグルッペAのイエーガー報告書、参照)
1942年1月時点(『ヴァンゼー会議』時点)で、それぞれの地域・国にどれだけのユダヤ人が生存していたか、を確認しておく必要がある。
第三帝国による本格的なガス殺開始、すなわちポーランドをはじめ、その他の地域からの「絶滅収容所」への移送(絶滅政策の始動・実行)は1942年春以降である。
---------ホロコースト進展の途中経過に関する重要な一次史料--------
ヒムラー、ヒトラーは、「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終解決」がどこまで達成できたか、戦時中に、統計報告を出させていた。
「ヨーロッパ・ユダヤ人問題の最終解決−統計報告」(1942年12月末までの「成果」を1943年はじめに)