「世界史A」(三省堂、2002年検定済、2006年4刷)






強制収容所・・・注4・・「はじめは政治犯や反対勢力の収容がおもな目的だったが、戦争末期にはユダヤ人や「ジプシー」の絶滅をおもな目的とした(→p.157)



















「ヒトラーは、ユダヤ人の排斥をうったえ、1935年にユダヤ人の市民的権利を剥奪し、さらにユダヤ人を根だやしにする政策をすすめた。戦争が開始されると、
アウシュヴィッツ収容所などの強制収容所をつくり、そこで殺害されたユダヤ人は500-600万にたっするといわれている。」


[永岑・注・・・この教科書の叙述の「そこで」というのは、文脈からすれば、「強制収容所で」ということになる。

しかし、500万-600万人という数字はユダヤ人の犠牲の総数(最近では600万というのが普通)である。

アウシュヴィッツをはじめとする「強制収容所」(6つのいわゆる絶滅収容所)で殺された数は、多くても約400万人というのが現在の研究の到達点であろう。(研究の到達点からすれば、約300万人から約350万人の間、『ナチズム・エンサイクロペディア』)

 ユダヤ人の犠牲者は、ソ連における最初の半年間だけでの射殺数50万人をはじめ、強制収容所以外の場所での殺害もあわせると200万人近くになるとされるからである。
 たとえば、拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』同文舘、1994年を参照されたい。]