テキスト:第4章 産業革命とブルジョワ革命
経済と政治文化の相互連関、ダイナミックな相互影響・相互作用・発展。
経済のグローバル化、政治文化のグローバルな関係の緊密化を決定づけるものとしての産業上の革命、
それはまた、イギリスで最初に起きた産業革命は、ヨーロッパ諸国・諸地域に衝撃を与え、また、アジア・アフリカの地域にも重大な影響を与え、世界の各地域・各国の政治の在り方や法律を変えていった。
「二重革命」・・・18世紀末から19世紀なかばの欧米諸国における巨大な二つの変革
この変革を経て、世界の歴史は新しい段階に
前々回の講義で、18世紀末(あるいはより厳密には18世紀60年代―70年代)からの産業革命の前提に、200年に及ぶマニュファクチャー時代(マニュファクチャーすなわち工場制手工業が最先端の生産様式)があったことを説明。
機械の発明・その関連分野・諸産業への波及のための前提条件の成熟を説明。
「発明の一般的発酵状態」
T 産業革命
産業革命の原因とプロセス
産業革命・・・技術面では工業の機械化への移行
、経営形態の面では工場制への移行
原動力・・・人力・畜力・水力・風力から、化石燃料へ。
石炭を燃料とする蒸気機関の発明と工業生産へのその利用
機械体系と工場労働者
工業生産力の急上昇・・・安価な大量の工業製品の生産・市場への供給
前提としての資本蓄積の面では、重商主義の諸政策。
植民地を通じての資本の蓄積・・・オランダ、イギリス、フランス、
イギリスが重商主義戦争に勝利して、先頭を走る。
広大な植民地は一方では原料供給地となり、他方では大量に生産される商品の市場
イギリスにとっての世界市場の拡大・・・工場内だけでなく、社会的な分業も発達。
農業部門でも「農業革命」・・・地主による農民追放。
大規模で効率の良い農場経営。
追放された農民は安価な労働力に。
名誉革命(ブルジョワ革命)以降、政府が対外的には自国の産業の保護し、農業革命も推進。
知識人の学術団体や印刷物を通じてのコミュニケーション・・・科学技術の発展と工業へのその応用を促進。
国民的産業・・・毛織物工業から綿織物工業へ。
重商主義政策・・・・インド綿織物の輸入・・・人気商品
国内で綿工業を発達させる政策・・・・・その意味では、「重工主義」(F・リスト)
技術革新の連鎖
18世紀前半から綿工業の技術改良
1760年代から1780年代にかけて、紡績機さらに力織機の発明
同じ時期に発明された蒸気機関―
はじめのうちは揚水などの作業 ― 1790年前後に綿工場の原動力として導入され、以後、イギリス棉工業の生産量は飛躍的に増大することになった。
綿工業の機械化→他の部門の発展
機械製造部門の機械化
機械の素材である鉄の製造も刺激・・・製鉄法の技術革新
蒸気機関のエネルギー源・動力源・・・製鉄燃料・・・石炭の需要が増大し、炭鉱の開発と採炭技術の革新
大量生産→生産された者を広い範囲・遠くまで運ぶ必要。
原料と製品の運搬するための交通機関の発達を促進。
1804年に蒸気機関車
1825年に最初の商用鉄道がイギリスで開通
蒸気船はアメリカで1809年に発明
蒸気機関を搭載したアメリカの軍艦が日本を訪れたのは1853年
世界システムの再編
イギリスは、19世紀半ば以降、イギリスは「世界の工場」。
19世紀末まで世界最大の工業国、経済大国として君臨
強大な競争力・低廉で優れた商品・・・・自由競争が有利。
自由貿易政策を推進。
世界各地で、貿易の自由化を要求。ときには、武力を背景に。(砲艦外交)
〔表1 世界の工業生産 1820〜1870年〕
イギリスに対する他の諸国・諸地域の反応・対応
フランス、アメリカ、ドイツなどで・・・・イギリスを追いかけ、産業革命を遂行
これら諸国は、1870年ごろまでに産業革命(機械制工場システムの導入・確立)をほぼ終了。
業革命の成功によって世界システムの中心に位置する。
周縁地域
これに対してそれ以外の地域・国々、すなわち、周縁地域は、従属性を強める。
周縁地域の外部
周縁の外部に位置していたアジア諸地域も深刻な打撃を受ける
その最もドラマチックな例・・・インド。
イギリスによるインドの植民地化は1757年のプラッシーの戦い以降、進行。
安価なイギリス綿布が到来・・・・保護関税によってインド産業を守る手だてなかった。
手工業に基づくインド綿布生産は壊滅的な打撃をこうむった。
インドは、イギリス綿工業のための原料生産地へと転落。
このような変化に反発するインド民衆の抵抗・・・1857年から59年にかけて「インド大反乱」(「セポイの乱」)。
反乱はイギリスによって鎮圧。
以後、イギリスのインド支配は確立。
もうひとつの重要な周縁地域・・・・アメリカ合衆国南部
アメリカ合衆国・・・政治的には独立
しかし、合衆国の南部はイギリスに従属する綿花供給地
・・・黒人奴隷制に立脚する綿花プランテーションが繁栄
インド以外のアジア諸地域
イギリスの覇権のもとに屈する
中国の清朝は対外貿易の制限を国是
1840年代にアヘン戦争によって強制的に自由貿易を受け入れさせられた。
不平等条約・・・これにより中国も経済的な従属化へ。
1859年には日本も開国を強いられ、欧米の強い影響のもとに置かれる(次章で検討)。
世界・・・蒸気船と鉄道による結合が進展
欧米諸国の一部は産業革命を行ってイギリスに次ぐ中心地域
中南米、アジア、アフリカは従属する地域に。
U 労働者階級の形成
労働者と資本家―マルクスの剰余価値説―
産業革命・・・機械制の工場制大工業
資本家と工場労働者による生産の様式。
「資本主義的生産様式」、ないし「資本家的生産様式」
「産業資本主義」・・・商業や金融における資本主義との違い。
労働者階級の成立
産業資本主義の成立・・・大量の工場労働者の出現
都市の没落した手工業者や農村で土地を失った元農民などがこの労働者の源泉
労働者と資本家のあいだには緊張関係・・・労働者の地位・権利の未確立
・・・労働者の資本家に対する闘争
労働者と資本家のあいだにの敵対的な関係
カール・マルクス(1818〜1883年)・・・学問的な経済分析の成果を『資本論』
〔図:剰余価値〕
労働者の運動
労働者の資本家に対する闘争・・・さざまな形態。
機械破壊や暴動などの実力行使・・・有名なのは、1810年代にイギリスで起きた「ラダイト」の暴動。
繊維産業に従事する家内工が、機械の導入によって失業させられることをおそれて機械を破壊した運動。
なかば伝説的な指導者であるラッド・・・その名にちなんで暴動参加者は「ラダイト」と。
他の国でも産業革命の進展にともなってときに同様の機械破壊運動が発生。
非合理で後ろ向きのもの
しかし、《産業は民衆の生存を破壊しないしかたで営まれなければならない》という民衆の社会理念
・・・機械破壊も、「道を踏み外した資本家に対する懲罰」との観念。
「道」、合理的で生存可能なルールの確立の必要・・・労働運動。
労働時間の制限・・・10時間労働法、8時間労働法など。
労働者は、賃金や労働条件の改善を求めてストライキなどの争議行動
団結のために労働組合を結成、相互扶助のための共済組合
政府による弾圧
欧米諸国では19世紀のうちにこうした労働者の組織的な運動は大きく成長・・・権利の獲得・権利の確立・・・・前回のイエーリングの『権利のための闘争』を参照。
さらに労働者は、労働者の無権利・抑圧からの解放を求めて政治変革や社会変革を求める
イギリスでは1830〜40年代・・・労働者に選挙権を。
当時のイギリスでは議会の選挙権は有産者にのみ。
そこで、普通選挙制度を保障する「憲章」の制定を求めたので「チャーティズム」、その担い手はチャーチスト。
さらに進んだ改革・革命思想・・・労働者の解放のためには資本家が私有財産として資本を所有している制度、すなわち私有財産制度自体を変革しなければならない、とする思想運動
社会主義
資本の社会的な共有化をめざすので共産主義
「社会主義」のさまざまの潮流
マルクスの思想もその重要なもの
社会主義運動は、19世紀末までのあいだに労働者に浸透。
社会主義を掲げる結社や政党の設立。
1860年代には、社会主義運動の国際連帯をめざす国際組織、「インターナショナル」(後のものと区別して第一インターナショナルとも)の結成
V ブルジョワ革命と国民国家の形成
ブルジョワ革命
産業革命の波及
・・・欧米諸国では重要な政治体制の変革
「ブルジョワ」とは経済的に自由で独立した個人を指し、すべての人が自由で法的に平等な社会は「ブルジョワ社会」(市民社会)。
ブルジョワ革命とは、旧制度を下からの力によって廃棄し、ブルジョワ社会を実現しようとする政治社会変革
ブルジョワ革命・・・領主制やギルド制を廃止、
すべての市民に自由と法の前における平等を保障することめざす。
そのような保障を法、特に憲法によって行いつつ、立法などの決定過程に、 おもに選挙と議会を通じて市民が参加できるようにする。
ブルジョワ革命のもっとも典型的な例が、18世紀末に起きたフランス革命
同時期に起きたアメリカ独立革命も似た性格。
アメリカ独立とフランス革命
アメリカの独立:
北アメリカ・・・イギリス領13植民地・・・白人入植者にある程度の自治権
1770年代に本国イギリスによる課税強化等の圧迫
反発
ついに1775年に独立戦争
83年に独立承認。
独立戦争のなかで「アメリカ独立宣言」、独立後に制定された1789年憲法
・・・すべての人の自由と平等、人民主権、選挙によって選ばれた議会と大統領を中心とする統治機構などを定めた。
ただし、独立後も先住民は排除され、黒人奴隷に人権は認められなかった。
独立から19世紀のアメリカ
フランス革命:
1789年、パリの民衆の蜂起
あらたに成立していた議会が王権を抑えて権力を掌握。
革命はその後1794年まで急進化。
そのなかで、憲法による自由と人権の保障、王政の廃止と人民主権原理に基づく共和制の導入、領主制の無償廃棄、ギルド制の廃止。
革命の推進力・・・都市の民衆や農村の農民
議会で革命の主導権を握ったのは企業家や弁護士などのエリート層。
革命の結果成立したブルジョワ社会・・・彼らエリートが資本主義的経済体制を築くのに適したもの。
諸外国からの干渉戦争
1799年にはナポレオンの独裁政治。
まもなくナポレオンガ帝位に・・・共和制は終焉。
周辺諸国との戦争の継続。
1815年、ナポレオン帝政、崩壊。
旧王家による王政が回復。
その後もフランスでは、1830年、1848年に革命。
1852年からはナポレオンの甥が帝位に、再び帝政。
大革命によって実現された領主制等の廃止と、経済的な自由、法の前の平等などの原則は維持され、フランスの資本主義の成長。
Cf.マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』岩波文庫、他。
その他の欧米諸国
フランスのナポレオンは権力獲得後、征服戦争・・・スペイン、イタリアからデンマーク、ポーランドに至るヨーロッパ大陸の大部分を支配下に。
これらの地域ではフランス革命の影響を受けて、改革。
プロイセンの場合
1806年にナポレオンに敗北し、多くの領土を喪失。
改革派官僚のもとで経済改革と軍事・行政改革。
経済面ではグーツヘルシャフトが廃止・・・農民から土地を旧領主に差し出すかわりに賦役を廃止。
ギルド制も廃止。
ただし、プロイセンでは、旧来の支配者である領主は多くの利益と権利を維持。
政治面では国王のもとで官僚が権力を保持し、独裁政治を続け、憲法も議会制も導入されなかった
1848年に革命・・・基本的人権を保障する憲法と議会制が導入がはかられた
王権による反革命・・・革命の挫折
国王と官僚が強い権力を持つ権威主義的な統治
しかし、領主制の廃止と経済的自由の保障は貫かれ、富裕層の政治参加は認められた。
ドイツの場合、
関税同盟から政治的国家的統一へ
ロシアの場合
ロシア・・・19世紀になっても専制体制。
自由主義的な変革を求める運動・・・ことごとく弾圧。
しかし、19世紀なかばになると支配層のあいだでも西ヨーロッパ流の改革が必要であることが痛感され、クリミア戦争の敗北後、1861年の勅令によって農奴制が廃止。
経済発展の必要性から、ブルジョワ的変革は、徐々に進展。
「上からの革命」
議会制が導入された国家においても普通選挙制度はなく、労働者などは政治体制から排除されたまま・・・労働運動や農民運動がこうした状況の克服をめざす。
ロシア工業化の諸特徴
国民国家とナショナリズム
フランス革命以降、国家のありかたの変化
そのうちの一つが国民国家nation-stateの原理
この時期以降、国家活動への人民の参加が進展。
国家と人民が一体であることが強調。
人民のひとりひとりに国家へのアイデンティティー意識を持つことが求められる。
そのようなアイデンティティ・・・「国民nation」意識。
国民・・・居住地や血統、言語、文化などなんらかの共通性をもとに政治的に一体的な共同体
かつてはこのような意味での国民は存在しなかった。
そのようなアイデンティティの形成・・・学校教育やプロパガンダのほか、祭典などの儀礼、歌などの音楽、国旗、記章、人物像などのシンボルなどの創出。
フランス=国民国家・・・欧米諸国はいずれも国民国家の形成へ。
言語や歴史的伝統などをによって「国民」を創造し、
その国民に独立の統一的な国家を。
ドイツとイタリア
19世紀はじめごろから、一部の知識人のあいだで「ドイツ人」「イタリア人」といった「国民」のアイデンティティに基づく統一国家の建設を求める考え方が広がる。
このような思想と運動をナショナリズム。
イタリア・・・北西部サルデーニャ王国・・・ナショナリズムと結びついてイタリア統一を推進。 1861年にイタリア王国、成立。
ドイツでは、1860年代にプロイセンの宰相となったビスマルク・・・ナショナリズムを利用しながらプロイセン主導のもとにドイツを統一。
1871年、普仏戦争に勝利して、にドイツ帝国を樹立。
オーストリア、ロシア、オスマンの諸帝国などの支配下にあった諸地域でも国民の意識とナショナリズムが成長し、独立運動。
ギリシアは、イギリス、フランス、ロシアの支援もあっていち早くオスマン帝国から独立を達成(1830年)。
ナショナリズムの影の部分