20031115日 教員組合委員長・藤山先生から、「11月13日、市労連の決起集会が開催され、およそ2000人が集まりました。市大からは約20人が参加しました。7単組と青女協からの決意表明が行なわれました」ということで、市大教員組合のおこなった決意表明を送っていただいた。教員組合・決意表明(2003-11-13) 任期制その他、教員の重大な身分に関わる事項が「大学像」A含まれており、当然の決意表明である。大学事務局などは、教員組合の態度表明を軽んじようとする傾向にあるが、それは許されないことだろう。地方独立行政法人ならば、ありうる可能性しては、教員組合と労働協約を締結する必要があるのであり、重要な交渉相手である。それとも公務員としての地位を維持した形での移行を考えているのか?

 

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 ご苦労様です。市大教員組合の藤山です。

中田市長は、2002年9月、市長の諮問機関として「市大のあり方懇談会」を発足させ、「あり方懇」は答申を提出しました。答申は、主には市民のための大学病院に投じられた市債、これを市大の累積債務であると強弁したうえで、「大胆な改革か廃校か」を迫りました。また、中田市長は「あり方懇」答申を踏まえ、独立行政法人とすべきことを大学に求めました。

市大の小川学長は、「あり方懇」答申を「踏まえ」て改革案を作成することを市長に約束し、全学の広汎な反対意見を封殺した上で、「あり方懇」答申の殆どすべてを盛り込んだ「改革案」を作成して市長に提出しました。大学の当事者を委員として一人も加えていない「あり方懇」、これが大学に対してその見解を事実上強要する結果となっており、これは、教育基本法第10条の「教育は不当な支配に服することなく」という規定に違反します。

「改革案」は,独立行政法人化を前提としていますが、市大教員組合は、これに反対します。例えば、マスコミが行政権力の介入から自由でなければならないのと同様に、教育と研究を担う大学は行政権力の統制から自由でなければなりません。行政が大学の「中期目標」を定める公立大学法人は、大学の自立性を著しく損なうものです。

さらに、教員組合として看過しがたいのは,この「改革案」が、現職の全教員に任期制を導入しようとしていることです。地方独立行政法人法は、法人への移行にあたり職員の身分は承継されるとしています。公務員身分を有期雇用に転換する全教員への任期制の導入はこの法律に違反します。しかも、任期のついた教員ばかりの大学では、教育と研究が大きく後退せざるを得ません。それでは決して市民と地域に貢献できる大学となることはできません。市大教員組合は、この違法かつ反市民的な全教員への任期制の導入に対しては法的手段に訴えることをも辞さず不退転の覚悟で闘うことをことをここに宣言して決意表明とします。

 

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20031114(2) 「任期制」の導入が問題になっているとき、すでに任期制の問題を直視した新しい制度としての「終身教授講座」が東大では創設されるという。わが「大学像」において、大学を破壊してしまうであろう「全員任期制」などを学長以下の「プロジェクトR」が打ち出しているとき、「終身教授講座」の構想は、一回り先を行く感じである。首都圏ネットの記事から、コピーしておこう。

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  新首都圏ネットワーク

 

東大先端研が終身教授制 国立大初、企業寄付で

共同通信ニュース速報

 東京大先端科学技術研究センターは三十日、任期を限定しない教
授を企業の寄付で雇う「寄付基金教授制度」を新設すると発表した
。来年度の独立行政法人化に伴い導入する。東大の定年(六十一歳
)を適用しない事実上の終身教授制で、文部科学省によると国立大
では初の試み。
 製薬大手の興和(名古屋市)が四億円を寄付し、東大が生命科学
の分野の専門家から選考する。「興和基金教授」と呼ばれることに
なるという。
 企業の寄付による寄付講座制度では、教授の任期は三五年と区
切られ、身分も非常勤だった。米国などでは有力大学の教授の多く
が寄付基金教授といい、センター長の南谷崇教授は「外部から資金
を調達し、レベルの高い研究を行うのが狙い。格上の教授として好
待遇で迎えたい」と話している。
 寄付金は東大が管理し、利子で給与や研究費を賄うのを理想とし
ている。しかし、不足すれば基金を取り崩し、基金がなくなった場
合、教授は退職することになる。
(了)
[2003-10-30-16:36]

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東大が「寄付基金教授」=企業名冠し年俸制で−法人化で来年4月から


時事通信ニュース速報

 東京大学先端科学技術研究センター(先端研)は30日、民間からの寄付金を
 基に教授を雇用する「寄付基金教授」を来春の法人化に併せて導入すると発表
 した。従来の「寄付講座」とは異なり、看板教授となるような人材を多額の年
 俸制で厚遇、長期間雇用する。
 米国有力大学でよくある制度だが、「日本の大学ではおそらく初めて」(南谷
 崇センター長)という。既に製薬会社興和(本社名古屋市)が4億円の寄付基
 金を申し出ており、年明けごろまでに第1号教授を選ぶ。
 法人化によって国立大も教職員の採用や外部資金の調達が原則的に自由になる
 ことでこうした制度が可能になる。寄付基金教授は東大の正規教授だが、給与
 は国費ではなく寄付金を基にした基金から拠出。肩書に寄付の企業名を冠する。
  

[時事通信社]
[2003-10-30-15:51]

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一流の「教授」寄付金で賄います、東大が新制度


読売新聞ニュース速報

 東大先端科学技術研究センターは30日、企業などからの寄付金で教授の給料
 や研究費を賄う新制度を創設すると発表した。
 第1号として、製薬会社「興和」(三輪芳弘社長、本社・名古屋市)が4億円
 を寄付し、生命科学分野の教授職を来春から提供する。
 国立大は来春法人化され、運営資金の一部を国以外から調達する必要に迫られ
 るだけに、大学関係者に注目されそうな試みだ。
 新制度では、「興和基金教授」というように寄付者名を肩書に冠し、その人件
 費や研究費を、寄付金による基金から拠出する。学内での立場は通常の教授と
 同じだが、分野を代表するような一流研究者を充て、多額の報酬で厚遇、高い
 水準の研究を展開してもらう。細かい研究内容などについて、寄付者から束縛
 は受けない。

[2003-10-30-12:39]

 

 

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20031114日 首都圏ネット(http://www.shutoken-net.jp/index.htmlからの情報を「意見広告の会」通信No59で知った。国立大学法人法による国立大学の運営が、予算削減と結び付けられている。予測されたこととはいえ、国立大学予算の状況は厳しさを増しそうである。しかし、国家や地方公共団体が、その設立する大学にどのていどの資金を提供するのか、これこそは日本の科学技術の発展構想と深く関わるのであって、すべての分野を一律にカットするなどというのは、無策無理念以外の何物でもないだろう。ここにも、官僚的形式主義があり、そこには科学研究者・教育研究者を奮起させる世界貢献への視点・情熱・理念がない。

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  **http://www.shutoken-net.jp/web031113_5shutoken-net.html***

        国立大学関係予算の削減計画について

 

 

      20031113日 国立大学法人法反対首都圏ネットワーク事務局

 

 

 1112日に開催された国大協総会では、予定を変更の上、第一議題として運

営費交付金問題が議論された。

 

 当初理事会から提案された決議案については、内容が明確でない、などの批

判があり、総会を一時中断して理事会で文案を修正し、その結果について議論

したのち、「国立大学関係予算の充実について」(資料1)が採択されたといわ

れる。

 

 国大協総会が当初予定を1時間半ほど延長して議論を行ったことは、6月総会

7月臨時総会と比較すれば、国大協の危機感と問題の深刻さを示している。

 

 総会では、理事会提案により、各大学が特別国会終了後、ただちに地元国会

議員を説得する行動を起こすことが決定されたといわれる。これも、国立大学

法人法への対応と比較してみれば、国大協にとって「異例」の行動と言えよう。

 

 総会では、「学内の反対意見を抑えてきたのに、こんなことなら法人化反対

と言いたいぐらいだ」(東京外国語大)、「予算が減るとは考えていなかった」

(岩手大)、「ほかの独立法人とは違う前提だったはず」(名古屋大)、「学

術が軽視されている」(横浜国立大)と反発が続いたという(共同通信1112

日配信記事)。また、「法人化を受け入れたとき、このような事態は予想され

たはずだ」という批判的発言をする学長もいたと聞く。

 

 問題の発端は、財務省が729日の経済財政諮問会議に2004年度予算の概算

要求基準(シーリング)の枠組を示したことにある。ここでは、政策判断で予算

額が増減する「裁量的経費」に対して、前年度比で2%減とすることとされて

いる。12日の学長懇談会における遠藤高等教育局長の発言によれば、国立大学

法人に対する運営費交付金は「裁量的経費」であり、このままでは財務省から

削減を迫られるので、これを義務的経費として認定する(あるいは義務的経費

として位置付ける)ことを求める、というのが文科省の方針とみられる。

 

 しかし、同日の河村文部科学大臣の挨拶(資料2)においても、運営費交付金

の確保に「最大限の努力」を払うことがうたわれているものの、確保の方途に

ついては何ら具体策が示されていない。

 

 同時に、なお不分明なのは、先行独立行政法人で毎年マイナス1%であった

効率化係数がそのまま採用された上で、さらにマイナス2%のシーリングがか

けられるのか(合計マイナス3)、それともマイナス2%のシーリングのなかに

効率化係数が包含されるのか、という点である。かりにマイナス3%となれば、

特殊法人から移行する独立行政法人の年マイナス3%という効率化係数(中期計

3.5年でマイナス10%、4.5年でマイナス13)とほぼ同じ扱いということに

なる。この点についてはなお情報を収集中である。

 

 いずれにせよ、予想されていたこととはいえ、国立大学の独立行政法人化を

あくまで行政改革の枠組の中に位置付ける路線がここに表面化したものと言え

る。こうした方針が肯定されれば、今後よりいっそう「縮小の中の特化」が進

行することになろう。国大協は、法人化の本質の一端が明らかになったいま、

あらためて国立大学法人法の問題点を議論し、同法の廃止に向けた行動を取る

べきである。とりわけ、同法の成立に手を貸した会長・副会長の責任は大きい。

 

 われわれは、高等教育全体に多大な影響を与える予算削減計画に断固反対す

るとともに、ただちに必要な行動を取ることを表明するものである。

 

 

資料1-----------------------------------------------------------------

 

           国立大学関係予算の充実について

 

                           平成151112

                             国立大学協会

                           会長 佐々木 毅

 

 国立大学は、これまでも国民の負託に応えるべ<、教育研究の充実や大学改

革に取り組んできた。と<に、先の国会で、百年に一度の大改革といわれる国

立大学法人法が成立し、現在、各国立大学では、「活力に富み、国際競争力を

持ち、かつ、魅力ある大学づくり」を目指し、関係者一丸となって改革と新生

を図るための努力を重ねているところである。

 

 このような時、来年度以降の国立大学予算において、独立行政法人通則法に

よる一般の独立行政法人と同様の扱いとして運営費交付金等が削減されてはな

らない。このようなことは、国立大学法人法制定の経緯・趣旨及び同法案の国

会の委員会審議こおける附帯決議などにもとることであり、誠に憂慮すべき状

況である。

 

 今後我が国が、グローバル社会の中で更に発展を遂げていくためには、国立

大学をはじめとする高等教育と学術研究の充実により、優れた人材の育成と高

度な知的創造を展開する以外に道はない。科学技術創造立国を目指す我が国と

しては、教育研究の拠点である国立大学を予算面から十分に支援してい<こと

が、国の責務と考える。

 

 他方、国立大学の教育研究環境の改善はある程度進みつつあるが、なお、十

分とは言い難い状況にあり、施設整備費補助金等の拡充が是非とも必要である。

 

 国立大学の法人化に際して、教育研究の基盤整備の充実に改めてご理解をい

ただき、政界ならびに関係省庁に下記の事項に関し格段の配慮を強<訴えるも

のである。

 

                  記

 

1. 国立大学運営の基盤となる運営費交付金の充実

 

(1) 今後、平成15年度国立学校特別会計繰入額と同規模の公費投入額を最低

  限確保すること。

 

(2) 国立大学法人化への移行に伴う必要経費を措置すること。

 

(3) 国立大学法人は、先行の独立行政法人と性格を異にすることを踏まえ、

  中長期的にも必要な国立大学予算を確保できるよう、制度的仕組みを策定

  すること。特に運営費交付金を、その性格に鑑み義務的経費として取り扱

  い、効率化係数を適用しないこと。

 

(4) 国立大学の教育研究の特性及び大学改革の進展状況を踏まえ、各大学の

  努力に応じて運営費交付金を増額し得る算定ルールを構築すること。

 

2. 世界水準の教育研究成果を目指した「国立大学等施設緊急整備5か年計画」

 等を着実に実施するための施設整備費補助金等の確保・充実

 

 

資料2-----------------------------------------------------------------

 

     平成15年度国立大学長懇談会における文部科学大臣挨拶

 

                        平成151112()

 

 本日の国立大学長懇談会の開催に当たりまして、ご挨拶を申し上げる機会を

設けていただいたことに感謝いたします。

 

 そして、なにより、教育文化立国・科学技術創造立国を目指す我が国の高等

教育及び学術研究を牽引するという大変な重責を担っていただいている学長の

皆様方に対しまして、日頃のご尽力にあらためて敬意を表したいと存じます。

 

 また、この場をお借りして、いよいよ残すところ数ヶ月あまり、来年の4

に迫ってまいりました国立大学の法人化をはじめ、関係するいくつかの事柄に

つきまして、私の所見の一端をお話しさせていただきたいと思います。

 

 まず、国立大学の法人化について申し上げます。

 

 国立大学法人法が去る7月に成立した後、各大学におかれましては、来年度

予算の概算要求や中期日標・中期計画の素案の作成等の準備を進めてきていた

だいたところでございますが、更に各大学内で検討や準備に鋭意取り組まれて

いらっしゃるところと思います。また、国立大学協会等においては共通的課題

についての検討が進められていると承知しております。こうした大学内外にお

ける諸準備について、まさに中心となって御活躍いただいている学長の皆様方

の多大なご尽力に、改めて感謝を申し上げたいと思います。

 

 国立大学法人法の国会審議には、私も文部科学副大臣として議論に加わって

おりましたが、「大学の自主性・自律性の拡大という要請」と「公的資金から

の財政措置を行う国の責任」との調和を如何に図るかという点で、白熱した議

論がなされたのは記憶に新しいところであります。また、法人化の成否は、制

度の実際の運用に係っているとの意見も数多くあったところであります。

 

 言うまでもなく、今回の法人化の趣旨は、国立大学が、我が国の高等教育及

び学術研究の水準の向上と均衡ある発展を担うという使命を一層しっかりと果

たしていくことができるよう、その設置形態を見直し、各大学の自主性・自律

性を高めることにあります。この法人化は、私や学長の皆様方にとって明治以

来の大改革であることは、いわば共通認識となっておりますが、国民の実感と

して国立大学が大きく変わったと感じていただけるよう、節目となる来年4

に向けて大学改革を更に加速し、国民の理解と信頼を得ていくことが重要と考

えております。

 

 そのためにも、各国立大学と国立大学協会そして文部科学省が連携し、この

歴史的一大転換を円滑に成し遂げ、国立大学法人としての新たな一歩をしっか

りと踏み出していかなければなりません。既に今月6日には、国立大学法人制

度の運用に関する協議の場の第1回目が開催され、忌憚なき意見交換を行わせ

ていただくことができたと聴いておりますが、今後とも、こうした協議の場や、

各大学からの個別の相談等も含め、国立大学の自主性・自律性を尊重するとい

う国立大学法人法の趣旨を十分に踏まえながら、各国立大学との意思疎通を図っ

てまいりたいと考えております。

 

 次に国立大学法人の運営費交付金の予算に闘してでございます。

 

 国立大学法人の運営費交付金の平成16年度予算における取り扱いは、シーリ

ングの問題をはじめ、独立行政法人に設定されている効率化係数の問題等、平

17年度以降にも大きな影響を持つものであります。このため、国立大学にお

ける教育研究の質の低下を招くことのないよう、教育研究の活性化につながる

運営費交付金のルール作りをしなければなりません。さらに、運営費交付金制

度については、新たな政策的需要ヘの迅速な対応を可能とするとともに、各大

学における努力がきちんと報われるような、新しい予算の仕組みを積極的に構

築してまいりたいと考えております。

 

 こうした運営費交付金に関する諸課題つきましては、本日の総会においても

御議論がなされたものとお聴きしており、文部科学省としても年末の政府原案

に向け、決意を新たにしております。政府全体の財政状況は非常に厳しいもの

でございますが、文部科学省としては、参議院附帯決議にあるように、移行前

の公費投入額を踏まえ、所要額を確保することを最優先課題として最大限の努

力を払ってまいりたいと考えておりますので、国立大学協会等におかれまして

も、なにとぞ御理解と御協力をよろしくお願いいたします。

 

 次に、各大学に9月末にご提出いただいていた中期目標・中期計画の素案に

ついてでございますが、先月末には、国立大学法人評価委員会の総会及び国立

大学法人分科会の第1回が開催され、法人化に向けた議論が開始されました。

 

 文部科学省としては、各大学の素案についでは可能な限り尊重するとの方針

の下、今後、文部科学大臣としての中期目標の策定及び中期計画の認可に関す

る案がある程度まとまった段階で、その案について評価委員会の委員の方々か

ら意見を頂くこととしております。

 

 国立大学法人評価委員会の評価が国立大学法人制度の重要な鍵を握るもので

あることは論を待ちません。国立大学法人の評価ほ決して容易なものでほあり

ませんが、中期目標・中期計画を国民に対して明確にし、事後的に評価を受け

るプロセスは、国立大学に対する理解と支援を得る上で、不可欠なものであり

ます。

 

 このため、各大学におかれましても中期目標・中期計画の着実な実施ととも

に、積極的に運営に関する情報発信を進め、透明性の確保に努めていただくよ

うお願い申し上げます。

 

 第二に、国立大学の再編・統合について申し上げます。

 

 国立大学の再編・統合については、従来の各大学の枠にとらわれず、限られ

た資源の有効活用により、教育研究基盤の充実強化を図るという趣旨を御理解

いただき、各大学において御検討を準めていただいた結果、昨年10月の24

学に続き、本年10月には1020大学が統合し、さらに、13大学が平成1710

月の統合に合意しております。

 

 各国立大学においては、法人化後も教育研究の充実強化の観点にたって、地

元関係者の理解と協力を得つつ、再編・統合を含めた多様な組織改編を継続的

に検討していただくことを期待しますが、文部科学省としても、その検討の熟

度等に応じ、支援・推進を図ってまいりたいと考えております。

 

 第三に、国公私立大学を通じた大学教育改革の支援について申し上げます。

 

 これまでも、世界的な研究教育拠点の形成を重点的に支援するための「21

COEプログラム」や、教育において個性的で優れた取組を支援するための

「特色ある大学教育支援プログラム」を実施してきたところですが、これらの

拡充に加え、来年度から設置が見込まれる法科大学院をはじめとする専門職大

学院の形成支援等の事業について概算要求をしているところであります。

 

 各大学がこれらのプログラムをきっかけとして、自らの個性を更に磨いてい

ただくとともに、全学的な視点に立った戦略的な教育研究体制の構築に取り組

んでいただきたいと期待しております。

 

 第四に科学技術・学術の振興について申し上げます。

 

 世界最高水準の科学技術創造立国の実現を目指し、社会経済発展の原動力と

なる「知」の創造と活用を図るためには、第二期「科学技術基本計画」に沿っ

た科学技術及び学術の振興が重要であり、国立大学及び大学共同利用機関には、

法人化後も引き続きその牽引役として、我が国の学術研究の中核を担っていた

だく必要があります。

 

 文部科学省としては、基礎研究等を推進するための科学研究費補助金の拡充、

大学共同利用機関等を中心としたニュートリノ研究、加速器科学、天文学研究

等の国際水準の独創的・先端的な研究の推進、科学技術・学術の優れた人材の

育成、最先端の研究施設・設備等といった研究基盤の整備等に一層積極的に取

り組んでまいります。

 

 また、ラィフサイエンス、情報通信、環境、ナノテクノロジー・材料等の研

究開発を重点的に推進するとともに、大学における知的財産の戦略的活用等を

図るための体制整備や大学発ベンチャーの創出・育成など産学官連携の推進、

大学等を核とする知的クラスターの創成など地域における科学技術の振興、科

学技術・学術活動の国際化の推進、科学技術理解増進活動の充実などを図って

まいりたいと考えております。

 

 最後に、教育基本法の改正及び教育振興基本計画の策定について申し上げま

す。

 

 本年3月、中央教育審議会から、「新しい時代にふさわしい教育基本法と教

育振興基本計画の在り方について」答申が出されました。

 

 答申においては、現行の教育基本法を貫く「個人の尊厳」「人格の完成」

「平和的な国家及び社会の形成者」などの理念は今後とも大切にしながら、21

世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成を目指す観点から、重要な教

育の理念や原則を明確にするため、教育基本法の改正が必要であると指摘して

おります。そして、今後重要な教育の理念として、「知」の世紀をリードする

大学改革の推進などが提言されるとともに、大学・大学院の役割の重要性を踏

まえながら学校の基本的な役割について規定すべきであるといった指摘がなさ

れております。

 

 また、教育基本法に示された教育の理念や原則を具体化していくために、教

育基本法に根拠を置く「教育振興基本計画」を新たに策定し、政府全体として

着実に実行していく必要があることも提言されております。

 

 文部科学省としては、この答申を踏まえ、現在、教育基本法改正に関する国

民的な理解を深める取組を進めているところであり、今後、幅広い議論を踏ま

えながら、教育基本法の改正と、それに基づく教育振興基本計画の策定にしっ

かりと取り組んでまいりたいと考えております。

 

 以上、目下重要と考える幾つかの問題について私の所見の一端を申し述べさ

せていただきました。学長の皆様方におかれましては、多事多難な中、ご苦労

をおかけいたしますが、文部科学省としても必要な支援は最大限にいたす所存

でありますので、リーダーシップを十二分に発揮され、新たな世紀に、より活

発で充実した大学を創り上げるため、一層のご尽力とご協力を賜りますようお

願い申し上げまして、私の挨拶といたします。

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20031113日 昨夜、教員組合主催の勉強会があった。講師は設楽清嗣(シタラ・キヨツグ)氏だった。彼は東京管理職ユニオン書記長である。相当に有名な人のようで、マスコミにもよく出る人だということである。著書も回覧されたが何冊か書いている。

勉強会は、講演と質疑応答を合わせて約2時間であった。面白くて時間はあっという間に過ぎた。百戦練磨の経験を元にしているだけに、話は 生き生きとしていた。大学教員は専門に閉じこもりがちで、その意味で頭でっかちである。日々進展する専門研究の重圧で、精神的に疲労している教員も少なくない。彼の話は、大学教員の社会問題・大学改革問題に関する精神的軟弱の雰囲気に活を入れるものだった。

 

普通の大学教員は、今回のような激動でもなければ、身分保障や雇用条件などにあまり関心がない。研究や教育だけに専心したい人間が多い。身分保障などの法律問題については無知に近い。だが、無知は付け入られる。

 

講演はそうした身分保障の法律知識に関して刺激的な啓蒙効果があるものであった。配置転換、出向などと地位の本質的で大きな変化(「期間の定めのない雇用」と「任期制」とでは決定的に身分保障が異なる、場合によっては身分保障の劇的悪化)が意図的に混同させられる。甘い言葉で「配置換え」だから問題ないかと思っていると、身分的には決定的な違いのある任期制ポストへの移動だったりする。「地獄への道は善意で敷き詰められている」。

 

個人個人では法律問題に対処できない。餅は餅や、法律と雇用・身分保障に詳しい専門家がいる。教員組合が百戦錬磨の法律家と連携しながら、また従業員組合など市のほかの7つの組合と連帯して、労働法、労働基準法、任期法、教育基本法、学校教育法等諸法例をしっかり自分のものとして、対処する必要がある。教員組合はすでに何回か法的措置も取ることを射程に入れながら、顧問弁護士をお願いし、全大教にも加盟した。教員組合は地方独立行政法人化反対、任期制反対を表明している。

大学教員はうかうかしていると大変な身分的不安定性に陥る。身分的不安定は必然的に精神的不安定を引き起こす。東京管理職ユニオンに相談に来る人の25%くらいは精神的に鬱の状態にあるという。精神的安定を欠くことは研究や教育への専念を場合によっては不可能にする。精神的にずたずたになって研究教育が破壊される。教員組合に結集してしっかり身分保障に関して認識しなければならない。一人一人が孤立することなく、声を出して話し合うことが必要だ。せっかく教員組合があるのだから、これをしっかり足場にしてやっていって欲しい、といった話が印象的だった。詳しいこと、重要な論点は組合ニュースなどで紹介されることだろう。

 

講演と議論を通じて、「大学像」の提案、地方独立行政法人法(その特別条項としての公立大学法人)への移行問題と「全員任期制」導入を重ね合わせるなどということが、旧国鉄解体以上の法律無視の酷いやりかた(したがって決して法律的社会的に通用しない不当なやり方の提案、大学を破壊してしまうやり方、ただそのことを大学内外で理解させるためには相当の努力も必要)であることが浮き彫りになった。国鉄解体に伴う大変な騒動を踏まえて、国立大学法人や公立大学法人への移行においては、「移行型」「身分承継型」を、国立大学法人法や地方国立大学法人法は規定している。そうした悲惨な経験等なにも踏まえないのが今回の「大学像」における「地方独立行政法人化」と「全員任期制」の抱き合わせ・重ねあわせの構想である。一人でも独立行政法人への移行に反対、任期制に反対ということで裁判闘争を辞さなければ、勝てる、とも。その場合には、一人でも、自分たちのユニオンにご相談ください、とも(出席者が「一人でもですか」と確認したら、設楽氏は「一人でもです」と断言した)。独立行政法人化と任期制への移行を重ねてやってくるなどということは、およそ不見識きわまると。

今後とも、弁護士や法律家集団(設楽氏はたくさんの弁護士を知っている、いつでもよろこんで紹介するということであった)との勉強会を積み重ね、大学教員としての尊厳と使命感をもって、真に大学らしい大学改革・大学の創造的発展に向かっていかなければならないことが理解できた。

 

秘密主義と行政的管理主義・トップダウンで短期間に作成された「大学像」は、商学部教授会見解、国際文化教授会決議などが示すように、無理な問題点を多く含んでいる。「大学像」は、とりわけ一般教員の身分保障に関わる部分については法律的には何ら拘束力はなく、教員組合に結集している教員が法律問題をきちんと理解し(そのための勉強会・市民への啓蒙活動などを繰り返し行い)、バラバラに孤立しないで結束して立ち向かう必要があることが強調された。

大学関係の行政管理職(この間の事態を見ればはっきりするが学長もまさに研究教育者として「大学の自治」「学問の自由」とそれを保障した法律体系を踏まえるというより、「あり方懇」答申に縛られた行政官としての態度になっている)の精神構造(問答無用の上意下達、上の指示にしたがって2年か3年やり過ごせば立身出世できる、大学の将来、大学の長期的運命や使命などを真剣に考える必要がない、大学内部の種種の反対や意見にも耳を傾ける必要がない、大学内部の意見・批判を押さえこむことが業績になる、いくら関係法令との問題点を指摘され、評議会で長時間審議して「大学像」の文案を修正しても、それを覆っすことを厭わない、そうしたことが大学の発展を妨げるものとなるのかどうかは二の次となる)に対して、大学人は本腰を据えて大学の使命(研究教育の豊かな自由で自律的な創造的発展)を守り発展させるために、大学の健全な生き生きとした発展のために自覚を高め、連帯を強める必要があろう。そのことが実感される講演と質疑応答だった。

 

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20031112(2) 任期制に関する京都大学事件につき、もう一度、最新のAcademia e-Network Letter No 22 (2003.11.11 Tue)
         http://letter.ac-net.org/03/11/11-22.php
から、ここにコピーしておこう。

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━ AcNet Letter 22 3━━━━━━━━━━ 2003.11.11 ━━━━━━
 
京大教授再任拒否事件をめぐる裁判について
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3-1】編集人の補足など
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京都大学で「再任拒否事件」がおき、裁判が続いています。この件
についての支援運動をされている阿部氏(行政法)から、裁判の状
況についてのお便りがありましたので紹介します。

この件については、国公私立大学通信で関連記事を掲載したことが
あります:


2003.2.20
(0) http://ac-net.org/kd/03/220.html
 [8] (asahi.com 2/18)
任期制採用の京大教授、再任拒否の無効求め仮処分申請へ

2003.6.2
(1)  http://ac-net.org/kd/03/602.html#[4]
編集人:1997年5月16日の衆議院文教委員会(任期制法案)

(a)  http://ac-net.org/kd/03/602b.html#[8]
阿部泰隆氏(神戸大学法学研究科教授)からの便り

(b)  http://ac-net.org/kd/03/602b.html#[9]
阿部泰隆「大学教員任期制法への疑問と再任審査における公正な評価の不可欠性」

2003.6.5
(c)  http://ac-net.org/kd/03/605.html#[6]
京都大学再生医科学研究所所長 中辻憲夫氏からのお便り

(d)  http://ac-net.org/kd/03/605.html#[6-1]
 
編集人から中辻氏へ

(1)
では、1997年5月16日の衆議院文教委員会での雨宮高等
教育局長の

  
「任期制とは、任期満了により当該任期を付されたポス
  
トに係る身分を失うことを前提とした制度」

という考えを紹介しました。それに対し阿部氏は(a)で、
同年5月21日の雨宮氏の陳述

  
「もちろん、極めて不合理な扱いがなされたという場合
  
に、不服申し立てというようないわゆる行政部内での手
  
続というものは無理がとは思うわけでございますけれど
  
も、非常に不合理な扱いがなされたということであれば、
  
当然それは司法上の救済という道が閉ざされているわけ
  
ではないというように考えているわけでございます。」

に注意を喚起しています。しかし、裁判の経緯を見ると「司法上の
救済の道」などというものは任期制という制度については、ほとん
どないような印象を受けました。

今回の「再任不可」の経緯には、任期制が拡大する流れの中で、当
事者と無関係な大学関係者にとっても看過できない不透明さがあり
ます。阿部氏の報告にあるように、裁判でも京大が再任不可の理由
を述べる必要がなかったとすれば、雨宮高等教育局長が当時説明し
たとおり「任期制とは、任期満了により当該任期を付されたポスト
に係る身分を失うことを前提とした制度」であると司法も判断して
いることになります。「再任不可」という選択肢は任期制本来の機
能であって、雇用者側にその理由を提示する必要はないと司法が考
えていることが今回の裁判で明確になったように思います。

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3-2】阿部泰隆氏(神戸大学)からの便り紹介 2003.11.9
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「・・・京都大学再生医科学研究所教授井上一知先生が、昨年一二
 
月再任拒否され、この五月一日、五年の任期切れで、失職扱いされ
 
て、裁判で争っています。

 
 再任審査において、高名な学者七名の外部評価委員が、「国際的
 
に平均」であり、今後の活躍に期待するとして、全員、再任に賛成
 
したのに、教授会では、無記名投票の結果、再任賛成者が過半数に
 
なりませんでした。新規採用と同じつもりでしょうが、外部評価に
 
「基づく」というルールを無視していると思います。この外部評価
 
の過程では、前所長が、「国際的に平均」を単に「平均」に書き換
 
えさせようとしたことなど、権力の濫用が明らかになっています。

 
 そこで、再任拒否の理由を説明せよと、われわれは主張していま
 
す。法人化法の成立前に、前記の研究所の中辻現所長が、小生の意
 
見は、一方的として、法廷で説明すると言っていたのに、法廷では、
 
任期切れと言うだけで、外部評価では高く評価されているのに、な
 
ぜ再任拒否をしたのか、説明しません。大学人としてあるべき態度
 
でしょうか。

 
 そこで、京都地裁と大阪高裁で執行停止(仮の救済)の申請をし
 
ましたが、裁判所は、任期切れで失職したのだから、争う道がない
 
という態度です。今、京都地裁で、本案訴訟である、取消訴訟を行っ
 
ています。先の執行停止を却下(門前払い)した同じ八木良一裁判
 
長・判事が担当していて、次回一二月上旬には門前払いするという
 
方向に見えます。

 
 まず最初の争点は、任期満了による失職なのか、再任拒否という
 
違法な行政処分により任期満了に追い込んだのか、あるいはもとも
 
任期をつけることができない場合に1号任期制にしたものである
 
とか、公募時には任期制とは書いていなかったのに、あとから任期
 
への同意を求めたという点での違法=瑕疵などを理由に、任期が適
 
法についていなかったから、瑕疵があるという、法律論です。後者
 
の説を採用されないと、この任期切れがいかに無茶苦茶であろうと、
 
審理されません。ということで、権力濫用の実態が裁判で明らかに
 
なりません。

 
 このままで行けば、任期制法を悪用して、気に入らない同僚を追
 
い出すことが可能です。これでは、同僚との平和外交以外には、何
 
もしない教授が増えます。学問の活性化を目指す任期制法が逆に学
 
問を殺すことになります。戦前文部省が大学人事に介入した滝川事
 
件がありましたが、その七〇周年に当たる本年、京大が教授の学問
 
の自由を抹殺するとはなんという歴史の皮肉でしょう。

 
 そして、京大内部でなぜこの問題を告発する動きが見えないので
 
しょうか。 

 
 井上教授は自分の問題もさることながら、今後の日本社会に悪例
 
を残さないように頑張っています。

 
 なんとかご支援いただければ幸いです。」

 

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20031112日 『カメリア通信』第8号を頂戴した。「記念式典・祝賀会」がどのような雰囲気だったかを確認する上で参考になるだけではなく、この間の大学改革の経過を卒業生が総括した文章でもあり、ひとつの歴史的文書となるものであろう。以下にコピーしておこう。

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横浜市立大学の未来を考える

『カメリア通信』第8

  20031110(不定期刊メールマガジン)

Camellia News No. 8, by the Committee for Concerned YCU Scholars

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横浜市立大学創立75周年記念式典・祝賀会、大学同窓会

卒業生・荻原昭英 平成15118

 平成15年11月7日(金)みなとみらい地区ロイヤルパークホテルで、「横浜市立大学創立75周年記念式典・祝賀会、大学同窓会」が開催された。約600人の卒業生が参加し、主催者の大学学長、同窓会会長、来賓の横浜市長などが出席する。

 今年の最大の課題は、大学改革である。今年、2月に出された「市立大学の今後のあり方懇談会」の答申をもとに、大学内で半年検討してきた改革案が、10月末に市長に提出された。記念式典・祝賀会、大学同窓会では、その経過、内容に触れざるをえない。中田横浜市長、小川大学学長、馬場同窓会会長などがそれぞれの立場で話をする。中田横浜市長は、改革案を高く評価し、大学学長は自画自賛し、同窓会会長はそれを強く支援する。提出された「横浜市立大学の新たな大学像について」と題する改革案は、8月21日、大学から発表された「大学改革の大枠」とほとんど変わりない。 

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横浜市立大学の新たな大学像について(骨子)

 「骨子」と称する資料の骨子は、次の通りである。

1 大学改革の背景と経緯

2章 私たちの目指す大学

@プラクティカルなリベラルアーツ教育

時代の変化に的確に対処し、教養教育と専門教育の実践的結合を図り、プラクティカルなリベラルアーツ(実践的な教養教育)を総合的に行う。

商学部・国際文化学部・理学部の3学部を統合して『国際総合科学部』を設置する。

A学部と研究院

学部の教育組織を2学部(国際総合科学部、医学部)とし、教員が所属する組織として3つの研究院を設置する。

3 教育研究体制の改革

@リベラルアーツ教育 1年次を中心に卒業まで一貫して行う。

A国際総合科学部  国際教養学府、理工学府、総合経営学府で構成する。

B医学部は、医学府、看護学府で構成する。講座制、医局の見直し。

C教職課程、司書課程、司書教諭課程は、廃止する。

D経済研究所は廃止し、木原生物研究所は見直す。

E地域貢献

F教員の評価制度、任期制、年俸制を採り入れる。

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改革案の問題点

 「横浜市立大学の新たな大学像について」と題する改革案の問題点については、すでに前稿「大学改革案の大枠整理」で触れた。改革案の問題点は、まったく同じである。

@ プラクティカル・リベラルアーツは、英語でもなければ、日本語でもない。

「あり方懇」橋爪座長のまったくの思いつき造語である。「リベラルアーツ」を言い出し、「それでは実践的、実用的でない」と批判され、「プラクティカル」を付け加えたのが経過のようだ。しかし、正反対、矛盾する言葉の組合せだから、よけい理解されない。日本の大学や高校はもとより世間一般にも理解されないまったく独り善がりの造語である。

A 横浜市大は、中規模の総合大学(ユニバースティ)である。

開学以来、学部の増設、担当教員の採用、大学院の設置など営々と大学発展の努力を重ねてここまできた。大学キャンパスもそれに相応しいように整備されてきた。商学部・国際文化学部・理学部の3学部を統合して『国際総合科学部』を設置する改革案は、この努力を無にする案である。狙いは経費の節減である。この統合により教員を大幅に退職させる。その結果、中規模の総合大学(ユニバースティ)から、小規模の単科大学(カレッジ)に転落する。超一流ではないが、もし一流校と評価されていたとしても、この改革により、二流校、三流校になる。馬場同窓会長は、当然大学の卒業生のはずだが、母校が二流校、三流校となり、出身の学部(商学部)がなくなり、わけのわからない「総合経営学府」となってもなんの抵抗も感じないのだろうか? 横浜市は、日本最大の市であるが、このことにより、文化的には、中程度の都市と同じレベルにダウンする。おかげで受験生は、減り、在学生は就職に苦労し、卒業生は誇りを失う。

B「学府」の名称も独善、欺瞞に満ちた名称である。

学府=学問をするところの意味、最高学府というように使われるが、それで大学院のコース名に使われることが多い。学部の下位概念は、ふつう学科、コースである。あえて「学府」という言葉を使うことで最高の学問が教育される錯覚を与えようとする。

C 地域貢献を強調するが、すでに充分過ぎるほど実施している。

しかも市大の受講料は高いから、受講生集めに苦慮している。地域貢献より収入増を目的にしている。私の場合でいえば、市大の公開講義などは聴きたくない。相模原市の各大学の公開講義、市民大学などは無料である。 情報化の時代、大学でなくても高度の学問の受講は可能である。放送大学、市民大学、公開講義などである。むしろ大学は学問の原理原則、基本・基礎を学生に教育するだけで充分である。

D 教員の評価制度、任期制、年俸制

身分の不安定、報酬の減少に結びつき、いずれも大学教員にとって不利な改革である。身分の不安定、報酬の減少の懸念があれば、新規の採用は困難であり、現在の教員は転職を考えるのは人情である。大学の制度に一般的な制度であればしかたないと諦めるだろうが、横浜市大だけであれば問題である。日本の大学社会の相場、常識を配慮すべきである。

※中国の名言に「先づ隗より始めよ」という言葉がある。「賢者を得たいならば、まづ私から用いよ」という意味である。 燕の昭王にたいする郭隗の進言である。「人を用いるなら、まづ私から採用して下さい。つまり、郭隗のやうなつまらない人でさへ厚く用いられるならば、我々はなほさらであらうと、天下の人物が集るに違いないと思うからです」ということである。横浜市のやっていることはまさにこの逆。天下の人物は横浜を去って行くだろう。

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スピーチへの反響

 公式の式典では、中田横浜市長、小川大学学長、馬場同窓会会長のスピーチへの反響はなかったが、同窓会パーティではいろんな意見が出た。たまたま医学部の改革推進委員会のメンバーと話した。

その意見は、次の通り、

@ 教員不在の改革案である。

改革推進委員会は、教員、職員の構成だが、職員の一方的な意見で案をまとめられた。大学自治の原則は無視され、行政主導ですすめられた。大学自治の立場に立った学長のリーダシップはほとんどなかった。学長や教員の意見は無視され、大学事務局長を頂点とする職員の仕切りで改革案が作られた。

A あり方懇の「プラクティカル・リベラルアーツ」に最後まで拘束された。

そのため、何をいっているのかわからない改革案となった。

B 授業料の値上げとなれば学生は市大にこなくなる。 授業料が私立より安いから来ている学生が他大学に行く。

慶応大医学部に受かっても市大医学部に来る学生がいるが、授業料が高くなれば当然慶応に行く。

C 大学の地域貢献にはあまり意味がない。

この場合は、市民への公開講義などを指しているようだ。しかし、大学の学問は学生には通用するが、社会人には通用しないことが多い。「すでに承知している、内容が古い」などの批判がある。それに受講料が高すぎる。

D 「開国と改革は横浜から」という市長のキャッチフレーズの犠牲になった。

改革の実績づくりのターゲット、いけにえになってしまった。教員は喧嘩に弱いから、市長、市職員のいいなりになってしまった。

E任期制、年俸制などを採用するなら、そんなもののない大学へ行く。

F医学部の経費が赤字の原因として大きく取上げられているが、医学部の横浜市への貢献が無視されている。

医学部の卒業生の多くが横浜市で働き、地域の保健に貢献している。高度の医学研究の成果が横浜市に還元されている。人の命より貴重なものはないだろう。金には替えられないはずである。それなのに医学部、医学部附属病院の赤字?が槍玉にあがっている。けっして市民の声、意見、要望を踏まえているものではないと思う。

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大学在校生との交流会

 翌日、金沢八景の大学キャンパスで、卒業生と大学在校生との交流会があった。市大改革を考える学生組織「スポンジ」や「がけっぷち」のメンバーから話を聞く。学生のアンケート調査、署名活動、ポスター・チラシ配り、クラススピーチなど、大学改革に真剣に取り組んでいるという。

@大学は、改革案作成について学生の意見をまったく聞かなかった。

説明会が1回あったが、それは学生の意見を聞いたという形作り、アリバイ作りに過ぎなかった。

A商学部・国際文化学部・理学部の3学部を統合して『国際総合科学部』を設置する改革案は、大学の大幅な質的低下を招く。

研究より教育を重視するなら、最新の学問の研究成果を学ぶことができなくなる。国際総合科学部としながら、国際関係の講座の減少が相次ぎ、担当教員も削減されつつある。

B授業料の値上げには反対する。

やっとの思いで大学に入り、苦学しながら勉学している。授業料が高くなれば勉学できなくなる。

 ※これにはまったく同感である。

私の場合は、高校は家が貧しく夜間高校だった。昼間の大学に憧れ、やっと横浜市大に入った。奨学金を貰い、家庭教師をしながら、大学を卒業した。私大なみの授業料になれば、市大にくる学生はいなくなるだろう。

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卒業生の意見

 私の同期の友人は、「横浜市立大学を考える市民の会」の副代表であり、学長にも信頼された。ごく小人数で学長に個人的に会い、卒業生の意見を伝えた。私の意見も友人から学長に伝えられたようである。学長は一つ一つうなづくようにしていたというが、何一つ改革案には盛り込まれなかった。学長は、度重なる「改革推進委員会」にも必ず出席していたようだが、それだけのことだった。積極的にリーダシップを発揮することもなければ、その力もなかったようである。自分を学長に選んでくれた教授会、教員から批判され、即時辞任を求める声明も出された。大学を守ることもできず、同僚の生活を守ることもできない。みんなに喜んでもらえる学長らしいことができない。改革案もいやいやしぶしぶ作ったのではないだろうか。精神的にストレスの多い仕事だったろう。気の毒といえば気の毒である。友人の学長に対する感想も好意的だった。もともと学者だから、不得手な分野、仕事だったようである。

※友人は、「学長は最初の出発点で方向を間違えた」という。『「あり方懇」の答申が発表され、回答を求められたとき、学長は「大学の将来に関わる大きな問題であり、私の一存では返事ができない。大学の教授会の意見を聞いて回答したい」とすべきだった。教授会で選ばれ、学長になった以上当然である。その過程を省き、「あり方懇」の答申を最大限に尊重しながら、大学改革を進めたい」といきなり即答してしまった。それがそもそも誤りである。交渉ごとの基本をしらない。最初から全面降伏していては勝負にならない』という。

※ 都立大学でも同様の大学改革が進められている。石原都政の中、「貧すれば鈍する」で乱暴な大学改革案が発表されているが、都立大学学()長はその改革案に身をもって抵抗しているという。 私の学生のころにも市大改革の動きがあったが、当時の前田学長は、横浜市大を守るために獅子奮迅の活動をした。残念ながら、現在の横浜市大学長は、獅子奮迅の活動の方向を間違えたようである。

 ※都立大学改革では、新大学への「移行」ではなく、設置者(都知事)権限による現行4大学の「廃止」と新大学の「設立」であるとしている。横浜市大も今までの大学とまったく異なる大学を目指している点で同様である。「横浜市立大学の新たな大学像」は、形は、継続としているが、実質的には、現行大学の「廃止」と新大学の「設立」である。総合大学を廃止し、単科大学を設立する。ユニバーシティを廃止し、カレッジを設立する。これが、横浜市立大学の新たな大学像である。

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 結局、「横浜市立大学の新たな大学像について」と称する改革案は、教員不在、学生不在、卒業生不在の中で市長の顔色を見ながら、職務に忠実な職員が中心となって作成された。

市長の意を体して作られた改革案であるから、市長が評価するのも当然である。しかし、およそ欺瞞に満ちた大学縮小の改革案である。職務に忠実な職員であっても大学改革に知識、経験、哲学をもつ職員ではない。いろんなところから材料を集め、つぎはぎしながらもっともらしい案を作る。見る人が見れば支離滅裂である。学者が大勢参加していてもおよそ論理的でない。職員は、23年すれば、転勤して行く。後は野とれ、山となれである。

職員功なって、大学は潰れる。それが職員つまり公務員の仕事の仕方である。

 大学は決して単独では存在しない。学生を送りこむ高校があり、学生を受け入れる社会がある。高校や社会の存在を無視して改革案は作られた。高校や社会の存在を無視すれば、高校や社会から無視されるのも当然である。いたるところ欺瞞に満ちた美辞麗句で粉飾されているおよそ見識の低い作文である。本音は経費の大幅削減だからである。「兵は拙速を尊ぶ」というが、大学問題は、時代の変化を見据え、長期的展望の中で慎重に検討されねばならない。しかし、改革の実績づくり・パフォーマンスに執心の市長のペースでことは進められたことさらに大学改革を大きく取上げ、問題視した。赤字でないないものを赤字とし、過大な数字をマスコミに発表した。市長の意思を踏まえた「あり方懇」の答申では、大学制度を無視した非常識な答申をした。すべてはパフォーマンス、スタンドプレイであり、マスコミ受けを狙っている。今回の「横浜市立大学の新たな大学像について」と称する改革案は、この「あり方懇」の答申そのものである。

 小川学長、馬場同窓会長も体制側として無批判に行政主導の改革案に賛同している。「長いものには巻かれろ」とする権力迎合型の対応に終始した。しかし、受験生、予備校ではすでに受験、推薦の対象から外しつつあるという。企業も何が専門かわからないような大学に対し懸念を感じているようである。短期的に通用する場合があるかもしれないが、いずれ馬脚をあらわすだろう。

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終わりに

※ 同窓会長も、私のホームページを見ることがあるらしい。友人を介して、「過激なことをいうな」と伝えられた。しかし、その判断には疑問がある。市長の「開国と改革は、横浜から」というキャッチフレーズの犠牲になる大学改革を阻止しようとする動きは、まったくしなかった。企業経営ではワンマン経営で成果を挙げたようだが、同窓会でもワンマンだった。事実や情報を正確に同窓生に伝え、その意見を集約する努力を一切しなかった。

「見ざる、言わざる、聞かざる」を決めこみ、出身の商学部教授会の意見も無視した。学部の統廃合、大学教員や研究費の大幅削減、大学院の縮小など問題の多い教育研究体制の改革にも何の発言もしなかった。「横浜市立大学を考える市民の会」の活動も無視した。

 同窓会の会長だからといってそれほどえらいわけではない。単なる大学同窓会のまとめ役に過ぎない。しかし、同窓生が会って話しをしようとしても会うことをしなかった。同窓生はすべて対等のはずである。自分の会社の社員ではない。しかし、同窓生を見下した態度をとった。現実を直視し、同窓生の声を代弁しようともしなかった。むしろ大きな声を張り上げ、強圧的に同窓生の声を抑えた。そして市長のスタンドプレイに同調した。その結果が、この「横浜市立大学の新たな大学像について」と称する改革案になった。

  ※なお、これで私の「横浜市大改革についての論考?」は終了とします。本当は、この文を書くつもりはなかった。「過激なことをいうな」といわれて、つい書いてしまった。「それで黙ってしまった」といわれては男が廃るではないか。いうべきことはいったし、後輩に対する責任も果した。後は歴史の判断にゆだねることにしたい。また皆さんの判断にもゆだねたい。つたない過激な文章をお読みいただいた皆さんに厚く感謝します。

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編集発行人: 矢吹晋(商学部)      連絡先: yabuki@ca2.so-net.ne.jp

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20031111日 国公私立大学教員有志の都議会・横浜市議会に対する要請・署名は今日現在(午前927分現在)229名に達した。220名の段階で市議会に提出された。

82国公私立大学220有志教員声明」を横浜市議会へ送付03-11-10総合理学研究科佐藤真彦教授HPより)

(時時刻刻と増加する署名者の最新情報は、http://poll.ac-net.org/1/ 参照)

 

市長(行政府)とは違った観点から、議会・立法府が大学の自治・学問の自由を守り発展させ、地方自治体が設立する大学を地域と地球の市民のための教育研究機関の最高学府として発展させるように、期待する。地方自治体の財政危機を「貧すれば鈍する. Poverty dulls the conscience[1]」方向で弱い立場の大学に押しつけないように、十年後、二十年後、百年後の歴史的検証に耐え得るように、法律体系を慎重に考慮し、大学の合理的発展を市民と社会(日本と世界の人々)に説得的に説明できるように、議会の見識の発揮を期待したい。

 

市長に提出された「大学像」が抱える問題点は各学部教授会・研究科などからの意見書批判書として提出されている。内部からの正当な合理的な声を議会もじっくり見極めていただきたい。実質数回しか審議しなかった「あり方懇」答申の一面的な意見に縛られた「大学像」が抱える問題は多い。「大学像」を提出するに至った現在の大学の意思決定プロセスの問題がどのような歴史的経過によるのか、市議会もずっと大学予算を審議し、承認してきたという歴史を踏まえて、問題を検討していただきたい。

わずか8年ほど前に文理学部を国際文化学部と理学部に発展的に分離独立させたときの審議を思い起こしていただきたい。

わずか6年前に経済学研究科に博士後期課程を創設したときの審議を思い起こしていただきたい。大学の発展方向が、至るところ大学院充実の方向にあることを想起していただきたい。

「大学像」は、財政危機シンドロームに陥り、行政主導の行政的効率主義、したがって大学の豊かな発展を熟慮するという点から見れば思考停止状態に陥っていないか、よく検討していただきたい。「全員任期制」などという違法・不合理な提言―大学らしい慎重な検討の組織と時間が不充分であることを象徴的に示すもの―を含む「大学像」が、本当に大学らしい検討結果であるかどうか、各方面から指摘されている問題点を良く考えていただきたい。

現在のような「大学像」では、結局は大学内部が崩壊してしまい、明るい展望が見えてこないという大学内部の痛切な声に耳を傾けていただきたい。

 

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20031110日 任期制に関して、すでに非常に不合理な「再任拒否」事件が起き、裁判になっている。本学のプロジェクトR(幹事会)がそれを知っているのかどうかわからないが、多くの一般教員の研究教育の安定性(学問の自由)を脅かす任期制に関して、すでに発生している事件からきちんと学んでおくことは大切だろう。京都大学における事件に関して、今年6月の情報(http://ac-net.org/kd/03/602b.html、およびhttp://ac-net.org/kd/03/605.html#[6]]を確認しておきたい。私の得ている情報では、本学の医学部なども任期制には反対ではない(教授人事に伴う助教授以下の人事の一新が慣行化しているからか?)とも言われる。今回の事件などからきちんと教訓を学び、法律に基づく制度設計をする必要がある。全員任期制などというのは大学の研究教育の安定的で健全な発展のためにも、また法律上は違法である20031107市議会大学教育委員会申し入れ(教員組合)こともきちんと見極める必要があると思われる。下記の神戸大学の阿部教授の指摘のように、医学部において学閥問題(その弊害)が深刻ならば、いろいろと任期制以外にも採用すること妥当な方法もあろう。他所の大学の事件、マイナス現象から学んで、おなじ過ちに陥らないようにしていく必要がある。「全員任期制」等というのは、他の大学における過ちと事件を本学にも、また医学部だけではなく全学部にも及ぼす危険性が高いものであろう。

 

--------------「任期制」に関する正確な理解を------------------- 

Subject: [kd 03-06-02b] 「任期制への誤解」
Date: Mon, 02 Jun 2003
 
国公立大学通信 2003.06.02(月)続き
--[kd 03-06-02-b 目次]--------------------------------------------------
[8] 阿部泰隆氏(神戸大学法学研究科教授)からの便り
[9] 阿部泰隆「大学教員任期制法への疑問と再任審査における公正な評価の不可欠性」
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[kd 03-06-02] で、任期制についての「誤解」について述べましたが、それ自
身が誤解であるというご指摘が、阿部泰隆氏(行政学)からありましたので、
許可を得て転載します。(編集人)
 
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[8] 阿部泰隆氏(神戸大学法学研究科教授)からの便り
----------------------------------------------------------------------
To: "TSUJISHITA Toru"
Subject: Re: [kd 03-06-02] 任期制への誤解
Date: Mon, 2 Jun 2003 07:21:16 +0900
 
At Mon, 02 Jun 2003 01:36:14 +0900,TSUJISHITA Toru wrote:
>   任期制ポストの「再任」という概念について誤解が多いようです。1997
> 年5月16日の衆議院文教委員会[4]で、雨宮高等教育局長が
>
>      任期制とは、任期満了により当該任期を付されたポスト
>       に係る身分を失うことを前提とした制度
>
> であること強調し、再任拒否されても「不服申し立てをするというようなこと
> は考えられない」と述べています。
>
>   5年の任期付きポストに就職するということは、5年間だけ大学と雇用契約
> を結ぶことですから、自他共に認める業績があっても、例えばそのポストの役
> 割が大学で変更された場合には、当然再任されないことになり、しかも、それ
> を不服として訴えることは論外とみなされるわけです。実際に、京都大再生医
> 科学研究所で、外部評価委員会で問題なく再任可とされた方が再任拒否され地
> 位保全の仮処分を京都地裁に申請*しましたが、却下されたと伝えられています。
> *http://ac-net.org/kd/03/220.html#[8]
>
>   任期制を導入した大学で、現在の教員に任期契約への移行を求める場合があ
> るようですが、もしもそれが強制に近いものであれば明らかに違法で、有利な
> 訴訟が成立すると思います。しかし、一旦、任期契約に移行してしまうと、早
> 期退職を承認したのと法的には同じように思いますので、再任不可となった場
> 合に、どれだけ素晴しい業績があったとしても、不服申したては法的には困難
> のようです。
 
文部省は上記のようなつもりで任期制法を作りましたが、再任は新規採用のよ
うなものという政府でさえ、不合理な再任拒否には司法救済があるとしている
のです。上記の部分だけ、強調してはなりません
 
 第140回衆-文教委員会-14号(平成9年5月21日)より。
 
 ○ 雨宮政府委員(文部省高等教育局長)
 
 「任期満了後、引き続き同じ職に採用されない、本人は希望したのだけれど
も採用されなかったという場合の不服をどうするのだ、こういうお尋ねでござ
います。
 
 これは、基本的には教員の採用選考の場合に、それは人事の選考ということ
でございますので、基本的には通常の採用選考において自分が採用されなかっ
たということに対する不服と同じ性格のものだというように考えざるを得ない
わけでございます。したがって、このような場合につきまして、これを採用し
ないということは処分といういわゆる行政法上の処分ということには当たらな
いというように解釈されるわけでございまして、今御指摘のような状況のもと
で当該教員から人事院に対して国家公務員法に基づく不服申し立てを行ったと
いたしましても、これは受理されない。そういう性格のものだというように考
えているわけでございます。
 
 もちろん、極めて不合理な扱いがなされたという場合に、不服申し立てとい
うようないわゆる行政部内での手続というものは無理がとは思うわけでござい
ますけれども、非常に不合理な扱いがなされたということであれば、当然それ
司法上の救済という道が閉ざされているわけではない[2]というように考えてい
るわけでございます。」
 
私は京大の再任拒否事件を応援しています。その要点を私のHPに載せましたの
でご覧ください。京都地裁の決定についてはこれからですが。
 
これは単なる任期制ではなく、再任審査があり、それで拒否された場合に初め
て、失職することになっているから、再任拒否決定は失職に追い込む一種の免
職処分と理解すべきです。そうしないと、再任審査手続きが無意味になります。
また、再任審査で、京大は外部評価に基づくとしていますが、外部評価では7
人の委員が全員再任可としたのに、教授会がこれを否定しました。「基づく」
という制度ではこれを否定するには外部評価が誤りか別の重大な理由を探さな
ければならないのにそれをしていません。裁判所はこうした理論をまったく聞
かず文部省のいうように任期だから失職というほか、再任手続は職務上の義務
で、教授に対する義務ではないという、古い理論を言っているのです。
 
阿部泰隆 神戸大学法学研究科
ホーム頁 http://www2.kobe-u.ac.jp/~yasutaka/
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[9] 阿部泰隆「大学教員任期制法への疑問と再任審査における公正な評価の不可欠性」
    http://www2.kobe-u.ac.jp/~yasutaka/sainin.htm
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     大学教員任期制法への疑問と再任審査における公正な評価の不可欠性
               ー京大は学問の自由を自ら踏みにじるなー
 
           2003年4月21日
 
           神戸大学教授 阿部泰隆
 
      目次
      一 はじめに
      二 任期制法への疑問
       1 任期による入れ替えと流動化・活性化との合理的な関係の希薄さ
       2 身分保障・学問の自由に抵触
       3 再任可と流動化型の間は矛盾
       4 恣意的な免職制度
      三 公正な再任審査制度とその司法審査が不可欠
       1 公正な審査制度の必要
       2 任期への同意はそもそも騙し打ち
       3 外部評価に「基づく」との審査基準
       4 再任拒否の理由
       5 不公正な再任審査のしくみと運用
       6 所長の越権行為
       7 司法審査の必要
      四 京大は大学の自治の火を自ら消すな
 
 
 一 はじめに
 
 京都大学再生医科学研究所の井上一知教授が再任を拒否されて、私は意見を
求められた。
 
  井上教授が医学部助教授からこのポストに昇任したとき、平成9年8月に施
行されたばかりの大学教員任期制法に基づく5年の任期に同意していた。そこ
で、一般には、任期が切れたら、失職するのも当然で、再任されなければ争い
ようもないと思いこんでいる面がある。
 
 しかし、法制度は憲法のもとに、政策目的とそれを実現する手段の体系であ
るが、この法システムを精査すると、目的と手段が対応せず、学問の独立を侵
害する極めて不合理なシステムになっているので、少なくとも、再任審査のルー
ルを公正につくり運用しなければ違法違憲であると確信するに至った。しかし、
京大にはそのようなしくみもなく、これを公正に運用しようとする理性もない。
しかも、これは井上教授一個人や一研究所の問題だけではなく、大学の崩壊を
もたらす重大事件である。裁判所には緊急に救済するとともに、京大当局には
早急に再任の手続をとることを求めたい。
 
 二 任期制法への疑問
 
1 任期による入れ替えと流動化・活性化との合理的な関係の希薄さ
 
 任期制には特定のプロジェクトを行うために特定の期間だけ採用され、任期
が来たら業務消滅により再任がないことが最初からわかっているものや、万年
助手を避け、多数の研究者の卵にポストを与えるための研究助手の任期制のほ
か、流動化型がある。そして、本件のように、再任可とされているものがある。
プロジェクト型で、再任なしのものは、恣意的・人為的な人事を行う余地がな
いので、問題はないし、研究助手は研究者としてまだ評価が定着しない段階の
任用であるから、任期を付すのも当然である。
 
 これに対し、流動化型は「先端的、学際的又は総合的な教育研究であること
その他の当該教育研究組織で行われる教育研究の分野又は方法の特性にかんが
み、多様な人材の確保が特に求められる教育研究組織の職に就けるとき。」と
いう曖昧な文言で、任期を付けることができる。その理由は、日本の大学教員
には流動性がたりないので、任期制で流動化させて、研究教育を活性化すると
いうのである。
 
 しかし、任期制という手段と、流動化なり大学の活性化という目的の関係は
不明である。たしかに、自校出身者の学閥人事[3]のために研究教育が停滞してい
る大学は少なくないが、任期制を導入したところで同じ学閥内で流動化するだ
けの可能性が少なくないし、これは大学による自主的な選択的導入とされてい
るから、当該大学が活用しなければ意味がない。また、「多様な人材の確保が
特に求められる」という口実で大学教員の職務はすべて任期制にできるのでは
ないかという疑問があるが、文部省の国会答弁では、これは任期制を導入でき
る場合を限定したものとされている。それなら、なおさら、任期制法が成立し
ても、実際に任期制を導入するポストは限られるから、大学の活性化にはさし
て結びつかないであろう。
 
 学閥人事などによる研究教育の停滞を打破するためには、採用人事において、
自校出身者の割合を一定以下に下げるように目標値を設定させ、それに応じて、
予算措置で優遇措置を講ずること、諸外国に見られるように、優秀な教員を
遇措置を付けて招聘することができるように予算措置を講じて、全国すべての
大学が優秀な教員の誘致合戦を行うようにする方がよほど研究教育の向上に資
する。さらに、優遇措置を受けて招聘されたら何年かは他から招聘を受けても
辞職しない(異動しない)という約束を有効とする特別規定も必要である。
 
 また、大学格差の大きいわが国では、学閥などの頂点に位置する大学以外は
教員の異動は激しく、流動化しすぎて組織が崩壊しそうだという悲鳴さえ聞こ
えるところ[4]である。特に法科大学院の設置に伴うこの現象は実定法学系で顕著
である。優秀な教員[5]の定着をはかる優遇措置も必要である。
 
 
2 身分保障・学問の自由に抵触
 
 そもそも公務員の身分保障は、恣意的人事の防止、成績主義の原則や政治的
中立性の確保、労働基本権制限の代償(全農林警職法事件最大判1973・4・
25刑集27巻4号547頁)の観点から認められている。その上、大学教員
の場合には、憲法23条の学問の自由の保障の観点が付け加わる。もともと、
学問の自由を侵害するのは政府権力であったので、大学の自治が認められてい
るが、さらに、教員の業務は学長、学部長のような管理職から個別の監督を受
けない(学校教育法58条)として、独立性が保障されている。裁判官の独立
(憲法76条3項)に類するしくみである。
 
 これをふえんして説明すると、そもそも、大学教員の研究業務は、会社や官
庁の業務とはまったく異質で、他者の学問を批判し、それを克服して新たな学
問を生み出すことにあるから、いかなる権威からも独立できるように保障され
なければならないのである。同僚が人事権を持てば、教員の身分が私的な妬み、
恨みなどに左右されやすいので、学問を進めるほど、地位が不安定になるまっ
とうな学問をしないで波風が立たないようにするしか生きる道がなくなる。こ
れでは学問の府の自殺であり、学問の自由の否定となるからである。
 
 契約自由のアメリカでも、若手はともかく教授には終身の身分保障(いわゆ
るテニュア)を与えるようになったのはこのためである。
大学教員任期制法は、大学教員の流動化のためと称して、教授についても任期制を導入しているが、
任期制で教員を強引に首切って入れ替えることは国際的に異例であるし、これ
らの身分保障の原則、学問の自由の原則に抵触する可能性が大きい。
 
 
3 再任可と流動化型の間は矛盾
 
 流動化を徹底するなら、再任不可として、どんなに優秀な教員でも、任期ご
とに入れ替えるべきである。しかし、組織の全部で本当にそんなことをしたら、
組織の中核となる人材が残らないから、組織が崩壊する。そこで、再任不可と
するのはごく限られたポストとなろう。多くのポストは任期を付けても、再任
可とするしかない。そうすると、多くの教員は結局は再任されるので、流動化
しない。この法律の目的は達成されず、手間暇がかかるだけとなる。
 
 
4 恣意的な免職制度
 
 さらに、その場合再任を可とするか不可とするかの基準は何であろうか。流
動化という基準では、優秀でも出てもらうということであるから、残ってもら
う基準は立てようがない。
 
 そこで、業績を評価することになる。そうすると、これは業績のたりない者
を追い出す手法ということになる。本来身分保障があったはずの教員を、分限
処分を受けるほどではないのにやめさせることができるのである。しかも、任
期切れであるから、救済の方法はつくらないつもりであろう。再任可のもとの
任期制は、結局は、身分保障を潜脱する恣意的な免職制度に堕す
 
 
 
三 公正な再任審査制度とその司法審査が不可欠
 
1 公正な審査制度の必要
 
 このように、私は任期制法自体がきわめて不合理であり、違憲の疑いが濃い
ものと思うが、少なくとも、任期制法を導入する大学においては、これが恣意
的な免職制度にならないような公正なしくみを構築することが不可欠であると
考える。このことは任期制法では明確には定めていないが、同法の制定時に国
会の附帯決議で要求されていたことでもあり、同法に基づく大学の任期制規則
の中で明確に定めておくべきことである。
 
 そして、このしくみは、大学内部で定めるので、内規とか申し合わせの形式
によっているところが多いと推察されるが、もともと、「大学の教員等の任期
に関する法律(平成9年法律第82号)第3条第3項(同法第6条において準
用する場合を含む。)の規定に基づき、大学の教員等の任期に関する法律第3
条第1項等の規定に基づく任期に関する規則に記載すべき事項及び同規則の公
表の方法に関する省令」第1条は、任期に関する大学の規則には、再任(任期
を定めて任用された教員等が、当該任期が満了する場合において、それまで就
いていた職に引き続き任用されることをいう。)の可否その他再任に関する事
項を記載するものとするとしている。
 
 再任に関する事項とは何かは正確には明らかではないが、これまでの研究・
教育・学内業績などの評価基準、再任審査の手続や再任審査における評価基準、
外部評価を行ったときのその評価の取扱いなどを含むものであろう。したがっ
て、これは本来は大学の規則に定めておくべきことである。京都大学ではこれ
を学則には定めていないが、研究所の内規に委任していると理解されるので、
これらに関する内規はここでいう任期に関する大学の規則にあたると理解され
よう。その内規では再任審査は外部評価委員会の評価に「基づく」とされてい
る。そうすると、これは、任期制法に基づく前記文部科学省令1条の委任立法
であると解される。したがって、この内規は単なる内部規範であってはならな
いものであり、これを再生医科学研究所が内規と称していること自体に誤りが
ある。
 
 したがって、この再任の申請や審査のルールは、京大当局と原告を拘束する
法規範になっている。そうすると、原告はこの法令に基づいて再任の申請をし
たものであるから、これに対する再任拒否の決定は、原告の権利を制限する行
政処分と解される。
 
 少なくとも、この再任ルールは、研究所と井上教授との約束と評価される
(行政法学では内部規範でも信頼保護の原則、平等原則により外部拘束力があ
ると説明される)ので、そのルール違反は違法である。
 
 
2 任期への同意はそもそも騙し打ち
 
 大学審議会答申(乙4号証)47頁では、再任は新規採用と同じとしている
が、同時に、採用時に「この旨本人に明示しておくことが求めれる」としてい
る。しかし、もともと井上教授が任期について同意書を提出したときは、その
ような説明はなく、まじめに勤務し、まともな仕事をすれば再任されるという
趣旨と理解しており、任期が到来したときに行われる再任審査が新規採用と同
じという趣旨とはまったく想定していなかったのである。
 
 現に、20以上の大学医学部では、教授を含め全教官に任期制が導入され、
多数の教員がこれに同意しているが、同僚の審査がいかに恣意的であれ、任期
満了により失職する重大事態を認識して、同意書を出しているわけではないだ
ろう。
 
 この段階に及んで、同意書を提出したから、任期で失職しても、違法ではな
いなどという判断がなされるとすれば、井上教授は罠にはめられたとしか言い
ようがなく、もし裁判所がそれを追認するようでは、騙し打ちに加担すること
になる。そんな趣旨であれば、井上教授は同意書を提出していなかったのであっ
て、この同意書は同教授の真意に反し、無効である。
 
 また、この任期制が導入されて、井上教授がこれに同意したのは平成10年
4月であったが、公募に応じた平成10年2月には任期制の条件はなく、採用
直前に同意を求められたのであって、これは勤務条件の事後的不利益変更であ
る。しかも、その段階では再任審査のルールはできていなかった。何らのルー
ルなくして、任期制に同意を求めるのであるから、無茶であり、これは最初か
ら無効であったと考える。かりにそうでなくても、井上教授が今任期制への同
意を撤回すれば、それに基づく失職扱いはできないことになるはずである。
 
 
3 外部評価に「基づく」との審査基準
 
 京都大学の右記研究所では、人事の最終権限は協議員会(教授会のようなも
の)にあるが、前記1の趣旨をふまえ、再任拒否の判断をする前に、再生医療
を専門とする井上教授の業績を理解できる専門家からなる外部評価委員会を設
置して、その評価に「基づいて」決めるという内規が制定された。実際、この
専門委員会の構成員7人のうち、臨床医は5人おり、再生医療を専門とする専
門家も5人いる。これはそれなりに公正なしくみである。そして、その外部評
価では、井上教授の「再任を可とすることに全委員が一致して賛成し、今後の
活躍に期待をしめした」。したがって、これを覆すには、外部評価に重大な誤
りがあるか、外部評価とは別の重大な不適格性を指摘する必要がある。
 
 
4 再任拒否の理由
 
 しかし、研究所の協議員会は、再任を拒否してしまった。その理由は、京大
側から正式には説明されていない。京大当局は、この人事が恣意的ではないか
と批判されているのであるから、正面から答えるべきである。
 
 ただ、研究所長とのやりとりその他から、京都府立医大との合同申請により
行おうとした共同研究に「医の倫理上の問題」があるとされているらしい。と
ころが、この研究は、ガンその他のために切除されて、本来は処分される本人
の膵臓から膵島の細胞を分離して、本人の血管(肝臓の門脈)に注入するもの
である。そうすると、細胞が肝臓に生着し、インシュリンをコントロールする
役割を果たすので、糖尿病患者の治療に大きく貢献する。これは、臓器移植と
混同されている可能性があるが、自家細胞注入治療というべきものである。井
上教授は倫理委員会で承認されればこの分離の過程を担当する予定であった。
それも最終的には承認されなかったので、この研究をしなかった。これに、倫
理上何らかの問題があるはずもない。
 
 かりに協調性がたりないなどというのが理由なら、再任拒否の憂き目に遭わ
ない教授で有能な人は希有であろう。
 
 
5 不公正な再任審査のしくみと運用
 
 この京大のしくみでは、任期制の適用を受ける協議員は、井上教授だけで、
他の教授は安全地帯にいて、同僚の身分を左右する。これはきわめて恣意的な
運用を可能にする。任期制を導入するなら、みんな同じリスクを犯すべきであ
るし、多くの構成員の勤務を適切に評価して、評価の低い人についてだけ再任
を拒否するというシステムでなければ、組織が崩壊する。それとも、人材の流
動化と称してどんどん入れ替えるのが目的なら、そもそもあらかじめ再任なし
とすべきである。
 
 また、この協議員は、同僚の身分の生殺与奪の権限を有するのに、井上教授
の専門である再生医療の臨床からはほど遠い人が多い。20人の協議員のうち
臨床医が3人で、しかも井上教授と専門を同じくする専門家がほとんどいない。
それで外部評価委員という専門家の判断をなぜ覆すことができるのか。外部評
価委員会は無視されたに等しい。
 
 井上教授としては、何の問題もないことを同僚に説明したかったが、そのよ
うな機会は与えられず、所長から一方的に辞職を迫られた。
 
 協議員会は無記名投票で決め、しかも白票は反対票と数えるという制度となっ
ていたので、きわめて無責任な決め方であった。これは単なる新規採用人事と
同じつもりであろうが、外部評価に「基づく」となっている以上は、それと異
なる結論を出す場合には、外部評価に従えない理由を示すべきである。協議員
会では単に再任の賛否を問うのではなく、再任に賛成の案と反対の案を理由つ
きで提出して論争すべきであった。この運用は、外部評価に「基づく」とは言
えないから、違法である。
 
 
6 所長の越権行為
 
 それどころか、この研究所長が、外部評価委員会に働きかけて、一部は原告
に不利に修正させ、他方、再任に全委員賛成という文章を、特にそれを不可と
する意見はなくという消極的な文章に書き換えさせようとしたとか、「国際的
に平均」という評価から「国際的」を落とそうとして失敗した事実、井上教授
に辞職するように説得を依頼して失敗した事実も、外部評価委員(出月東大名
誉教授)から明らかにされている。これは単なる裁量濫用などという生やさし
いものではなく研究所長の権限濫用である。
 
 なお、判例によれば、公務員は被害者に対して、個人としては賠償責任を負
わないのが原則であるが、特別に保護されている裁判官でさえ、「違法不当な
目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその附与された権限の趣旨に明らかに
背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情」があれば国家賠償責
任が成り立つ(最判昭和57=1982・3・12民集36巻3号329頁)。
研究所長は個人としても責任を負わなければならないのではないか。さらに、
刑法の職権乱用罪の可能性はないのか?吟味を要することである。
 
 
7 司法審査の必要
 
 こんな無茶苦茶な再任拒否も、任期切れだから救済の方法はないというのが
京大当局の見解である。しかし、それは、前記のような公正な審査の要請に反
するし、なによりも、この研究所が自ら打ち立てた外部評価に「基づく」とい
う基準に反する。こうした再審査のルールは法的なものであるから、本件の再
任拒否は、任期切れによる失職ではなく、免職処分と理解するか、少なくとも、
再任に関して公正かつ合理的な判断を求める再任申請権を侵害するものとして、
行政処分であり、司法審査が及ぶ(さらに仮の救済が不可欠である)と考える
べきである。なお、国会でも、文部省は流動化型の任期制は限定的であり、司
法審査があることを認めている。これに反する主張は許されないはずである。
 
 そして、以上の説明のように、本件の再任拒否は違法であるから、任期切れ
の4月末までには司法の仮救済が必要である。
 
 
四 京大は大学の自治の火を自ら消すな
 
 こんな恣意的な人事がまかり通れば、今後こうしたポストは危険極まりない
ので、一流の研究者は応募しないし、その職に就いた者は、研究の最先端で活
躍するよりも同僚の評判ばかりが気になって、まともな学問はできないであろ
う。これは研究の活性化をはかろうとする任期制法の趣旨に正面から反する
京大の教授が辞職を覚悟で学問の自由を守ろうとした1933年の滝川事件の
伝統を京大当局、京大学長はなぜ自ら消そうとするのであろうか。こんな大学
に自治を認めるのが間違いだなどということになりかねない。
 
 なお、京大学長長尾真は、これは再生医科学研究所が決めたもので自分は関
係ないという態度をとっているが、学部・研究所の教授会自治に囚われて、
学の自治の内部からの崩壊を拱手傍観するようでは、学長の器にふさわしくな
い。研究所長の職権濫用に加担したと言えないか。本来なら、こうした不祥事
を防止するように、せめて指摘されたら、是正するように動くべきである。
 
 ちなみに裁判官は10年の任期制である。たしかに再任拒否の理由は示され
ないが、再任拒否は滅多にないので、普通には安心して自己の信念で裁判に専
念できる。また、再任されなくても、同じ法曹であり、独立事業者である弁護
士として活躍できる。法曹一元の理念による。これに対して、研究者は、専門
的であるだけにつぶしがきかず、しかも就職できなければ研究を継続できない
ので、事情はまったく異なるのである。しかし、それでも、裁判官の再任拒否
が本件のようなやりかたでなされるならば、裁判官は安心できず、貝のように
口を閉じて、一切物言わないようになるだろう。これでは裁判も死に至る。
 
 学問の府であることを自負しているはずの京大当局は、本件の再任拒否を至
急取り消して、井上教授を再任するとともに、他大学の模範となる公明正大な
再任手続のルールを作り直すべきであ

る。

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2003118日 東京で政経史学会(政治経済学・経済史学会『歴史と経済』、旧『土地制度史学』)の仕事を終えてから研究室にやってきたところ、2年生の学生さんから、教員の流出で自分たちの将来がどのようになるのか不安のメールが寄せられていた。当然の心配であろう。提案なのですが、このまま教員数が足りず、来年度以降の開講講座数が減少するのであれば、卒業に必要な単位数のうち、専門科目の必要単位数を、講座減少割合に応じて下げることを教授会等で検討されることを提言していただけないでしょうか。先生の日誌を読んで次第に不安になってきましたので、本メールを送信させて頂きました。」学生諸君も、現在の危機的状況に対していろいろ意見をプロジェクトRにも出しているようだが、目下の学生に対する配慮を感じることはできないようで、われわれ一般教員と同様、事態はますます悪化しているととらえており、この学生さんの場合、悪化した状態を前提にして(事態の打開、改善などあきらめて)、こうした実に痛々しい希望を私にまで送ってくる。商学部教員はじめ、大学関係者は真剣に来年度のカリキュラムなどを手当てしなければ、目の前にいる学生、大学のカリキュラムなどのメニューを信じて入学してきた学生に対する責任、社会的責任を果たすことはできないだろう。学部長には(一応は学長にも)、こうした学生の生の声をメールでお伝えしておいた。

 

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2003117(3) 最近、国立大学法人化問題と取り組む新首都圏ネットワークを見る機会がなかった。談話室で、国立大学の教員が「社会貢献」に全研究時間の1割も割き、総労働時間が以上に膨れ上がっている、ということを耳にして、久しぶりにアクセスしてみた。そこで、下記の記事が飛びこんできた。本学で問題になっている「大学像」においては、十分に議論されてはいないが、まさにこれに関する論点が昨日の教授会では出た。すなわち、「地域貢献を教員の本来業務とする」という規定などは、その運用しだいでは、大学の研究教育を破壊する危険性をも持つものである。大学の教員が社会貢献・地域貢献を行うのは当然として、それを本来の大学生や大学院生に対する教育研究とのバランスの上でどのように位置付けるかは、現実的に、かなり慎重な検討が必要である。本学ですでに先行している事態は、市民講座やリカレント講座の手当て(講師料)を廃止するとことである。週末や夜間に行う市民講座やリカレントを「本来業務」のなかに位置付けることによって、いっさいの人件費をカットしてしまうという実質上の労働強化が行われているのである。市民社会に対する貢献はもちろん大学教員なすべき一つの課題ではあるが、それが労働強化・人件費カットの手段として使われるということになると、まさに伝統的に本来的な職務である教育研究にしわ寄せが来るのは必然である。「大学像」は、この点でも重大な問題をはらんでいる。

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  新首都圏ネットワーク

「社会貢献」勤務の1割=労働時間は長く−大学教員調査・文部科学省

時事通信ニュース速報

 国内の大学教員などが公開講座や審議会への出席など「社会貢献」に割く時間
 は、平均して勤務時間全体の約1割に当たることが5日、文部科学省のアンケ
 ートで初めて分かった。10年前に比べ、年間の総勤務時間は382時間増え
 て2793時間だった。

  調査は大学や短大などの教員2万1500人が対象で、有効回答率は33.5
 %。 

[時事通信社]

 

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2003117(2) 「市議会大学教育委員会が11日に開催され、「大学像」などについての質疑が行なわれます。委員会の委員と中田市長宛に要請文を送りました」との教員組合からの連絡があった。以下にコピーし、リンクも張っておこう。

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大学教育委員会委員各位

写し 横浜市長 中田宏殿

 

 日頃より横浜市と横浜市立大学の発展のためにご尽力いただき心より感謝申し上げます。

 さて、ご存知のように、1029日、横浜市立大学の小川学長は、横浜市大学改革推進本部会議において「横浜市立大学の新たな大学像について」(以下、「大学像」)を提出しました。

 

<「横浜市中期政策プラン」に反する内容となっています>

「横浜市中期政策プラン」では、「大学院の拡充・再編等により、社会の高度化・専門化に対応した人材の育成に取り組むなど、教育・研究の充実」をはかることを「事業内容」とする「事業」として「社会のニーズに応える大学院教育の充実」を掲げています。しかし、今回の「大学像」では、原則として現存の文系大学院博士後期過程を廃止するとされています。これは「中期プラン」に反する内容となっています。また、後期過程への進学を前提に学んできた前期課程に在学する大学院生は文字どおり途方にくれております。これは在籍する大学院生と大学との契約関係に違反するものとなります。

 また、「中期プラン」では「市立大学四年制看護学部の設置」を「事業」として掲げ、2006年度に設置することにしています。しかし、「大学像」においては「医学部」のなかに「看護学府」として位置づけられており、「看護学部」としての自立性が実現しえていません。

 

<「あり方懇」答申が最大の問題にしたいわゆる「累積負債」問題がこの案によって解消されるのか否かは全くふれられていません> 

 「あり方懇」答申は、横浜市立大学は「平均的な大学よりも多くの点で上回っている・・・公立大学としては標準かそれ以上の実績を上げてきたと評価できる」としつつ、「もしも横浜市の財政が健全であり、市民がこれまでのように横浜市立大学の経費を負担していけるなら、この大学が存続していくことはにおそらく大きな問題はない」と述べて、横浜市立大学を「改革」せねばならない最大の根拠を1140億円の「累積負債」に求めていました。

今回の「大学像」は、この改革案によってこの点がどうなるのかについては、言及が一切されておりません。のみならず、全教員に任期制を導入し年俸制を実施するとしていますが、それによって人件費がむしろ大幅に増大するという矛盾を含むものとなっています。

 

<市民アンケートや学生アンケートについては学内では一切公表されていません>

 私たちは、改革案の策定に当たって学生や市民の意見を聴くこと、そしてそれらを公表することを小川学長に強く求めてきました。事実、学生の中には大学側の説明が不十分であることに対する不満が渦巻いています。ところが、市民アンケートや学生アンケートの結果に関してはこれまで一切公表されずにきました。1029日の横浜市大学改革推進本部へ「大学像」を提出する最終段階でそれらが「付属資料」として添付されています。これらの資料は、改革案を作成している学内討議の過程において公表されて然るべきものでした。しかも、アンケート調査は、その公正さを精査する上で設計された調査票の全体と調査結果の全体的なデータが公表されるべきものです。しかし、今回の公表はあまりにも断片的に過ぎます。

 しかも、そのなかにはそのアンケート調査の非科学性、誘導的性格を教員組合から指摘されて、中上総務部長が、その非を認めた上で、このアンケートを「根拠としてリベラルアーツ化などという使い方はしないつもりだ」と明言した項目(「付属資料」10ページ)も含まれています(別添の教員組合の学生向け配布ビラ「この学生アンケートに記憶がありませんか?」、および、詳細については「教員組合ニュース」818日、教員組合HPに掲載をご参照下さい)。さらに、重大なことに、「付属資料」に記載されていますアンケート項目のワーディングは、実際実施した調査項目のワーディングを改竄されています(「この学生アンケートに記憶がありませんか」の「質問8」と対照してください)。このようなアンケートで市民や学生の意見を充分に聴いたなどといえるでしょうか。さらに、このような操作された資料をもとに議会審議がなされるとすれば、それは議会を甚だしく冒涜するものといわなければなりません

 

<全学の総意を結集したものとなっていません>

本「大学像」とその伏線となってきた諸案(「あり方懇」答申、「大学改革案の大枠の整理について」、「大枠(追加)」、「横浜市立大学の新たな大学像について(案)」)に関して、それらの本質的な諸論点について学内で厳しい批判が相次いできました。各学部の教授会、臨時教授会、付置研究所の教授会、評議会、臨時評議会、プラン策定委員会などでそれらに対する極めて厳しい批判が続出してきました。事実、学部教授会、大学院研究科委員会において、本年のこの6ヶ月という短期間に都合10件の反対決議や教授会見解が表されています。教授会と多くの教員の意見表明にもかかわらず、「プラン策定委員会」幹事会の委員に対して厳しい緘口令を敷くなど小川学長の秘密主義と乱暴なトップダウンによって、それらはほとんど改革案に反映されずに来ました。今回の改革案は決して学内の総意を結集したものとは認めがたく、今後さらに検討を要する事項を数多く残しております。

 

<評議会の運営に関して重大な疑義があります>

「大学像」を検討した1022日の臨時評議会においては、多くの評議員からの反対意見や疑問の表明が行われ、採決を求める提案がなされました。にも関わらず、小川学長は、「慣例にない」として採決をしませんでした。さらに、この評議会において反対・疑問が集中して議論に多くの時間を費やした「人事委員会」問題と現職全教員への「任期制」導入問題に関して、これに反対に意思を示した評議員の氏名を議事録に残すべきであるとする評議員からの提案をも小川学長は合理的な理由もなく拒絶しました。本学の最高の意思決定機関・評議会の議長である小川学長は、評議会運営上の手続民主主義において重大な問題を犯しています。評議会の民主主義的な運営という点においてきわめて遺憾であるとしなければなりません。1028日の国際文化学部臨時教授会においても同趣旨の見解が表明されています。また、同様の商学部教授会見解が来週にも公表されることがすでに決定されております。

 

<評議会での合意文書が改竄され、評議会での議論を経ていない記述が挿入・改稿されています>

10月22日の臨時評議会で議論の対象となったのは、「横浜市立大学の新たな大学像について(案)」(以下、「案」)ですが、29日に横浜市大学改革推進本部に提出された「大学像」では、評議会に一切諮られることなく「案」に対して多くの加筆・削除・修正が施されています。

さらには、臨時評議会の場で時間をかけて確認された字句修正に意図的ともいえる重大な変更が加えられています。任期制に関する事項です。臨時評議会では、「案」の文章を次のように訂正し確認しました。「多様な知識や経験を有する教員などの交流の活性化をはかり、教育研究を進展させるため、任期を定めて任用する制度とする。原則として、全教員を対象に今後、関係法令を踏まえて具体的な制度設計をすることとする」。これが評議会で修正し確認された文言です。ところが、「大学像」では、次のように書き換えられています。「多様な知識や経験を有する教員等の交流の活性化を図り、教育研究を進展させるため、原則として全教員を対象に任期を定めて任用する制度とする。今後、関係法令を踏まえ、具体的な制度設計を行うこととする」。「大学像」の記述は明らかに評議会で確認された文言と異なり、「原則として全教員を対象に任期を定めて任用する制度とする」となっており、きわめて断定的な表現に改竄されております。評議会で確認した文言を一方的に修正することは許されません。これは横浜市立大学の最高意思決定機関としての評議会を愚弄するものであり現行法に違反します。この点に関して、11月6日の商学部教授会で抗議の意思を示すことが決定されています

 

<現職の全教員への任期制の導入は違法です>

地方独立行政法人法は、教員身分の承継を明確にしており、私たちは、現職全教員への任期制の導入という有期雇用への教員身分の不利益変更は地方独立行政法人法の規定によって不可能である考えております。

また、「大学の教員等の任期に関する法律」(以下、「任期法」)は、「任期を定めることができる場合」を限定しているのであり、この法律によって任期制を無限定的に導入できるわけではありません。現行の「任期法」は限定的任期制であり、これを現職の全教員にまで拡大して無限定的任期制を採用することはこの法律に違反することになります。                     

さらに、この法律には、「任期制の導入によって、学問の自由及び大学の自治の尊重を担保している教員の身分保障の神が損なわれることがないよう充分配慮する」との附帯決議が付されており、その運用にあたって「身分保障」に関しての極めて厳しい条件が課されています。このことは、学問研究の特殊性に基づき「教員の身分は尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない」とする教育基本法第6条2項の規定に照らして厳密に履行されねばなりません。したがって、現職の全教員への任期制、年俸制の導入は法的に不可能といわねばなりません。

また、「任期法」によらない労働契約での導入という見解もありますが、「任期法」は特別法であり、規定が抵触する場合においては特別法が優先します。

 

<労働条件変更に関する労使協議はなされていません>

 「大学像」は、任期制はもとより、労働条件の変更に関わる重大事項を多々含んでいます。労働条件に関わる事項について独自に事前の労使交渉は行われていません。労使協議が不可欠の課題であることを付言しておきます。 

 

以上の諸点を充分にご勘案いただき、慎重審議をよろしくお願い申し上げます。ご参考までに、以下の資料を別添いたしました。

 

別添資料:大学の教員等の任期に関する法律案に対する付帯決議

     国立大学法人法案に対する付帯決議     

地方独立行政法人法案に対する付帯決議

教員組合の学生向け配布ビラ(「この学生アンケートに記憶がありませんか?」)

 

なお、横浜市立大学教員組合ホーム・ページもご参照ください。

http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

2003117

                          横浜市立大学教員組合

                          執行委員長 藤山嘉夫    

 

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2003117日 昨日の教授会で藤山教授から情報があった「全大教臨時大会特別決議(113)」を頂戴した。以下にコピーし、同時におなじファイルにリンクを張っておこう。横浜市立大学学長(事務局責任者)の秘密主義・独裁的手法は、全国的にもますます広く認識されるようになっている。われわれは、人類の発達史における21世紀初頭にふさわしい大学改革を民主的に全学の力を結集して行う道を求め、期待し、発言しつづけてきたが、それは裏切られつづけた。昨日の教授会の空気を支配したのも、そうした学長(事務局責任者)の独裁的専制的手法に対する怒りであった。長時間かけて「案」を修正(任期制に関する部分)したその評議会の議論の到達点をさえ無視する(覆す)その酷いやり方を教授会として座視することは許されず、商学部教授会としての新たな決議・声明を必要とするという点で、一致を見た。将来、仮に最悪の事態として任期制等を巡る裁判が提起された場合、教授会がどのような態度を示していたかが決定的に重要(現在の法律に基づく限り、教授会の決定・決議は重い、裁判は法治国家・民主主義国家に置いては憲法以下の法律体系に基づいて行われる)になり、決議声明を出して意思を明確にしておくということ、その教授会決議・声明を文書証拠として確定しておくことは非常に重要になる、という点で意見の一致を見た。

 

ともあれ、以下の全大教の決議にもあるように、民主主義的な道とは反対の道を学長・事務局執行部が突き進んでいることが、大学内外でますます多くの人の認識になってきたといえよう。

 

なお、昨日の教授会では、東大(工学部)から一人の割愛願いが出され[6]、入試関係教務関係等の厳しい委員会職務事情に関して両委員長の発言があったが「3月ならば可能である、問題ない」とのことで、了承された。教員一人の人事移動はカリキュラム編成、各種委員編成、入試教務関係業務全体、全教員の負担にも直接関わってくるのであり、そのような意味で専門家集団である教授会の審議なしに人事を決めることが出きるかのごとく構想している「大学像」の現実無視の行政主義的態度の問題性が、改めて浮き彫りになる。

さらにもう一人、依願退職希望が出された[7]。現在の大学がおかれている事情からして、特別の異議は出されず、余儀ないものとして了承された。

教授会としての今後の重大問題は、すでに退職補充人事「凍結」等と合わせて欠員8名にまで膨れ上がった状態で、来年度のカリキュラム等の維持をどうするかであり、そもそも維持可能なのかということであって、カリキュラム編成、教員構成からして、これら二人の補充をどうするかということになろう。

 

----------------全国大学高専学校教職員組合第31回臨時大会------------------ 

特 別 決 議

 

 現在、東京都立4大学および横浜市立大学において、行政当局の不当な介入等によって、大学自治が著しく破壊される事態が生じています。

 81日、東京都は都立4大学の統廃合のマスタープランとも言うべき「都立の新大学構想」を発表しました。その狙いは、地方独立行政法人法に基づく公立大学法人化を利用して、「設置者権限」の無際限な濫用による行政の大学への介入と支配、教職員の大リストラと経費削減、大企業本位の都心再開発行政への大学キャンパスと知的資源の利用、の三点に整理されます。石原流「新しさ」の衣装をまとってはいても、国立大学法人化の狙いと底流では確実に通じているこれらを、国立大学に対する以上の強引さで進めるために知事と大学管理本部が編み出した手口が、あからさまに管理本部への屈服を要求する「同意書」の提出強要であり、教員管理職を「個人として」「口外禁止規定」で縛った上で管理本部の指示の下でプラン作りに参加させる教学準備委員会です。これらは教員を分断し、評議会、教授会の機能を麻痺させることによって、大学自治の制度と意識を破壊しようとする前代未聞の違法な暴挙でした。

 しかしながら都立大学・短期大学教職員組合は、すべての教職員や学生に対して徹底的な情報提供と管理本部の動向や意図を暴露する宣伝を行い、孤立しがちな教員を励まし、四大学間の分断攻撃を防ぎ、「同意書」を実質的に無効化し、情報開示と教授会の機能回復を援護し、また広く社会に呼びかけて「都民の会」等による市民レベルの運動の構築をサポートしてきています。そして闘いは今まさに、文科省への申請書類作成を焦る管理本部と大学自身の手による新大学設計を要求する大学側とのつばぜりあいの局面になっています。

1022日、横浜市立大学の小川学長は臨時評議会において、市大改革案「横浜市立大学の新たな大学像について」を多くの評議員の反対意見表明と採決すべきとの要求を無視して強行し、29日、これを横浜市長に提出しました。「プラクティカルなリベラルアーツ」などという意味不明な言葉を掲げ、理念もないままに現存の三学部を統合するというこの改革案に対して、学内の多くの教職員、学生は反対の意思を表明し続けてきました。学外においても市民運動が展開されてきました

 しかるに、小川学長は多くの大学関係者、市民の意向には耳を傾けずに極端な秘密主義とトップダウンの極めて非民主的な大学運営を強行してきました。当該改革案は全学の総意を結集したものとは見なしがたいものであり、今後、全学における民主的な手続きのもとでの更なる検討が不可欠なものです。また、当該改革案には、教授会から人事権、カリキュラムの運営権を剥奪し、現職全教員に任期制を導入するなど、大学における学問の自由を根底から脅かす法的にも認めがたい内容を含んでいます。大学が自らの存在を根底から否定するこれらの事項は断じて容認しがたいものです。

 東京都立4大学、横浜市立大学において展開している事態は、公立大学の法人化・大学改革の動向のなかでも、突出して異様なものです。71日に参議院総務委員会において地方独立行政法人法案が可決されるに際して、附帯決議が採択されましたが、その第6項には「公立大学法人の設立に関しては、地方公共団体による定款の作成、総務大臣及び文部科学大臣等の認可に際し、憲法が保障する学問の自由と大学の自治を侵すことがないよう、大学の自主性、自律性を最大限発揮しうるための必要な措置を講ずること」と規定しています。東京都のように設置者権限を濫用して行政が大学に介入し、支配しようとすること、横浜市立大学長のように市当局に迎合して学内構成員の意思表明に背を向けることは、上記附帯決議をまったく無視し、学問の自由と大学自治を著しく侵害するものです。

 私たちは、東京都当局、横浜市当局と横浜市立大学長による学問の自由と大学自治を侵害する行為に厳しく抗議するとともに、東京都立4大学および横浜市立大学の教職員の自主性・自律性を擁護するための取組みを断固支持するものです。また、国立大学、高専等の法人化をひかえて、試練のときにあることを深く認識し、学問の自由を擁護し、新たな大学の自治・自律的機能を構築するために、全国的に連帯して粘り強く奮闘する決意をここに表明するものです。

 以上、決議します。

 

2003113

                    全国大学高専学校教職員組合第31回臨時大会

 

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2003116日 先日、富士大学の川島助教授解雇事件のことを知って、この日誌でも言及したが、その川島助教授支援のHP富士見ネット」http://www5f.biglobe.ne.jp/~fujimi/)が開設されたそうで、会の方からご連絡があった。ここに紹介しておきたい。

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2003114日 センセーショナルな「大学像」の内容に立ち入ると、大学が大学でなくなってしまう問題性がいくつも見いだされる。「全員任期制」は、大学の安定的な健全な発展の上から根本的に問題だが、一般の労働法に照らしてもまた大学教員の「任期法」に即しても違反である(この関連で教員組合も学習会を計画している、先ほどその連絡があった[8])。だが、それはすでに何回か商学部教授会見解とも関連して言及したので改めて論じる事はしない。ここでは他にひとつ重大なものを指摘しておきたい。なにかといえば、研究費の問題である。

 

研究は、外部資金を獲得して行う。そのため、すべての教員[9]は、国家プロジェクトや科学研究費等、公募による研究費、共同研究や受託研究などによる外部資金の獲得に、その義務として努めなければならない」と。

 

横浜市立大学は、大学教員のための基礎的で安定的な最低限の研究費も用意しないというのである。「研究は外部資金を獲得して」行えというのである。これは大学ではない。「競争的」な「外部資金」は、大学研究者にとって最低限必要な安定的で基礎的な自由な研究費とはならない。

この案を書いた人々は、一体どのような人々か?

この案を書いた人々(プロジェクトR幹事会の人々)は、国家資金などそれぞれの外部資金がどのていどの採択率なのか調べた事があるのか?

この案を書いた人々(行政職・事務職だけではなく教員も半数はいるのだが)は、たとえば文部科学省の科学研究費の採択率についてさえ知らないのではないか? それとも一応調査し、知った上でこのような提案をしているのか? その採択率を知った上で、科研費は安定的で基礎的な研究費となるといえるのか?[10] 

あるいは、プロジェクトRの案の作成に携わった学長をはじめとする教員は、科研費などは申請しなくても、ふんだんに外部から資金を獲得してきた人々か? 本当か? 個々人の研究費実態を調査してみれば、すぐにわかる。過去のデータ(誰が、何年から何年まで、どのていどの額を、どのような研究テーマで獲得し、どのような研究成果を出してきたのか)は秘密ではないはずで、調査も可能だろう。

「外部資金」とは、一体どのような性格のものか、一つ一つをきちんと検討すべきものである。歴史研究のような分野では、自由な(自由の程度の高いもの、というべきか)ものは文部科学省の科研費くらいしかない。人文科学、社会科学における採択率はどうなっているか?他の分野ではどうか? 種々の財団などが研究費を出すようになっているが、その審査は誰がやり、どのような研究が成果として出ているか? その調査を踏まえた上での提言か? 大学の研究費がもっていた(もっている)自由さはあるのか?

 

研究者の希望にこたえるような「外部資金」を獲得するためだけにでも、その前提として、日常的に安定的な基礎的な自由な研究資金がなくてはならない。採択されるかどうかわからない資金、何年かに一度あたるかどうかわからないような外部資金だけに依拠して研究を行うわけには行かない。基礎的で安定的な研究を行いながら、その積み重ねの上でこそ、他方で、科学研究費など外部資金にも応募出きる。

外部へ競争に打って出るためには、前提として安定的な基礎的研究費が不可欠である。基礎的安定的な研究費があってこそ、仮に外部資金が不採択になっても最低限の研究を続けることができる。基礎的な研究は必ずしも競争的ではない。競争的な研究しかやらない大学(教員)は大学(教員)ではない。そもそも「競争」と学問とはどのような意味で、どのような範囲で整合するのか?[11] 

今回の案は、そうした研究の実態を知らない人々(そうした日常的で安定的な研究をしていない人々? 行政職・事務職のようにその必要のない人々?)の発想でしかないのではないか?こんな無茶な提案をするようでは「横浜市に大学を持つ資格なし」というひそやかな噂は本当になるのではないか? 一市民として、そのような噂を不本意とするだけに、腹立たしい。教養なき人々による「大学像」といわれるのではないか?「大学像」における「研究費」に関する項目だけでも、その証拠となるのではないか?「大学像」は全国の大学人が見ている、見ることができるものだ、ということを考えているのか? 

大学の予算から研究費を削除したらいったい何が残るというのか?

これまで商学部を例に取れば、わたしが着任した96年からの7年間だけでも、一橋大学(ビジネススクール)1名、神戸大学(ビジネススクール)1名、慶応大学(法科大学院)1名、早稲田大学(政経学部・社会科学部・アジア太平洋大学院)3名、東京都立大学(法科大学院)1名、法政大学(経営学部)1名、青山学院大学(法学部)1名、中央大学(文学部)2名など、実に多くのスタッフが出ていき、あるいは出ていく予定になっている[12]。それは何を意味するか?[13] この人々は「競争的資金」を獲得していた人々か?

基礎的で安定的な自由な研究費さえもなくしてしまうような大学に誰が好んで残ろうとするのであろうか? また、このような「大学像」の提言を知る人で、優秀な人々がわが大学に来るだろうか?競争条件が同じなら、安定的な大学らしい研究費を保証する大学を選ぶのではないか?

研究費廃止などを提言できる人々とはいったいどのような人々か? プロジェクトR案作成責任者のリストをよくよく吟味する必要がある。プロジェクトR全体会、評議会はどのように反応したのか?

 

他方で、「大学の経費を原資とする研究費は、大学が地域貢献若手人材育成等必要と認めた場合、競争的資金として効果的に活用する」とある。

これは何を意味するか?

これまで、「競争的資金」はどのように分配されたか?

これまで「競争的資金」を分配する組織は何だったか? 真の意味で「競争的」だったか?

「地域貢献」は誰が判断するのか?

学問・科学の自由は「地域貢献」の判断の仕方(誰が? どのような組織で? どのように?)で、いかようにでも抑圧できる。恐るべきことではないか?

「若手」を競争させ、「若手」でないものには研究費を出さない、というこの姿勢!

しかも、現代社会はますます、そして今回の「大学像」においても繰り返し、教員評価が問題になっている。基礎的な安定的な研究費を召し上げておいて、評価だけはシステム化するという。これに「全員任期制」を結びつけると、どのような結果になるのか?

  

これまで、けっして多くはないが基礎的安定的な研究費があるおかげで、右顧左眄することなく自由な自主的自律的な研究になんとか専心できた人々は、お手上げではないのか? つまり、自主的独立的に研究する研究者を排除するシステムではないのか?

 

すくなくともこれまでは、基礎的安定的な研究費のおかげで、「分配」権限を持つ人の意向などを考えることなく自由に、自律的・独立的・継続的に研究[14]できたのではないか? 毎年、「分配」権限を持つ人々の顔色を見ながら研究をしているようでは、卑屈なことしかできないのではないか? 「分配」権限を持つ人々に擦り寄る人々が増えるのではないか? すでにこれまでそのような事はなかったのか?

毎年、学内の教員仲間に対する「競争」に参加しなくても、また、「分配」権限を持つ人の意向など考えることなく、各人の学問的興味と教育研究者としての良心、学問的良心・科学的良心にしたがって自由に基礎的な安定的な研究を続ける[15]ことができなくなった大学とは、大学なのだろうか? 

 

「大学像」における研究費の定義や位置付けは、何重にも教員を貶めるやり方ではないのか? そんなことを半数も教員がいる組織が打ち出すのか? 誰が主導権を握っているのか? それほどまでに大学予算を削れというのが市当局の厳命なのか? それほどまでに横浜市の財政は苦しいのか? しかもそれを大学の意見として、大学の「自主的」意見として提出させたというわけか?

 

今回の「大学像」だと学内でさえ競争せよと縛りをかけ、鞭打つ。

だが、競争者を適正に学問的科学的に選抜するためには、学問的科学的に公平適切に審査する審査者[16]が適正に必要な数だけいることが前提となる。それは可能か? 基礎的研究費の配分のためだけにでもたくさんの審査をおこなうとすれば、その公正さを保障するためにどれだけの人力、どれだけの時間が必要になるか?

 

審査の適正な前提条件がないとき、学内が「競争」で疑心暗鬼(非学問的非科学的「競争」)になり分裂しているとき、誰が有利になるのか? 「分配」権限を持つ人の力が抜きんでることになるのではないか。トップダウン方式、中央集権的統制的大学システム、官僚主義的大学システム! 

恐るべきことではある。 

大学の自治や学問の自由の精神は、「大学像」のすばらしい文言とはうらはらに、衰弱の極みに達しているのではないか?(「大学像」には、「大学の自治」や「学問の自由」はひとこともない)

人事と予算、この二つの側面から大学の根本理念が根底から破壊されようとしているといえないだろうか?[17]

いままさに求められているのは、秘密主義に徹して作成された「大学像」がはらむ危険性に抗しつつ、逆に、21世紀にふさわしい新しい公正な社会的説明力のある人事・予算システムの構築であろう。それは単純な教授会からの予算・人事権の剥奪によっては実現されないであろう。その構築過程で重要なのは真の意味での民主主義(不可欠の前提としての議論の公開性)であろう。

 

 

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2003111(3) 「大学像」における修正箇所・添削箇所を見ていて改めて考えさせられる(すでに教授会の議論などでも出ている)ことだが、今回の大学像においては、「学部とコースの運営」と教授会との関係が切り離されている(相互関係の規定がない)。すなわち、現行学則においてはどの教授会規定においても、「教授会は、・・・教育公務員特例法の規定により、その権限に属せしめられた事項をつかさどる」と規定されているが、それに対応する規定が削除されている。公立大学法人化を前提に、「教育公務員」でなくなることを前提にした規定だが、学校教育法第59条は、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」と規定する。公立大学法人も「学校教育法」にもとづく組織であり、教授会が必要であり、学校教育法にいう「重要な事項」として、カリキュラムと対応する人事がある。学校教育法は教授会を中心とした大学の自主的運営を定めており、「大学の運営に関する重要なこと」は大学が審議することとしている。今回の「大学像」は、こうした現行法との整合性が、きちんと整理検討されているものではない。教授会から人事権を奪う事だけを目的にしている。それは教授会といっても、「重要事項」を審議しない組織である。学部長やコース長などの選挙規定も欠如しており、行政的な運営のあり方だけを述べたものである。「大学像」の問題性は広範囲に及ぶ。

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2003111(2) 東京都立大学に関する自由法曹団の見解を、http://letter.ac-net.org/03/11/01-17.phpを通じて知った。本学の問題を考える上でも、最も重要な論点(憲法的保障としての「大学の自治」、教育基本法、学校教育法、地方独立行政法人法など依拠すべき法律体系)が重なっているので、大変参考になる。以下にコピーしておこう。さらに、都立大学教職員組合顧問弁護士の講演内容も、法律問題のポイントを押さえておく上で重要である。これもコピーしておこう。

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【2】自由法曹団東京支部10/31:「都立の新しい大学の構想」を批判する
http://www5.ocn.ne.jp/~union-mu/jiyuhosodanikensho.htm 
 

 「都立の新しい大学の構想」を批判する

                                2003年10月31日

                                       112-0002 文京区小石川2-3-28-201                      03-3814-3971  fax 03-3814-2623 

     内容  はじめに‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1

         第1 東京都立大学とは‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥2

         第2 都立4大学改革議論の経過‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3

         第3 突然の「都立の新しい大学の構想」公表‥‥‥‥5

         第4 「都立の新しい大学の構想」の内容の問題点‥‥7

         おわりに‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥10

はじめに

 本年(2003年)8月1日、東京都の石原慎太郎都知事は、定例記者会見において、「都立の新しい大学の構想について」を突然公表した。これは、現行の東京都立大学、東京都立科学技術大学、東京都立保健科学大学、東京都立短期大学の4大学(以下、「都立4大学」という。)を廃止し、新大学を設立するというものである。従来、4大学を統合し新大学に移行する「東京都大学改革大綱」に基づき、都教育長、総務局長とともに4大学総長・学長などが参加する「大学改革推進会議」において改革の協議が続けられてきた。しかし、この「構想」はこれらの改革協議の積み重ねを全く反故にするものである。特に、石原都知事は、従来の「4大学統合・新大学への移行」ではなく「4大学の廃止・新大学の設立」であることを強調している。

だが、石原都知事が、いくら「4大学の廃止・新大学の設立」を強調しても、4大学の施設と研究成果等の人的物的資源を継承することを前提とするものであるから、その実質は「4大学統合・新大学への移行」に他ならない。石原都知事のねらいは、事実上現大学の関係者を排除する形で、新大学の設立準備を進めようとするものであり、産業活性化のための産学協同、財政効率化・大学の独立採算性という自由主義路線を強調するという「石原流政治的パフォーマンス」に過ぎない。

 自由法曹団東京支部は、石原「構想」の問題点を明らかにし、広範な方々の議論と行動を呼びかけるものである。

第1 東京都立4大学とは

  統廃合問題を考える前提として、都立4大学の現状を確認しておきたい。

  以下は、東京都庁及び各大学のホームページ上の記載をもとにまとめたものである。

  1 東京都立大学

(1)所在地は、東京都八王子市南大沢1−1 (京王相模原線南大沢駅)。

1991年4月に、目黒区内の旧キャンパスから移転した。

(2)1949年(昭和24年)の学制改革に伴い、旧制の都立高等学校、都立工業専門学校、都立理工専門学校、都立機械工業専門学校、都立化学工業専門学校 及び都立女子専門学校の6校を母体として、都内で唯一の公立の総合大学として発足した。

 現在の構成は、人文・法・経済・理・工の5学部21学科。開学当初から夜間課程(第二部・5年制)があり、昼間課程と同等の教育を実施してきた。

 大学院は、現在、人文科学、社会科学、理学、工学、都市科学の5研究科 修士課程28専攻・博士課程27専攻となっている。

 学生は、学部学生が約5,000名、大学院生が約1,500名在籍、専任教員(講師以上)は400名を超える。

 2 都立科学技術大学

(1)所在地は、東京都日野市旭が丘6−6 (JR中央線豊田駅)。

(2)1954年(昭和29年)4月に東京都立工業短期大学、1960年(昭和35年)4月に東京都立航空工業短期大学がそれぞれ開学。1972年(昭和47年4月)に、この2つの短大が統合されて東京都立工科短期大学が開学。同短大を1986年(昭和61年)4月に4年制に移行し4学科を設置して誕生したのが東京都立科学技術大学である。

 学部は工学部1学部4学科(機械システム工学、電子システム工学、航空宇宙工学、生産情報システム工学)で、学生数は、入学定員 180名、収容定員 720名。大学院は、工学研究科(博士前期・博士後期)に、システム基礎工学専攻、インテリジェントシステム専攻、航空宇宙工学専攻があり、入学定員 102名、収容定員216名。教員(講師以上)は、56名。

 3 都立保健科学大学

(1)所在地は、荒川区東尾久7−2−10 (都電荒川線熊野前駅)。

(2)前身である東京都立医療技術短期大学(1986年(昭和61年)4月開学)の教育・研究・人材を継承発展させ、平成10年4月に開学した。都内で唯一の総合的な保健医療系の4年制大学である。

 学部は保健科学部で、看護、理学療法、作業療法、放射線の4学科。入学定員 200名、収容定員 800名。大学院(保健科学研究科)(修士課程)は、看護学、理学療法学、作業療法学、放射線学の4専攻があり、入学定員 30名、収容定員60名。教員(講師以上)は、66名。

 看護教員養成講座もある。

 4 都立短期大学

(1)所在地は、

  昭島キャンパス:昭島市東町3−6−33 (JR青梅線西立川駅)

  晴海キャンパス:中央区晴海1−2−2 (有楽町線・大江戸線月島駅)。

(2)東京都立短期大学は5学科及び専攻科からなる総合短期大学である。

 本科に、文化国際、経営情報、経営情報、経営システム、都市生活、健康栄養の5学科があり、入学定員500名、収容定員1180名。専攻科は、都市生活学、健康栄養学の2専攻があり、入学定員10名、収容定員10名。教員(講師以上)は59名を数え、公立短大としては最も豊富な専任教員。

 都心部と多摩地区の両キャンパスにそれぞれ夜間課程を設置し、社会人入試を実施するほか、公開講座、社会人聴講生制度を開設している。

第2 都立4大学改革議論の経過

  以上のような内容をもった都立4大学を統廃合しようという議論は、いったいどこから始まったのか。

 今日の都立4大学の改変議論の特徴は、それが、石原都知事の主導によるものだということである。

 1999年春に誕生した石原都知事は、翌2000年1月以降、都立4大学の改革論議を急速に浮上させた。

 都知事は、マスコミや議会で、夜間部を廃止し私学に売却することもあり得る、大学から東京の教育を変える、産業活性化のための産学協同、財政効率化・大学の独立採算性などの発言を繰り返したのである。

 これらの発言により、都立4大学改変の動きがスタートした。

  2000年8月になると、都知事は、都庁内に「大学等改革担当」を設置。同年9月には、都知事自らが、荻上紘一都立大総長に対して、B類(夜間部)廃止を含む「改革案」を提示するに至る。

 同年12月に発表された東京都の「東京構想2000」は、大学の独立行政法人化を提言。2001年2月には、都大学等改革担当室が「東京都大学基本方針」を発表、4大学の「再編・統合」を打ち出した。

 2001年11月には、都大学管理本部から「東京都大学改革大綱」が発表された。ここでは、4大学を統合し、短大を廃止した上で、2005年4月に新しい大学を発足させることが提起された。具体的には、産学公連携センターの設置や都政との連携、独立行政法人化、教職員の非公務員化、法人の長と学長との分離、評議会・教授会権限の限定、任期制の検討などが盛り込まれた。

 この「大綱」が、本年7月までの都立4大学改変の動きの基調となるものであった。

  このように矢継ぎ早に進められた4大学改変の動きであるが、教職員・大学側は、知事からの圧力を感じつつ、2000年1月には都立大学が改革案策定のための新たな体制をつくり「東京都立大学改革計画2000」を策定するなど、大学側による主体的な改革構想の策定に向けての努力と4大学の連携の努力を続けた。

 こうした大学と教職員の懸命の努力が反映して、本年7月までの段階では、4大学の代表者を含めた議論の枠組みが確保はされていた。

 2001年3月に発足した大学改革推進会議は、都教育長、総務局長とともに4大学総長・学長などが参加するものであったし、2002年5月、前述の「東京都大学改革大綱」を受けて設置された都立新大学準備委員会には、教育長、大学管理本部長とともに、4大学総長・学長がメンバーとして参加してきたのである。

 新大学の設置準備は、この準備委員会のもとで推進された。その基本的骨格は、人文・法・経済・理・工・保健科学の6学部、人文科学研究科・社会科学研究科・理学研究科・工学研究科・都市科学研究科・保健科学研究科などの大学院に加え法科大学院・ビジネススクール・先端技術研究科などの設置、学部教育については保健科学研究科の2年生以上を除き南大沢キャンパス、教員定数515名(現4大学867名)、学生数1500名などとされていた。

 この間、4大学の教職員は、理事長・学長の分離や経営部門の権限の強さなどをはじめ、様ざまな問題点を批判しつつも、現在在籍する学生・院生への教育責任や将来入学してくる学生・院生にとって少しでもよい大学にしていくための準備作業に努力した。統合に伴う人員の再配置計画から教育課程編成、新しい学部教育体制に必要な時間割の検討から教室等の確保計画、研究室の再配置計画など、2005年4月発足に向けての膨大な作業にあたり、新大学計画は具体的に進み、最終段階を迎えていたのである。

 4 ところが、8月1日の石原都知事の会見は、こうした経過を完全に無視するものであった。

 後に詳しく検討するが、この会見を契機に、都立4大学改構想は、内容的にも手続的にも、4大学関係者との議論の枠組みを完全に踏み破ったものへと急転したのである。

第3 突然の「都立の新しい大学の構想」公表

 1 8月1日以降の経過

 8月1日の記者会見で石原都知事は、これまで検討・準備されてきたものとは学部構成・キャンパス配置など全く異なる構想を発表した。また東京都大学管理本部は、現大学総長・学長に、これまでの大学側も加わった検討組織は前日をもって廃止されたこと、大学管理本部側により大学代表者を加えない新たな検討組織を立ち上げることを通告した。

 その後、管理本部は、現在進めようとしていることは「大学の統合」や「新大学への移行」ではなく、「4大学の廃止」と「新大学の設立」であるとして、事実上現大学を排除する形で、新大学の設立準備を進めようとしている。

 その後、大学管理本部長からは、新大学設立本部のもとに教学準備委員会と経営準備室を設置し、教学準備委員会は西澤潤一座長(岩手県立大学学長)のもとに外部有識者と学内教員を任命することなどが明らかにされた。新「構想」を発表した背景として、a「大学改革大綱」発表以降に工業等制限法の廃止等の社会状況の変化があること、b「新大学の教育研究に関する検討会」の専門委員から東京全体の都市計画や研究所資源が視野に入っていない、都心部が計画に組み入れられていない、経営的視点が欠けている、学生や卒業生の受け入れ先の視点がない、国際性が貧弱などの問題点が指摘されたこと、c都議会自民党から大綱への厳しい意見があることなどが、あげられている。

  2 「都立の新しい大学の構想」の内容

 「都立の新しい大学の構想について」では、「大都市を活かした教育の実現」などがうたわれ、南大沢キャンパスに都市教養学部と都市環境学部、日野キャンパス(現科学技術大)にシステムデザイン学部、荒川キャンパス(現保健科学大)に保健科学部を配置するとともに全寮制(50人)の「東京塾」を設置するなど、これまで設立準備委員会で検討・準備されてきたものとは全く異なる内容になっている(詳しくは、東京都ホームページ・報道発表2003年8月1日付)。

(1)現代に適合した人間教育のための全寮制「東京塾(仮称)」

 「塾長と学生との交流・対話を通じて、人格形成と個性・独創性を育む。」「アジアの留学生との交流による異文化理解」をはかる。「塾長予定者を選任して、具体的な設計を行う。」としている。

(2)大都市の特色を活かした教育の実現

 「都市の文明」を学ぶ教養教育として「都市教養学部(仮称)」を設置し、都市文化、都市経済、都市工学など「都市の文明」を全学部の学生に教育するとし、大都市の課題に対応した学部等の再編、新学部として「都市環境学部、システムデザイン学部、保健福祉学部」の設置がうたわれている。

(3)大都市東京全体がキャンパス 都心方面へのキャンパス展開

 「都市再生、産業活性化を視野に入れた都心方面へのキャンパス展開」を検討する、「大都市をキャンパスにした現場重視の体験型学習の導入」「都政等の最前線や東京に集積する文化芸術施設での現場実習」などがうたわれている。

(4)「選択と評価」による新しい教育システムの導入

 「学生がキャリア形成を考えて、自由にカリキュラムを設計」するとし、他大学等で取得した単位を認定・登録する「単位バンク(仮称)」の設置、成績、卒業判定への「外部や社会による評価の導入」がうたわれている。

(5)教員組織・人事制度の改革

 「教員組織の簡素化、任期制・年俸制の導入と業績主義の徹底」がうたわれている。

第4 「都立の新しい大学の構想」の内容の問題点

 「都立の新しい大学の構想」には、その手続においても内容においても多くの重大な問題がある。

 1 都民の視点が欠落し内容の検討も不足

 都立4大学は都民の共有財産であり、そのあり方は広く都民参加による議論や検討が不可欠である。しかし今回の「構想」は、大学関係者が参加していた検討組織と別個に秘密裏に準備したものを突然公表したものであり、都民的論議がまったく欠落している。

 「構想」の内容としても、「都市教養学部」や「都市環境学部」など、従来の学問との関係が明らかではない学部の新設がうたわれる一方、例えば現在の人文学部について、日本文学・中国文学・英文学独文学・仏文学など文学系の学科・専攻がなくなり、さらに哲学・史学・教育学なども失われる可能性がある。法科大学院を準備しているにもかかわらず法学部は構想にはない。学部構想は示されたが、大学院については構成や設置時期すら不明である。

 こうした中で、将来入学する学生・院生への教育はおろか、現在在籍する学生・院生の教育に卒業まで責任の持てる体制が確保できるのかどうかも全く不明である。

 2 都政のあり方としても問題

 今回の「構想」は、都政のあり方としても重大な問題を含んでいる。「大都市東京全体がキャンパス」というが、都立4大学はそれぞれの経過から現在のの所在地にキャンパスを有するに至っており、場所の移転だけでも相当な経費・労力を要する。

 例えば、都立大学は、1991年に現在の八王子市南大沢のキャンパスに移転し、まだ10年余である。都立科学技術大学は、1990年に博士課程が設置され、2001年4月に大学院改編が行われたばかりである。都立保健科学大学に至っては、2002年4月の大学院設置から1年しか経っていない。にもかかわらず、「新しい大学」の名の下に、膨大な経費と労力を要する移転と組織改編を行うのは、全くの無駄としかいいようがない。

 「都市再生」の名で、再開発と関連づけて大学・学部の設置が利用されるおそれも大きい。

 思い返せば、2002年7月19日に閣議決定された政府の「都市再生基本方針」は、「都市再生施策の重点分野」の「具体的な施策例」として、「大学など高等教育機関等と各種都市機能の連携・一体化」と挙げていた。また、今年3月に、大林組、鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店のゼネコン各社などを参加企業として発表された「都市再生特別地区の活用手法について」(都市再生特別地区の活用手法に関する調査研究会)は、「『都市再生への貢献』として評価の対象となるのではないかという例」として、「経済再生への貢献・・・社会人向け交流施設や教育施設の設置(大学、ビジネススクール等)」を挙げている。

 もともと、「都市再生」推進勢力は、その政策の中で、大学の設置を位置づけていたのである。

 いま、石原都政が推進する「都市再生」は、都心を中心にした民間オフィスの大量供給によって、都心5区の大型新築ビルの空室率が約3割に達するなど、深刻な矛盾を抱えている。「都市再生」の目玉とされる臨海副都心開発は、実質約270億円前後の赤字といわれる。

 石原都政は、こうした「都市再生」路線の破綻の穴埋めに都立4大学の統廃合を利用する衝動を強めているといえる。

 そして、先述の大学管理本部長の発言−−新「構想」発表の背景には、「新大学の教育研究に関する検討会」の専門委員から東京全体の都市計画や研究所資源が視野に入っていない、都心部が計画に組み入れられていない、経営的視点が欠けている等の指摘があったとの発言−−は、今回の「構想」の背景に「都市再生」があることを疑わせるに充分である。

 いずれにせよ、「構想」は、現在の資源を十分に活用することなく浪費的な投資となる危険性が大きい。

 3 大学の自治に反する強権的手法

 大学は「学術の中心」であり、真理の探究を通じて、国民生活に貢献する責務をもつ。そして、学問研究も、教育も、自由かつ自主的におこなわれてこそ、その役割を果たすことができる。このことから、憲法は「学問の自由」(第23条)を定め、これを守るために、大学の自治が認められている。

 この大学の自治の法律的な保障の一つとして、学校教育法第59条は、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」と規定する。

 東京都立大学条例も、第9条第1項において「都立大学の学部及び研究科に教授会を置く。」とし、同条第4項において、「学部の教授会は、当該学部における次に掲げる事項を審議する。

 一 教育公務員特例法の規定により、その権限に属すること。

 二 学科、専攻、学科目、講座及び授業科目の種類及び編成に関すること。

 三 学生の入学、退学、休学その他の身分に関する重要なこと。

 四 学位の授与に関すること。

 五 前各号のほか、当該学部の教育研究及び運営に関する重要なこと。」

と規定する。

 さらに、同条例は、総長、学部長、所長、研究科長、事務局長、学部及び研究科の教授会で選出する教授十名、そのほか都立大学所属職員のうちから総長が必要と認める者からなる評議会を置くことを規定(第8条)。この評議会が、「一 教育公務員特例法(昭和二十四年法律第一号)の規定により、その権限に属すること

 二 学則その他学内諸規程の制定改廃に関すること。

 三 学部、学科、研究所及び研究科の設置及び廃止に関すること。

 四 学部その他の機関の連絡調整に関すること。

 五 前各号のほか、都立大学の運営に関する重要なこと。」

を審議する旨定めている。

 すなわち、学校教育法も都立大学条例も、教授会を中心とした大学の自主的運営を定めており、「大学の運営に関する重要なこと」は大学が審議することとしているのである。(他の3大学の条例も、同様の教授会の権限を定めている)。そして、大学の統合・移行(「4大学廃止」は石原流パフォーマンスに過ぎない)が、「大学の運営に関する重要なこと」に該当することは、誰の目にも明らかである。

 ところが、今回の「構想」は、その経過から明らかなように、都知事がその権限により大学に対して圧力を加え、大学関係者の意向を排除する形で「統合・移行」しようとするものであり、大学の自治と学問の自由を完全に踏みにじるものである。

 「構想」は、その内容をとっても、単位認定を「外部」の評価に委ねるなど、教授会を中心とする大学の自治の理念を欠落させている。

 4 都立4大学の教職員の身分・雇用問題

 都立4大学の教職員の雇用・身分については、実質的に4大学の人的物的資源を受け継ぎ新大学に移行する「4大学の統合・新大学への移行」であるから、原則的に教職員の身分は承継される。石原都知事の「4大学の廃止・新大学の設立」は石原流政治的パフォーマンスに過ぎない。

 「構想」は地方独立行政法人の設立を念頭に置いているが、この法律では、地方自治体がおこなっている業務を引き継ぐ地方独立行政法人を「移行型地方独立法人」として、自治体で法人に移管される業務を行なっている職員は、別に辞令が発せられない限り当然に地方独立法人の職員になるとされている(59条)。原則として、身分が引き継がれるのである。

参議院における付帯決議も身分が引き継がれることを前提に「地方独立行政法人への移行等に際しては、雇用問題、労働条件について配慮し、関係職員団体又は関係労働組合と十分な意思疎通が行われるよう、必要な助言等を行うこと」「公立大学法人の設立に関しては、地方公共団体による定款の作成、総務大臣及び文部科学大臣等の認可等に際し、憲法が保障する学問の自由と大学の自治を侵すことがないよう、大学の自主性・自律性を最大限発揮しうるための必要な措置を講ずること」(平成15年7月1日参議院総務委員会)とされている

 雇用問題、労働条件については、関係職員団体との十分な意思疎通を行った上、学問の自由と大学の自治を侵すことがないような措置を講ずべきである。

5 おわりに

 以上様々な角度から今回の「新しい大学の構想」を批判してきたが、当面東京都と大学管理本部は次の点に留意すべきである。

 1 都民の共有財産にふさわしく、現在の検討内容を都民に公開し、都民の  意見を広く集めて議論をすべきである。

 2 キャンパスの廃止と新設等について、浪費的な費用を要することのない  よう慎重にすべきである。

 3 教授会を中心とする大学の自治の原則に則り、教授会を基礎に全大学人  に情報をすべて公開し、十分な民主的な議論をするべきである。

 4 地方独立行政法人法の付帯決議に沿って雇用問題に十分に配慮するべき  である。

                               以 上

 

 

尾林弁護士講演要旨

 

今日は大きく分けて5つの点についてお話したいと思います。

@組合の奮闘

 8月1日の新構想発表以降の組合の皆様のご奮闘ぶりには感心しております。都・大学管理本部による「情報統制」が行われる中で、組合の情報紙「手から手へ」が、都立4大学教職員の唯一の貴重な情報源になってきたと聞いております。

A石原知事の「クーデター」的・「ファッショ」的改革の破綻

 銀行への外形標準課税導入などを見てもわかるように、石原知事の手法というのは、トップダウンで決めたことをいきなり記者会見で発表して、世論を味方につける、というやり方です。それが今回の都立新大学構想に関しては、うまくいっていない、というのが実情だと思います。

たとえばマスコミの報道を見ても、都立大総長声明の記事が「朝日新聞」で6段抜きの扱いだったのに対し、それに対する石原知事のコメントはいわゆる「ベタ記事」の扱いでした。権力の座にある知事の発言より、都立大総長の声明の方がこれだけ扱いが大きいというのは画期的なことで、皆さんがマスコミの方への情報説明でもがんばっているということが言えると思います。

 都立大総長声明に対しては、都立3大学学長の意見表明が出されましたが扱いは小さく、その後も学生自治会の抗議声明や院生の公開質問状などについて報道がありました。学生の動きがこれだけマスコミに取り上げられるというのも画期的なことです。「週刊朝日」の記事などを見ても、皆さんが都・管理本部と「がっぷり四つ」に組んで、押し返さんばかりの勢いで頑張っているのは、賞賛に値すると思います。

B地方独立行政法人法の問題

 この法律には、法人の経営面での採算性を重視し、5年ごとに事業の継続を再検討することが定められるなどの問題があるわけですが、この法律のひとつの主眼は、「移行型地方独立行政法人」という形で、公務員をスムースに法人職員に移行させることにあります。ですから移行のついでに(教)職員を差別・選別して切り捨てることは想定しておらず、雇用は引き継がれることが当然であると言えます。

管理本部は組合の解明要求に対する回答の中で、「新大学設置」が地方独立行政法人法上は「移行型法人」であり、文科省に対しても、日程的に新設は無理であることから、「移行」として設置申請をする可能性を認めています。都民に対して、あるいは大学教職員の権利等に関しては「4大学廃止・新大学設置」と説明しながら、文科省に対して、あるいは法律上は「移行」としてことを進めようという「ご都合主義」は法治主義に反するものです。

今後この法律の運用がどのような形で定着していくかは、都立4大学を含むひとつひとつの現場でどのような運用がなされるかにかかっています。その意味で、この都立4大学の問題がどうなるかは非常に重要です。

C勤務条件と労働組合

 新大学における教職員の勤務・労働条件について、都は教職員組合と誠実な交渉をする義務があります。都は任期制の導入を提案していますが、この任期制というのは、働くものの権利の弱体化をもたらすもので、いいことはひとつもありません。そもそもこの任期制は、勤務条件というより身分・雇用の問題と見るべきものです。独立行政法人化に際しての任期制の運用のしかたによっては、実質的な首切りに使われる可能性があるからです。

 年俸制が導入されようとしているようですが、年俸制の本質は、給料が下がることがあるということです。そして、賃金が世間の相場より低ければ人材は集まらなくなり、「頭脳流出」のおそれも出てきます。業績評価と賃金をリンクさせることも検討されているとのことですが、どういう角度から評価するのか、ということが問題です。さまざまな資料を準備し、(11月13日に予定されている)都議会(文教委員会)での論戦に備える必要があります。管理本部は人文学部の学生数の少なさを槍玉にあげているようですが、そもそも教員の数に比べて学生数が少ない、ということはいいことなのではないでしょうか?(以下の資料参照)管理本部の主張は、必ずしもきちんとした証拠・データの裏づけがないことがひとつの特徴ですから、学生、父母、受験生の声などを集めた「文集」のようなものをつくるとか、実証的なデータで反論するのが有効だと思います。

D都・石原知事の攻撃は国際的に見ても恐れるに足りず

 UNESCOは「高等教育職員の地位に関する勧告」(http://zendaikyo.or.jp/daigaku/unesco/komuji.htm参照)の中で教職員の発言権について明確に述べており、石原都知事の手法はこれに反するものです。今日本では総務省による公務員制度改革が進められようとしていますが、この問題に関して日本政府が公務労働者の権利を侵害しているということで、ILOから是正勧告が出ました。これに対し日本政府は反省するどころか、「情報提供が足りなかった」と言ってILOに対する情報提供を熱心に行いました。にもかかわらずILOは、再度の是正勧告を日本政府に対して行ったのです。その結果公務員制度改革関連法案は、先の通常国会に未提出のままになっています。つまり、公務員攻撃に対しILOの勧告が大きなハードルとなったわけです。

 都の銀行に対する外形標準課税の裁判では、都が都議会で銀行に関して不正確な説明をして条例を通したことに対し、裁判所が判決の中できびしい批判を行いました。また、圏央道建設の強制執行停止の判決が出た裁判でも、都はその主張を正当化するにふさわしい立証をしようとしないという裁判所のきびしい批判を受けました。必ずしもいい判決ばかりではない裁判所としても、石原都知事の横暴については断罪を下しているわけです。ですからこれからのたたかいで、軌道修正を勝ち取る余地は大いにあると思います。

 最後に強調しておきたいことは、学生説明会、マスコミ報道などを通して、広く父母、市民などに支持される活動が有効だということです。特に学生との連携は決定的に重要です。その場合、法的に見て学生は旧大学と新大学に同時に所属することはできず、また学生の身分を失うこともあってはならない、つまり、教育に「隙間」をつくってはならない、ということがひとつのポイントになると思います。また、任期制に関しては、教員がコロコロ変わるのと、教育研究に腰を据えて取り組めるのと、学生にとってどっちがいいか、という形で訴えることが可能だと思います。

都の主張は「足腰の弱い」議論だと思いますので、実証的なデータにもとづいた主張をしていくことが、世論を味方につけ、都議会での議論を有利に進めるのに決定的に重要になると思います。

参議院の「大学の教員等の任期に関する法律案に対する附帯決議」

 

政府は、学問の自由及び大学の自治の制度的な保障が大学におけ教育研究の進展の基盤であることにかんがみ、この法律の実施に当たっては、次の事項については、特段の配慮をすべきである。

一.任期制の導入によって、学問の自由及び大学の自治の尊重を担保している教員の身分保障の精神が損なわれることがないよう充分配慮するとともに、いやしくも大学に対して、任期制の導入を当該大学の教育研究支援の条件とする等の誘導や干渉は一切行わないこと。

二.任期制の適用の対象や範囲、再任審査等において、その運用が恣意的にならないよう、本法の趣旨に沿った制度の適正な運用が確保されるよう努めること。

三.任期制を導入するに際して、教員の業績評価が適切に行われることとなるよう評価システム等について検討を行うとともに、特に、中長期的な教育研究活動が損なわれることがないよう、大学側の配慮を求めること。

四.国公立大学の教員については、一般の公務員制度との均衡等に配慮して、任期付き教員の給与等の処遇の改善を検討すること。

五.任期制付き教員の異動が円滑に行われるよう教員・研究者に関する人材情報の収集提供活動を一層充実し、雇用環境を整備すること。

六.高等教育の活性化と充実を図るため、各地の大学が優れた教員を確保できるよう、教育研究条件の整備を検討すること。

七.私立大学における任期制の実施については、労働協約事項の対象となることを認識し、制度の円滑な運用に努めること。

右決議する。

 (注 「附帯決議」とは)

 「附帯決議」自身は、その法的根拠や拘束力をもつものではないが、当委員会での意思表明という性格をもち、政府等が、今後法律の具体化に際して、十分留意して取り組むべき方向を示すという意味を有している。

 

 

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2003111日 国公私立大学教員有志の都議会・横浜市議会に対する要請(電子署名)の賛同署名運動とも関係するのか、昨日午前から学部サーバーはフリーズ(ないしダウン)状態でアクセス不能である。学術情報センター内のHPファイルに書きこむしかない。本日、新しく、上記要請の賛同署名を呼びかけるリンクを日誌目次ページの冒頭に掲げた。少しでも多くの人の目にとまることを期待したい。

 

この署名関連で、国立大学独立行政法人化の諸問題(辻下徹氏ホームページhttp://ac-net.org/dgh/blog/ をみて、日本の私立大学においては、「憲法が適用されない」などと不当解雇を正当化している富士大学の事例を知った。恐るべきことではある。不当解雇された教員の勝訴は間違いないとしても、それに至る長い時間をかけた裁判での闘いは大変なものであろう。心が痛む。

 

 

 



[1] New College Japanese-English Dictionary, 4th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1933,1995,1998

 

[2] 違法な処置に対する司法救済は、一般的に原則としてありうる。ただ、それはまさに裁判における闘い、という学問外のことに多大のエネルギーを割く事を意味する。それは結局、学問の自由や科学研究の自由な発展に大きな障害となるのではなかろうか。

 多くの人は、裁判に時間をかけるより、他に専門職業者として(医者の場合や弁護士などの場合なら)働くことを選ぶのではないか? そうしたやり方が、大学の発展につながるのだろうか? 学問研究の割く時間を大切に思い、裁判闘争に踏みこむ精神的肉体的労苦を避けるため、不当なことに泣き寝入りする多くの人々がでるとすれば、そのこと自体、学問研究の担い手の精神を蝕み、せっかくの精神的活力を研究教育活動に全面的に投入できないことを意味しないだろうか。

 

[3] 少なくとも商学部や国際文化学部、理学部には、この問題はない。

 逆に、すでにこの間も何回か指摘しているように、商学部などは任期制を導入しなくても、自発的「任期制」とでもいえるような現象、大量流出現象が定着している。商学部教員の流出状況を見ればわかるが、通常意味でいろいろの点で流出していくのも当然かと思われるような大学に流出している。

 そのような流出を食い止める措置こそが、すくなくとも私の一番情報の得やすい商学部関係では必要になっている、といっても過言ではない。

 学部・学会・学問分野ごとに、きちんとした制度設計をしないと、プロジェクトR幹事会・「大学像」のように、大雑把に「全員任期制」導入などと豪語していると、すくなくとも本学の社会科学系の学部・大学院における教育研究体制は崩壊すると考えられる。 

 

[4] この箇所を読むと、最近数年間の事態を見るに付け、まさにすくなくとも商学部のことにはてはまるようにさえ感じる。

 

[5] 「優秀な」という意味合い、定義、その審査基準、評価基準の公明正大か、審査結果の公開などが必要となろう。そうしないと社会的学問的に公開できないような「優秀さ」がはびこることになる危険性はある。

 

[6] 優秀な人で、本学の将来を担う人だろうと予感し期待していただけに残念だが、外部から引き抜かれるのもご本人のため、そして相手先の大学にはすばらしいことであろう。いい人材が同僚にいたということは短期間ではあってもすばらしいことだ。

いい補充人事ができればいいのだが、本学が現状のままでは、優秀な人材を引きつける魅力は? 法律的にも通用しないと思うが、「全員任期制」などを学長以下の幹事会が打ち上げ、評議会の審議結果も覆して、市に提案するるようでは、?

 

[7] 国際文化学部でも依願退職希望が出されたということだった。 

 

[8] 教員組合委員長の呼びかけ

「組合員の皆様

 1022日、横浜市立大学臨時評議会において、小川学長は、市大改革案「横浜市立大学の新たな大学像について」を多くの評議員の反対意見の表明と採決すべきとの要求を無視して強行し、29日、これを横浜市長に提出しました。「プラクティカルなリベラルアーツ」などという意味不明な言葉を掲げ、理念もないままに現存の三学部を統合するというこの改革案に対して、学内の多くの教職員、学生は反対の意思を表明し続けてきたにもかかわらず、それらの意思は事実上、無視された結果となっています。

 小川学長は多くの大学関係者、市民の意向には耳を傾けずに極端な秘密主義とトップダウンの極めて非民主的な大学運営を強行してきました。本改革案は全学の総意を結集したものとは見なしがたく、今後、全学における民主的な手続きのもとでの更なる検討が不可欠であると考えます。また、本改革案には、教授会から人事権、カリキュラムの運営権を剥奪し、現職全教員に任期制を導入するなど、大学における学問の自由を根底から脅かす法的にも認めがたい内容を含んでいます。大学が自らの存在を根底から否定するこれらの事項は断じて容認しがたいものです。

 とりわけ、現職の全教員に対する任期制の導入は、法的に何重にも問題があります。教員組合はこれを断乎阻止して教員の身分保障を必ず勝ち取るべく闘います。と同時に、教員の皆さんもそれぞれに雇用問題に関する認識を深めていただくことが重要になってきます。緊急の学習会を企画しましたので、万障お繰り合わせの上ご参加ください。職員の方や非組合員の方にも声をかけ誘い合ってご出席ください。案内は、ワードで添付します。

 

 横浜市立大学教員組合執行委員長
               藤山嘉夫」


教員組合ホームページ
http://homepage3.nifty.com/ycukumiai/index.htm

 

[9] このような規定を置く以上、すくなくとも提案者であるプロジェクトR幹事会の諸教員は、最近十年ほどの間に毎年きちんと外部資金に応募し、その証拠書類を整備していることであろう。人に対して「義務」だなどという以上、みずから途切れることなく行っていることが前提となろう。また実際に、連続的に外部資金を獲得している実績を持つのであろう。今後の議論の展開で確認が必要になろう。

 それとも、たんに、行政職のいうがままになったということか? 

 それならそれで、教員としての見識はどうなっているのか、ということになる。

 「大学の案」といった重大な大学の運命に関わる提案を行う以上、一般教員に求めること自分が行うこと・行ってきたことに人一倍の対応関係が厳しく求められるのは余儀ないことであろう。

 だが「義務」という規定が示すのは、必ずしもそのような自覚的自発的自主的な実績ではなさそうである。

 

[10] 公正にやるには、科研費の採択率をとっても、学問分野ごとに適正に調べる必要があろう。日本学術会議の資料によれば、医学関係だけで科研費総額の半分くらいだと言うが、その採択率はどのようであろうか? 本学の場合、科研費採択の実額が圧倒的に医学部関係で多いことは事実である。だが、採択率は? 申請額と採択額との関係は?

 他の分野では?

 

[11] 日本数学会声明:科学研究の国費助成のありかたについて」をhttp://ac-net.org/dgh/blog/

を通じて知ったが、まさにその冒頭に、「1. 競争原理に乗りにくい分野の存在を無視しないこと」とある。念のため、全体を引用しておこう。

 

日本数学会声明 2003.9.24


科学研究の国費助成のありかたについて
――科学研究費補助金を中心に――

・・・日本数学会は,国が示した改革方針を否定するものではないが,いわゆるビッグ・プロジェクトを念頭においている提言を,すべての分野に杓子定規に適用するのは,危険があることを指摘したい。

数学という分野を例にとってみると,助成は主として文部省および学術振興会の科学研究費からなされてきた。そして従来の科学研究費制度は,小規模ではあるが多様な研究が並立する数学にとっては非常に有効なものであった。このたびの提言により,資金配分の方式が大きく変わって目立たない小規模研究に対する助成が軽視されるようなことが起れば,数学を含むさまざまな基本的研究分野が打撃を受け,長期的に見ると提言がかえってわが国の研究活力をそぐ可能性がある。このような事態を未然に防ぐため,実際に基本計画を運用するにあたっては,以下の四点に十分の配慮を払うべきであるとわれわれは考える。

1. 競争原理に乗りにくい分野の存在を無視しないこと
2. 過度の資金集中が起らないようにすること
3.
重点目標とされたプロジェクトに対する厳正な事後評価を行うこと
4.
諸学会との連携を図り,第一線の研究者が行うピア・レビュー評価システムを維持すること

以上である。・・・

[12] 法科大学院新設ラッシュ・ロースクール専門教員の必要性という、本学の改革問題と直接的には関係のない全国的事情も関係している。

 

[13] 「大学像」は、あた化も大学教員の業績が「任期制」によって締め付けなければ上がらないといっているようであるが、このように多くの人が新たな活動の場を求めて、仕事を評価されて出ていくということは、商学部の教員評価システムが少なくともその限りで、機能していることを明らかにしているのではないか。

 「角を矯めて、牛を殺す」というのが任期制の脅かしの意味ではないか?

 

[14] 各人の研究の内容に関しては、それぞれの研究者が属する学会をはじめ、学界や社会・地域、学生・院生が各人の研究成果を評価し、批判し、受容し、拒絶する。そうした社会的評価・客観的評価によって長時間の内におのずと評価がなされる。

 各研究者は、そうした厳しい社会的評価に公然とであれ非公然とであれ、直面している。

 

[15] その成果が、日々の教育、論文や学会発表、著書の執筆など多様な形態で社会的に公開される。その公開はもちろん必要であり、重要であろう。それはここの研究者教員の大学内外に対する自己の活動の説明責任を果たすということである。

 その一つのあり方が、本学の場合、教員プロフィールの自発的更新と公開ということで行われている。あるいは、各教員が自発的に研究室HPを立ち上げ、さまざまの情報を発信するというか達でも行われている。

 

[16] 上掲の日本数学会声明:科学研究の国費助成のありかたについて」が求める「研究者が行うピア・レビュー評価システム」が不可欠だ。

 そうした基本的なことをこれまで本学ではやってきたのか?

 そのような実績に基づく提案(「大学像」)か?

 基礎的研究費とそれ以外の(それに上乗せする)特別助成研究費とは区別されなければならないのだが、そうした発想すらないことは何を意味するのか?

 文部科学省・日本学術振興財団の助成は、あくまでの「補助金」であり、基本的な研究経費は各大学がしかるべき見識(評価システム)でみずから用意することを前提にしているのではないのか? 「大学像」における提言は、本末転倒ではないのか?

 

[17] 矢吹先生からの情報によると、「研究室のドアに貼った市民の会のポスター6枚が1022日に剥がされ、再度貼ったところ、29(あたり)に再度剥がされるいやがらせが起こっています。6日に大学に行くと、おそらく剥がされていると思います。また貼るだけのことですが」と。大学教員が自分の責任ある主張(一員としての「市民の会」の主張)を明確に表明することを妨害しようとすること、人目に触れさせないようにしようとすること、これが現実に本学内部で起きているということである。「市民の会」の温和な主張のどこが問題なのだろうか?

2万6千名もの署名を集めた「市民の会」の主張を誰が忌避するのか?

誰の行為だろうか?

言論には言論で対抗するのが、理性のやりかたであり、民主主義ではないか? 大学こそは理性の手段を使うべきではないか? やぶりすてるのではなく、「市民の会」の主張を批判するポスターをこそ作成し、掲示するべきではないか?

「破り捨てる」のは、言論に対する一種の実力行使、一種のテロリズムではないか?