20100825-0902フライブルク出張
 
 
科研費・基盤研究(A)・研究代表:明治大学横井勝彦教授「軍縮と軍拡・武器移転の総合的歴史研究」の分担研究:
 「ホロコーストの力学と原爆開発」の史料収集

 ミュンヘンのドイツ博物館のアルヒーフベルリンのマックス・プランク協会のアルヒーフについで、フライブルク軍事文書館の調査。

 今回は短期であり、集中的に軍事文書館のぼう大な史料の中の
陸軍兵器局Heereswaffenamt(RH8)関係の、見ることができたのはごく一部、その関連文書。

 執筆中の論文(科研費共同研究のグループで出版予定の論文集(仮題)『軍拡構造300年の世界経済史』のひとつの章を担当)のための史料追加・補充。

 4月からの閲覧室改修工事が7月末には終わっているはずが、8月の下旬になってもまだ終わっていなくて、文書館の高層ビルの3階の臨時閲覧室での作業となり、日によっては非常に込んだ。

 それでも何とか、当初見当をつけていた文書は見ることができ、ナチス・ドイツの原子力開発が理論的研究と初歩的実験段階に終わったこと、その要因群のいくつかを確認する史料をみることができた。

 逆にいえば、
陸軍兵器局Heereswaffenamt(RH8)のぼう大な史料を検索書Findbuchを頼りに探してみたが、実際的な原爆開発の史料は見つからなかった。(今後、機会があれば、再度、調査のつもり)

 総力戦に突入し、東西南北に戦線が広がるような状況、全ヨーロッパの軍事的支配と全ヨーロッパおよびアメリカの反ナチス・ドイツの闘いに直面して、ドイツには人的物的諸資源が不足し、ナチ政権としては莫大な資金・物的人的資源を投じての何年もかかるプロジェクトにまですすめなかった、短期間に「年度内に」、結果が出でる計画しか認められなかった、というのが実情である。

 ナチス・ドイツに対する全世界のさまざまのニュアンス・レヴェルの民主主義的勢力・反ファシズム勢力の闘いが、ドイツの原子力開発・原爆開発を阻止したことが分かる。


 滞在中のホットなニュースは、まさに、原子力にかかわるものであった。
 
 2030年までにドイツは原子力発電
廃棄することを決定しているが、はたしてそれが実現できるのかどうか、その実現のためには何が開発されなければならず、どれだけのコストがかかるのか。

 これに関する専門家に対する諮問結果が出て、その評価・政策への組み込みが論争点となっている。

 経済省は20年ていどの原子力発電廃止の延長を主張し、環境省は8年程度の延期を主張する。それに対して、メルケル首相は中間の12年から15年の延長やむなしとする。
 こうした現政府(保守・中道)の態度に対して、野党(緑の党、SPDの左派、左翼党Linke)はもちろん激しく批判する。

 日本でも、潜在的に非常に広く深く、原子力発電に対する不安がある。それを反映して、原子炉の設置場所は人里離れた場所にある。
 大陸の真ん中にあるドイツは、そのような周辺部がない。不安感は日本以上のものがある。

 だからこそ、
再生可能エネルギーの開発に国民的エネルギーを発揮する。
 フライブルクの環境先進都市化は、まさに、原子力発電の計画に反対する人々の運動に一つの重要な出発点がある。


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 週末には、史料整理などのほか、フライブルク市内・環境のための諸施設やEU統合の象徴的地域アルザスとその中心都市シュトラスブールを再訪(前回)

 
「環境首都」としてのフライブルク市内には、非常に多くのモデル建築(太陽光発電)がつくられている。その多さは、今回、 Tourist Informationi市庁舎内-末尾の地図参照にある「Solar Cityの地図」が示している。
             

   

  これらのうち、ヴォーバン地区などは前回みたが、前回見る時間がなくて行かなかったサッカースタジアム
Badenova Stadionを見学した。
 受付で、スタジアム屋上の太陽光発電施設(上記、Solar Cityの写真の一枚)
                      
を見学できないか頼んでみたが、突然の、予約なしの訪問だったので、無理だった。

 見学可能な場所だけを外から見て回った。

        
          Badenova Stadion
  サッカーチーム・SCフライブルクの本拠地グラウンド
  屋上部分がすべて太陽光発電のパネルに覆われている。

         

        
  少し遠くの場所・駐車場から見ると、屋上の太陽光発電パネルが見える。

        
   電力用、発熱用の太陽光利用がどのくらいかを示す掲示パネル

    背景には、黒い森(シュヴァルツヴァルトSchwarzwald)
   
   屋上にパネルが並んでいるのが見える。

           


 前回も見ていた(目に入っていた)はずだが、太陽光発電パネルが張り付けられたモデル建築だとは気がつかなかったのが、中央駅の建物だった。
   




  フライブルクの民主主義的な意味での先進性は、「過去の克服」の度合いを示す。
  フライブルクは、ライン川をはさんで、アルザス地方と接し、そのアルザスこそは、独仏間の幾度もの戦争の、領土紛争の現場であった。

  市電の2番線には、「勝利記念碑」Siegesdenkmalの駅名がある。
  これまで何度もこの近くを通っているが、まだその記念碑が本当に今でもあるのか(あるいは破壊されてしまったのか)、あるとしてどのようなものなのか、見学することがなかった。今回、それを実現した。

  推測はしていたが、予測通り1871年の普仏戦争勝利記念の碑であった。

       
                勝利の女神と兵士たち
       


プロイセン王ヴィルヘルム(普仏戦争勝利で、ヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝に)の電報:
  ベルリンの妻アウグスタへ
    3日間の激戦で敵軍を後退させた、と。
    その将軍ヴェルダーとその勇敢な軍隊の英雄的闘い、と顕彰。
                ヴェルサイユにて、1871年1月18日、
                                   ヴィルヘルム。




      バーデンの息子たち・闘いの仲間に捧げる
     (戦勝者顕彰・戦死者慰霊のため、後の世代の模範として)
  


                       激戦地

1871年1月15、16,17日ベルフォール、シュトラスブール近郊のいくつかの戦場を掲げ、
戦勝に貢献したものを顕彰し、戦死したものを慰霊。
  



 こうしたフライブルクだからこそ、反戦・平和運動家、ナチスによる迫害の犠牲者などを顕彰する道路標識などが多いのであろう。(上掲の戦勝記念碑とはまったく対照的)
 それがまた、環境先進都市の基礎を担う人々と連携しているのであろう。

 たとえば、フライブルクの中の環境先進地区(ヴォーバン地区)・市電のヴォーバン中央駅Vauban Mitteにある通りの名前

クルトー−トゥホルスキー通り:
 1935年に移民(ナチス支配を逃れて脱出)した作家、を顕彰。
    
     ヴォーバン・ミッテVauban-Mitte駅

  
 (ヴォーバン地区は、1990年のドイツ統一・ドイツの真の独立まで、フランス軍の駐屯地・兵営所在地だった) 
   
(現在の環境先進地区住宅地としての存在は、平和の象徴)


 なお、今回は、往復とも、ルフトハンザでは今年5月就航開始でまだ就航機数の少ない
エアバス380総二階型ジャンボジェット機A380)に乗ることができた。(エアバスは、EUの総合的プロジェクトとして、EU各国の協力体制の下で製造されている、航空機開発、宇宙開発などは通貨統合と並ぶ巨大なEUとしての連合プロジェクト)

巨大な飛行機で、これまでのボーイング・ジャンボジェットよりかなり大きく、そのためもあるのか、振動が少なく、非常に楽な感じがした(飛行時間11時間・疲れを感じない気分)。

    
      成田発ルフトハンザ航空エアバスA380             
                             
                            エアバスA380-800

   
      フランクフルト発ルフトハンザ航空エアバス
A380

          
                          
                   
                     エアバスA380-800


   今回は、フランクフルトからフライブルクまでは往復とも、ICE超特急を利用した。
       
 9月1日、出発の朝、フライブルク駅で。
 フランクフルト空港(Ffm Flugh Fernbf)へのICE特急(ドルトムント駅行き)を待つ。
 オッフェンブルク→マンハイム→フランクフルト空港、経由で、ドルトムント駅行き。

   略記文字の意味:
   
 Ffm・・・Frankfurt am Mainフランクフルト・アム・マイン
    Flugh・・・Flughafen・・・空港
    Fernbf・・・Fernbahnhof・・・遠距離用駅


  宿泊は、InterCityHotel Freiburg
  
  その部屋は、フライブルク駅(中央駅)・一番線を真下に見下ろす位置。
           
        部屋からフライブルク駅を見下ろす。
      前方高架道路、そこには路面電車の中央駅がある。
     
 (路面電車の駅から、鉄道DBの各番線へは、ドイツの場合改札がないので、直接降りていける。)
      
前方半円形(孤の形)の建物は、南バーデン・バス会社Suedbadenbus事務所・チケット販売所

           
                路面電車Strassenbahnの中央駅
       

 
上にも書いたが、路面電車の駅から、鉄道DBの各番線へは、階段で(ドイツの場合改札がないので)直接降りていける。
           
          
ドイツ鉄道の検札は車内のみ。今回の滞在中は、市電・普通電車のDBあわせて一回だけ。
           
(ただし、ICE超特急の場合は、往復とも、乗車直後に検札)

                 
                      
泊まった部屋の位置


路面電車で、
3 Vauban行き、 市中心最寄駅・ベルトルトブルンネンBertoldsbrunnen駅・
マルティン門Martinstorを経由して、
   Peter Thumb駅下車
  進行方向50メートルほどで、右折(ヴィーゼンタール通りWiesenthalstr.)。
  400メートルほど歩いて鉄道線路下を抜けたところ、左手に
軍事文書館

       マルティン門Martinstor
     
      ベルトルトブルンネンからマルティン門をみたところ



  フライブルクに残っている中世都市の門のもう一つは、シュヴァーベン門Schwabentor
  (これは路面電車1番の路線上にあり、オーバーリンデンOberlinden駅下車)
         



インターシティホテルは、料金の中に、宿泊期間中の市内電車バス乗り放題チケットが付いているので、気楽に往来できて便利。

 フライブルク大学本館壁面の大学の使命「真実真理の探究」に関する標語:
   Die Wahrheit wird euch frei machen. 真なるもの(真実・真理)は、諸君を自由にするであろう。


ミュンスターMuenster(フライブルクの大聖堂)の周りは、果物・野菜などの市Marktが立つ。Marktplatz
     

     

     
     プフラウメン(プラム)            ミラベレン

     
      ミュンスター・市の売店と   黄色い壁の建物(かつての守衛所Alte Wache
                              現在は、バーデンワイン展示販売所

      ただ、現在は大聖堂ミュンスターの塔は修復中
          

  大聖堂の中は、拝観可能。