731日 東京で開催された三つの学会の合同研究会(シンポジウム)参加のため、私は参加できなかったが、「大学人の会」主催の29日の原子力空母(母校化)安全性検証シンポジウムは、中身の濃い議論で成功したようで、地域の新聞に報道された。その記事が事務局から送られてきたので、ここにもコピーしておきたい。また、アピールも出したようである。

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東京新聞 2006.7.30 神奈川版

安全性の徹底検証を

横須賀 原子力空母でシンポ

 

 米海軍横須賀基地に配備が計画されている原子力空母の安全性を追及するシンポジウムが二十九日、横須賀市内で開かれた。県内の大学教員らでつくる「米

軍再編強化に反対する神奈川の大学人」(共同代表・伊藤成彦中央大学名誉教授ら)の主催で、安全性の徹底検証を求めていくアピールを採択した。

 最初に三人のパネリストが講演。立教大学の原沢進名誉教授、原子力資料情報室の西尾漠研究員が、スリーマイル島の原発事故を例に原子力災害の危険性や

原子力空母が事故を起こした場合の被害予測を紹介した。

 また、原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会共同代表の呉東正彦弁護士が、蒲谷亮一市長が配備容認に至った経過を報告した。

 質疑に続いて最後に集会アピールを採択。「日米両政府や市長の言動からは、地域住民の安全を守る立場で安全性を慎重に検証したとは考えられない」とし

て、住民が自治体、首長と一つになって原子力空母の安全性を徹底的に検証すべき時であり、そのために協力していくことで出席者全員が一致した。 (斎藤

裕仁)

 

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(神奈川新聞 2006/07/30

原子力空母の安全性をシンポで検証/横須賀

在日米軍・防衛

 

 在日米海軍横須賀基地に二〇〇八年に配備される予定の原子力空母の安全性を検証するシンポジウムが二十九日、横須賀市内で開かれた。約六十人の市民ら

が参加し、今後も徹底的な安全性検証を求めていくことなどを確認し合った。

  

 三人の専門家が、それぞれの立場で原子力空母の安全性について講演し、原沢進立教大名誉教授(同大原子力研究所元所長)は、国内の原子力発電所に関す

る現状を報告し、過去の事故の実例や、事故のリスク軽減のために、原発が人口密集地から遠くに置かれていることなどを強調した。

  

 原発の安全性などについて研究している特定非営利活動法人(NPO法人)「原子力資料情報室」の西尾漠研究員は、同情報室が六月に発表した原子力空母

事故の被害想定リポートを解説。また、市民団体共同代表の呉東正彦弁護士は、今後も反対運動を続けていくことを訴えた。

  

 同シンポは横浜国大、関東学院大、神奈川大など県内大学を中心に、東大、千葉大などの教授ら約六十人が呼びかけ人となって二月に結成した「米軍再編強

化に反対する神奈川の大学人」(共同代表・伊藤成彦中央大名誉教授ら)が主催した。

 

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(神奈川新聞 2006/07/21

原子力空母の安全性検証へ29日シンポ/横須賀

 

 原子力空母の安全性を検証するシンポジウムが二十九日、横須賀市西逸見町のウェルシティ市民プラザで開催される。県内在住、在勤の大学教員らで組織す

る会「米軍再編強化に反対する神奈川の大学人」(共同代表・伊藤成彦中央大学名誉教授ら)の主催。参加無料。

 シンポでは、「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」の共同代表を務める呉東正彦弁護士、原子力発電の安全性などについて調査・研究している

特定非営利活動法人(NPO法人)「原子力資料情報室」(東京都中野区)の西尾漠共同代表、元立教大学原子力研究所の原沢進所長をパネリストに迎え、原

子力空母が横須賀に配備された場合の危険性について、それぞれの見地から報告する。

 同会は今年二月に発足。県内の在日米軍再編強化に反対する声明を発表するとともに、四月には横須賀、座間市などで反対運動を展開している市民らを招い

て再編計画の実態を探る一回目のシンポを開いている。

 県庁で二十日に会見した伊藤共同代表は「原子力空母に少しでも危険性があるならば、政治的でなく科学的判断に立って(配備は)避けるべき。徹底的に調

査したい」などと述べた。

 午後二時から午後五時まで。定員二百人程度。問い合わせは、同会の山根徹也事務局長電話045(787)2261。

 

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727日 「意見広告の会」のニュースを久しぶりに、コピーしておこう。国立大学法人の「独立」の内実・深刻な問題が分析されている。

 

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2−1 3年目を迎えた国立大学法人−弱まる自律性と強まる行政への従属性−

      藤本光一郎(東京学芸大学)・伊藤谷生(千葉大学)

 

1.学長たちの肯定的な評価と、現場での絶望感

 

朝日新聞社発行の月刊誌「論座」編集部は、20063月から4月に国立大学全学長に対し

て法人化に関するアンケートを実施した。20066月号掲載の記事によると、回答した

学長83名のうち、「どちらかといえばプラスになった」(54名、65%)と「大いにプラス

になった」(7名、8)を合わせて、実に4分の3の学長が法人化を肯定的に評価しており

、その主たる理由は「学長のリーダーシップの確立と意思決定の迅速化」と分析されて

いる。しかし、このような肯定的な評価は、大学で教育研究に携わる教員や職員の実感

とはかなりかけ離れている。現場では、仕事が増え、待遇は悪化し、個人の教育研究へ

の配分額が減るなど、法人化後の状況への絶望感が拡がっているからである。実は、現

場の実感と大きく隔たった「アンケート結果」の中に、法人化された国立大学の危機が

ひそんでいる。ふか

 振り返ってみると、国立大学法人化の当初の目的は、行政改革のための単なる公務員

減数合わせと考える向きが大勢であった。それゆえに、多くの関係者は、形態が変わる

だけで実質はそれほど変わらないと、たかをくくっていたばかりか、法人化によって大

学の自律性が拡大するとの期待感さえあったのである。しかし法人化の議論が進むとと

もに形態にとどまらずに実質も変わるという不安が拡がっていった。そして、法人化以

降の2年間に、その最大のメリットと喧伝されていた自律性の拡大という謳い文句がい

かに虚偽に満ちたものであり、逆に行政への従属性が以前にも増して強まったことが誰

の目にも明らかになってきた。この経過を法人化の制度設計の時点にまで戻って概観し

てみたい。

 

2.国立大学法人法体制の成立

 

()本質を甘言で覆った調査検討会議(20023)

 19999月に文科省が国立大学の法人化賛成へ大きく転換し、翌年7月に「国立大学等

の独立行政法人化に関する調査検討会議」を設置して国立大学を独立行政法人の枠組み

に適合させるための検討が進められた。その結果が、2002326日に最終報告として

公表された『新しい「国立大学法人像」について』(以下、当時の通称としての『最終

報告』と略す)である。調査検討会議には国立大学の学長をメンバーとする国立大学協

(以下、国大協)執行部も名を連ねている。文科省と国大協執行部の合作ともいえるこ

の『最終報告』に今日の状況をもたらす要因が内包されている。この検討中に遠山プラ

ンのような各国立大学を競わせる政策が打ち出されたこと、法人化を受け入れる前提条

件とされていた教職員の公務員身分保障が崩れたことも重要な出来事であった。

 『最終報告』においてはまず、「予算、組織、人事など様々な面で規制が大幅に緩和

され、大学の裁量が拡大する」、「国公私立大学を通じて、第三者評価に基づく重点投

資のシステムの導入など、適切な競争原理の導入や効率的運営を図りつつ、高等教育や

科学技術・学術研究に対する公的支援を拡充することが不可欠である」、「法人化は、

国立大学の多様化に途を拓くべきものである。公私立大学との使命や機能の分担にも十

分留意しつつ、法人化を契機に各国立大学の特色や個性を伸ばす観点から、大学独自の

工夫や方針を活かした柔軟な制度設計ができるだけ可能となるよう特に留意すべきであ

る」というような前提条件を設定している。

 前提条件に続いて、改革の視点として「各大学の枠を越えた再編・統合を大胆かつ積

極的に進める必要がある」、「大学運営に高い見識を持つ学外の専門家や有識者の参画

により、国民や社会の幅広い意見を個々の大学運営に適切に反映させつつ、(中略)、大

学の機能強化を図っていくことが重要である」、「厳正かつ客観的な第三者評価システ

ムを確立し、各国立大学及びその構成員の教育研究等の実績に対する検証を行うととも

に、評価結果に基づく重点的な資源配分の徹底を図るべきである」、「拡大する経営面

の権限を活用して、学部等の枠を越えて学内の資源配分を戦略的に見直し、機動的に決

定、実行し得るよう、経営面での学内体制を抜本的に強化するとともに、学内コンセン

サスの確保に留意しつつも、全学的な視点に立ったトップダウンによる意思決定の仕組

みを確立することが重要である」などが挙げられている。これらの、再編統合、第三者

評価による競争的原理の徹底化と資源配分、トップダウンの管理運営体制などが、政府

のいう改革を推進する手段であった。実は、裁量の拡大、公的支援の拡充や柔軟な制度

設計というような前提条件は甘言に過ぎず、この手段の強要こそ『最終報告』の本質で

あった。

 『最終報告』の目的は、政府や財界の示す国家目的の遂行のために、大学をいわば「

知の工場」化させる新自由主義的政策の推進であった。この点については小沢弘明氏が

詳しく展開しているのでそちらに譲る (1)

 これに対して国大協は、同年419日の会長談話において、「今回まとめられた法人

像は、全体として見るとき、21世紀の国際的な競争環境下における国立大学の進べき方

向としておおむね同意できる。国立大学協会は、この最終報告の制度設計に沿って、法

人化の準備に入ることとしたい」とむしろ積極的に賛成している。今にしてみれば、戦

わずして白旗を掲げたと受けとめられても仕方がないであろう。

 

()満身創痍で成立した国立大学法人法(20037)

 この『最終報告』を踏まえて2003228日に国立大学法人法案が閣議決定され、国

会に提出された。遠山文科大臣(当時)43日衆議院文部科学委員会での趣旨説明にお

いて、「知の時代とも言われる二十一世紀にあっては、知の拠点としての大学が学問や

文化の継承と創造を通じ社会に貢献していくことが大きく期待されております。今回提

出いたしました国立大学法人法案等の六法案は、このような状況を踏まえ、現在、国の

機関として位置づけられている国立大学や国立高等専門学校等を法人化し、自律的な環

境のもとで国立大学をより活性化し、すぐれた教育や特色ある研究に積極的に取り組む

、より個性豊かな魅力ある国立大学を実現することをねらいとするものであります」と

述べ、自律性の強化が立法の趣旨であることを強調している。国大協はこの法案に対し

て異議を唱えないばかりか、むしろ佐々木東京大学総長(当時)は参議院文教科学委員会

の参考人質疑で、基本的に法案賛成の立場から大学の自律性の増大を評価したのである

 しかしながら、国会審議の過程でこの法案についての様々な本質的問題点が指摘され

続けた。このため、「国立大学の法人化に当たっては、憲法で保障されている学問の自

由や大学の自治の理念を踏まえ、国立大学の教育研究の特性に十分配慮するとともに、

その活性化が図られるよう、自主的・自律的な運営を確保すること」と、改めて立法の

趣旨を守ることを参議院文教科学委員会で附帯決議しなければならないという異様な状

況が生じたのである。法案は、イラク参戦のための国会会期延長によって辛うじて7月

に成立したものの、衆議院10項目、参議院23項目もの附帯決議が付加されるという異例

の事態となった。この法案が本質的問題点を有していたことを示して余りあるといえよ

(2)。こうして、満身創痍の国立大学法人法に基づいて20044月に国立大学法人は発

足した。

 

3.2年間で実証された国立大学法人法体制の無惨な実態

 

()運営費交付金の逓減

 法人化直後から財政的逼迫が各国立大学で深刻な問題となった。国立大学の基本的な

運営は国からの運営費交付金でまかなわれる。初年度の交付金額は国立大学時代の金額

を下回ることはなかったが、法人化移行のための費用(労働安全衛生法対応、監査法人

費、資産調査費用など)や法人化以降に新たに支出が必要となる費目(役員報酬、雇用保

険料、損害保険料など)については手当てされなかった。この金額は国立大学全体でお

よそ355億円と見積もられた。また、学長裁量経費の増額などが各大学の中期計画・中

期目標に書き込まれた。これらの費用を捻出するために、多くの大学で研究教育に使え

る教員一人あたりの予算が大幅に減らされたのである(3)

 さらに、財務省の主張通り人件費が裁量的経費と位置づけられてシーリングの対象と

なり、運営費交付金の算定ルールとして運営効率化係数1%、経営改善係数2%というよう

な逓減方式の導入が明らかになった。国立大学法人化を行政改革に組み込む路線が強制

力を持って具体化したと言える。国大協は、「法人化前の公費投入額を踏まえ、従来以

上に各国立大学における教育研究が確実に実施されるに必要な所要額を確保するよう努

めること」という参議院文教科学委員会附帯決議に反するとして反発の姿勢を示したも

のの事態は変わらなかった。

 

()新たな運営費交付金削減策としての授業料値上げ

 また、2004年秋に授業料値上げ問題が浮上した。法人法案審議の中で文科大臣は授業

料値上げについて否定的な答弁をしていたが、その舌の根も乾かぬうちに値上げを迫っ

たのである。さらに国立大学関係者を驚かせたのは、各大学の授業料値上げによる収入

増に見合う分の運営費交付金削減という政府の姿勢であった。運営費交付金逓減の第三

の方式が発動されたのである。これに対しては、学長も含む多くの国立大学関係者から

怒りの声が上がり、学生や市民を巻き込んだ広範な反対運動とともに、国会での追及も

行われた。しかし、国大協は組織的な反対行動を起こさず、いくつかの大学が部分的据

え置きの措置をとったものの、ほとんどの大学が法人化1年目にして授業料の値上げを

余儀なくされた。国立大学時代には、授業料と入学料が毎年交互に値上げされてきたた

めに、 2006年度の入学料の扱いが注目されたが、前年の反対運動もあってか据え置

かれたことはひとつの成果といえよう。ただし、現在、財務省を中心に私立大学のよう

な施設整備費を新たに徴収するというプランも浮上していると伝えられており(4)、学

生院生のさらなる負担増は予断を許さない状況にある。

 

()財政制度に関わる根源的問題の浮上

 このように財政面での逼迫や破綻が国立大学法人の主要課題として浮かび上がってき

た。その原因のひとつは運営費交付金の性格が収支差額補填方式から総額管理方式へと

変化したからである。国立大学法人法案の審議段階では、運営費交付金は従来の交付金

制度を引き継いで「収支差額補填方式」が想定されていた。しかし、法案成立後、財務

省は強引に「総額管理・各種係数による逓減方式」を要求し、文科省はこれを受け入れ

たのである。このため、国立大学法人はひたすら経営重視に傾斜し、特に附属病院はそ

の半数で赤字転落が懸念されていることもあって、収支改善のために収益部門の重視と

混合診療の導入へと向かっている。

 一方、企業会計の導入によって自由度と透明度が増すというのが触れ込みであった。

しかし、非営利的な大学財務に利潤追求ための企業会計方式を接ぎ木したため

に、随所で不具合が発生している。その端的な実例の一つが、セグメント単位、法人単

位の硬直した財政運営である。しかも国立学校特別会計制度が廃止されたため年度や大

学を越えた調整装置がなくなり、かえって自由度は小さくなっているといえよう。加え

て財務諸表からでは大学財政の実態は浮かび上がりがたく、透明度のアップは実現され

ていない。

 

()人事院勧告準拠の賃金と人件費削減のための人員整理

 非公務員化された国立大学教職員の賃金は、本来は各大学における労使交渉で決めら

れるべきであるが、独立行政法人通則法などを根拠に依然として人事院勧告準拠が半ば

強要されている。また、退職金も、国家公務員の退職金規程に基づく金額が「特殊要因

」として運営費交付金の中に加算されることから、国家公務員準拠の大きな理由とされ

ている。賃金問題で多くの大学で労使交渉が行われたことは今後の組合運動への大きな

一歩となったものの、多少なりとも大学からの譲歩を引き出させたところは少ない。そ

ればかりか、厳しい財政状況の下で公務員並みの賃金水準を維持できない大学もあり、

大学間の給与に差ができつつある。また、運営費交付金の逓減の中で業務の外部委託化

や人員削減をせざるを得ない状況が既に多くの大学で生じている。

 

()行政改革推進の閣議決定に伴う人件費5%削減

 昨年12月に小泉構造改革の目玉として公務員数の5%削減が閣議決定された。国立大学

法人もその対象となり、人件費総額5%削減に見合うように中期計画・中期目標を修正す

るように文科省から情報提供という名の下に「指示」されたのである(5)。文科系の単

科大学や教員養成系大学など人件費率が80%を超えるような大学においては、運営費交

付金逓減に加えての人件費5%削減はいやおうなく教育研究の低下を招き、大学間の格差

はさらに広がるだろう。

 

()強まる行政権力への追従と皆無となりつつある自律的経営の可能性

 財政的、人事的な自律性の増大が法人化の最大の「売り」であるはずだった。しかし

、簡単に振り返ったように、この2年間の現実はそれとはまったく様相をことにしてい

る。

 財政面として、文科省は新しい教育研究ニーズを重点的に支援する特別教育経費の増

額によって運営費交付金の逓減を補償していると主張している。しかし、この原資は運

営費交付金の総枠の中から捻出したものであり、その配分を通じて大学への統制が強化

される仕組みになっている。

 また、各大学は、大学が作り文科省が認めた中期計画や中期目標を軸に文科省の国立

大学法人評価委員会で評価される。しかし、そこでの議論は公開されている議事録を見

る限り充分であるとは到底言いがたい(6)。そもそも自律性が最も発揮されるべき中期

計画や中期目標について、策定段階から文科省が深く関わったことは国立大学法人法の

審議の際に大きな問題となり、遠山文科大臣(当時)が陳謝したことはよく知られている

。このような体質は、先に述べた人件費削減への対応に見られるようにその後も変わっ

ておらず、国立大学の自律性には大きな疑問符がついている。

 さらに、かつての国立大学時代から、本省出身の官僚が学内の主要ポストにつくとい

う問題の弊害が指摘されていたが、法人化以降もその実体は続いていることが明らかに

されており(7)、「全国区異動」による文科省支配の構図も変わっていない。

 

 以上(1)から(6)まで述べてきたように、『最終報告』で謳われた「前提条件」という

甘言のメッキは2年を経て完全に剥げ落ち、手段である「改革の視点」が次々と実現し

ているのである。特に財政問題は深刻であり、冒頭で紹介した「学長アンケート」でも

、ほとんどの学長が法人化のマイナス面や国への要望事項として取り上げている。また

国立大学法人法の理論的,制度的な欠陥も指摘されている(8)

 

4.行革2法と「改正」教育基本法によって新段階に入る国立大学法人体制

 

 164回通常国会で成立した行政改革関連法案で国立大学に大きな影響を与えるのは、

先ほど述べた人件費5%削減を法制化する行政改革推進法案と、公的セクターの一部の

市場化を強制する「市場化テスト」法案である。前者については先に触れたが、後者が

もし適用されるならば、教育研究現場が利潤追求のための市場化テスト対象として蚕食

され、業務の一体性が破壊されることは必至であろう。それは、教育・研究・診療等が

教員・職員の協働によって一体的かつ相補的に進められているという大学の在り方その

ものの解体と転覆に繋がる。

 さらに、現在大きな議論となっている教育基本法の政府改正案は、大学に関する条項

を新設して、「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深

く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより

、社会の発展に寄与するものとする」(第7条)と述べ、大学の目的を社会貢献として規

定している。法人化以降、文科省が陰に陽に国立大学に強要してきた社会貢献、産学連

携に法的根拠が与えられ、大学の変質に拍車をかけるものとなるだろう(9) 行革2

に続いて「改正」教育基本法が成立する事態となれば、既に国立大学法人法によって急

速に自律性を失いつつある国立大学は、新自由主義的な大学改革を目指す国家の直接的

な介入を受けることとなろう。それは国立大学法人体制が新たな段階にはいることを意

味する。文字通り、国立大学は大きな岐路に立っている。

 

5.終わりに

 

 いったいどうしてこうなってしまったのか、という思いをもつ大学教職員は多い。だ

がその理由を文科省や政府の施策にのみ求めるとしたら、それは歴史的経過に反してい

る。今日の状況を生みだした直接の要因は、調査検討会議の場で文科省と国大協執行部

が合作した『最終報告』にあるからである。戦わずして白旗を掲げ、あまつさえ国会の

場で国立大学法人法案に賛成の意向を表明した当時の国大協執行部の責任は重いと言わ

ざるをえない。一方で、そのような執行部を選出した、そしてそうした執行部を変革で

きなかった私達自身も、また深い内省が必要であろう。

 国立大学の独立行政法人化問題が浮上してからに限っても、国立大学は状況に真正面

から対峙することを避け、むしろ行政権力におもねってきた。冒頭で紹介した「学長ア

ンケート」で法人化への肯定的評価が多数を占めたということは、異議申し立てや不満

の表明が個々の大学とって不利になるという学長の「現実的判断」が作用したとみるこ

ともできるのではないか。さらには、肯定的評価の理由とされている「学長のリーダー

シップの確立と意思決定の迅速化」も、大学執行部のイニシアチブというよりは、文科

省の方針やそうせざるをえない状況に追い込まれているという側面が強い。そのような

萎縮し、倒錯した姿勢の中に今日の国立大学の危機的状況の深刻さが示されていないだ

ろうか。

 状況を打開するには、大学の教職員自らが、2年間の無惨な「実験結果」に対する科

学的分析を通じて今日の危機を生み出した要因を明らかにし、それを取り除く作業に取

りかからねばならない。一方、国会は自ら制定した法がもたらした結果を真摯に分析し

、広く国民の議論を巻き起こした上で新たな法体制を準備する責務があろう。これらは

、国家への従属を強化しようとする昨今の流れに抗して、多様な価値観を共有する自律

的な大学像を新たに構築するという歴史的事業の基礎となるに違いない。本小論もそう

した基礎作業の一部となれば幸いである。

 

謝辞:執筆の機会を与えてくださった国公労連独立行政法人対策部の飯塚徹氏、常日頃

議論をしている国立大学法人法反対首都圏ネットワークの事務局の諸氏に感謝する。

 

(1) 小沢弘明「新自由主義時代の大学改革」『歴史評論』658号、2005年、47-52

頁。

(2)法案の問題点については、『国立大学はどうなる』(東京大学職員組合・独立行政

法人反対首都圏ネットワーク編、花伝社、2003)を参照。

(3) 国立大学の1年間の実態については、国立大学法人法反対首都圏ネットワーク主

催の「大学財政危機打開をめざす国会内ポスターセッション」を参照。

(http://www.shutoken-net.jp/2004/12/041208_1jimukyoku.html)

(4)  20051212日の国大協臨時総会において文部科学省徳永審議官は、「入学料の

値上げは来年度は見送られるが、今後、私立大学と同様に入学時に施設整備費を徴

収するシステムを導入することが要求される可能性がある」と発言したと伝えられ

る。

(5) 国立大学法人法反対首都圏ネットワークのサイトの行政改革推進のトピックス

ページに詳しい情報が掲載されている。

(http://www.shutoken-net.jp/topics/2006gyokaku.html)

(6) 国立大学法人法反対首都圏ネットワークのサイトに詳しい評論がある。

(http://www.shutoken-net.jp/2006/03/060303_7jimukyoku.html)

(7) 2006310日の衆議院文部科学委員会の質疑。会議録は

http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htmで閲覧可。

(8) 糟谷正彦「欠陥だらけの国立大学法人法」『内外教育』2006530日付。

(9) 教育基本法「改正」情報センターの声明(2006528)参照。

(http://www.stop-ner.jp/)

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726(2) 生活保護を拒否された人が自殺したというニュース、先週土曜日のNHKの番組(秋田県のたくさんの税金支払い不可能な人々の集会、意欲と能力がありながら職が見つからない若者、三つの仕事を掛け持ちする二人の子持ちの男性など:「400万世帯以上が、生活保護以下の生活を強いられていて、その多くは「働く貧困層」だ」)が示す格差拡大化の日本(ワーキングプアに関するNHK番組は広範な関心を呼んでいるようだ。本学元教授・佐藤真彦氏HPリンク記事)

しかも、他方では、米軍への思いやり予算、イラク戦争への支援に伴う支出、米軍再編に伴う負担増など、次から次への果てし無い国家予算の支出。それを必要と思わせるために扇動しているかの如き北朝鮮問題の取り上げ方。

こうしたあり方に抗するものとして、身近なところでは、横須賀の原子力空母の母校化(これに反対する大学人のシンポジウム729日、今週土曜日、参照)

 

 

ひとたび戦争を挑発してしまったら、どんなひどいことになるのかは、アメリカの現実が示している。公共哲学・公共平和関連のメールで、次のような情報を得た。

 

-----------千葉大・公共哲学・公共平和関連のメール-------------

     イラク戦争の費用についての記事です。偶然かもしれませんが以下のように2つの数
字がぴったり一致します。偶然でないとして、日本から上納金を使い果たし今後どう
やって米国は資金調達するつもりでしょうか。

米国のイラク費用月80億ドル*40ヶ月(2003.3から2006.7まで)=約3200億ドル
2002-2006
日本の米国債保有額増加分 約3200億ドル 320.1Bドル
2002
5月末 317.8 Bドル(急激に増加しはじめた時期)
http://www.treas.gov/tic/mfhhis01.txt
2006
5月末 637.9Bドル
http://www.treas.gov/tic/mfh.txt

(・・・)

2006
725()「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-07-25/2006072506_01_0.html
米、イラク戦費月9200億円
生活予算圧迫
米議員が試算
5日分で医療無保険の子なくせる
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 米元海兵隊員で「保守派」と言われながら、イラクからの米軍撤退を求めて一躍注
目を浴びた民主党のジョン・マーサ下院議員が、自身のホームページで、イラク戦費
がいかに米国民のための予算を圧迫しているかを紹介しています。
 同議員によると、イラク戦費は月八十億ドル(約九千二百億円)。これは週あたり
二十億ドル、一日あたり二億六千七百万ドル、一時間あたり千百万ドルになります。
 これで計算すると、列車や地下鉄、バスなどの公共輸送機関の改善はイラク戦費三
週間分(五十二億ドル)でまかなえます。
 老齢者医療保険(メディケア)の二〇〇七会計年度予算での削減額は、戦費二・五
週間分(五十億ドル)です。医療保険に加入していない子どもは全米で九百万人いま
すが、戦費五日分(十五億ドル)あれば全員加入できます。教育予算の削減三十四億
ドルも、わずか十三日分です。
 各州へのインフラ整備の交付金は、同会計年度でイラク戦費一週間分(十七億ド
ル)が削られています。同会計年度予算で削減された環境保護庁(EPA)の予算
は、戦費のわずか一日と三時間分(三億ドル)を充てれば復活できます。
 国民生活に結びつく三十数項目の試算をあげたマーサ氏。「これだけの費用が米国
の国内政策にどういう結果を生じるかを示し、これほどの金があれば何が達成できる
か考えてもらいたかった」とその意図を述べています。(ワシントン=山崎伸治)

Murtha compares cost of war and domestic expenses
A Report by Congressman John Murtha
Washington D.C. - We are spending $8 billion a month in Iraq.  That equates
to $2 billion a week, or $267 million a day, or $11 million an hour.
http://www.house.gov/apps/list/press/pa12_murtha/pr071206warcost.html

 

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726(1)  この間、大学院研究科、国債総合科学部、そして研究院を通じて、「学費改定(法人案)」なるものが、メールで知らされた。研究と教育の現場を担う教員には決定だけが知らされる。教員が学生・院生と接触しているなかで、どのような問題を感じているか、学費に見合う教育・研究、あるいは福利厚生の体制になっているかなど、本来であれば(かつてならば)教授会審議の重要な事項であった。教授会でさまざまな要望や意見が出て、それを反映する形でいろいろの政策が展開された[1]

しかし、いまや、一般の教員には、メールで知らせるだけ、ということである。

こうしたやり方は、上位下達(経営陣の任命、大学院「増設」など個々の政策の決定全体に通じる)のやり方として、決めるのは簡単であろう。行政的なそうした簡単さ・効率追求を求めたのが、この間の「改革」の意味合い、ということなのであろう。

 

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724日 「大学人の会」主催の「原子力空母の安全性を問う」シンポジウムが開催される。リンクを張り、ここに紹介しておこう。

 

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714日 教員組合から、週報の字句修正(誤字訂正)の連絡があった。以下に、最新版のニュースをコピーしておこう。

 

7月12日付の組合週報でお知らせしました「昇任人事に関する声明」
には、一部の語句に誤りがありましたので、修正したものをホームページ
に掲載いたしました。内容的には大きな変更はありませんので再送するこ
とは控えますが、正しくはホームページのほうを参照してください。

教員組合・情宣担当

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横浜市立大学教員組合週報

組合ウィークリー

2006.7.12

  もくじ

昇任人事に関する声明

 

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昇任人事に関する声明

横浜市立大学教員組合

 

2006712

 

公立大学法人横浜市立大学当局は、2006627日に教授等への昇任予定者に対して労働契約書を示し、 630日までに署名押印して提出するよう求めた。このプロセスを実際に体験した組合員からの声は「組合週報」(630)に掲載したところであり、そこには昇任を餌に任期制受け入れを迫る当局の理不尽な態度が如実に示されている。

 

当組合が確認した情報によれば、今回の昇任予定者のうち2割を超える教員が、昇任条件としての任期制受け入れには同意できないことを主な理由として、労働契約書への署名押印を拒否した。ただし、これにより今回の審査過程で承認された教授等への昇任資格は消滅することなく、無期限に留保されることが本年4月末の団体交渉における当局答弁で確認されている。当組合は、任期制を拒否した先生方と連帯して、任期制受け入れを条件とせずに昇任させるよう当局に求める原則的立場を貫いてゆく所存である。

 

任期制に同意して昇任人事を受け入れた先生方については、労働契約書には「任期5年(再任あり)」と記されているのみで、再任条件に関する記載や補足説明はなかった。これは、再任条件の明示を義務づけている任期つき労働契約締結に関する法的要件を欠くものであり、当局の示した労働契約書は違法性の高いものである。団交等の場における当組合の追及に対して、当局はこれまで「普通にやっていれば再任される」という発言を繰り返すばかりで、「普通」の定義については一切説明してこなかった。このような態度は法が禁じる不誠実対応そのものであり、この状況を放置すれば、 5年後の再任審査の時点で教員側にとって不利な事態を招く恐れが強い。当組合は組合員一人ひとりの選択を尊重しつつ、どのような場合にも組合員の側に立ち、組合員の権利擁護の戦いに継続的に取り組んでいく。以上、声明する。

 

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713(3) 今朝のニュースで驚いたのは、中田横浜市長が、北朝鮮のミサイル発射実験が日本(市民)に与えた不安などを理由に、朝鮮総連への今年の税の減免措置を取り消した、というものだった。これは、しかし、筋違いではないか? 北朝鮮と朝鮮総連をそのように一体的に見ていいのだろうか?また、減免措置の根拠とされてきたことと今回のミサイル発射とは、そのように直線で結びつけることができるものか?今回のミサイル発射は、日本向けのものか?

 北朝鮮の行ったミサイル発射実験が非難されるべきものであるのは、国連における日(米)の制裁案に反対する中国・ロシアの決議案を見ても分かるとおり全世界的合意事項であろう。しかし、その北朝鮮政府の行為の問題性と、日本にいる北朝鮮系の人々の組織とを同一視していいのだろうか? これは、北朝鮮の問題行動が起きるたびに、朝鮮総連系の中高生にさまざまの暴力行為が不埒なものによって行われるのと似通ってはいないか?

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713(2) 昨日、台北市長への名誉博士号授与があった。新聞テレビ等でも報じられた。

だが、大学内のどこで、どのような審議を経てきまったのか、大学内部の人間はまったくわからない。

かつてならば評議会が審議決定し、その審議に参加する評議員は大学教員の選挙で選ばれていた。したがって、教授会で審議内容・審議資料等が示された。しかし、教授会は開催されず、代議員会でも報告事項ばかりで、その報告事項の中にも名誉博士号授与に関する資料や議論があったのかどうか?

しかるべき審議・手続を経ていなければ、市当局(市長)の政治的手段として大学が使われる、ということになってしまう。独立行政法人化した大学が、市当局への従属度を一挙に高めてしまったとすれば、「独立」とはまさに欺瞞的ということになる。「大学の自治」が置かれた現状を端的に示す事例とも言えよう。

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713(1) 「全国国公私立大学の事件情報」に、本学の昇任人事と絡ませた「任期制」(労基法142に基づく有期労働契約への転換)強要が違法であることが説明されている。これまでも、教員組合等は、くりかえしこの違法性を指摘してきた。しかし、上位下達組織として、また市当局が経営と教学の責任者(理事長から学長・学部長に至るまで)を直接(ないし実質的に)任命制においているなかで、雇用契約の強要(昇任資格があるのに、「任期制」=有期労働契約に署名しない限り発令しないというのは最大の強制である)を行っているのである。今回の問題では、すくなくとも大学サイドは、当該教員の研究教育との実績・経験を踏まえて昇任資格を認めているのであって、ひとえに、経営サイドの違法性ということになろう。こんなやり方をみて、憤らず、あるいは意気消沈しない教員はいないのではなかろうか。

教員組合は、まずは、労働基準監督局にこの問題を提示し、しかるべき法的措置をとるように求めるべきではなかろうか?

また、明確に実質的不利益が発生した時点から、しかるべき法的対抗措置が講じられるべきであろう。この間の精神的苦痛に対する慰謝料等の請求もありうるのではないか?

大学の自治という憲法的原則の面からも、種々の問題をはらんでいることは、これまで折に触れて述べてきたとおりである。

 

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20060713

横浜市立大学教員組合、昇任人事に関する声明

横浜市立大学教員組合
 ●昇任人事に関する声明

 横浜市立大学の対応は,現行労基法の規定との関連において問題があると思われる。下記はいわば常識に属する事柄であるが,若干敷衍しておこう。

有期労働契約に関する現行労基法の趣旨と規定について

(1)現在期間の定めのない契約を結んでいる労働者を,有期労働契約に切り替えることは可能であるのか?

 以下の場合にのみ可能である。
 1.定年を迎えた労働者を再雇用する場合
 2.本人との間に合意があった場合

 それ以外について,期間の定めのない労働契約を締結していた労働者を有期労働契約に切り替えることは許されない。
 また,これまで新規採用者について期間の定めのない契約の労働者として採用した方針を,有期契約労働者のみ採用する方針に変更するなど、有期労働契約を期間の定めのない労働契約の代替として利用することは、法改正の趣旨に反し許されない。

 因みに,厚生労働省『早わかり改正労働基準法 決定版』労務行政(2003年10月23日)によれば,ご丁寧にも次のようなQ&Aが明示されている。
Q 今回の有期労働契約の見直しについての改正に伴い,現在,期間の定めのない労働契約を締結している労働者について,3年間の有期労働契約に変更することが可能でしょうか?」
A 労働契約の変更に際しては,労使当事者間の合意が必要ですので,少なくとも,使用者側の一方的な意思表示により,現在の期間の定めのない労働契約を有期労働契約に変更することはできません。
 このため,労働契約の変更について,まずは,労働者の意思を確認した上で,本人の同意を得るといった手続きが必要でしょう。」(30ページ)

(2)「本人との間の合意」により有期労働契約を結んだ場合,必要な手続きは何か?

 この点について,以下の労基法第14条2項に基づき定められた「有期労働契約の締結、 更新及び雇止めに関する基準」を遵守することが求められる。

現行労基法第14条2項

「厚生労働大臣は、期間の定めのある労働契約の締結時及び当該労働契約の期間の満了時において労働者と使用者との間に紛争が生ずることを未然に防止するため、使用者が講ずべき労働契約の期間の満了に係る通知に関する事項その他必要な事項についての基準を定めることができる。」

    ↓
有期労働契約の締結、 更新及び雇止めに関する基準
(「雇止めに関する基準」告示)
(平成15年10月22日・平成15年厚生労働省告示第357号)

(契約締結時の明示事項等)
第1条 使用者は,期間の定めのある労働契約(以下「有期労働契約」という。)の締結に際し,労働者に対して,
当該契約の期間の満了後における当該契約に係る更新の有無を明示しなければならない。
2 前項の場合において,
使用者が当該契約を更新する場合がある旨明示したときは,使用者は,労働者に対して当該契約を更新する場合又はしない場合の判断の基準を明示しなければならない。
3 使用者は,有期労働契約の締結後に前2項に規定する事項に関して変更する場合には,当該契約を締結した労働者に対して,速やかにその内容を明示しなければならない。

(3)有期労働契約を更新する場合又はしない場合の判断基準の明示とは具体的にどのような内容か。

 厚生労働省労働基準局編『改正新版 労働基準法(上)』労務行政(2005年3月3日)によれば,一般企業の場合,「契約期間満了時の業務量により判断する」「労働者の勤務成績,態度により判断する」「労働者の能力により判断する」「会社の経営状態により判断する」「従事している業務の進捗状況により判断する」等を例示としてあげている。
 なお,これらの事項は,「トラブルを未然に防止する観点から,使用者は労働者に対して書面を交付することにより明示されることが望ましい」とされている。

 労基法第14条の規定に基づき全教員の「任期制」導入を図ろうとする横浜市立大学は,これまで期間の定めを持たない教員に対して,昇任審査を通過していても,新たな有期労働契約に同意しない限り法人として発令しないという対応をとっている。いうならば,本人の自由意思であるべき労働契約の締結に際して,身分・待遇・労働条件の不利益を無期限に余儀なくさせるとともに,昇任と引き替えに有期労働契約への「合意」を強要しており,違法である

 また,本人との間で有期労働契約の合意を取り付けた場合においても,当該契約を更新するか否かの具体的判断基準を本人宛明示していない限り,「雇止めに関する基準」告示に反している(「雇止めに関する基準」は行政指導の根拠とするものであり,使用者がこれに違反した場合,法律上何らかの効力が発生するというものでは残念ながらないらしい。ただし,大学に対して労基署からの行政指導が入る余地はある)。

 

 

昇任人事に関する声明
横浜市立大学教員組合
2006
712

 公立大学法人横浜市立大学当局は、2006627日に昇任予定者に対して労働契約書を示し、 630日までに署名押印して提出するよう求めた。このプロセスを実際に体験した組合員からの声は「組合週報」(630)に掲載したところであり、そこには当局の不誠実な対応ぶりが如実に示されている。

 当組合が確認した情報によれば、今回の昇進予定者のうち2割を超える教員が、昇任の条件として任期制を受け入れることはできないことを主な理由として、契約書への署名押印を拒否した。ただし、これにより今回の審査過程で承認された昇進資格は消滅することなく、無期限に留保されていることが4月末の団体交渉における当局答弁で確認されている。当組合は、任期制を拒否した先生方と連帯して、任期制受け入れを条件とせずに昇進させるよう当局に求める原則的立場を貫いてゆく所存である。

 任期制に同意して昇進人事を受け入れた先生方については、労働契約書には「任期5年(再任あり)」と記されているのみで、再任条件に関する記載はなく、口頭での説明もなされなかった。これは、再任条件の明示を義務づけている任期つき労働契約締結に関する法的要件を欠くものであり、当局の示した契約書は違法性の高いものである。団交等の場における当組合の追求に対して、当局はこれまで「普通にやっていれば再任される」という発言を繰り返すばかりで、「普通」の定義については一切説明してこなかった。このような態度は法が禁じる不誠実対応そのものであり、この状況を放置すれば、5年後の再任審査の時点で教員側にとって不利な事態を招く恐れが強い。当組合は組合員一人ひとりの選択を尊重しつつ、どのような場合にも組合員の側に立ち、組合員の権利擁護の戦いに継続的に取り組んでいく。以上、声明する。

以上

 

 

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712(2) 学内でヴォランティア(アピール参加者を中心とする人々)が行っている教育基本法の研究会・勉強会(逐条的検討)には、参加者が増えている。秋までに、この輪がさらに広がることを期待したい。こうした人々の希望により、

生協書籍部には、憲法・教育基本法のコーナーが作られた。

 

勉強会の参考文献は、次のようなものである。
  大内 裕和/高橋 哲哉 『教育基本法「改正」を問う愛国心・格差社会・憲法』白澤社
  成嶋隆「「教育基本法案」逐条批判-《道徳律》内面化の巧妙なしかけ」『世界』第754
 (20067月)

 参考サイト
 「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」作成の法案対照表:
 http://www.kyokiren.net/_recture/

 

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712(1) 教員組合週報が届いた。任期制契約の文書に署名した教員に関して、「5年後の再任審査の時点で教員側にとって不利な事態を招く恐れが強い」のは事実であるが、その不安・不確実さが、それまでの5年間の日々の研究教育活動に与えるマイナスの影響(精神的自由の拘束)にも、十分留意しなければならないだろう。不当なことにも、任期更新の縛りのために萎縮し、自由な発言ができない恐れはないか? 若い人々の精神的隷属化が進行しないか?

 

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横浜市立大学教員組合週報
                            
組合ウィークリー
                                                            2006.7.12

                        
昇任人事に関する声明
                                                  
横浜市立大学教員組合
                                                        2006
712

 
公立大学法人横浜市立大学当局は、2006627日に昇任予定者に対して労働
契約書を示し、630日までに署名押印して提出するよう求めた。このプロセス
を実際に体験した組合員からの声は「組合週報」(630)に掲載したところで
あり、そこには当局の不誠実な対応ぶりが如実に示されている。
 当組合が確認した情報によれば、今回の昇進予定者のうち2割を超える教員が、
昇任の条件として任期制を受け入れることはできないことを主な理由として、
契約書への署名押印を拒否した。ただし、これにより今回の審査過程で承認さ
れた昇進資格は消滅することなく、無期限に留保されていることが4月末の団
体交渉における当局答弁で確認されている。当組合は、任期制を拒否した先生
方と連帯して、任期制受け入れを条件とせずに昇進させるよう当局に求める原
則的立場を貫いてゆく所存である。
 任期制に同意して昇進人事を受け入れた先生方については、労働契約書には
「任期5年(再任あり)」と記されているのみで、再任条件に関する記載はなく
口頭での説明もなされなかった。これは、再任条件の明示を義務づけている任
期つき労働契約締結に関する法的要件を欠くものであり、当局の示した契約書
違法性の高いものである。団交等の場における当組合の追求に対して、当局
はこれまで「普通にやっていれば再任される」という発言を繰り返すばかりで、
「普通」の定義については一切説明してこなかった。このような態度は法が禁じ
不誠実対応そのものであり、この状況を放置すれば、5年後の再任審査の時点
で教員側にとって不利な事態を招く恐れが強い。当組合は組合員一人ひとりの
選択を尊重しつつ、どのような場合にも組合員の側に立ち、組合員の権利擁護
の戦いに継続的に取り組んでいく。以上、声明する。

 

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昇任・昇格人事において、不明確な条件で任期制への同意を迫るやり方は、組合がこれまで厳しくその違法性(不利益変更)を指摘してきたことであり、全国の大学で進展する任期制導入の傾向の中でも、特異なもの・異常なものである。最新情報では、京都工芸繊維大学の任期制導入に関しても、新しい採用人事に関してであり、長く公立大学に勤務していた教員(定年までの身分保障のあった教員)に対するものではないことを明らかにしているようである。(全国国公私立大学の事件情報)

       教員組合がつかんでいるところでは、明確に当局提示の任期制同意文書にサインしたのは「2割以上」とのことだが、逆に言えば、何人かの人が同意したということなのだろうか。どれくらいの人がこのような不明確な雇用契約でも「同意」したのだろうか?

昇進・昇格の研究教育業績があって大学における昇任審査を終了していても、任期制に同意しない限り法人として発令しない(身分的経済的不利益の強制)という強制的措置だとすれば、それに長くは抗し得ない人がいることは、厳しい現実である。しかし、組合が努力しているように、違法性をはっきりさせて、粘り強く交渉を続け、場合によっては、何らかの形での裁判も視野に入れることになるのではなかろうか。

それにしても、京都工芸繊維大学は、まだ普通の大学であり、下記ニュースによれば、教授会審議事項などもきちんと明確である。本学のような人事委員会のあり方とは違う。その点だけを取ってみても、どのような不利益措置・恣意的措置が、弱い立場の教員に加えられるかも知れず、その不安感・不公平感に戦々恐々としながら研究教育を行わざるを得ないとすれば、これは自由で創造的な雰囲気の大学とはとても言えないであろう。それは、数年、十年とたつうちに、どのような大学にするであろうか? はじめから弱い立場であるために、任期制を前提とし、「任期制で採用された教員」が増えてくることは確実だとすれば、そのような大学とは・・・任期制教員に不安感を抱かせないようなテニュア制度の提示はどこにあるか?いつまでも身分保障のない大学では、自由はない。

学則や就業規則などに必要な訂正を加えることが求められるであろう。

 

---------全国国公私立大学の事件情報---------- 

20060712

京都工芸繊維大学職員組合、「任期制は、本学教員の身分保障の根幹を揺るがすものである!」

京都工芸繊維大学職員組合
 ●くみあいニュースNo.10、シリーズ これでいいのか、任期制 1
 ●くみあいニュースNo.11、シリーズ これでいいのか、任期制 2

 

 

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710(3) 先週末、NOBという学生有志の団体と教員組合の共催(協賛?)による大学改革問題のシンポジウムがあった。

いろいろ問題点が指摘されたが、私にとって一番印象的だったのは、トフル500点をクリアした学生諸君のための「上級プログラムがない」という熱心な(向上心ある)学生の訴えであった。

学生諸君の具体的な要望をどこにもって行ったらいいのか、学生諸君も非常に困っているようだった。

「学生自治会」というものがあるが、それは実質的にはクラブ活動諸団体の組織(予算配分も)になっているようで、普通の学生からでるカリキュラム等に関する希望・不満などをまとめて、しかるべき当局者と話し合う組織とはなっていないようである。有志の働きかけだと、学生の声を代表するものではない、といわれるそうである。現在の学生の在り方からすれば、すべての学生の要望は散発的なものとして無視できるということになる。

学生参加による自主的な大学改革、大学改善の道筋がない、というのが現在の重要問題のひとつであろう。教員組合が、このような状況に置かれた学生諸君の希望や不満をくみ上げ、しかるべき道筋を付ける援助をするとすれば、教員組合の活動も、学生からの信頼の厚いものになっていこう。今回のシンポジウムは、その最初の試みということになろうか。

 

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7月10日() 国際教養系の教員(発起人代表・藤川芳郎教授)を中心に、リベラルアーツ研究会が発足してから、すでに3ヶ月ほどになる。今回の改革の目玉が、「プラクティカルなリベラルアーツ教育」とされるが、それが一体なんであるのか? 意味不明の言葉だけの「改革」に対して、現代のリベラルアーツのあり方を教員の研究を通じて明らかにすることは大切であろう。

第1回、滝田祥子先生の報告(日系アメリカ人の強制収容に関するオーラルヒストリー)、第二回、木下芳子先生の報告(英国在外研修などを活用した日英の児童調査をもとに行った民主主義意識の実証研究、その成果=国際学術雑誌掲載の英語論文の紹介)、第三回、新任の松井先生(人間科学コース、応用倫理担当、これまでの研究に関して著書のエッセンス紹介)の報告と、それぞれ興味深い報告と討論であった。

 

7月27日(木曜日)16:30−18:00に、第4回の研究会が開催される。

リベラルアーツに関する認識(それに基づく教育実践)は、まずは教員自身が深め豊かにしていくべきものであろう。その意味で、研究会は非常に重要であり、リベラルアーツ研究会は有意義な研究会だと考える。たまたま第1回研究会に出席したら、その場で世話人の一人になることとなった。そして、このたび第4回研究会の実務(会場設定と案内作成・配布)担当となった。報告も運営も、持ち回りでみんなで維持していこうというところである。

国際教養系に限らず、リベラルアーツとは何か、どのように深め豊かにしていくべきかに関して、国際総合科学部のなかで学問分野を問わず関心のある方々の参加を、そしてご報告と議論を期待したい。

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リベラル・アーツ研究会

《第4回例会のお知らせ》

 

今回は上杉忍先生が最近公刊され、『朝日新聞』書評等で取り上げられた翻訳書に関して、ご報告いただきます。

ふるってご出席くださいますよう。

 

           記

日時:7月27日(木)、1630分から1800まで

場所:小会議室(商文棟5階)

発表者:上杉 忍 先生

報告内容:セオドア・ローゼンガーテン著上杉忍・上杉健志訳『アメリカ南部に生きる―ある黒人農民の世界―』採流社、20065月刊をめぐって。

                      以上

      

 

(第4回研究会担当世話人:永岑三千輝)

 

 

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7月10日() 北朝鮮ミサイル発射実験に関して、日本政府・与党およびマスコミは、過熱化した行動・報道を行っている。ミサイル発射実験はインドも行っており、北朝鮮の実験との違いは何か、どこが違うのか、きちんと整理してみていく必要がある。公海に達するミサイルやロケットの発射を、事前通告なしに行うことは、航空機や船舶に危険を及ぼすものであり、国際ルールに違反するであろう。その点はきちんと厳しく批判すべきであろう。実験をやらざるをえないとすれば、すくなくとも正々堂々、国際法のルールに則って実験を行うべきであろう。

しかし、他方で、アメリカ政府と日本政府が、一方的に北朝鮮を非難し制裁するような態度は、疑問である。長年、北朝鮮封じ込め的な戦略を取ってきたことが、北朝鮮を降下させている側面も見る必要があろう。自衛力を持つことが正当な権利であるなら(それを理由に日本は憲法9条があるにもかかわらず、巨大な自衛力を構築している)、そのひとつに、ミサイルの保有・実験があるとしても、北朝鮮だけを責めるわけには行かないであろう。北朝鮮を「ならず者国家」として、普通の国から排除する論理の上で、北朝鮮のミサイル実験については問題としているようだが、それは妥当か?

今回の日本政府のあり方、日本マスコミの過熱化したあり方と違って、アメリカはもっと冷静な対応のようである。(cf・田中宇HP)

 

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75(3) 下記のようなフォーラムとそれを紹介するブログがあることを、公共哲学ネットワークで知った.

世界平和フォーラム2006@バンクーバー 報告ブログ

 

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75(2) 本学元教授・佐藤真彦氏のHPで、将棋界のスキャンダル問題と関連して、門真市議の戸田氏に関する事件(裁判事件)を知った。何か、遠い過去の政治弾圧の話を読むようで、これがいまの日本で起きていることとすると、空恐ろしい。憲法「改正」、自衛隊の全世界への派遣合法化といった政治潮流とも、内面的には関連するように感じられる。その背後に、日本の世界的企業もその一端を担うグローバル化、そのグローバル化のの荒波を弱いものに転嫁する力学構造・利害対立がある。すなわち、コストダウンの達成を弱小業者や労働者にしわ寄せするゼネコンや大手セメント業界の利害がある。こうした構造は、他の業界に多かれ少なかれ共通していることではあるまいか。(関連の『財界展望』記事)長期不況下におけるフリーターや非正規社員などの増加にも露呈する圧力要因である。

巨大な勢力の狭間・足元に置かれて迫害されるユダヤ人の立場は、現在の日本においても、存在している。「全国・各界に広がる「弾圧糾弾!連帯関生支援!」の声には、非常に多くの著名人が賛同しているようで、本学関係者では、田中正司名誉教授が加わっておられるようだ。

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75(1) 現在の憲法はいたるところで無視され、その無視した現実(たとえば、自衛隊の海外派遣)を正当化するために憲法改正(9条改正)が行われようとしている。その前提となるのが、改憲手続法であり、「国民投票法案」である。その恐るべき内容が、自由法曹団の団長(坂本氏)によって明らかにされている。そのファイルにリンクを張っておこう。

--------「全国国公私立大学の事件情報」より-----

危険なカラクリ・「改憲手続法」の阻止を

全労連
 ●危険なカラクリ・「改憲手続法」の阻止を

 

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73(2) この間、『カメリア通信』第41号が発行されたことを知った。医療ミス事件、不当配転問題の人事委員会審理の様子が、一楽教授によって紹介されている(29日付の傍聴記録オリジナルは、一楽教授研究室HP)。問題の根源は、「医療ミスかどうか」、その医療ミスが適切に処理され、再発防止体制がとられたかどうか、といった点にあると思われるが、「医療ミス」、担当医の能力不足などを指摘した松岡医師が逆に配転されてしまい沈黙させられようとしたのではないか、という論点がますますはっきり浮かび上がってきているように思われる。

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            松岡慈子先生不当人事不服審査 第4回公開口頭審理を傍聴して

             横浜市立大学の未来を考える『カメリア通信』第41号(2006.7.1)

 

 

 

 

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73(1) 意見広告の会ニュースを転載しておこう。

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「意見広告の会」ニュース351

*ニュースの配布申し込み、投稿は、
  qahoujin at magellan.c.u-tokyo.ac.jp まで、お願い致します。
*迷惑メール防止のため@atに書きかえています。アドレスは@に直して下さい。
*「投稿」の場合は、その旨を当初から明確にしていただけると、確認のための時間が
かかりません。ご氏名、ご所属等の掲載方法などもご指定下さい。


** 目次 **
1 京都府立医科大学と京都府立大学の法人化に反対する
           
京都府職員労働組合大学部会

2−1 APU常勤講師「雇い止め」事件の迅速で公正な仮処分命令を求める大分地裁宛
ネット署名のお願い
2−2 立命館アジア太平洋大学の常勤講師「雇い止め」事件の迅速で公正な地位保全
仮処分命令を求める要請書
 *APUについては、更にサイト「全国国公私立大学の事件情報」をご覧下さい。

3 なぜ、日本の大学の学費が高いのか?
           
池内了(総合研究大学院大学)
       日本物理学会雑誌6月号より 著者の許可を得て転載


***
1 京都府立医科大学と京都府立大学の法人化に反対し、歴史と伝統、地域に根ざした
両大学の発展を訴えます。
      京都府職員労働組合大学部会

 現在、京都府立医科大学と京都府立大学を法人化するための計画づくりが振興してい
ます。しかし、国公立大学の法人化は、この間の経験から明らかなように、国民や住民
にとって、決して歓迎すべきことではありません。
 国立大学は、2004年4月、すべて、独立法人に移行しました。公立大学でも、翌
年4月以降、法人化する大学が現れています。法人化した大学は、経営的観点にもとづ
く「効率化」を進めることを求められ、大学への交付金は、毎年、削減されます。その
結果、教育研究費が不足し、教育研究活動に直接の支障が生じています。教員は、法人
化に伴う新たな業務や外部資金の獲得に駆り立てられ、教育・研究に専念できない状態
です。また、教職員の削減や任期制の導入が強行されており、それらは、教育・研究の
質の低下を招いています。さらに、将来的には、法人化から6年後に、「実績」が評価
機関によって「評価」され、「評価」次第で、大学や学部が廃止される可能性すらあり
ます。
 府立の両大学が法人化されれば、両大学においても、このような様々な弊害が生じる
にちがいありません。サービスの提供という視点からすれば、両大学の法人化は、京都
府民はもとより、国内外の大学関係者に対するサービスの低下をもたらすのです。たと
えば、法人化により、両大学は、現在でも高額な学費をさらに引き上げざるを得ない状
況に追い込まれることでしょう。府立医科大学附属病院は採算の取れない分野からの撤
退を余儀なくされ、府民への医療サービスは低下することでしょう。また、両大学の教
育・研究条件はいっそう劣悪なものになるでしょう。
 京都府立医科大学と京都府立大学は、ともに輝かしい歴史と伝統をもち、多数の優秀
な人材を輩出するとともに、教育と研究、医療提供の面において、社会に多大な貢献を
してきました。私たちは、両大学が進めてきた社会貢献の流れを押しとどめる法人化に
ね強く反対します。
 大学の法人化をめぐって進行している事態を広くお知らせし、同時に、府立両大学の
発展方向を示すために、この度、パンフレットを作成しました。多くの関係者の皆さん
にご一読いただき、両大学の法人化の動きに対して反対の声を上げていただくことを願
っています。
 
 
     京都府職員労働組合大学部会
       同   府立医科大学支部
       同   府立大学支部


2−1APU常勤講師「雇い止め」事件の迅速で公正な仮処分命令を求める大分地裁宛ネ
ット署名のお願い

 立命館アジア太平洋大学(APU)において,今年3月末をもって不当解雇された常勤講
師の先生1名が、518日,大分地方裁判所に「地位保全の仮処分申請」を行いました


 現在,同常勤講師が所属する大分地域労働組合が,仮処分裁判に勝訴すべく支援活動
を精力的に展開しています。その一環として,下記のサイトにて,大分地裁宛「要請書
」についての賛同署名活動を行っています。

ネット署名サイト
http://university.sub.jp/apu/saiban/
大分地域労働組合による支援要請文
http://university.sub.jp/apu/saiban/index.php?job=yobikake2

是非,多くの大学関係者の皆様が,下記「要請書」を読んで不当解雇の経緯等を知って
頂き,署名にご協力下さいますようお願い申し上げます。


2−2 要請書
大分地方裁判所 民事第二部
神野泰一裁判官 殿

立命館アジア太平洋大学の常勤講師「雇い止め」事件の迅速で公正な地位保全仮処分命
令を求める要請書

 立命館アジア太平洋大学(以下APUという)は、一応の任用期間が切れた常勤講師
に対して、平成18年3月31日をもって雇い止めを強行しました。
 この雇い止め事件は、APUが開学前に常勤講師に対して「4年契約の後も契約を継
続できる」と約束したにも拘らず、昨年突然に、平成18年3月末に一応の任用期間が
終わる常勤講師から、次々と「雇い止め」することを通知してきたことから起こった事
件です。
 APUは2000年4月に開学しましたが、開学前の1999年10月24日に、就
任予定の日本語教員を京都に集めての説明会で、常勤講師たちの質問に答える形の『質
問リスト』を配布しました。その質問リストの19項に「4年後の更新について知りた
い」という項目があり、それに「一応任期はあるが、本人が望めば60歳の定年まで更
新ができる。ただし昇格も昇給もない」と説明し、継続雇用を約束しました。
 この説明会に出席した常勤講師は、雇用契約の更新が約束されたことを確認して、他
大学への応募を取りやめ、又は、他大学の職を辞してAPUに着任しました。
 このことは、この説明会に参加した常勤講師14名全員を含めた16名の教員が、「
4年後も契約を継続できるが、条件・待遇は変わらない」「どうぞ定年までいて下さい
」と説明を聞いたと、連名で署名していることからも、また数名の常勤講師が説明会の
『質問リスト』に、説明内容をメモ書きで残していることからも明らかです。
 貴裁判所へ提出している教員7名の「陳述書」でも、「継続雇用を確認して、退路を
断って着任した。当時、その約束がなければ着任していなかった」と経緯を陳述してお
り、APUが開学前の『継続雇用』の約束をしたことは、まぎれもない事実です。
また、APUは今後4年間で学生数の1.5倍化を目指し、新たに上級講師・嘱託講師・任
5年の教員の募集もしており、依然として日本語教員の必要性が高いのです。この点
からも、既に4年間の教育・研究経験を有する常勤講師の「雇い止め」が、理不尽で不
当なものであることは明らかです。
 教育・研究の場を奪われることは大学教員としても生活者としても死活問題であり、
約束に反して雇い止めにされた常勤講師の計り知れない苦痛に、私たちは深く心を痛め
ています。
 私たちは、貴裁判所が早急に公正な判断を行い、地位保全の仮処分命令を下されます
よう要請いたします。

提出者代表
大分地域労働組合 執行委員長   池本 和之


3 なぜ、日本の大学の学費が高いのか?
  ー二〇〇六年問題を前にしてー
          池内 了(いけうち さとる、総合研究大学院大学)
  
高学費の根源
 表題への解答は単純簡明に答えることができる。日本の高等教育に対する公財政支出
が少ないから、の一言につきるからだ。高等教育費の対GDP比率の国際比較を行うと
、日本は〇.四八%にしか過ぎず、OECD諸国の平均の約一%の半分以下でしかない
(二〇〇四年度実績)。フランスやドイツの一.〇%、アメリカの一.一%、イギリス
の〇.八%と比べると有意に少ないのだ。因みに、これらの国々の高等教育(大学・短
大段階)の在学率(=在学者数/当該年齢人口)はいずれも五〇%前後で日本とほぼ同
一である。(対GDP比率は、国ごとの財政システムが異なるので単純比較が困難な側
面もあるが、投資額として意味がある数値と考えてよい。)
 その結果として、アメリカとカナダの教育政策研究所の調査「グローバル高等教育ラ
ンキング2005」によれば、先進諸国・地域一六カ国の学費・生活費・奨学金を基に
した国際比較では総合で日本は最下位となった。つまり、公費による負担は最も少なく
(わずか一三.一五%)、私費負担が最も重い一六位であったのだ。日本では私学が多
く(学生数の七五%が私学)、私学への公費支出が少ない(経常費補助率は約一二%)
状況を考えると、私学の学生の私費負担はさらに高いと言わざるを得ない。(学生一人
当たり公費支出額の公私の格差は三〇対一になっている。)実際に、国民一人当たり個
人消費支出に対する授業料の割合は、国立大学が四五.三%、私立大学が七〇.二%(
二〇〇三年度実績)で、まさに「経済的格差による教育上の差別」が生じているのだ。
大学進学率がこの数年四九%で頭打ちになっているのは、格差社会が常態になり、国民
の階層分化が生じているためと考えられる。
 このような異様とも思える日本の高等教育の高学費の根源は、まず日本政府の「国家
に教育権がある」との姿勢にあるだろう。一八八六年の「帝国大学令」第一条の「国家
の枢要に応ずる学術技芸を教授」以来、百年以上経ってもその基本姿勢は変わっていな
いのだ。現に、一九九七年の文部省(当時)から大学審議会に出された「諮問」でも、
「我が国全体の知的ストックの形成による国力の維持」と「新規産業創出分野などへの
人材受容への配慮」を求めており、国家に寄与する人間の養成が大学の第一目標なので
ある。国民の誰しもが能力に応じて教育を受ける権利がある、という「国民の教育権」
の思想は無視されたままと言えよう。

無償教育の漸進的導入
 そのことは、国際連合が一九六六年に採択した国際人権規約(社会権規約)第一三条
(教育に関する権利)の2項(c)に対する、歴代日本政府の態度からも推し量ること
ができる。この項は、「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸
進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとす
る」と定められている。その根源には一九四八年に採択された世界人権宣言第二六条の
「すべての者は、教育についての権利を有する。(中略)高等教育は、能力に応じてす
べての者に対して均等に機会が与えられるものとする」があり、経済的格差による教育
上の差別がないよう配慮することが求められたのだ。それに従い、先進諸国では各国な
りに高校や大学における「無償教育の漸進的導入」の努力を続けてきた。それが高等教
育への公財政支出となって現れているのである。
 ところが、日本政府は一九七九年に国際人権規約を批准したのだが、「『特に、無償
教育の漸進的導入により』に拘束されない権利を留保する」と宣言し、現在もなおその
態度を堅持し続けている。その結果として、家庭の経済事情によって大学進学を断念す
る学生が増えているなど、経済的格差による教育上の差別が生じているのだ。社会権規
約を批准している国は一五一カ国あるのだが、第一三条2項(c)を留保しているのは
、ルワンダとマダガスカルと日本のみなのだ。(アメリカは、例によって国際規約によ
って縛られることを嫌い、社会権規約のすべてを批准していない。)
 これまで度々国会でこの問題が取り上げられてきたが、日本政府が固執する留保の理
由は、私学の比率が高いので公立との均衡をとるのは不可能であり、進学率が高まり財
政的に達成できない、というものである。一気に「無償」は不可能ではあるにしても、
授業料免除制度の拡充や奨学金の充実など「漸進的」な施策はいくらでも取りうるのに
、留保することによってそのような努力もしないと宣言していると言えよう。実際、初
年度納付金は、一九八五年を一〇〇として、二〇〇三年度は国立大学で二一五.八、私
立大学で一四一.六となっている。この間の物価上昇率は一一三.九であったことを考
えると、政府は無策のまま高学費を容認しているのである。
 参考のために、大学入学者の初年度納付金を書いておく。私立大学平均(二〇〇四年
)では、授業料、入学金、施設設備費の合計で、文系一一四万円、理工系一四〇万円、
薬学系二二四万円、医歯系五〇六万円、である。国立大学は、二〇〇五年の授業料値上
げによって、入学金と併せて八一七八〇〇円となった。(私が大学に入学した一九六三
年では一三〇〇〇円であった。なんと、六三倍である。当時、一万円あれば一ヶ月楽に
やってゆけたことを考えると、学費の異常な高騰ぶりがはっきりとわかる。)
 
比較のため、簡単に諸外国の学費・奨学金事情を述べておこう。イギリスでは、受益
者負担原則が導入されて約二〇万円(二〇〇六年から最高六〇万円)の授業料が徴収さ
れるようになったが、卒業後後払い制度と授業料免除(四割の学生)が認められている
。また、貸与奨学金の返済も年収が三〇〇万円を超えた時点からという粋な制度となっ
ている。ドイツは無償であったが、大学教育行政が州政府権限となって有償化(五年以
上の在学者から徴収)される見込みである。一般にアメリカの学費は高いと言われてい
るが、連邦政府の給与・貸与の奨学金は七四四億ドル(八兆五千億円、二〇〇〇年)で
、学生全体の七割が奨学生となっている。(日本の六八二〇億円(二〇〇四年)と比べ
一〇倍以上の差違がある。)スカンジナビア諸国、デンマーク、フランスの授業料は無
料である。いかに日本の学生が高学費を強いられ、安い奨学金しか措置されていないこ
とがわかるであろう。

私学補助に関して
 私学への公費助成に関して、憲法によって禁止されているという言説がある。その出
所は、二〇〇五年三月参議院予算委員会において、小泉首相が憲法第八九条「公の支配
に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し公金の支出は禁じられていること」を
持ち出し、私学への公費助成に消極的な姿勢を示したことにあると思われる。しかし、
これは憲法の精神を踏みにじった曲解である。私学が公共的な性格を有していることは
既に認められた事実であり、決して「公の支配に属しない」事業ではないからだ。現に
、一九五〇年から施行された私立学校法には「私立学校の特性にかんがみ、その自主性
を重んじ、公共性を高めることによって、私立学校の健全な発達を図ることを目的とす
る」と書かれ、私学の公共性が認知・奨励されているのである。
 さらに、一九七五年に成立した私立学校振興助成法では、「国は、大学又は高等専門
学校を設置する学校法人に対し、当該学校における教育又は研究に係る経常的経費につ
いて、その二分の一以内を補助することができる」としており、私学への公費助成は憲
法と整合的に行使されてきたのだ。であればこそ、私立大学も国が認可した認証評価機
関の認証を受けなければ廃校もあり得ることを許容しているのだ。(なお、この私立学
校振興助成法成立時の国会付帯決議には、「できるだけ速やかに二分の一とするよう努
める」という文言も付されている。現在の私学への経常費補助率が約一二%であること
を考えれば、いかに国がサボっているかがわかろうというものである。)

受益者負担の原則?
 その根底には、高等教育を受ける学生は「受益者」であるとみなしていることにある
。そして「受益者負担が原則」などという言辞が政府や財政当局者から出され、それに
従わされているのが現状だろう。法律用語では「受益者」とは、「特定の公共事業の施
行により特別の利益を受ける者」と定義されている。従って、「受益者負担」は「特定
の公益事業に必要な経費に充てるため、その事業により特別の利益を受ける者に負わせ
る負担」となる。教育は特別な利益を個人にもたらすから、教育に関する経費は自己負
担せよ、というわけだ。
 しかし、教育は特別な個人の利益のみなのだろうか。本来教育は、人権の一部であり
、発達保障のためになされるものである。また、未来の社会・経済を担う人間を養成す
る公共的な性格も持っている。すべての人に能力に応じて必要かつ適切な教育を平等に
保障するのが国家の義務であり、家庭の経済的な格差による教育上の差別がないように
措置されるべきなのである。
 百歩譲って、高等教育を受けた者が受けていない者より生涯賃金が多いから受益者で
あるとしよう。しかし、高等教育を受けたいと望む人間は、未来の受益者であって、そ
の段階ではまだ利益は発生していない。「特別の利益」を得るようになってから負わせ
るのが本来の受益者負担ではないだろうか。例えばイギリスでは、授業料の卒業後払い
制度を導入しており、貸与奨学金も卒業後年収が一.五万ポンドを超えた時点から返済
開始すると決められている。利益の発生後の負担を原則としているのだ。
 むろん、私は高等教育の無償教育を直ちに実行せよと言うのではない。高等教育の公
共性を認め、せめて高等教育への国家予算を先進国並に引き上げるべきことを主張して
いるのである。まさに「漸進的」に無償教育に向かって努力するのが政府の成すべきこ
とと考えているのだ。誰でもが経済的な問題の懸念なしに高等教育を受けられるように
することこそが国家の役割であり、入口のところで「機会不平等」を課すべきではない
のである。またイギリスの例を持ち出せば、年収一万ポンド以下の低所得家庭の就学困
難学生を対象に年額一〇〇〇ポンドの奨学金給付を行い、授業料免除を受けている学生
が四割にもなる。授業料を徴収しているイギリスでも、経済的困難者にも高等教育を受
ける権利を保障しているのだ。
 ところが、国立大学法人移行二年目で授業料標準額を値上げし、日本学生支援機構(
かつての日本育英会)は半分以上を有利子奨学金とすることになった。競争原理に基づ
く経済論理に従った大学経営が貫徹されようとしているのだ。このままで行けば日本の
大学の高学費・高負担はまだまだ続きそうである。

変化の兆し
 しかし、変化の兆しはある。中央教育審議会の二〇〇五年一月二八日の答申「我が国
の高等教育の将来像」において、「学生個人のみならず現在及び将来の社会も高等教育
の受益者である」という認識を初めて示したのだ。社会も受益者として位置づけ、高等
教育の公共性を広言したことになる。そこから必然的に、「高等教育への公財政支出の
拡充」を行い、「公的支出を欧米諸国並みに近づけていくよう最大限の努力が払われる
必要がある」と述べるに至った。学生の納付金が国際的に見ても高額化しており、「高
等教育を受ける機会を断念する場合が生じ、実質的に学習機会が保障されないおそれが
ある」という現実を認めざるを得なくなったためだろう。私立大学に対しても、高い公
共性を持つと評価し、基盤的経費の助成を進めるべきことも言及している。中教審委員
にも、余りに貧弱な高等教育政策に苛立ちの気持が出てきたのかもしれない。(もっと
も、一九七一年の答申でも「公費負担の強化」を謳ったけれど体よく無視された経緯が
ある。)

二〇〇六年問題
 もう一つ重要なことは、二〇〇一年九月に国際連合の社会権委員会は、「日本政府に
対する最終見解」をまとめて「提言及び勧告」を行ったことである。そこでは、日本政
府に対して、国際人権規約第一三条2項(c)(「無償教育の漸進的導入」)の「留保
を撤回する意図がないことに特に懸念を表明」した上で、「留保の撤回を検討すること
を要求」し、「報告を二〇〇六年六月三〇日までに提出し、その報告の中に、この最終
見解に含まれている勧告を実施するためにとった手段についての、詳細な情報を含める
ことを要請する」となっている。国連の組織からの要請事項であり、日本政府は回答す
る義務があるのだ。ところが、経済大国と言われる日本として留保継続は恥ずべきこと
であるが、現在のところ変化はなさそうである。(これでは常任理事国入りも無理であ
ろう。)
 これに対し、有志によって「国際人権A規約13条の会」を発足させ、日本政府に対
し、期日までに「無償教育の漸進的導入」の留保撤回を要求している。これを「二〇〇
六年問題」と呼び、全国各地の取り組みや国連人権(社会権)委員会への働きかけを強
めてきた。(留保撤回にならない場合、引き続き会を存続させ運動を継続する所存であ
る。)多くの方々の参加を望みたい。(事務局は、龍谷大学角岡研究室。)

おわりに
 日本社会は勝ち組と負け組に分化し、厳しい格差社会になろうとしている。その中で
、文化を継承し発展させる上で不可欠の教育まで市場原理にさらされ、経済的格差によ
る教育的上の差別が顕在化しつつある。「教育が人格の完成及び人格の尊厳についての
意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべき」(国際人権
規約第13条)であり、経済的理由で教育を受ける権利を奪われることがあってはなら
ない。しかし、日本は、特に高等教育の高学費の負担によって、学ぶことを断念する若
者も増えている。これは将来の日本にとっても由々しき問題と言わざるを得ない。
 その基本的解決には、公的予算を増やして個人負担の割合を下げていくことであり、
「無償教育への漸進的導入」を日本政府に認めさせることである。そのことを強く訴え
たい。

参考文献
 本原稿は、田中昌人『日本の高学費をどうするか』新日本出版社を参考にした。また
、いくつかのデータは、シンポジウム「日本の高学費をどうするか」(二〇〇五年一二
月二二日開催、龍谷大学)の資料(国際人権A規約一三条の会事務局作成)から採った
。 

 

 

 



[1] かつての学則では、予算案などに関しても評議会審議事項であったが一度も審議事項として取り上げたことがなかったが、それにしても、現場で教育と研究を担う教員の日頃のさまざまの意見をくみ上げようというシステムが、教授会・評議会として存在した。