2004年1月後半日誌(16‐29)
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2004年1月29日 期限を切られている科学研究費出版助成による編著『ヨーロッパ統合の社会史‐背景・論理・展望‐』のとりまとめ、再校および索引作成作業などのため神経をすり減らす作業が続き、日夜・土日までも猛烈に忙しく、ほとんど外部のサイトを見なかったが、さきほど昼食のとき談話室で、新首都圏ネットワークに流れているニュースが話題になり、息抜きに訪問してみた。福島大学の憲章制定のニュースが私の関心を引いた。大学当局側が制定する憲章はよく知られているが、有志策定の憲章がこのように高い支持を得たというのは、大学人の憲章として正統性という点で、上からの憲章よりはるかに素晴らしい。以下にコピーして、自分のものとしておこう。
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新首都圏ネットワーク |
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2004年1月28日 総合理学・佐藤真彦教授のHPで(新首都圏ネットワークからの引用記事http://www.shutoken-net.jp/web040127_1tbs.htmlとして)、都立の4大学教員の合同声明がTBSでも、すでに1月21日に報道されたことを知った。大学教員の3分の2以上[1]が総長声明に連帯して、強権的な大学管理本部のやり方に反対しているにもかかわらず、大学管理本部は「大学側の意見を聞きながら進めている」という。ひとりや二人の教員の意見を聞いても、意見を聞いたことになるか? 総長を無視し、大学教員の3分の2以上を無視するやり方は、許されることだろうか?
翻って、本学でも現在、「コース等検討委員会」が仕事をしている。その内容は非公式にもれ伝わってくる以外、一般教員は何も知らない。一般教員には何も公式に知らされない。
旧学部ごとに2コースを設定するといったことしか、漏れてこない。
秘密主義は徹底している。
はたして、これでいいコースや大学院ができるであろうか? はたして、本当に魅力的なコースや大学院ができるのか? そんなにも「コース等検討委員会」の委員は叡智を持っているのか? たたき台を各方面でもんでもらう必要はないのか? そんなにも全国的全市的な見地、本学に関心を持つ高校生やその父兄・父母に魅力的なコースを提示出きるのか? 大学教員の総意を結集するという点で、はたして問題はないか?
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TBSニュース
2004年1月21日
「都は一方的」都立4大学教員が声明
都立の4つの大学を統合し、来年度から新大学の設立を進めている東京都に
対し、4大学の教授らが初めて合同で反対声明を発表しました。
「開かれた協議体制のもとでしっかりした改革の方向を検討し、新しい大学
をつくっていくための取り組みを進める事を強く求める」(東京都立大 理学研
究所・小柴共一 代表)
声明を発表したのは、東京都立大学や都立技術大学など、4つの都立大の教
授らです。 4大学の教員が合同で声明を発表するのは初めてで、「東京都は大
学側の意見を無視して、一方的に新大学の設立を進めている」として、大学側
との話し合いの場を設けるよう都に求めています。
JNNの取材に対し 都の大学管理本部は、「新大学設立は大学側の意見を聞
きながら進めている」と反論しています。
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2004年1月28日 本学名誉教授、伊豆利彦先生から「日々通信」最新号を頂戴した。感動的な文章であり、以下にコピーして自分のものとしておきたい。
-------赤字強調は引用者による------
>>日々通信 いまを生きる 第87号 2004年1月28日<<
ブナ林便りhttp://members.jcom.home.ne.jp/pinuskoraie/0305.htmの冒頭に次の言
葉がかかげられた。
★ わたしたちは ここ60年足らずの間に 戦勝超大国の核の傘の下での<安保ボ
ケ>にすっかり犯されきってしまいました。 そして、<日米同盟>という目に見え
ないアパルトヘイトウォールに取り囲まれてしまっています。 こうしてわたしたち
は だいじな<歴史>と<世界>から 自分たちが遮断されていることに気づかない
でいるとつくづく思います。
ヒロシマ・ナガサキは 帝国を半解体させられた敗戦日本の今日までの歴史を含め
て、<世界史の野蛮化と地獄化>という <終わり>の <始まり>だったのです。
そして
いま 否応なしに 世界の人民に代わって <世界史の野蛮化・地獄化>を日
夜 実感・体験しつつあるのが 中東・アラブ・パレスチナの人々でしょう。
わたしたちは ふつういわれる<世界史の近代化・文明化・民主化・地球化>などで
はなく 実は この<世界史の野蛮化・地獄化>という歴史の深まりのなかに 生き
ているのです。
では世界史の第二ラウンドは可能かーというのが畏友三木亘の設問でした。 <も
うひとつの世界は可能だ>という思想と運動のなかに、 この<世界史の終わり>を
す裸にして成仏させる、そして 多様多元多彩のよりよい<もうひとつの世界>を
創り出そうという模索が試みられている と感じます。 ここに ひとつの<始ま
り>がある と思います。 2004.01.25深夜
ブナ林便りは私が日頃たよりにしているすばらしいサイトである。
三木亘さんのことは、以前にもこのサイトで紹介された。
http://srd.yahoo.co.http://srd.yahoo.co.jp/PAGE=P/LOC=P/R=1/*http://members.jcom.home.ne.jp/lerrmondream/9.11terro.htm私はこの前の湾岸戦争のときに三木さんの話
を聞いて、目からうろこの思いがした。
ぜひ上記のページ、また、
http://srd.yahoo.co.jp/PAGE=P/LOC=P/R=3/*http://www.jca.apc.org/~altmedka/aku306.htmlを見てくだ
さい。
アメリカの戦争が虚妄の大義をかかげて、自国民と他国民を駆り立て、アラブ人民を
殺戮する不正不義の戦争だったことは、次第に明らかになってきた。(戦争の大義な
ど、いつも虚妄に決まっているのだが)
それなのにコイズミ代官はまだ大量殺戮兵器がないと断言できますかなどと居直っ
て、自国の軍隊を危地に赴かせようとしている。
だれが何を断言できるというのだ。コイズミ代官自身が明日死なぬと断言できるの
か。
こんな馬鹿げたことをさも利口げに言うのがわが日本の首助かと思うと辛い。
この戦争がどんな戦争なのか、これからどのように展開するのか、もしかすると、こ
れがアメリカの命取りになるかも知れない。
そうした可能性にはすこしも思い及ばず、
「義を為すは、毀(そしり)を避け誉(ほまれ)に就くに非(あら)ず。」
などとしゃれのめして、ヤニ下がっている。(小泉内閣メールマガジン 第125号 [ら
いおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ])
何が義なのか。<盗人にも三分の理>という言葉がある。
多分彼は自分を義人だと信じているのだろう。
『吾輩は猫である』に、自慢するだけあって相当な馬鹿だと言う言葉があったと思
う。
しかし、とにかく、日本軍は風俗習慣もまったく異なる、遠いイラクの地に、日の丸
をかかげ、機関砲を据えつけた装甲車に乗って出かけていくわけだ。
武器だけを頼りに、名も知らぬ、言葉も通じぬ、遠い異郷に行くわけだ。
そこには<ならずもの>がうようよいて手ぐすね引いて待っているというのに。
あわれなのは何の<大義>もなく、国民からほんとうに支持されることもなく、死地
におもむく兵士たちだ。
いまはイラクの気候はどうなのだろうか。日本人にはまったく縁のなかった砂漠の地
だ。見当もつかない。
しかし、だが、大変な装備だ。
莫大な金を使った遠征だ。
これだけの金をまともに使えばイラクの人民にも喜んでもらえるだろうに。
飢えと失業に苦しむイラク人民にとって、日本軍の貢献だとか支援だとか言っても、
ほんとうに馬鹿げたことにすぎない。
なんといってもそれは軍隊だ。米国の同盟軍だ。米国を助けるために、遠路はるばる
やって来た重装備の軍隊だ。現地の住民は日本軍が助けてくれると思って大いに期待
しているらしいことが伝えられているが、期待はやがて失望に変わり、反感に変わる
にちがいない。
市長だの部族長だのが歓迎の言葉を述べていたそうだが、それをもっともらしくマス
コミは伝えていたが、かつて、日本軍が中国各地を占領したときも、現地の長たちは
歓迎の言葉を述べ、子供たちは日の丸の旗を振って出迎えたものだ。
とにもかくにも大変なことをはじめたものだ。
そもそも、この戦争はブッシュ一派の誤算からはじまった戦争だ。
米軍兵士の士気は極度に低く、精神に異状を来して、自殺するもの、帰国させられる
ものが続出しているという。
日本軍の兵士たちはどうなるか。
しかも、抵抗ゲリラは一番弱いところを攻撃するというのだからたまらない。
そして、一発二発やられるうちに、次第に興奮して、次々と装備を強化し、兵力を増
強して、やがては理性をうしなって手当たり次第にイラク人を攻撃するということに
ならないか。
誤射・誤爆の連続がこの戦争だ。
この戦争そのものが巨大な誤爆なのだ。
その尻尾について、イラク人民からうらまれるために、その攻撃にさらされるため
に、はるばる出かけていく自衛隊員の心はどうだろう。
日露戦争のときとも、日中戦争のときとも、<大東亜戦争>のときともちがう今度の
戦争だ。
しかし、とにかくこうして日本の軍隊が異国の領土に駐留することになった。
とにかくこうして、日本の歴史は新しい段階にはいった。
それはどのような展開をするか。
あの戦争を防げなかった当時の日本人を罵倒する言葉が<戦争を知らない世代>とか
いう人々から戦争を生きた世代に向けて浴びせあられたことがあった。
しかし、いま、覚えておかなければならない。
こうして、戦争にはいりこんで行くのだということを。
主観的には望まないことが次々におこるのだ。
予測を裏切る事態がおこるのだ。
そうして、歴史の大波に押し流されていく。
昔、オオ、ミステイクといった青年があり、それが流行語になったことがある。
しかし、こうして歴史は進むのだ。
アメリカは没落し、21世紀は壮大な転換の世紀となるだろう。
そのとき、日本はどうなるか。
日本に腹をたて、日本なんかどうなってもいいと思いながら、やはり、日本が気にな
る。
日本の未来が気になる。
寒さもいよいよきびしくなりました。大寒です。しかし、寒極まれば春が来る。
<冬来りなば春遠からじ>と言う。
これは藤村などがしきりに言った言葉だ。有島の「生れ出づる悩み」などにもそんな
言葉があった。
これと違って漱石は「日本は亡びるよ」と言い続けた。
滅亡をみつめる精神と、なんとなく再生を期待せずにはいられない精神、文学を学ぶ
とはそういう発想の諸形式について学ぶことであるかも知れない。
とにかく、やがて春は来るだろう。
皆さん、寒さにめげずにがんばっていきましょう。(がんばるしかないのだ)
では、お元気で。
伊豆利彦のホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu/
掲示板も見てください。
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2004年1月27日(2) 「市大問題を考える大学人の会」から、都立大学に関する集会(2月28日)のお知らせが届いた。リンクを張っておこう。
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2004年1月27日 「意見広告の会」ニュースに東京学芸大学の学長の与党議員への働きかけの話しが掲載されている。以下のように、東大も、工学部選出の吉川総長が法人化への決定的舵を切ったとされる。後を継いだ人文系の蓮實総長はいかんともしがたかったと。また法学部出身の現佐々木総長は、下記情報が正しければ、「何を今更と追い返された」と。国立大学では、工学系や医学系がその人数(予算規模)から、学長に選出されることが圧倒的に多い。日本の学問(国公立大学)が、人文社会系を軽視、ないし無視する傾向こそが、日本社会の深刻な問題のひとつであるといえよう。日本がまだ後進国である由縁であるかもしれない。
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「意見広告の会」ニュース90(申しこみは<qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp>)
東京学芸大学教授会での報告
鷲山学長が交付金問題で次の2名の与党議員に働きかけを行いました。
1.鳩山邦夫
12月5日にお茶の水女子大,東京外語大,農工大の学長と面会.
鳩山議員自身は大学の法人化には全面的に賛成ではないとの立場を表明鳩山自身が財務
省主計に交付金で働きかけることを約束したそうです。
2.柳澤 伯夫
鷲山学長一人で面会.柳沢議員自身は,大学が法人化されるとは思っていなかったとの
こと.吉川東大総長(1993−1997)が,法人化を受け入れたのが事態を決定的に進めた
と言ったそうです.蓮見氏がかなり反対した時にはすでに遅かったそうです.
最近佐々木総長が柳沢議員にアポなしの面会を申し込んだときには,東大が呑んだのが
悪いので何を今更と追い返した由.
大学にも肥満体質があり,効率化しないといけないと主張したそうですが,彼の二人の
娘婿が哲学などを専攻しているそうで,学問を守ることも大事だと財務省に配慮するよ
う要望すると言ったそうです.
---------以下に、都立大学に関連する文部科学省への署名提出関連記事をコピーしておこう------------------------
2004年01月27日
石原慎太郎・東京都知事の都立新大学(05年4月開校)構想に反対する鬼界彰夫・筑波大助教授(哲学)が26日、国公私立大教員ら1281人分の署名を集め、河村建夫文部科学相に「学問の自由を破壊しようとする計画に適切な指導」を求める要望書を提出した。
要望書は、都が都立4大学を廃止しようとしていることについて、文部科学省に「大学設置者が学問の自由を侵害する振る舞いをする場合、適切に指導し是正させる責任」を果たすよう求めた。
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2004年1月26日(2) 都立大に関する文科大臣への要望書(http://poll.ac-net.org/4/)は、1282名に達した。メッセージの最後にも重要なものが投稿された。本学がじっくり噛みしめるべき論点を含んでいる。「大学像」の策定プロセス、その後の市行政当局(「設置者」を名乗っているが、行政当局にすぎないことは明白)の方針、そして大学改革推進本部主導の「コース等検討」のあり方が、全学的な力を結集するものになっているかどうか、検証が必要である。一方で「全員任期制」等を振りかざすことによって教員(少なくとも反対決議を挙げた商学部や国際分科学部)の心を冷えきらせているのではないか、その脅迫の元での「改革」案に多くの人が意欲を燃やせるか、問題は厳然として存在していると思われる。
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·
[92] 名古屋工業大学では柳田前学長が「教授会等の学内意見に対し学長が拒否権を持つ」、「学内運営に関するポストの任免は学長がすべて権利を持つ」等の学長の専断的な大学運営を認めさせる所信表明を
7月の教授会で手段を選ばぬある意味での脅しと強引なやり方で通しました。しかし、その後の学長の専制的な学内運営に多くの構成員が反発し、11月の教授会で先の学長所信表明の無効決議を圧倒的多数で可決しました(前学長はその場で辞任表明)。現在、本学では新学長のもと責任あるトップダウンと民意を反映したボトムアップのバランスを考えた運営組織を検討中です。民意を反映しない運営組織は活力が失せ、必ずや将来に禍根を残します。都立大の今回の運動に心から賛意を送ります。(中井
照夫・名古屋工業大学・工学部システムマネジメント工学科)
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2004年1月26日 Academia e-Network Letter No 50 (2004.01.24
Sat)
http://letter.ac-net.org/04/01/24-50.phpによれば、
統合される都立の4大学の教員の3分の2に上るかと思われる、400名以上が声明を発表した (http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/2076/yondaigaku.html)。
総長に連帯し、東京都の強権的方法にたいする反対・抵抗でこのような強大な連帯の輪が成立したことは、すばらしい。この歴史的文書を、以下にコピーしておこう。経済学部で呼び懸け人になっているのは、先日の誇り高く感動的なCOE教員集団の声明http://coe-economics.jp/seimei.html(この声明を教えてくれた人は、「新大学には採用されないことを覚悟して署名しています。利益要求とは誤読されようがない格調高く明快な文章です」と特徴づけている)の中心になったかと思われる戸田氏と浅野氏である。
----強調は引用者----
四大学教員の声明
都立新大学設立のための開かれた協議体制の速やかな確立を求める
東京都立の4大学は、50年を超える歴史と伝統を培ってきた都立大学をはじめとして、都立科学技術大学、都立保健科学大学、都立短期大学のいずれも、公立大学として、首都の教育と研究を支える貴重な貢献をしてきた。しかしながら、3年前、東京都は改革によりめざす大学像として、「知の創造拠点、都市の活力生成拠点、学術・教育・文化等の交流拠点」を挙げて、都立の4大学の統合・改革を提起した。これに対して、4大学は多くの問題を抱えながらも当時の管理本部と共同して、新たな枠組みによる大学の設置作業に取り組んできた。特に、教育を受ける現在と未来の学生達に不利益が生じないことを常に念頭に置き、教育・研究に携わる機関として社会的責務を今まで以上に間断なく果たすことを目標として、平成17年度の新たな枠組みによる大学の発足に向けて長時間にわたる検討を進めてきた。ところが、昨年8月1日に現大学管理本部が唐突に提出してきた「新大学構想案」は、これまでの検討内容を一方的に破棄したものであった。以来、大学の「現場の声」を無視して進められる「新大学構想」に対し、昨年10月7日の都立大学総長声明(「新大学設立準備体制の速やかな再構築を求める」)をはじめ、教職員・学生・大学院生などからの多くの声明や抗議が出されているにもかかわらず、大学管理本部は全くこれらを無視し、その後も河合塾へ都市教養学部の教育課程の設計作業を外注したり、教員の任期制や年俸制を一方的に公表したりするなど、大学運営の基本に関わる事項を大学との協議の姿勢を示すことなく押し進めている。
大学の改革は時の行政が一方的に進めるべきではなく、「大学側と十分に協議しながら双方の協働作業として進めていくという姿勢が何よりも必要」という公立大学協会(西澤潤一会長)の昨年10月2日の見解に沿って、大学を運営する大学の正規の代表者と行政とが手を携えて進めるべきものである。この基本が守られないやり方で「大学改革」を進めることは、現大学で学ぶ学生・大学院生のみならず、大学の新たな出発を期待する高校生、受験生をはじめとする東京都民、国民に対する責務を大学自身が放棄することになりかねない。したがって、現在都立の大学で教育・研究に従事し、大学の運営に責任を持つ大学人として、これを黙って見過ごすことは出来ない。
私たちは、昨年10月7日の都立大学総長の声明で指摘されている内容を支持するとともに、現在進められている一方的で独断的な「新大学設立」準備を直ちに見直し、教授会、評議会に立脚し、開かれた協議体制のもとでしっかりとした改革の方向を検討し、新しい大学を作っていくための取り組みを進めることを強く求める。
2004年1月21日
東京都立大学、東京都立科学技術大学、東京都立保健科学大学、東京都立短期大学 賛同教員名432名
(2004年1月21日10時現在)
呼びかけ人(五十音順)
東京都立大学人文学部:飯田勇、大塚和夫、川合康、小林良二、西川直子
東京都立大学法学部:米津孝司
東京都立大学経済学部:戸田裕之、浅野皙
東京都立大学理学研究科:甲斐荘正恒、神木正史、*小柴共一、三宅克哉
東京都立大学工学研究科:生田茂、渡辺恒雄
東京都立科学技術大学:山田雅弘,湯浅三郎
東京都立短期大学:前田庸介
*代表: 小柴共一 (koshiba-tomokazu@c.metro-u.ac.jp)
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2004年1月23日(2) 教員組合が提出した基本要求書を頂戴した。当然の要求ばかりであり、大学当局、市当局の理性的で合理的な、また現行法体系に基づく対応を期待する。現行法体系、現状の研究教育条件とを無視して、大学教員の研究教育そして生活の諸条件を悪化させることは、許されないであろう。
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基本要求事項
横浜市立大学学長 小川恵一殿
横浜市立大学事務局長 高井禄郎殿
横浜市立大学教員組合は、横浜市立大学の独立行政法人化には反対の立場を表明してきたし今後もこの立場を保持するが、よしんば横浜市立大学が独立行政法人に移行する場合、最低限以下の事項が満たされることを横浜市立大学学長及び横浜市立大学事務局に要求する。
2004年1月22日
横浜市立大学教員組合
【原則的要求事項】
1. 法人職員としての承継
独立行政法人への移行に際し、全教員を法人職員として承継することを明確にすること。
2. 現行労働条件の確保
独立行政法人への移行に際し、現行の雇用、労働条件を下回るような不利益変更をしないこと。また、研究・教育条件の劣化・悪化も行わないこと。
【個別的要求事項】
3. 教授会の重要事項審議
教員の人事(採用、昇進、昇格、降格、休職、解雇、懲戒)については、教授会の審議結果に基づくこと。また、教員の不利益処分の場合は、異議申し立ての機会を設けること。
4. 配転、出向、転籍
教員の配転、出向、転籍は、本人の同意を必要とすること。
5. 労働時間
教員の労働時間に関しては、労働基準法38条の3に基づき、原則として裁量労働制[2]とすること。
6. 給与
教員の給与は他大学(他の独立行政法人大学を含む)における同等な教員の給与と比して低くないこと。
7. 教員評価
教員の評価については、客観的でかつ公正な評価が透明性と公開性をもつ手続によって担保される制度によること。
8. 苦情処理
組合員からの苦情申し立てについては、労使の適切な代表による苦情処理委員会を設け、誠意をもって協議し対応すること。
9. 定年
教員の定年は65歳とすること。
10. 産休、育児、介護休業の現行水準維持とそれに伴う業務変更、調整
産休、育児、介護休業の現行水準を維持すること。それに伴う代替者の補充、その予算措置、他組合員等の業務変更、調整に関しては、労使で事前に協議すること。
11. 安全衛生法基準遵守と学生の安全
法人化後における労働安全衛生法の基準を満たすため、学生の安全を保障するため、予算・人員の措置をすること。
12. 移行に伴う労使交渉
移行に伴い生じる教員組合との事前交渉には、誠意をもって臨み、かつ充分な時間をあてること。
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2004年1月23日 「大学評価学会」設立の呼び掛け(呼び掛け人:田中昌人京都大学名誉教授、池内了名古屋大学教授、篠原三郎日本福祉大学元教授、事務局・龍谷大学重本研究室)が寄せられた。「2004年4月1日より文部科学省の認証評価機関による大学評価が国公私立大学・短期大学を問わず法的に義務付けられた」ことを受けて、大学評価のありかたを学問的科学的に検討しようという学会である。評価の基準、評価のありかたなど、公然と議論することは大切だろう。行政機関による「大学評価」の一方的な実施は、大学の自治や学問の自由を脅かす。それらを批判的科学的に対象化し、学問として研究することは、大切なことだと考える。喜んで参加することにした。「意見広告の会」ニュース89に都立大学教員の生命が掲載された。新聞報道されたというが、気づかなかった。以下にコピーしておこう。公立大学協会や新都立大理事長予定者の見解もはじめて知った。当然の、常識的なことを言っている。行政の無茶苦茶な押しつけのやり方でいい大学が作れるわけがない。「大学の自治」と「学問の自由」はまさに、大学人の自主性の尊重を前提にし、不可欠の要因とする。
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「意見広告の会」ニュース89
*マスコミでも既報の通り、都立4大学教員の声明が出されました。
その詳細です。
なお既に5割強の4大学教員が、この声明に賛同しています。
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目次
1 都立4大学教員声明
2 2/28集会の呼びかけ(詳細) 「都民の会」
1 都立四大学の教員の皆様
明けましておめでとうございます。東京都の大学管理本部による独断的で「新し
さ」のみを求める「大学改革」の一方的な進め方に関して、ただ黙しているだけでは
大学の根幹が危うくされかねない、という懸念を現職の教員が世に示す必要があると
考え、別記の声明を準備しました。賛同していただける方のご署名をお願いいたしま
す。
我々は、大学改革が公立大学協会(西澤潤一会長)の昨年10月2日の見解「最も重
要な要素である自主性に常に配慮しつつ、大学側と十分に協議しながら双方の協働作
業として進めていくという姿勢が何よりも必要」や、高橋宏氏(新大学理事長予定
者)の見解(12月22日の日経報道)「知事はもう少し大学と話し合いを持った方
が良い」という線に沿って、実りあるものとして行われることを切に願っておりま
す。また、管理本部に我々の声を聞く耳があれば、検討体制の再構築と具体案の作成
は短時日で可能であると思います。
メールにてのご返事または用紙へのご記入をお願いいたします。なお、声明の発表に
あたっては、賛同者の氏名は出さず集計数のみを公表することとします。
[参考資料]
公大協「公立大学法人化に関する公立大学協会見解」2003/10/2
(http://www.kodaikyo.jp/)
都立大総長声明「新大学設立準備体制の速やかな再構築を求める」2003/10/7
(http://www.metro-u.ac.jp/president_s.htm)
2004年1月13日
四大学教員声明準備委員会
代表 小柴共一
四大学教員の声明
都立新大学設立のための開かれた協議体制の速やかな確立を求める
東京都立の4大学は、50年を超える歴史と伝統を培ってきた都立大学をはじめとし
て、都立科学技術大学、都立保健科学大学、都立短期大学のいずれも、公立大学とし
て、首都の教育と研究を支える貴重な貢献をしてきた。しかしながら、3年前、東京
都は改革によりめざす大学像として、「知の創造拠点、都市の活力生成拠点、学術・
教育・文化等の交流拠点」を挙げて、都立の4大学の統合・改革を提起した。これに
対して、4大学は多くの問題を抱えながらも当時の管理本部と共同して、新たな枠組
みによる大学の設置作業に取り組んできた。特に、教育を受ける現在と未来の学生達
に不利益が生じないことを常に念頭に置き、教育・研究に携わる機関として社会的責
務を今まで以上に間断なく果たすことを目標として、平成17年度の新たな枠組みに
よる大学の発足に向けて長時間にわたる検討を進めてきた。ところが、昨年8月1日
に現大学管理本部が唐突に提出してきた「新大学構想案」は、これまでの検討内容を
一方的に破棄したものであった。以来、大学の「現場の声」を無視して進められる
「新大学構想」に対し、昨年10月7日の都立大学総長声明(「新大学設立準備体制
の速やかな再構築を求める」)をはじめ、教職員・学生・大学院生などからの多くの
声明や抗議が出されているにもかかわらず、大学管理本部は全くこれらを無視し、そ
の後も河合塾へ都市教養学部の教育課程の設計作業を外注したり、教員の任期制や年
俸制を一方的に公表したりするなど、大学運営の基本に関わる事項を大学との協議の
姿勢を示すことなく押し進めている。
大学の改革は時の行政が一方的に進めるべきではなく、「大学側と十分に協議しなが
ら双方の協働作業として進めていくという姿勢が何よりも必要」という公立大学協会
(西澤潤一会長)の昨年10月2日の見解に沿って、大学を運営する大学の正規の代
表者と行政とが手を携えて進めるべきものである。この基本が守られないやり方で
「大学改革」を進めることは、現大学で学ぶ学生・大学院生のみならず、大学の新た
な出発を期待する高校生、受験生をはじめとする東京都民、国民に対する責務を大学
自身が放棄することになりかねない。したがって、現在都立の大学で教育・研究に従
事し、大学の運営に責任を持つ大学人として、これを黙って見過ごすことは出来な
い。
私たちは、昨年10月7日の都立大学総長の声明で指摘されている内容を支持すると
ともに、現在進められている一方的で独断的な「新大学設立」準備を直ちに見直し、
教授会、評議会に立脚し、開かれた協議体制のもとでしっかりとした改革の方向を検
討し、新しい大学を作っていくための取り組みを進めることを強く求める。
以上
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2004年1月21日 「意見広告の会」ニュース88を以下にコピーしておこう。アカデミー・ネットワークのニュース第49号には市大関連が2本掲載された。これにはリンクを張っておこう。Academia e-Network Letter No 49
(2004.01.21 Wed) 市大教員・職員にとって重大な関心事は、市当局が東京都のやり方をあれこれと模倣していることである。したがって、東京都の強権的やり方は対岸の火事だとたんに傍観していては、必ず火の粉はわが身に降りかかるということである。現行法体系で法的発言権をもつ評議会、教授会や教員組合の「大学の自治」の観点(現行法体系、憲法的観点、教育基本法や学校教育方の観点)からするきちんとした毅然たる態度が不可欠だろう。本学の学長などに毅然たる態度を期待するのは幻想だとしても、繰り返しこれは強調しておかなければならないことだろう。都立大に関する文科大臣への要望書への賛同の電子署名者(本日朝で309機関、1090人の学者研究者)を見てもわかるが、大学によっては、その人その人の見識にもとづき学長や副学長も署名するに至っている。都立大学総長に連帯するのは、たとえば、つぎのような人々である。
加藤 尚武 |
鳥取環境大学 |
学長 |
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山口 恒夫 |
川崎医療短期大学 |
副学長 |
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「意見広告の会」ニュース88
* 「ニュース」の配布申し込み、投稿は
<qahoujin@magellan.c.u-tokyo.ac.jp>に、お願い致します。
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目次
1 ご案内 これでいいのか? 都立の大学「改革」
2 ご案内 「独立行政法人化は都立の大学と都政に何をもたらすか」
3 石原都知事の大学乗っ取り作戦 都立大・短大教職員組合 政策部
力作です。「サンデー毎日」今週号と併せてご覧下さい。
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1 これでいいのか? 都立の大学「改革」
〜都民による都民のための大学をめざして〜
(※あくまでも現段階のもので変更もあります。詳細が決まり次第、すぐに更新します
。)
最終更新日:2004年1月13日
「都立の大学を考える都民の会」呼びかけ人
池上洋通(自治体問題研究所主任研究員)、金子ハルオ(東京都立大学名誉教授)、
清水誠(東京都立大学名誉教授)、中馬清福(元朝日新聞論説主幹)、
暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)、山口昭男(岩波書店代表取締役社長)
●日時 2月28日(土)午後から夕方にかけて
※現在、パネリストの時間調整中のため、詳細な時間は決定しておりません。
●会場 日比谷公会堂
地下鉄丸の内線◆「霞ヶ関駅」下車 徒歩3分
地下鉄日比谷線・千代田線◆「霞ヶ関駅」「日比谷駅」下車 徒歩3分
地下鉄都営三田線◆「内幸町駅」下車 徒歩2分
JR山手線・京浜東北線◆「有楽町駅」「新橋駅」下車徒歩15分
●企画内容(全体で3時間を予定しております)
◇パネルディスカッション
司会=池上洋通(「都民の会」世話人代表、自治体問題研究所)
その他パネリストは、現在交渉中
◇東京都交響楽団の演奏と訴え
◇都立の大学関係者からの報告
◇都障教組・都高教など、他団体からの訴え(現在検討中)
2 シンポジウム
「独立行政法人化は都立の大学と都政に何をもたらすか─誰のための、何のための法人
化か─」
主旨:昨年(2003年)11月発表された「第二次都庁改革アクションプラン」は、これ
までの第一次プランにもまして大胆な「都政の構造改革」を掲げ、独立行政法人化・民
間委託拡大・民営化などを大きく進めることを打ち出しています。これらの「構造改革
」は、教育・研究・医療・保健・福祉・公営企業など様ざまな分野で、都民に対して重
大な影響を与えるとともに、そこに働く私たち教職員らの雇用・労働条件にも深刻な影
響を与えるおそれがあります。
都は地方独立行政法人化の皮切りとして2005年度からの都立新大学の法人化を計画し
ています。都立4大学を「廃止」し新大学を「設立」するという、現在の大学改革は改
革主体から大学を排除し、学問の自由と大学自治を踏みにじる形で行われていますが、
法人化についても、地方独立行政法人法の主旨さえも踏まえない内容で準備が行われよ
うとしています。例えば新大学教員の雇用条件として、現在いる教員に対しては任期制
(最長五年)・年俸制の制度か、一切の昇給・昇任なしの制度かのいずれかを選ぶとい
う内容が提案されようとしています。法人化に伴って教員の雇用条件を大幅に切り下げ
ることに他なりません。これは現在の公営業務を引き継ぐ移行型法人では雇用条件も基
本的にそのまま引き継がれることを想定した、地独法の主旨からも逸脱したものです。
また大学の自主性・自律性を確保するため学長が理事長を兼務する国立大学法人とは異
なり、学長とは別に知事が選任・任命する理事長が大きな権限を持つ体制も計画されて
います。
大学の独立法人化は、現在、都政構造改革の中で進められている民営化・PFIなどと
並んで、今後他分野にも広がる可能性をもっています。地独法では大学以外にも対象業
務として「公営企業相当事業の経営」「社会福祉事業の経営」「制令で定める一定の公
共的な施設の設置・管理」があげられています。したがって、今進行中の大学の法人化
は、その手続きにおいても内容においても石原都政における独立行政法人化のモデルケ
ースとして今後の都政全体にとっても重要な意味を持つといえます。
本シンポジウムでは、大学にいまかけられている独立行政法人化をめぐる攻撃と私た
ちの闘いについて、市民と都に働く多くの仲間たちに広く知って頂くとともに、民営化
・公社化・財団化などの「都政構造改革」にさらされている都政各分野とも取り組みを
交流し、共同の課題を探っていきたいと思います。
主催:都立大学・短期大学教職員組合
協賛:都労連
日程:2004年2月10日午後6時より
会場:新宿・角筈ホール
住所
新宿区西新宿4丁目33番7号 角筈区民センター3階
交通
京王バス 新宿駅西口から(京王デパート前20番バスのり中野駅行又は中野車庫行
十二社池の上下車 徒歩3分
又は新宿駅西口から(京王デパート前21番バスのりば)
新都心循環バスパークハイアット東京前下車 徒歩1分
京王線 初台駅下車 徒歩10分
都営地下鉄大江戸線 都庁前駅(A5出口)下車 徒歩10分
内容・出席者:
都立新大学の独立行政法人化をめぐる動向と私たちの取り組み(田代伸一・副委員長
)
地方独立行政法人法と独法化(都大職組弁護団)
都政構造改革と民営化(氏家祥夫・前都庁職委員長・都立大OB)
「新しい行政経営」と独立行政法人化(進藤兵・名古屋大助教授)
フロアー発言(予定)(都庁職衛生局支部・同住宅局支部・都響・全大教または首都
圏ネットほか)
3 石原都知事の大学乗っ取り作戦
2004.1.17 都立大・短大教職員組合 政策部
1.はじまりはリストラと経費削減
都立4大学の再編・統合への動きは2000年、石原都政2年目から本格的に始まった。
この年6月の都議会所信表明で知事は、「私は、新しい大学のモデルを東京から発信す
ることにより、日本の大学から日本のすべての教育を変えていく引き金としたいと考え
、都立の四大学の改革に着手いたしました。具体的な内容は今後明らかにしてまいりま
すが、大学がいたずらな象牙の塔となることなく、教育者間にも健全な競争原理が働く
ように改めるとともに、独立採算制をも視野に入れ、経営面の改革に取り組んでいきた
いと思っております。また、学生にとっては、生きた学問を修得する場となるためにも
、入学がしやすく卒業しにくい大学を目指していきたいと思っております」と、それま
で「放言」ととらえられるような言い方で述べてきた大学再編の意図を施策課題として
正式に宣言したのである。この発言には、小中高に引き続き、石原流教育観で都立の大
学を染めたいという願望と、危機的状況の都財政再建のために福祉や教育を切り捨てる
方針の一環に大学を組み込む意志が表れている。その背景には、ちょうどこのとき行わ
れていた、「都立4大学で合計約170億の赤字だ」という乱暴きわまりない包括外部監
査(筆谷勇公認会計士)があり、マスコミを通しての都立大攻撃が開始されてゆく。(
典型的な例が翌年の文藝春秋11月号での「首都『大赤字』暴かれた実態」という「グル
ープ03」なる覆面ライターの記事)
このころは都立の大学に対する都からの要求は、知事の大見得とは裏腹に、主として
経費削減と産学連携の強化が主であり、法人化もその文脈の中の選択肢の一つであった
。2000年12月に発表された『東京構想2000』でも大学に関してはその観点からしか触れ
られていない。以下、いかにも初中等教育を管轄してきた教育庁の作文である。
・
教育内容や方法、学生の成績評価や卒業判定のあり方を抜本的に見直すことによる
、大学の教育機能の強化
・
入学希望者の能力や適性、学ぶ意欲等を多面的に評価する、多様な入試制度の導入
・
高校生に大学レベルの教育に触れる機会を提供する、高大連携教育の実施
・
大学院における社会人向けコースの充実
・
産学公連携の推進による産業界・行政・地域社会への貢献と大学における研究活動
の活性化。特に大学と中小企業との交流拠点等の整備の促進
・
法人化等により大学を行政組織から切り離すことによる、経営責任の明確化と自主
的・自立的な運営の促進
・
大学運営に関する情報の積極的提供、外部評価や都民の意見を大学の教育・研究活
動に反映させる制度の導入などによる、都民への説明責任を果たし都民から信頼される
大学運営体制の確立
ただし、この『東京構想2000』では破綻に瀕している臨海開発と並んで、秋葉原を中心
としたIT産業が首都再生の重点項目としてはじめて大きく取り上げられたことは注目し
ておく必要があろう。
2001年2月に教育庁の主導の下に『東京都大学改革基本方針』が策定された。その主
な論点は、(1)教育機能の強化、(2)社会への貢献、(3)都民から信頼される運営体制の確立
、(4)大学の再編・統合、であり、その具体化は同年夏に『東京都大学改革大綱』で示す
として、そのために3月に、横山教育長を委員長とし、総務局長、4大学学長を委員と
する「大学改革推進会議」を発足させた。なお、このとき初めて正式に「都立の大学に
ふさわしい形態での法人化を検討」することとなった。
当然のことながら、この「大学改革」は教育庁管轄で進められ、同年7月に大学管理
本部が設立されて初代の管理本部長に就く鎌形満征氏はこのとき教育庁の次長であり、
改革の具体的作業を担う参事以下も教育庁のメンバーである。付記しておくと、後に20
03年8月のクーデター的転換の立役者となる山口一久氏はこのとき知事本部政策部長で
後述する「首都再生」計画立案の中枢におり、また、前年8月に労働経済局理事から、
「コスト意識を植え付けるために」都立大事務局長に就任した川崎裕康氏は管理本部発
足に伴い1年足らずで港湾局長に転出し、臨海地区への企業誘致のための2000社訪問の
陣頭指揮を執り始めることになる。
2.石原都政の起死回生策、都心再開発計画
大学管理本部の発足と同時に外部有識者からなる「東京都大学運営諮問会議」が西澤
潤一岩手県立大学長を委員長として発足した。メンバーの中には例の筆坂勇氏が含まれ
ている。鎌形管理本部は、大学の代表を含む「大学改革推進会議」には予定された結論
の押しつけ、学外者の「諮問会議」は雑談の場にしかしない手法で『改革大綱』の策定
を急いだが当然の結果として大学、諮問委員双方からの不満、抗議が相次ぎ、その発表
は翌年度予算案に盛り込むための最終時期11月にずれ込んでしまった。しかしその一方
で9月都議会で知事は大学が社交場と化していると決めつけ、入試制度の見直し、夜間
課程の廃止、ビジネススクールの開設を提案し、同時に採算性が悪いとして都立大の公
開講座「都民カレッジ」をなくし、『改革大綱』の方向を決定づけている。
ちょうど、『基本方針』から『改革大綱』までの時期と重なって、石原都知事は都政
の方向を大型開発、土建行政に集中させていったことを忘れてはならない。3月「秋葉
原地区まちづくりガイドライン」を策定し、6月「首都圏再生5か年10兆円プロジェク
ト」を国に対して提案し、また「工業等制限法」の撤廃を国に迫っている。これらは知
事本部が直接起案したものである。そして、それらの提案、要望が受け入れられるのを
見越して、『改革大綱』発表直後の12月には、秋葉原駅前の都有地を売却して、集客、
産学連携、情報ネットワークの3つの機能を持ち「世界的なIT産業の拠点」となる「秋
葉原ITセンター」の事業者募集を開始した。
このセンターは、大学に関連した施設としては「サテライト連合大学院(年間学生数
250名)」「プロフェッショナル教育センター(遠隔教育を主とした年間1万人の教育施
設)」をはじめ起業センター、産学連携プラットホームなどを有するとされている。こ
の事業は数々の疑惑が囁かれる中で、鹿島建設とNTT都市開発の共同出資会社であるUDX
特定目的会社1社のみの応札で翌2002年2月に落札された。注目すべきなのは、建設費用
総額570億とされるこの大型工事のスケジュールである。再編・統合された新大学の発
足予定である2005年に一部竣工で、全面竣工は2006(平成18)年なのである。
第1期石原都政の3年目に当たる2002年は、3年連続の赤字決算で都債残高7兆4千億
(その償還だけで年間8千億)で出発したにもかかわらず、福祉、教育、住宅、産業労
働など都民の生活に直結する分野を切り捨て、臨海副都心線の整備、湾岸地域の都市基
盤整備、都心部再開発事業などだけが突出する開発、土建行政へのなりふり構わない純
化がいっそう際だってくる。
5月に秋葉原ITセンター起工式に知事が出席し、6月には国の「都市再生本部」に「
都市再生緊急整備地域及び地域整備方針」を申し入れ(東京・有楽町地域、秋葉原・神
田地域、東京臨海地域、環状2号線地域、新宿駅周辺地域、環状4号線沿道富久地域、
大崎駅周辺地域)、7月に予定通り全面的に受け入れられた。さらに9月には日本政策
投資銀行が「開発形メザニンファンド“都市再生ファンド”」の第1号として秋葉原IT
センターを指定し、リスクの大きい部分を引き受け、その周りに野村證券を中心として
、東京三菱、住友信託、三井住友などの銀行が社債やシニアローンを引き受ける体制が
できあがる。
石原知事の中央集権的な都政の手法として特に重要なのは、この年9月に「産業労働
局の所管の事業にとどまらず、ものづくり企業が今後も存続するための環境整備や人材
育成についてまで」立案するために、「関係する複数の局が全庁的な立場から参加し、
施策化を図っていく」(2002.9.12の都議会経済・港湾委員会での産業労働局、泉本参
事の説明)組織として作られた「産業力強化会議(座長、産業振興担当副知事)」であ
る。これ以後、各局の方針に優越してここでの決定が推進されてゆく。目的通り産業労
働局がすべての局をリードするこの体制が作られたとき、山口一久氏は産労局ナンバー
2の総務部長である。
一方、4大学の再編・統合はこの年5月に新大学の基本構成が決定されたのを受けて
、4大学の学長、教育長、大学管理本部長等を委員とした「都立新大学設立準備委員会
」(委員長:横山洋吉 教育長)が発足し、2005年4月の発足に向けた詳細設計に入って
いった。重要なことは、第1にこのとき短大の廃止が正式に決定されたことで、第2に
この報道発表でも管理本部は明確に“4大学の再編・統合”としていたことである。懸
案だった工学系のキャンパス配置では都立大と科技大の利害が相反したが、7月管理本
部決定として南大沢に統合することになった。この点と短大の廃止が後々まで4大学の
教員のしこりとして残ることになってしまった。
3.「都民に役立つ大学」の解答
「産業力強化会議」都政の有り様はこの年11月に知事本部から発表された二つの文書
、「平成15年度重点事業」と「平成14年度行政評価(政策評価)」にきわめて率直に語
られている。詳細は別に記すが、要約すれば、住民の生活の各相をサポートする行政は
過去のものとして、「国際間都市競争」に勝ち抜くために行政はその権限、権能を使っ
て「市場」を創設するのだ、とする。その例として、ディーゼル車規制(ディーゼル排
ガス除去装置、プロパンガスや天然ガス燃料市場創設のために行政が規制をかける)、
認証保育所(「措置行政」をやめ、保育への企業参入を促す)などをあげて、同じ方式
をカジノ(臨海地区の付加価値をめざす)や中小ジェット機開発(羽田空港拡張、横田
基地利用)に広げることを宣言する。これらは、2003年11月に発表された「平成16年度
重点事業」にさらに強調されている。
こうした石原集権都政は新大学計画に新しい要素を加えていった。というより、曖昧
な概念だった「都民に役立つ大学(正しくは、都政に役立つ大学)」の具体化が「産業
力強化に役立つ大学」という解答にたどり着いた、というべきであろう。
進行中の新大学の設計に対して「知事サイドから」突然、大田・品川地区に「物づく
り大学院」を加えろ、という注文がつけられた。鎌形管理本部は限られた人員、予算で
は無理だと虚しい抵抗を示したが、結局「今後の課題として来年度は調査項目」に入れ
ざるを得なかった。
こうして新大学は「産業力強化」の一つの重要な行政手段になっていった。2003年度
までの人事異動の度に大学管理本部から教育庁系のメンバーが去っていった。『改革大
綱』に基づく詳細設計に関わって来たメンバーのほぼすべてが一新されたこの人事は20
03年6月にまだ「若手」に数えられていた鎌形管理本部長が勇退を迫られ、山口産労局
総務部長が大学管理本部長に「抜擢」され、続いて実務のトップを担う大村改革担当参
事が6月に、宮下調整担当参事が8月に着任することで完了した。二人とも港湾局、産
労局、知事本部を経ており、これらの局が都心再開発、臨海開発の主務局であることは
言うをまたないが、また山口一久氏の主たる履歴でもあるのを忘れてはならない。
行政のスタッフには頻繁な移動は付きもので、それのみで状況を判断してはならない
ことは当然だが、石原知事の人事が官僚の旧弊を否定し、年功にかかわらず必要な人材
を配置することはよく知られており、2003年8月1日のクーデター的転換の異常さは、以
上のように見てくれば決して突発的なものではないことが理解できる事態である。
大学管理本部が「産業力強化」本部となったことをさらに証明するのは、「大学管理
本部」の管掌事項に、東京都のすべての公設試験研究機関の研究課題調整と将来計画の
策定が含まれ、そして、2003年11月に大学管理本部から『産業科学技術振興指針』が発
表されていることでも明らかであろう。
4.大学は何のためにあるか
振り返れば、2003年8月1日の事態は水面下で泳いでいた鯨がようやく体を浮上させた
表れであった。大学を産業に従属させること、しかもきわめて短期的かつ都民に益する
ことがなく、都政を荒廃させる目標にのみ従属させることを尋常な手段では「旧弊な」
大学人に受け入れさせがたいと見た石原知事の苦し紛れの強行突破であった。
この鯨が全身を明らかにしてきた今、それに屈してコバンザメになるのか否かが都立
4大学の教員すべてに問いかけられている。
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2004年1月20日(2) 昨日、教員組合から、地方独立行政法人化のための横浜市制定の「定款」に関する学長への要望書が、組合員にも送られたようであるが、本日、いま受け取ることができた。教員組合委員長の前書き(送付状)に込められた怒りとともに、以下に公開しておきたい。根本的な問題点は、定款問題でもまたまた教員組合を愚弄し、定款内容をいっさい明らかにしていないことである。さらにつぎつぎと国会決議違反や違法的行為をつづけているのである。恐るべきことである。
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組合員の皆さん
当局は、2月の市議会に法人化にかかわる議案を提出する準備を進めています。市労連が大学当局による市大4単組への説明要求をしていましたが、1月13日の説明は組合をまったくもって愚弄する態のものといわなければなりません。地方独立行政法人法の8条には定款に関する11項目の指摘がありますが、当局の「説明」はこの11項目を列挙した上で、それが法人法8条であることにはまったく関説せずに、あろうことかこのペーパーの上部に「取扱注意」とまで麗々しく記しています。これでは、定款の事項を示したに過ぎず、その内容にはまったく触れられていません。
しかも、8条の事項とはさまざまな独立行政法人に共通する事項を示すものであり、「特例」としてある大学については、これらの事項以外に多くの定款で定める事項が指摘されています。これらの事項にはまったく触れず、もちろんその内容も明らかではありません。
さらには、質問に関してまったく答える態度を示していません。
もちろん、教員組合はこの場でことの本質を厳しく批判しました。私たちは、このような組合を愚弄する当局の対応を一層厳しく糾弾せねばなりません。これに関する学長・事務局長への要望書を提出しました。ワードで添付します。
本日、組合総会が開催されます。可能な方はぜひともご出席下さい。
横浜市立大学教員組合執行委員長
藤山嘉夫
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要 望 書
横浜市立大学学長
横浜市立大学事務局長
日頃市大の改革のために、ご尽力いただいていることを感謝いたします。
さて、16年1月13日、市労連書記長、および、市大の関係単組に対して、2月市議会において審議される議案(市大独立行政法人化に関わる議案)について、大学当局から説明があるということで、出席いたしました。ところが、既に周知のものとなっている地方独立行政法人法第8条を「取扱注意」として配布し、読み上げただけで終わり、出席者からの質問に対して誠実に答えることを、大学当局は拒否しました。これは国会での付帯決議(職員団体と十分な意思疎通を行う)に違反するものであり、また、地方独立行政法人法の69条「設立団体は、公立大学法人に係るこの法律の規定に基づく事務を行うにあたっては、公立大学法人が設置する大学における教育研究の特性に常に配慮しなければならない。」にも反するものであります。強く抗議いたします。
教員組合としては、まずは、予定される定款のすべてを具体的に呈示することを強く要求いたします。その上で、「職員団体と十分な意思疎通を行う」ための協議の場を設定していただけるように要求いたします。
16年1月16日
横浜市立大学教員組合書記長
浮田徹嗣
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2004年1月20日 東京都立大学にたいする石原都知事以下の行政当局の無茶苦茶な大学「改革」措置に抗議する声は日増しに高まっている。以下に、文部科学大臣宛て電子署名活動で賛同者が寄せた最近の格調高い感動的メッセージの数々をコピーして、自分のものとしておきたい。ひるがえって、わが大学の「大学像」に仕込まれた卑屈な行政主導の精神はどうか?[3] 「研究費の廃止」(これはものすごい脅迫に他ならないのではないか?)、「全員任期制」、外部の素人が教員の人事を左右し得る「人事委員会」、「市長(行政)による理事長任命」、その「理事長に服属する学長」、これらは実質的には都立大学にたいする行政措置と同じではないか? これらのどこに「大学の自治」、大学の自立・自律、学問の自由があるか? 数年ごとに首切りを可能にする任期制、誰がどのように客観的かつ公正に判断することができるのかもはっきりしない制度設計、しかも真に最先端を行く研究(その担い手の力量と精神水準)においてはまさに社会の到達点と水準に対して批判的であり、それを抜いているが故に、現状に安住する多数者の精神的物質的利益を脅かすことになるのであって、最先端であることの本質的宿命として、客観的で公正な評価を期待することが難しい、その典型的な世界史的な事例がソクラテス、ジョルダーノ・ブルーノ[4]、ガリレオ・ガリレイなどなど)において、あえて任命権(学問研究に内在的ではない権力)を握る人々、行政当局、理事長など(研究教育の非専門家でしかなく、その学問内容からすれば話してわかる相手ではない、専門研究は専門研究の相互批判を通じてしか評価できない、しかも往々にして時間の経過が評価の確実性を保障する、そこでの批判の自由=利害超越性[5]の決定的重要性)を批判できる教員はどれだけいるのか?そのような困難なことを全教員に課すのか? クビきりの脅迫をちらつかされて、なおかつ自由に物が言える人がどれだけいるのか? そのような脅迫に直面して権力者に抗することができる人がどれだけいるというのか? 任命権者、「権力者」の自由と横暴を制限するのが「大学の自治」ではないのか? 「独立行政法人」への移行において「全員解雇だ」とした脅かしは、研究教育に命を懸け、研究教育を継続しそれに専念したい良心的な真面目なたくさんの教員を震え上がらせ沈黙させているのではないか? 「全員任期制」が大学の自由な発展を保障するのか? 大学教員の身分保障は、真理と真実にもとづいて言うべきことを大学教員が自由に言えるようにしている制度ではないのか? 現状を乗り越え、既成の壁を打破する学問科学の最先端を行くべき大学の歴史的使命を十全にはたすことができるようにしているのが身分保障(テニュア)ではないのか? ありうべき少数の「特権にあぐらをかく[6]」教員の排除を口実に、大学全体をだめにしてしま うのではないか? まさにそれは「角を矯めて牛を殺す」ことではないのか? 「全員任期制」は手段と目的を取り違えているのではないのか? 「全員任期制」提案の犯罪性(すくなくとも士気に関わる意味での、精神の自由を抑圧する意味での)・抑圧性・違法性は明らかではないか? それは憲法の精神(大学の自治と学問の自由の保障)や学校教育法・教育公務員特例法の精神を破壊するものではないのか? その違法な「全員任期制」提案を、大学側の提案であるかのように「大学像」に盛り込み押しつけた行政の辣腕ぶりは、どのように評価すればいいのか? それに屈服する大学教員内部の精神構造はいかなるものか? 同じような問題意識の見解が、伊豆利彦本学名誉教授によって出されている。
伊豆利彦名誉教授日々通信 いまを生きる 第86号『無法の跳梁』
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· [67] 大学の改革は必要だし、社会のニーズに合った学問も重要でしょう。ですが、それを実現する理念と手段が少人数の恣意的なものであることには、断固反対です。事態を悪化させ、取り返しのつかないことになるのは、明白です。(佐倉 統・東京大学・大学院情報学環)
· [66] 私は東京都立大学に5年間在職しました.この都立大学が,石原都知事の一方的な考えにより,いまその歴史を閉じかねないことに悲憤しております.都立大学の長い歴史を支えた多くの学生,教員,職員,都民の願いは都立大学の廃止であるはずはありません.歴史を絶つのは簡単かもしれませんが,歴史を創るのは少なくとも長い時間と多くの人々の努力が必要です.むしろ,これまでの歴史にたって,さらに発展させるのが本来都知事の担うべき役割の筈です. (石井 仁司・早稲田大学・教育学部)
· [65] 新しい人類的課題に取り組むための、ひろやかで柔軟な知性を、現在の都立大学のスタッフが有していることを疑いません。そして、そのような困難な課題に取り組むための基礎として必要である、人文科学研究のための体制を安易にそして性急に解体すべきではありません。都立大には、次の世代の研究者を育てる任務があります。そのための伝統を絶ってしまうことは、はなはだ危険です。(一色 裕・愛知産業大学・造形学部)
· [64] 石原都知事の「新生・都立大学構想」は時流に流されたプランでしかなく、学問の頽廃をもたらすため、他大学所属の者でも看過できません。 断固、反対するとともに、文部科学大臣の適切な指導を東京都に対して与えて下さるよう、ここに要望するものです。(嶋田 正和・東京大学・大学院総合文化研究科・広域システム科学系)
· [63] 世界の人が見ている。恥を晒すまい。(高木 亮一・千葉大学・理学部 数学・情報数理学科)
· [62] 大学の統廃合は、それまでの歴史をかんがみ、極めて慎重に行うべきものである。特に、東京都立大学は、これまで多くの人材を育成・排出し、研究面においても国際的に高いレベルの学術研究を行ってきていると、客観的にも思われる。このような日本および世界における高い価値のある資産を、ある時点における政治的な理由によって廃校にしようとすることは、これまで費やしてきた国民・都民の税金をも無にするものでもあり、到底許すことはできない。(中村 春木・大阪大学・たんぱく質研究所)
· [61] 大学は組織の運営も大事ですが、大学の存在の理念はさらに大事です。運営の合理化ばかりの議論でなく、現在の世の中において正しい基準が揺らいでいるときこそ理念が大事です。このような理念の議論なくして、大学の廃止を決めてしまうのは日本の将来に大きな禍根を残します。(安藤 勲・東京工業大学・理工学研究科物質科学専攻)
· [60] 心より賛同致します。(南原 英司・理化学研究所 ・植物科学研究センター)
· [59] 石原都知事の改革の進め方は,学問に対する冒涜であり非常に誤ったものである.この誤った改革を継続することにより,学問のみならず日本や世界の文化,ひいては世界平和を壊すものである.要望書の内容に対して賛同したので,ここに署名する.(坪田 博美・広島大学大学院理学研究科・生物科学専攻)
· [58] 改革することは否定しませんが、現在都立大学の研究者が有している世界に対する競争力を保持するためにも研究現場の声は反映するべきであると考えます。(浅見 忠男・独立行政法人理化学研究所・植物機能研究室)
· [57] タクシーの運転手と大学経営の話題になり、ふと「慎太郎大学」構想を揶揄したら遠回しに反論された。「彼のどこがいいの?」と聞いたら「やっぱ言えないこと代わりに言ってくれるからね」と変わりばえのない答えだったが、この社会に感性の分断状況が広がっているさまを感じて気がふさがった。その実感から署名します。慎太郎を応援する人たちを説得できないと。小難しい長大な議論を書いても彼らは読みませんよ。理論で勝ってもレトリックで負けていると思う。(山下 純照・千葉商科大学・商経学部)
· [56] 研究機関に勤めるものではありませんが、一地方公務員として、教育研究の自由をおびやかす今回の東京都のありかたおよび都知事の横暴な言動は、地方自治体のあり方としても、またその長の姿勢としても許せないと思います。(****・大津市役所・児童家庭課)
· [55] 世界の多くの国で、ignorantとしかいいようのない政治家が不必要な不安定要因を作り出し、あたかもそれが「改革」かのように誇大宣伝している。どこかの大国の大統領のように、Ivy Leagueや名門大学出身という肩書きとignorantであることは互いに矛盾しない。大学のような研究教育機関は、研究という個人の知的レベルを深める行為が、教育に直接反映される場であり、これが制度として保障されていることが必要なのである。大学に蓄えられた知的財産(特に基礎学問の)は、教育や著書を通して人々に伝わり、それが総体として国あるいは世界の「文化」を形作っている。このことを知らずして、大学の機能を破壊するのならignorantの呼称が相応しいし、知っていて無視するのなら、tyrantとしかいいようがない。(砂田 利一・明治大学・理工学部数学教室)
· [54] 都知事が組織した大学管理委員会と、それに参画した専門委員の稚拙とも言うべき教育理念と偏った価値観に基づいて作成された都立四大学の統合・改革構想は、矛盾と誤りに満ちており、大学の存在意義を根底から否定するものです。 この案がそのまま実行に移される時は、我国の次世代の市民教育に取り返しのつかない巨大な損失を齎すものと考えます。 この様な大学構想を当然のものとして教員に押し付けることは、自らの家庭生活環境の改善を犠牲にしつつ、教育の本来あるべき姿を追求して真摯に職務に精進している、我国の全ての大学教員を陵辱するに等しい許し難い行為で義憤を覚えます。 都立大学に限らず、私は全ての大学の抜本的な改革を緊急課題であると考えます。 なかなか進展を見せない教育改革を東京都が見本を示すことで、国のレベルに拡大するという構想もポジティブに評価しております。 また「内容次第では、教員個々人の意見聴取を行うことなしに、トップダウンで改革構想を押し付けることも敢えて否定しない」ものですが、今回、石原知事が行おうとしている改革構想に関しては、思い付きのキャッチコピーにも似た余りにも粗雑な教育理念と杜撰な実行計画で、どのように好意的かつ弾力的に拡大解釈をして見ても、この構想を認める根拠を見出すことが困難です。 以下に数多くの問題点のごく一部を列挙しました。文科相におかれましては、何卒、ご精査くださり、取り敢えずは、大学管理委員会の改革粗案の全面破棄と、都庁と大学の双方に教育の本質に立ち戻って改革の具体的構想の早急な再検討をご指示下さるようお願い申し上げます。 【1】 都知事が新しい都立大学に期待する特徴の一つに、資本の投下効率の向上があります。 大学教育、特に科学技術系のそれは正に金食い虫で、財務管理の任にあたる方が文系の出身の場合には、もう少し何とかならないものか、と思うことがあっても無理からぬところと思います。 科学技術系の教育の場合、一人の学生を育てるために張り付けられる教職員の数は、多ければ多いほど教育の質が高まります。 私共教職員は、当然、都立大学よりもっと少ない教職員数で、より多くの学生の面倒を見て健闘しておられる大学が多数あることも良く存じております。 しかし、私達は高級レストランのシェフ同様に、見識として、それを削減可能な経費を無駄使いしているとは認識していないのです。 その経費にふさわしい何処よりも良質の手作り教育を提供しているという自信と誇りがあるからです。 教職員数を削減して人件費を減らせば、帳簿上の投資効率が目に見えて高まることは云うまでもありませんし、欧米の格付け会社から優良企業として高い評価を得る事も可能でしょう。 我国の殆どの大学はここ数十年に亘って、そうした人件費削減の嵐に曝されて来ました。 教員や事務職員の数を徐々に減らして行っても、残っているスタッフが、自分の職掌範囲を少し増やすことで当面の不具合を緩衝するよう努力するので、表向き正常に運営されているように見えますが、一般の人が気が付かないだけで、教育の質は確実に低下しているのです。 これはテレビやステレオ機器の部品を一つや二つ取り除いても、部品の種類によっては音が出て、普通に作動しているように見えるのと同じです。 私ども科学技術系の教員は、社会に送り出す人材の質が徐々に低下して行き、何処かで、臨界的に引き起されるであろう破綻現象を常日頃、殊更に心配して見守っております。 已に、一時は製造業で高い信頼を得ていた理工系の技術者が、初歩的な無知や訓練不足によって大きな事故を引き起したり、製品開発の行き詰りを突き破る創造力に欠けたり、過大な期待に耐え切れず数年の勤務で辞めて行く者が漸増する現実があります。 そして周辺アジアの国々の優れた大卒が、駄目な日本人に取って替わるケースも確実に増えております。 近年の教育破綻、経済破綻、道徳破綻などの現象は、教育官僚の経費の支出に関わる認識不足がその一因と考えております。短期的に見て資本の投下効率の最も悪い事業は教育です。 教育関連で短期的な投資効率の向上を日夜追求する企業は受験産業の予備校です。 都知事は、その予備校に都立大学の将来構想の作成を依頼したと伝え聞きます。 同じ教育事業だから「何か役に立つことを聞かせてくれるだろう」と思われたのかも知れませんが、予備校は短期の金銭的利益を追求するところで、大学とは似て非なる存在です。 【2】 都知事が新しい都立大学の機能に期待するものに、大都市・東京の社会環境向上に対する貢献があります。 莫大な維持管理経費を支給している設置者が、大学にその教育研究成果の還元を求めることは当然ですし、これは何処の大学の構成員も地域社会ばかりか国、あるいは世界に対する様々な貢献を常に念頭において活動しているところです。 問題は、その目的達成の為の手段にあると思います。 都庁の大学管理委員会の構想では、人文科学、社会科学、自然科学などの基礎学術部門を「都市教養学部」として統合し、応用部門を「都市環境学部」なる看板で集約するものとしております。 大学における「教養」過程とは、幅広い各種の学術の境界を超越して全体を俯瞰することで、学問相互の有機的かつ普遍的な連携関係を理解させることをその目的とします。 教養的な視点は専門の壁をぶち破り独創的な仕事をする上で欠くことが出来ない潜在能力を賦与するもので、教養を学ぶものに相応しい場を提供することが大学の存在意義そのものと考えます。 その「教養」に「都市」なる接頭語を冠して、都市関連の学術だけに領域を限定して教養教育を行うとする発想は、教養のなんたるかを理解していない証拠を示しています。 また「科学」は普遍性を追及する学術です。 東京都にしか役に立たない研究は科学ではありません。 逆に言えば、東京都にとって本当に有用なものは世界に通用するのです。 「都市教養」といった狭い視野の教養を持つ人材を養成するとしたら、都立大学は何処へ持っていっても邪魔にされる粗大ゴミの製造所と化すでしょう。 文系、理系に関わる最先端の諸学が均衡を取って共存するところにレベルの高い教養に支えられた専門教育の場としての大学の存在意義があるのです。 近年、前述したような教育の場の荒廃とともに、教養の意義の認識が薄れ、多くの粗悪な多数の大学生を社会に送り出し続けた結果が、今回の都立大学統合改革案のような粗末なプランが都庁から出て来る原因となったのかも知れません。 これは蛇足ですが、改革構想の中で用いられている用語を眺めて見ると、「都市文明」、「知的社会」、「教養」、「環境」、「ハイテク」、「ダイナミックな産業構造」、「福祉」、「長寿社会」 etc. と落語の三題話さながらの意味の判らぬ言葉遊びで、これは石原知事の国会議員への立候補運動に使いたいキ−ワードの羅列ではないかと勘ぐりたいところです。 (清宮 懋・*東京都立大学名誉教授・元理学部化学・物理化学専攻)
· [53] Japan today is a nation at risk. We have to respect the academic independence, freedom of research and learning for the purpose of peaceful and sustainable society. Koji Nakamura, Professor of English and Global Education Konan University (Nakamura Koji・Konan University・The Institute for Language and Culture)
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[52] 都立大学の件に関しては,許し難い暴挙だと考えております.
国家全体が目先の利益のみを追求するような傾向になってきて
いるので心配です.特定の政治家の意図によって,国民全体が
不幸に陥ることの無いよう見守る必要があると感じています.
(岩根 久・大阪大学・言語文化部)
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[51] 昨今の東京都立大学に対する一方的な改悪の提案に、心より憤りを感じております。学問の発展と真の意味での社会貢献を続けていくために、目先の効果にとらわれない、基盤的な学問研究の場を確保していくことを切に望みます。とりわけ、哲学・西洋古典学といった学問・文化の基礎をないがしろにする改悪案に、断固反対いたします。(納富 信留・慶應義塾大学・文学部)
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2004年1月19日 久しぶりに「市民の会」に卒業生からの貴重な提言が掲載されたことを知った。リンクをはって紹介しておこう。
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http://www8.big.or.jp/~y-shimin/sunbbs/index.html Date:
2004-01-15 (Thu) |
国際港都ヨコハマと言うならば、
世界中の人が自由に学ぶことができる開かれた大学を持ったら如何?!
昨夏の三〇年ぶりに同窓会に参加して市大の存続問題を知った。世話人からの状況説明では市の財政困難や、役に立つ学部とお荷物の学部の格差、市民への貢献不足などが問題らしい。廃校をも選択肢に入れていると言う。しかし、何が問題で、市大をどうしたいのか、よく分からなかった。配布資料には「横浜市大の今後のあり方懇談会」の答申も用意されていたので、後でそれを読んだり、横浜市や市大のHPを見たりした。それらを参考に考えると、どうもこの問題に関係している皆さん方の志が低いように感じられるのである。今頃意見を書いても、事態はもう進んでいてどうしようもないかも知れない。だが、こんな考えもあることを知ってもらいたい。
中田市長ら大学に「改革」を要求する側は、市大が横浜市の財政に負担をかけているとか、市民に寄与していないとか、後ろ向きの理由を挙げて迫っている。時代劇で言えば、あまり出来の好くない若殿様かやくざの元締めといった役どころだ。裏で操る欲深どもが下っ端をけしかけて、善良な農民から年貢を搾り取ったり、商人から賄賂を巻き上げたりしようとしている場面が想像されてしまう。
これに呼応する「懇談会」の結論は、私が読み取ったところでは「大胆な改革と統廃合・合理化を前提にした存続」さもなくば「廃校」であって、大学の自治と自由を大幅に制限し、教育・研究費を緊縮削減する一方、大学の市民に対するサービスを要求する内容となっている。こちらは忠義者の城代家老か律儀者の番頭といった役どころだ。「懇談会」がリベラル・アーツを重視しているところは評価したいのだが、それにプラクティカルなという形容がついているところがいただけない。そんな底の浅いものが地方大学の生き残る道であると本気で思っているのだろうか。
それらに対する市大当局側の態度であるが、これは全く受身の姿勢である。たとえば、市大のホームページに掲載された「横浜市立大学改革の方向性について<指摘された課題>」の「2、教育・研究体制の整備」には、「本学の特色がない。設置の趣旨、教育目標や今の社会経済情勢に合ったカリキュラムになっておらず、カリキュラムを適切に管理している責任ある機関も明確ではない。大学として十分な学生指導をしていると自信を持って言い切れない。中規模総合大学と言っているが、学部間に壁がある。大学院の教育の目的が不明確になっている。大学院と学部、研究所の関係の整理が必要である。病院の診療と教育それぞれの責任があいまいになっている。」などと無責任な自己批判が恥ずかしげも無く述べられている。これでは難題を吹っかけられておろおろしている時代劇の農民町民そっくりで、あまりのはまり役に苦笑してしまうほどだ。いや、市大に学者はいるのかと、情けなくなる。経験も知恵も不十分な若い市長を諌めたり助言したりすることが、市大の学者方の務めであろうと思うのだが。
以上のことだけでも、私が「関係者の皆さん志が低いようだ」という訳がお分かりいただけると思うが、その理由をもう少し詳しく説明しておこう。ひとつ
は、関係者三方の諸兄姉が「大学」の問題を目先の条件でしか考えていないという点である。今年で開港144年の歴史を持つ横浜市が、この先の百年も進取開明の心意気を市民の誇りとしようというならば、やはり文化学術の面でも百年の計を持たなければなるまい。市民への説明責任、市民への還元、市民へのサービスなど、身近な損得に心を砕いて大学改革計画を作ったとしても、はたしてそれが大学の理念として二、三十年も持続するだろうか。そんな付け焼刃の計画や理念はやはり期待外れということになるにちがいない。そして、その時すでに市大には廃校への道しか残されていないだろう。
またひとつの理由は、諸兄姉の大学に対する考え方が画一的であることだ。かつての横浜市大は、一期校と二期校の間に入学試験を実施していたから、変わり者の学生が入学してきた。普通の大学とは違った雰囲気が生まれて、大学の多様性を高め、大げさに言えば、社会の多様性と柔軟性を養う一助となっていた。市大改革を議論している諸兄姉の頭にある大学の姿は、国立、公立、私立、そして総合大学、単科大学、といった観念化された大学像の枠に固まっているように思える。市大の変わり者卒業生が地方でどんな役割を果たしているか、没個性化が進む日本社会の中で彼らがどんなスパイスの役割を果たしているか、などといったことには思いが及んでいない。もちろん、そんな人間がいることなど想像もつかないに違いない。これら諸兄姉には縁のない世界なのだから。
「多様性」と言う用語が、生態学から教育の現場や企業活動にまで、はやり言葉になっている。それにもかかわらず、現実には画一化と没個性化が進むこの日本の不思議さが、横浜市大改革論議にもそのまま現れている。
だが、実はそれもやむを得ない事情がある。世の中のお金に絡む事柄はすべて新興勢力と在来勢力との既得権を巡る争いであるから、横浜市大の存続問題も、税金の配分や市民への説明責任などの条件のもとで議論する限り、損得勘定の支配に屈服せざるを得ないのである。この問題に関わっている人々は、そういう情況判断能力には優れているからこそ、今の役割を与えられているわけである。だから、当然情況に見合った結論や力の強い方に都合のよい答申が出てくる。型破りの意見は期待しても無理というものだ。
そこで市大卒業者としての私の意見を述べれば、「国際港都ヨコハマと言うならば、世界中の人が自由に学ぶことができる開かれた大学を持ったら如何?!」ということになる。世界に公開された大学である。
何も市立大学が市民の息子や娘を優先入学させたり、市民講座を頻繁に開いたり、ベンチャー産業に役立つ研究開発をすることだけが、税金を払っている市民への還元ではない。文化や伝統を重んじ、市民が誇りとできるような学風だって、立派な貢献である。しかも、港ヨコハマには国際港としての歴史があり、その国際的大都市が持つ大学ならば、世界中に門戸を拡げたものと決まっている。市民のための大学などとちっちゃなことを言わずに、世界のための大学となぜ言えぬ。
入学定員は無し。毎学期進級テストでふるい分けてゆく。学生にとっては完全自己責任方式である。そうすれば学生選抜に関して、市民からも不満の声はあがらないだろう。毎年の卒業学生数は200人程度が身の丈にあっているだろう。毎年100名からの卒業生が世界各地に散らばって行くとなれば、横浜市民は世界中のどこへ行っても心強い。ただし、日本人学生には国際性を身に付けてもらうと同時に、海外からの学生と同じく日本文化をきっちり学んでもらえたらの話だが。
入学者の半分が海外からの学生となれば、市大の学生構成が国際化し、市民との国際交流もさらに盛んになる。こういう大学にいれば日本人学生も自ずと外国語に堪能になろうというものだ。単位が取れなくて、短期間の滞在で帰国するかもしれない多くの学生のための宿泊施設も必要になるだろう。それがきっかけで洒落た宿が増えてほしいものだ。英国にはB&Bがあるが、日本には日本の味のする簡便宿をデザインしたらよい。
そうなった時の市大は、教員の構成も国際化、管理は教職員学生による完全自治、ヨーロッパで生まれた頃の大学=University本来の姿に立ち返っている。管理強化や効率的経営などと時代に逆行したことをしなくとも、自由と自治と公開を拡大すれば、ユニークな市立大学に生まれ変わるだろう。大学の多様性を拡げることもできる。自己責任の考えも透徹している。これこそ、自由と民主の本道ではないか。
国際化路線で横浜市の顔となるような市大を、と提案したい。
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2004年1月16日 商学部教授会・国際文化学部の決定に基づき選出された各学部五人の委員による合同カリキュラム委員会が開催された。歴史・社会・語学からというので私が参加した。歴史・社会・語学は固有のプロフェッショナルな学問・科学の分野というより教養系の学問であり、したがって、一方では総合経営学府の学生にも、他方では国際教養学府の学生にも門戸が開かれている人文社会諸科学である。問題は、国際教養コースの位置づけである。それに従来の商学部の歴史社会語学(地域文化)がどうかかわるかである。4年にわたる国際教養コースに関してどのような学問体系とするか、である。一方での全学部にわたる教養教育の側面では、基礎学問としての位置づけがあるが(たとえば歴史では、基幹科目、基礎科目としての社会史、経済史など)、国際教養コースの専門科目としては位置付けが明確でない。このような歴史・社会・語学系(地域文化系)の専門科目としての位置付けが、今後のひとつの問題となろう。現在でも、専門科目で歴史系の卒論を書く人の場合、通常のプロフェッショナルな意味での卒論ではけっしてない。総合経営学府に進んだ人や国際教養学府に進んだ人が、かりに卒論においては歴史のテーマを選ぶ場合、選択することになろうか。ともあれ、国際教養コースの位置付けが今回、一番不明確だとの認識で一致した。国際教養コースの軸を誰が担うか、どのようなカリキュラム体系にするか、こんかいの大改革は、「国際教養大学」をうたい、教養教育の重視を打ち出すのだが、その柱が見えてこない、ということである。なぜか。これまで、「大枠」、「大学像」にいたるまで、現実に研究教育をになう教員とのカリキュラム体系をめぐる議論がまったくといっていいほどなかった。それが不充分である以上、「大学像」には抽象的な文言しかないのは必然である。歴史系でいえば、国際教養コースの中に現在の商学部の歴史・社会・語学(地域文化)系のひとつのまとまりとして、「歴史と社会」グループ(歴史社会地域文化)といったもので、ひとつの4年次までの体系(ゼミ指導まで)を考えることもありうるだろう。いずれにしろ、歴史・社会・語学(地域文化)グループで来週も話し合う必要があろう。来週、木曜日6時から、どのような体系があるか、話し合うことになったので、それまでに一度議論をしておく必要がある。
[1] 正確には、「1月21日には、都立の4大学の教員の多くが賛同した「反対声明」が提示されました。これは、4大学教員数の5割を超える約430人が、都立大学の教員数の6割を超える約370人が賛同・参加しているものです」と。
[2] 現状はまさにこれである。週40時間の勤務時間のうち、講義時間、教授会・各種委員会などの公務会議時間等をのぞく研究(学会活動なども含め)と教育準備のための時間は、教員が自由裁量で処分出きるというのが、大学教員に与えられた最大のメリットであった。それを奪うような行政主義的対応があれば、紛争となるであろう。あるいは、教員流出が激しくなるであろう。
慶応大学や私が前に勤務していた立正大学では、講義ノルマは4コマであり、それ以上のコマ数負担はオーバータイム手当てがつくシステムだった。こうしたこともきちんと制度化することが必要であろう。
[4] ブルーノ著『無限、宇宙および諸世界について』(清水純一訳)岩波文庫、解説によれば、「コペルニクスの死後、南イタリアに生まれたジョルダーノ・ブルーノ(1548―1600)は、修道士であったにもかかわらずキリスト教の教義に疑問を持ち、宇宙の無限性を主張する独自の宇宙論を展開した。そのため、異端審問所によって幽閉されたのち焚刑に処せられた。しかしその著作は4世紀を経て、なお生き続けている。」
[5] 世界的天才の生涯が示すところでは、命さえも危険に晒される。
[6] この7年ほどの本学での在籍期間において知りえた情報のなかから、あえて「生け贄」を探し出せといえば、私に思いあたるのは、何百人もいる教員のなかで、かろうじて一名だけである。だが、それも、「そのような人間に誰がしたのか」「途中でもっとなにかやりようがなかったのか」を歴史的全体的に考えるとき、問題はそう簡単ではない。(もちろん、自立した人間として、多くの人間の研究教育行動を直視し、自分なりに打開の道を見つけるべきであることはいうまでもないのであるが)
そのような人物を温存しつづけた全体構造はなにか? 「哀れむべきもの」、「軽蔑すべき生け贄」をつねに目の前に、眼の下に、おいて置きたい心理構造とはなにか? 「弱いもの」が自分より「弱いもの」を必要とする構造はないか? 「弱いもの」が、外に向かって公然たる土俵の上で戦いを挑むことができないが故に、内に自分より弱いものを作り出す構造はないか?
逆に言えば、同じ研究教育の場にいる一人のものを助け育てることができないのは、そのひとりの人物だけの責任なのか? なにほどか、まわりの「責任」、まわりの「罪深さ」もあるのではないか?
今回の大学「改革」の進み方(その深刻な問題性、行政への屈服の全体状況、予算を握るものとそれに追従するものの全体状況など、学問評価の問題性・説明責任における問題性)を見れば、ある特定の「問題」教員にすべての責任を擦り付けるのはいかがなものか。
その「問題」教員は、すくなくとも反面教師として、多くの教員に強烈な貴重な教育素材を提供したのではないか? この6―7年だけでも「いわゆる超有名大学」に出ていった数々の人々の研究教育に対する態度を常に問い直させたのが、この反面教師なるものではないのか。
もしもそうだとすれば、実に有意義な人物(他人に学問的生産性とその公開の決定的重要さ・学問研究の内容を対象化することの重要性、対象化し社会に公開したうえで厳しい批判に耐える力、そこにおける自己の自律的独立的責任の重要性を、迂回的な形態ではあるが教えた人物)が本学にいたことになるのではないか?
もしそうだとすれば、その反面教師を切って捨てるのではなく大切にしてきた本学の度量の大きさと深さ(あるいは迫害の対象とすべきマイノリティを必要とする村村の社会構造ともいえるかもしれないが)も、あらためて見なおす必要があるのではないか?
貴重なかけがえのない反面教師を行政主義的に切って捨てるのが今回の「改革」であり、「全員任期制」などを頑固に「大学像」に盛りこむ「独立行政法人化」ではないのか? 本学のよい部分、度量の大きさと深さを切って捨てるのが今回の行政主導の「改革」ではないのか?
いったいだれが、任期法の規定を逸脱するような「全員任期制」を唱えはじめ、それに固執したのか? つぶしの利く分野(医学系)、医局制度の元で慣行的・慣習的に流動状態をめずらしくない医学部関係は別として、文科系などは、研究教育条件のよい大学への移動(地方から都会へ、下のランクから上の大学へ、大学院のない大学から大学院のある大学へ、修士課程の大学院しかない大学から博士課程のある大学へ、新しい大学から伝統ある大学へなど)しかない。そこに3年や5年といった全員任期制など持ちこんだら、どうなるのか? 「学問の自由」が大幅に制限されることはまちがいない。