2002年10月30日 緊急の臨時評議会開催との教員組合倉持委員長情報・委員長の学長宛要望書。17時近く、市労連関係を通じて、昨29日の組合と助役との間の話し合いに関し、つぎのような情報が寄せられた。「本多助役としては、組合側のつかんでいる情報より以上の情報はない」とのことで、これに対し組合側から、「このまま放置すると、事態はエスカレートする。助役としても情報を収集してほしい。2・3日後に再度確認をしたい」と申し入れた、と。
「あり方懇談会」の雰囲気や橋爪座長の発言を憂える総合理学研究科教授・佐藤真彦先生から、ご意見がメールで寄せられた。すばらしい内容のご意見である。大学の現状を憂え、危機感を持ち、本日誌を読んでくださる人々のために、問題を考える貴重な素材として披露したい。懇談会で発言する権限と機会のある学長や各学部執行部の先生にはぜひ読んでいただきたい。
また、民主的原理からすれば、直接間接の選挙権を持って学長や執行部を選出した大学人全員にそれ相応の責任がある。その意味で大学執行部の行動に、その結果に、われわれは責任がある。したがってわれわれは、直接間接に執行部の政策と行動に影響を与え、民主的政策決定を実現しなければならない。本学のすべての教員と職員がぜひ一読されたい。試されているのは、本学における民主主義の成熟度である。それが高い水準か低い水準か、原理的に見て全国と世界に出して恥ずかしくないことをやっているかどうか、これが問われている。
佐藤真彦先生が引用される橋爪氏の主張、すなわち、「民主主義がなくそうとしているのは,意思決定の合法性(手続き的な正しさ)を踏みにじるあらゆる傾向,つまり暴力である」という箇所は正しい。まさにその通りだ。最近のわが大学で起きた諸事件(反民主主義という意味で暴力的な諸行動)は本学の民主主義の実現レヴェルを試している。反民主主義の暴力的なことを排除・是正できるかどうか、それによって実り豊かな改革を実現できるかどうかが問われている。有志声明の精神を汲み取っていただきたい。
他方、橋爪氏が本当に本学の「あり方を考える懇談会」の座長として、このような民主主義の基本理念を実践するかどうか、これが問題となろう。著書に書くことはできても、実践できるかどうかが、いちばんの試金石だろう。上述の意見書で佐藤真彦先生は、その点、非常に危惧されている。懇談会に出席して発言する権限と機会を持ち大学における研究教育の責任(そのための大学運営の責任)を負う学長以下の大学人は、この点よく噛み締め、大学の運命に影響を与える懇談会の意思形成に民主的原理を実現するよう奮闘を期待したい。
民主主義の限界として少数意見を多数意見が支配する問題がある。多数派はその点を慎重に配慮しなければならない。少数意見の抑圧をご都合主義的に正当化する論理の横行を許してはならない。科学や政治の歴史(多くの悲劇)が教えるように、正しい意見、真実・真理の発見・認識、芸術作品の偉大な創造は、まずは異端的周辺的な個人・少数者[1]が行い、非常な困難のなかでなしとげ、時間をかけて広まっていく無限の発展過程(橋爪氏の言うループ状発展過程)において達成される。われわれは現在の大学問題でその一つの現場にいる。われわれは参加者の一人であり、その主体性が問われる。
本学改革のあり方に関する根本的に重要な論点に関しては、商学部の鞠さんが大学の運営システムについて自発的に貴重な意見を表明した。それが教員組合に提出され、先ほどわれわれに知らされた。予算・人事の権限と大学の独立性・自立性・責任体制とは相即不離の関係にある。現在、やられている人事凍結の横暴なやり方がその反面教師である。上記鞠意見もまた、学長以下大学執行部、事務局関係者、そして大学人全体が今後の改革の方向性を考える素材として熟読玩味すべき貴重なものであろう。
[1] たとえば、ルネッサンスの偉大な芸術家が残した芸術作品しか知らず、その人間の生き様を知らない人は、幻想をもっている。実際の偉大な芸術家の生き様をみれば、彼らは「孤独、絶望、不安と痛ましい不穏のなか」で生きたのだ。Propyläen, Weltgeshichte, Bd.6,
S.22.