20039月前半の日誌

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2003912(2) 昨日の教授会決議が送られてきた。来週火曜日に提出するとのことで、教授会で出された重要な論点を押さえたものであった。わたしは、この日誌でも書き、また昨日の臨時教授会直前には教授会メンバーにメールで送りもしたが、プロジェクトRの首尾一貫しない「学府―院」構想、理念のない構想には明確に反対である。すなわち、三つの学部を「総合科学部」なる一つの学部に統合してしまうことには反対である。

 

社会的にみれば、総合科学部と医学部の二つになってしまう。あきらかに、3学部解体縮小路線であり、21世紀の将来の睨んだ発展的な改革ではないからである。事務局の意を受けた「あり方懇」座長が、いみじくも本音を吐露しているように、「三つの学部を統合して経費削減」という意気消沈すべき路線が貫徹することになるからである。商学部や国際文化と言った黒字や黒字に近い学部を理学部といっしょにしてしまうことで「経費削減」を行う、という非科学的・非学問的やり方が今回の特徴となっているからである。

日本学術会議のような研究教育の専門家が集まる組織で検討した結果でも、「言語の共通性」でまとめうるのは、「人文社会」(一部の哲史文学・二部の法・三部の経済経営)、「生物生命」、「理工」の3部である。そうしたことを抜きにして、8年前に分離したばかりの二つの学部と商学部を三つ一緒にして一つに無理やり統合しようとしている。事務室ならまだしも、学部までも無原則に統合するとすれば、こうした無原則的なやり方に反対を表明しておかないのは、許されない。

無原則的やり方ということで言えば、医学部はそのままとなる。これも、大学改革ではなく、単に便宜主義的に瀬戸キャンパスだけの「改革」ということを意味し、学問の研究教育の現代的課題、という本筋からすれば、きちんとものを考えない人々によるものであることが歴然として、恥ずかしい思いがする。全学を通じて、どのような理念でこうした改革とするのか、説明を提示しなければならない。アカウンタビリティがプロジェクトR幹事会には求められている。いまのままでは、「あり方懇」等に振りまわされ、筋道の通らない改革をやっているだけということになる。研究院のシステムをどうするか、学府(学部・大学院)の相互流動性をどうするか、プロジェクトR幹事会はたたき台を提示する必要があろう。

 

他の論点は、すでに教授会でも明確な御主張があったので、ここでは特に言及しないでおこう。

 

 

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2003912日 夕方5時からの商学部教授会は、学部長・評議員作成の「学部見解」をもとに議論し、改革プラン手続き(デュー・プロセス問題・民主主義原理と合法性)、「学府―院」構想(学府と院とを区別する着想)への賛同と「3学府の一学部への統合への反対」、大学院博士課程の存続、それから最も重要なこととしての学校教育法等による教授会の位置付け、その人事権の明確化など、議論の到達点を文章化して内外に公開することになった。プロジェクトR幹事会案は改革理念が明確でなく、本当に21世紀冒頭の大改革にふさわしい発展プランだという内容が示されていない。「任期制」や「年俸制」に関しても、「独立行政法人化」に関しても、内容をきちんと検討しないままでプロジェクトR幹事会案にて維持されていることには批判と問題点の指摘が改めて出された。現在のような大学の事務組織では、関内から派遣される大学・研究教育に素人の、また大学の歴史を深く知らない門外漢の「落下傘」事務局責任者が、大学の発展を左右することになり、大学固有の事務局責任者を育成し、学長の統括下におくべきだ、という意見が強かった。博士課程廃止・縮小などというプロジェクトR幹事会案は、まさにその事務局的発想が優位を占めた証拠となる事実だろう。教員と職員(事務局責任者を含めて)、大学院の創設と維持に大学の現代的使命を感じ、尽力し苦労してきた人々なら考えもつかないことだろう。かつての苦労など知らない人々か、大学院博士課程の存続維持が負担にしか感じられない人々のみが、博士課程廃止などという発想を出すのであろう。それが学長を長とするプロジェクトR幹事会なのだから、愕然とする。

 

教員組合委員長からの連絡によれば、国際文化は来週サイド臨時教授会を開催して決議をまとめるという。商学部でも最後に確認したことは、幹事会が各学部研究科からの意見書を踏まえてどのような修正案を提示するのか、それをみて再度臨時教授会を開催し、また全学教授会を(呼びかけ)開催する、ということになった。 商学部が呼びかけた全学教授会(3学部・研究科教授会)の開催が当面見合わせとなったのは、プロジェクトR幹事会が各学部・研究科の意見書にどのような対応を示すか、その対応を巡って行うべきだ、という見地からであり、幹事会の対応を受けての臨時教授会・全学教授会は、大学の憲法的問題からして、当然のことだろう。

 

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組合員の皆様

11日、国際文化学部教授会は、来週臨時教授会を開催し何らかの教授会としての意思表明をすると言うことになりました。まら、同日、商学部の臨時教授会が開催され、教授会決議がなされました。正規の決議文については追ってご連絡します。

 

横浜市立大学教員組合執行委員長
               藤山嘉夫」

 

 

 

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2003911日 本学教員組合が都立大学に以下の連帯の挨拶を送った.まさに時宜にかなったことであろう。多くの市民・都民に現在の事態のひどさを認識してもらいたい。

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                      怯むことなく連帯して闘いましょう

 

都立大学・都立短期大学教職員組合殿               

                            2003年9月11日

                                                   横浜市立大学教員組合執行委員会

                                              

 都立4大学の統廃合を巡って、都の主導で極めて異常な展開となっていることを知り、皆さんと同じ大学で働く者として強い憤りを覚えると共に、困難ななかで都立大学・短期大学教職員組合に結集される皆さんが粘り強く闘っておられることに敬意を表します。

 横浜市立大学では、市長の諮問機関「市大の今後のあり方懇談会」が2月27日に最終答申を出しました。「横浜市立大学の累積負債」が1140億円なので、「現状のままで存続する道は、まったく考えられない」として、廃校をも選択肢のひとつとしながら、事実上の縮小改編を求めています。この「横浜市立大学の累積負債」は、実は、その大部分が附属病院・センター病院建設や医療施設関連に充当された横浜市の「市債残高」です。したがって、それらは、市の「資産」としての価値を持っているのですが、答申は、それをあたかも横浜市立大学の生み出した赤字のように描き出すことによって市大の縮小改編を迫っています。

 まったく理念を提示せずに、以下のような具体的な提案をしています。@商学部・国際文化学部・理学部を統合して「リベラルアーツ・カレッジ」に縮小する。A研究費をつけず教育大学とする。B独立行政法人化する。C任期制を導入する。D学費を値上げする、等々。

 5月7日、当日に至っても部局長にさえ知らせずに、学長が隠密裏に市長に会い、この「あり方懇」答申を踏まえ、独立法人化を念頭においた改革案を10月末までに作ることを独断で市長に約束しました。市長は、大学で作成する改革案が意に染まねば市が引き取ることになると明言しています。

 5月13日に学内に教員・職員ほぼ同数で「大学改革推進・プラン策定委員会」を発足させ、そのなかに幹事会を作り、ここで策定作業が進められえています。幹事会メンバーには厳しい箝口令が敷かれ完全な秘密主義で進められています。

 8月18日、最初の「幹事会案」が示されましたが、その内容は、まさに「あり方懇」答申と独法化を前提としたものとなっています。「幹事会案」に対する各教授会での教員の評価は、賛成はまったくなく、むしろ「幹事会案」の本質的な部分に批判が集中しています。学長は、「幹事会案」に関しては、「教授会が決議をするという性格のものではない」と教授会の意思表明に不当な介入をしてきております。

都立4大学では、学長・学部長・研究科長は、「教学準備委員会」には大学・学部・研究科を代表せずに個人として参加し、「準備委員会」の内容についても学内には公表しないよう求められているとのことです。

このような形での徹底した秘密主義および大学・教授会の自治の否定という点で、横浜市立大学も都立4大学と全く同質の課題に直面しております。学問の自由、大学の自治が失われた「大学」はもはや大学の名に値するものではなくなることは多言を要しません。だからこそ、今国会での国立大学法人法案には、「国立大学の法人化に当たっては、憲法で保障されている学問の自由や大学の自治の理念を踏まえ、国立大学の教育研究の特性に十分配慮するとともに、その活性化が図られるよう、自主的・自立的な運営を保障すること」という付帯決議がなされ、また、地方独立行政法人法案に関しても、同趣旨の付帯決議が付されざるを得なかったのです。今日、都立4大学と横浜市立大学で展開されている事態は、まさしく憲法に違反していると言わねばなりません。

 井上ひさし氏は、「市大を考える市民の会」が開催した6月7日の大集会の講演で「人間が作ったものなのだから、人間によって変えられないことはない」と話されました。事態を変化させうることの無限の可能性に確信を持ち、また、ひとりの力は小さくとも多くの力に結集してそれを実現しうることにも確信を持って、憲法に保障された学問の自由と大学の自治を守り発展させるために、連帯して共に闘いましょう。怯むことなく粘り強く。

  

 

 

 

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2003910(3) 明日の臨時教授会においては、何をなすべきか? 都立大学の恐怖支配のような現状を見ると、横浜市の態度は、まだ、平穏に見える。恐るべきことだ。このわが大学と横浜市の現状は、積極的に活かす必要がある。現在までのところ、あまり異論が出ていないポイントは、教員組織としての研究院(全学教授会)教育・研究指導の場である学府(「学部・大学院」)を区別することであり、「研究院」として教員組織の総合性や融合性、学部の狭い垣根を越えた柔軟な協力の可能性を切り開くことなどについては、ある種の前進面として、猛烈な反対は出ていないように思われる。

 

しかも、この「学府―院」の分離構想は、学内で全国の動向などを睨みながら時間をかけて模索してきた中で生み出されてきた独自のものであり、他方では、あの外在的高圧的な「あり方懇」座長も先日(821日)の「大学改革推進本部」でアドバイザーとしての資格から評価しているものである。「学府―院」の相互分離という構想は、その意味で、全体的に理解がえられているといえるのではないか。

 

問題は、「学府―院」の内容である。

 

本学の歴史を考え、8年前に国際文化学部と理学部をやっと専門学部として独立させた苦労と社会的承認(市当局・学生・市民の承認・年年応募者が増え、社会的認知度が高まってきている現状・・・ワンデー・オープンスクールの盛況ぶりを見よ!)を考えれば、決して一つの学部に統合してしまうことは許されないだろう。学生・市民に対する各種のアンケート調査は、圧倒的に3学部統合に反対である。また、821日からの全学部・研究科の意見書においても、統合には共通に深刻な危惧が表明されている。

 

3学部統合論者が主張しているところ、すなわち学部間・学科間の垣根を低くすることは、研究院という教員組織が出きれば十分に対応可能であろう。

 

これまでの大学内部の発展と議論から出てくるところは、3学部を維持しながら相互流動性を高め、学生・院生・教員の相互交流・相互協力を柔軟に行える画期的システムとしての「学府―院」の構想を練り上げることではなかろうか。

プロジェクトR(幹事会)案の3学部統合(3学部解体、学府という名称はつけたが学科に毛の生えたような代物としての「学府」)には、明確に反対である。

 

学府の中に商学部、国際文化学部、理学部、医学部を置くべきである。それぞれの大学院研究科を維持しながら、高齢化社会・社会人の大学院教育などを考慮して、大学院組織の柔軟性・総合性を模索すべきである。

 

研究院は全学一体のアカデミーとして編成し、教員の研究教育の相互交流・協力を柔軟に行えるようにすべきである。

 

研究院の内部組織は、たとえば人文社会部会、生物生命部会、理工部会といった3部制を考えることもできよう。この3部制は、73万人余の日本の科学者を結集するボトムアップ型科学者コミュニティである日本学術会議が21世紀の新しい世界の科学研究に対応する変革のあり方として構想しているものであり、教員組織の編成原理・研究院の編成(部組織)のあり方において、十分に検討に値するものと思われる[1]

 

 

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2003910(2) 個人研究費・講座研究費等の研究計画書・研究成果報告書の市大ホームページへの掲載について、通知文がはいっていた。どこで決定されたことか? どこで議論されたことか? 関連する関係委員会、教授会、評議会などの議事録を公開する必要があろう。そうでなければ、事務的な強制となる。強制によって、いい研究教育は生まれない。

 

また、なぜ、副学長名とならんで事務職である研究推進課長が名前を並列するのか? なぜ副学長名だけではいけないのか? 教員に研究成果公開を促進する鞭を打ったことを内外に知らしめ、事務の業績にするためか? 一事が万事、最近のセクハラ関係の動員における事務の連絡をはじめ、本来教員のしかるべき役職のものがやるべきことを事務が押しつける、という雰囲気がますます濃厚になり、大学の空気をだめにしている感がある。「辣腕」事務局責任者の態度が蔓延してきている、というのは危惧か?私の過剰反応か? 

 

今回の研究題目一覧を見ると、科研費で見られるような非常に特定の狭い研究題目から私のように講義科目(学部中心だが)のための基礎研究として位置付けているものとがある。本来、学部研究費はそのような研究教育の両面のための基礎研究費だったはずである。個人の使い方の度合いにおいて、そのいずれでもいいとはいえ、「研究費交付金」としてしまったために、基礎的な講義のためのタイトルが後景に退いている感があるのは、教授内容・研究内容への不当な干渉・介入・教員への精神的圧迫を意味しないか? 今後検証が必要になろう。

 

それにしても、東京都立大学を取り巻く状勢(Cf都立4大学の統廃合をめぐる危機の現状は、驚くべきものである。東京都民は300万票も石原都知事に与えたが、こんな都立大学の改革を期待していたのだろうか? 都立大学の長い歴史をこのように上から、一方的に踏みにじっていいのだろうか? 

 

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2003910日 「リーダーシップ」の名目のもと、独裁制の横行。(国公私立大学通信No.130より)憲法が保証する大学の自治や学問の自由はどうなるのか? この間の本学のやり方は、国立大学における官僚的な手法の模倣であることがわかる。真の意味の「リーダーシップ」(民主主義的リーダーシップ)ではなく、独裁的リーダーシップ! 貧困な内容の理念や改革案を、リーダーにふさわしくない人々が強引に押しとおすと、社会はだめになってしまう。ブッシュ支持率の低下傾向を見よ。大学改革の理念もきちんと提示できないリーダーとはなにか? 不明確な、歴史を無視した無定見・無節操の改革案を提出するリーダーとはなにか? 橋爪私案・あり方懇の理念に振りまわされた改革などというのは、大学の歴史に取り返しのつかない傷を負わせることになろう。外部の、責任を取らないですむような外在的な「意見」などに、大学人が屈服してはならない。ヒトラーのように民衆的国民的支持を得たリーダーの提示した理念も、その人種主義的民族主義は世界人類の民主主義を破壊するものであって、諸民族・諸国民の反撃で粉砕された。その粉砕のために、どれだけ多くの人が犠牲が必要だったか。+多大の世界的な犠牲を踏まえて創出された戦後世界のプラスの諸制度や民主主義精神をいっそう発展させることこそ、大学改革の理念でなければならないだろう。また、実際の改革の推進において、その民主主義精神が実行・実現されなければならないだろう。

 

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1】「衆議統裁」の復活と蔓延
http://ac-net.org/dgh/blog/archives/000135.html
荒廃の諸相:http://ac-net.org/dgh/blog/archives/cat_oeaeia.html
学長の権限:http://ac-net.org/dgh/blog/archives/cat_ocnioae.html
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独立行政法人化政策が現実性を帯びた1999年以来、約百
  
の国立大学の約千の部局の中で、反対決議をした部局*0
  
の数は十もあっただろうか。多くの大学の多くの部局長
  
は教授会の議長として「議論は大いにしてもよいが議決
  
はしない」という議事運営に固執したと推測される。

  
戦時中の大政翼賛会中央協力会議では「衆議統裁」と呼
  
ばれる議事運営法がとられていた。これは「議論させる
  
が最後は総裁がすべてを決定する」という方式で、約千
  
名の部局長が法人化問題について採用した方式と全く同
  
じものである。このような一糸乱れぬ挙動は中央からの
  
何らかの指示なしにありえることだろうか。

  
なお、1924年生まれの若槻泰雄氏は「日本の戦争責任ー
  
最後の戦争世代から」(原書房 1995,4-562-02683-9)
  
2000年に小学館ライブラリーとして改訂版*1 が出る)
  
の第9章「いったい学者、評論家たちはなんといってい
  
たのか」(下巻p179)の中で、中学4年生の公民の
  
時間に「衆議統裁」が日本独特のすばらしい制度である
  
と教えられたとき「衆議統裁と部下の意見を良く聞く独
  
裁者とどこがちがうのか、私は何遍質問してみてもどう
  
してもわからなかった。」と書いている。

  
「衆議統裁」のGoogle 検索結果はわずかに3件であり、
  
ほとんど死語だが、長(おさ)のリーダーシップの美名
  
のもとで、「衆議統裁」は着実に現代日本の大学を覆い
  
つつある。

  
なお、上の検索にあった新藤久和氏(山梨大学)「QC
  
7つ道具」*2 の最後のページには「十分議論を尽くし
  
て,最後はリーダの決断に任せるやり方を「衆議統裁」
  
といいます.」として、「衆議統裁」を高く評価してい
  
る。(編集人 2003.9.8

 

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200399(2) 商学部が全学部に呼びかけた全学教授会は、当面は、つぎのような事情で開催されないことになった。各学部・研究科の意見書および園各部局長による説明をプロジェクトR(幹事会)がどのように対応して新たな案を提起するか、その新たな案に対して全学教授会を開催して対応する、ということになろう。日誌200395(2)で合同教授会開催に関して、「実は,以前から,この日が来ることをずっと待っておりました。」とおっしゃってくださったOB教員A氏には、申し訳ない感じだが、問題が全学教授会を開催してきちんと対処すべき性格のものである、ということは全学に伝わったはずであり、今後の展開においても、重要なステップになることは間違いない。

 

 

-----------商学部長の説明及び臨時教授会召集状--------------


商学部 教員 各位

                               商学部長 川内

           商学部臨時教授会開催通知
商学部定例教授会(9月4日)の決定に従い、7部局長に合同教授会の
開催を呼びかけましたが、先に行なわれた幹事会に対する各学部の
意見提出と学部長のヒアリングに対するその後の幹事会対応案が
決まっていない段階では、タイミングに疑問があるという意見が多く、
見送ることにしました。
したがって、下記の要領で、臨時教授会を開催いたしますので、
ご参加ください。
                  記
    日時 : 9月11日(木)   午後5時〜-

 

 

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200399日 学部サーバーへのアクセスが復旧できた。ファイルの新しいミラー下システムなどの導入に関連して調整に若干の手間がかかった。同時に、学術情報センター・外部公開用WEBHP(経済史・永岑研究室)も一応の開設作業が終わった。後は、その時々にファイル更新さえおこなえば、仮に学部サーバーがフリーズしても、緊急避難的に、あるいはバックアップ的ないしミラーサイト的に利用できることとなった。

 

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200396日 大学HP第2回 横浜市大学改革推進本部 議事概要91日付けで公開された。一番重要な「大枠」の<新たな大学像・改革全体について>、議事録はつぎのように述べている。

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<新たな大学像・改革全体について>
・ 大枠を通じての全体としての「改革の目玉となる内容は何か」について質疑応答。
・ 教養教育・リベラルアーツを重視は、中教審からも報告されており、時機にかなった改革案である。国際化進展を踏まえた真のリーダー養成のために教養教育が必要。大学だけではなく学校教育全体に通じて、実施していくべきものと考えている。
・ 改革案となる大枠としての、教育研究組織(学府及び研究院の機能)について質疑応    答。
・ 入試等の関係もあるので、受験生や高校教員等の教育関係者、あるいは保護者に速やかに周知できるよう準備をして欲しい。
・ 教育体制についての見直し内容について質疑応答。

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「改革の目玉」とはなにか? 魅力的なものか? 説得力のあるものか? 市大の21世紀の競争力発展と存在意義を示すものか? 否である。

なぜか。

「教養教育・リベラルアーツの重視」を「中教審」の権威を借りて、「改革」の論理として持ち出している。だが、「中教審」は横浜市大の現状を見て、横浜市大の改革のための指針を提起したのか? そうではない。大学設置基準の大綱化によって、私学を中心に教養教育の軽視や形骸化が急速に全国で広がったからである。そのなかでも教養教育を堅持した大学はある。本学はどの点で問題を抱えているのか、本学に即した分析が必要であるが、その説得的な提示はない。「改革」の御旗に「中教審」を持ち出すが、大学の実態とのかみあわせがない。

 

市大が、長年の蓄積を踏まえて、商学部だけではなく、文理学部も文系と理系の二つの専門学部に独立し発展してきたという歴史を逆に戻そうとしている。これまでにも日誌でおりに触れてしてきたように、専門教育、大学院教育の発展・充実という発想が、「新たな大学像・改革全体」に欠落しているのである。「教養教育重視」を掲げて、専門教育・大学院教育を軽視する構造になっている。

 

 せっかく国際文化学部と理学部という専門の二つの学部を8年ほど前に創出しながら、はやくも解体してしまおうとする無節操振り・無定見ぶりが今回の「目玉」なのである。二つの専門学部の上にせっかく創設した大学院博士課程を廃止・縮小してしまおうというのである。

 

 リーダーを養成するために教養教育が重要だともっともなことをいうが、その裏面に、大学院博士課程を文系からは廃止し、理系でも縮小しようとしている。現代社会の最高学府として発展させるべき方向を見失ったこの無定見ぶり、無節操ぶりが「大枠」の根本性格である。

 

 その背後にあるのは、学部事務室の強行的統合(昨年秋の「辣腕」事務局責任者による大学評議会事務局総退場事件がその象徴)に見られるような強引な事務局縮小・人員削減政策・経費削減政策である。この根本を隠して、美名のもとに事務室だけではなく三つの学部それ自体を解体してしまう、というのが基本政策としてあるから、博士課程の廃止・縮小などという時代に逆行する「大枠」を出すのである。徹頭徹尾、時代逆行的であり、歴史的発展を無視した「大枠」である。大学院経済学研究科は、わずか6年前、1997年にやっと創設されたばかり(したがってその充実のために何をしたらいいか、どのような方向に充実したらいいかを真剣に考えるべきときに)というのにである。

 

 こうした事態の根本にあるのは、公式の「改革案」を考えている人々が、「辣腕」事務局責任者の路線に屈しているということであり、結局は、大学改革のリーダーシップをになうべき人々が現代世界の求める最先端の研究を行っていない、行おうとしていない、世界の最先端の科学文化を横浜からきりひらいていこう、そのための研究教育機関を作っていこう(たとえ自分は研究の最先端をいっていないとしても、改革の方向性を考えるときには大学の現代的使命に立脚してプランを構想すべきだが)という方向性を持っていないということである。

 

だから、やたらに教育や教養ばかりを強調する。研究の精神の抜けた教育と教養! 公開された議事録をよく検討していただきたい。どのような精神構造の産物か!! どのような経済主義への屈服が見られるか!! 大学でせいぜい23年をやり過ごせばすむ天下り事務局責任者の発想へのどのような屈服か!! 表面的に「再生」したように見せかけても、そうでないことは至る所で噴出してくる。まさに今回の大学院博士課程の廃止などというのは、経済主義・効率主義の「部外費資料」が指摘するところだった。

 

現代世界の求めていることを見渡す力こそ最高学府をになう人々の教養であるべきだろうが、その一番肝心の教養に欠けた人々が、大学をおもちゃにし、改革を構想している、ということではなかろうか? 現代の教養を語るにふさわしくない人々が「教養」、「教育」とい言う言葉だけを振りまわしてはいないか?

 「大枠」は、本学の充実や発展ではなく、後退でしかない。そんなことのために「改革」(改悪)推進本部で議論しているということである。

 

 プロジェクトRの秘密主義(学内の意見をきちんと汲み上げる努力の欠如)がいかにひどいものかは、その簡単な議事要旨さえも、「大枠」を公表した後で、あわただしく(17回以降について828日、20回以降について95日)公開していることからみてもあきらかである。

 

 いずれにしろ、商学部教授会が呼びかけた合同教授会では、各学部研究科からだされた根本的問題の数々に関して、「大枠」を提示した学長(事務局長)がきちんと説明すべきであろう。そこで十分な説得ができない、これまでのような改革趣旨・方向性の説明の不明確さや混乱ぶりがさらけ出され、根本問題が露呈されれば、いったいどうなるか? 全学部・研究科が文書で出した意見書の共通項は、「大枠」の骨格に関わる批判・反対・深刻な疑念であり、改革の根本精神への批判である。まさに、「大枠」の「3つの骨格に関しては明確な反対ないし疑問が各学部共通に集中」しているのである。(Cf. 教授会自治を尊重し、きちんと審議し、態度表明を!―教員組合の学部長への申し入れ―9月3日)

 

 プロジェクトR幹事会の狭い意思統一だけは緘口令と完全黙秘で実現できたとしても、全学の意思をきちんと集約できないものが学長(事務局長)の座にいることは許されることか? そんなことで大学改革を実現出きるか?

 

 プロジェクトR幹事会(委員長・学長)は拙速主義を貫こうとするであろうが、それでは、「辣腕」事務局・「あり方懇」路線に屈服したものとして、結局は大学の名誉も歴史もなくなってしまうであろう。

 

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200395(3) 午前10時頃から午後6時過ぎまで、フリーズ状態でこのHPへのアクセスはできなかった。大学の外部公開用Webサーバーに登録がすみ、今日やっと http://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~keizaisi/を開設したがファイル転送などがうまくできず、この学部サーバーのミラーサイトとしての運用は当分、自分の力ではできそうもない。

 

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200395(2) 本日誌を読んでくださっているOB教員の方から、昨日の日誌(全学ないし3学部合同教授会の呼びかけ決定)に関し、「祝合同教授会」のエールをいただいた。お名前を特定できないように配慮し、以下にご紹介しておこう。

 

-------------------A氏より---------

本日の日誌,拝見致しました。合同教授会を商学部から呼び
かけることに決まったとか。久しぶりの明るいニュースで,暑
さも一瞬吹っ飛んだ感じが致しました。実は,以前から,この
日が来ることをずっと待っておりました。まさか,国際文化や
理が乗ってこないことはないと思いますが,上手く実現するこ
とを心から祈っています。学長駄目,幹事会委員も駄目,学部
長クラスも頼りにならないとなれば,期待できるのは残りの一
般教員だけで,大いに期待しています。
 
 過日出された新横浜大学構想,その線も在り得ると思っては
いましたが,何分にも相手のあることだし,提案が唐突だった
だけに,正直言って,ついてゆけませんでした。悪しからず。
 
 日誌を書き続けられることは,本当に大変なご苦労だろうと
お察し致します。気持ちは同じでも,私にはとても真似が出来
ないことで,私ならとうの昔に投げ出していたでしょう。まだ
,先が長いですが,頑張って下さることを期待しています。

 残暑も厳しいので,お疲れの出ませぬように。

 

                ------------エール御礼の返信より--------------

 

エールをありがとうございます。
商学部のなかでも、このままではだめだ、という空気が一つの方向に向かい蓄積して
きて、今回のような決定となりました。
全学で直接集まって叡智を出し合うしかないだろうと思います。それだけ大きな問題
だということですね。

 新横浜総合大学構想は、閉鎖的官僚的な態度と予想される案(「あり方懇」路線)に対
して、学内がいっさい対案を提起していないのはまずかろう、こういう案もありうるで
はないか、たくさんの案を出しあってみよう、その刺激剤にしよう、ということで、
その思いがあのようなかたちになりました。

 まさに先生のご指摘通り、相手のあることですし、そんなに簡単なことではありませ
んが、たとえば横浜地区14大学のアカデミア科学アカデミー)創出ということな
ら、可能性もあるのではないか、日本学術会議という全国組織だけではなく、ボトム
アップ型の科学者コミュニティとして横浜に科学文化アカデミーが結成・創出されてもいい
のではないか[2]、それならむつかしい大学の合同ではなく、実現可能ではないか、とい
うところです。

要は、これまでの外在的で不当な「改革」に抗する「民の力」を大学人が提示してい
こう、というところです。

今後とも、ご支援をお願いいたします。

取り急ぎ、御礼まで。

 

 

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200395日 昨日帰りがけに、学部長秘書から「人事係りからの連絡」との断り書きをつけて、セクハラ関係研修会に商学部から20人は出席するようにと、「動員」がかけられた。私は怒りを感じたが、今朝、研究室にくると、同じような感覚をお持ちの平智之教授が、全学部メンバーに当ててメールで下記のような御主張をなさっていた。まったく同感で、その旨をおつたえし、ここに転載する承認も得たので、公開しておこう。

「必須」の方々とは学部長や評議員という学部執行部・評議会における学部代表8名であり、そのような人々が職務上(特別手当も得ているのであり、全員ではないが担当コマ数も減らされ負担軽減措置がなされている)、参加を義務化してもいいであろう。しかし、一般教員は、毎日、研究教育のために、現在のような大変な時期にあっても死に物狂いでがんばっているのであり、そのようなことをいっさい知らないかのごとく、関知しないかのごとくに、動員割り当てを「人事係」が教員に発するとはどういう神経か。いわれるまでもなく、時間があり精神的余裕のある人は出席するであろう。すでに教授会で担当委員の教員から「是非ご出席を」との声がかかっていたのであり、そうえさらにこうした神経を逆なでするやり方には反発を抱く。このような押しつけは、一種のハラスメントではないのか? せっかく、研究教育のために、夏休みの貴重な時間を使って論文などを執筆している教員に対し、精神的圧迫となることを考えないのか?

 

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藤山組合委員長 様
同報 関係者各位

 教授会およびいろいろ文書活動を、ありがとうございます。

 教員の勤務問題などとのからみで、以下のような大学当局主催の「研修会」類に事
務局から人数目標を定められて、管理職以外の一般教員(組合員)が「動員」される
という事例は私の記憶にありません。市職員ではない秘書の方は、そういうことを知
らないので、メールを人事係から言われるままに、出しているのだろうと思います。
これも、私がかねて申し入れている、リカレント講座などへの事実上の「タダ働き」
と同じように、総務部(人事係)に「越権行為」の事実上の動員はやめるよう、教員
組合から申し入れて頂ければ幸いです。普通だったら黙認できることも、時節柄、教
員の人事権・労働条件を擁護するために、私はこういうことでも看過は絶対に出来ま
せん。なお、秘書の方や関係委員の方には他意はありませんし、全国的なセクハラ防
止の意義は私なりに理解しておりますことを念のために付言します。

 いろいろお忙しいでしょうから、電話やメールで結構ですので何とぞよろしくお願
いします。

 平 智之


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学部長秘書からのOriginal Message -----
Sent: Thursday, September 04, 2003 4:07 PM
Subject:
市大セクシャルハラスメント防止研修会(2)

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商学部教員 各位
>
>
いつもお世話様でございます。
>
先にご案内しました、9/12開催のセクシャルハラスメント防止研修会ですが、
>
商学部の参加者は、現在の処、・・・先生と・・・先生のみです。
>
人事係より、必須の方()を除き20名程ご出席いただきたいとの事ですので、
>
皆様ご都合がつく限りご出席をお願いします。
>
>
ご出席いただける様でしたら、当方宛メールで結構ですので、
>
ご連絡お願い申し上げます。(〆切:9/5 15:00迄)
>
>
          記
>
研修会実施日:  9/12(金) 15:30〜17:00
>
場     所    カメリアホール
> ※
出席必須の先生: 柴田副学長、川内学部長、
>
          島田/藤野/三浦/三上評議員
>
          随防止委員、佐藤(響)窓口委員
>

 

 

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200394(2) 今日は商学部定例教授会だった。821日臨時教授会以降の全学部・研究科のプロジェクトR幹事会案に対する意見書が明確になった。プロジェクトR幹事会案にたいして、全学部・研究科の意見の共通項をまとめれば、主要な骨格部分について重大な疑義や批判・反対があることが明確になった。こうした点を踏まえ、全学部(すくなくとも統合の対象とされる3学部が一同に集まり、合同で教授会を開催するべきだということになった。憲法的根本的な制度改革に関わる問題を関係全教授会で一度はきちんと議論してみるべきだ、学長に出席を求め、全学部教授会の疑問・反対・批判に対して、どのような態度を取るのか、説明を求めるべきだ、ということになった。学部長がこの商学部教授会の決定を文章化し、全学部に合同教授会を呼びかけることになった。すくなくとも、統合の対象とされている3学部は合同教授会で意見交換し、しかるべき態度表明を明確に学内外にすべきだという結論である。もし仮に、3学部合同教授会での決議がまとまらないとしても、各学部教授会が、合同教授会の議論を踏まえて、臨時教授会を開催し、各教授会としての態度を明確に表明すべだ、すくなくとも商学部教授会は3学部合同教授会終了後、臨時教授会を開催しようということになった。

 

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200394日 「市民の会」から9715-18時:かながわ県民サポートセンター(横浜駅西口・三越裏)市大の発展を求める大規模集会のご案内http://www8.big.or.jp/~y-shimin/index2.htmlがあった。参加して、市民の多様な意見に耳を傾けたい。本来、学長・事務局長など大学関係者は、市民が手弁当で作り上げるこのような集会にも参加して、市民の多様な意見に耳を傾けるべきだと思う。多様な意見を総合して初めて、強靭な構想を練り上げることができるだろう。まさに、改革構想を練り上げる姿勢に、改革の方向が端的に示されることになろう。学長・事務局長、プロジェクトR(幹事会)責任者たちが現在までの市民や学生無視の態度をつづけるならば、決して創造的な豊かな大学はできないだろう。

 

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200393日 大学改革推進本部における学長説明(821日)の文書(教員組合・浮田書記長作成)を入手した(大学改革推進本部における学長説明)ので、若干の新しい論点を脚注で指摘して、リンクを張った。本日入手したプロジェクトR幹事会案に対する馬来国弼(理学部長):理学部臨時教授会における意見03-9-2 (総合意見、個別意見)も、表現はきわめて穏やかだが,内容は幹事会案に対する根本的批判・否定を意味する。こうしたことを踏まえ、教員組合・藤山委員長から学部長・研究科長へ要望書が提出され、公開された。ここにリンクを張って掲載し、同時に以下にコピーしておこう。

 

---------------要望書-------------------

横浜市立大学商学部長 川内克忠殿

横浜市立大学国際文化学部長 黒川修司殿

横浜市立大学理学部長 馬来国弼殿

横浜市立大学医学部長 関原久彦殿

横浜市立大学総合理学研究科長 榊原 徹殿

横浜市立大学看護短期大学部部長 藤尾ミツ子殿

200393

        横浜市立大学教員組合執行委員長 藤山嘉夫

 

 貴職におかれましては、横浜市立大学の存亡をかけたこの時期に、ご献身いただき深く感謝いたしております。

 

818日、第3回大学改革推進・プラン策定委員会が開催され、プラン策定委員会幹事会の案(以下、「幹事会案」)が提示されました。その後、医学部臨時教授会(20日)、商学部臨時教授会(21日)、国際文化学部臨時教授会(25日)、理学部臨時教授会(25日)、総合理学研究科臨時研究科委員会(28日)が開催され、「幹事会案」に対する教員の意見が表明され、それは公表されました。看護短大の臨時教授会は95日に予定されています。

 

それぞれの教授会において、会議の冒頭で、この臨時教授会の基本的な性格はいかなるものであり、教員の意見を集約することにいかなる効果があるのかといった疑問が教員から共通に提起されました。このことの背景には、818日に開催された臨時部局長会において、学長が、「幹事会案」に関しては教員の意見を慎重に収集すべきであるが、しかし、それは「教授会で決議をするような性格のものではない」との見解を表明した事実があります。一般的に言って、教授会が何らかの決議をすべきか否かに関しても、教授会自らが判断すべき事項であることは、自明の理です。学長が、教授会の議事運営の内容に関してこのように外から制約を加えるということは、教授会自治への明らかな越権的な介入といわざるを得ません。教授会を定めた学校教育法第59条に違反する恐れがあります。「学部における重要なこと」を「教授会の審議事項」と定めた学則の精神にも反します。

 

このように極めて異常な制約条件をつけられたうえで開催されたそれぞれの教授会、研究科会で集約された教員の見解においては、「幹事会案」についての賛成意見は皆無といって過言ではありません。また、「幹事会案」の骨格構造を構成している、@3学部を統合し、「プラクティカルなリベラルアーツ」を目指した「実践的な国際教養大学」、A独法化を前提にして、しかも、理事長と学長を分離、B任期制や年俸制の導入、これら3つの骨格に関しては明確な反対ないし疑問が各学部共通に集中しています。無論、その他の重要な事項に関しても反対ないし疑義が提起されています。こうした事柄に鑑みますと「幹事会案」は、大学自治における基礎的組織である教授会においてオーソライズされていないことは明らかです。

 

さらにまた、臨時教授会の席上、その臨時教授会の基本的な性格付けに関して、学部を超えて共通に疑問が呈されたことは、極めて重要な問題です。これは、学部の存立形態と教員の身分上の重大な変更事項を含む改革案策定に対する教授会の「意思」表明を封じられたことへの教授会としての重大な違和感の表明です。それは、この重大問題に対して教授会の自治が外から制約されたことへの教員の素朴な疑問の表出です。  

 

学長は、対外的には、横浜市立大学改革推進本部において「大枠」が確定したかのような報告を行っており、これが一人歩きを始めております。対内的には、「大枠」に過ぎないのであるから教員らから意見を聴取する、しかし、教授会としての意思表明はしないという形で推移しています。当局は、まさに2枚の舌を使い分けつつ、大学自治の基礎的組織としての教授会の意思表明の権限を抑えこもうとしています。このままに推移しますと、教員の意見は聞き置く、しかし、教授会としての明確な意思表示がなかったのだから、「幹事会案」は教員の支持を得ているという形での展開となることは必至です。

 

したがって、現時点で、各教授会が教授会としての「意思」を何らかの形で表明しておくことが極めて重要であると考えます。「意思」の内容は教授会によって様々であろうかと思います。しかし、前回の臨時教授会で忌憚のない意見が教員から表明された事実は重要です。この表明された多くの意見を踏まえて、教授会の何らかの「意思」を示しておくことが可能ですし、現在、そのことが非常に大事になっていると思います。そして、このような形で教授会の明確な「意思」を表示することは、学長の教授会自治に対する侵害行為を認めないという教授会の姿勢を示すことでもあります。もし、今ここで教授会の「意思」を示すことがなければ、教授会が学長発言を事実上容認することになり、横浜市立大学改革にかんして教授会の「意思」表示が今後困難な前提を作ってしまいかねないと危惧いたします。

 

さらに重大なことに、ことは市大改革問題のみにとどまらず、今後、教授会の専権的な事項にかかわる一切の権限さえもが簒奪される可能性をも否定できないということです。このことは、「幹事会案」に教授会の位置づけがまったくないことと無縁ではないと思います。この間の教学権への事務組織の介入の歴史的経緯を踏まえるとすれば、その可能性は決して杞憂としえません。それは、まさに「蟻の一穴」を想起させるものです。

 横浜市立大学の存亡をかけたまさに今この時期に、どうか「蟻の一穴」を認めないという賢明なるご判断を仰ぎたくお願い申し上げます。

 

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200392(2)  プロジェクトR案に対する総合理学研究科の意見書が手に入ったので早速リンクして掲載したい。その内容は、すばらしく,感動的である。冒頭の憲法的問題の指摘をはじめ,格調高く理路整然としており、毅然としている。その態度は、 この間,たびたび総合理学研究科が声明を公表してきたことに対応するものである。昨年秋の評議会からの事務局総退場事件の抗議声明などとあわせ、これまた歴史的文書となろう。

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2003年9月2日 「国公私立大学通信」http://ac-net.org/kd/03/902.htmlで、

2 多分野連携シンポジウム9/27 大学界の真の改革を求めて

http://www003.upp.so-net.ne.jp/znet/znet/news/multisympo927.htmlのシンポジウムの呼びかけが発せられている。私にも参加の呼びかけがあったが、当日は全日、すでに経済史3ゼミ(松井ゼミ,本宮ゼミ,そして私)の合同卒論中間報告会が入っており、参加不可能である。どなたか参加されるとすばらしいのではないか。

 

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200391(2) 総合理学研究科・佐藤真彦教授から、「御用ヒアリング」批判の鋭い文書をいただいた。ここに、コピーし、同時にリンクを張って紹介し、広く多くの人に目を通していただきたい(引用・参照リンクには直接関係のページではなく、当該HPのトップページが出てしまうなど若干の不適合があるようだが、適宜、佐藤真彦先生のHPで最新版を確認されたい)(「国公私立大学通信」http://ac-net.org/kd/03/902.htmlは佐藤真彦教授の「御用ヒアリング」を全国的に知らせる価値ありと見たのであろう、No.12792日号に採録している.本学・矢吹教授HPにも掲載された)。(以下の本文における赤字強調、及び脚注は引用者) 

 

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“御用”ヒアリング:

たった15分の意見聴取で済ませて,強行突破する積もりか

 

2003年8月30日 総合理学研究科 佐藤真彦

 

 

8月28日,総合理学研究科八景委員会が臨時に開催された.開催に至った理由は,去る8月18日に公表された「プロジェクトR幹事会」のこれまでの結論である学長・事務局側改革案大枠(「大学改革案の大枠の整理について03-8-18)に対して,各教授会および研究科委員会の意見をまとめて,8月末までに,箇条書きの文書として「プロジェクトR幹事会」に提出するように,学長・事務局が指示したためである.この指示に忠実に従って,各教授会・研究科委員会が臨時に開催され,このところ連日のように,各学部等からの「意見」が文書化され,(学長・事務局の意に反して[3]本ホームページ永岑三千輝氏のホームページ(『日誌』)矢吹 晋氏のホームページで公開されている.これらの公開された「意見」はことごとく,学長・事務局側改革案大枠に反対もしくは批判的であり,賛成意見は皆無である.

 

学長・事務局の説明によれば,今回の指示の目的は,各学部・研究科・研究所から提出された「意見」に基づいて,各学部長・研究科長・研究所長から個別に,学長・事務局側(「プロジェクトR幹事会」側)が“ヒアリング”を行い,“改革案に反映”させることにあるという.実際,個別のヒアリングを,すでに済ませたところもある.しかしながら,驚いたことには,ヒアリングのための時間が各々たったの15分に限られているという.これでは,学長・事務局側には学内の「意見」を真面目に聞く積りがはじめから全くなく,市長・事務局が指示した“9月末までに大学として結論を出す”という締め切り期限(「全学的改革検討組織(=プロジェクトR)の基本的な考え方03-5-13参照)を目前にして,“大学側改革案”を拙速に作成して,当初の筋書き通りに強行突破を謀るという意図が見え見えである.また,今回のような,気心の知れた学部長・研究科長・研究所長からの“個別のヒアリング”というヤラセくさい間接的なやり方ではなく,教員組合や一般教員が以前から強く要望している全学的な説明集会(例えば最近では,『「大学改革」に関する説明集会の開催要求03-8-5参照)を開催して,直接,一般教員から意見聴取するやり方をあくまで避けてきたのは何故なのか,その理由も,もはや明白であろう.

 

しかも,下記「討議資料03-8-28中で,『「プラクティカルなリベラルアーツ」とは,どのようなものなのか,という質問にたいして,学長は,「14人いれば14とおりの解釈があるので,私としては今,こうだとは言えない」という主旨の発言をし,・・・市の改革推進会議でも,報道発表でも,「プラクティカルなリベラルアーツ」という,あり方懇の方向で行く,と言っておきながら,その内容が上記のようなことであるとは全く開いた口がふさがりません.ようするに,自己矛盾する言葉を羅列したにすぎない「プラクティカルなリベラルアーツ」なるものは,誰も説明しようがないことを,学長自ら吐露せざるを得なかったものとしか言いようがありません.』と,ある教員が指摘しているように,肝心かなめの“プラクティカルなリベラルアーツ”の理念すら提示できないというオソマツぶりを露呈している.もっとも,上記の教員はじめ多くの人が指摘しているように,“実用的”(プラクティカル)でかつ“実用の役に立たない教養”(リベラルアーツ)という元々矛盾した概念では,どうにも説明のしようがないのは当然であろう.

 

さらに,改革案の具体的な細部を意図的にあいまいにしている点に関して,本学卒業生で神奈川県庁OBの荻原昭英氏が的確に指摘しているように,「問題の多い3学部統合,リベラルアーツ構想については,具体的なことはいわない,カードを隠して時間切れを狙っている.・・・最後の瞬間になってカード(具体案)を出し,いやおうなく結論に持っていく戦略」という汚(キタナ)さである(下記の「討議資料03-8-28」中の荻原氏による「横浜市大改革03-8-26参照).

 

そもそも,学長・事務局側改革案大枠(「大学改革案の大枠の整理について03-8-18」)に対してことごとく反対している全学からの「意見」を,どのようにして“改革案に反映”させようと言うのか.“御用”シンポジウム(03-7-20“御用”アンケート(03-8-1に引き続いて,“御用”ヒアリング(03-8月下旬〜9月上旬)を形式的に行ったという既成事実を作るのが第1目的の,またしても,「プロジェクトR」とは,ウソで凝り固めた“欺瞞の塊り”にほかならないという事実を再確認するだけではないのか.(『“欺瞞の塊り”「プロジェクトR」03-8-15参照)

 

 実際,学長・市大事務局・横浜市当局側は学内意見のヒアリングを待つことなく,さっさと,8月21日に「横浜市 大学改革推進本部第2回会議」を開催して,学長・事務局側改革案大枠(「大学改革案の大枠の整理について03-8-18」)を公表・記者発表している.その意図は,明らかに,学長・事務局側改革案が,あたかも,すでに承認・決定済みであるかのように主要メディアを通して一斉に報道し,あるいは,事務局が“無法乗っ取り”した「横浜市大 公式ホームページ」を通して“御用”情報としてタレ流すこと(記者発表「大学改革案の大枠整理03-8-21参照)により,世論操作することにあると思われる.(「各紙“御用”報道03-8-22『“欺瞞の象徴”「横浜市大公式ホームページ」と事務局によるネットワークシステムの“無法乗っ取り”を糾弾する03-7-3参照)

 

なお,小川恵一学長および中上 直総務部長の両氏は,8月18日の(臨時)部局長会議および(臨時)評議会において,それぞれ,“各教授会・研究科委員会においては,意見集約の際に反対決議や声明などを出さないように”と指示した[4]という.このような大学自治の原則を無視する内容の発言を知ったある教員は,「教授会組織を一体何と考えているのか」と怒りを爆発させている(下記の「討議資料03-8-28参照).

 

今回(8月28日)の研究科委員会における教員「意見」の概要に関しては,榊原 徹研究科長による「総合理学研究科八景研究科委員会における意見03-8-28にまとめられている.言うまでもなく,学長・事務局側改革案大枠に対する反対意見・批判意見一色のオンパレードである.研究科委員会において討議のために配布した「討議資料03-8-28にある「理学部教授会(03-8-25)で出た主な意見」と共に参照されたい.

 

ここでは,上記の「総合理学研究科八景研究科委員会における意見03-8-28」中に取り上げられなかったものを含めて,主として,「討議資料03-8-28」に基づいて,研究科委員会で(私が)述べた意見を箇条書きにして,以下にまとめておく.

 

(1)先日まとめられた,「理学部教授会03-8-25で出た主な意見1〜8」はいずれももっともなもので,同感である.

 

(2)また,本学を第2の母校と感じている柳沢 悠氏(東京大学教授,元横浜市立大学助教授)の「意見書03-8-25も,今回の学長・事務局側改革案大枠(「大学改革案の大枠の整理について03-8-18」)の内容を非常に危惧する,心からの叫びであり,共感を覚える.

 

(3)そもそも,「学問の自由と大学の自治」およびこれを制度的に保障する「教育公務員特例法」をはずして,最終的に大学における批判精神を根絶やしにするための姑息な手段である「法人化」を前提にした中田 宏市長による指示を,小川学長のように唯々諾々と,大学人自らが受け入れてはならない.

 

(4)教授会に人事権がないばかりか,教授会そのものもなくなってしまいかねないような制度[5],あるいは,教員の身分,待遇や研究費を不安定化して,人事(昇進・解雇など)とお金(給与・研究費など)で言うことを聞かせようとするような諸制度(任期制・再雇用制・評価制・年俸や研究費の傾斜配分制など)は,自由で民主的な学園の理想の対極にある最悪の制度で,決して賛同できない.

 

(5)そもそも,@「あり方懇答申03-2-27は,“御用”学者で中田市長のブレインの一人でもある橋爪大三郎東京工業大学教授らが中田市長および事務局(“独裁”官僚池田輝政前総務部長,現泉区長)の意を汲んで作成したものであり,橋爪氏も「リベラルアーツカレッジというのは、お金のかかるところを削ぎ落としてゆくもの」(下記の「討議資料03-8-28参照)と「横浜市 大学改革推進会議03-8-21」の席上で本音を漏らしているように,経費節減を第1目的とした杜撰なものである.橋爪氏の発言は,まさに,“語るに落ちた”発言の典型[6]と言うべきであろう.また,A「大学改革戦略会議のまとめ03-1-8」(注:「横浜市立大学改革の方向性について03-1-8」と同一の文書)」は,「プロジェクトR幹事会」の議論の方向を決定した“独裁官僚”池田氏の“暴言”集(ナマ発言集)である「“部外秘資料2”03-1-28」を市民向けにマイルドにした「“部外秘資料1”03-1-28」そのものであり,B「将来構想委中間報告02-12-24は教員の意向を少しは反映しているが,主として,積極“擦り寄り派”教員の手による,市長・事務局側に大幅に“擦り寄った”内容のものである.(「第3回あり方懇傍聴記02-12-9「“横浜モデル”:構造改革論者・中田市長の目指すもの03-3-12「中田 宏・横浜市長のブレイン研究03-4-22「“部外秘”資料が語る横浜市立大学“独裁”官僚と似非民主制03-1-28「ようやく公開された『部外秘資料』と市長メッセージ『改学宣言』の欺瞞性03-5-14「“欺瞞の塊り”プロジェクトR03-8-15参照)

 

(6)独立行政法人化を前提にして,「あり方懇答申03-2-27」(@)に合うようにその他の2つの文書(A,B)を手直しした,今回の学長・事務局側改革案大枠(「大学改革案の大枠の整理について03-8-18」)は,上記の荻原氏も指摘しているように「最初から結論の決まったやらせの答申をもっともらしく発表」したものにすぎず,要するに,ウソで凝り固めた徹頭徹尾の欺瞞であることが,すでに告発・暴露されており,まったく認めることはできない.(「“欺瞞の塊り”プロジェクトR03-8-15参照)

 

(7)たった15分のヒアリングで学内からの意見聴取を済ませたことにして,当初の筋書き通りの“学長・事務局側改革案”で強行突破しようという非民主的なやり方は受け入れられない.大体,反対・批判で一色の学内「意見」を,どのように“改革案に反映”させようというのか.このような“欺瞞の塊り”そのもののやり方は,いい加減に止めるべきである.

 

(8)「資料03-8-28」中の荻原氏による「横浜市大改革03-8-26は,母校が悲惨な姿に無理やりに変貌させられようとしている事態を憂慮・憤慨する,政策立案過程の裏の裏を知り尽くした官僚OBとしての怒りの告発であるが,その中で荻原氏は,「すでに小川学長のリーダーシップは、学内の支持を失い、大学の将来を危うくする存在となっている。学長に縁も怨みもないが、市大の改革に関しては学長としてふさわしくないとしかいいようがない。 どうでもいいときの学長ならともかく、この激動の時期のリーダーとしてふさわしくない人物である。 優柔不断、日和見、不誠実、問題先送り、自己保身、権力迎合を旨とする。これでは、学長の即時解任もやむを得ない。大学を代表する人格に欠け、支持を失った以上、即時辞任を求めることに賛同する。」と断じている.まったく,同感である.

 

(9)これ程まであからさまに,学長としての見識や資質・人格が不適格であると指弾された学長も珍しい.このような事態に至った以上,研究科委員会として学長に対する不信任決議を出すのも止むを得ないのではないのか

 

なお,学長に対する不信任あるいは辞任要求の意見は私以外の複数の教員からも出されたが,「今の学長を辞任に追い込むと,“もっと悪い”のが後釜に座る恐れが強い」という主旨の発言で決議には至らなかったことを付記しておく.一般教員の間に,横浜市大首脳部には真に教員を代表する人物がいない,という深刻な不信感と諦念が蔓延している証拠であろう.

 

 

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総合理学研究科八景研究科委員会 討議資料03-8-28

 

(1) 理学部教授会(03-8-25)で出た主な意見 (ただし,個人的な記憶に基づくもので正式な文書ではないことをお断りしておく.)

 

1. プラクティカル・リベラルアーツの概念がはっきりしていないで、それに添った案というのは分らない。理念が不明確である。

2. 3学部を1学部に統合したり、博士課程を縮小するような案で、競争力が保たれるとは思われない

3. 財政上の問題でこのような案にするならば、その見通し、裏づけが必要であるのに何もない。

4. 学長と理事長の分離には反対である。

5. 入試をどうするのか、3学府1本でするなら、理学部はやっていけない。大枠だからと言っても、重要なことであり、それについて何もないのでは判断に困る。

6. 幹事会でこのような結論になった経過が、ほとんど分らないが、これを説明できるのは学長だけである。理学部に学長が説明に来て欲しい。

7. 大学での検討を来年まで、一年延ばすようにすることを主張したい。

8. 部局長会議において、教授会で「声明や決議をしないように」という要請があったということは明白な学部自治への侵害である。

 

とくに,

 上記1の,「プラクティカルなリベラルアーツ」とは,どのようなものなのか,という質問にたいして,学長は,「14人いれば14とおりの解釈があるので,私としては今,こうだとは言えない」という主旨の発言をした,ということが学部長から話されました.市の改革推進会議でも,報道発表でも,「プラクティカルなリベラルアーツ」という,あり方懇の方向で行く,と言っておきながら,その内容が上記のようなことであるとは全く開いた口がふさがりません.ようするに,自己矛盾する言葉を羅列したにすぎない「プラクティカルなリベラルアーツ」なるものは,誰も説明しようがないことを,学長自ら吐露せざるを得なかったものとしか言いようがありません.

 上記8の,各教授会や研究科委員会で「大枠」についての議論はしてよいが,「決議」や「声明」は出さないように,という主旨の発言が「学長」からあった,という学部長の発言でした.教授会組織を一体何と考えているのか.

 

(2) 教員組合(浮田書記長):「第2回大学改革推進本部会議03-8-21」傍聴記より

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/030825bocho.htm 

 

副市長の挨拶・・・報道によると、東京都においても都立の4つの大学を統合し、新しい大学は、地方独立行政法人となると共に、学部構成などを見直しており、横浜と東京で、良い学生を取り合うこととなるだろう。・・・

・・・

学長:改革の目玉は@プラクティカルなリベラルアーツ、実践的な教養大学として教育に重点を置く。A従来の3学部を1学部に統合して、国際総合科学部とする。その中に3つの学府をおく。学府間の壁を低くし、リベラルアーツを具現できる柔軟な体制にしていく。B教育組織と教員の所属組織を分けて、教育組織から、カリキュラムを実行するうえで最も適した人を研究院から派遣してもらうことを要請してカリキュラムを構成する。C教員の人事制度は、公募制を原則とする。任期制や年報制を導入しやすい形で導入する。D学長と理事長を分離し、それぞれ専門性を発揮し、より高度な機能をそれぞれが発揮して、両者の連携を密にする。・・・

・・・

総務局長:先回のありかた懇の答申では教員は、継続ではなく、再就職の形となっているが、プロジェクトRではどのように話されているのか。

学長:・・・教員は、解雇ではなく再就職の形をとる。基本的にはそういう厳しさを持って臨みたい。既に独立法人化している機関を参考にしつつ進めたい。今は事例を研究している。・・・

・・・

財政局長:財政局としては、基準としては、その辺について、どこまで検討されているのか?

学長検討と言っても、ありかた懇で、3年後には運営交付金を120億からその半分に、5年後には均衡にと、ある種の基準が示されているが、今シミュレーションをしていて、学生数を千人増やさなければならないとか、教員数を何割もカットしなければならないとか,大学の機能が低下してしまう可能性が高く・・・

・・・

事務局長:・・・仮に法人化した場合、学内だけの議論では進まない。評価委員会の設置なども必要だ。法人化にかかわらず、学部の再編及び新しいシステムの導入などは色々な分野で詳細な準備が必要である。大学でも異論のない様に準備したいので協力して欲しい。

橋爪:一番大事なことを一つ尋ねたい。大枠で必要な改革が提案されていた。研究院の設置、組織と教育の分離、教育に重点を当て学府を作って色々なプログラムを構成していく点は評価する。経営組織でも、学長と理事長を置いて連携していくことも良いと思う。学生や市民の方から見ると、どこが目玉なのかが分かりにくい。説明を聞かずに資料を見ると、学部を学府という看板に掛け替えてだけではないか、どこでリベラルアーツをやっているのか分からない。リベラルアーツを全面に出すような改革案が必要。国際教養学部が、パンキョウといわれた人気のない教養学部に見えてきてしまう。リベラルアーツ化をもっと鮮明に出すような工夫が必要だ。

学長:・・・今後は橋爪氏の意向に添った形のものを作りたい。

橋爪1年から4年まで全体がリベラルアーツ化したものを作ってはどうか。・・・

・・・

橋爪:従来の市大に比べて、どこが経費が節減されているか分かりにくい。無駄を削ぎ落としたと市民に説明できるのか?今までよりも経費は節減できるのか。リベラルアーツカレッジというのは、お金のかかるところを削ぎ落としてゆくもの。研究院の予算は精選するのか?

学長スクラップ、スクラップ、アンド、ビルドといって、2つスクラップしてひとつビルドするつもり。・・・

 

(3)柳澤 悠(横浜市市民、東京大学教授、元横浜市立大学助教授):「横浜市立大学の改革に関する意見書03-8-25」より

\\EBA-FS\kogiseminagamine\public_html\20030901YanagisawaIkenKohyoban.htm

 

・・・

「東京大学憲章」も「教員人事は基本組織の議を経てこれを行なう」と記して、教授会による教員人事決定を自明のこととしている。小生の知人も、教授会に人事権がない大学に就職したら、必死で別の大学の職を探して移動してしまった。市大がかかる大学にならないよう、心から望む。なお、アメリカの事情について、大学教育の質的低下を克服するための方策に関する、次の高等教育担当の高官の発言は示唆的である。

「9 質的低下の克服 学術的な事柄は教授団メンバーが決定しなければならないことを政府の行政官は理解する必要がある。教授団メンバーは、教授団の任用や昇進、入学許可や学業水準、学生の試験や評価、カリキュラムの開発やその内容、及び、学内での表現や思想の自由などに対する主要な統制権を保持しなくてはならない。」ケネス・H・アシュワース(高木英明・井口千鶴・秦由美子訳)『アメリカの高等教育―質的低下克服への道』教育開発研究所、平成9年、114-5頁)。

・・・

教員任期制の全面的な採用は、教員水準の決定的な劣化に帰結する。大学が真理追究の場として実現されるためには大学の自治と学問の自由が保障されなくてはならないが、教員の長期雇用の保証はそのための不可欠の条件である。

・・・

「大半がノンテニュアトラック教員(注:いつまでも任期制のままでいる教員)」という「あり方懇談会」答申が主張する方向とは、アメリカの実態はまるで違うことを示している。・・・永久任期制で残る人材は、テニュア(注:終身在職権)取得が困難なような種類の人材だけであろう。

・・・

その点で、日本のある四年制の私立大学の例は示唆的である。この大学は、リベラル・アーツの学部一つの大学で、教員はほとんど全員が任期制で、「優秀な教員は任期を更新して、最終的には定年年齢まで更新を繰り返すことができる」制度である。・・・

開学後9年を経過したが、教員の55%は採用後2年以内で、5年以上の雇用者は24%に過ぎない。開学時からの雇用者は16%に過ぎず、教員の大半が数年以内に移出していることが分かる。・・・

この大学の昨年度の入学定員充足率は、約40%であったことも記しておこう。(主として、ウェッブサイトの教員データから算出)

 「良貨は移出し、悪貨のみ残る」のは、制度設計からして当然のことで、任期制の導入のもつ深刻な危険性を、アカデミック・フリーダムの観点からだけでなく、教員労働市場の観点からも真剣な検討を加えられることを望む。

さらに、任期延長等の人事が主任教授や「人事委員会」等の裁量にゆだねられる程度が大きい場合、これらの危険性が倍増することにも、留意が必要であろう。・・・

・・・

 

(4) 荻原昭英氏(S37年卒業,神奈川県庁OB):「横浜市大改革03-8-26」より

http://isweb44.infoseek.co.jp/travel/yoogi53/essay300.htm 

・・・

(学長側から18日に出された改革案は,)問題の多い3学部統合、リベラルアーツ構想については、具体的なことはいわない、カードを隠して時間切れを狙っている。そんな感じです。
最後の瞬間になってカード(具体案)を出し、いやおうなく結論に持っていく戦略だと思われます。

・・・

「川を渡る途中で船頭を変えるものではない」という。普通はそうである。
よくよくのことでなければ、変えることは望ましいことではない。リーダーを失い、混乱する。相手に弱点を見透かされる。
 しかし、すでに小川学長のリーダーシップは、学内の支持を失い、大学の将来を危うくする存在となっている。学長に縁も怨みもないが、市大の改革に関しては学長としてふさわしくないとしかいいようがない。 どうでもいいときの学長ならともかく、この激動の時期のリーダーとしてふさわしくない人物である。
 優柔不断、日和見、不誠実、問題先送り、自己保身、権力迎合を旨とする。これでは、学長の即時解任もやむを得ない。大学を代表する人格に欠け、支持を失った以上、即時辞任を求めることに賛同する。

 

(注:当日配布した資料では,赤字強調された黄色蛍光マーク部は囲み文字となっている.)

-------以上、佐藤真彦氏の「御用ヒアリング」批判-------

 

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200391日 週末もまた商学部HPがフリーズしていたため、当HPに関心をお持ちの方にはご迷惑をおかけしたことだろう。今朝は、やっと正常に戻っている。こうした事態に対処するため、大学の「外部公開用」HP2週間ほど前に、私のファイルを置くこと、そこに外部からアクセスする可能性を開くこと(ミラーサイト、緊急避難用)を考え、登録申請した。ただ、現在は、この外部公開用に割り当てられる容量が画一的に20MBであり、それでは私の場合は、本格的なミラーサイトにはなりえない。学術情報センターなど関係委員会に、大学内の利用者の実情に応じた配分原則の見直し(弾力的運用)などの検討を依頼している。当面は、20MBで可能なファイルだけを公開するしかないかもしれない。私の学部に蓄積した公開ファイルはすでに150MB近くになっているので、選別するのが一苦労になる。

 

 



[1]  すでに、書いたことだが再録しておけば、

 

今回のプロジェクトR幹事会案(その前提となる将来構想委員会中間報告案)で,唯一考慮に値するかと評価している点は、「教員の所属組織として研究院を置く」という部分である。これは、全学部の教授会の上部組織として、すなわち全学教授会として位置付けられるものであろう。

 

この研究院=全学教授会が大学自治の担い手としての重要な機能を発揮すること、その大学自治の担い手としての研究院=全学教授会の下に、各学部教授会を配置すること、その権限関係を有機的で効率的なものにしていくこと、こうしたことはありうる発想ではないか、検討してみる価値はあるのではないか、と思われる。

 

全学教授会=研究院にどのような権限を与え、どのように編成するかに関しては、いろいろのことが考えられよう。科学文化の研究教育という本務にふさわしい現代的あり方が創造されなければならないだろう。

 

その場合、日本の科学者コミュニティの代表(会員210名が、登録学術研究団体(学・協会)1356から選ばれた180の研究連絡委員会で2370人の委員の活動により支えられて、全国の研究者約73万人を代表する)としての日本学術会議の改革のあり方は、参考になろう。

 

「日本学術会議の改革の具体化について」20037月、日本学術会議運営信議会付置・日本学術会議改革推進員会)(p4)によれば、「科学の進歩発展による台頭してきた新分野、融合分野を取りこむための柔軟性」を考慮し、適切に対応するべきだとの総合科学技術会議意見具申(政府決定)を踏まえて、下記のような提案をしている。 

いずれ(来年度中にも)学術会議法の改正で法案化されるであろう基本方向で、現在、研究研連などからの意見を集約している段階のものである。従来の7部制を大胆に3部制に編成替えしようというのである。

 

3部制

 次のような理由・趣旨で、「人文社会系」、「生物生命系」、「理工系」(いずれも仮称)3部制とする。

@  新しい「部」は、活動上の緩やかな括りにすぎず、もとより数の論理が機能すべき場ではないが、コミュニケーションのための言語の共通性は考慮して設定する必要がある。

A  複合領域・新領域の集合を「部」として設定することは、言語の共通性の点で適切でないばかりか、かえって、広範な既成領域を巻き込んだ革新や融合にむけての取り組みが抑制されるおそれもある。

B  「生物生命系」は、「人文社会系」とも「理工系」とも境界面を有し親和性を持って交流でき、また科学研究費補助金の配分額と件数で5割の比重を占めていることなどから、「部」として設定することが適切であり、これにより、「部」の間の交流・共同が促進されて一体性が強化される。

C  いずれの「部」に所属しようと、総合的・俯瞰的視点に立った学際的・超域的活動を推進することが基本的な責務とされる。

 

()現行の法律用語上、「人文(科学)」、「社会(科学)」、「生物()、「生命(科学)」、「理()」、「工()」はあるが、「人文社会」、「生物生命」、「理工」はない。

 なお、日本学術会議法(8条第3項、第10)、科学技術基本法(1条、第2条第2)をはじめ、人文科学と社会科学を合わせて「人文科学」とするのが通例である。

 

[2] この発想と、本学の全教員を組織する研究院(全学合同教授会)=横浜市立大学アカデミーの構想は関連性を持つ。

 

 

[3] これまでに、学内の意見を広く聞くチャンスを持とうとする態度が示されていれば、他の方法もありえた。しかし、8月18日まで完全黙秘の緘口令で秘密にしておいて、その「あり方懇」に引っ張られた結果の案だけを社会的に公開してしまったのだから、プロジェクトR案の取扱いに関して、疑心暗鬼になり、世論を喚起する必要を感じるのは、当然ではないだろうか。

 

 大学の制度を根底から変えようと言うときに、慎重なオープンな議論をまったく行っていない以上、沈黙は許されないのではないか? その意味での教授会等意見の公開である。

 

大学の設置主体である市民=「地方(痴呆となってはならない、衆愚政治は許されない、市民自身の水準が民主的議論を通じて高められなければならない)公共団体」の主体も、自分の頭で大学問題を考えるために、どのような意見や問題点があるか、ひろく知りたいであろう。

 

情報公開こそは、市長の公約でもあったことからして、すくなくとも市長や市長を支持した市民は、多様な意見の公開こそを希望しているであろう。意見を公開したり議論をすることを回避する軟弱・怠惰な精神は「そんなことをすれば混乱する」と、きわめて非民主的・権威主義的・官僚的発言を、平気でするのである。

「混乱」を好む者はそう多くない。だが、そのもっともらしい発言の中に潜む危険性と深刻な問題性(軟弱性や怠惰、非民主性、官僚主義、形式主義)をえぐり出し、直視する必要がある。

そして、公的議論なくしては、何人も「悪しき効率主義と怠惰な状態」に陥ることを、みずから振りかえって、反省せざるを得ないであろう。

 

[4] 「指示」なるものにしたがった各教授会が責任を問われるということでもある。

 

 私は、商学部教授会でさまざまな意見が出た後、「決議にまとめるべき」と声を出したが、学部長はその気はない、とのことであった。他にも「決議」と言う形式には反対の発言があった。「決議」と言う形式に関して学長などからの圧力ないし要請があった可能性はある。

「決議」という形式に関してはいろいろ意見がありうるので、内容的に重要な問題点をきちんと指摘する意見書であれば、いいのではないかと考えた。出された意見の数々のなかにプロジェクトR(幹事会)案に、賛成のものはなかった。出された数々の意見を議事録的にまとめれば、内容的には「大枠」反対が明確になるので、その限りで、あえて「決議」という形式やタイトルにこだわらなかった。

 

 実際、商学部教授会が非常に温和な形で表現した意見の数々(プロジェクトR案に対する商学部教授会意見書は、しっかり考えてみれば、重大な問題ばかりであり、内容的に「大枠」批判・「大枠」反対は明確だろう。

すくなくとも、「時間切れ」戦略(5月から818日まで完全秘密主義で押し通した点を隠しての「時間切れ」の主張)でプロジェクトR(幹事会)案をごり押しする場合の責任がどこにあるかは、はっきりするであろう。

国際文化学部教授会の意見書や総合理学研究科の意見(佐藤真彦:“御用”ヒアリング:に資料として掲載)にしても、そうである。

 

[5] 妥協的な「学府―院」構想にも原理的に反対しておられるように見うけられる。

私など「学府―院」だけなら、一考の余地があるか、議論してみる価値はあるか、練り上げる価値があるかと考え、その可能性を探る論点を主張してきた。

そうした一種妥協的考え方(少しでも積極的な部分は拾い出してもいいのではないか、それが発展的な考えだと自分では思っているが)は、現実の事態を甘く見ていることなのかもしれない。

 

[6] まったく同感。なぜ、横浜市の財政問題をそんなに考えてくれるのか? 雇い主の希望にこたえる「“御用”学者」と言う表現は、あたっているであろう。

そして、これは、政治家・中田市長自身が五百人の市民を前に720日に語ったこと(「改革」が問題なのであって、財政問題が改革の動機ではない、云々)とも、矛盾するものである。

 市長は、「あり方懇」の第1回冒頭で言ったことと720日の市民の前での発言で、比較してみれば、すくなくともニュアンスを変えている。それが、市民がたくさんいるところでのリップサービスなのか、この間の「市民の会」や全国的な関心の高まりのなかから、大学について若干見方が変化したためか、あるいは、裏で財政問題で絞る人間がいればわざわざ表舞台で財政問題を切り出さなくても言いと言うことか、これは今後検証が必要となろう。

 大学改革の必要性をどのような問題点におくか、市当局・市長が期限だけは明確に切ったが、態度が変化しているかにも見える。