【プログラム】
永岑三千輝『アウシュヴィッツへの道』(横浜市立大学新叢書13,2022年)合評会.
14001440  著者による解題 永岑三千輝(横浜市立大学・名誉教授)
14:40 〜1520 ディスカサントからの質問・コメント
 北村 陽子(名古屋大学・人文学研究科)
 福澤 直樹(名古屋大学・経済学研究科) 
15:4016:15  質疑応答と討論
16:1516:30 東海部会からのお知らせ

 

【共 催】
名古屋経済史研究会(ケーン:COEHN

  


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  14
001440  著者による解題

 タイトル:「アウシュヴィッツへの道」に込めた思い
・・・
(補足:現在の課題『アウシュヴィッツの歴史的文脈』の解明)


@
アウシュヴィッツは結果であって、それに至る経過をきちんと見るべきでは?

 アウシュヴィッツの
結果と「ユダヤ人絶滅」を目標とみることの問題性


A
そもそもアウシュヴィッツは、いかなる状況・条件の中で、創設され、機能転化しつつ拡大し、最後に破壊されたのか?
 
――多様な「一知半解」、「半知半解」の批判(歴史認識の批判的発展・深化・立体化)のために――


 拙稿
「第三帝国の全面的敗退過程とアウシュヴィッツ 1942‐1945」『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐1。PdfPdf.

 拙稿(初校提出段階)
「第三帝国敗退最終局面とハンガリー・ユダヤ人の悲劇――1944‐1945大量殺戮の歴史的文脈」『横浜市立大学論叢』社会科学系列、73‐2・3合併号(初稿提出PdfPdf)。



B
これは、ホロコーストがいつから始まり、どこで、どのように実行されたのかという拙著副題の問いと重なる。



拙著に至る私のホロコースト研究の歩み

C『マルコポーロ』事件
 ベルリンの壁崩壊・ソ連崩壊の衝撃・世界史的大事件を受けて書き上げた、拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』(同文舘、1994年)の刊行直後に起きた『マルコポーロ』事件
 ・・・ガス室否定論、アウシュヴィッツ否定論の日本の大衆的雑誌に公然と登場。

 『マルコポーロ』は、即座に廃刊に追い込まれる。 
 だが、ガス室否定論、アウシュヴィッツ否定論、「歴史修正主義」を看板とする種々の否定論が、どうなっているのか、問題が提起される。

 「戦争責任研究」、「歴史学研究会」のセミナーで報告を求められ、報告。

 私の一貫したスタンス・・・ホロコーストは、ドイツ第三帝国・ヒトラー・ナチズムの戦争政策、世界強国建設、ヴェルサイユの敗北の克服、「東方大帝国建設」といった一貫した政策体系・思想イデオロギー体系の
一部に適切に位置付けてこそ、理解が可能になる。

 ヒトラーのユダヤ人迫害・殺戮・ホロコーストを
独自・独立の目標、ひとつの柱として位置付けることへの批判。
 「ヒトラーの目標は、ユダヤ人絶滅だった」というテーゼの批判。

 体系の根幹とその実現のための手段の一つ、という位置づけの必要。
 
 体系の根幹を表すものとして、「民族帝国主義」を位置付ける。
 その多様な諸要素の中に、「ユダヤ人問題」(ユダヤ人迫害→殺戮)がある。
 ヒトラーを頂点とするナチ党全体の構造。
 ヒトラーとそれを取り巻く首脳(ニュルンベルク裁判主要戦犯のそれぞれの位置の構造)

 ホロコーストの主体的推進勢力・実行主体は、ヒムラー親衛隊全国指導者(親衛隊最高指導者)・ドイツ警察長官
 ・・・第三帝国の権力構造の、あくまでも一部の担い手

 ・見落としてならない重要な点・・・・ホロコーストの主体的推進勢力・実行主体は、ヒムラー、ハイドリヒなど警察機構・・・治安秩序確立・維持の中心任務の諸課題、共産主義勢力の鎮圧など、さらにその一部にユダヤ人問題。

 ホロコーストとの関係で正確に理解しておくべきは、アインザッツグルッペの活動は、
軍隊の後方地域におけるものであり、赤軍と死闘を繰り返す350万のドイツ国防軍の大軍隊(前線)より前で行動することはあり得ない、直接ソ連赤軍(450万の大軍)と戦う任務をもっていないということ。


D拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942』同文舘、1994年に対する栗原氏の書評・・・全体として第三帝国研究の第一人者=政治史的分析叙述の専門家としての栗原氏の批判とともに、私の社会史的史料に基づく叙述についてはポジティヴな評価――と受け止めた――をいただく。
 もちろん、独ソ戦期、未開拓の戦時期――いまに至るもわがくにでは戦時期の実証研究はほとんどない――の解明として、多様な論点・問題点がある。
 栗原氏等の批判も踏まえながら、その後、コブレンツのドイツ連邦文書館での半年間の調査をもとに、第二の拙著『独ソ戦とホロコースト』(日本経済評論社、2001)で、重要な論点を解明することになった。

 しかし、『歴史学研究』の書評のには、
明確に納得できない批判点があった。
 ・・・ヒトラー絶滅命令・ユダヤ人絶滅政策の画期について、「永岑は41年
12月説」のようだが、それは研究史無視だ、と。

 栗原説(
41年7月末8月前半説)・・・・1941年7月31日のゲーリング令、8月前半のソ連におけるユダヤ人老若男女に対する無差別殺戮の開始をヨーロッパ・ユダヤ人絶滅政策をヒトラーが発動したとみる見地。

 この明確な
意見対立・歴史理解対決を問題意識の中心に置きながら、ホロコーストストの全体的流れを検証していくことに。


E否定論と欧米の論争の検討・実証的検証の必要。 
 実証的論文の蓄積

F拙著『独ソ戦とホロコースト』日本経済評論社、2001年。


G拙著『ホロコーストの力学――独ソ戦・世界大戦・総力戦の弁証法』青木書店、2003年。




 ドイツ航空機産業(工業と航空業)の研究・・・・ユンカース文書の発掘研究




今回の拙著の基礎史料・・・・『ナチス・ドイツによるヨーロッパ・ユダヤ人の迫害と殺戮 1933‐1945』全16巻・・・・2008年刊行開始、2021年完結。
  この史料集の画期的意義・・・現代ドイツのホロコースト研究、二つの大戦史研究、現代ヨーロッパ史研究の最高最精鋭の研究者による史料集
  ソ連崩壊後にアクセスが可能になったソ連の文書館史料も批判的に活用・・・・特筆すべきは、モスクワ秘密文書館におけるヒムラー業務日誌の発見・解読を踏まえた歴史理解。




  原稿完成・入稿当時想定外だったが、今回の拙著は、ロシアのウクライナ侵略の比較素材の提供となりうるのではないか。

  プーチンの論理とヒトラーの論理の共通性など。