永岑・経済史講義のページ        

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最終更新日:2008418()

 

開講にあたって:

 

                                   

1.講義テキスト:

 大塚久雄『欧州経済史』岩波現代文庫、1000円・・・基本的に封建制から資本主義社会への移行の理解のために。

 主要サブテキスト:大塚久雄『共同体の基礎理論』岩波現代文庫、800円・・・基本的に封建制以前の諸社会の社会経済的原理の理解のために。

 

以上二つの書物(テキスト、主要サブテキスト)は、現代の古典ともいうべきものであり、大学生として座右の書として備えておいてもいいもの。

しっかりした古典を時間をかけて読むことは、過剰な情報(往々にして目先だけの解説、刺激的かもしれないが深みと長期的パースペクティヴを欠く軽薄なものが多い)で振り回されないための重要な方法[1]

   古典(マルクス『資本論』の翻訳をめぐる問題など、面白い文献:岡崎次郎『マルクスに凭れて60年』青土社、1983
    
   英語版の方が、邦訳よりもわかりやすいというので、第一巻第一章1,2節、およ美第4章だけをスキャン。
     Capital, Vol.1, Chap.1, Chap.4, 

 

講義はこれを各人が折に触れて読むことを前提に進める。

適宜、参照すべき箇所、読んでおくべき箇所を講義において講義メモなどによって指示する。

 

これらテキストには、多くの古典[2]的な参照文献が示されている。必要に応じ、興味の程度に応じ、関連文献を読むことを期待する。

 

一言、その古典の一つから一節を引用して注意を促しておこう。

すなわち、「真理を求める読者」は、それなりの「覚悟」をしなければならない。「学問には平坦な大道はありません。そして、学問の険しい坂道をよじ登る労苦をいとわないものだけに、その明るい頂上にたどりつく見込みがあるのです」Es gibt keine Landstraße für die Wissenschaft, und nur diejenigen haben Aussicht, ihre lichten Höhen zu erreichen, die die Mühe nicht scheuen, ihre steilen Pfade zu erklimmen.[3]

 

 

  通常の経済史テキストとしては、長期にわたり非常によく使われているものとして、、

石坂昭雄・船山榮一・宮野啓二・諸田實著『新版 西洋経済史』有斐閣双書がある。初版が1976年、新版が1985年なので、長い生命力をもっていることがわかる。

本講義でも、折に触れ、この本を活用したい。

 

 

 

2.希望したい受講の基本的態度

*歴史の大局的な基本的流れを掴み、具体的な現代の問題に対処しようとする方法的姿勢

*現代世界経済の発展傾向を貫く歴史的法則性を人類史的視野で把握する,自分の頭で考えてみるという姿勢で、講義を主体的聴講して欲しい。

*換言すれば、毎回の講義、そのために配布する資料・参考文献について、憶えるのではなく、批判的に検討し、理解する態度[4]で臨んで欲しい。

*自分の頭で考えるためには、できれば、参考文献、その引用箇所などを手がかりに、自分で直接、引用されている文献を図書館、書店などで手にとって通覧して欲しい。

そして、どんな文脈から引用しているのか、わたしのメモから受けた印象と本物とはどのように違うか、検討してみてほしい。そうすれば、きっと新たな発見がある。

引用箇所に関しては、一箇所でも面白い箇所がみつかれば、すばらしいことである。

さらに一箇所でも、熟読玩味する箇所に出会うことができれば、いうことはない。

その上、わたしが引用していない箇所で、自分なりに面白いと感じるところを発見できれば、なおさら、労は報いられる。

実際に手にとってみた本のなかから、座右の書として繰り返し(場合によっては一生の間、何回も)読みなおすような「自分のこの1冊」といったものが見つかると、この上なくすばらしい。

そして、その本が、人類史上の高い峰を形成するものであるならば、あなたの見地も世界的な高い峰にたつものとなっており、世界水準の高い山からのすばらしい何物にも代えがたい眺望を、したがって深甚な精神的満足を得ているはずである[5]

 

 

2.講義担当者=私の自己紹介・・・私の最近の問題関心と仕事の簡単な紹介

 

『ホロコーストの力学』の総目次

 

拙著『独ソ戦とホロコースト』日本経済評論社、20011月刊[6]

    

専門書であるができるだけ平易に書いたつもりであり、私が現在何に関心を持ち、どのような問題ととりくみ、何を明らかにしようとしているか、人類史のどのような段階のどのような問題の解明にこの間、没頭してきたかといったことを知っていただくには、本書を読んでいただきたい。

 

『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942年』同文館、1994年もあわせて読んでいただきたい。

 

これら二つの拙著に関して自ら詳しく説明するチャンスを、『図書新聞』編集長・米田綱路氏が与えてくれた。

米田氏による私へのインタヴュー記事『図書新聞』2001324日号(2527号)を参照されたい。

また、『社会経済史学』(Vol.67,No.4, pp.119-121)に掲載された山本秀行教授(お茶の水女子大学教授、『ナチズムの記憶』山川出版社の著者)の拙著に対する書評を見てください。さらに、『歴史と経済』(旧『土地制度史学』)(政治経済学・経済史学会)20031月号に掲載された川瀬泰史氏(立教大学常勤講師)の書評を参照されたい。

インタヴュー記事と山本氏、および川瀬氏の書評とを比較することで、私の著書の意義を立体的に(また批判的にも)理解することが可能となろう[7]

また、自分の言葉での自分の説の解説という点では、あたらしいインタヴュー記事が出たので、これもみていただきたい[8]

 

 

さらに、最近の『図書新聞』第2574号には、拙著の学界における位置関係を理解する上で、またホロコースト研究の現代的到達点を理解する上で有益な特集が掲載されている。(本学図書館でももちろん見ることができる。『図書新聞』の所在は、http://opac.yokohama-cu.ac.jp/cgi-bin/opac/cal950.type?data=365157_1_1

 

 

なお、『独ソ戦とホロコースト』、『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941-1942年』の購入可能性に関しては、アマゾンwww.amazon.co.jpの下記の情報も参照されたい。ときどき「在庫切れ」等と出る。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index=books-jp&field-author=%E4%B8%89%E5%8D%83%E8%BC%9D%2C%20%E6%B0%B8%E5%B2%91/249-6546814-3981964

 

4.なお、私のこれまでの仕事、論文、著書などについては、インターネット市大ホームページの教員プロフィールの永岑

 

 

および学部の「永岑研究室ホームページ」の研究業績リスト

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20010404WEBgyosekilist.xls

 

をみてください。

  それぞれの仕事のエッセンスを簡単に200字程度でまとめた概要を付してあるので、参考になると思う。

 

 

5.成績評価:平常点・出席点、講義における報告と質問などを総合的に。

形式化するレポートはやめて、講義中にできるだけ、質問することにする

 

 

 

 

-----------------参考資料---------------

2001年度

5月ミニテスト問題・・・経済史を貫く法則性にはどのようなものがあるか

6月ミニテスト問題・・・@野蛮から未開における原始家族は、どのような諸要因によって変化し、進化したか。

            A分業はなぜ労働の生産諸力を発展させるか。

 



[1] 2001年夏に最新の経済史研究を踏まえた大塚史学の研究史整理の書物が出た。馬場哲・小野塚知二(編)『西洋経済史学』東京大学出版会、20018

講義においては、この最新の研究成果をできるだけ活用したい。

 

学生諸君には少し難しく、値段も5000円と高いので座右の書とするには厳しいかもしれないが、図書館などで参照して欲しい。地元の公共図書館に所蔵されていないときは、希望図書として所蔵を希望してみてください。

 

この注意は、一般的のほかの本、研究書、参考書でも同じことであり、大学や地域の図書館を活用し、また充実させていくことが大切であろう。

 

 

[2] 古典の位置づけ、古典への挑戦の薦めに関しては、教養ゼミのページを参照されたい。

 

ここでも一言しておけば、歴史上の巨人・偉人が書いた古典といわれるほどの著作は、その山に上るものに、低い水準の著作より、はるかにすばらしい眺望を与えてくれる。

 

その証拠は、幾多の天才自身が、実は自分に先行する歴史上の天才から学び、その批判的克服をめざし、実際に発展させていることである。

 

天才は、自分より過去の天才の肩の上に乗って仕事をしているのである。それにはいくつもの例がある。

 

数学史を例に取れば、アーベルやガロアのような数学の天才と同様、ジョージ・ブールも、巨人(古典)に直接教えを乞い、飛躍した。

数学の天才、「完璧な独立人」ジョージ・ブールは、19世紀初頭のイギリスでは「台所の下働きや卑しい召使よりもさらに軽蔑の目でみられたほどの」低い階層としての「小売商の息子」であった。「神が与え給うた」(だからそれに満足せよと当時の『上層階級』からは忍従を教えられたが)境遇よりも上の地位に進もうと、ブールは苦闘した。

彼の「初期の図は、まさに煉獄のひきうつしであったが、この表現すら生半可に聞こえるくらいだった」という。だが、「ブールの偉大な精神は、もっとも卑しい階級に結びつけられていた。」

苦学・苦闘の末、「二〇歳の年、ブールは自分の手で教養学校を開いた。生徒を正しく教育するためには、正しい教え方でいくらかの数学を教えなければならなかった。彼は興味をかきたてられた。当時のありきたりのいまいましいばかりの教科書に、彼は疑問を、ついで軽蔑の念をいだいた。こんなものが数学といえるだろうか? 信じられないことだ。大数学者たちは何といっているのだろう。アーベルやガロアのように、ブールも進軍命令を求めて総司令部に直行した。

 

彼が数学の初歩的な訓練しか受けていなかったということを忘れてはならない。彼の知力がどんなにすぐれたものであったかは、二〇歳の青年が独力でラプラースの『天体力学』を習得したことを想像すれば、その一端が知れよう。・・・それから彼はラグランジェのきわめて抽象的な『解析力学』を完全に理解しながら読んだのである。

 

・・・今や独学のブールは、自分の行くべき道を発見し、自分が何をなすべきかを知った。彼は誰からも教わらずに、自分の力で、数学にはじめての貢献をした。それが変分法に関するものだった」と。(E.T.ベル著田中勇・銀林浩訳『数学をつくった人びと()東京図書、1997年、137138ページ)

 

経済史に引き戻していえば、どういうことになるか。

 

たとえば、テキストに採用した大塚久雄の『欧州経済史』も、その一つとなろう。

さらにまた大塚が勉強し、格闘した文献を探してみるのもいいだろう。

 

『欧州経済史』の中にも古典が示されているが、本学図書館も所蔵している彼の著作集をみれば、どんなものが大塚にとっての古典であったかがわかる。参考的に一言すれば、内村鑑三の無教会派クリスチャン大塚久雄にとっての代表的な二大古典がマルクスとウェーバーの著作であった。

 

[3] マルクス『資本論』第一巻、フランス語版への序文(1872年)。

私の場合、大学1年の「経済原論」講義で担当だった越村信三郎先生(横浜国立大学にも波及し激化した大学紛争のなかで火中の栗を拾うかたちで学長になられた)の言葉を思い出す。

 

先生御自身(現一橋大学、当時は東京商科大学)の時代に、やはり講義の先生から古典を(輸入学問としての経済学でも古典の翻訳はまだまだすくなかったので「原語で」)読みなさいといわれた。

友人たちと「いったい経済学の古典とは何か」と議論した。あるものはアダム・スミスの国富論、リカードの『経済学原理』、あるものは、フリードリヒ・リストの『経済学の国民的体系』、あるものはマルクスの『資本論』、あるものはマーシャルの『経済学原理』などをあげた。

 

それぞれ自分が古典だと信じるものを原書で読み合おうということになり、励まし合い、没頭した。越村先生は「自分はマルクスのDas Kapitalに挑戦した」とのことだった。

(日本語の翻訳書で『資本論』と「論」がつけられているが、ドイツ語オリジナル・タイトル「ダス・カピタル」を直訳すれば、「資本」、ないし「資本そのもの」「資本なるもの」であろう。個々の資本ではなく無数の多様な資本の共通項としての「資本なるもの」を分析するという意味であり、ほとんどのすべての資本に共通の論理を解明すること、資本一般の理論的解明というのがマルクスのスタンスである)。

 

越村先生の話に刺激を受けて、日本語の翻訳(当時は、長谷部文雄訳5分冊本がもっぱら読まれていた)を買い、ドイツ語原書は図書館で借り出した(手元にあるドイツ語原書は1968年購入とメモしてあるので大学院にはいったときに買ったものである)。大学一年生の夏休みに帰省して読もうと意気込んだが、難解で、第1巻のはじめの方で挫折した。それでもレポートを提出したときには、ドイツ語の原文を併記しながら書いたことを思い出す。

 

ゼミは経済史演習だった。先生は大塚久雄門下の遠藤輝明先生(西洋経済史、フランス経済史,フランス産業革命史研究)であった。当然にも大塚先生の「いわゆる前期的資本なる範疇について」をはじめ、『資本論』の歴史的諸章(たとえば、第一巻第二四章、資本のいわゆる本源的蓄積、第三巻の地代発生の史的展開や歴史的な利子の発生しに関するものなど)を講義のおりおり指示され、ゼミ仲間と読み、また自分でも読んだ。

 

実際にはじめて『資本論』全3巻(5冊)を読み終えたのは、大学院受験準備のとき(4年生の夏休みころだったと記憶する、暑いさなか苦闘したことを思い出す)だった。

大学院に入学した直後に勃発した1960年代末期のいわゆる学園紛争の嵐が吹きすさぶなか、長期スト中で講義演習などがまったくなかった暗中模索の時期、大学院受験勉強という枠を離れて、研究の指針・方法を求めて再度、全巻を読みなおした。さらに数年前にも、久しぶりに全巻を読みとおした。ともあれ、今日まで折に触れ、翻訳とドイツ語原書と比べながら、繰り返したちかえるわたしにとっての貴重な古典の一つとなっている。

 

[4] この関連では、「日本の教育制度というのは信じられないほど画一的、中央統制的である。・・・西沢潤一先生やいろんな先生が指摘されたことですが、日本の教育と言うのは本当に暗記中心というのが初等・中等教育からずっと一貫してある・・・徹底的な暗記教育というのが江戸時代から寺子屋や藩校を通して全国画一的になされた・・・この暗記中心教育というのをまず根本的にあらためる必要がある・・・」(立花隆『東大生はバカになったか‐知的亡国論+現代教養論』文藝春秋社、2001年、14-15ページ)との主張には、共鳴するところがある。

 

ただ、立花氏自身の思想・発想にも、表面的流行に「画一化される」要素(危険性)がある。自由で独立的独創的な深い思想ではなく、時代の流行の表面を猛スピードで「一番」を目指して追いかけるという感じがある。これもまた現代流行の一つのタイプではある。

 

彼の思考方法の特徴を自ら吐露しているつぎの箇所がそれを端的に示している。すなわち、「今の時代はいろんな知識の分野において、暗記は必要なくて、既にどこかにあるものをぱっと参照して、それをいかに利用するかという、そちらの能力の方がはるかに重要になっている」と(同、16ページ)。これはまさに彼自身の手法であろう。それは、暗記主義批判のあまり、別の深刻な問題に直面しているといわなければならない。

既にどこかにあるものをぱっと参照して」利用できる程度の学問・科学の水準とはいかなるものか?

ソクラテス、プラトン、アリストテレス、ニュートン、カント、ゲーテ、ヘーゲル、スミス、マルクス、アインシュタイン、その他、世界的天才をちょっと顧みれば、「既にどこかにあるものをぱっと参照」するタイプとは本質的に違うであろう。もちろん、私自身もインターネットのものすごい活用可能性は認める。

いまやインターネットは、学問研究にとって不可欠となっていることは強調しなければならない。立花も、日本の最先端の科学者を訪問するなかで『100億年の旅』他の研究室現場からの最新情報を伝えている。それぞれの研究室の背後には多年の科学的営為が蓄積している。このことを直視する必要がある。

 

諸科学・諸学問が何年何十年もの‐しばしば政治的社会的なさまざまの抑圧・迫害と差別に直面しつつ‐対象との辛苦の(そして喜びの)批判的格闘をつうじて、はじめて、何かこれまでにないものを発見し、創造し、発展させ、体系化することを可能にする。そのような科学と学問の歴史をわずかでも知るものにとっては、「既にどこかにあるもの」を「ぱっと」参照するという精神的方法的態度は、批判的に対峙すべきものである。

 

もちろん、「日本型秀才の系譜が、じつはある種のバカの系譜である」(同、19ページ)という立花の論点は、日本に限ったことではないし、過去のことでもない。「文部省完全管理型教育システム」への批判(同、23ページ)、日本の深刻な問題性への批判には同意するが、立花が引用するコンドルセはフランス革命期のフランス人である。フランスにも保守派、体制派、アンシャン・レジーム擁護派、中央集権派の度しがたい面々がたくさんいたのだ。コンドルセのいう「教育の目的は現制度の讃美者をつくることではなく、制度を批判し改善する能力を養うことである」とすれば、基本的に現状と体制の讃美者・擁護者を作り出す教育は、世界中の至るところで「ある種のバカ」を作り出すことになる。

 

この点、私の専門との関係で一言すれば、ナチ体制において、法学部出身のエリートが国家の中枢の担い手であり、ホロコーストの推進者だった。このことひとつとっても、エリートが歴史的大犯罪を主体的に担う歯車となることは明らかなことである。この点、ヘルベルト教授(フライブルク大学)のヴェルナー・ベスト研究が鋭いのだが、それに関しては、さしたり横浜市立大学国際学術セミナーの彼のつぎの講演http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/Herbert20010228.htmを参照されたい。また、最近翻訳されたP.シェットラー著木谷勤他訳『ナチズムと歴史家たち』(名古屋大学出版会、2001年)を参照されたい。

ともあれ、逆にいえば、すなわち現状と体制の讃美者・擁護者からすれば、現状と体制に対する批判者は明確な「ある種のバカ」、変人・奇人以外の何者でもない。日本にも自由民権運動はじめ、多様な批判者の潮流が存在し、その時代その場所で数の上ではつねに少数者・マイノリティであるとしても、自己主張し、つぎの時代を予告している。

 

さて、立花の方法はインターネットを駆使する方法だが、そこで重要な役割を果たすWWWのシステムを考案し、実現したのは、実は、深い現代素粒子物理学の最先端の研究者たちの研究の到達点・現状とそれを組織的体系的に活用するシステムを創出する必要性だった。この点に関しては、立花の方法を明示的に批判してはいないが暗黙のうちに批判していると思われる蓮實重彦東大総長の20004月入学式式辞が具体的である。蓮實重彦「思考の柔軟性」、同『わたしが大学について知っている二、三のこと』東京大学出版会、200128-45ページ。蓮實しによれば、つぎのようであった。

「スイスとフランスの国境地帯に位置するこの研究機構CERNに滞在した科学者たちの発想は、その国籍がそうであるように、どこまでも多様であります。・・・・あのWWW、すなわちworld wide webは、1989年に、ここの研究者によって構想され、実現に移されたものなのです。当初、このwww構想は、CERNを利用する素粒子物理学者たちの間の情報のギャップを調整し、組織の階層的な秩序を通過することなく、誰もが平等にアクセスできるネットワークの構築を目指すものとして提案されたものです。それを提案した中心人物は、オックスフォード大学出身のイギリスのティム・バナーズ=リー教授であります。もともとハイパーテクストの情報処理を専門としてソフトウェアの開発にあたっていた彼は、この研究機構に集まってくる世界の素粒子物理学者たちの数の多さとその研究業績の質の高さに圧倒されます。まさ、そこに日々集積されてゆく貴重な情報の膨大さにも深く驚かされた彼は、これはなんとも素晴らしい組織だとつぶやかずにはおれません。ただ、そこで何が起こっているのか、それが一目にはすぐにわからない。そう判断したバナーズ=リー教授は、この研究機構に集積されていた膨大な情報をヴァーチャルな図書館にみたて、インターネットをベースとした地球規模での情報共有を可能にするシステムを考え付いたのです。・・・」(同、4142ページ)

 

情報の生産とその享受との相互関係のあり方、新しいシステム創出のメカニズムに注意する必要がある。このWWW創造の出発点の基本的スタンスを踏まえておくことで、インターネットの意義と限界を踏まえることができよう。

[5] デカルトの『方法序説』(岩波文庫他)なども、そのような一書であろう。

 

[6] 20035月、ある大学の研究仲間からつぎのようなうれしいメールをいただいた。ひとつの書評として、ここにコピーしておきたい。

 

今年の2月、私のゼミの4年生が「武装SS」について卒論を書きました。卒論の動機は、「なぜ、武装SSのメンバーがユダヤ人殺害に関与したのか」、というものでした。この学生はすでにいろいろな本を読んでいたのですが、永岑さんの『独ソ戦とホロコースト』をまだ読んでいませんでしたので、私が強く勧めました。彼がこのテーマについて卒論を書きたいと言ってきた時の顔と、書き終わった時の顔があまりにも違うので驚きました。つまり、彼は永岑さんの御著書を読んで、ユダヤ人殺害は歴史の全体状況の変化の中で質的に変化していったことを理解し、単に人種差別のみによってひき起こされたものではないことに気付いたのです。こうした経験から、改めて永岑さんのお仕事の意味を納得させられました。
 ナチスの生存権の構想と、EU統合の構想とは180度逆になりますので、御著書は、研究者にとっても、学生に対する教育という意味でも貴重です。以上、お知らせとお礼まで。K.K.

 

[7] 最近出た阪東宏明治大学名誉教授(一九世紀から二十世紀のポーランド史研究の第一人者)の労作『日本のユダヤ人政策19311945−外交史料館文書「ユダヤ人問題」から』(未来社、20025月)は、拙著を「意欲的な試み」とポジティヴに評価してくれた。同書、313(128)

それはともあれ、「日本のシンドラー」杉原千畝の犠牲的精神と行動が注目を集め顕彰されているが、実は、日本の関東軍をはじめとする軍部や外務省、日本政府は、日独伊の同盟関係から、ユダヤ人迫害に荷担していた。そのことを、阪東は、外交史料館文書一三巻から実証的に解明した。この外交史料館文書「ユダヤ人問題」13巻の発掘は、われわれドイツ史研究者、ホロコースト研究者の盲点をつくものであり、驚嘆に値する。実に大きな国際的貢献であろう。いずれ、外国の専門雑誌にそのエッセンスが掲載されることになろう。

 

[8]インタヴュー記事「独ソ戦とホロコースト研究」【特集・ナチスの時代】『歴史地理教育』No.651、20033月。