更新日:2004/08/23

 

スティグリッツ『マクロ経済学第2版』の批判的検討(ファイル3貨幣論)

 

第7章           貨幣と銀行システム

(正確には、英語オリジナルと同じに、つまり「貨幣、銀行業および信用」と訳すべきである) Money, Banking and Crecdit

 

スティグリッツは、

「ほとんどの場合に貨幣とは、たんなる紙であったり、銀行預金勘定の付け替えにすぎないのである。貨幣は、それが支出されたときに間接的にニーズを満たすものである」という。

 

しかし、貨幣は、「たんなる紙」か? 

貨幣は、「銀行預金勘定の付け替えに過ぎない」か?

 

まず、第一の「たんなる紙」かどうかであるが、けっして「たんなる紙」ではない。

「たんなる紙」は、日常いたるところに存在するがけっして貨幣ではなく、また貨幣の機能を遂行することはできない。

すなわち、「たんなる紙」は、「支出」しようとしても、だれも受け取らないし、したがって「間接的にニーズを満たすもの」とはなりえない。

 

現代経済においては、それぞれの国の中央銀行券(紙製の印刷物)[1]が貨幣としての機能を果たしている[2]。そこで貨幣機能を果たすためには、「たんなる紙」が問題なのではなく、紙に印刷された内容が問題(単位と数値、日本の場合は1000円なのか5000円なのか10000円なのか、EUでは1000ユーロ、500ユーロ、100ユーロ、20ユーロ、10ユーロ、5ユーロである)であり、その内容こそが貨幣の本質および機能を表示する。

 

 この印刷内容・情報(数字・文字・写真・図などの確定性・確実性など)こそが、「たんなる紙」ではなく貨幣であること(しかも法貨であること)を証明し、貨幣としての価値と通用力を保証する。印刷の信頼性を確実にするため、国家(政府)機関が印刷し、印刷内容を保障する[3]。そして、発行する主体は、日本の場合は中央銀行である日本銀行である。

 

第二の問題点・・・「銀行預金勘定」は、貨幣機能の一つ(支払手段としての機能、決済機能)を「付け替え」によって実行することを可能にする。

銀行預金勘定は、そこに預金された貨幣(当座貸し越し協定があれば、預金額以上の許容範囲内の額)でもって、貨幣の支払い・決済機能を遂行することを通じて、通貨としての法貨(中央銀行券)と同じ機能を遂行し、したがって貨幣の一つの機能を実行する。

しかし、銀行業の発展は商品経済(とりわけその近代的な形態としての近代資本主義経済)の発達とともにであり、商取引における信用関係の発展・成熟が基盤となっている。これまた歴史的生成物である。

 

ともあれ、

p.286「本章では、貨幣とは何か、貨幣の機能は何か、またなぜ貨幣が重要なのか、を説明する」と。

 

p.286

1 貨幣の役割:貨幣とは、貨幣が行うことである。

 

「経済学では、貨幣は、それが果たしている機能によって定義される。したがって、貨幣の正式な定義の議論に進む前に、貨幣の機能を見ることが必要である」

 

11 交換手段[4]としての貨幣

「貨幣の第一の機能は、取引、すなわち相互の便益のために行う財・サービスの交換を容易にすることであり、これは貨幣の交換手段medium of exchange機能と呼ばれる。貨幣を用いないで行われる取引は物々交換barterである」と。

 

 財・サービスが「交換」されなければならないのは、なぜか? 財・サービスが商品だからである。労働生産物が商品となるのは歴史的なものである。現在の財・サービスが商品として生産され販売されていると言うこの歴史的な規定性こそは、一番重要なことだが、このもっとも肝心の事がスティグリッツにおいては明確にされていない。

 

 交換が必要なのは、経済活動(モノやサービスの生産と流通)が、私的な主体(私企業)によって行われているからである。商品とは私的主体が生産する財とサービスである。

労働生産物は、商品生産社会では、私的労働の生産物となっている。財・サービスが他の私的個人(他の私企業)による使用を目的とした商品として生産され、したがって生産した人(企業)とは別の人(企業)に販売される必要がある[5]。販売を通じて、すなわち交換を通じて、私的な労働は社会的に必要な労働であったことを実証しなければならない[6]

 

 商品(私的生産物)が、貨幣を生み出し、貨幣による商品の交換を必然化した。

商品=貨幣関係は、人類史の一定の発展段階で生み出されてくるものである。人類史の原始段階から中世封建制社会までは、多かれ少なかれ経済生活の共同性・共同体関係が支配的であった。商品=貨幣経済は、そうした発達段階では、人間生活のごく一部をなしたに過ぎない。

 

貨幣の前提となる商品の発生、その商品生産の歴史性、をみないと、貨幣(商品の必然的付随物としての貨幣)は本当の意味では理解されないものとなり、貨幣が神秘化される。この点を批判的に解明するのが、『資本論』第1巻第一章第4節の「商品の呪術的性格」(商品の物神的性格とその秘密)である。

 

 最初は、生産物は、偶然的に、共同体間などで、物々交換された。しかし、物々交換が成立するためには、スティグリッツも言うように、「欲求の二重の偶然、欲求の二重の一致double coincidence of wantsがみたされなければならない」(p.287)。だからこそ、最初は偶然でしかなかった。

しかし他人(他の共同体)との接触と生産物の交換がもたらした人間への刺激、欲望の開花、生産の増大、生産物の増大、さらなる欲求の増大と多様化は、そうした単に偶然的に成立する交換条件ではなく、多様な交換を可能にする手段を必要とさせた。

必要は発明の母。

物々交換の発展、生産物の商品化の増加、それが一定程度発展して、商品生産がある程度恒常的となり、「多角的交換を簡単にする方法」(p.288)・手段として、貨幣が生み出された。

 その本格的で詳細な理論的解明は、マルクスが『資本論』 1巻第一章、「第3節 価値形態または交換価値」で行っている。

 

.288

 「原理的には、簡単に持ち運びができ、かつ貯蔵ができるものならば、どんな財であっても、交換手段として用いることができる」。

 

 商品交換手段としての貨幣の機能に由来する条件(持ち運びの可能性、貯蔵可能性)を規定したが、その具体例として、地球上のたくさんの地域で見られる貨幣商品としての貝は、例としてふさわしいとしても、捕虜収容所や刑務所におけるタバコは、「貯蔵可能性」の条件にあうだろうか? しかも、現在のように(最近20年ほど)、タバコの害が広く宣伝されている時、刑務所で本当にタバコが、交換手段として機能しているのだろうか?

 

 例外的な状況は別として、「長期間にわたって、主要な交換手段としての地位を占めてきたのは金であった」というのはそのとおりだろう。しかし、貨幣商品としての金が地球上のどの地域でどの程度長く商品価値の表現者となったかは、歴史研究でなされなければならない。そもそも、金は、たんなる「交換手段」ではない。金は、貨幣として、すなわち商品性貝の中で自分以外の商品世界の諸商品の価値を表現する物として、人間(商品生産者・所有者)が選び出してきて、はじめて「交換手段」として利用された。

 商品世界がどのようにして自分たちに共通の価値表現を見つけるかは、その地域その地域の事情による。銅や銀がながく貨幣商品となった地域もある。

 

 「20世紀初頭にいたるまで、金貨を鋳造し、その重量と品質を保証することが、政府の機能の一つだった」。

 「今日では、あらゆる先進諸国においては、通貨としては、硬貨だけでなく(特にこの目的のために政府が印刷した)紙幣が用いられている」と。

 

 この場合、紙幣については、国家紙幣ではなく、政府は、中央銀行券の印刷だけを行う。

すくなくとも先進諸国では、政府からの独立性を保障された中央銀行の発行する中央銀行券が通貨の圧倒的部分をなす[7]

すなわち、硬貨のみが、日本銀行券といった中央銀行券=信用貨幣の補助貨幣(小額取引のため[8])として(経済システムにおける低いウエイト[9]からして、経済の独立の運動の攪乱要因となることを制限できるものとして)政府発行となっている[10]

 

つづいて、「ビジネスの取引現場においては、現金通貨ではなく、銀行宛に振り出された小切手や、銀行預金残高から支払われるクレジットカード、また銀行間の電信によって交換される資金、などが用いられている。そのため経済学では、(銀行)当座預金口座の残高も、それがどのような取引においても支払いとして認められた交換手段としての機能を果たしているがゆえに、現金[11]と同様に貨幣であると考えられている」と。

 

 当座預金口座残高を、「交換手段」としているが、マルクス的な意味では、たんなる「交換手段」に一般化すべきではなく、「支払手段」と言うべきだろう。

 すなわち、銀行預金を基礎とする支払手段として、売買の決済に使われる預金残高は、貨幣といっても信用貨幣(民間の銀行機関がそれを土台に貨幣を創造することが可能)である。「信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能にその自然発生的な根源を持っている」(鋳貨の説明の補足として)

 

 そもそも「交換手段」というのは、商品交換における最も端緒的で一般的な商品交換の手段と言う意味合いであり、商品交換は貨幣が誕生すると(商品世界の中から貨幣商品が選別され特別な物としてすなわち一般的な等価形態として選び出されると言う商品交換の発展・展開を踏まえて誕生する)、売買と言う形態になる。貨幣という一般的等価形態・価値尺度・流通手段による「売り」と「買い」というのが商品交換の発展した形態であり、貨幣はそこでは購買手段(一般的等価物として何でも購入できる形態にあるため)となっている。

 貨幣は、たんなる交換手段というより、その発展した形態としての売買手段(正確には商品を購入する手段、すなわち購買手段Kkaufmittel)ということになる。売買は、単なる物の交換とは違う物であり、商品生産・商品交換の発達とともに発展した形態である。この交換手段から貨幣への発展の歴史的過程を論理的に把握したものとして、『資本論』第1巻第2章の「交換過程」がある。

 貨幣(マネー)が現実の商品交換、商品生産社会の発展によって変容を遂げる物であることは、貨幣の本質や機能を考える上できわめて重要である。ユーロの誕生は、ヨーロッパ諸国における市場関係(すなわち商品・資本・労働力など)の拡大・緊密化・社会的交流の密度の濃さ・相互信頼関係(信用関係)の熟成などを土台とし、背景とするものである。

 

スティグリッツp.289(アメリカでは)ほとんどの人たちは、多くのお金を財布の中に現金として持っているよりも当座預金勘定のほうに預金しているため、経済学でいうマネーサプライの数量(指標)の方が、明らかに、実際に流通している硬貨や紙幣よりもはるかに大きくなっている」。

 

 政府および中央銀行制度・民間銀行業・信用制度の確立した諸国における実態はそのとおりだろう。それが歴史的なものであり変化発展のダイナミズムの中にあることはいうまでもない。

 

 

1.2 価値の蓄蔵手段[12]としての貨幣

 

 

スティグリッツも、ここで「価値」という言葉を使う。だがその内容は?

何も説明はない。

 だが、つぎのように言う。

p.289 「人々が、いま持っている財・サービスと貨幣を交換するのは、将来、その貨幣と購入したい財・サービスを交換できると考えているからである」と。

 財・サービスはW(商品)で、貨幣はGで表すと、売りと買いとはWGWであり、スティグリッツのいうように商品Wである財・サービスを売るのは、それで得た貨幣Gで、自分の欲しい商品(財・サービス)を購入するためにである。スティグリッツは、W-G(売り)G-W(買い)とが分離している商品経済社会を踏まえて、全体の循環はWGWだと言うことを言っている。

 

 その場合、売りのときの価値と買いのときの価値が同じであることが求められるという。すなわち、「貨幣が交換手段としての役割を果たすためには、少なくとも短期的には貨幣の価値が維持がされなければならない」と。

 

 経済の安定的な運行のためにはまさにそれが必要である。と同時に、無数の私的経営が市場をめぐって競争しているとき、それぞれの私的経営主体が生産条件の変革にまい進し競争条件を有利にするために日夜努力している結果、時々刻々と商品の価値(その表現としての価格)、その基礎にある動労の生産性は変化している。価値の変化こそは競争的商品経済の不断の現実である。

 

それはさておき、「こうした機能を果たしていることが、貨幣が価値の蓄蔵手段store of valueと呼ばれるゆえんである」というのは、意味ある文章であろうか?

 「こうした機能」とはなにか? 「交換手段としての役割を果たす」ということである。

 仮にその貨幣の価値が変動しても、「交換手段としての役割は果たす」。

 

現金(硬貨と中央銀行券)は、ある一定金額が印刻・印刷されており、数値に変化はない。だが、それが購入する力(購買力=価値量)は、時間とともに変化する。

古い時代の貨幣商品(米、牛、その他)のなかには、時間とともに価値や形態が変化してしまう物があり、その点で、現在の硬貨や中央銀行券は、その示す数値が普遍であるという意味で、価値は固定している。

 しかし、これは価値を蓄蔵ないし貯蔵すると言うこととは別ではないか?

 「価値の維持」と「価値の蓄蔵ないし貯蔵」の概念が混同されている、あいまいにされている、というべきだろう。

 「価値の維持」、それ自体は蓄蔵・貯蔵ではない。

 商品の売りが、次の段階としての買いにつながらないこと[13]、これこそが厳密な意味での貯蔵・蓄蔵の意味合いである。 

 蓄蔵されることと、価値が維持されているかどうかとは別のことである。

 

 「金が価値の貯蔵手段」という。しかしh、金が変質せず、その自然的物理的性質・重量の不変性が確実であるという意味では、「価値の貯蔵手段」ではあるが、価値としては変化の可能性が理論的にはつねにある。(現実に変化が大々的に明らかになるのははゴールドラッシュのような時期、新大陸発見のような時期)。

 

 金のわがに価値変化がありうるように、他方では、購買する商品の側でも価値変化がある。ある商品Aは、例えば穀物などのように天候不順で、以前と同じ量を獲得するには多くの労働量が必要な場合もある。あるいは以前と同じ労働量では、わずかの穀物量しか取れなくなる。つまり単位重量あたりでは、価値が高くなる。この場合には、金は、生産条件などに変化がなく価値を維持しても、相対的な購買力では減少する。

 

 蓄蔵された貨幣が、その価値を維持できるかどうかは、一つには貨幣の発行がどのような原理によってどのように行われるかにかかわり(銀や金が貨幣商品である場合にはそれらの生産条件の変化、豊富で低廉な金銀鉱山の発見・採掘など)、他方では、売りと買いとの時間的間隔の間に、買うべき商品の価格が高くなるか安くなるか(それを左右する諸条件)にかかっている。

第一の側面は、政府と中央銀行の行動にかかわり、後者は膨大な商品生産者の生産諸条件にかかわる。

したがって、貨幣の価値の維持は、貨幣自体にあるのではなく、一方では政府・中央銀行の行動、他方では商品生産者の大群の行動(商品の生産諸条件の変化)にかかわるのである。

 貨幣自体には、これら二つの意味では、「価値の維持」の機能はないといわなければならない。

 過去の貨幣商品のような場合、むしろ、価値の変動は普通のことであった。

 

p.289 「今日ではすべての主要国経済では、名目貨幣fiat money[14]、すなわち政府がそれは価値を持つといったがゆえに、また人々が財と交換にそれを喜んで受け取るがゆえに価値を持つ貨幣、が用いられている。実際、ドル紙幣には、こうした保証が、つぎのようなメッセージに託して印刷されている。『この紙幣は、公的であれ私的であれ、すべての債務の支払いに用いることができる法貨である。』その貨幣が法貨であるということは、もしあなたがだれかから100ドルを借りているならば、100ドル紙幣を手渡すことによって、その債務のすべてを弁済することができるということである。」

 

 だが、名目的に価値を表現していると政府が保証したからといって、「価値」がなにかを説明することにはなっていない。スティグリッツは、そもそも「価値」とはなにかを説明していないのである[15]

 スティグリッツの説明文が表明していることは、売った「財・サービス」と買う「財・サービス」が同じ価値でなければならず、その同じ価値を維持し媒介する物として貨幣があるということである。

 

 まさに問題なのは、商品A=商品Bで、二つの商品が同じ価値であるという場合、何が同じなのか、ということである。価値が同じだと言っても、それは同義反復しかすぎない。同じ言葉の繰り返しでしかなく、何も説明したことにはならない。

 

 そもそも、商品A=xドル という場合、xドルという貨幣が表現している商品Aの価値とはなにか、これが問題のなのである。その肝心のことが説明されていないのである。

商品分析の歴史は、まさにそのことを問題にしたのである。

労働価値説は、価値の実体は人間労働だ、その商品の生産に投下され対象化された社会的に必要な量として商品社会で認められた一定量の人間労働だというのである。すなわち、商品が使用価値と交換価値(価値)を持っていること、その商品の使用価値と交換価値(価値)に対応して、その生産で投下され支出され対象化された労働も二重性をもっているということ、これが古典派経済学の大家たちによって解明されたのである。

スティグリッツにおいては、こうした商品分析の歴史が無視され、それに代わる何らかの「価値」の内容が解明されているわけではないのである。

 

スティグリッツは、つづけて

p.289-290「貨幣以外にも価値の貯蔵手段として数多くの物がある」という。そして、「金は、もはや交換手段としての役割を果たしていないので『貨幣』であるとはいいがたいが、それにもかかわらず、価値の貯蔵手段としての機能は果たし続けている。たとえば、インドでは、人々は貯蓄の多くを金の形で保有している。また、土地、企業の株式や債券、石油や鉱物資源などもすべて価値の貯蔵手段である」と。

 

 ここまでくると、いったい貨幣の機能を分析していたのか、「価値の貯蔵手段」を数え上げることが目的なのかわからなくなる。

 しかも、たとえば、土地や株式、債券、石油や鉱物資源などまで「価値の貯蔵手段」としての機能で貨幣と同じにしてしまうのであれば、貨幣の(通貨の)固有の機能はいったいどうなるのか、という問題が発生する。少なくとも、貨幣は、その額面・刻印の固定性によってそのかぎりで変化はない。

ところが、地価や株券・債権・石油など鉱物資源は、日々の商品取引所の価格が時々刻々と変化しているように、「価値の維持」とはむしろ反対に変動こそが常である。

貨幣の機能としての「価値の貯蔵」という側面と「価値の維持」という側面が混乱しあいまいになっていることの結果である。

 

 

1.3   計算単位としての貨幣

p.290-291 「貨幣は、交換手段と価値の貯蔵手段としての役割を果たすとともに、いろいろな財の相対的な価値を測定するという第三の機能も果たしている。これは貨幣の計算単位unit of account機能と呼ばれる。」と。

 

 諸商品がみずからの価値(質的に同じもので量的にだけちがうもの)を貨幣で表現し(価値の尺度[16])、そのことを通じて、諸商品の価値量が比較でき、諸商品が一定の価値比率の関係になっていることが、商品生産社会(私的生産者からなる社会)の商品にとって不可欠である。それが、市場で明らかとなる。

貨幣は、膨大な商品群に価値表現の材料(手段)を与え(価値の尺度)、価値の量的関係を示すことを可能にする、そのための単位を提供する(価格の度量標準)、ここに貨幣の機能があることは明らかである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



[1]

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第5章 日本銀行券

(日本銀行券の発行)

第46条

 日本銀行は、銀行券を発行する。

2 

 前項の規定により日本銀行が発行する銀行券(以下「日本銀行券」という。)は、法貨として無制限に通用する。

 

[2] 歴史的には、日本銀行券は、1942年制定の日本銀行法以降、非兌換紙幣となる。ただし、1897年の貨幣法に基づく兌換銀行券は1931年以降、兌換が停止されていた。

[3] 日本銀行券の場合、お札の表・下方中央に、「国立印刷局(または財務省印刷局、大蔵省印刷局)製造」の文字が印刷され、印刷に対する信頼を確保している。

 

 偽造が多発するようになれば、中央銀行券の信頼性は揺らぐ。最新の技術で偽造防止を施し、貨幣の信頼性を改めて確立しなければならない。

新しい日本銀行券(5000円券)の印刷開始と偽造防止技術について

 

日本銀行金融研究所発行の『金融研究』掲載の最近の一論文は、佐伯仁志「通貨偽造罪の研究」(20048)である。

 

 また、貨幣論検討で問題となる通貨発行の歴史と現在に関しては、おなじ『金融研究』の塩野宏、他「中央銀行の通貨発行を廻る法制度についての研究会」報告書も興味深い。批判的検討はさておいて、参考論文としておきたい。

 

 通貨・貨幣が国家の権力による強制という側面だけではとらえられず、社会的必要と社会的承認が前提となる。その経済的な現実基盤には触れていないようだが、この社会的合意に関する研究ノート中里実「法・言語・貨幣−ソフト・ローの観点からの研究ノート−」も、貨幣が商品の価値表現となっていること、その機能の経済的分析は見られないようだが、商品生産社会が意志的に合意の上で貨幣を作り出していると言う面からは、一考に値するものとして、今後機会があれば、検討したい。

 

 

[4] 『経済学批判』第二章、第2節、流通手段の一節から:

 

W-G-Wの結果を見ると、それは物質代謝WWに帰着する。商品が商品と、使用価値が使用価値と交換されたのであり、商品の貨幣化、または貨幣のとしての商品は、ただこの物質代謝の媒介に役立つだけである。こうして貨幣は、諸商品のたんなる交換手段として現われるが、しかし交換手段一般としてではなく、流通過程によって特徴付けられた交換手段、すなわち流通手段として現われる。

    Betrachten wir nun das Resultat von W - G - W, so sinkt es zusammen in den Stoffwechsel W - W. Ware ist gegen Ware, Gebrauchswert gegen Gebrauchswert ausgetauscht worden, und die Geldwerdung der Ware, oder die Ware als Geld, dient nur zur Vermittlung dieses Stoffwechsels. Das Geld erscheint so als bloßes Tauschmittel der Waren, aber nicht als Tauschmittel überhaupt, sondern durch den Zirkulationsprozeß charakterisiertes Tauschmittel, d.h. Zirkulationsmittel.68

原注68 

 「生活に有用な商品は目的であり目標であるのに、貨幣はただ手段であり媒介用具であるにすぎない。」ボアギュベール『フランス詳説』1697

Das Geld ist nur das Mittel und die bewegende Kraft, während die dem Leben nützlichen Waren das Ziel und der Zweck sind. » Boisguillebert, „Le dail de la France“, 1697, in Euge Daires „Economistes financiers du XVIII. sile, vol. I, Paris 1843, pag. 210.

[Marx: Zur Kritik der politischen Ökonomie, S. 283. Digitale Bibliothek Band 11: Marx/Engels, S. 3180f

 

[5]

「およそ使用対象が商品になるのは、それらが互いに独立に営まれる私的諸労働の生産物であるからにほかならない。

 Gebrauchsgegenstände werden überhaupt nur Waren, weil sie Produkte voneinander unabhängig betriebner Privatarbeiten sind.

これらの私的諸労働の複合体は社会的総労働をなしている。

Der Komplex dieser Privatarbeiten bildet die gesellschaftliche Gesamtarbeit.

生産者たちは自分たちの労働生産物の交換を通じてはじめて社会的に接触するようになるのだから、彼らの私的諸労働の独自な社会的性格もまたこの交換においてはじめて現われるのである。

Da die Produzenten erst in gesellschaftlichen Kontakt treten durch den Austausch ihrer Arbeitsprodukte, erscheinen auch die spezifisch gesellschaftlichen Charaktere ihrer Privatarbeiten erst innerhalb dieses Austausches.

言いかえれば、私的諸労働は、交換によって労働生産物が置かれ、労働生産物を介して生産者たちがおかれるところの諸関係によって、初めて実際に社会的総労働の諸環として実証されるのである。

Oder die Privatarbeiten betätigen sich in der Tat erst als Glieder der gesellschaftlichen Gesamtarbeit durch die Beziehungen, worin der Austausch die Arbeitsprodukte und vermittelst derselben die Produzenten versetzt.

(『資本論』第1巻第一章第4節 商品の物神的性格とその秘密

 

[6] 私的主体が資本主義企業法人である場合、その生産する財やサービスの商品につける価格は、じっさいの価値(労働時間、社会的に生産に必要な抽象的人間労働の量)それ自体ではなく、「コスト・プラス・利潤」であり、市場競争で形成される利潤率(平均利潤)が問題となる。生産価格の構成要素と構成原理などは、『資本論』第3巻で検討され解明されている。

 いわゆる近代経済学のなかでは、利潤率=m÷(c+v)に対応する「マークアップ率」が使われるようである。有斐閣・経済辞典によれば、

マークアップ率 mark-up ratio

 

原価60円の品に40円を加えて売値を100円に決めるとすると,マークアップ率は40/10040%となる。この率の決定は,業界の慣習に依存することが多いが,営業費・利益金のほかに商品の消耗,将来の値下げの可能性などが考慮される。

 

 

[7] 日本の貨幣発行権限の歴史は、日銀の啓蒙的解説がわかりやすい。

貨幣(この場合、硬貨)発行に関する造幣局の説明を以下にコピーしておくと、

 

「貨幣の発行者は政府(国)です。以前は、金貨には額面と同じ価値の金が使われることが建前だったので、発行者には貨幣の純度(品位)と重さを維持する責務がありました。そこで、貨幣は国が発行するのが望ましいと考えられ、現在まで一貫して国が発行しています。

ちなみに、紙幣は、高額な額面に対して製造コストがたいへん低いために、貨幣に比べて、発行者に多くの利益をもたらすことが可能になります。国が財政収入目当てに紙幣を増発するとお金の価値が下がる恐れがあるため、国ではなく中央銀行(日本銀行)に紙幣の発行をさせるようになったようです。」

 

[8]  以下では、硬貨(鋳貨)の意味で貨幣が使われている。


 「貨幣の通用限度については、貨幣法第7条に「貨幣は、額面価格の20倍までを限り、法貨として通用する。」と定められており、20枚を限度として使用できます。
 即ち、20枚までは貨幣により支払いがなされても、この受取りを拒否することはできないこととされています。
 これは、貨幣の耐久性等の小額取引きに適していますが、多量の場合にはその保管、計算等に手数がかかるため、一回の取引(買物等)で多量に受領すると受領者が不便をこうむり、取引の効率が損なわれる恐れがあるという理由から設けられています。」

 

[9] 現在の場合でいえば、硬貨は、貨幣法第7条に「貨幣は、額面価格の20倍までを限り、法貨として通用する。」と定められており、その額面の20倍までしか通用力を持たない。一番高い500円の場合でも、実際の購入手段として使用する場合、1万円までの物しか買うことができないのである。100円硬貨なら、2000円、50円硬貨なら1000円、5円硬貨なら100円、1円硬貨なら20円しか、購買において使えないのである。

 現実の商品売買において、いかに硬貨の意義が低いかは明らかである。したがってまた、総発行量もきわめて限定的なものであることは明らかである。

 

[10] 貨幣の現代における限定的な意味は、政府発行の「硬貨」(「鋳貨」)である。

 硬貨は造幣局が製造している。啓蒙的な解説によれば、

造幣局と印刷局はどう違うのですか?
 造幣局は、硬貨、つまり貨幣を製造しています。

また、お札、つまり日本銀行券は、印刷局が製造しています。
 なお、貨幣は国が発行するものですが、日本銀行券は日本銀行という法人が発行するものです。」と。

 

[11] 現金=通貨=「中央銀行券」および「硬貨(狭義の貨幣)」・・・下記のマネーの定義(現金通貨:銀行券発行高+貨幣流通高)も参照。

 

 日本の通貨発行量(流通量)は、統計では、「日本銀行券」と「硬貨(狭義の貨幣、政府発行)」で、どのような額になっているかは、詳細な統計がある。

日本銀行の統計「マネーサプライ統計」の「通貨流通高」がそれである。

 

通貨流通高(通貨=日本銀行券+硬貨)

種類別流通高

日本銀行券発行高
うち一万円
うち五千円
うち二千円
うち千円
うち五百円
貨幣流通高
うち五百円
うち百円
うち五十円
うち十円
うち五円
うち一円

日本銀行券発行高

月末発行高
平均発行高
最高発行高
最低発行高

 

マネーサプライ統計の注釈

量的金融指標(市場規模・残高等)
/通貨


 出所は、とくに断りのないものについては日本銀行調です。

·         凡例

·         銀行の区分

·         不連続情報



<マネーサプライ(19984月以降)>

  1. 解説あり。
  2. マネーサプライとは、基本的に、通貨保有主体(一般法人、個人、地方公共団体等)が保有する通貨量の残高(金融機関や中央政府が保有する預金などは対象外)。なお、銀行・信用金庫等のほか、信託(投信を含む)、保険会社、政府関係金融機関などは通貨保有主体から除かれる一方、証券会社、証券金融会社、短資会社などは一般法人として通貨保有主体に含まれる。
  3. M1:対象金融機関:日本銀行、国内銀行、外国銀行在日支店、信金中央金庫、信用金庫、農林中央金庫、商工組合中央金庫。
    M1=現金通貨+預金通貨
    現金通貨銀行券発行高貨幣流通高
    預金通貨要求払預金(当座、普通、貯蓄、通知、別段、納税準備)−調査対象金融機関の保有小切手・手形
  4. M2+CD:対象金融機関:M1と同じ。
    M2+CD=M1+準通貨+CD(譲渡性預金)
    準通貨:定期預金+据置貯金+定期積金+非居住者円預金+外貨預金
  5. M3+CD:対象金融機関:M2+CD+日本郵政公社、全国信用協同組合連合会、信用組合、労働金庫連合会、労働金庫、信用農業協同組合連合会、農業協同組合、信用漁業協同組合連合会、漁業協同組合、国内銀行信託勘定。
    M3+CD=M2+CD+郵便貯金+その他金融機関預貯金+金銭信託
  6. 広義流動性:対象機関:M3+CD+中央政府+外債発行機関+保険会社等+資金調達主体
    広義流動性=M3+CD+金銭信託以外の金銭の信託+投資信託+金融債+金融機関発行CP+債券現先・現金担保付債券貸借+国債・FB+外債
  7. (a)「国債・FB」にはTB、財融債を含む。
    (b)
    非居住者発行債。ドル換算ベースは、インターバンク相場(東京市場、米ドル) のスポットレート中心値月中平均を用いて換算。
  8. 季節調整済計数はセンサス局法X-12-ARIMA(ファイナルバージョン)による。
  9. マネーサプライ統計は、確報確定後も、基礎資料の入手等に伴い定例的に以下のタイミングで計数が遡及訂正される。
    • 2、5、8、11月:最新月から遡って、6ヶ月前の計数まで修正される可能性がある。
    • 上記以外の月:最新月から遡って、3ヶ月前の計数まで修正される可能性がある。
    • 例年12月頃:広義流動性、M3+CD、郵便貯金の前年度分の計数が修正される。
    • 例年3月頃:季節調整替えに伴い、季節調整済計数がデータ始期に遡って修正される。
  10. 金融機関からの誤報告等が発見された場合、速やかに計数の訂正を行っている。原則として、計数入手後もっとも近いマネーサプライ統計の公表日に過去3年を限度に計数の訂正を行っている。ただし、計数の訂正幅がM2+CD残高の0.1%に満たない場合は、次回の計数訂正と併せる形で訂正を行う場合がある。



<マネーサプライ(外国銀行在日支店等を含まないベース、19993月まで)>

  1. <マネーサプライ>の注釈参照。ただし、外国銀行在日支店、外銀信託および信金中央金庫は、M1、M2+CDの対象金融機関には含まれない。M3+CD、広義流動性には上記に加え、全国信用協同組合連合会、労働金庫連合会、信用農業協同組合連合会、信用漁業協同組合連合会が対象金融機関に含まれない。このうち、広義流動性(旧ベース)の対象金融商品には金融機関発行CPが含まれない。また、M3+CD(新ベース)は金銭信託の推計方法を変更している。



<マネタリーサーベイ(19984月以降)>

  1. 解説あり。
  2. <マネタリーサーベイ>は、IMFが採用している国際基準に基づき、日本銀行と預金通貨銀行(国内銀行、外国銀行在日支店、信用金庫、農林中央金庫、商工組合中央金庫、信金中央金庫)の諸勘定を統合・調整()したバランスシート。
    本統計では、資産については主として経済部門別(信用供与先)および資金形態別内訳(貸出、有価証券等)を、負債については、現金通貨、預金通貨、準通貨+CDなど、流動性別内訳を公表している。このうち、現金通貨、預金通貨、準通貨+CDは、それぞれ<マネーサプライ>の現金通貨、預金通貨、準通貨+CDの末残と一致している。
    (
    ) 金融機関預金など金融機関相互間の重複勘定を相殺しているほか、勘定科目を合算、分割している。
  3. 「(1)総括表」は「中央銀行勘定」と「預金通貨銀行勘定」を統合、調整し、その主要資産、負債を掲記。
  4. 現金通貨、預金通貨、準通貨の定義は、<マネーサプライ>の注釈参照。
  5. 「(1)総括表」の対外資産…対象金融機関の保有する対外資産から対外負債を差し引いたもの。
  6. 「(1)総括表」の政府向け信用(純)…対象金融機関の保有する国債、FB、中央政府向け貸出等政府に対する信用から、政府預金等の政府からの信用を差し引いたもの。
  7. 地方公共団体向け信用…対象金融機関の地方公共団体向け貸出および地方債(ただし、地方公社分は除く)保有額。
  8. 公的法人向け信用…対象金融機関の保有する政府関係機関債。
  9. 「(1)総括表」の民間向け信用…対象金融機関の民間非金融企業、個人等に対する貸出(取立外国為替を含む)、事業債・株式、CP等および日本銀行の保有する金銭の信託の保有額。
  10. (1)総括表」のその他(純)…「(1)総括表」の対外資産(純)と国内信用の合計から通貨、準通貨+CDを差引いた残差。
  11. (2)中央銀行勘定」の対外資産…日本銀行が保有する外国為替、国際金融機関への出資金や貸出金、金地金、SDR。
  12. 預金通貨銀行向け信用、中央銀行からの信用…日銀貸出および中央銀行が保有する買入手形、買現先取引等。
  13. (2)中央銀行勘定」の民間向け信用…日本銀行の保有する金銭の信託。
  14. (2)中央銀行勘定」のその他資産、その他負債…「(2)中央銀行勘定」の資産合計(または負債合計)から、各項目を差し引いた残差。
  15. (2)中央銀行勘定」の対外負債…日本銀行が海外の諸機関から預かっている円貨の預り金。
  16. (2)中央銀行勘定」の政府からの信用…政府預金および日本銀行が中央政府に対して行った売現先取引。
  17. (3)預金通貨銀行勘定」の対外資産、対外負債…銀行等対外資産負債残高等の該当項目を計上。
  18. (3)預金通貨銀行勘定」の政府向け信用…対象金融機関の保有する国債、FB、中央政府向け貸出等政府に対する信用。
  19. (3)預金通貨銀行勘定」のその他資産、その他負債…「(3)預金通貨銀行勘定」の資産合計(または負債合計)から、各項目を差し引いた残差。
  20. (3)預金通貨銀行勘定」の金融債…発行金融債および債券募集金。
  21. 3、9月計数は速報計数であるため、翌月の公表時には、定例的に修正される。
  22. 金融機関からの誤報告等が発見された場合、速やかに計数の訂正を行っている。原則として、計数入手後もっとも近い統計の公表日に過去3年を限度に計数の訂正を行っている。ただし、計数の訂正幅が通貨と準通貨+CDの合計残高の0.1%に満たない場合は、次回の計数訂正と併せる形で訂正を行う場合がある。



<マネタリーサーベイ(外国銀行在日支店等を含まないベース、19993月まで)>

  1. <マネタリーサーベイ>の注釈参照。ただし、外国銀行在日支店、外銀信託および信金中央金庫は、対象金融機関に含まれない。
  2. 19974月以降、一部先の特定取引勘定導入により推計方法が変更されたため、それ以前と連続しない。



<マネーサプライ(M2+CD)増減と信用面の対応(1998 4月から200312月まで)>

  1. 解説あり。
  2. <マネーサプライ(M2+CD)増減と信用面の対応>とは、集計対象金融機関()のバランスシートにおいて、負債に計上されるM2+CDの増減について、その対応勘定である資産(非金融部門信用供与)の内訳を主として示した統計。なお、本統計は、主に、<マネタリーサーベイ>「総括表」を基に、各項目の増減を算出している。
    (
    ) 日本銀行、国内銀行、外国銀行在日支店、信用金庫、農林中央金庫、商工組合中央金庫、信金中央金庫
  3. 対外資産…対象金融機関の保有する対外資産から対外負債を差し引いたものの増減(−)額。
  4. 政府向け信用…対象金融機関の保有する国債、FB、中央政府向け貸出等政府に対する信用から、政府預金等の政府からの信用を差し引いたものの増減(−)額。
  5. 地方公共団体向け信用…対象金融機関の地方公共団体向け貸出および地方債(ただし、地方公社分は除く)保有の増減(−)額。
  6. 公的法人向け信用…対象金融機関の保有する政府関係機関債の増減(−)額。
  7. 民間向け信用…対象金融機関の民間非金融企業、個人等に対する貸出(取立外国為替を含む)、保有事業債・株式、CP等および日本銀行の保有する金銭の信託の増減(−)額。
  8. その他…M2+CD増減(−)額から、上記3.7.を差引いた残差。
  9. うち金融債…発行金融債および債券募集金(ただし、対象金融機関保有の金融債を除く)の増減(−)額。
  10. うち信託・投信等…金銭の信託およびその他の証券(株式・公社債以外の有価証券)の残高の増減(−)額。
  11. うち金融機関預金…金融機関預金から対象金融機関の預け金(含む譲渡性預け金、除く日銀当座預金)を差し引いた残高の増(−)減額。



<マネーサプライ(M2+CD)増減と信用面の対応(外国銀行在日支店等を含まないベース、19993月まで)>

  1. <マネーサプライ(M2+CD)増減と信用面の対応>の注釈参照。ただし、外国銀行在日支店、外銀信託および信金中央金庫は、対象金融機関に含まれない。
  2. 19974月以降、一部先の特定取引勘定導入により推計方法が変更されたため、それ以前と連続しない。

 

<通貨流通高>

  1. (a) 記念貨を含む。日本銀行保有分を除き、市中金融機関保有分を含む。

------------------------------- 有斐閣・経済辞典より--------------------------

譲渡可能定期預金証書 negotiable certificate of depositNCDCD

 

アメリカの商業銀行が1961年頃より発行しはじめた譲渡可能な定期預金証書。日本では79年より最低発行単位5億円で取扱いが開始された。日本で最初に誕生した自由金利の定期預金だが,預金金利の自由化が進展するなか,最低発行単位や期間,発行枠などの規制は撤廃された。

 

[12] 商品経済の発展、信用制度、銀行業との発展と対応して、「貨幣蓄蔵」の形態や意味がかわってくる。「蓄蔵手段としての貨幣」の歴史的な展開に関しては、『資本論』1巻第三章第3a 貨幣蓄蔵、が参照さるべきである。

[13] 商品の売りと買い、すなわち、「変態列が中断され、売りがそれに続く買いによって補われなければ、貨幣は不動化され、または、ボアギュベールの言うところでは、可動物から不動物に」転化する。つまり、蓄蔵される。

[14] fiat money=法定不換紙幣{(ほうてい)ふかん しへい}、名目貨幣

 

[15] 別に「価値」とはなにかを説明しないのは、いわゆる近代経済学者に限らない。たとえば法律学者などもそうであり、国法もそうである。たとえば、日銀の金融研究所が通貨金融の専門家を集めて行った研究の報告書「中央銀行と通貨発行を巡る法制度についての研究会」(p.56)にはつぎのようにある。

 

 「法貨」とは、「一定の通貨単位で表示された価値を表章するものとして法律上定められているもの」である。強制通用力の第一の側面は、「法貨とされたものが、一定の通貨単位で表示される価値を表章していること(例えば、千円札が1,000円という価値を有していること)を誰も争えないこと」である(その意味で通用を強制される)

 

 「千円札が1000円という価値を有している」というのは同義反復と同じで、「価値」は何も説明されていないことは明らかである。価値を説明するための文章ではなく強制通用力を説明する文章だから、「価値」の説明がないことは当然としても。

 

 マルクスがいうように、貨幣(通貨)は価値を持たない。貨幣(この場合、通貨)は、その価値を諸商品の物価表で実質的に表示する。貨幣に内在する価値は、諸商品の価値を表現するものとしてであり、諸商品の価値との同等性にある。諸商品はみずからの価値を貨幣(この場合、通貨)で表現する。

 この相互関係にこそ、すなわち、諸商品の価値表現とその一般的等価形態(その機能としての貨幣)の関係にこそ、貨幣に内在する(貨幣が表現する)価値が現われている。

 商品生産社会・商品交換社会では、各商品生産者・商品所有者は、みずからの商品に内在する価値を一般的に妥当する手段(一般的等価)で表現し(すなわち価格をつけ、値札をつけ)、実際に交換過程で多かれ少なかれそれを実現する。

 交換において、同じ質の物が量だけ違うものとして等置される。すなわち、人間労働(抽象的人間労働)の一定量が等置される(交換行為によって商品交換者は相互に自分たちの商品を等置する)

 こうした実質的な価値実体の同等性・共通性・同質性があるからこそ、交換がなされる。そうした実質の媒介手段・価値尺度機能・計算機能として通貨(銀行券や硬貨)がある。

 諸商品の価値(その実体)と貨幣(通貨)との関係が見えない場合(すなわち古典派経済学・労働価値説体系が明らかにしてきたことを無視する場合)、つぎのような循環論法に陥ったり、たんなる慣習に還元したりすることになる。

 

 「経済学の分野では、例えば、ある財貨が一般的交換手段となり得るのは、強制通用力の付与によるものではなく、交換取引に関与する者の慣習によるものであるとする考え方や、人々が通貨を通貨として受け取るのは、それが法貨であることが念頭になるからではなく、他人がそれを受け取ってくれるからであるとの指摘が多く見られる。また、通貨の本質は、法律で定められた強制通用力ではなく、発行者の信用という経済的実質で決まるとする見方も示されてきている」と。(「中央銀行と通貨発行を巡る法制度についての研究会p.73

 

 この文章の注記に日本を代表する経済学者(館・浜田、岩井、藪下など)の諸説が紹介されている。

ところが、これらの見解のどれ一つとして、通貨(貨幣)が、諸商品のに内在する価値(その実態としての人間労働)を表現するものだという見方はない。貨幣(通貨)が、諸商品世界の必然的産物として、諸商品が交換の前提として必要となる必然的な価値尺度機能、価値表現機能を一般的等価としての通貨に果たさせているということを、見ないのである。

 

[16] 貨幣の価値尺度機能=「商品世界にその価値表現の材料を提供することである。または、諸商品価値を同名の大きさ、すなわち質的に同じで量的に比較の可能な大きさとしてあらわすことにある。」「価値の尺度