2019年11月9日エクステンション講座
「深める:ホロコーストはなぜ起きたのか」 永岑三千輝
拙著『ドイツ第三帝国のソ連占領政策と民衆 1941‐1942』(同文舘、1994)
これに対する栗原優氏書評(『歴史学研究』No.694:書評1997年2月Pdf版)
欧米におけるさまざまの主張
栗原説・・・ヒトラーのヨーロッパ・ユダヤ人絶滅命令(1941年7月末―8月初め)説
これに対する批判的実証研究(41年12月説の私の見地から)。
同時に、むしろ根底的には、アウシュヴィッツ否定論(例えば、「ナチ・ガス室はなかった」など)への実証的批判。
(アウシュヴィッツ否定論に対しては栗原氏も根本的に批判的な立場を私と共有する)
1993年3月末から10月初めまで
半年間のドイツ連邦文書館(コブレンツ)での
史料調査の成果。
一連の論文を『経済学季報』(立正大学)に発表し、添削を加えて一冊にまとめたもの。
1995年8月のアウシュヴィッツ・ビルケナウ調査をはじめとする
文書館調査を踏まえて、下記のような一連の論文を執筆。それらを適宜取捨して一冊にまとめたもの。
最後の章に、アウシュヴィッツ否定論への科学的批判。一連の否定論批判の仕事の総括。
この間のホロコーストの実証的研究において、重要な現代的課題意識は、『マルコポーロ』事件(1995年2月号掲載の「ナチガス室はなかった」記事)への歴史科学的批判ということであった。
歴史の忘却、記憶の喪失、歴史に対する無知の大河に乗じて、否定論が跋扈する風潮に対して、きちんと科学的批判の素材を提供すること、これである。
以上、三冊の成り立ちの経緯については、それぞれの「あとがき」で、概略がわかると思われる。
三冊の「あとがき」を参照されたい。
*ヒトラー・ナチスを単純に「きちがい」扱いしていいか?
ヒトラーは生まれたときから、われわれの知るヒトラーか? (ヒトラー生誕の地=オーストリア国境の町ブラウナウ・アム・イン、税関吏の息子)
*ホロコーストは初めから決まっていたことか?
政治権力の状況・領土膨張・戦争(対ポーランド・英仏、対ソ連、対アメリカ)の段階的把握の必要性
*ナチ体制・ヒトラーナチスの権力掌握から開戦まで
1933年〜38年 権力確立過程とユダヤ人迫害・移住強制
1938年〜39年 膨張政策・領土拡大とユダヤ人迫害・強制移住
*電撃戦勝利段階(ポーランド侵攻からフランス占領まで)・・・ユダヤ人移送政策
ルブリン(ポーランド総督府南東地域)ユダヤ人居留地構想
マダガスカル計画
*対ソ戦準備段階(1940年夏から41年3月)
プリピャチ湿地(ベラルーシ)追放構想
シベリア追放構想
*ソ連奇襲攻撃以降の重要な殺戮の画期
①1941年6月(特に7月から8月)から41年12月までに独ソ戦の後方地域で約50万人のユダヤ人がアインザッツグルッペ(親衛隊警察の特別出動部隊)により射殺される。
②1941年9月から12月の戦時中移送の臨時的強行(戦時中移送の過渡的臨時的強行)・・・挫折・・・ガス殺(移動型ガス室・自動車排気ガス・一酸化炭素CO)
③1941年12月12日のヒトラーの命令
④1942年1月20日ヴァンゼー会議・・・軍事情勢に対応し必要にあわせて、「疎開」(絶滅収容所への「疎開」-つまりは殺戮)。
1942年一年間に、ポーランドユダヤ人200万人のガス殺(ベウゼッツ、トレブリンカ、ソビボールの絶滅収容所・・・廃棄戦車のエンジン利用・一酸化炭素ガスCO・・・ラインハルト作戦)・・・1943年11月解体証拠隠滅
ヴァンゼー会議の歴史的位置づけ(論争の紹介)・・・
拙稿(1998)「ホロコーストのダイナミズム」『ドイツ研究』(Deutschstudien) No. 26, 1998.
拙稿(2000)「ヒトラー『絶滅命令』」とホロコースト」『土地制度史学』第166号、XLII-2, 2000・1
ヴァンゼー会議記念館(編)の資料集及びその解説書(横浜市立大学新叢書8:山根徹也・清水雅大訳)
⑤1942年〜44年 ヨーロッパ各地のユダヤ人の「東方への疎開」(労働収容所と絶滅収容所、アウシュヴィッツ・ビルケナウ、ビルケナウにおける農家改造ガス室、その後大型火葬場・ガス室建設、43年以降稼働・・・アウシュヴィッツ・ビルケナウでは約100万から110万人がツィクロンBで殺害…今日の研究の到達段階)
⑥1944年春〜夏、ハンガリーユダヤ人・40数万人のアウシュヴィッツへの連行とガス殺=ツィクロンB=青酸ガス、余りの大量の死体を焼却炉では処理しきれず、屋外でゾンダーコマンドの手により焼却坑で焼却。
以下、配布資料:
関連論文・書評・・・三つの論文・・・コピー配布。
特に、2と3は、移送政策の変遷に関する決定的証拠資料の発掘と紹介。
1941年春、対ソ攻撃準備が進展する中で、いったんは移送政策・その計画が当面中止となる。
ユダヤ人移送は、独ソ戦終了後に、と。
41年7月31日・・・ゲーリング令:その基本方針のもと、緒戦の奇襲攻撃の圧倒的勝利段階で、
近い将来の対ソ戦勝利を踏まえた全ヨーロッパ的なユダヤ人問題の最終的全体的解決を
中央諸官庁の調整を行って実施する構想、その準備命令(ハイドリヒとアイヒマンが草稿準備、ゲーリングの署名をもらう)。
41年8月一方(東部戦線)でソ連の猛烈な抵抗反撃、他方(西側―英米連携の強化)でチャーチル・ルーズベルトの「大西洋憲章」、ドイツ本土へのイギリス空襲など。
41年9月 「総統の希望」(ユダヤ人をドイツとその支配地域から戦時中にも排除・追放する要求)
41年10月 臨時移送・追放措置の強行(戦時中の東方へのユダヤ人移送の一時回避的臨時的開始)。
10月15日ユダヤ人の英米等へ移住禁止(ユダヤ人の移送・移住方向は東方のみとなる。)
しかし、追放された移住者を受け入れる条件(住宅・食料など)の欠如が判明・・・一時的回避策・臨時措置の挫折。
11月〜12月、移送されたユダヤ人の大量殺害開始
(11月末のリガではユダヤ人移送者の射殺、12月初めウッチで移動型ガス室稼働)。
1. 「独ソ戦の展開・世界大戦化とホロコーストの力学」『横浜市立大学紀要』March 1998、社会科学系列 第1号、81-123.
(1998年3月)(永岑ウェブサイトリンク)
目次:
はじめに
1.ブラウニングの『普通の人びと』とヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』
2.ヒトラーの「絶滅命令」とは何か
3.絶滅策への転換の機が熟したのはいつか
4.「冬の危機」・真珠湾攻撃・世界大戦化とユダヤ人虐殺
むすびにかえて
2. 「ユダヤ人東方移送政策とウッチ・ゲットー問題―いわゆるヒトラー「絶滅命令」の力学構造―」『横浜市立大学論叢』第49巻 社会科学系列 第1号(1997年平成9年9月)、51‐100.(実際には1999年平成11年2月)
目次:
はじめに
1.アインザッツグルッペとソ連占領地の治安状態
―抵抗・非統合状態と鎮圧ラディカル化の力学―
2.ユダヤ人の東方移送―「フューラーの希望」
3.ウッチ・ゲットーの実態―1941年9月ヴェンツキ報告の段階―
おわりに
ヒムラー、ハイドリヒの強行突破策
―ライヒ保安本部の選択肢狭隘化とガス自動車「安楽死」作戦―
3. 「ウッチ・ゲットー問題とヘウムノ・ガス自動車「安楽死」作戦」『横浜市立大学紀要』、社会科学系列 第2号、1-32.March 1999(永岑ウェブサイトリンク)
目次:
はじめに
1.ソ連占領地ユダヤ人殺戮の無差別化と「安楽死」技術転用の検討開始
2.「特殊自動車」開発とソ連占領地への投入―配備開始1941年11月末―
3.西ヨーロッパ各地の不穏状態とユダヤ人東方移送への圧力群
4.ヒムラー、ハイドリヒによるライヒ・ユダヤ人のウッチ移送強行
―自動車排気ガスによる「安楽死」抹殺へ―
おわりに
4. 「独ソ戦の現場とホロコーストの展開」『横浜市立大学論叢』第50巻 社会科学系列 第2・3合併号、43-90.(2000年3月)・・・・横浜市立大学学術機関リポジトリに掲載(インターネットアクセス・閲覧・ダウンロード可能)
目次:
はじめに
一. 国防軍のソ連における行動指針とユダヤ人の位置づけ
二. 独ソ戦の現場
三.バルバロッサ作戦の挫折とヒトラー指令
四.セルビアのパルチザン戦争と男子ユダヤ人射殺
おわりに
5. 「ホロコーストの論理と力学―総力戦敗退過程の弁証法―」『横浜市立大学論叢』第55巻 社会科学系列 第3号、265-296.
(2004年5月)(永岑ウェブサイトリンク)
目次:
はじめに
1.ヒトラー「絶滅命令」に関する最新の論点
2.食糧難は歴史総体にどのように位置づけるべきか
3.ソ連ユダヤ人とポーランド・西欧ユダヤ人の絶滅政策への移行は同時か
4.パルチザン問題は戦局全体にどう位置付けるべきか
5.本書の基本的見地
おわりに―根本史料群と論争を通じて確実な歴史把握を―
6. 「総力戦とプロテクトラートの「ユダヤ人問題」」『横浜市立大学論叢』第56巻 人文科学系列 第3号(2005年3月31日)、159-206.(実際の刊行2006年2月)
目次:
はじめに
1.ヒトラーの言説に示される段階的変化とハイドリヒの位置
2.プロテクトラート統治の基本目標・課題とユダヤ人追放=「移住」政策のベクトル群
3.一時回避策としての追放強行=「疎開」と新たな難問群
むすびにかえて
―「特殊自動車」作戦から絶滅収容所の建設へ―
7. 「特殊自動車とは何か―移動型ガス室の史料紹介―」『横浜市立大学論叢』第56巻 社会科学系列 第3号、123-142. (2007年3月)(永岑ウェブサイトリンク)
目次:
はじめに
1.「41年12月から3台の車で97000を加工」
―1942年6月5日付文書(史料①)―
2.ボックス型荷台のどこが極秘中の極秘か
―1942年6月23日付文書(史料②)・9月18日付文書(史料③)―
おわりに
8. 「アウシュヴィッツへの道―「過去の克服」の世界的到達点の地平から―」(1)『横浜市立大学論叢』第58巻 人文科学系列 第1・2合併号、55-95. (2007年3月)(永岑ウェブサイトリンク)
目次:
はじめに
第一章 ヒトラー・ナチス指導者の世界観・思想構造・戦略
1.ドイツ民族の「生存圏」拡大戦略
(1)ヒトラーの『わが闘争』と『続・わが闘争』
(2)民族共同体の構築=ヒトラー独裁体制確立と再軍備・四カ年計画
(3)ホスバッハ・メモにみる具体的な戦争計画
9. 「アウシュヴィッツへの道―「過去の克服」の世界的到達点の地平から―」(2)『横浜市立大学論叢』第58巻 社会科学系列 第1・2・3合併号、223-257.(2008年3月)(永岑ウェブサイトリンク)
目次:
(4)領土拡大政策の第一段階・フリッチ危機と反ユダヤ主義の論理
―「帝国水晶の夜」と1939年1月30日の国会演説―
(5)ポーランド侵攻の構想―領土拡大の第二段階へ
10. 「アウシュヴィッツへの道―「過去の克服」の世界的到達点の地平から―」(3)『横浜市立大学論叢』第59巻 人文科学系列 第1・2合併号(2008年3月)、201-218. (2009年6月)(永岑ウェブサイトリンク)
目次:
2.ポーランド侵略開始・ドイツ民族強化政策と「ユダヤ人問題」
(1)ポーランド侵攻の正当化と開戦の陰謀―暗号名「ヒムラー作戦」―
(2)併合地域・東方のドイツ民族強化・ゲルマン化―大帝国の中核構築―
(3)戦時下におけるゲルマン化政策の修正―「民族リスト」政策―
11.書評:E・ファン・デル・クナープ編「映画『夜と霧』とホロコースト」(庭田よう子訳、みすず書房、2018年)『週刊読書人』2018年10月12日(ウェブサイト掲載)。
12. 「第三帝国の膨張政策とユダヤ人迫害・強制移送 1938――最近の史料集による検証――」『横浜市立大学論叢』第70巻 社会科学系列 第2号、193-227.(2019年4月)・・・横浜市立大学学術機関リポジトリに掲載(インターネットアクセス・閲覧・ダウンロード可能)
目次:
はじめに
1.オーストリア併合・「大ドイツ帝国」建設とユダヤ人迫害・移住強制
2.ズデーテン併合とユダヤ人迫害・移住強制
3.ユダヤ人難民の大量発生と諸外国の受け入れ
小括
13. 書評:「ニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ著『アウシュヴィッツの巻物―証言資料―』(二階宗人訳、みすず書房)、2019年、『週刊読書人』2019年7月19日号(ウェブにも掲載されている)。・・・A3拡大コピー配布
――――――――ゲラ段階の原稿(A3拡大コピー配布)―――――――――
14. 「第三帝国の膨張政策とユダヤ人迫害・強制移送 1938‐1939」『横浜市立大学論叢』第71巻 社会科学系列 第2号、2020年2月刊行予定、1-24.
以上。