ヒトラーの思想構造
-『わが闘争』の論理構造の分析と総合−
cf.拙稿「第三帝国における『国家と経済』−ヒトラーの思想構造にそくして−」遠藤輝明編『国家と経済』東京大学出版会、1982年。
第一次大戦の煉獄を経て鍛え上げられた人種主義ドイツ民族至上主義の論理(民族帝国主義の論理)としてのヒトラーの思想構造・世界観における反ユダヤ主義の位置づけ・
ヨーロッパ社会の隅々に広まる宗教的保守的反動的なさまざまの伝統的反ユダヤ主義意識と
ヒトラー・ナチズムの反ユダヤ主義の共通項と異質性とは?
ユダヤ教とキリスト教:
相互関係の2000年(支配宗教と離散ユダヤ人・マイノリティの宗教)
一方で、
18世紀末ー19世紀におけるユダヤ人のキリスト教社会への同化傾向・文化変容
他方で、
19世紀末ー20世紀における東欧ユダヤ人の大量的流入
ヒトラーはウィーンでの浮浪者生活の中で、東欧ユダヤ人との遭遇・・・反ユダヤ主義の一契機。
ヒトラー『わが闘争』の思想構造:
ヒトラーは、「無名のもの」から、ナチ党の前身「ドイツ労働者党」にはいり(党員番号7番)、大衆運動を通じて一大政党を作り出し、国民の支持を獲得し、その一大政党と一大勢力が、民族主義政策を遂行して戦争に突入し、世界戦争にまで突き進み、結局、敗北した。
ヒトラーは、「魅力ある言葉」、「魅力ある理念」でドイツ人の心に訴えたのだ。
だから、ヒトラーは大衆の心をつかんだ。
そのヒトラーが戦争にまで国民を引っ張っていった。
何が「魅力」?
ニュルンベルク裁判の被告となった主要戦犯の多くが、「ヒトラーは天才だ」といっている。「ぼけたのは、1944年7月20日事件以降だ」などと(Cf.『ニュルンベルク・インタヴュー』上・下)。
ヒトラーの「天才性」とは?
ヒトラーの思想は民族主義(ナショナリズム)で一貫していた。
彼が率いた政党の名前の冒頭に、Nationalがある。ナチス・ナチ党の正式名称は、Nationalsozialistische Deutsche
Arbeiterpartei
その民族主義は単純明快であった。
それは、ドイツ民族至上主義であった。
ドイツ人の傷ついた多くの人々の心をつかんだ。世界恐慌期に、出口が見つからない混沌状況で、ヒトラーの単純明快な民族主義(民族帝国主義)が、人々の心をつかんだ。
人々は、恐慌からの脱出、大量失業を克服する希望、世界的名声の確立、誇りあるドイツ民族の地位の獲得の可能性などの夢を託した。
だが、そのドイツ民族主義は、諸民族が生活し自分たちの生存を守り発展させようとしているヨーロッパと地球上において、自分以外の諸民族の尊厳・生存・発展と繁栄をねがうもの、支援するものではなかった。
逆に、自民族のために他民族を支配し、従属させ、奉仕させようとする主義であった。
自民族のための領土拡大、自民族の覇権確立、自民族の世界覇権の達成が、ドイツ民族主義を貫くものであった。
その基本理念と目標は、必然的に他民族の生存や尊厳と対立し、矛盾するものだった。
こうしたヒトラーの全生涯と思想構造を深く立体的に把握する必要は、今日的にも重要性を持っている。
多くの人々は、強力な指導者に惹かれるのだ。
とりわけ、長期的不況や深刻な不況に直面して、脱出の糸口が見つけられない人々、意識と現実生活で閉塞状況にある人々が。
現代もまた、ナショナリズムが大きな勢力となりつつある。
指導者原理を体現するかのような大国主義的単独行動主義が日本と世界で横行している。
それは、一方の極におけるテロリズムの単独行動主義と対を成すものとなっている。
第二次大戦後、60年のいま、あらためて、民族主義的民衆統合の危険性をしっかり見据え、これに対する抵抗力をつけ、真の意味での国際主義的ナショナリズム、真の国民主義的インターナショナリズム(国際主義)を強靭にしていく必要がある。
ヒトラーの『わが闘争』は、そのような真の意味でのナショナリズムとインターナショナリズムを鍛える素材として、しっかり検討するに値する。
何をやってはいけないか、どのような思想構造に落ち込んではならないか、これを認識するためには反面教師としてのヒトラーを検討する必要がある。
何が、多くのドイツ民衆をひきつけたのか?
そのどこに問題があったのか?
ヒトラーは19世紀末から第一次世界大戦、第二次世界大戦にいたる世界のどのような空気を吸って成長したのか?
そして、どのような空気を世界中に撒き散らしたのか?
ヒトラー『わが闘争』
(角川文庫版)・・・戦中に眞鍋訳あり。
ヒトラーは、『わが闘争』をランツベルクの要塞拘置所で口述筆記させた。
『わが闘争』を、1923年11月9日のミュンヘン一揆の際に、死去したナチ党員にささげている。
ヒトラーの『わが闘争』は、ドイツ民族主義の世界観である。
民族主義(ナショナリズム)の世界観の一構成要素として、反ユダヤ主義がある。
彼の反ユダヤ主義は、民族主義的反ユダヤ主義である。ドイツ民族至上主義の見地での反ユダヤ主義である。
ヨーロッパ社会に古くからあったキリスト教の宗教的反ユダヤ主義を土壌としているが、それとは別である。
ヒトラー・ナチ党は、反キリスト教であり、キリスト教は弱い人間たちの宗教だと軽蔑していた。
ドイツ民族至上主義の論理(強い人種・民族が生存圏を拡大することを必然視・当然視する主義)で政治闘争を行うヒトラー・ナチ党にとって、「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」といった愛の倫理は唾棄すべきものであった。ヒトラー・ナチ党の思想的中心に行けばいくほど、人種主義的民族主義の論理がすべてを支配する(その構成要素として、人種主義的反ユダヤ主義)。
「官吏はごめんだ、むしろ美術画家だ」・・・・美術画家、美術学校を志し、挫折。
「ドイツ主義の闘争」・・・・ヒトラーは、小学校時代から、ドイツ主義=ドイツ民族主義に感染・心酔・・・・小学校教育の重要性(危険性)・・ヒトラーも時代の一潮流(民族主義・帝国主義)の子供であった。(小学校時代に刷り込まれた排外的排他的民族主義意識・・・ヒトラーもまた小さい子供のころに時代の影響を受け、刷り込まれたのだ。その意味では、一種の被害者でもある
。生まれ落ちた時から、民族主義の観念を持っていたわけではない・・・教育・社会環境の大切さ!)
「社会民主党の指導者としてのユダヤ人」、
「文化破壊者としてのマルクシズム」・・・・民族主義・ナショナリズムに敵対するものとしての社会民主主義・マルクス主義・・・ヒトラーはこれらが、ユダヤ人の教え(国際主義的であり、民族を破壊するもの)だとする。
ヒトラーによれば、 ドイツは「新しい土地」を獲得しなければならない(領土拡大政策)。
そのためには、イギリスと親しくし、
ロシアとその周辺地域に領土を拡大しなければならない。
すなわち、親英反露でなければならない。
「経済的平和的征服」は、誤った政策だ。
世界大戦は、「ドイツの自由の闘争だ」
反戦意識・反戦運動の高まりに対する怒り
1918年11月革命により戦争終結
しかし、革命は、ヒトラーにとって、背後からの匕首であった。
すなわち、ヒトラーによれば、前線で、したがって戦争に負けたのではない、国内の反戦運動・ユダヤ的勢力の策謀によって「崩壊」させられたに過ぎない、と。
「ドイツ革命の注文者であった国際金融資本」(402ページ)
ヒトラーは、すべての問題を「人種問題」、「民族の血の問題」に還元し、諸悪の根源をユダヤ的なるものに「還元」する。
それでは、「民族と人種」で述べられていることは?
これは少し詳しく内容を抜粋的に紹介するため、別のページにリンクしよう。
ナチ党・ナチスの翻訳として、邦訳では(通常の辞書でも)「国家社会主義ドイツ労働者党」が使われている。
しかし、ヒトラーは、国家は民族に奉仕する手段であり機関である、と捉えている。
ドイツ語の言語は、Nationalsozialitische Deutsche
Arbeiterpartei」である。すなわち、Nationalという原語に、「国家」という訳語を与えていいのか、という問題がある。「国家」には、Staatというドイツ語がある。
そのような意味で、専門研究者の多くは、国民社会主義ドイツ労働者党、と訳している。Nationalには「国民」という訳語をあてているのである。
『わが闘争』第二巻 国家社会主義運動
(上述のように、国民社会主義運動、と約すべきだと考える)